2015年05月05日

ミャンマー26(完)「サヨナラ アリガト」



ミャンマーから帰国してきまして、2週間近くがたちました。

本当に素晴らしい学びを、たくさん、たくさん、させていただきました。

「ユキ、これで君は、ミャンマーにファミリーがたくさんできたんだよ。いつでも帰っておいで」

と、ミャンマー人の友人は、空港にわたしを送ってくれる車の中で、温かい言葉をくれました。


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わたしは、最終日、一日かけて、千羽鶴を折っていました。

たくさんの愛と学びをくれた、子供たちと先生たちに、心をこめて、祈りをこめて、鶴を折りました。

ピンポン、と寮のチャイムが鳴り、玄関のドアを開けると、

先生である友人の一人が立っていました。

「ユキ、君に聞かせたいものがあるんだ」

そういって、どこかに電話をかけて、なにやらミャンマー語で話した後、

おもむろに、わたしに電話を押し付けて、「いいから、耳に当てて!」というジェスチャー。

誰だろう??と、わたしが電話を耳に当てると・・・・・



「ユキサーーーーーーン!!!! コニチワーーーーー!! アリガトーーーーーー!!! マタネーーーーーー!!!」

と、ガールズホステルの少女たちが、大合唱してくれました。

わたしがそれまで教えた日本語を、みんながみんな、めちゃくちゃに電話に向かって叫んでいた。

「クルマー! ガッコウー! リンゴー! オヤスミナサイー! ゲンキデスー!」

わたしは、驚いて、みんなの笑顔と必死で叫んでる顔が目に浮かんで、涙が出た。


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友人は、感動で動けなくなっているわたしから電話を奪い、また、どこかに電話をかけてから、もう一度わたしに渡しました。

電話を耳に当てると・・・・・・


「ミスユキーーー!!  ヨロシクオネガイシマスーーーー!!  アリガトウーーーー!!  」

と、今度は、ボーイズホステルの男子たちが電話に向かって叫んでいた。

「ハロー? アイアム ラクシュマン サヨナラ アリガト」

「ハロー? ラムー ラムー」

「ユキサン アイシテルーーー」

かわるがわる、男子たちが電話口に出ます。

わたしは、全員の名前を覚えきれていないので、誰が誰だかわからなかったけれど、本当に嬉しくて、涙と笑いが同時進行です。


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その日はちょうど、学校が課外授業の日だったので、荷造りのため参加しなかったわたしは、先生たちと生徒たちに会うことができなかったので、電話をかけてくれたのですね。

先生たちからも、ひとりひとり、電話でお話しました。

本当に、本当に、なんてあたたかい人たちなんだろう。

ありがたくて、ありがたくて・・・・・・。


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毎日、日本語を教えていた、近所の17歳の少女は、

(ブログ記事はこちら→ http://yukismyogaism.seesaa.net/article/417778204.html )


お会いできた最後の日。

わたしを寮まで送ってくれました。

「サヨウナラ センセイ」と笑顔で言った後、手を振ってわたしたちは分かれ、

ふと、振り返ると、彼女は口元を手で押さえて泣いていました。

胸が、とても痛みました。

心を開いてくれていたんだな、なんて、純粋な子なんだろう。

「マタ アイマショウ ヤクソク ヤクソク」と彼女は繰り返し言っていました。



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ありがとう。


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100名の生徒たち、10名の先生たち、7名の食堂のかたがた、ガールズホステル・ボーイズホステルの3名のハウスキーパーさん、澄花さんという名前を私が付けたヤモンさん、ヤモンさんのお兄さんご両親、お寺の僧侶の方々、いろいろ助けてくれた近所の方々、ミャンマーで出会ったすべての方々。


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ありがとう。


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素晴らしいミャンマーのボランティア経験。

わたしは、わたしは・・・・・・・言葉になりません・・・・・。

生きていくって、人間同士が共鳴しあっていくことなんだ。

人と、人との交わりが、わたしを学ばせ、強くさせて、そこから、愛の力が増していった。

思うところ、感じるところが、たーくさん、たーくさん、たーーーーくさん、ありました。

でも、わたしは、言語化するのがへたくそなので、うまく、それを伝えることができないのですが、

この記事に、その波動をこめますので、どうぞ、ハートで受け取ってください。

わたしの経験したこの素晴らしい世界を、シェアできるよう、これを読むすべての人々のハートに波動として届きますように。


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読んでくださる方がいるから、わたしもこうして書くことができます。

本当に、どうもありがとうございます。

合掌
(完)


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

帰国しています



ご心配をおかけしました。

わたしは生きて、帰国しております。

いろいろありました。

数日前に帰国していましたが、高次元レベルでの大きな変容と、覚醒のためと、

地球の大きな変化(チリの噴火、ネパールの地震など)と同調し、

身体的にも、エネルギー的にも、調整が必要な状態で(廃人のようになっていました・・・)、

やっと、今日の午後から正気に戻りました。

大きな愛でサポートして下さった夫、親友、友人ヒーラーさん、シャーマンさんたちに、心から感謝いたします。

さらに、脱皮し、パワーアップ、バージョンアップ、しました。 わたし。

御報告まで。

合掌






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月23日

ミャンマー25「可憐な少女」



子供たちの夏合宿でのクラス以外でも、日本語を教えています。

わたしの滞在していた寮の周りをお散歩していたら、たまたま、川に出ました。

その川の真ん中に、お寺がありました。

町のあちこちにお寺があるので、おもしろいです。


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このお寺は、川の真ん中に建てられ、橋で陸とつながれていました。


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とても小さいのだけれど、地域の人々に愛されている雰囲気のお寺。

わたしも、ひとめで好きになりました。


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お寺にはこんなふうに、ダルマさんみたいなお人形が置いてあるところが多くて、

これは、守り神なのだそう。

コミカルでおもしろいです。 かわいい。


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目を閉じて、心をこめてお祈りをしました。

ミャンマーの人々の幸福、この地域の人々の安全、

この地にご縁をつないでくださった感謝、わたしがきちんと魂の学びを進められるように祈願、

日本の皆様の無事、わたしの家族の平安、

そして、感謝、感謝、感謝・・・・・。


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そのわたしに、ひとりの少女が近づいてきました。

はにかんで、もじもじしながら、そこにいます。

わたしが帰ろうと立ち上がると、ちょこちょこ、ついてくるのです。



「Hello」と声をかけると、嬉しそうにニコニコ笑いました。

手に、ノートや本をたくさん持っているので、なんだろう?と思ったら、

そのノートをわたしに開いて見せてくれました。

そこには、日本語を勉強したあとがたくさん書かれてありました。



ああ〜、なるほど、彼女は日本語を勉強しているからわたしに近づいてきたのね〜。

「日本語を勉強したいですか?」と聞くと、

「YES」と彼女。

「では、ここにこれから毎日お参りに来るので、その時に教えてあげますよ」

と言ったら、可憐なお花が開くように、パァーッと、純粋な笑顔で笑ってくれました。



本当に純粋なこの彼女は、ヤモンさんという17歳の少女で、ユニバーシティで日本語を勉強している、と言っていました。

ミャンマーでは、17歳でユニバーシティーなのですね。 驚きました。

わたしは、毎日、毎日、毎日、毎日、このお寺に夕方、お参りに行きますから、彼女にも毎日、ボランティアで日本語を教えます。

彼女は秀才で、昨日教えたことを、次の日には完璧にマスターしてしまいます。

とても、優秀です。



お兄さんも大学生で、とても、清潔感のある誠実そうなかたです。

彼女は、英語があまりしゃべれないので、たまに、お兄さんが助けに来てくれて、わたしたちは意志疎通をしています。


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彼女はとても奥ゆかしくて、とても丁寧で、彼女からもたくさんのことを学ばせていただきました。

わたしのことを、とても尊重してくださり、

そんなにかしこまらなくって、いいのに〜〜、というほど、わたしを立ててくれます。

ミャンマーの文化なのでしょう。

美しいなぁ、と感じました。



ミャンマーのニューイヤーの時に、彼女が出してくれたお菓子。

「モウロウジーボ」

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ミャンマーの伝統的なお菓子だそうです。

わざわざ、私に作って出してくれました。「ワタシガ、ツクリマシタ」と言っていました。


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この日に着ている服も、彼女が自分で作ったといっていました。



「ミャンマーノ、ゴハンワ スキデスカ?」とか、

「ゴハンワ タベマシタカ?」とか、

会うたびに毎回聞いてくれるので、多分、わたしを夕飯に招待したかったんだと思うのです、彼女。

でも、シャイすぎて、きちんと誘うことができなかったんでしょうね。

わたしも、それをわかっていましたけれど、あえて、それ以上、言わなかった。

彼女もわたしも、お互い、シャイなのです。




わたしたちは、この神聖な場所で、毎日、お互いが学んでいます。

彼女はわたしから日本語と日本文化を。

わたしは彼女から、純粋さと、ひたむきさを。

実際、彼女は本当に純粋で、彼女と一緒にいるだけで、わたしは浄化されていくような気分でした。

どうか、最近の若者たちのように、ならず、染まらず、

彼女の純粋なままでいてほしい、と心から願いました。

純粋が故に不安定になってしまうことも、どうか受け入れて、

彼女のまわりのかたがたが、それを認めてあげて、彼女らしく、可憐な花のままでいてほしい。



「センセイ、ワタシニ、ジャパニーズネーム、ヲクダサイ」

と彼女は言いました。

わたしは、恥ずかしいような、嬉しいような気持ちで、微笑んで

「OK。これは、しゅくだい」と言って、自分を指さしました。

彼女は、嬉しそうにニコッと笑って、「ハイ、ヨロシクオネガイシマス」と言いました。

本当に、なんて、嬉しそうに微笑むのだろう。

天使のようです。




わたしが、彼女にさし上げたジャパニーズネームは

「 澄花 SUMIKA 」

意味は、「純粋で澄んだ花」だと、教えました。

「あなたにぴったりだよ」と。

恥ずかしそうに、はにかんで、もじもじしながら、喜んでくれました。


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わたしは、彼女と会えたことで、本当に、たくさんの学びをいただきました。

清らかな、彼女のハートに、わたしは助けられました。

本当に、どうもありがとう。

かわいい、わたしの娘。

出会えた奇跡に感謝します。 

引き寄せてくださったミャンマーの神仏に感謝します。

素晴らしい時間をありがとう。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

ミャンマー24「折り紙レクチャー」



ミャンマーでは、ヨーガ、日本語、ダンス、そして、折り紙をみんなに教えました。


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子供たちは、折り紙がだ〜〜〜〜〜〜〜〜いすき!!

早くやりたくて、仕方がないみたい!

クラスとして教えているのは、30名ほどの9〜11歳の子供たち。

しかーーーし!!

もう、子供たちめっちゃくちゃで、大変なのです。

興奮しまくり! 

みんな、協調性がなさすぎるぅ〜〜〜〜。


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みんなで一斉に作っているから、ひと段階が終わったら、かなり待って、できない子を手伝ってあげたりしているのに、

できちゃった子は「ネクスト!ネクスト!」と、大声で叫んで、わたしが「ちょっと待って!」と言っても聞かない。



無視すると、わたしの耳元で叫び、返事をするまで叫び続ける。

うるさーい! 待てっつったら、待て!



そして、途中までできていたのに、なぜか、折ったのを全部開いちゃったやつを、ペラペラ〜、とわたしのところに持ってきて、「どうしたらいいの〜?」と聞いてくる。

おいおい、なんで、自ら振り出しに戻すんだっつーの!



遠い席に座っている子が、「みえなーい!」と叫ぶ。

いや、だから、こっちこいっていったじゃんっ!



「ティーチャー!ティーチャー!!!!」と叫び続けているから、なにかと思ったら、「トイレに行っていい?」

いいよいいよ、勝手に行きなさい。



「できない〜」と半べその子。

もう〜、見たままやればいいじゃないかぁ〜。なんで、ここを折り曲げているの!



「ティーチャー!!ティーチャーー!!」と叫んでいる子、何かと思ったら「水を飲みに行ってもいい?」

ああ、行けばいいさ、そんなに今すぐに飲まないとだめなのかい!? ああ、行ったらいい、好きにしてくれ。



紙をくれ、僕はこの色じゃなくて、赤がいいんだ!と、交換を要請。

もう半分、折ったのにいま交換!? また最初から教えなきゃいけないわけぇ〜!?



「このあと、なに!ここからどうやるの!?」と、トイレから戻った子が、叫びながら机をよじ登ってくる。

ああ、もう、とっくにそんなとこ過ぎたんだよ!!



「ネクスト!ネクスト!!」と言って、わたしの顔の目の前3cmのところに折り紙をヒラヒラさせてくる。

ああああ!!もう、邪魔っ! わかったっつーの!



