2015年10月22日

10/22降りてきたメッセージ



さあ、再誕生の時です。

あなたへ。


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2015年09月18日

9/18降りてきたメッセージ


<9/18降りてきたメッセージ>


誰も悪くないのです。

あの人のせい、誰かのせい、起こった出来事のせ、状況のせい、社会のせい、仕事のせい・・・

または、

自分のせい・・・・自分が悪いんだ、自分がこんなにダメだから・・・

あなたが、誰かの、なにかのせいにしているうちは、

前には進めないでしょう。

人生に起こることはすべて、

誰のせいでもないし、誰かを悪者にする必要はない。

ましてや、

自分を悪者にする必要など、まったくないのです。

それが理解できた時に、

前に進めるのですよ。


都志.jpg


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月31日

8/31 降りてきたメッセージ


「8/31 降りてきたメッセージ」


誰かの言動や、起こった出来事で、

あなたの心が傷ついたのならば、

それは、あなたが傷つくことを選択して受け取ったことなのだよ。

傷つかずに受け取るということも、

選択できるはずだよ。

次は、そうしてごらん。

きっと、できるから。


永田夕陽.jpg








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2015年08月04日

8/4降りてきたメッセージ



苦しみや 悲しみや 怒りは


トラウマの癒しの チャンス


支配されては いけない


その蓋を開いて よく見るのだよ




グアテマラ2.jpg
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2015年07月24日

7/24 降りてきたメッセージ



「7/24 降りてきたメッセージ」




どうして、理解してもらえないのだろう、

と嘆くなら、

歩み寄り、相手を理解しようと、努力をしたか、

己の心に聞いてみよ。



なぜ、誤解されてしまうのか、

と悲しむなら、

自分が自分を、信じきっているのか、

己のハートに問うてみよ。





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2015年06月24日

「ご縁について」



※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、ブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
人それぞれだと思いますので、ご自分らしい生き方のご参考になさってください。もしよろしければ。※




わたしの過去の経験をもとに、学んだ智慧をシェアさせていただきますね。



******************



「ご縁に感謝します」とか、「ご縁があればお願いします」とか、

「ご縁」という言葉をよく聞きます。

ご縁を大切にすると、確かに、人生はうまく行きますよね。

そうなんです、大切にしてくださいね。

人生がうまくいくんです。



ご縁を大切にするって、どういうことかというと、

わたしはやはり「そのご縁を信じること」なのだと思うのです。

なにか、ご縁があり、よい状況を与えられたとしても

「いや、もっとよいものがあるのかもしれない、もっと、条件の良いものが・・・」と、思うことは、そのご縁を疑うことだと思うのですね。

まずですね、ご縁というのは、自分が引き寄せているのですね。

ということは、そのご縁を疑うということは、自分を信じていないということに繋がるのですね。

そういうかたは、結局、どんなご縁も成就しにくいです。



例えて言えば・・・・・

素敵な女性に巡り合えたのだけれど、もっとよい女性が現れるかもしれない・・・・・

もっと、自分にぴったりの人がいるかもしれない・・・・と、そのご縁を疑ってしまって、

結局、どんなご縁も信じることができず、結ばれなくなってしまうというパターン。



この例の「女性」というところを、「仕事」とか「品物」とかに置き換えても同じですよね。

仕事なんて、よくあるんじゃないかしら。

もっと、条件の良いところ・・・・・と思っちゃうこと。



たとえば、なにか「品物」だとしても、多少値段が高くても、それが確実にご縁のあったものだと感じたら、迷わず購入するべきです。

いや、もっと、安くて同じようなものがあるはずだ、と他にばかり目を向けていれば、

自分の魂が引き寄せたそのご縁を、逃がしてしまいます。


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それから、「ご縁」って、よいご縁だけじゃないんですよ。

自分にとって、ネガティブに感じることもご縁なのです。

人生は、良いも、悪いも、すべてご縁なのです。

一見、最悪!と思うことでも、それはご縁があってのことであり、それが、魂の学びに必要だから起こっていることなのです。



たとえば人間関係・・・・・・。

仲の良いかた、気の合うかた、好きなかた、などなど、それを「ご縁がある」と皆さんは呼びますが、

でも反対にね、

例えば、嫌いな人、苦手な人、いじめっこ、なども実は、「ご縁がある人」なんです。

人生は善いも悪いもなく、すべては自分の魂が引き寄せていますから、

大嫌いな人がいたとしても、それは、その人とあなたの関係性から学ぶべきことがあるから、その人はそこに(あなたの近くに)存在して、あなたをイライラさせているんですね。

その人との関係性からの学びを、学びきってしまえば、その人は目の前から自然にいなくなるか、または、大嫌いと思わなくなる、または、もう全然気にならなくなる・・・ = 学びきることで関係性が変わる、 のですね。

ですから、その一見、ネガティブに感じる出会いも、魂にとっては「ご縁」なのですね。

だとしたら、ぜひとも、早く学んで、早くその苦しい関係性からの学びを、学びきって、楽になりたいですよね。

ですので、人生で起こるすべてのこと、すべての出会いからの、「学び」を深めましょう。

魂の学びを深め、霊性を磨きましょう。

(新サイキックプロテクションの伝授をご受講になりますと、そのスピードが速くなります。だから、わたし、オススメしているのです。 ちょろっと宣伝でした)



そんなふうに、前向きに人生に向き合っていると、

不必要な出会いや出来事なんて、ひとつもないのです。

誰かに傷つけられたり、なにかに苦しめられているというときは、

そこから、何を学んでいるのか、そして、早く学びきるにはなにを手放したらいいのか(大抵、手放すべき執着とエゴがあります)

そこに目を向けると、自然と問題は、結果的に解決の方向へと向きます。

魂のままに生きていても、もちろん、人間として生きている限りは学びですので、問題が起こります。

でも、自分の覚醒が進むにつれ、その解決の方向へと向かう速度が、とても速くなります。

ですので、学びきる速度が速くなる、ということです。

すると、この人生での学びが、格段に多くなるのですね。



ぜひ、良いも、悪いも、ご縁を大切にして、

霊性を磨いていってください。

なんだか、語ってしまいましたね。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月17日

「祈ることについて」



※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、ブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
人それぞれだと思いますので、ご自分らしい生き方のご参考になさってください。もしよろしければ。※




わたしの過去の経験をもとに、学んだ智慧をシェアさせていただきますね。



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わたしが言う「祈り」とは。

それは、「感謝」と「愛」です。



海外の国々に比べて、宗教性が薄い日本では、「祈る」ということにあまり縁がないかたも多いのだと思います。

あなたは、どんなときに祈りますか?

もしかしたら、なにか神様にお願いするときに祈るのではないでしょうか?

「合格しますように」 「あの人が無事帰ってきますように」  「病気が治りますように」  「○○が成功しますように」 「失くしたものを取り戻せますように」などなど。

困ったときの神頼み、ですね。

そして、こういったお願いの祈りをした後、もしも、その願いが成就されなかったときには、

「神様は不公平だ」  「神仏を信じてたのに裏切られた」  「わたしの声は聞いてくれない」  「神なんかいない、無駄だ」

と、思ってしまうのではないでしょうか?



わたしの行う「祈り」とは、

天に・・・・、大地に・・・・、森羅万象に・・・・、この世界に・・・・、自分自身に・・・・、

感謝と喜びを表現することです。

父なる天に、母なる地球に、限りない愛を与えてくれる感謝と、その喜びを全身全霊で伝えます。

それが、祈りとなります。

祈ることを魂の喜びとし、その喜びに天からの祝福がおり、そして、真なる意味での願いが叶えられていくと、

現実社会の三次元的なことの、すべてが、なるべきように、なっていきます。



ヨーガでは「太陽礼拝」というアーサナがあります。

これは、流れるような動作と呼吸の一連のルーティンです。

「太陽礼拝」という名前の通り、「太陽」に「礼拝」をするアーサナです。

わたしが太陽礼拝を行う時、わたしは、森羅万象と周波数を合わせて「礼拝」をするつもりで行います。

「どうぞ、わたしの肉体をお使いください」

という気持ちで太陽礼拝をします。

それは、世界中の苦しむ人々、困難な中にいる人々、人生を生き悩む人々に、

わたしの肉体を使った礼拝を通して、太陽的な光と、温もりと、愛が届きますように、という想いをこめた礼拝です。



こんなふうに視点を置けば、日常のすべての行動が、「礼拝」になります。

お掃除ひとつでも、そうなのです。

世界中が浄められますように、という想いで行えば、自宅のお掃除も世界に対する「礼拝」となります。


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たとえば、なにか困った問題が起こった時。

わたしが起こった問題について・・・・・・または誰かの問題についてお祈りをする時は・・・・・・・

いつでも必ず、「最善」をお祈りします。

「どうか、こうなってください」と、お願いするのではなく

「どうか、宇宙の目線から見て、魂のレベルから、すべてが最善でありますように」、と信じることです。



その「最善」は、頭で考えて判断することや、過去からの自分の経験や、誰かの経験をもとに考えてしまっている「こうなってほしいな」と思うことではないのです。

誰かのエゴや、わたしのエゴが願うことではなくて、

宇宙の中のひとつとして見たときに、魂のレベルからの「最善」であり、

「こうなってほしい」という、自己の願いではありません。



なぜならば、人生の問題と思われる出来事は、すべてが私たちにとって必要なことであり、魂の学びですから、その学びを学びきれば、その問題は終了します。

ですので、魂にとって、その問題は必要があってやってきているということ。

だとしたら、できるだけ苦しみ過ぎず、傷を負いすぎず、最善の方法で学びが深まり、魂が進化し、問題を終了できますように、と祈ります。

その「学び」がつつがなく、最善で終了するように、自分を、または、誰かを、そして、この神聖なる人生を、とことん信じきること。



「祈る」とは、そういうことだ思っています。

私は人間ですので、エゴがあり、情があり、ジャッジメント(裁くこと)がありますが、

すべての最善は、そのエゴや情や、私の価値観での善い、悪いの判断のレベルではない!ところにあります。



人生は、なるようにしか、なりません。

どんなにあがいても、こうなって欲しい!と喚いても、

結局は、なるようにしか、なりません。





頭で考える「善いと思うこと」というのは、たいていが、エゴと執着です。

エゴと執着からの願いは、さらに、エゴと執着を増幅させます。

一見、「こちらのほうが幸せだし、よいだろう」と思われることも、実は、魂レベルから見るとそうではないこともあります。

宇宙の中の自分であるところの、魂の学びの目線で見た、最善・最高をお祈りしましょう。

それは、あなたがこの世界に、肉体を持ち、生を持ち、魂の学びである人生を生きているということを、

感謝とともに、喜びともに、表現して生きていることであり、

なるようになるであろう、自分の人生をとことん信じていることです。




ぜひ、日々、祈りを取り入れて、あなたの最善で最高の人生を送ってください。

「祈りかたがわからない」と言われるかたがいました。

どうぞ、ご参考になさってくださいませ。

合掌




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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

「流れに任せるのではなく、流れに乗る」



※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、ブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
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「流れに任せるのではなく、流れに乗る」




宇宙のリズムに同調していれば、すべてが最善で最良・最適に進んでいきます。

自分の人間っぽい「我」の部分を空っぽにして、大いなる力に身を委ねると、「流れ」がわかってきます。

よく聞きますよね。「委ねる」という言葉。

わたしが感じています「委ねる」というのは、ただ、寄りかかる、という意味ではないと思うのですね。



ここでいう、「流れに身を委ねる」という言葉は、聞く人の取りようによって、変わってくると思うのです。

私が思う「流れに身をゆだねる」というのは、流れに任せる・・・・・のではなくて、流れに乗る・・・・のだと思うのですね。




「任せる」という言葉は、自分の力ではないなにかに頼る、という感じがするのです。

すると、「流れに任せる」という意味は、流れていく川の流れのままに、ただフワフワ浮いている、そこに岩があっても、滝があっても、吹き溜まりがあっても、ただ浮いている状態。

それは、「任せる」というか、ただ、「流されてしまっている」ということなのだと思うのです。

「流されている」っていうのは、「泳いでいる」とは違います。

もちろん、脱力して、流れに身を委ねることが大事なわけなのですが、それは、「流されている」というのとは違うのですね。

どう脱力するかというと、優雅に泳いでいくための力、以外の無駄な力を抜く、ということなのですね。

お魚は、実にうまく川の流れに身を委ねて、でも、自分の意志で(宇宙の意志でもありますが)泳いでいます。

一方、流されてしまっているお魚は、病気で元気がない子か、死んでしまった魚だけです。

死んでしまった、魚ですよ。 流されてるのは。




では、流されてしまわずに身を委ねるためには、どうするのか。

それは「流れに乗る」ことなのだと思うのです。

言いかえると「流れの中で楽しく踊る」という感じでしょうか。

激流の中では、激流なりの流れがあり、上手に力を抜いて信じ切ると、その中でしかできない泳ぎができるものですし、

緩やかな流れの中では、優雅な旋律で、甘美な踊りができるかもしれない。




その「流れ」はどうやって捕まえるのでしょうか。

それはね、勝手に宇宙が与えてくれるものではないのですよ。

誰かが、あなたのために、プレゼントしてくれるものではないのですよ。

あなたが、宇宙に要望を出して、それを引き寄せるのだと思うのですね。

あなたに同調するものしか、引き寄せられませんから、あなた自身を、ご自身の理想の「流れ」に向ける意識の変換も必要だと思うのです。

どうやったらそれができるのか?

それには、「エゴと、執着と、恐れ」というカーテンの向こうにありますから、そのカーテンを開けることです。

でもまずは、開ける前に、そのカーテンがあることに気づかなければいけない。

でもそれは、とても気づきにくいです。

ずっと、そこにあるものに、ふと、気づくことって難しいですから。

大抵は、それを他人を通して知ることができます。

世界はすべて自分の合わせ鏡です。

私たちの目に映るこの世界は、すべて、自分自身を知るための鏡です。

私の経験では、他人から言われたことや、されたことで「カチン」とくることは、大抵、自分の中のその「エゴ執着恐れのカーテン」にひっかかるものですね。

あとは、誰かに対して大きな理由はないんだけど「な〜んか、嫌な感じ〜」と思う時も、そうです。

そういうときは、よーく、内観してみます。

悪いのは他人ではなく、それを感じている自分の中にあるもの、なのです。

話が逸れそうなので、内観の方法はまたいつか。(忘れちゃうと思います(笑)ので、ご希望の方はリクエストして、思い出させてください)





流れに身を委ねる・・・・に戻りますが・・・・・・

水の中で漂っているときはプカプカ浮くのに、いざ、泳ごうとすると力んでしまって体が沈んでいくのは、

無駄な力が入っているからですね。

でも、ただプカプカ浮いていたら、どこにもたどり着かないわけです。



「流されてしまう」のはなぜなのか?

それは、自分で選択をする、ということに「恐れ」を感じているから、ということも理由の一つだと思います。

だから、「状況がそうなったら、それをするのに〜」と、周りのせい?というか、自分の周りや環境に期待してしまう。

「こうなってくれないかな〜」とかね。

それは、「身を委ねている」と勘違いして、「選択することから逃げている」んですね。

自分で選択をしないで済むから楽だけど、でも、流されているんですね。

そうすると、「流されている」ことの正当化として「受け入れている」と言葉を変えてしまうのですが、

それは、はき違えてしまっていることも多いのだと思います。

「受け入れる」というのは、違和感があるけど仕方ない、と諦めている状態ではないのですね。

あるがまま、それを好きになっていることなのですね。

これも長くなりそう、またいつかシェアさせてください。



目指したいのは

「プカプカ浮きながら、流れにちゃんと乗って、波と戯れ、笑いながら泳ぎ(踊り)行く」

という感じでしょうか。

すごい、理想ですね(笑)

これは、難しい(笑)

わたしも、学びの旅の途中です。

こうやってシェアさせていただく智慧は、すべてわたしの経験からのものですので、誰かに対して避難しているわけではないです。

わたしもまだまだ、人生の学びを深めておりますので、これから、もっともっと深まってくるのでしょうね。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

ハートチャクラ 愛をうけとる器@



※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、ブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
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わたしの過去の経験をもとに、学んだ智慧をシェアさせていただきますね。



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「ハートチャクラ 愛をうけとる器@」




ハートのチャクラは「愛、慈しみ、思いやり」をつかさどるチャクラです。

(チャクラのことについてはまたいつか)



わたしたちの源は「愛」ですから、この愛のエネルギーが生きる力とも言い換えられるのではないでしょうか。

愛のない人生は、なんてつまらないのでしょう。

ところで、「愛」と聞くと、男女の愛・・・・肉体関係・・・・などととまっさきに思いつく方が多いのかもしれませんね。

「愛している」という言葉は、恋人同士やロマンティックな男女のシチュエーションで使われるもの・・・・なんてお考えの方がいらっしゃるのかもしれません。

しかし、「愛」とは、もっと広く深い意味があります。

あなたにパートナーがいてもいなくても、あなたは「愛に生きる」ことができます。

生きているこの人生の時間の中で、「愛」はどこにでも存在します。

スピリチュアルに目覚めている方々は、太陽からも、風からも、月や星や雨からも、存分に愛を感じることができるでしょう。

信仰心のある方は、神仏からの愛を感じているでしょう。

エネルギーに敏感な方は、このブログからも、愛を感じることができるでしょう。

でも、そういうのはよくわからない・・・・というかたでも、一番、わかりやすいのが「人から感じる愛」なのだと思うのですね。

男女間、友情、両親、姉妹、親族、ご縁のある方、そのかたがたの間で感じる思いやりや慈しみ。

または、本や映画など人間が作ったものから感じ取る感動的な人間ドラマの中から感じる愛、などなど。

「愛」というのは、セックスのことじゃないんです。

もっと、「愛」は深くて、微細で、宇宙なのです。

宇宙は、LOVEです。

エルオーブイイー、 ラブ、愛 です。

この単語に、どれほどの深さと無限が隠されているか!




「愛」をつかさどるハートチャクラ。

人を愛する、なにかを愛する、状況を愛する、仕事を愛する、自分を愛する、他者に与える、行動で奉仕をする、想いで慈しむ、祈りで愛を届ける、感謝で心を豊かにする・・・・・・

いろんな意味での愛があります。

ハートのチャクラが閉じている、バランスを崩している、という状態ですと、

愛を与えることができない、人を愛することができない、自分を許せない、自分を愛することができない、感謝の気持ちが起こらない、他人を妬んでしまう、満たされない・・・・

などなど、などなど、

もっと表現の仕方はたーーーーくさんありますが、とにかく「幸せではない」という気持ちになります。

愛がない人生は、なんと不幸なのでしょうか。



愛することができない・・・・・ということの裏には、

「愛を受け取ることもできない」という状況も隠されています。

わたしは、実は、こちらのほうを重要視しています。

ハートのバランスを崩しますと、「受け取ることができない」のです。




たとえば・・・・・・・

お花を見て「綺麗だなぁ」と心が華やかになるかたもいれば、同じ花を見ても何も感じない人もいます。

お花は同じですから変わりませんし、花はエゴがありませんから人によって表情を変えたりすることはありません。

ですので、受け取るほうの問題・・・・・ということになります。

受け取るほうの「愛を受け取る器」がしっかり大きく深い器だと、お花からの愛をしっかりキャッチして、その器にストックしていくことができるのですね。

どんなに小さな思いやりや優しさの愛でも、器の中に入って行けばどんどん満たされていきます。

ですが、

「愛を受け取る器」が壊れてしまっていると、愛を入れても入れても、器が壊れているものですから、どんどん、垂れ流しになってしまうのですね。

だから、受け取れていないのです。

せっかく、愛はそこらじゅうにあって、お花からも愛をもらっているのに、壊れた器だから、満たされることがないのです。

そして、その壊れた器の持ち主である本人は、自分の器が壊れていることに気づかずに、

「愛が足りない、愛が足りない、誰もわたしを愛してくれない、わたしは満たされない」と、勘違いしてしまい、すべて、周りのせいにしてしまうのです。

すべては、自分次第なのです。

きちんと自分をみつめてみれば、器が壊れていることに気がつくのですが、自分と向き合うことを怖がっていると、いつまでたっても壊れた器を持ち続けることになり、いつまでたっても、愛を受け取れないのですね。

自分の「愛の器」をきちんと使うことによって、どんな小さな愛でも逃さず、きちんと自分のハートに入れて満たしていくことができるのです。





違う例え話をしますと・・・・





周りの人々や、地球からの愛は、いつでもどんな瞬間でも、ポイポイ、こちらに投げかけられているというのに、

受け取るグローブの使い方がへたくそで、受け取りきれずに、せっかく投げかけられている愛を、ポロポロ、ポロポロ、落としてしまっている。

その自分のグローブさばきの下手くそさには気付かずに、「おい、もっと上手に投げてくれよ」と、文句を言っている。

いやいや、あのー、あなたのグローブの使い方が下手なので、どんなに受け取りやすいように投げても、ポロポロ、落としてしまっているんですけど〜〜〜〜、という、相手からのアドバイスも聞こえない。

でも逆に、

グローブさばきが上手な人は、どんなに小さな愛を投げかけられてもガッシリ受け取れるし、どんなに変化球の愛を投げかけられても、「おっとー、そうきたかー、こんな形でも愛なのね」と、どうにかこうにか上手に受け取ることができるのですね。

すると、「愛っていろんな形があって、そうやってみると、どんなに変化球でキャッチするのに工夫が必要でも、どんなに強すぎて手が痛くなるような豪速球でも、受け取れるものは、全部が愛なんだ!」となり、

「こんなにたくさんの愛をありがたいなぁ」という気持ちになってくる。

受け取り上手なんですね。



目指すは、このひとですよね。

甘え上手、受け取り上手、みんなから好かれて、ますます愛されるし、ますます、感謝が増えるから、

自分もまわりにどんどん与えたくなるし、そうすると、与えることの宇宙の法則によって、与えれば与えるほど、与えられることになる、

すると、もっと与えることに喜びを感じるようになり、すると素直に、愛を受け取れるようになる、

自分は愛されてもよいのだ、ということに安定感が生まれるので、

生きていることに意味を持ち、自分を認め、愛することができるから、人間関係もうまくいく。

いいですよね。  本当に、目指すはここですよね。

人からも地球からも、受け取り上手になって、感謝と愛の交換をしたいです。




一気に書きましたので乱文ですがすみません。

実は、まだ、続きがありますが、長くなるので、またいつかにしますね。

合掌



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2015年05月22日

未来が不安な時の解消法@



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わたしが通って来た過去の経験をもとに、学んだ智慧をシェアします。



未来が不安な時の解消法@



★「将来設計」をやめる




将来設計・・・・わたし苦手なんですね。

なぜなら・・・・・、

設計したとおりに人生は進まないから。




たまにね、10年後の人生を考えてますか!? なにを目標としているんですか?なんて、聞かれることがあります。

すると、決まって私は「なるようになるんですよ」と言います。

だって、なるようになるに、決まっているからです。



いま、10年後のことを考えて、設計して、計画を練っても、シュミレーション通りには人生進まないですよ。

10年後には、いま、考えていたことと全然違う状況になっているんですよ。

だって、それ、未来ですよ。

未来って、未来なんです。 

まだ経験していないんです。

普通の人には、だれも、わからないんです。 

わからない未知のことを、今の脳みそで考えても、答えが出るわけがないんです。




普通、わたしたちが未来のことに対して「対策を練る」という行為のときは、



・過去に自分が経験してきた成功例を参考にする

・誰かが経験してきた成功例を見て、聞いて、参考にする

・本やテレビで知った成功例の情報を参考にする



ということでしか、いま現在の脳みそでは対策が練れないのですね。

頭であれこれ考えるという脳みそは、すでに知っていることだけでしか、できないからです。

そして、未来に起こることは、過去に起こったことと、または、誰かが経験してきた出来事と、まったく同じことが起こるなんてことは、絶対にないのです。

毎日、毎日は、完全に同じ一日など、ないからです。

ということは、その必死に考えて、未来の為に対策を練ったことは、結局、その未来の地点での状況になったら、まったく使えない対策だった、ということになるのです。

だって、それは、過去に起こったときに成功した例なのであり、未来のその時点で起こることに対しての成功する対策ではないからです。

その未知の未来で起こる出来事には、いくら事前に緻密な対策を練っていたとしても、その都度、その都度、なんとか新しい策で対処して乗り越えるわけです。



だとしたら、

未来のことに不安になって、あれこれ、設計して、対策を練っても、その時になったら、結局使えないのだとしたら、

そんなに、必死になって将来の設計を考えなくって、いいじゃないか、という結論に達します。

その都度、その都度、必要な助けが得られるわけだし、これまでも、そうやって乗り越えてきたんだし。

もしかしたら、明日死んでしまうかもしれない、だとしたら、10年先の将来ことではなくて、「今日」を納得いくまで生きたいです。

その、「今日」の積み重ねが、「未来」へと確実に続いていくわけですから、

「今日」のクオリティーが上がれば、それが積み重なり、「未来」もおのずとクオリティがあがるということです。

今日だけが、明日に続いていますから。



やりたいことって、コロコロ変わりますし、趣味も、興味があることも、コロコロ変わっていきくということをわたしは知っています。

いま思う10年後のなりたい自分像は、おそらく、すでにたった一年後でさえ、違う形になっていると思います。

そして、その時々で、必要なことが違うということもわたしは知っていますし、

その時々で、必要なことや、人、出来事が確実に人生に与えられて生きています。



一年前を思い出すと、自分の変化がよくわかります。

一年後は、いまよりも、違う自分・状況になっているのです。

では、その都度、その都度、そのときの最善・最適をしていったほうが、賢いのではないか、とわたしは思うのです。

だって、10年後の設計をしたところで、絶対に、その通りにはならないから。

そのためには、「わたし」という自分を信じること。



人の思いや、思想、趣味、好き嫌い、体つき、仕事、周りの人々・・・・

こういったものは、コロコロと変わっていきます。

でも、人生の中で変わらないものはただひとつ。 

それは、「わたし」です。

(このお話はまたいつか書きますね)

「今を生きる」って、そういうこと。

絶対的に「わたし」との信頼関係を築くこと。

自分の魂との信頼関係を築くこと。

とにかく、まずは、自分を信じること。

すると、未来は必ず、なんとかなります。


バリ24









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2015年05月16日

「行き詰った時は・・・」



※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、これからブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
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「行き詰った時は・・・」


★「ここまで来れた『わたしの生き様』をやめてみる」



人生は旅路である。

ひとそれぞれ、景色や足元の環境や天候が違う、旅路。

晴天の日もあれば、嵐の日もある。

ときには行き止まりみたいな、袋小路に入ってしまう時もあります。

たくさんの葛藤と、焦り、苛立ち、自分のふがいなさ、周りの人たちへの妬みで、悶々、悶々・・・・。

自分はもっと、うまくできるはずだし、もっと、よくなりたいのだけれど、

どーーーーしても、ここから抜け出せない。 

抜け出そうとあれこれやってはみるものの、どーーーーーしても、無理。

ああ、もう、どうしたらいいんだ・・・・・。ガックリ・・・・・。

なんて、行き詰ること、ありますよね。

それは、その方の生き方が誠実であればあるほど、苦しいのだと思います。



そんなときは、

「ここまで来れた『わたしの生き様』をやめてみる」

やめてみます。 そう、やめてみる。

これこそが私なのだ!・・・・というところですよ。 

いまのわたしは、こんなわたしの生き様があってこそ、ここまでたどり着いているのだ、というところ。

たとえば・・・・・、

歯を食いしばって努力家とか、自己研磨の頑張り屋さんとか、コツコツ堅実家とか、ニコニコ平和主義とか、誰からも好かれる牧歌的系とか、ただ真っ直ぐに実直系とか、曲がったことは大嫌いの優等生とか、嫌と言えないいい人系とか、などなど・・・・

いろいろありますよね、それぞれ、”生き様”。

今の自分は、こういう自分の生き様が確立したのだ、と思っているところ、そこが、自分の利点でも長所でもあるのだ、と思うところ。

それを、いったん、やめてみるというのはどうでしょう。




たとえば・・・・・

とっても努力家の方で、これまで、あまり恵まれた境遇ではなかったけれど、とってもとっても、努力して、やっといまのここまで来たんだぜ〜、というかただったとします。

みんなはそのかたの過去の恵まれない境遇から、なんと、こんなに素晴らしい業績をあげたのか〜!とびっくり驚いて

「すごいですね〜。努力されたんですね〜。努力家ですね〜」と褒めてくれる。

そのかたは、それを言われて「いやいやいや・・・・」なんて照れたふりしながらも、心の中では「そうなんだよ、努力したんだよ〜。認められて、報われて、嬉しいなぁ〜」なんて思っていて、顔は謙遜していても、実はすごく気分がよかったりする。

そのかたにとって、「努力してきた」ということが、いまの自分のすべてを作り上げているステータスだと感じているわけです。

実際にそのかたは、これまで大変な努力をされて、立派にその位置まで来られたのだと思います。

「努力してきた自分」が、そのかたそのものだと、感じ、「努力する自分」こそが「自分の人生なのだ」となっているのですね。

そして、行き詰ってしまわれた・・・・・・。

いままで、努力して、苦労して、ここまで駆け上がって、這い上がってきて、

そして、行き詰ってしまった。

ここまで運んできたのは「努力したんだ、オレ、それが誇りなんだ」という、その方の土台です。

それまでは、良かったのです。 

それは、その地点までその方を運んでくれたのです。

でも、ここから先は、違う ”生き様” が運んで行くのです。

だからなんですよ、そのまま行こうとしたら、行き詰ってしまうのは。

何度も言いますが、人生の旅路の、その地点までは、その生き様でよかったのですよ。

だから、「なにが間違ったんだろう・・・」なんて、自分を否定することは、しなくていいんです。

その地点までは、全部、なーんの間違いもないのです。

だから、間違い探しをしなくてもいいし、自分を責めたり、周りを責めたりしなくてもいいんですね。

でも、いま、行き詰ったのならば、ここから先は、違う生き様が運んでいく地点なのだということを認め、「生き様チェンジ」する時期だということなのです。

なぜならば、その生き様は、その地点まで運ぶのに必要だったのだから、そこまで来て、それ以上、その先に運んでくれないのならば、違う生き様に、その先を運んでもらう、いまがそのとき、ということなのです。

変換期。 変容期。 と言いましょうか。

では、どうチェンジするか?

それは、これまで自分が「ここまでこれたのは、自分のこういうところがあったから」と思うところを、やめてみるんです。

だからといって、たとえば、努力することを全部、やめて、ただのぐうたら人間になる、ということではないのです。

真面目で真っすぐ信念を貫いて生きてきた方が、その信念を手放せ・・・・ということではないのです。

もちろん、きちんとやるべきことはやりますが、もう、それに「すがらない」ということ。

そう、「すがらない」ということなのですよ。

突然、強引に仕事を転職するとか、よしじゃあ引っ越すぞ!とか、そういう行動として、環境を変えることではないのですね。

もちろん、環境を変えると気持ちが変わるきっかけにはなりますから、それが可能であるならばしてもいいかもしれませんが、それが必須だということではないです。

大切なのは、これまで、ここまで来た「自分の生き様」に「すがらない」こと。

でも、まったく違う人間になるのではなくて、その「生き様」を経験として大事に保管しつつ、それにすがらないように生きること。

そういう意味で、「今までの "生き様" をやめてみる」と、自然と、必要なことが見えてきます。

逆を言うと、それにすがりつづけて、しがみつき続けると、必要なことが見えないということ。



たとえば、さっきの例でしたら、「努力してなんぼ!」みたいな、想いに、いつまでもすがらないということです。

難しいですよね。

だって、これまで、その自分の生き様のおかげで、ここまで来たんだもの。

いわば、「癖」みたいになっちゃってるかもしれません。

これから先も、同じように努力したら先に進めるはず!・・・・って、思ってしまうのだと思います。

でもねー、行き詰っているんですねー。

いままでのやりかたでは、先に進めないんですよ。

だから、いまこそ、「これが自分!」と思っているところを、やめてみるときなのだと思います。

だって、それでずっと来たら、行き詰ったのだから。

それに、ずっと、しがみついていたら、ぐるぐる、先には進めないのです。

「努力」というキーワードで言うのだったら、努力の仕方や、努力する視点を変えてみる、とかね。

どんな種類ものだとしても、今までのやり方、生き様を卒業するポイントが、「行き詰ったとき」とも言えますね。




例えて言うなら・・・・

電車で行けれるところまで行ったけど、ここから先は、電車では行けれないから、バスに乗り換えなきゃ・・・・・、って、そんな感じです。



んー、または、違う例でいえば・・・・・

ずっと、泳いできたから泳ぎが上手になってラクラク進めるようになったし、このままずっと泳いでいたいのに、いま、陸に到着してしまって、

それに気づいていないあなたは、なんとか泳いで陸を渡ろうとして、ジタバタやっているんだけど、そこは陸だし、今までのように泳いでも、前に進まなくて

ただ、焦っている。 もがいている。 体力消耗している、うう、苦しい・・・・・、ってそんな感じです。

そうしたら、

きちんと状況を見て、あ、ここはこのままではダメなのか、では、前進する方法を変えなければ、と泳ぐのをやめて、足で歩いていかなければいけない、と、まず気づくことが最善ですね。

でも、オレは、あんなに上手に泳いで来たのに〜〜〜〜、とちょっと寂しい気持ちもあったりすると思いますが、でも、それをやめなければ、先には進めないのですね。

泳いできたという ”生き様” は、その地点までは運んでくれたけれど、そこから先の道は、違う ”生き様”でなければ、あなたを運ぶことはできないのですね。

でも、こだわっちゃうんです。

ずっと、こうしてきたし、このままのほうがいいし、いまさら、変えられないし、実を言うと慣れているほうが楽だし。

「こだわり」は大変素晴らしい個性ですし、そのおかげで躍進しますが、ある地点まで運んでもらったら、上手に手放していくほうが先に進む、近道であったりします。




ずーーーっと、してきた「生き様」って、みんなそれぞれですね。

「わたしはこうだったおかげで、いまこうなんだ」とか、

「こんな経験がいまのわたしを作っているんだ」とか、

「人からこんなに認められているわたしの一面」とか

「人間って、こうあるべきだろぉ〜」と思うところとか

きりがないですが。

この部分は、ご自分にしかわからないところですね。

まずは「気づくこと」。

それがなければ、なにも始まりません。

では、「気づく」ためには、どうしたらいいか・・・・?・・・・ですね。


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2015年05月04日

あれこれ気になることを考えすぎている時の対処法A


※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、これからブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
人それぞれだと思いますので、ご自分らしい生き方のご参考になさってください。もしよろしければ。※





「あれこれ気になることを考えすぎている時の対処法A」






今回は、先日アップした「その1」の第二弾です。
その1→ http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418226049.html

ヨーガの瞑想のテクニックのひとつを応用したものをご紹介しますね。

わたしが日常でよく使っているものです。




★「マントラの反響を浴びる」



こんなふうに書くと、マントラ唱えたり、マントラを聞ける場所に行かなければいけないのか!?と思われるかもしれませんが、そうではないのです。

心で思い描くだけでよいのです。 想像です。

ヨーガの瞑想法の中に、眉間、またはハートセンターに意識を向け続け、そこに心の中でマントラを唱え続ける、という方法があります。

これは、簡単ですし集中しやすいのでよくわたしも実践しますし、また、生徒さんたちに指導することも多いです。

これを応用して、瞑想タイム意外の日常生活でも使っています。




土管の中に入ったことありますか? 

土管じゃなくてもいいんですけど(笑) 洞窟みたいなところ。 いまは公園とかにあるかなぁ?

ドラえもんの世界では土管がよく出てきましたよね〜。

その洞窟のような、土管のような場所で、「わっ!!」と叫ぶと、音が周りの壁や天井に反響して、ビリビリ響くのを想像できますか?

そのイメージの中の土管や洞窟のように、音が反響する場所に入ったと想像します。

そこで、誰かが発したマントラの音を想像します。(マントラについては後ほど)

わたしの声を思い出してイメージしても結構ですし、天や空間から湧き出してくるみたいな音でもよいです。

その音が、ウワンウワン響いて、四方上下すべての方角に反響して、あなたのすべてがその音の中にすっぽりと包まれているような想像をします。

または、マントラの音のシャワーが、あらゆる方角から降ってきて、あなたの肉体と、目に見えないエネルギー体を細かく振動させている・・・・・というような想像でもよいです。



想像してみてください。

洞窟の中で、大きな声で歌ったとしてその声が響いているときの幻想的で、興味深い感覚を。

音がまわりをビリビリ震わせて、自分の肉体もビリビリ振動しているのがわかって、何度でも大きな声を出して、そのバイブレーションを味わいたくなる。

その場に現実的にいたとしたら、面白いと感じるでしょう?

その反響している声の響きが消えるまで、じーっと、聞き入っているでしょう?

そんな感じを、想像するんですね。

そして、それに身を浸らせる。



コツは、とてもゆっくり、広がりを持たせながら響かせること。

心の中ですよ。 実際に口に出さなくてもいいんです。

心の中で、響きが広がって、シャワーのように降りかかってくるのをイメージするのです。

せっせせっせ、チャカチャカ、リズミカルに忙しく何度も唱えるのではなくて、

洞窟の中で、一回の響きをじっと聞き耳を立てて聞いて、肌で感じている・・・・・みたいなイメージで行います。

(わたしのヨーガクラスのときに、3回オーンを唱える時、一回ずつ味わっていますよね。そんな感じです)




マントラは神聖なものならなんでもよいです。

よくわからないかたは「オーン(AUM)」が使いやすいです。

ユニバーサルマントラです。

あとは、わたしのヨーガのクラスなどでたまにご紹介したりしていますので、それを使ってもよいですし、

ご自身の信仰しているマントラやお経などがありましたら、それでもよいですし、神仏の名前でもよいと思いますよ。

神聖なものならどんな素材でも、あなたがピンとくればよいと思いますが、コツは「とてもゆっくり、味わいながら」です。





これは、わたし、結構日常で使っています。

ブログでご紹介していますテクニックは、誰かに教えてもらったものではなく、わたしが日常で自然と無意識に使っているものです。

無意識に使っているので、んーーーーっと、とよく思い出して、書き表しています。

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

あれこれ気になることを考えすぎているときの対処法@


※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、これからブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
人それぞれだと思いますので、ご自分らしい生き方のご参考になさってください。もしよろしければ。※





「あれこれ気になることを考えすぎているときの対処法@」



★「その問題を宇宙に投げちゃう」



人間は思考する生き物です。

虫も、花も、動物も、意思はあるけれど、思考はしないのだそう。

だから、人間だけが悩んで、葛藤する生き物なのでしょうね。

それは、人間だけが許された「進化」のためのツールとも言えるのかもしれません。



でも、でも、

あれこれ考えちゃうときありますよね。

気になることがあって、それについて、いつもあれこれ考えてしまう。

悩んで悩んで、「もう、考えないぞ」って心に決めた、数分後には、また知らずに考えていて、その思考が、堂々巡りしてしまう、なんてことありますよね。

なにか、気分転換したとしても、それが終わると、また、気になることについて、あーでもない、こーでもないと、ついつい考えている。

たいてい、そう考えているのは「想像」の中のことだと思うのです。

ああ、なのかな? それとも、こうだったかな? ああいうふうになるのかなぁ? でも こうだといいなぁ。 どうしたらいいのかなぁ。  こうするとどうなのかなぁ。  あの人どう思っているのかなぁ。  こんなふうに思われたかなぁ。  

・・・・・などなど、真実ではないことを膨らませているのだと思います。

それは、真実ではないので、「妄想」の中で、勝手に心が乱れているのですね。



または、怒りと許せないことの、エンドレスなループだったりすることもありますね。

なんであの人こうするんだろう。   どうしてあんなこと言われなきゃいけないわけ!?   なんでこうしてくれないんだろう。   どうして自分はこんなんなんだろう。  なぜもっとああしなかったんだろう。  どうしてこうなってしまったんだろう。

・・・・・・などなど、他者のことや自分のことの、「許せないこと」が引っかかって、そこから解放されない。

「許せない」という状態は、これも実はあなたの本来の姿ではなく、ネガティブなエゴに支配されている状態だと言えます。

これも、真実ではないのですね。




でもね、人間だから、そういうこともありますよね。 

人生、学びですから。

でも、その「思考の罠」にかかっているときは、前に進めないし、進む道も目隠してしまって見えないし、どうにも、楽しくない状況です。



そんなときの、わたしがいつも活用しているテクニックのひとつ。

「問題を宇宙に投げちゃう」んです。

はっ!あたしったら、また悶々、考えてるっ!・・・・・・と、ふと気付くわけですね。

そうしたら、その繰り返し考えてしまっているのを、イメージの中でひとまとめに丸めて、ボールのような形にして、

「えーい!」って、ポーン、と宇宙に手で放りあげてしまいます。

「もう、わたしには手に負えないので、宇宙にお任せしまーす!」と宇宙に預けてしまいます。

そして、「そんなことあれこれ考えていなくても、人生はなるようになるのだ」、と宣言します。

すると、腹が据わります。

ものすごく、すっきりしますし、本来の自分に戻って来れます。



でも、マインドは手ごわいので、せっかく宇宙に投げたのに、また、自分の中から同じような思考パターンを生み出してきますから。

その都度「はっ!またやってきたの、あんたっ!」と、気付いて、気付いたその時に、

「宇宙にポーン!」を、何度でも、何度でも、繰り返します。

マインドはしつこいので、根気が必要です。 

何度でも、気づいて、何度でも、何度でも、「宇宙にポーン!」します。

結構大変そうですか?

でもね、それができるのは自分だけなのです。

本を読んでも、人に聞いても、まわりはそれをやってくれないのです。

自分で気づいていくしかないのです。

根気良くやると、癖になるので、だんだん慣れてきます。

すると、マインド自体が、そのようにコントロールされてきますので、自然にそれをやるようになり、だんだん楽になってきます。



この人生は、生かされているもの。

もしわたしが、すべてを失ったとしても、命は死ぬまで、まだここにあるのです。

あれこれ思考で考えることを宇宙に預けてしまったとしても、命はまだ、ここにあるのです。

では、「生きる」というためには、この「あれこれ真実ではないことを考え続けている」というのは、必要がないということなのですね。

責任とか、義務とか、仕事とか、そういうものであれこれ考えなければいけないこともたくさんありますよね。

でも、それも、本当に必要かというと、実は、「今、この瞬間」に、どうしてもやらなければいけない考え事なんて、ないのだと思います。

「宇宙にポーン!」すると、宇宙が最善のときに、最善の答えを導いてくれます。


合掌


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月22日

書籍 「宇宙に融けこむエコ・ハートフルな生き方」



書籍の紹介

 「宇宙に融けこむエコ・ハートフルな生き方」

サティシュ・クマール著



ヨーガとアーユルヴェーダの基本である、タマス・ラジャス・サットヴァを、現代社会にあてはめてわかりやすく解説してあります。

ヨーガ・アーユルヴェーダの智慧を生かし、より生きやすく、幸福に生きていくためのヒントがたくさんです。

スピリチュアルなことに知識が少ない方にもわかりやすいように、身近な世俗的なことから説明が始まっています。

読みやすいと思いますよ。

後半の、ちょっと深い内容のところを、抜粋しますね。



スピリチュアリティを通して、わたしたちは、分かち合うこと、労わること、思いやりが自発的に生まれるような大きな心の扉をあけることができます。

生命は「他」からの贈り物としてのみ存在することができます。

というのは、生きとし生けるものすべてが、相互依存の関係にあるからです。

存在するということは、皆が同じ生命の呼吸を分かち合う、見えない中立ちを通じてすべてが関連しあう”生命”なのです。



恐怖に対する解毒剤は、なんといっても「信じること」にあります。

自分自身を信じなさい・・・・・ありのままでよい「あなた」を。

あなたがどんな人間であるかは、関係ありません。

他者を信じなさい。

彼らもあなたと同じボートに乗っているからです。

彼らもあなたと同じだけ愛を求めています。

他者との関係性を通してのみ、あなたは開花させられます。

今のあなたは、あの人たちがいてくれたからこそ存在でき、そして彼らにとっては、あなたがいてくれたからこそ今、存在できるのです。

愛を与えなさい。

すると返ってくるでしょう。

恐怖を与えれば、これもきっと帰ってくるはずです。



スロー(ゆっくりとしていること)はスピリチュアルな気質です。


時間というものは、物事を完璧にさせてくれるものです。

何事も時間をかけて行うこと、そしてまた、何もしないでそこにただいるだけの時間も自分に与えてください。

”行為”とただ”存在すること”・・・・それは参加することであり、そこにスピリチュアリティを発見することができるのです。



しかし、サトヴィックな謙虚さのある思考では、私たち人間は地球とともに「ひとつ」であり、贈り物として私たちが地球から受け取るすべてをありがたく感謝できます。


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 04:50| Comment(2) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月31日

書籍「忘れかけていた大切なこと」


「忘れかけていた大切なこと ほほえみひとつで人生は変わる」

                 渡辺和子 著

とても優しくて、温かい本です。 

そして、大切なことが書かれています。

キリスト教のシスターの彼女ですが、聖女だからというわけではなく、わたしたちすべての人が忘れがちな「大切なこと」を思い出させてくれます。

以下、抜粋。



旅人としてこの世を渡っているわたしたちは、では、どんな気持ちで旅をしたらよいのでしょう。
あるとき、わたしはひとりの方から、こんな言葉をいただきました。

「どの道にも、それぞれの苦労がある。どれだけ歩いたか気にせず、愛をこめて歩け」

これは、他人と比べて、自分の歩みが早いか遅いかを気にしたり、自分の道が他人のそれより平坦かデコボコかを気にしたりせずに、自分らしく、自分しかつけられない足跡をつけながら、ただひたすらに愛をこめて歩きなさい、ということだと、わたしは受け止めました。

旅人である私たちは、時に自分が歩いてきた道を振り返り、今までより、もう少し優しく、相手を思いやり、相手が求めている笑顔とぬくもりを与えながら、この旅をつづけてゆきましょう。
この道は一度しか通らない道です。
ていねいに、愛をこめて歩いてゆきましょう。



日本語で言う「できる人」と「できた人」とでは、たった一字の違いですが、内容はかなり異なります。
いつもいつも勝っていて負けを知らない人を、わたしたちは「できる人だ」と評価します。
それに対して私たちが、「あの人はできた人だ」という時、それは、人間的に円熟した人、包容力のある人、負けることの大切さを知り、時に応じて、進んで相手に価値を譲ることのできる人を言うのです。



「一対一」の心、神を見つめて生きる心を忘れるとき、わたしたちは、人と人との間に、なにかあるのではないかと気をまわし、自分と他人との間も、素直に見ることができなくなってしまいがちになります。
素直にみるということは、必ずしも、他人からバカにされるような単純人間になることではなくて、物事にしても、人にしても、あるがままに受け止めるということなのです。



かくて、節約は、わたしたちが取り戻さないといけない美徳の一つとなりました。
それは、地球上の資源を守るためでもありますが、失いつつある、人や物を大切にし、持っているものを分かち合う愛を育てるためです。
人間には、際限のない欲望があります。
思う存分にものを使いたい、次々に新しいものを手に入れたい。
そんな欲望を抑え、小さい不自由をしのび、つましく生きる習慣をつけるとき、その「痛み」は「愛」に変身するのです。









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:03| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

書籍 「本当の幸せをつかむ 7つの鍵」


書籍 「本当の幸せをつかむ 7つの鍵」
ディーパック・チョプラ著



チョプラ博士の本は、本当にわかりやすいです。

この本は、タイトルが俗っぽくてあまり好きではありませんが、書かれている内容は、素晴らしいものです。

わかりにくく難解なスピリチュアルな部分を、一般の人にもわかりやすく、受け入れやすいように書かれています。

たくさんのかたに、ぜひ読んでいただきたいです。

わたしもいつか、本をかける時期が来たらいいな。

以下、本の中から抜粋



●第一の鍵 自分の体を意識する
自分の体の声に耳を傾け、意識的に体の要求にこたえましょう。
そうすることで、無限の可能性の場が活用できます。
この可能性の場に居れば、調和、喜びも自然に湧いてきます。
自分の体を、もっともっと意識しましょう。


●第二の鍵 ほんとうの自尊心を見つける
ほんとうの自尊心とは、人に自分をよく見せることではありません。
自尊心とは、他人からの善し悪しの判断とは関係ない存在レベルで見つかります。
自己像からほんとうの自己に視点を変え、自尊心が芽生えた瞬間、誰にも奪われることのない幸福が見つかるでしょう。 


●第三の鍵 人生の毒素を排出する
喜びと安らぎに満ち溢れ、願望がひとりでに実現していくのが、あなたにとって自然な状態です。
この状態を味わえないのは、体か心が汚染されているせいです。
人生の毒を取り除くには、心が本来の状態を失ってしまった段階を探らなくてはいけません。
条件付けは幼いころに始まり、最初の兆候は、怒り、不安、罪の意識、恥辱のような有害な感情です。
あなたの人生から毒を出してしまうのは、このような条件付けをすべて取り除く方法を学ばなくてはなりません。


●第四の鍵 自分が正しいと主張しない
自分が正しいという気持ちを捨ててしまえば、莫大なエネルギーが利用できるようになります。
誰もが世の中を、その人なりの手段で経験していますが、実は全員が一つの意識でつながれているのです。この全体の中に居ることで、私たちは深い安らぎや、幸せを味わえるのです。


●第五の鍵 「今、ここ」に意識を集中する
あなたが今、この瞬間に意識を集中していれば、人生はいつも新鮮な状態を失うことはないでしょう。
今というこの瞬間こそが、永遠の時にほかなりません。
決して消えることも、忘れ去られることもない、たった一つの時間なのです。
だから、今この瞬間、感じている幸福は決して奪われることはありません。


●第六の鍵 自分の中に世界を見る
内面と外面の世界は、お互いの姿を映し出す鏡です。
この二つの世界は、あなたの意識レベルに従って変わっていきます。
あなたが恐怖で場を振動させているのなら、思考や感情の内的世界と出来事や人間関係の外的世界は、どちらも恐怖を反映した姿となるでしょう。
しかし、意識が愛のレベルで振動しているのなら、内界と外界はどちらも愛を反映する世界になるでしょう。


●第七の鍵 悟りに向けた人生
悟りとは、最も覚醒した、一番事前な状態のことです。
なぜなら、あなたはこの悟りから生まれてきたからです。
その故郷には深遠な愛、安らぎ、喜びであふれています。
十分に目覚めることによって訪れる自由こそが、もっとも深い願望だったのです。



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2011年07月17日

書籍 「愛と癒しのコミュニオン」


「愛と癒しのコミュニオン」

             鈴木秀子


クリスチャンのかたの書籍。

コンピュータークローンさんのところは、涙が出ました。

すべての章において、激しくうなづいたり、胸を強く打たれたり、とてもとても、素晴らしい内容です。

いくつか、引用します。



(沈黙による需要的な聞き方について)・・・たとえば、その人が自分を批判している言葉を聞いている間も心をざわつかせず、心の中に起こってくる言い訳や反対や拒否の非難を返すような考えが生じても、それにとらわれず引っかからないことだという。



人間は自分の頭で考えていることを引き付けるものだ。悪いこと、嫌なことを考えていれば、必ずそれに引き付けられる。これはとても不思議なことだが、事実である。逆に、よいこと、うれしいこと、楽しいことを考えていれば、そちらに引き付けられる。



私達は往々にして、身体が快いとき、リラックスしているときに、楽しいことを考えたり、前向きなイメージを持ったりする。それをもう少し積極的に実践できるようになれば、潜在能力の活用度は高まるのだ。日常生活に瞑想を取り入れると、潜在能力は、少しずつあなたの味方になってくれるはずなのだ。



愛するというのは、実は、素晴らしさを味わうことではない。嫌なところを受け入れることなのだ。いいところを好きになることは、誰にでもできる。でも、それは愛ではなく、単なる好き嫌いなのである。好き嫌いを超えて、もっとも醜く、最も嫌なところを受け入れるのが、本当の愛なのだ。



人は成長するためにこの世に生まれてくるのである。人間にとって成長とは、愛に生きる力を伸ばすことだ。しかし、成長するには苦しみが必要なのだ。だから、”自分であの苦しみを通って成長しよう”という計画を、事前に自分自身で用意するという。
それはつらい計画かもしれない。しかし、それがあなたのこの世での一番いい計画のなのだ。だから、その計画を捨てようともがいても、あらかじめ自分で選択した苦しみを通り過ぎなければ、人生は完了しないのだ。



羊は羊、馬は馬である。生まれたときから「羊ではだめだ、馬になりなさい」と言ったところで、羊に生まれてきた以上、馬になるわけがない。牛に生まれてきたら「サラブレッドが欲しかったのに、なぜ牛に生まれてきた」といったところで、どんなに飼育をうまくしてもサラブレットには変われない。





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2011年01月13日

感情の調整

「よくわかるヨーガ療法」より抜粋。



あるとき三人の腹をすかせた乞食がいました。

その中の一人は椀に一杯の食べ物をもらうことができましたが、他の二人はそれぞれ椀に半分ずつの食べ物をもらえただけでした。

この二人のうちの一人の乞食は、自分が半分の食べ物しかもらえなかったことに憤慨しながら椀の食べ物を食べていましたが、もう一人の乞食は食べ物にありつけたことに感謝して、喜んで椀の半分の食べ物を食べたのでした。

このように、私たちがあることの良き面を見るか、悪しき面を強調してみるか、または椀の半分の食べ物しかないと見るか、半分もの食べ物があると見るかは、私たちの選択した考え方によって大きく違うところです。

私たちが、怒りの感情や嫌悪感、劣等感を心に抱くと、たちまちにしてよくない考え方に陥って、そうした精神状態の中から、無慈悲な自己中心的な野望が、種種の行為はもちろん、健康はもちろん、身近にあるもろもろの事項にも多大な被害を与えるようになって、誰かの役に立つことなどなくなります。

(中略)

たとえば、好きとか嫌いといった強い思いが過度に強まり、そのまま心の中に固定されてしまうと、その人物の性格をその思いがゆがめ、やがては内なる調和状態からの完全な力が粗雑な鞘まで届かなくなってしまうと考えられています。

こうした粗雑な鞘の状態が乱れた結果、最も粗雑な鞘である肉体に病気があらわれ出てくるので、人間はさらに不安を募らせ不安になるのです。

(中略)

ヨーガセラピーや瞑想を実習し始めた最初のころは多くの失敗を犯し続けるでしょうが、そのうちによくない思いを意識化できるようになってきます。

こうした意識化は、良くない思いの力を弱め、やがては心の中に生じることすらなくなるようにもできるのです。

(中略)

これらの技法を使って、激情を和らげ、自分を傷つける思いを弱め、そうしたよくない思いを、愛や慈悲や同情、そして、幸せな思いと入れ替わるようにさせます。

そうすることで、良くない思いに支配されることもなくなり、それにつれて、感情を乱さずに、心の調和も取れるようになって、やがては非常に厳しい状況の中でも心の平静さと落着きを失わず、そうした状況を上手に乗り切れるようになれるのです。

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2011年01月11日

書籍「ヨーガ・セラピー」

『ヨーガ・セラピー』 春秋社 

          スワミ・クヴァラヤーナンダ著


(抜粋)

「ヨーガ・スートラ」には
「サマーディに対する障害とは@病気、A無気力、B疑(疑い、ためらい、決心しないこと)、C不注意、無思慮、D無精、E執念(物事に対して欲望の強いこと)、F妄想(心理に反する主義、主張、見解)、Gサマーディの境地に入り得ない精神状態、Hサマーディの境地に入っても長くとどまり得ない精神状態、など、心の散動状態のすべてを言う」(T-30)
とあります。

病気とは心身の調和を乱す障害だと考えていいでしょう。ヨーガとは「調和する」という意味があります。それに対し病気とは、それと対極にある状態、すなわち心身の統一が崩れた状態です。病気(desease)は人を不安(dis-ease)で散漫な気持ちにさせます。だからこそ、病気は障害なのです。

「慈悲喜捨の思念(マイトリヤーディバーヴァナー)」は、嫉妬、軽蔑、ねたみ、怒りなど破壊的な感情をすべて避けるよう要求しています。
嫉妬心を抱く相手に対しては好意(慈 マイトリー)を持つように努め、軽蔑しがちな相手に対しては共感や同情(悲 カルナー)を抱くように努め、ともすればねたみを抱いてしまう相手に対してはともに喜ぶ気持ち(喜 ムディター)を持つように努め、そして最後に、非常に悪意があって人をいらいらさせる性質を持つためにまったく我慢ならないような相手に対しては、無関心(捨 ウペークシャー)でいるように努め、一緒にいるのを避けなければなりません。

いくら心の持ちたたを変えても、同じに身体の生理的基礎のほうも変えていかなければ、人格に驚くべき変化が生じることは期待できません。しかし、心が乱れていれば、いくら身体的修行をしても調和は得られない、というのも真実です。ですから、生活の中で一定の心理状態を養い、心の平静を保つようにしなければなりません。こうした努力を粘り強く続けるなら、少なくとも感情的葛藤の中の意識的要素はコントロールされ、徐々に防げるようになるでしょう。身体の構造パターンが私たちの行動をある程度規定するように、行動も身体の構造パターンの発達に影響を与える、というのがヨーガの第一の協議の一つです。心が身体に与える影響は、身体が心に与える影響よりも、おそらくはるかに大きいと言えるでしょう。だからこそヨーガは、正しい心の姿勢を培うことに大きな力点を置いているのです。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:58| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする