過去の「未消化の感情」が、いま現在の自分の「人間関係の問題」と、そこから繋がる「いまの環境」を作り上げている、というのがよくわかる。
だから、昔から繰り返されている「負のサイクル」に、どうやって気づいていくか・・・・が、
より自由で楽しい人生にとって、必要なコツといえる。
瞑想的に生きる・・・・ということは、より「気づいている」ということ。
つねに、「見られている自分」と、「それを見ている自分」に、気づいているということ。
自分の人生の傍観者である、ということ。
それが、生活の中での瞑想。
目を閉じて蓮華座で座って・・・・という瞑想の訓練を経て、静けさと繋がることの達人になってくると、
ごく普通に行動している普段の生活の中でも瞑想的に生きることができる。
瞑想のポジションをとって、目を閉じて宇宙とつながっている時は、より、現実社会から遠ざかっているかのような「ワンネス・至福」を体験しているが、
瞑想状態がわかってくると、現実社会の中で、三次元的で人間的で世俗的なドロドロの中でも、瞑想的に生きることができる。
目を閉じて座って瞑想ポジションをとっていなくても、なにをしていても、どんなときでも、瞑想的になることができる。
それは、実際の意味では「心がブレなくなる」わけではないし、「エゴがなくなる」わけではない。
「心がブレている自分を客観的に見ることができる」ということであり、「エゴむき出しの自分を冷静に傍観することができる」という状態であると感じる。
そんなふうに、グラグラな自分自身の「傍観者」になって、ネガティブ反応に振り回されている自分を冷静に観察するということ。
すると、自分のパターンが見えてくるので、自分について誤解していたことを知り、新たに理解が深まることで、より冷静に「自分をみつめる」ことに馴染みが深くなってくる。
すると、すべて勝手に自分で作っていたまやかしのパターンの世界を信じ込んでいたことに気づく。
なーんだ、そんなことだったのか、じゃあ、必要ないや・・・・と、どんどん手放す。バンバン笑い飛ばす。それらの古いまやかしのパターンにハグしてからサヨナラする。
そして、日々の生活がより一層、瞑想的になってくることで、人間関係も、生活環境も、どんどん愛が深まっていく。
わたしはそんなふうにして、素晴らしい日々を送っている。
楽しむときは、思いっきり楽しむ。めちゃくちゃ、バカになって楽しむ。
悲しむときは、とことん悲しむ。自分のドロドロを、全部、味わい尽くして認めていく。
そして、話しあう時は、とことん話し合う。双方の誤解が解けて、自分が相手に投影していたことの理解がしっかり深まるまで、とことん話し合う。
人間関係の中で、シェアリングは本当に大事だと思う。
でも、去年までの私は、すごく苦手だった。
それはシェアリングの時の「話しかた」と「聞きかた」の問題だと思った。
聞いているほうも、話しているほうも、コツが必要だと感じた。
これはまたいつか、詳しく書こう。
思いっきり笑い転げて、愛を放出しあって、
そして、疑問をぶつけあって、誤解をして、誤解を解きあって、人間関係は深まっていく。
他者とのシェアリングの中で、気づかずに行動して発言していた「知らなかった自分の側面」に気づくことができる。
自分自身の口から出た言葉を改めて他者の口から反芻して聞くことや、
自分自身が行なっていた行動を、改めて、他者から客観的に伝えられることで、
大きな気づきにつながる。
わたしは、ずいぶん、自分について、こうだ、と思いこんでいる部分がたくさんあって、
そして、誤解したまま、それを信じ込んで生きてきたんだなぁ、と気づく。
気づくことで、わたしは成長する。
どんどん、どんどん、成長する。
それは、止まることがない。
毎瞬間、気づいて、成長している。
瞑想的に、生きている。
海辺を歩いていた。

わたしは疲れはてていたので、流木の上に寝ころんだ。
そして眠りこんでしまった。
昼寝をほとんどしないわたしにしては、本当に珍しいことで、大きな「誤解」と向き合って、それを受け入れようとして抵抗している自分を相手に、かなり消耗していた。
突然、雨が激しく振ってきた。
慌てて、木陰に逃げ込み、狂ったように波打っている海の水面を、静かな気持ちで見ていた。
・・・・・この状況こそが、まさに「瞑想的」だな、と腑に落ちた。
嵐のように激しい雨と風、そして、滑らかであるはずの水面が、一瞬のすきもないくらい激しく踊り狂っている・・・・・それを、静かな気持ちで、まるで別の世界から見ているかのように、穏やかに観察している。
これが、日常の中での瞑想的に生きる、ということだ。
人間の私がどんなに心が揺れて、泣き叫んで、怒り狂ったとしても、自分自身の「静けさと繋がる場所」で、穏やかに傍観している自分を持つこと。
わたしが伝えたいこと、シェアしたいことは、このテクニックだな、と思う。
ヨーガアーサナや、瞑想の時間や、ムーブメントメディテーションや、カウンセリングセッションの中で、わたしがシェアしたいことは、このテクニックだ。
いまのわたしが、やりたいことは、ここなんだ。
わたしは、いつも、ずっと前から、自分が納得したものしか!しない!、しっくりこないことは絶対にしたくない!・・・という、超頑固者だから、
自分が「これはよい!すごいぞ!」と感動したことは、どんどん、他人にシェアしたいのだ。
そう、自分の経験を、もっともっと、シェアしていきたい。
それを、自分という個性を使って表現していきたいのだな。
深く、深く、納得して、静かな気持ちで雨を感じていた。
狂ったように暴れていた水面が・・・・突然、静かになってきて、雨が少しずつ穏やかになってきた。
わたしは、葉の滴が揺れる木陰の下から抜け出て、ゆっくりと歩き出した。
空気がとても爽やかで、ひんやりと覚醒的だった。
ふと顔を上げると、大きな、大きな、虹が現れた。
虹は、みるみる、濃く、長くなっていき、2重のブリッジとなった。
聖書では、「虹は約束」、神の祝福。
ハートが、大きく開かれた。
私の中の、深い部分と共鳴して、突然、号泣した。
さまざまな「自分に対しての誤解」が、ほどけていった。
自然は偉大だった。
自分のちっぽけな部分をみつめる、傍観者になった。
生きていることが、素晴らしかった。
思いっきり笑って、めちゃくちゃ感動して、怒りや悲しみも味わい尽くして、
そして、また、笑って、踊って、歌って、愛しあって・・・・。
人間だからこそ持ち合わせている、すべての感情を感じ尽くす。
ニンゲン、サイコー!

虹は、しばらくの間、くっきりと、はっきりと、空に大きく彩っていた。
わたしは、感動で涙が止まらなかった。
あれから数日経ったいまもまだ、ハートが開いて、胸がいっぱいだ。
※2017年は8月11月12月の上旬のみ、日本にて活動します。限られたスペシャルな期間です。ぜひ会いに来てください。ヨーガ・イベントスケジュール
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