「ジリリリリリリリリリ!!!!!」

そして、終了のベルが鳴ってしまう・・・・・・・・。



「スナックターイム!!!」と叫んで、ダダダダダッ!!!と、風のように子供たちは教室から走り出ていってしまう。

えええっ! いままであんなに盛り上がっていたのに、一瞬で忘れちゃうのか。



恐るべし、お菓子の威力!

残った空気は、まるで台風が去った後のよう・・・・・。




いやあ、よい修行させてもらいました(笑)

年齢の低い子供たちに折り紙を教えるのは1〜3人くらいがベストだな、と溜息がでました。(笑)

30人は、めちゃくちゃだ。(笑)

絶好の思い出写真のチャンスだったのに、写真を撮る、余裕、まったく、なしっ!!!(笑)


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空き時間などに、大人のミャンマー人と、15歳の子供たちに教えました。

おとな、ラク〜〜〜〜〜〜〜。(笑)

ツル、サカナ、ちょうちょ、鳥、カナブン、カメ、を、作りました。(やり方の図を見ながら)

子供も大人も、折り紙を、喜んでくれたみたい。

嬉しかったです。


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2015年04月21日

ミャンマー23「変わらないでミャンマー」



夕方、ご近所を歩いていると、ある建物の中に僧侶が入っていくのが見えました。

おっ! あの建物は、お寺に違いない!

神仏好きのわたしは、ワクワク♪

僧侶のあとについていきました。

そこは、奥まったところにあるパゴダ(お寺)でした。

道からは見えなかったのですが、結構立派なパゴダでびっくり


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夕涼みをする母と赤ちゃん。

熱心に祈る、身なりの良い男性。

奥の小部屋で休む年配の女性たち。

ここは、町の人々の憩いの場なのですね。

穏やかな波動で、わたしもとても癒されます。


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先日のウォーターフェスティバルでは、まるでギャングみたいな服装と髪型の若者たちが、

酔っぱらって、タバコを吸って、喧嘩をして、クラブミュージックで腰を振って踊り狂っていた、

わたしにとって、好きではない光景を見て、かなりなショックを受けていたのですが、

こうして、町はずれでは、きちんと昔ながらの穏やかさが息づいていて、ほっとします。


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アメリカナイズされてきている、ミャンマーの若者たち。

若い人たちは、チンピラみたいな服装や態度が、かっこいいとされているみたいで、とても残念です。

(日本もそうですね。たまにテレビを見る機会があると、チンピラみたいな有名歌手グループや、明らかに悪そうな顔と雰囲気のタレントやコメディアンが流行っていてがっかりです)


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どうか、変わらないで。ミャンマー。

       あなたたちの持つ、愛をそのままで。


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どうか、大事なものは残して、成長していって。

       美しい宗教性を、陰らせないで。


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どうか、豊かさを、はき違えないで。

       何もないこと、手間がかかることにこそ、光が宿る。


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どうか、世界の先進国の真似をしないで。

       物質の便利さと交換に、宿された光の目を失い、なにもかも忘れてしまうから。


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どうか、楽しみを外側に求めないで、仏教の教えの通り内側を満たして。

       祈りの力をずっと、ずっと、信じて。


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どうか、闇の勢力に負けず、ひとびとが、清く正しく、光とともにありますように。

ご縁を、どうもありがとう、ミャンマー。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

ミャンマー22「人間の価値」



ミャンマー滞在3週間が経ちます。

なるほど、ミャンマーの教育体制がわかってきました。



わたしの友人(この夏合宿の校長先生)は、とても、「位」を重視する人だということが、今回、話を聞いていてよくわかりました。

どれだけ、世間で有名か、どれだけ学歴があるか、資格を持っているか、教授とか医者とかの知り合いがどれだけいるか、社会的に認められているか、

それが、人間の価値だと思っているみたい。

彼は、青年実業家ですから、それは仕方がないのかもしれません。

もしかすると、ミャンマーという国の社会そのものが、そうなのかもしれないですね。



彼の話では、ミャンマーでは、とても限られた数少ないひとびとだけが、よい仕事につけるのだそう。

よい仕事・・・というのは、おそらくオフィスワークのことでしょうね。

だから、学歴や資格がたくさんあったとしても、ワーカーを受け入れる容量が狭いため、その「よい仕事」に就けない人がほとんどなのだそう。



それでは、なぜ、人々が学歴や資格にこだわっているのかというと、それは、「結婚」のためなのだそう。

ミャンマーでは95%が親が決めた人と結婚する「お見合い結婚」だそうで。

「お見合い」とは名ばかりで、会ったこともない人と、結婚することが決まってから初めて会う、みたいな感じだから「アレンジ結婚」と呼びますね。

結婚相手を自分で選ぶこともできなければ、嫌な相手だったとしても「NO!」とは言えないのですね。

なんだか、かわいそうな気もするけれど、それはきっと、神仏を心底信じて、委ねているからできることなのかもしれません。



親が、自分の子供に結婚相手を選ぶときに決め手となるのが、

「学歴」「資格」「地位」「財産」なのだそう。

だから、人間の価値は、それで図られ、そして、両親は、そのお相手が自分の子供にふさわしいかどうかを、その「ラベル」で決めるのだそう。


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なんだか、その話を聞いたら、驚きとともに、嫌悪感で吐き気がしました。

学歴もないし、社会的にも安定していないし、子供のころから貧しく、家庭環境もよくなかった私は、

ミャンマーでは、完全にアウトでしょうね。 

でも、「日本人」というラベルだけで、ものすごいリスペクトしてくださっていますが。

それがミャンマーという国。 この国の思想なのでしょう。

わたしには納得はいかないけれど、それが常識として育っている彼と、その件について論議しても仕方がないから、わたしの大事な「経験」として、しまっておきました。

わたしがラベル重視の人間の価値観に理解できないように、きっと、彼は、「人間は中身である」という私の反対意見は納得がいかないでしょう。

世界は、本当に広い。 

いろんな意味で、広いです。

すべてをありのまま、見て、そして、ありのまま、受け入れること、です。

世界にでると、いろんな発見があります。


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とはいえ、

ミャンマーには、日本には絶対にない、素晴らしさがあるのも事実。

なにが良くて、なにが悪い、というものではないのですね。

日本についての素晴らしさも、ミャンマーについての素晴らしさも、語りつくせないほどあります。

別の機会に書こうと思います。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

ミャンマー21「シンプルな優しさと残酷さ」



午後は、ダンスか、楽器か、コンピュータか、選択制のホビーの教室です。

ダンスクラスを選択する子供が圧倒的です。


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みんな、本当に、楽しそうに体を動かしています。

でも、すぐに飽きちゃう子もいて、わきで、適当にさぼっていたりします。


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子供たちは、クラブミュージックが好きで、黒人の人たちが踊るっているようなダンスが好きみたい。

わたしが子供のころには、ありえない光景です。

わたしが小学校の時は、ラジオ体操くらいしか、踊りませんでしたから(笑)


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わたしも、ダンスクラスを担当しているのですが、わたしは、ちょこまかした、小さな動きのダンスや、

ラップミュージックのようなダンスは好きではない(踊れない)ので、子供たちの期待に応えられなくて・・・・。

私が好きな、ダイナミックの体を開いたり、閉じたり、ゆるやかに舞ったりするのは、子供はすぐに飽きてしまいます。

だから、昔、エアロビのインストラクターだったころを思い出して、エアロビチックなダンスを教えたりしてみたのですが、

それも、動きが大きくて、シンプルだから、飽きてしまうみたい。


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飽きると、子供は、とてもわかりやすく、離れていきます。

わたしは、これまで子供と接することがほとんどなかったので、この、露骨につまんなそうな態度が、結構ショックでした。

でも、彼らは、別に、わたしが嫌いになったわけじゃなく、ただ、その時間に飽きてしまっただけなんです。

ダンスクラスが終われば、また、嬉しそうに寄ってきてくれます。

なるほど、とてもシンプル。

この、シンプルがゆえの残酷さも、学びとなります。

わたしは、それに、揺さぶられずにいればいい。

どんなに、周りの人々が離れていったとしても、わたしはわたしでいればいい。


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そして、

楽器のクラスにお邪魔してみました。


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このクラスは人数は少ないけれど、真剣さがものすごいです。

とても一生懸命。


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わたしも興味津々で見ていると、「ギター弾ける?」と少年が聞いてきました。

「全然やったことない」と答えたら、

「やってみる?」と、いま、自分が練習していたギターとピックを渡してくれました。

わたし、感動・・・・・・。

そして、何人かの少年が、ギターの抱え方から、コードのひとつひとつ、手とり足とり、教えてくれました。


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わたし、本当に、感激・・・・・・。

なんて、優しい子たちなんだろう・・・・・。


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しかも、すごい自然。

なんの、下心もないし、作り笑顔もない。

仲間に入れてくれてどうもありがとう。

胸がじーん、といっぱいになりました。


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子供たちのシンプルさ。

本当に、感謝です。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー20「ミャンマー式お誕生会」



今回の夏合宿は、子供たちは2か月間ともに過ごすのですが、

その、期間限定の夏合宿に、3年間の学校スタイルに通っている15歳の子供たちも、一緒に参加しています。

2か月間の期間限定の夏合宿には、9歳〜13歳くらいまでの子が多いのですが、

3年間の学校スタイルの子供たちは、みんな15歳です。

わたしは、なにも知らずに、なにも知らされずにミャンマーに来まして、

そして、こちらに来ましてからも、なにも説明などないので、

つい昨日、その話を聞きました。 もう、ボランティアを始めて3週間たつのですけれど(笑)

こちらでは、今日のプログラムも知らされません。

突然、寮に、ピンポンと来て、「Are you ready?(準備はいいですか?)」と聞かれます。

準備できているわけないじゃないか、といつも、突っ込みを入れます。

これがミャンマースタイルなのかもしれないけれど、きちんと時間厳守の日本人の私としては、毎日、学校に振り回されっぱなしで、いつ来るかもわからないお迎えに、いつでも自宅待機していなければならなくて、どこにも出かけられず、かなり窮屈ではあります。

文化が違うから、受け入れるしかないです。

はい、愚痴は終了(笑)



その、学校スタイルの子供たちの中のひとりが、昨日、お誕生日でした。

彼は、私に一番最初に「日本語を教えてください」と近寄ってきた生徒です。



ミャンマーのお誕生会は、おもしろい伝統で、大変、興味深かったです。



日本だと、お誕生日の人は、いわばプリンセスなので、チヤホヤ、される、というイメージがわたしにはあるのですが、

こちらは、お誕生日の人が、皆を招待して、来てくれた人のホストになって、ジュースを配ったり、ケーキを配ったり、ものすごい気を使っていました。



そして、年齢の数だけキャンドルをともして、ふーーーっ、と息を吹きかけて・・・・・というのは、日本と同じ。

みんなで、ハッピーバースデイの歌を、英語で歌った後に、ミャンマー語で歌いました。


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そのあと、お誕生日の人が、ケーキを切り分けます。

まず、お皿に一山乗せて、一番年長の人、もしくは、一番ゲストのかたのところに行きます。

そして、招待されたそのゲストは、フォークでケーキを一口分すくって、お誕生日のその人に、アーン、をして食べさせてあげるのです。


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お誕生日の人は、それを、集まっているひとりひとりのところにまわって、全員から、アーン、をしてもらいます。

おもしろーい、です。



その後、お誕生日の人は、周りから生クリームを顔につけられます。


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そして、そのお誕生日の人が、今度は、出席してくれた人、ひとりひとりの顔に、生クリームを塗りに行きます。

「幸あれ」という意味なのだそう。

みんなで、幸せのシェアリングでそうです。


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おもしろいです。

お国が違うと、週間も文化も違う。


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みんないつも、ミャンマー語でしゃべっているので、正直、なんだかわからなくて、寂しかったりするけれど、

子供たちが幸せそうなので、わたしは、嬉しい気持ちになります。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

ミャンマー19「ミャンマーの新年」



あけましておめでとうございます。

今日はミャンマーの暦の新年です。

つい4日前も、みんな「Happy New Year!」と言っていたから、その日が新年だと思っていたのでびっくり。

4/13は、ネパールの暦の新年なのだそうで、ミャンマーはネパールから来ている人がたくさんいるのだそう。

そして、それと、ミャンマーの新年がほぼ重なっているので、そのお祝いとして、ウォーターフェスティバルなどで、お祝いするのだそう。

(それにしても、そのウォーターフェスティバルはものすごいクレイジーでしたが・・・数日前にアップしました)

実は、今日 4/17が、ミャンマーの新年なのだそうです。(あと、タイもそうかも?)



今日は、朝4時ころから、ミャンマー語でなにやらお経?のようなものを唱えている放送が、爆音で流れていました。

夜19時ころまで、ずっと、それが続いていました。

わたしがボランティアをしている学校には、ネパール系の生徒たちが多いので、4日前のネパールの新年の時ほどは、はしゃいでいる感じがなかったです。





日中は、ものすごい暑さなので、外に長時間出ることが難しいので、

夕方の少し気温が下がったころに、お散歩をします。

いつもの路地を歩くと、お坊さんたちと女性たちが、なにやら集まっています。



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真剣にお祈りしていましたので、きっと、新年の祈りの会なのでしょうね。

男性は、その集いから外れたところで見ていましたので、女性だけのものなのでしょう。

興味深いです。

お祈りをしている場は、大好き。

思わず、立ち止まってしばらく感じさせていただきました。


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そう、新年です。

新しい年を迎える、今日です。




今日もまた、大きな気づきがありました。

わたしが、子供のころから持ち続けていた「重り」を、ひとつ、手放しました。

封印が解かれ、また、解放されました。

今日の私は、道を歩いているだけで、涙が出てきました。

こうして、わたしが生きていて、地球の上を歩いている、ただ、そのことに喜びが溢れてきました。

生きているだけで、幸せ。

逞しく根を張り、枝を広げる、樹木のように、ただ、生きているということに、喜びながらここにいる。

こうして、ミャンマーの地に暮らすように滞在し、

そして、この地に受け継がれている新年のこの日に、

新たな一歩を踏み出したことに、心から感激しています。


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人間に生まれてきた以上、数えきれない封印があり、ブロックがあり、

人生とは、それを、ひとつひとつ、開いて解放してゆく長い旅路なのだと思います。

その人生という旅路の途中にいる、人間である「わたし」は、まだまだ、解放の可能性を秘めていて、さらに開かれていくのだと感じています。

それには終わりはなく、もし終わってしまったのならば、それこそ、「わたし」という人間が終了するときなのでしょう。

だから、生きている限りは、まだまだ、学び続け、成長し続ける要素が、あり続けるということ。

気づき・・、癒され・・、学び・・、手放し・・、解放され・・、そして、成長・・、進化・・、開花・・していく、わたし。

それはこうしてわたしが生きている、この世界での、ご縁のあるすべてのかたがたのおかげなのです。

感謝。 合掌


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2015年04月16日

ミャンマー18「シュエタゴンパゴダ」



ミャンマーで最大の巡礼の地。

シュエタゴンパヤー(パゴダ)に行く機会に恵まれました。


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言葉では表現できません。


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素晴らしいです。


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ミャンマーの信仰する人々の憧れの地。


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お釈迦様の聖髪8本を祀ってあるそうです。


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ものすごーーーーーい、広い!


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広大な敷地の中に、数えきれないほどのパゴダや祠があります。


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いろいろなストーリーに分かれていて、それぞれ名前が付いていました。


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ガイドをつけませんでしたので詳しい内容は、わからなくて残念です。


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とにかく、広くて、とにかく、素晴らしいです。


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人々は、子供も、大人も、老人も、チャラチャラした若者も、

みんな、みーんな、とても真剣にお祈りをしています。


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以前、ミャンマー人の友人に、わたしは(ミャンマーの8曜日で)土曜日生まれだけれどどの動物が司っているのか?と聞いたら、モグラ?だと言っていたけれど、

きちんと調べたら、土曜日は龍でした。

ミャンマー人は、適当だなぁ(笑)

うん、龍なら納得。



自分の生まれ曜日の像に、お水をかけます。


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「何回かけるの?」とその辺の人に聞くと、

3回、8回、10回、と聞く人ごとに違う回答が返ってくるので、きっと、何回かけてもいいんでしょうね。

好きなだけかけるということでしょう。

わたしも、マントラを唱えながら、ザバザバ、お水をかけさせていただきました。

お釈迦様の像の後ろに立ってらっしゃるのは、ミャンマーで言う天使様。

以前のブログ記事にも書きましたが、ミャンマーでは天使様を崇めている人が多いそうです。


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あとで地元のひとから聞いた話ですが、ミャンマー人は無料で入れるのだそうですが、

外国人は8000チャッツ(960円くらい)を支払わなければ行けなかったのだそうですが、

わたしは、正面玄関から堂々と、一眼レフカメラをぶらさげて入場しましたのに、

呼び止められることがありませんでした。

入場料を支払うカウンターのようなものがみたらず、看板などはすべてミャンマー語で書いてありまして、

入場料を支払うカウンターなどの、英語の表示がどこにもなかったので、わたしはてっきり、無料なのかと思っていました。

しかも、その日は、旧暦の新年になる前日でしたので、特別サービスなのかな?と気にしていませんでした。

でも、かなり厳しく外国人をチェックしているようなので、わたしが呼び止められなかったのは、とても不思議です。

無料だと思っていましたから、別にこそこそ、していたわけではなかったのに。




学校で一緒にボランティアをしている方から、

「ああ、ユキは神に招かれたんだよ。祝福を受けたんだね。よかったね。」

と言われました。

ふふふ、そうか、そういうことなら、よくわかります。

合掌


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ミャンマー17「ヨーガクラス」



この夏合宿の生徒たちは、9歳〜15歳まで、全部で100名近くいます。

ですので、年齢と理解度にわけて、3つのグループに分けてヨーガを教えています。

毎日、朝六時からヨーガクラスがあります。(わたしは、毎朝四時起きです。)



私が担当するクラスは中級クラス。

20名くらいかな?

一番、体的にも、精神的にも、理解力的にも、大人なクラスなので、

13〜15歳の子供たちが多くて、わりと言うことを聞いてくれるので助かっています。


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ヨーガクラスの中でも、相当な数の日本語の単語を覚えて、真似されています。

というのは、わたしが、日本を交えて指導しているから(笑)

すると、子供たちの集中力がこちらに向くのです。

子供も、「はい!」とか「がんばって!」とか「できた?」とか「ありがとー」とか、真似して

とても楽しそうです。




子供たちもいろいろで、ヨーガをするにしても皆それぞれ、向き合い方が違って面白いです。

問題を抱えている子供は、みるとすぐにわかります。

様子が前日と、ガラッっと、変わりますから。

子供自身も、わけがわからないから、ストレスや問題に対して、どう対処していいのかわからないのでしょうね。

すると、吐いたりおなかが痛くなったり、頭痛がしたりする肉体的な不調になって、それだけではなく、

クラスへの意欲がなくなったり、不注意になったり、集中力がなくなったりします。

本当に、わかりやすいので、とても興味深いです。

それを、抑えつけて言うことをきかせるだけではなく、その子がその問題とどのように向き合っていくかを、導いてあげたいです。


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とはいえ、集中力がないときもあります。

テストの日の朝とか、お休みの次の日の朝とか。

そういうときは、もう、仕方がないから、押さえつけるのをやめて、

自由にのびのび、楽しめて、そして、少しチャレンジ意欲がわくような、ポーズを練習させます。

ときには、ペアになって、サポートの練習もさせます。



意外にもミャンマーの子供たちは、以外にも、体がものすごい固いんです。

この国には、ダンスの授業はあっても、体育の授業がないので、体操をあまりしないのでしょうね。

だからダンスをするときや、スポーツをするときなども、ストレッチをしたことがないそうです。

子供は体が柔らかいものだと思っていたから、9歳~15歳までのほぼ、全員が体が硬くて、とても驚きました。

でも、「恐れ」がまったくないので、ヘッドスタンドは、もう、すぐにできちゃうんです。

大人は、なかなかできないかたが多いのですが、さすが、子供ですね〜。

ヨーガのアーサナは100%、そのかたのメンタル(精神)が現れます。

とくにバランスのポーズは顕著です。

「恐れ」がないと、こんなにも簡単にできちゃうのかぁ〜、と改めて納得。

アーサナは、本当、内面に持っているものがでます。




できるようになると、こんなことも、勝手にはじめちゃいます。

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ある程度体が動かせる男の子たちは、いろいろ工夫して、勝手に遊んでくれます。


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子供たちのクリエイティビティは素晴らしいですね。

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わたしも楽しくなっちゃって、参加してみたりして。

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黄色いシャツ(シヴァナンダヨーガのユニフォーム)がわたしです。

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子供たちは、どんなストレス下にいても、いつでも、自分自身を楽しませる方法を見つけだします。

素晴らしいですね。

自分を喜ばす方法を、よく知っています。

大人は自分を喜ばせるために、すぐに物質に走ってしまう・・・・・お酒、買い物、チョコレート、食べ物、タバコ、セックス、旅行、ギャンブル、など・・・・・

でも、物質で得られる喜びは、本物ではありません。

子供たちは、全部知っているのですね。

大人も子供を見習うべきです。

子供から学ぶことが毎日たくさんあります。

素晴らしい教師です、子供たちは。

本当にありがとう。


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愛しているよ〜!

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2015年04月14日

ミャンマー16「ウォーターフェスティバル」



4/13〜17の期間、ミャンマーでは年に一度の、最大のお祭り、「ウォーターフェスティバル」が開催されます。

13日に天使が降りてきて、14〜16日までの3日間、人々はそれをお祝いして、天使を喜ばせるために、水を大量にまき、人々に水をかけていきます。

そして、17日に天使は帰っていくそう。

この5日間は、日本のお正月休みみたいなもので、みんなホリディなのだそう。

実際に、4/14はミャンマーの旧暦での新年だそうです。



いやー、それにしても、「水をかける」なんて、生易しいものではなくて、

「ぶっかけて、放り投げて、狙い撃ちする」って感じです。

しかも、大人たちはビールやウイスキーを片手に、明らかに酔っぱらっていて、タバコもプカプカ。

チンピラみたいな人たちが腰を振って踊りまくっていて、これで、天使が喜ぶのかなぁ〜、と疑問ですが。

宗教性が高いと思っていたミャンマーの、違う一面を見せられました。




町中が水かけまくりなので、濡れずに無事に道を歩くことができません(笑)

濡れるっていうレベルが違います。 土砂降りの雨に打たれた状態に濡れます。

バケツの水を頭からかけられますから(笑)



子供たちはトラックの荷台に乗り、水を浴びる気満々です!

わたしは、写真を撮りたかったので、フロントシートの安全な場所にいました。

でも、灼熱の中、エアコンなしのオンボロ車で、窓を開けられないという、サウナ地獄でしたが(笑)




こんなふうに、道のあちらこちらにバケツを持って待ち構えています。

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そして、容赦なく、ザバーーーーッ!!

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あちこちに、ステージが設置されていて、大爆音でガンガン、クラブミュージックが流れていて、若者たちは水の中、酔っぱらって踊り狂っています。

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おいおい、それは消火栓だろ〜〜〜、と何度も突っ込みを入れました。

あちこちで、火事の時に使う消火ホースが!!!  いいのかなぁ〜〜(笑)


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道路は、大渋滞です。

踊り狂う人々で道がふさがって通れません。


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町全体が、土砂降りです。

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これが、3日間続くのです。


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最初の30分は楽しかったですが、その後は、疲れましたよぉ〜〜。

わたしたちは、トラック3台で、4〜5時間、町を回りました。

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生徒の子供たちは、ものすごく楽しそう!!

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子供たちが楽しそうで、わたしも嬉しくなります。

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疲れたけれど、この子たちの笑顔を見たら、元気が出ますね。


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愛しているよ〜〜。

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ミャンマー15「葛藤へのギフト」


ああ、なんてミャンマー、素晴らしいのだろう。

ミャンマーで活動させていただけるなんて、こんなに素晴らしいご縁に恵まれて、わたしはなんて幸せ者なのだろう。

わたしは、確実に、神仏に守られ、導かれていると、感じる出来事の連続です。

今回のこのミャンマーは、本当に、本当に、守られている感がすごいのです。

宇宙のリズムで生きていると、心で呼びかけるとすぐに、その返答的な出来事が起こります。

ありがたくて、ありがたくて、どう、感謝を現したらいいのやら・・・・・・。



昨日のこと。

ひとつの問題に対して、わたしの魂は確かな決意をもって、わたしをある方向へと導きました。

でも、人間であるわたしは、人間的なエゴと情が絡まりあい、魂の声がわかってはいるものの、決断の勇気ができずにいました。

わたしも人間ですから、葛藤して当たり前です。

葛藤するほど、大切なもの、大事にしたいものがあるということ。

それは、人間としてはとても社会性のあることであり、認められることでありますから、

葛藤自体が悪いことではないと、わたしは思います。

その葛藤からも学ぶことがたくさんあるわけなので、

葛藤の渦中でおぼれずに、上空からその渦を眺めていればよいのです。

葛藤して悩むほど、誠実な自分を、愛をもって見つめてあげる。

そして、最善の努力をして、あとの結果は、すべて宇宙・神にお預けする。

(人間は結果をあれこれ考えて前に進めないことが多いですね)




わたしは、ポーン、とその問題を宇宙に投げました。

そして、投げたうえで問題と客観的に向き合い、感じていました。

「どうか、わたしに教えてください」

と心の中で宇宙・神仏にお願いをして、吹いてくる風に身をゆだね、

考えることをギブアップして、

思考を止めた時にだけ聞こえることができる、

鳥の声や、遠くの人々の話声や、風が耳を掠める音や、木々が揺れる音に、意識をゆだねました。

森羅万象、すべては宇宙の流れに委ねられている。



そのとき、一陣の風が吹き、わたしの横に立っている大きな木の枝が騒がしく揺れたかと思うと、

わたしの手のひらに、小さな黄色い花が飛び込んできました。

私はその時、立っていて、右ひじを軽自動車の荷台にかけて寄りかかっていました。

左腕は自然に垂れ下がり、左手は、自然に半分閉じていて、その手のひらは、自然に、自分の左モモのあたりへと向いていました。

手のひらを開いていたわけではないのです。

自然に閉じられて、しかも、こちら側を向いている手のひらの中に、黄色い花は飛び込んできたのです。

自然に丸まっている人差し指と、親指のわずか2センチ足らずの狭い隙間から、黄色い小さな花が、文字通り「飛び込んで」きたのです。



わたしは、手のひらに何かを感じ、なんだろう?と広げてみてみました。

そして、その神からの小さなギフトを見ると、ニンマリと微笑みました。



「やりたいように、したらいいのだよ。どのような選択も、すべて正解なのだから。お前の人生はお前でしか描けない。」

と、メッセージをいただいた気がしました。

「いつでも、お前とともにいる」とも。



わたしは、黄色い花が乗ったその手をそっと握り、胸に当て、

晴れやかな気分で、空を見上げました。

とても満たされた気分でした。

いつも、ありがとうございます。


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2015年04月13日

ミャンマー14「ビルマの宗教性」



ミャンマーの昔の呼び名は、ビルマ。

私たち日本人は、「ビルマの竪琴」という映画で馴染みがある名前です。

こちらの発音では「ブヮルマァ」という感じです。



この国の人々は、とても宗教性が高く、神仏を真剣に崇めています。

それは、パゴダに行った時の、真剣に祈る人々の姿からもよくわかりますし、

日々の生活の中で、本当に親切にしてくださる、この国のかたがたの、宗教がつくるその素晴らしい人間性からも見て取れます。



この国の宗教心の高い人々は、明日のことは考えないのだそうです。

明日、もし食べるものがなくなったら・・・・ということは考えないのだそう。

すべてを神仏に捧げているので、自分という個のものは、今日という日をただ生きるのみ。

道を歩いていて、パゴダ(お寺)があったらもちろんそこにお参りをするし、

お参りでは、自分のつけているすべての装飾品を、神仏にお供えしてしまうのだそう。

我欲も、明日への不安も、なにもなく、すべて、神仏に寄付するのだそう。



明日、何が起こるかはわからない。

でも、今日はこうして生きている。

今日は、こうして、幸せに生き、そして、今日生きるだけのすべてが与えられている。

そのことのみに目を向けて、その感謝を捧げるのだそう。


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伝統的なミャンマーの朝の習慣は、朝4時に起きて、4:30に食事を作り始める。

そして、朝日が昇るころには、作った食事をまずは家の外に持っていき、

次から次へと行列でやってくる僧侶の托鉢の中に、順番に入れていくのだそう。

そこで、明日の分の食糧がなくなることなど、気にしないのだそう。

僧侶に、あげたあとに、残っているものでやっと、自分の朝食をとるのだそう。

生かされていることに、感謝するこの行為から一日が始まる。




その僧侶はといえば、

裸足で布一枚の衣類をまとい、瞑想をしながら歩いている。

托鉢を抱えて、約3m先までしか見ない決まりなのだそう。

「いま」というときに生きる、瞑想をしながら歩いている修行なのですね。

顔を上げてキョロキョロしたりせず、自分の足元だけを見て歩いています。

だから、目の前に民衆が食事を施そうと立っていることも見えないですし、

それに対する、すべての期待を捨ていているのでしょう。

足元しか見ていない僧侶は、だれが、托鉢の中に食糧を入れてくれているのかさえも見ず、

なにを、入れているのかも見ず、

入れられたものは、すべてありがたくいただくのです。



民衆も「いま」そして「今日」を生き、未来への不安はすべて神仏に預けているし、

僧侶も、「いま」のこの「一歩一歩」に生きています。

未来への心配も、過去への後悔や怒りもなく、

ただただ、「いま」という時を、神仏に捧げて、生かされているのです。


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なんて美しい宗教性なのでしょう。

感動とともに、感謝の気持ちです。

同じ地球の上で、こんなふうに、祈りの生活をしてくださるかたがたがいてくれている。

だからこそ、こうして、地球は保たれているのだ。

日本のように豊かではないし、日本のハイテクな生活から考えると不便なことばかりだけれど、 

それ以上に、彼らは人間として豊かなのだと感じます。

わたしがインドをはじめアジアの国々を愛しているのは、この宗教性が育む人間としての豊かさが心地が良いからです。

わたしが、インドやアジアの国々で、一番何がしたいかと言うと「祈り」です。

一般の人々が旅行の目的とする、観光や買い物なんか、まったく、なんの興味もありません。

素晴らしい波動の地で、「祈る」、ということが至福なのです。





いまの日本では宗教性が薄く、「宗教」というと、なぜか怪しい新興宗教を思い浮かべ、疑いの目で見るかた多いような気がします。

わたしは所属するのが嫌いなので、無宗教です。

しかしながら、「宗教性」を愛していますので、すべての宗教を尊んでいます。

日本では、眉をひそめ、宗教を毛嫌いする人が多いですが、

それは、間違ったやりかたで、間違った布教をして、間違って宗教をとらえてしまっているエゴと無知と闇に侵された集団が、それを宗教と名乗って世間を騒がしているからでしょう。

仏教であるお寺も、神道である神社も、キリスト教である教会も、みんな、宗教です。

日々の祈りを行わない人も、みんな、お彼岸には先祖のお墓参りをしますし、お盆休みもありますし、神社に行けば手を合わせていますし、クリスマスにはお祝いをしています。

そこには拒絶感が現れないということは、わたしたち日本人の根底にある「宗教性」はまだ存在するからなのだと思います。

わたしは、それを信じています。




繰り返しますが、わたしは無宗教です。

しかし、宗教性を愛し、それに生きています。

世の中には様々な宗教があり、みな違う神を持っていますが、結局のところ、すべてはひとつに繋がります。

生き様として、自分の人生をもって伝えたいです。



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2015年04月12日

ミャンマー13「ぶらりご近所散歩」


毎日、夕陽がとても美しい。

日々、感謝が溢れます。


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仕事が終わって帰宅し、一息ついたところ。

夕陽の時間は、リフレッシュにお散歩に出ます。

ぶらり、ぶらり

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わたしが滞在している教師の寮は、国道から、50mほど外れた住宅街です。

普通に生活をしている人々が周りにたくさんいます。

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とても立派なおうちもあれば、質素すぎるおうちもあります。


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異国はみるものすべてが新鮮で、おもしろいですね。

稲を吊るして、スズメたちがついばんでいます。

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こんなふうに、リヤカーみたいなお店がたくさんあるのは、インドの風景と同じです。

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主に、駄菓子とタバコ(普通の煙の出るタバコと、噛みタバコ)を売っています。

吊るさっているのがそう。


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お散歩のおともに、ひとつ200チャッツ(約25円)の駄菓子を買って、それだけなのに、なんだか、心がウキウキします。




道のあちこちにあるこの甕は、お水が入っています。

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住人の人々の飲み水なのでしょうね。

もちろん、わたしは飲みませんが(笑)



もうすぐ、ミャンマーの新年のお祭りがあるので、村はその準備を始めています。

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彼女たちもおめかしして、なにか行うのでしょうね。

英語が通じないので、想像で会話をします。



なにやら、神聖なものを、建築中。

なんだろう、お寺かな?

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道のど真ん中で、子供たちが毎日、サッカーをしています。(通れません(笑))

わたしを見つけると、楽しそうに手を振ってくれました。

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なんて、無垢なんでしょう。 感動。

かわいいなぁ、仲間に入りたいなぁ、なんて、思っていたら、

偶然にも、はじかれたボールが私のほうに転がってきました。

ははは、思うと、叶うね。

そのボールを蹴り返して、子供たちは、蹴り返したボールのほうへと、ワイワイ言いながら駆けていきます。




しばらく歩くと、今度は、大人たちが蹴鞠のような遊びをしています。

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サッカーボールではなくて、編んである小さなボールで、遊んでいます。

大人も、無邪気だわぁ〜。

しかも、毎日、この時間に、飽きもせず、毎日!

「こんにちは、撮ってもいいですか?」と聞いたら、いいよ!のサイン。

とても楽しそう〜〜〜。 おじさまたち。

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サヨナラ〜!と手を振ったら、満面の笑みで手を振り返してくれました。




とても、のどかです。

とても、とても、癒されます。

こんなあたりまえの、なんてことない生活の中にも、

人々の愛が感じられ、みんな支えあって、皆でともに生きているのが感じられます。

小さなことですが、なんだか、ジーン、と感動します。

ミャンマーの人々が、夕焼けに溶けていきます。

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2015年04月10日

ミャンマー12「壁が消えた!」


一昨日のブログ記事に、ミャンマー人の先生たちと壁がある・・・・という内容を書きました。

こちらの記事です。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/416965412.html



そして、その解決策は

「壁を壊そうと努力しない」ということだ、というところに行きつきました。

「わたしはわたしのままで、ミャンマーにいることを喜んでいればいい」と、結論づけました。

そして、それを、即、実践。

そしたら、即、変化あり!です。



わたしが、まわりのミャンマー人の先生たちに

「こうしてくれたらいいのに」 「こうしてほしい」 「なんでこうなんだろう」 「こうしてくれないのかな」

(いわば、他人が変わってくれるのを願ったのですね)

なんていうことを考えるのをやめて、

「わたしに何ができるか」「わたしがここでどんなお手伝いができるか」

を、考えて、それに基づいて行動したのです。



そうしたら、もう、すぐ!すぐに、周りの反応が変わりました。

壁がなくなってきて、先生たちはわたしに近づいてきて、わたしにダンスを教えてくれ、日本語を教えてくれ、

と、寄ってきてくれるようになりました。

友人である校長先生も、今まで、あまり話しする時間がなかったんだけど、

わたしがこの夏合宿でやりたいこと、できること、

それをするとどういう風に生徒の役に立って、生徒たちの未来の可能性がどれだけ広がるか、そして楽しむか、

というのを、きちんと、順序立てて説明をしたら、すごく納得をしてくれました。

すると、友人である校長先生も、日本での学校教育について、あれこれ、わたしに聞いてきてくれて、

わたしは、いまの学校教育がどうなのかわからないけれど、わたしが子供だった時代のことを教えました。

どんな科目があり、小学校低学年と高学年はどう変わるのか、中学はどうか、とか。

彼は、目を輝かせて、「また時間を作ってもっと聞かせてくれ」と言っていました。

本当に、子供の教育に、熱心なかたです。



即、実践で、即、変化、です。

世界って、本当に、自分の心次第です。

自分の心がけを変えると、世界の反応が変わります。




ミャンマー滞在の中間地点を過ぎました。

残された貴重な時間を、わたしのできることで、精一杯、ご奉仕させていただこうと思います。


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ミャンマー11「スーレーパヤー(パゴダ)」



バスに乗り継いで、1時間ちょっとかかる、わたしが滞在している寮から一番近くのパゴダまで行ってきました。

こちらの車は、たいてい日本の中古車なので、日本語表記がまだ残っています。

何台か乗り継いだバスも、全部、日本の中古車でした。

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おもしろーい。

ニヤニヤしちゃう。 でもニヤニヤできるのは、日本語がわかるわたしだけ(笑)




町を走っていても、こんな感じで、日本語がかかれている車ばかり。

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「なんとか工務店」とか、「なんとか株式会社」とか、10台に1台は、こんな感じです。

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到着したスーレーパヤー。

ヤンゴンの市街地にあるパゴダです。

ミャンマーでは英語で「テンプル」と呼ばずに「パゴダ」と呼ぶのだそう。


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背の高い塔がヤンゴンの町のシンボルとなっています。

こんなふうに、ゴールドのパゴダも、ミャンマー独特ですね。


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普通、インド、スリランカなどでは、仏教の仏舎利塔(パゴダ)には、お釈迦様のお骨を保管しているのですが、

ここミャンマーでは、お骨ではなくて、お釈迦様の頭髪を保管しているのだそうです。

お骨だと、亡くなった後に焼いて、そしてそこから持ってきたのだと思うのだけれど、

頭髪ということは焼かれる前ということだから、生きていらっしゃるころにいただいたのかしら?

それとも、亡くなった後に、肉体を焼く前に?

謎と妄想が深まります。





人々は、熱心にお祈りをしています。

わたしは、祈りの場、が大好きです。


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こんなふうに、自分の生まれ曜日の像に、祈りこめてお水をかけるのだそう。

皆、熱心に、祈りの言葉をつぶやきながらお水をかけています。


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ミャンマーでは仏様にお供えする果物はこんな形に作ります。


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ココナッツとバナナをお供えするのはインドと同じです。

でも、形式が違うけれど。

インドでは、神様像の前で、パコン!と叩き付けて割ります。

ココナッツは平和を意味するのだそうです。

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ミャンマーのお釈迦様像は、とてもエレガント。

このスーレーパヤーでは、塔を中心にぐるっと円を描いて祈りの場が設けられているのですが、

東西南北、それぞれ四方に向いたお釈迦様像が設置されていました。

ひとつひとつ、個性的で、金ピカのもあったり、黒っぽいのもあったり。

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わたしは、このお釈迦様が気に入りまして、こちらの前でずっと座ってお祈りさせていただきました。

とっても、綺麗。

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帰り道。

マーケットを通り抜けてバスの乗り場まで行きます。

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日本の100円均一ショップのお店を発見!

セリアとキャンドゥと、提携しているみたいです。

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でも、お値段が1800キャッツだって。 日本円で200円くらいです。

二倍のお値段です〜〜。 きゃー。

それでも、日本製は人気があるから、売れるんでしょうね〜。

「日本」っていうブランドって、すごい。





美味しそう。

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買い食い、つまみ食い。

ひととき、ヤンゴンの町歩き。


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帰りのバスは、ちょっとトラブル発生で、バスとトラックがぶつかってしまい、

バスの乗務員(行先を叫んでいるひと)と、トラックの運転手が喧嘩を始めて、

最初は口喧嘩だったのだけれど、どんどん、エスカレートしていって、掴み合いになり、

果てには、木材を振りかざして殴りかかろうとして、それを、道行く男性たちが止めに入って、

ビンを割ったり、車のガラスに石を投げつけたり、なんだか、とても不穏でした。

怖かったです。

ミャンマーは穏やかな国だけど、やはり、こういう危険なこともあるのね。

つくづく、日本は平和でいい国だなぁ、と感じます。



そして、バスは突然、走るルートを変えてしまって、わたしが降りる場所に行かなくなってしまって、途中でその乗務員に「テンマイル行かないのか?」と聞いたら、

「あっ!しまった!忘れていた!」という顔をして、ヘヘヘ、と笑ってごまかした。

おいおい〜〜〜、ちょっと待ってよー。

笑ってごまかす、っていう裏技やめてくれる〜〜。

勝手にルートを変えて、やめてよーもー。

とりあえず、そこで降りろといわれて、降りたはいいけどそこがどこだかわからないし、英語が通じる人が周りに誰もいない。

ほかのバスが来て、行先を告げたけれど、「それは97番のバスだ」とそこに乗っている乗客の女性が教えてくれたけれど、

バスのフロントに書かれている、行先も、番号も、ミャンマー語なので、なんて書いてあるか読めない〜〜。

おいおい〜〜〜、せめて、番号くらいは数字で書いておくれよ〜〜。

そして、それから、2回ほど、バスに乗ったけれど、どのバスも間違いのバスで、降ろされ(乗務員に聞いたら、行くよ、と言ったのに!)

結局、タクシーを捕まえて、高額を支払って帰宅しました。




あー、アドヴェンチャーだ。 ははは。



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2015年04月09日

教えてください


(教えてください)

小学生・中学生のお子さんがいるかた。教えていただけますか?

いまの、学校はどんな教科を教えているのでしょう?

ミャンマーの学校教育の参考にしたいと思います。



また、日本のテクノロジーは世界一ですが、日本の学校教育が影響しているとしたら、どのような教育スタイルがこの今の日本の基礎となっていると思いますか?

それから、日本人は世界一、誠実で協調性がある素晴らしい個性があるのですが、それが学校教育で作られているのだとしたら、どのような教育で培われているのだと思いますか?



わたしは、子供がいませんし、子供と接する機会がないので、どなたか教えていただけますとありがたいです。

世界のどこに行っても、日本人の人柄の良さと誠実さは、とても称賛されています。それは文化とともに、教育の中でも培われているのだと思います。

日本と海外のそれぞれのよいところを、どんどんお互いがシェアしていけば、世界の平和に近づくと思うのです。

ご存知の方、教えていただけましたら、嬉しいです。

この記事の下のコメント欄を活用していただけましたらありがたいです。

よりよい世界のため、お力をお貸しください。

どうぞよろしくお願いいたします。

合掌
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

ミャンマー10「やっぱり壁がある?」


数日前から、夕方、お散歩をしているルートに、とても立派な、でも小さなお寺を見つけました。

そのお寺の話は、詳しくはまた後日。



そこに、大学で日本語を勉強している若い女性がいて、わたしが日本人だと知ると、毎回、近寄ってきてお話をしようとがんばっています。

一見、日本人にも見えそうな顔つきをしていて、とてもシャイで、モジモジしていて、とってもかわいらしい女性です。

彼女は、わたしにとてもリスペクトしてくれて、こちらが申し訳ない気持ちになってしまうくらい。

同じ人間なんだから、そんなに、かしこまらなくていいのに〜、と思うほど。

上下関係がとても厳しいミャンマーでは、「日本」という国は、自国よりも上だと見ているのでしょうね。

私たちの国、日本では、階級も、貧富の差も、アジアのほかの国に比べてそれほど顕著には現れないから、あまり、階級を気にすることがないのですが、

こちら側のアジアに来ると、その「階級」というものの根強さをとても感じます。

初めて訪れる国なので、ミャンマーに階級があるかどうかはわからないけれど、少なくとも、とても裕福な人と、とても貧しそうな人との差が、ものすごく大きいのは人々を見ていてわかります。

わたしのいるサマーキャンプに参加している子供たちもお金持ち層の子たちなので、来ている服やつけている時計、メガネなど、とても高そうなものばかりです。

日本人でも、とても質素な私よりも、ずっと、裕福そうです。




その小さなお寺にお話を戻しまして・・・・

わたしは、このお寺に来ている日本語を勉強している女性に接し、彼女の態度や話し方、目線や私に対する行動で、国単位での優劣があるのだということに気がついたのです。

わたしはこれまで、いろんな国に行ったし、海外のリゾートホテルで働いていたこともあるし、たくさんのアジアの国々の人々と一緒に働いていた経験もあるので、

欧米の人々や、フランス語を話すアフリカ大陸の人々が、日本と韓国以外のアジアの人々を、少し見下しているような感じの態度を取ることを知っています。

そうだった、わたしは日本人で階級のない日本の国に生まれたからあまり気にならないのだけれど、

ほかのアジアの国では、日本やアメリカをリスペクトしているのだった。

わたしにとっては、どちらが勝るでも劣るでも、まったくそんな目線はなかったので、

えっ?もしかして? ああ、そうなんだ! と驚きの発見でした。



それで、腑に落ちることがあります。

子供たちの夏合宿のミャンマー人の先生たちと、なーんか、壁を感じてしまっていたのですね。

わたしが、落ち着いているからなのかもしれないのですが、どうも、ミャンマー人の先生たちと交わることが少なくて、

ポツン、とひとりでいることが多くて、つまんないなぁ、と思ってしまうのです。

わたし、ものすごく人当たりが柔らかくて、なんの威圧的な態度もないし、とても謙虚だし、シャイだし、ずっとニコニコしているし、

誰のことも尊重しているし、平等だし、とっても、扱いやすいと思うんだけどどなぁ。

なんでかなぁ、と思っていたんですが、今日、ああ、そういうことだったのか、と理由がわかりました。


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わたしは、校長先生のお友達で、校長先生直々に招かれた人で、

日本という憧れの国から来ている人で、きっとお金持ちだろうと思われていて(全然貧乏だけど)

だから、ミャンマー人の先生方は、わたしにどう接していいかわからなのかもしれないな。

必要以上に、丁寧に扱われてしまっていて、そうすると、なんかわたしも、ちょっとしっかりしなきゃ、なんて、

座り方をピシッと整えてみたりなんかして。

わたしなんて、どうってことない、なんの肩書もないただの「ひと」だし、

子供に教えたことがないから、全然、役に立ってないし、叫んだり、叱ったりすることもできなければ、

一緒に走り回って遊んであげることもしなくて、ただ、ここにいるだけなんだから、

そんなに、わたしのことすごいひと扱いしなくていいのになぁ〜、もっとフレンドリーでいいのになぁ、と思うんですけど、

わたしのこと「目上の人」と思っているんでしょうね。


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それと、日本人を見ていると、きっと、ちょっと、妬みの気持ちも現れてしまうのかもしれないですね。

レクリエーションの時に、一眼レフカメラでバシバシ撮影していたら、やっぱり、ちょっと、意味深な目をされました。


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それにしても、

まっっっく、なんんんんんにも、先生たちからは、わたしに質問が、まっっったく、ないのです。

おかしいなぁ、なんで、かなぁ、日本のどこに住んでいるの? いま、日本は季節はどうなの?とか、とか、聞いてきてもいいじゃないか?

わたし、歓迎されていないのかなぁ、なんて、とてもさみしく思っていたりして、ちょっと、しょんぼり、でした。

みんな、英語しゃべれるのになぁ。




でもきっと、その国単位の壁なんだな、これは、と気づきました。

わたしの問題ではないということ。

これは、国単位、文化単位の問題であって、わたしのせいではないのだ。

私は生まれた時から日本人で、生まれた時から日本は世界の中では先進国で裕福なモダンなハイテクノロジーの国だから、

国単位での劣等感なんてなんにもなくて、私に関しては、日本は裕福だとしても、私自身は子供のころからかなり貧乏で苦労して、いまだってべつに裕福ではないから、

ほかの国に対しての優越感も、人間として勝っているとも思わないし、いたって平等でただの人間同士で、なんにも優劣がない。

でも、発展途上国に生きている人々は、やはり、羨望の眼差しでわたしを見ているのだろう。

インドでもそれは感じたけれど、でも、インドは結構、お金持ちが多かったから、それほどではなかったけれど、

ミャンマーでは、とても、「うわー、すげー、日本人だー、本物だー」という目線を強く感じる。


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その事実に、そうかぁ・・・・・・! と今日、気づきました。

わたしというパーソナリティが嫌われていたわけじゃなかったんだ、よかった。

でも、それだと、壁は壁のまま、ずっとあり続けるわけで、わたしは、こんな遠くの国まで来たのに、

孤独でさみしい気持ちが拭えないままなんて、いやだなぁ。



どうしたら、彼らのこの壁をなくすことができるのかなぁ。

いままでも、とってもフレンドリーにしてきたけれど、結局、逆に気を遣わせてしまっているみたいだから、では、どんな手でいったらいいのかなぁ。


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うん、そうか。

「壁を崩そうと努力しないこと」かな。

わたしは、気にしなければいいんだな。

彼らの問題は、彼らの問題だから、わたしはわたしが喜ぶことをしたらいいんだな。

彼らが変わってほしいと思うのは、国単位での問題だから無理な話なので、

わたしが、気にならないようにしていればいいんだな。

壁を崩そうと努力すると不自然になるから、私が疲れるか、彼らが余計気を使うか、になってしまうと思うから、

壁があるのは仕方ないことだとして、それを踏まえて、のびのび、生きることだな。

すると、結果的に壁がなくなるかもしれない。 でも、なくならないかもしれない、それはどちらでもよいこと。

壁があったままだとしても、わたしがしょんぼりしているのではなくて、楽しそうにしていれば、彼らは嬉しいだろう。

わたしは、彼らの「ゲスト」という立場のようだから、ゲストが楽しそうにしていたら、彼らも嬉しいに違いない。

だから、わたしは自分のままでいればいい。 

日本人であるわたしの歴史は変えることはできないのだ。




そういうことだ。

やってみよう。

本当に、海外に来ると、いろいろ学ばせてもらえるなぁ。

本当に、日本での日常の生活ではなかなか気づきにくいことに、気づかせてもらえ、

それは、実は、わたしの生き方にすべて反映することなのだということも、よくわかる。

世界はすべて、自分の内側の

反映・反響・反動



よし。

小さなことを気にして、気持ちが落ちてしまったら人生がもったいない。

ミャンマーでの貴重な経験を、無駄にしないで人生を生きるぞ。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー9「食事・コスメ?」



このサマーキャンプでは、食事も毎食、食べさせてもらっています。


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結構、しょっぱいんです。 なにもかも。

わたしは、インド仕込なので辛いのは全然平気なのですが、

しょっぱすぎるのはどうも駄目ですね〜。

ミャンマーは、インドと違って、お肉も魚も食べるので、ミャンマー料理には、ほとんどベジ対応がないようです。

お菓子も、みーんな、卵やチキンエキスが入っているのだそう。

驚きです〜〜。


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友人である校長先生が、わたしのために、特別にベジメニューにしてくれているのだそう。

なんて、ありがたいのだろう。

感謝です。



この生徒たちの寮の食堂で働くミャンマーの人々は、ここにいる生徒たちと同じくらいの年代の子も何人もいて、

きっと、階級が低いのでしょうね。

生徒たちよりも、とても控えめで、せっせと働いてくれています。

食堂で働く彼女たちは、同年代の子供たちが、きれいな服を着て、高価な時計をつけて、勉強するためにはるばる旅費をかけてここに来ていること、どう感じているんだろう。

そして、本来なら勉強する年代である彼女たちは、その子たちのために食事を給仕したりして働かざるを得ない、ということを、どう感じているんだろう。



案外、わたしが心を痛めるほど、彼女たちはなにも感じていないのかもしれない。

でも、階級のない日本人のわたしは、なんだか、複雑な気持ちで彼女たちをみてしまう。

せめて、彼女たちにとても優しく接してあげよう。

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彼女たちが顔に塗っているのは、サンダルウッドを水で研いで作った液体。


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これは、クールダウンによいそう。

わたしも、お願いしてほっぺに塗ってもらった。


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わたしの頬はまだ、塗りたてだから透明だけど、乾くと、隣の少女のように色が出てくるのです。

町に出ると、女性や子供たちはみんな、こんなふうに顔に塗っているの。

おもしろーーーい。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月06日

ミャンマー7「仏教」


ミャンマーは仏教国です。

わたしは神仏が大好きで、すべての宗教をリスペクトしています。

いま、このサマーキャンプ(夏合宿)の最中は、遠出することが許されないので、聖地巡礼ができなくてとても残念ですが、

子供たちの寮の近くに、小さなパゴダ(シャンティストゥーパ)がありましたので、ご挨拶にいく機会がありました。


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ミャンマーの仏教では、8曜日あり、それぞれ方角を司っているのだそうです。

パゴダにも、方角ごとに曜日が記されてありました。

8曜日は、普通の7曜日の水曜が午前と午後に分かれて、8になるそうです。

それぞれに動物があてがわれているそう。

その曜日は、自分の生まれた日でわかるそう。

ちなみに私が生まれた日は、ミャンマー仏教でいう土曜日に当たりました。

動物は、リス?のような小動物だそうです。

それが、どんな意味かは、知りませんが(笑)


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パゴダの脇にはドラゴンがいて、ここを守っているそう。


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そして、パゴダの四方には、二つのお尻を持つライオンの体に、人間の顔と腕を持つ、なにやら不思議な生き物が置かれています。

これも、守り神だそうです。(写真撮り忘れました)



勉学の神様であるサラスワティー像もありました。


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インドのサラスワティーとかなり違う姿。

とても、エレガントです。




地元の人の話によると、ミャンマーは仏教国だけれども、仏教が入ってくる前に(多分ネパールから入ってきた?)は、人々は天使を拝んでいたそうです。

天使は、西洋でよくみる赤ちゃんのような姿ではなくて、普通のおっさん・・・・((笑)失礼)のような姿をして、背中に大きな翼がついています。

人々は、お釈迦様ではなく、この天使に意識をつなげて、いつも信仰をしているのだそうです。

だから小さな祠などには、お釈迦様の像がないところもあり、その代わりに、天使の像が鎮座しているのだそうです。

ミャンマーは敬虔な仏教国だと思っていましたから、大衆の人々の意識はお釈迦様よりも天使にある、ということが、とっても意外でした。




昨日の熱射病から、まだ体が完全に回復していないので、今日は食事をフレッシュなものにしようと、フルーツを買いにマーケットに行きました。

ヨーガクラスの後、まだ、日差しが熱くなる前の朝8時ころでした。

マーケットで、突然、爆音でなにやらスピーチしているのを流している軽自動車がゆっくりとやってきました。

そのあと、ドラ?のようなものを打つ人が続き、そして、僧侶の列が続きました。


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僧侶は、托鉢を抱えています。


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わぁ〜、ミャンマーだわぁ。

こういう、宗教的なのがワクワクします、わたし。

僧侶の前を歩いている人が持っている銀色の器に、町の人たちはお布施を入れています。

大きなかごには食べ物を入れています。

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僧侶たちはどこで修行しているんだろう。

行ってみたいなぁ。




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ミャンマー6「本当の意味で子供のためなのか」



今日は日曜で、学校の授業はお休みでしたが、課外授業の日でした。

バスで1時間くらいの場所に、ミャンマーの各地の歴史を紹介する大きな広い博物館があり、

そこに、生徒たちと先生たち全員で行ってきました。



校長先生(わたしの友人)が、出発前に先生たちとのミーティングの中で、そこで行うことを指示しました。

ミャンマーには大きく分けて6つの地域に文化が分けられるそうです。

そこでは、家の建て方や暮らし方、服装までも違うそうです。

子供たちを6つのグループに分けて、その地域の一つをグループごとに、

紹介する作品?をつくるという課外授業をしたいそう。

その地域の紹介をしながら、歌ったり踊ったり、劇にしたりして、

どのグループが一番優れているか、競わせる競争をしたいそう。




その私の友人である校長先生はとても子供好きのかたで、本当に子供に楽しんでもらいたいと思っているのです。

だから、こうやって、課外授業につれてきてあげたり、お菓子もジュースも有り余るほど与えてあげるし、自ら子供たちとコミュニケーションをとっている、とても優しい男性なのです。

彼は「子供たちにきちんと規律を教え込んで、でも、楽しませてあげること」と、先生ミーティングで指示をしていました。

でも、大人が思う子供の楽しみと、子供が受け取っている楽しみって、ちょっとずれがあるんじゃないかな、と思うのです。




わたしは、「競争」に激しく拒否感を感じました。

どうして、子供のうちから競争させるのだろうか。

競争することで、なにが得られるというのだろうか。優劣を植え込むだけではないか。

競争から、なにもよいことは得られないし、

大人になってからも競争ばかりで、みな、それが原因で心と体を不調和にさせているというのに・・・・。

そして一番優れていると判断されたグループにはご褒美をあげるとのこと。

では、もらえなかったほかの5つのグループは屈辱感を経験することになる。

それに、みんな一生懸命頑張って協力してひとつの作品を作るというのに、

一番になれずご褒美をもらえなかった5つのグループの子供たちは、自分がした努力が無駄だった、と思うだろう。

そして、一番になったグループの子供たちは、自分が人よりも勝っている、という優越感を経験し、さらに今後、もしも、なにかで一番にならなかったときには、とても空しい気持ちなるだろう。

大事なのは優劣ではなくて、子供たちの感性であり、その感性はひとそれぞれなのだから、優劣なんてつけるものではないと思う。

こうやって、子供のころから知らず知らずに、競争することを大人から植え込まれているんだなぁ。

子供は無垢だから、大人から植え込まれることだけでしか、世界を作れない。

この子供たちは、世界とはこんなふうに競争するものなんだ、と学んでしまうのだろうな。




そんなふうに、感じて、わたしはこの課外授業がとてもやりたくなくて、とても嫌でした。




そうはいっても、わたしはボランティアでお手伝いに来た身ですので、文句言わずに従うしかありません。

でも、わたしは、やりたくないことは、できないように、もう、全エネルギーが設定されていますので、

魂レベルで、違うよなぁ、と感じているのに、イヤイヤ、することができなくなっているのですね。

では、どうなるか、というと、体と全細胞が拒否に出ます。

すると、体調が悪くなるのですね。

今日も、わたしの体は激しく拒否反応を起こして、猛暑の炎天下の中でのピクニックに、すぐに熱中症になってしまい頭痛とめまいが、激しく、途中で動けなくなってしまいました。

これが、私の本意であることに対してであれば、自分の心のコントロールをして、前向きに頑張れたかもしれませんが、

心底から「それは違うよ」と感じていることに、自分で自分に嘘がつけません。


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わたしは立ち上がれなくなってしまい、木陰で休んでいると、

私と一番仲良くしてくれている15歳の少年が、ふざけた調子で寄ってきました。

わたしが様子がおかしいのをみて、「どうしたの?」と聞いてきてくれて

「頭が痛いの」と答えたら、眉をしかめていました。

「楽しんでる?」とわたしが聞くと

「実は、あまりいい気分ではない」と少年は言いました。

「どうして?」

「人が多すぎる、うるさすぎる、公害がひどいこの場所は。静かなほうが好き。僕は楽しくないし、あそこにいる子も楽しくないって言っている」

彼は、いままでのキラキラの笑顔を、パッと、曇り顔に変えてそう言いました。

いつもおどけて、みんなにちょっかいを出して、ジョークばかり言って、コメディーな動きをしてみんなを楽しませている彼。

そのときも、ずっとその調子だったので、てっきり楽しんでいるのかと思っていましたが、

ああ、彼は、楽しそうなふりをしているだけなんだ、とわたしは気づきました。

先生たちは、楽しそうなふりをしている子供たちをみて、満足しているんだろうな。

こんなふうに、先生たちをがっかりさせないように、無意識に気を使っている子もいたりするんだろうな。

子供も、大変だなぁ。

スーパーライトワーカーだもんね。






しばらくわたしは木陰で休んでいて、ほかの先生たちがジュースを持ってきてくれたり、わたしを寮に返すために車を手配してくれたり、いろいろと気を使ってくれました。

本当に、迷惑をかけてしまった・・・・・。

しばらくして、また、お気に入りの彼が来ました。

「コンニチワ!」とニコニコの彼。

「こんにちは。 あなた大丈夫?」とわたしもなんとか微笑む。

「んーーーーー、NO!」

少年は、NO、と口では言っていても、顔はニコニコ。かわいい笑顔。

すごいなぁ、この年でもう、周りの和を乱さないようにこんな素敵な作り笑顔ができるなんて。

これは、大人は騙されちゃうわ。

子供が楽しんでいると、勘違いしちゃうよ、この笑顔は。

本当は「NO!」なのにね。




その少年はつい先日も、生徒全員でのレクリエーションの時に、参加しないでひとりでコンピュータールームでゲームをしていました。

どの先生も彼に気づかず、わたしだけ彼に気づいたので、コンピュータールームに入っていって、

「どうしてレクリエーションに来ないの?」と声をかけたら、

「人がいっぱいいるところは、あまり好きじゃないんだ。どうしていいか、わからなくなってしまう。」と少しだけ困った顔で答えて、そのあと素敵な笑顔でニコッとしてくれました。

わたしはそんな彼になんのジャッジもせず、「I understand(わかったよ)」とだけ言って、彼をそのまま残して出てきました。

彼の気持ち、すごくよくわかる。 わたしもそうだし。

だから、無理やり「参加しなさい」みたいなこと言って連れてくることせずに、彼の気持ちを尊重しました。

その後、彼は、ほかの先生に見つかってしまい、どこか別室に連れていかれていたので、きっと怒られていたのでしょう。




このケースの場合、参加しないことで、怒られる、というパターンは、彼にとって果たしてためになるのか。

わたしは、彼の気持ちがよくわかる。

わたしも、人がたくさんいるところは苦手だし、無理やりその中にいろ、と言われると、大人になった今でさえも、バランスを乱してしまう。

ひとそれぞれ、個性があっていいと思うし、彼の気持ちを尊重してあげてほしい、と思った。

でも、集団で行動するためには、歩調を乱すことは許されないんでしょうね。

すると、人間のいろんな波動が入り混じった「集団」というところでは、その不協和音的な波動で疲れてしまう人・・・・つまり、彼やわたしみたいな人・・・・・は、

自分でなにも選択できない子供の時代には、その豊かな感性を殺してしまわないと、集団に交わることができないのだと思う。

だから、大人になると、自分の真なるところとのズレが生じてきて、苦しんでしまうのだと思う。




そのレクリエーションのとき。

ほかの子供たちはみんな、とっても楽しそうで、歌を歌ったり、踊りを踊ったりしていた。

子供たちから一番好かれている先生(男性のダンスクラスの先生)が司会をしていて、「次はだれかなにかやりたい人るかな?」とみんなに聞くと、

「グルジ!(先生!)」と誰かが叫び、「センセイ!センセイ!」と、大きなコールが全員から沸き起こって、その先生は困ったように笑っていた。

すると、別室でのミーティングから戻ってきた、一番怖い先生(20代のきれいな女性)がまるで鬼のような顔をして、ものすごい勢いで怒鳴り散らした。

彼女はミャンマー語で怒鳴っていたので、わたしには何を言っているのかわからなかったけれど、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか、とわたしは思った。

せっかく、みんなとってもハッピーで、ものすごく楽しそうだったんだから、このまま、楽しい気持ちで終われるように、うまく諭してあげることもできたじゃないか。

子供たちはただ、楽しくて、そのダンスの先生のことが好きで、それを表現しただけなのだから。

全然、悪いことしているわけじゃないのに。

ただ、楽しいだけなのだから、怒鳴らなくてもいいじゃないか。

わたしは、なんだか、悲しくなってしまった。

大人や先生の言うことを聞かせるだけが教育なのか?

悪いことをしたら叱るのは当然だけれど、大人の都合で子供の気持ちを考えずに、ただ言うことを聞かせるために怒鳴るのは、教育なのか?


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今回、こうして、子供たちの夏合宿の学校の場に身を置かせていただいて、

毎日、毎日、観察させていただく中で、激しく感じるのは、

学校は、子供になにを教えるべきなのか。

人間が生きるということはどういうことなのか。

ただ、集団行動の和を乱さないようにするとか、

みんなと同じことをするように訓練するとか、

与えられた宿題をきちんと完璧にするとか、

楽しくてはしゃいでしまう気持ちを抑えてまで列を乱さないようにするとか、

20分で朝ご飯を食べ終わらなければいけないこととか、

誰かと競い合ってそれに勝つために頑張るとか、

明日までにこの単語を10個覚えて来いとか、

ご褒美のために努力するとか、

そういうことを教えるために、学校ってあるのか?

それができると、人間は完成するのか?

人間って、なんなんだ?

でも、社会で生きていくためには必要なのかもしれないけれど、

果たして、社会で成功している人というのは、本当の意味で幸せなのか? 

本当の意味で人間として成功なのか?

魂は解放されているのか?





「無条件で幸福」な子供の個性を、枠の中にはめ込んでいるだけじゃないのか?

だから、大人になると、この「無条件で幸福」というのを忘れてしまうのではないのか?

子供のころから枠の中にはめ込まれて、そして、大人になってその枠に苦しんで、

枠から出たくて仕方ないのに、出れなくて苦しんでいる。





ちょっと、熱くなってしまった。

すみません。

わたしは、子供が大好きです。

これからの世界を担うのはこの子供たち。

世界を変えるのはこの子供たち。

そして、その子供たちを育てるのは、わたしたち世代。

子供は、大人からの情報のとおりに成長するから。

今までと同じようにしていたら、世界の霊的な進化は期待できないのだから、

わたしたち世代が、霊的に気づいて、目覚めて、枠からでなければいけないのだと思う。




今日は、なんだか熱くなってしまいました。


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2015年04月05日

ミャンマー5「あなた幸せ?」



毎日、ティーチャーズレジデンス(教師の寮)から、軽トラックの荷台を座席にしたバス?で、学校まで行きます。

これがその車に乗っているところ。

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わたしが参加した初日。

一緒に乗っていた15歳の少年たちは、私のことを興味津々で、目を輝かせて見ていました。

「名前は?」「どこから来たの?」「あなた先生?」「なにを教えるの?」

と、覚えたての英語で質問してきます。

日本の15歳は、同じシチュエーションだったら、外国人にこんなにオープンに心を開けるかなぁ?



ある、一人の少年が、わたしの目の前に座って、まっすぐに目を見てこう聞きました。

「Are You Happy?(幸せですか?)」

少年は、キラキラした瞳をわたしの顔に近づけました。

彼との会話はこれが初めて。

一番最初に交わした言葉がこれでした。

「オフコース アイアム(もちろん。幸せです) アーユー?(あなたは幸せ?)」

「I am very Happy too!!!(ぼくもめちゃくちゃ幸せ!!)」

笑顔がキラキラ、キラキラ、キラキラ、キラキラ・・・・・・・

その15歳の少年はうっすら、髭も生えていて、身長はわたしよりも高いのです。

すごいなぁ、15歳でこの無条件の幸福感。

生きているだけで幸せ!って感じ。

本当に自然。

花や、鳥や、樹木や、地球のすべてと同調している。

彼がこんなにめいっぱい幸せそうだと、初対面の私も、本当に幸せな気分です。




この衝撃は、お仕事初日の朝のことでした。

日本の常識で考えると、初対面でまず最初にする質問ではないですよね。



今回のミャンマー滞在の学びのテーマの一つを、彼を通して神様がくださったのだと思うのです。

「心から幸せ、と陰りない笑顔で言えるか」



これが、「自由」という意味なのだと思います。

彼は、早朝5時から夜21時まで、勉強漬けにされている夏の集中合宿中です。

自分の時間なんか全然ないほど、拘束されているのです。

それでも、偽りなく、幸せなのですね。



「幸せは、外側からやってくるのではなく、内側から湧いていくるもの」

どんなに拘束されていても、心は縛られることなく自由でいることを選択する。

「心から幸せだと、陰りない笑顔で言うためには」


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2015年04月04日

ミャンマー4「無邪気さとは」



子供たちから、学ぶことが本当にいっぱいあります。

子供たちを見ているだけで興味深いです。

ほかの先生たちは、「静かにしなさい!」とかシャウトしたりしているのですが、

わたしはそういうことができないので、叱るのはミャンマー人のかたがたにお任せして、

わたしは、ただ見ている(放っておいている)だけなのですが、

騒ぎ方ひとつにしても、子供たちみんなみんな、全員ひとそれぞれ違うのです。

その子の性格や、ため込んでいるもの、抱えている問題が、よーく、見えます。



今日、子供たちから学んだこと。

それは、「無邪気さ」。

無邪気って、ただ、楽しくしているだけじゃないんですね。

それはね、「気にならないこと」だな、と思いました。

なにが気にならないか、というと、ネガティブな感情が気にならないこと。

例えば、だれかに「デブ!」とか言われて、一瞬むっとしたとしても、後々までは気にならなかったり、

なにかすごく間違えて大恥かいても気にしないで遊んでいたりとか、

期待していたことが得られなくてがっかりしても、気にならなかったり、

先生から怒られても、周りからどう見られても、気にならなかったり、

とにかく、自分のありのままでめいっぱい生きていることなんだな、と思いました。



今日、わたし、ちょこっと、へこんだことがあって、

ああ、わたし、せっかく来たのに役に立たないなぁ・・・・・、なんて、ガックリしていたのですが、

子供たちは、わたしが子供たちに、きちんと求めるものを教えてあげられなくても、

そんなこと全然忘れて、楽しそうにちょっかいだしてくるのです。

すると、わたしも、そんな無邪気な子供たちを、見ているだけで幸せになるのです。

無邪気さが伝染するのでしょうね。

落ち込んでいたことが、気にならなくなるのです。



わたしは子供がいないけれど、もし、子供がいたら、こんなふうに、毎日、子供から学ぶ生活なのだろうなぁ、と思いました。

もちろん、社会で生きていくための技術(ルールや規則など)は、大人が教えてあげるものなのですが、

人間を超えた宇宙のパワーを子供たちは持っているので、それをすっかり忘れている大人は、心がけ次第で子供から学べるのだな、と思いました。

大人も、目指すは、子供たちのような無邪気さだなぁ。

落ちそうになった気分が、子供たちに、救われました。

本当に、子供って素晴らしい先生です。



子供は、「いま、ここ」をめいっぱい、精一杯、生きているんですね。

なんのためらいも、躊躇も、自分に対しての恥じらいもなく、「いまの自分」を生きている。

子供は、本当に素晴らしいなぁ、と思います。

子供を見ているのが、本当に楽しい。飽きないです。



大事なのは、「気にしない」ではなくて、「気にならない」ということ。

「気にしない」というのは、すでに気になっているから気にしないようにしよう、という意味です。

「気にならない」というのは、気になってないので、気にしないように努力する必要がないのです。

すると、無敵ですね〜。 

ネガティブ感情、エゴに目が向かないということですよ。

目を向けないように努力する必要もない・・・・ということは、それが存在さえしないということ。

自分のうちから湧き出てくるネガティブ感情に振り回されて、あれこれ気にして、自分で自分の心を締め付ける必要がないということ。

わー、すごい。 なんて、楽なんだろう。



身なりが気にならないとか、人のことなんかどうでもいいとか、そう意味ではないのです。

もちろん、身だしなみや、人間関係のマナーは、必要です。

気にならないのはそこではなくて、他人との人間関係の中から受けて、自分の中で発生するあれこれ、のことです。

「無邪気さ」とは、

「めいっぱい、まっすぐに、わたしを生きる」ということだな、と思いました。


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2015年04月03日

ミャンマー3「マーケットでのワンシーン」


ミャンマー、本当にいいです。

なんといっても、人間がすごく穏やかです。

町の汚さや車のうるささはインドと似ているし、人々の顔も少しだけインド人っぽいけれど、

でも、絶対的に、穏やかでいい人ばかりです。

悪い人はいないですよ、本当に。

こちらに来る前は、周りの方が心配してくださって、ニュースを見ない無知な私に、いろいろ、悪い噂、怖い噂なども教えてくれて、「気をつけなよ〜」って感じでしたが、

いやいやいやいや・・・・・来てみればわかりますよ〜。

とっても、人間が平和で牧歌的。

人々にものすごい、癒されます。



マーケットに行っても、誰も外国人をだまそうとしていないので、

インドのように、殺気立って「だまされるもんか!」といきんで、半ばけんか腰に値段交渉しなくていいし、

とにかく、人々は売りつけようとしていないから、買っても買わなくてもどちらでもいい、というスタンスなので楽です。

英語がまったく通じないので、身振り手振りの日本語で(笑)話しかけるのですが、

それでも、わたしがニコニコしていると、あちらもニコニコ優しく応えてくれます。



この灼熱の暑さに、ヨーガ指導と、ダンス指導をしているので、毎回、絞れるほど汗だくになって、

一日に何回も着替えなくてはならないので、Tシャツを3枚しか持ってきていなかったわたしは、絶対的に足りなくなってしまって、

一緒にボランティアをしているインド人の友人が一枚長そでシャツをくれたのですが、男性ものでどうにもこうにも、イケてなくて・・・・・(笑)

仕方なく、Tシャツを買うべく、マーケットに行きました。

わたしは、他人へのお土産以外は自分のものはあまり買わない主義なのですが、今回は必要不可欠品。

近くのマーケットを探していると、古着がどっさりとつみあがっている、まさに「山」を見つけました。

そこにわたしはしゃがみこみ、無造作にブルーシートの上に山になっているシャツを一つ一つ、崩しながら見ていたら、

隣にミャンマー人のおばあちゃんがいて、ブツブツ言いながら、一緒に、シャツの山を崩していたのですね。

そして、おばあちゃんは、なにか私にミャンマー語で話しかけてくるのですが、わたしはわからないながらも、

何となく、相槌うったり、うんうん、言ったり、これgood!って手つきと顔で合図したり、このTシャツはシミがついている、みたいなしぐさをしたりして、

ひとしきり、何となくコミュニケーションしていました。

おばあちゃんは、何やら、わたしの耳元で、お店の人には聞こえないように囁いてくれて、何を言っているのかわからないけれど

「あんまりいいのが、ないわねぇ、だめねぇ」

と、言っているのだと判断して、大きくうなづいて、笑って見せたりしたら、おばあちゃんも「ねー」みたいな顔して、わたしも「ねぇー」みたいな顔したりして。

そして、おばあちゃんは、引っ張り出してきた古着の2着を、その古着の山の上に広げて、わたしに比べて見せて、なにやら言って話しかけてきました。

「どっちがいいと思う?」って意味かな?と想像して、グレーのスヌーピーのTシャツを指さして、こっち、ってジェスチャーしました。

「えっ!?」って顔をしたおばあちゃんは、まじまじとわたしの顔を見て、なにかまた聞いたのですが、

「やばい、言葉がわかんないのに適当に合わせていたのがばれた。」と思ったわたしは(笑)、

「ノー バルマァ(ミャンマー語はわからないという意味)」とおばあちゃんに言ったら、

おばあちゃんは、ケラケラ笑って「あら、あなたわからなかったの〜!?(想像)」って驚いて面白がっていました。

わたしも、「あはは〜〜〜、ごめんね〜」って日本語で言ってみたりして。





なんてことないことだったけど、とっても、楽しかったぁ。

どうみても外国人の顔しているわたしに、家族みたいに接してくれるおばあちゃんに、なんだかほっとしました。

さっき、「ディスカウントはノー」ってニコニコして言ったばかりだった古着屋のおじちゃんが、

お会計の時は、何も言わなくても、300チャッツ(40円)おまけしてくれてびっくりしちゃった。

「サンキュー」と英語で言われたので、

「チェーズーディンマーレ」と覚えたてのミャンマー語でありがとうを返したら、とっても、嬉しそうに笑っていました。


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帰りがけに、違うお店でピーナッツを買おうと思って、吊る下がっているやつを指さして、「1個」ってジェスチャーしたのに、

吊るさっている紐を、ナイフでザクッと切って、5袋、どさっと、わたしにくれて、

「あ、一個でいいです」ってジェスチャーしたのに、「5個持っていきなよ」とジェスチャーで返されてね、

それで、「200チャッツだ」と言うのです。

まいっか、と思って、お財布からまず100チャッツ出して渡して、そして、50チャッツ出したところで、「あこれじゃ200に足りないじゃん」って引っ込めようとしたら、

おじちゃんは、その50を私の手から取って、「これでいいよ」と手をヒラヒラしました。

あれ?200って言ったのに150でいいのか?

まあ、小さなことは気にしないのかもなぁ。

摩訶不思議なゆるーい感じで、本当に、なんだか、ホッとしたました。




なーんか、とーーっても、癒される。

ミャンマー、すごくいい〜〜。




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2015年04月02日

ミャンマー2「人々から学ぶこと」



ここミャンマーに来て、3日目です。

こちらは、40度の猛暑が続いていて、到着してすぐに、ぐったりとしてしまいました。

昨日まで、元気が出なくてぐったりしていて、

体が重くて、力が出なくて、めまいがして、ああ〜、せっかく働きに来たのに、戦力にならなくて申し訳ないな〜と思っていました。

もともと、疲労していたのに、環境の変化と、食事の変化で、内側からヘトヘトでしたが、昨日の夜から回復してきて、元気になってきました。

わたしは3日前の夜中に到着し、昨日の朝から、学校のお仕事を手伝っています。



朝4時に起きて、6時からのヨーガクラスを担当します。

今日は、空にたくさんの天使の羽が現れていて、素晴らしい一日の始まりでした。

このサマーキャンプの子供たちは9〜15歳までの子供たちで、わたしがヨーガで主に担当しているのは、12〜15歳くらいの子。

分別がわりとつけられる子供たちばかりなので、助かっています。



と・に・か・く!

ミャンマーの子供たちは、垣根がない!!

本当に、オープンハート。 心をめいっぱい開いています。

ミャンマーのこんなに楽しそうな笑顔の子供たちを見ていると、わたしも、本当に、本当に、癒されます。

もう、なんの陰りもない、めいっぱいの笑顔!

本当に、子供はスーパーライトワーカーだなぁ、としみじみ思います。

15歳といったら思春期真っ最中で、日本だと、やらなければいけないことがたくさんあって、それとの葛藤の日々、両親との距離感が生まれる時期だと思うのですが、

こちらの15歳は、もう、ものすんんんんごい、純粋で、ピュアで、なんの探りも入れてこないし、陰りがなんにもなくて、まるで小学校低学年のような心の開き方なのですね。

わたしが15歳のころはどうだったかなぁ・・・・・・

両親が離婚した時期だったので、人生の中でとても荒れていたよなぁ、人のことも自分のことも誰のことも信じられなかった時期だったなぁ・・・・、

あのときの自分と、このミャンマーの子供たちを比べてみると、その大きな違いに愕然とします。

こんなに純粋なままで、大人の階段を登ることができるんだぁ・・・・、と驚きです。

日本でのわたしが子供のころは、たくさんの問題を抱えていて、しっかりしなさいと言われ続けて、しっかりしなければいけなんだと思っていて、規則をきちんと守らなければいけなくて、

作り笑いもできるようになって、嫌なことも「大丈夫」というし、お世辞まで言えるようになっていて、親や先生に迷惑をかけないようにと教えられ、人様に迷惑をかけないようにと教え込まれて縮こまって生きていて、人生とは窮屈なものなのだ、とそれが、普通なのだと思っていて、その反動で親を困らせることばかりを選んで悪さをしていた気がします。

ミャンマーの子供たちのように、こんなふうに、ハートから大輪の花が咲くように笑っていたかなぁ。

本来自由である子供のわたしは、さぞ生きにくかっただろうなぁ、と改めて感じます。

でも、それが普通になってしまっているので、いつのまに、感じなくなってしまうのでしょうね。

ミャンマーに来て、子供たちの輝きが、日本の子供たちとまったく、全然、違うことに、とてもショックを受けました。

わたしだけではなく、日本の子供たちに共通して言えるのだと思いますよ。



そして、

その陰りのない、めいっぱいの愛いっぱいの笑顔を、わたしに向けてくれるその子供たちから、

わたしは、なぜか、目を反らしてしまう・・・・・。

自分の中にある「影」が、そのまっさらな子供たちへの後ろめたさを感じてしまうのだと思います。

こんなに、無条件に与えてくれる愛を、きちんと、まっすぐに受け止めることができない、自分に気づきます。

ドギマギしてしまうんですね。

わたしは愛を与えることに意識しすぎていて、人から愛を受け取ることが下手になっていたなぁ、と感じました。



それは、子供たちに限らず、

ミャンマーで出会うすべての人々から、感じることでした。

大人も、子供も、信じられないくらい、親切で、たとえ小さなことでも、ものすごい親身になってくれるんですね。

本当に、いちいち、驚いてしまう。

そして、驚いてしまっている自分に気づくと、いかに、日本での人々が「仮面」のようなものをかぶっているのかがわかります。

この海外慣れしているわたしでさえ、ミャンマーの方々の人に対する愛の深さに、毎秒ごとに、驚かされてしまうのです。

ああ、なんて、素敵なことを学ばせていただいているのだろう。

人々が激しすぎて、お金にガツガツしてるインドでもそうですし、まして、心をさらけ出すことを禁じられているかのような日本では、到底、出会えなかった、穏やかな愛の文化が、ミャンマーにはあります。

言葉は通じない人が多いですが、まなざしから、行動から、表情から、愛があふれています。

人間は、こんな風に、すべての瞬間、瞬間を、愛として行動することができるのか・・・、と感動します。



本当に、よかった、ミャンマーに来るご縁が結ばれて。

お仕事が結構あって、まだ、写真は撮る暇がないのですが、折を見て、写真を撮ってアップしたいです。

今日は、早朝から、ヨーガを教えてきました。 今から、子供たちにダンスのクラスと、日本語を教えるクラスを担当してきます。

サマーキャンプ自体は、もう開始から3週間近く経っているのですが、わたしにとっては、まだスタート地点です。

2か月のサマーキャンプのうち、たった3週間しかいることができませんが、

「教える」なんて大それた気持ちではなくて、子供たちとミャンマーの人々から「学ばせていただく」という気持ちで、

わたしも、たくさん成長したいと思っています。



ちょこちょこ、こちらでの経験を、日本の皆さんに、シェアして行けれると思います。

これは、シェアしなければ、もったいないです。

わたしの特殊?な経験を、皆さんにも知っていただくことは、わたしの喜びです。

ブログを見てくださっているかたがたは、限られていますが、ともに、学んでいけれたら嬉しいです。

こうして書くことで、わたしの人間としての学びも深まります。

そして、それは、読んでくださる方がいるからこそです。

どうもありがとうございます。


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー1「ソウル・インチョン空港でのギフト」



今回は大韓航空を利用してミャンマーに来ましたので、ソウル・インチョン空港で乗り換えをしました。

出発まえの時間をどこで過ごそうかなと空港の中を探していました。

海外に出発する直前までお仕事をとても頑張っていて、肉体がとっても疲労していたので、

空港内にマッサージ屋さんをみつけて行ってみました。

・・・・・・・・・・・が、値段が高すぎて、うーーーん、うーーーん、と散々悩みましたが、

やっぱり、手が出なくて諦めて出てきました。

だって、日本の二倍近い値段。

なぁ〜んだ、がっかり・・・・・・。

すぐそこのロビーのベンチに座り、靴と靴下を脱いで、むくみすぎて痛くて仕方がない足をセルフマッサージしました。

ふくらはぎから、足の指、足の裏、足首。

パンパンになっているふくらはぎを、丁寧にもみほぐしながら、ああ、わたしの肉体かわいそうだなぁ、と思いました。

足をマッサージしてあげながら、「ありがとう、わたしの体、ありがとう、わたしの足」と、自分の肉体への愛しさがこみあげてきました。

こんなふうに、労わってあげることがほとんどなくて、ただただ、働かせて、動かせしていて、かわいそうだったなぁ。わたしの肉体。

肉体があっての、人間としてのわたしがあるので、この肉体もきちんと愛してあげなければ、と改めて思いました。

なんだか、じーんとして、涙ぐみながら、自分の足と向き合っていました。



その場所は、こぢんまりとした小さなスペースになっていて、そこにはグランドピアノ(電子)が置いてありました、

一人の男性が、突然、何の迷いもなくまっすぐにピアノに向かってやってきて、椅子に座って、おもむろにピアノを弾き始めました。

最初は、鍵盤を押しても音が出なくて、あちこち、スイッチを探していたのですが、みつからなくて断念して、音は出ないけれど、指と足だけで弾いていました。

音は出ていないのだけれど、その彼は相当上手なんだな、というのが、その動きから見て取れました。

わたしは、足のマッサージをしながら、ちらちらと覗き見をしていました。



その男性は、諦めかけて、鍵盤から体を反らして横向きに座った時、拍子にどこかのスイッチに触ったらしく、立ち上がって向こうに行こうとして手をかけた鍵盤から、突然音が出ました。

わあ!と驚きと喜びの表情を見せた男性は、また、鍵盤に向き合うように座り直し、今度こそはと、弾き始めました。

その彼(日本語が聞こえたので日本人ですね)、なんと、ものすごい上手なのです。

きっと、プロの方だと思います。

最初は、控えめに小さな音で、そして、だんだん、熱が入ってくると大きな音になっていきました。


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実を言うと、わたしはピアノの奏でる音がとーーっても大好きなのです。

自宅でのリラックスタイムはいつもピアノの音楽を聞いています。

ですので、この、偶然のサプライズギフトに、とっても胸が熱くなりました。

しかも、その男性は、わたしの好きなしっとり系の曲を情緒的に優しく演奏してくれました。

もう、心がとろけましたね〜。

ああ、ありがたい、なんて、素敵な時間を与えられたんだろう。

神様の粋な計らいに、わたしは、胸がいっぱいでした。



質素なわたしには高すぎて手が出なかったマッサージに、とてもがっかりしていた、疲れ切ったわたしに、

この、素晴らしいプレゼントは、まさに偶然とは言えないタイミング。

今回のこの旅が、わたしにとって善きものとなる暗示だと感じました。

本当に、感謝です。

ありがたい。








posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:04| Comment(3) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

ミャンマーへ行ってきます


明日3/30〜4/20 まで、ミャンマーにボランティアに行ってまいります。


ヨーガマスターのトレーニングをしているときに、一緒に修行していました仲間のミャンマー人のかたから、お招きいただきました。

彼は、ミャンマーで小学校をやっていて、その2ヶ月間のサマーキャンプ(ミャンマーはいま夏だそうです)の、特別講師として、招待してくださいました。、

なんて、素敵なご縁なんでしょう。

ありがたいです。

子供たちに、ヨガを教えたり、日本の歌を教えたり、ダンスを教えたり、折り紙とか、大きな栗の木の下でとか、日本語とか、日本料理とか、日本文化とか、いろいろやらせてくれるみたいです。

わたしのできることで、なんでも、自由にしていいよ、と言われています。

とってもとっても、楽しそう!! やったー!!

人生の経験は、本当に宝物ですね。

ボランティアですから、もちろん、なんの金銭的な収入にはなりませんが、

この、経験という宝物は、どんなものよりも尊いです。

与えてくださった、友人、関係者、神様、宇宙のサポート、留守の間を助けてくださる日本のかたがた、理解のある家族、すべてにすべてに、すべてに感謝しています。

ありがとうございます。

ミャンマーでの滞在の情報がなんにもないので、本当に、行ってみないと何もわかりませんので、

インターネットができるかどうかわかりませんが、

チャンスがありましたら、あちらからアップしますね。



ヒーリング、高次元ワークにつきましては、遠隔で行うものは受付しておりますので、事務局へメールをくださいませ。



いま、夜19:40.

家を出発するのは、翌早朝3:00です!

あと、7時間しかないですが、まったく、なんの荷作りも、留守中のお家の準備も、

なにもしていない〜〜〜〜〜〜、ので、今夜は寝れないですね〜(笑)

また、アップするかもしれませんね(笑)

それでは!

皆様、また、現地からもアップしまーす!





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする