2023年09月09日

インドでのレイキとサイババとの出会いと不思議体験

≪インドでのレイキとサイババとの出会いと不思議体験(長文ですけど面白いと思う)≫

むかーし昔のお話です。

その頃、私はインドで一人でバックパッカーをしてた。

当時は日本人がもらえるインドのビザが6か月だったのだけれど、それをフルに使ってピンとくるままに、放浪の旅をしてた。

本当に、いろいろな土地に行って、気に入らない土地はすぐに去り、気に入った土地では気が済むまで滞在して、
世界中のいろんな人と出会い、交流し、そしてまた別れては、新たなる旅人たちと出会って・・・という素晴らしい経験をしていた。

もちろん、インドだから(!)100%の確率で予想通りにはいかず、計画をして旅をしていると100%、キャンセルになるので、ノープランを基本に天に任せて導かれるままに旅をしていた。

これまでの人生で20回以上インドに訪れているけれど、あれは、多分4回目か5回目のインドだったと思う。

当時から私は瞑想をして、ヨガの先生もしていたから、あちこちのインドの聖者のアシュラムや、瞑想センターなどをはしごしながら旅をしていた。

プネーのアシュラムを後にして、ムンバイに向かう途中にあるロナワラという小さな町にある、ヨーガ病院・研究所に滞在していた時のこと。

久々に日本人の若い女性に会った。

彼女は、そのヨーガ病院でヨーガセラピーのトレーニングコースを受けていたようで、数か月滞在している、と話していた。

実は私も、そのヨーガ病院のつながりのヨーガセラピーのトレーニングを日本で終えて資格を持っていたので、それもあって、ここを訪れたのだ、と話したら、とても意気投合して滞在中、毎日のように夜になるとともに過ごしてヨーガについて話を咲かせていた。
(ここでの出来事もかなり面白いので、またいつか機会があれば文字にしようと思う。今回はテーマが違うのでスキップする)

そして私が、ヒーリングエネルギーを自己流で使っていること、それを使って友達をヒーリングしていて皆、効果があると言ってくれていること、自分自身にも使っていること、などを話したら、あるインド人のヒーリングの先生を紹介してくれた。

私は、数週間、そのヨーガ病院で学んだあとに、さっそく、紹介してもらったその先生のところに行くことにした。

記憶が定かではないのだけれど、恐らく、その若い女性(名前は忘れてしまった)が、その先生の連絡先を調べて教えてくれたのだったのだと思う。

当時はまだスマホもないし、インターネットもまだほとんどなかったから、その先生に電話をして、行ってもいいかどうか、どの土地なのか、どの駅で降りるのか、など聞いてから向かったのだったと思う。

その先生が住んでいた土地は、そのヨーガ病院からかなり南に下った、ニルギリの山の中だった。

確か、1週間か10日かけて、いくつも山を越えて、村を通り過ぎて、電車でそこまでたどり着いたのだと記憶している。

途中で、マイソールや、あといくつかの土地で泊まって、少しずつ近づいていった記憶がある。

今思い出しても面白かったのは、電車がトンネルを通るたびに、車両い乗ってるすべてのインド人たちが「ヒューーーーーーー!!」と盛り上がって座りながら踊りだして宴会みたいになることだった。

基本的にインド人は明るくてお祭り好きで、トンネルの中で真っ暗になるだけで(当時の電車には、昼間は電気は点灯していなかったから本当に真っ暗になる)大はしゃぎで、私も一緒になって「ひゃっほーーーー!」と楽しんだ。
(この道中もとても面白いのでいつかまた機会があれば書こうかな)

なんとか、ニルギリの山に到着すると、駅のホームに先生が迎えに来てくれていた。

その時、先生のところに数日お世話になった。

先生はレイキヒーリングを提供していて、まず私をヒーリングしてくれた。

そして、ちょうど、ムンバイの人たちが、先生の家の近くのホテルに泊まってリトリートをしているとのことで、そのリトリートのワークにも参加させていただいた。

ここでも、本当にいろんな興味深いことがあったのだけれど、ものすごくショートカットして、話を先に進めることにする。

私が、自己流でヒーリングエネルギーを使っていること、そして、レイキヒーリングを伝授してもらいたいことを伝えると、先生は「サイババのアシュラムに行ってきなさい」と私にアドバイスした。

当時の私は、ドロドロの闇の中にいて、自分がどうやって生きていくのが真実なのか、それを模索していた時期だった。

寂しくて、孤独で、そして、いろんなことに絶望して、怒りも大きくて、どうしてもサポートしてくれる師匠が欲しかった。

私は、先生が勧めるままに、サイババのアシュラムへと向かった。

アシュラムはそこから2〜3日くらいかけて到着した。(すべて地元の路線バスやボロボロの電車など、一番安い交通手段で、の話)

最初は4日間だけの滞在のつもりだった。

6人だったか8人だったかの部屋のドミトリーで、ギシギシいうウルサイベッドと、体中が痒くなるマット(時々、大きなダニがお腹を這う)だけの簡素な汚い部屋で、いろんな国の人と一緒に寝泊まりした。

朝4時くらいからのチャンティングのお祈りから一日が始まり、毎日2回のダルシャン、チャンティング、瞑想、プラサード、ただそれだけをする日々だった。

初めてダルシャンホールに入って、ものすごい数の人々と一緒にチャンティングを大合唱していたら、感動で涙が出た。

サイババが現れて、この目で生で見たら、なんだかわけのわからない涙が滝のように流れて、意味が分からないまま、滝がずっと止まらなかった。(私はそれまで、サイババのことについて知らなかったし、信者だったわけでもない)

何かとても真実なるものに触れた感動があって、私はもっと長く滞在したくなって、延長延長を繰り返して、結局その時は3週間くらい滞在したのだと思う。(のちに何度も行くことになる)

当時はサイババがまだ生きて元気でいたので、毎回のダルシャンに現れていたから、ものすごい人数の人たちがダルシャンホールを埋め尽くしていた。

だから、始まる2時間くらい前から、ホールの外に並んでいないと、中に入れないこともあるほどだった。

滞在3日目くらいに、ダルシャンが始まるずいぶん早くから列に並んでいたから、ホールに入って座ったところが、奇跡的にも前から3列目の場所だった。

ダルシャンが始まると、サイババがゆっくりと歩いて入ってきて、私の目の前を通り過ぎる時、子供たち(子供は優先的に最前列)の頭に手をかざして、くるくる、と手を揺らすと、手のひらからキラキラと光る灰が出て、子供たちの頭に降り注がれた。
私の周りに座る人たちが、「ビブーティ!ビブーティ!」と言っていたので、「ああ、あれがそうか!」と気が付いた。

報道などでは嘘だとかインチキだとか手品だとか言われていたけれど、目の間で間近で見たビブーティは、本当に種も仕掛けもなくて、手のひらから自然とブワッと出てきていた。

ああ、本物だ!と感じた。
(話が止まらなくなるので、本題に向けて、このへんで切り上げる。またいつか機会があったら文字にしよう)

そして、サイババのアシュラムに行き、素晴らしい体験をして、3週間が経った頃(その後、何度も行くことになる)

「お勧めの通りにサイババのアシュラムにいます。3週間、修行したのでそろそろ行ってもいいでしょうか?」

とレイキの先生に電話をした。

そこから、また、電車で2〜3日くらいかけて先生のところまで戻ると、

「本当にサイババのところに行ってきたのか!そして、本当にまた戻ってきたのか!お前、本気だったんだな!」

ととても驚いていた。

その先生を見て私は初めて、

「ああ、ひょっとして冷やかしだと思われて、追い返されたのか。サイババのところに行くとも思ってなかったし、また戻ってくるとも思ってなかったんだな」

と気が付いたのだった。

追い払われたことに気づかなかった私も純粋だったけれど、とにかく、私の本気度が試されて、合格したんだな、と思った。

さてさて、さらにかなりカットして・・・・・・

先生の家の近くのゲストハウスに泊まり、毎日通う生活をして、かなり長い間、学んでいた。(大幅カットします)

レイキサードの伝授が終わると、世界がまったく違うものに見えた。

目玉が根こそぎ入れ替わったみたいな感覚になって、先生のところからゲストハウスに帰る道中も、同じ道を歩いてきたにも関わらず、まったく違うものが見えていた。

それはそれは、ものすごい大変化で、身体も目玉も心も、花が咲いていて、軽くて、光と喜びに満ちていた。本当に驚いた。

すべての学びが終了し、私はそろそろビザが切れてしまう時期が近づいていた。

私は、日本には帰りたくなかった。というか、二度と帰るもんか!くらいの気持ちでいたので、オーストラリアにいるある知り合いのヨーガティーチャーがお仕事をさせてくれると言ってくれていたので、インドが終わったらオーストラリアに行こうと考えていた。

それを、先生に話したら、

「お前は日本に生まれた意味があるんだ。お前の故郷の富士山に帰りなさい!オーストラリアに行ってなんになる!お前はとても素晴らしいヒーラーなんだから、日本に帰ってたくさんの人に伝授して、たくさんのヒーラーを作りなさい!日本で待っている人がたくさんいるから!」

と言われて、私はとても悩んだ。

その言葉で、私は考える時間を与えられた。なぜ、日本が嫌なのか、なぜ、帰るもんか!と思っていたのか。

最終的には「わかった、そうする」となったのだけれど、その前に、インドのビザが切れるギリギリまで、インドを旅する!と宣言して、先生のもとをあとにした。
(それにまつわることも、長くなるのでまたいつか文字にしよう、しつこいですが)

まずは、もう一度、サイババアシュラムへとんぼ返り。

それほど、そのアシュラムでの経験は素晴らしいものだった。
アシュラムでは、伝授されて間もない、まだ練習期間のレイキを、同室の人たちに練習させてもらった。

ある日、ダルシャンルームに座っていると、隣のインド人のふくよかな女性の膝が、どうしても私に呼び掛けている感じがして、どうしても手を当てたくなって、こらえてこらえて、でもその衝動が抑えられず、

「あの、あなたの膝を触っていいですか?」と唐突に聞いてみた。

その女性も、なんの驚きも拒絶もなく、首をゆらゆらと揺らして(インド人のイエスのジェスチャー)いたので、彼女の膝に手を置いておそらく10分くらいはキープしていたと思う。

そして、もういいや、と思って手を離したら、その女性が

「ありがとう。膝が痛くて痛くて仕方がなかったけれど、あなたが手を置いたら痛くなくなったわ。それはレイキでしょう?師匠はだれ?」

と、ニコニコしていて、ああ、だから私はこの人の膝に手を置きたくて仕方なかったのか、と驚いた。

また別のある日には、

ダルシャンの最中に、ものすごく集中してチャンティングをして、深く深くお祈りをしてたら、自分自身の手首から金粉が出て、とても驚いた。

そんなようなエピソードがたくさん、たくさんあった。けれどカット。

その後私は、北へ北へと向かった。

ヨーガの聖地と呼ばれるリシケシへ。

リシケシはすでに行ったことのある土地だったから、滞在するヨーガアシュラムもあそこ!と目星をつけていたし、街の感じもわかっていた。

当時はまだ、今のようにアホみたいにヨーガスタジオが密集していず、お店も少なく、観光客も少なく、本当に「聖地」という感じがしていた。(今はビジネスアシュラムや偽物ティーチャーばかりの観光地になっていまったので、行かない)

私は毎日アシュラムでヨーガと瞑想をして、ガンジス川で現地のインド人たちと火を囲んでお祈りをする日々を過ごしていた。

ある日、調べ物をするために、その当時、街に数軒しかなかったインターネット屋さんに行った。

前にも言ったけれど、スマホもない時代で、インターネットも進んでいない時代だったし、インターネット屋さんが運よくみつかっても、日本語に対応しているところはほとんどなかったから、探すのが一苦労だった。

時間をかけて、町中を一軒一軒まわって調べて、日本語対応のコンピューターがあるインターネット屋さんを一軒だけみつけて、コンピューターの前に座ると、隣に座っている男性も日本人ぽかったので、声をかけてみた。

するとその若い男性は、私の挨拶にウンウン、とうなずくだけで何も言わない。

なんか変だな?と思って「インドどのくらいいるんですか?」とか「どこに滞在しているんですか?」とか、旅人特有のフレンドリーさでさらに話しかけてみると、どうやら、その男性は声が出ないようだった。

口をパクパクするのだけれど、声が呼吸音くらいしか出ない。

あまり詳細に覚えていないけれど、それでもなんとか会話をつないで、私はとても彼に興味を持って、じゃあ、お茶のみに行こう、ということになった。
(旅人は安全そうな出会いは、とても大事にするし、特に一人旅の旅人は、出会った人と一緒にお茶やご飯はよくあることだ。)

お茶(屋台のチャイ屋)しながら、なんとか彼の言いたいことを、繰り返し聞いて確認したりしながら、意味を理解した。

別れた彼女との出来事が、とても苦しい痛ましいもので、そのショックから、声が出なくなったとのこと。(プライバシーのため詳細はカット)

そして、もう、半年くらい声が出なくて、仕事にもならず、病院に行ってもよくならないし、セラピーを受けても良くならないから、インドで瞑想をしたらよくなるのかもしれない、と思い立ってインドにやってきたのだそう。

そんなこともあるんだ!と私は驚いた。

そして、「よかったら、レイキさせてもらえませんか?私は伝授を受けたばかりなので今、練習中なんです」と提案してみたら、彼も興味を持って承諾してくれた。

よくよく聞いたら、同じアシュラムに泊まっているとのこと。

なので、毎日ある瞑想の時間に、瞑想ホールでレイキをしましょう、ということになった。

彼にレイキをさせてもらう最初の日。

手を当てる、またはかざすと、彼の身体がゆらゆらとくねくねと揺れた。

そして、全身を整えるヒーリングをしたあとに、額に手をかざすと、その手を避けるように彼は身体をさらに大きくダイナミックにくねらせた。

逃げてしまう額を私の手が追いかけて、またかざすと、さらに反対方向に逃げた。

そして、彼の身体が全身ヘビになったかのように、クネクネと大きく動くのだった。

私は興味深くそれを見つめながらヒーリングをして、でも、私の目にはエネルギーの流れが見えていたから、悪いことだと感じなかったので、中断せずに続けた。

終わったあとに、彼に身体が動いていたことを伝えたら、まったく知らない、とのこと。

あんなにダイナミックに寝返りをうつみたいにして身体が動いていたのに気づいていなかったなんて!しかも、寝ているわけでもなかったというのに!。

数日間、毎日、レイキをさせてもらっていたけれど、そのヘビのようなクネクネは毎日続いて、日がたつごとに、ダイナミックな動きが少しずつ小さくなっていった。

これはなんなんだろう、と不思議に思って(不安は無かった。良いエネルギーの流れは見えていたから)、先生に電話をして聞いてみた。

「お前はなんだって最初からそんな重症な人に会ってしまうんだ。彼は重すぎるからやめなさい。お前自身がもたなくなってしまう」と言われた。

「でも、ここまできてやめます、ってできない。気になるし、レイキが効いているのは見えます」と伝えると、

「お前の役目を見せられているんだな。お前はとてもパワフルだからな。まあ、気を付けてがんばりなさい。自分を浄化して自分を高めておくことを忘れないように。重たい人にやられないように、常に自分への浄化とヒーリングを心がけて高めておくことを忘れないでな!」と。

自分自身のヒーリングエネルギーに確信を持った経験のひとつでした。

さて、長くなりましたが、
インドだけでなく、日本でも、いろんな国でも、私がレイキ、または、他にも私が使っている各種エネルギーワークをさせていただくことで、いろんな不思議な体験をこれまでたくさんしました。

本当に、数えきれないし、不思議体験が日常になっているので、いちいち覚えていないのですが、それは、嘘でもでっちあげでもなくて、私のこの身で体験したミラクルばかりです。

9月10月に、日本でレイキ伝授講習をします。(私はグランドマスターです)

そんなミラクルをあなたも体験する、とは保証できないのですが、
少なくとも、そんな数えきれないミラクル体験をしている私が、あなたに伝授させていただきます。

私は誰かれ構わずビジネスでさっさと済ます、というタイプではないので、すでにご縁があるかたにだけ、心を込めて寄り添いながら伝授させていただきたいです。(対面、オンラインでお会いしたことあるかた、メルマガで繋がっているかた)

リクエストがあったときにだけ、伝授講習を開催していますので、次回はいつになるのか未定です。

興味がある方は、このチャンスをご活用ください。詳細は下記にあります。

こんなふうに、体験を書くのが結構楽しかったので、またいつか、数えきれないほどの不思議体験を書いてみようかな、と思いました。

この機会をありがとう。読んでくれてありがとう。

画像は、当時の若かりし頃のわたし。

***************

🌳レイキ伝授講習 山梨県
9/27水曜 ファースト
10/4水曜、10/15日曜 セカンド
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/443641787.html

🦋若者サポート!
33歳以下のかたへ、おまかせなすがままセッション料金割り引き
https://beyond3.jimdofree.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3-%E5%AF%BE%E9%9D%A2%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/

《今後のスケジュール》

<オンラインにて ↓>

🌳オンラインMovement Medicine Elemental Dance「ダンスセレモニー/魂への21ゲート セカンドシーズン」いよいよ9月からセカンドシーズンスタート!
ほぼ毎週月曜20:00
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/495117189.html

音楽のテイストを聞いてみたい人はこちら
https://www.mixcloud.com/YukiLakshminarayani/uplifting-48min-dj-yuki-movement-medicine-elemental-dance/

🌳オンライン ヒーリングシヴァナンダヨーガ
毎週水曜20:00
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/479645501.html

<日本にて対面で ↓>

🌳レイキ伝授講習 山梨県
9/27水曜 ファースト
10/4水曜、10/15日曜 セカンド
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/443641787.html

🌳9/24日曜
長野県 野外イベントの一部にてMovement Medicine
時間はまだ未定

🌳10/1日曜
山梨県 山中湖
チャリティー企画 メディスン+バイブレーション瞑想会
*アマゾンの森を守るためと、そして、その森を守るためだけに生きる原住民をサポートするための寄付になります
**新宿バスタから直通高速バスがあります
https://fb.me/e/1czF2TfrP

🌳10/15日曜 夕方
山梨県 甲斐市
新月 願いを叶える瞑想+ドリームキャッチャー作り
詳細はこれから

**********

上記のオンラインイベントのご案内は、まとめてこちらのページに記載してあります。

https://beyond3.jimdofree.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:54| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月20日

インドのグルとサイババとの出会い


≪インドのグルとサイババとの出会い≫


昨日、レイキ伝授させていただきました。

私はレイキ以外の高次元ワークやシャーマニックワークも全部ミックスして、プロフェッショナルセッションとしては、いつもなすがまま提供しているので、

このレイキ伝授講習では、できるだけレイキだけにフォーカスしてチャンネルを開いてはいるのですが、

でも私は天然のコネクターなので、意図していなくても、その人の準備が出来てるものを、降ろして繋いでしまう、ということが自然と起こります。

なのでいつも「サプライズオマケ付き」な感じです。

昨日も、受講生に降りてきたいろいろを繋げて、彼女の背中にパワフルなサポーターがつきました。


彼女のこれからがなんと楽しみなのだろう!

私のレイキは、インドのグルから伝授していただいたもので、

グルもかなり自由度の高い人だったので、彼の持つ叡智も一緒に混ぜて伝授してくれて、

そして私も、オリジナリティが高いタイプなので、私のこれまでの長い経験の叡智もエッセンスとして伝授しています。

私はレイキに出会う前から、独自のヒーリングエネルギーに目覚めていて、

自分なりにヒーリングを人に与えていました。



そして、あれは多分、5回目くらいのインドのとき(これまで20回くらいは行ってる)、バックパッカーでふらふら無期限の旅をしていた頃、

ヨーガ病院&研究センターに滞在して学びを深めていたときのこと、

ふとしたご縁でとあるかたからそのグルを紹介されて、そのときいた土地から2日かけて訪ねていったというのに、

突然、訪ねていった私はグルから、

「サイババのアシュラムに行ってしばらく修行してこい」と言われれて、

あの頃、若くて情熱的でネバギバ精神だったわたしは、

負けるもんか!と、グルの土地からまた2日くらいかけてサイババアシュラムまでいって、

サイババに会ってそのすごい波動に感動して号泣して、

手からビブーティ(灰)が出てくるのを至近距離で見て感動して号泣して、

ダルシャンでチャンティングしていたら、自分の腕から金粉が出てきて感動して号泣して、

サハスラーラがパカーンと開いて、物凄い体験をして、

毎日、至福で涙を流して瞑想して、3週間ほどアシュラムに滞在して、

さあ、もうそろそろいいんじゃない?と、またグルのところに2日かけて戻ったら

「お前、本当にサイババアシュラム行ったのか!そして戻ってきたのか!まさか行くとは思わなかったし、戻ってくるとも思わなかった」

と言われて、初めて、ああ、あの時私は追い返されたのか、と気づいて、

自分の真っ直ぐさに苦笑いした。

そしてやっと、「こいつ、本気だな、ガッツあるな」と、私を認めてくれたグルが、時間だけはたくさんあった旅人の私に、みっちり数週間かけてレイキ伝授をしてくれたのだった。



ファースト、セカンド、くらいまでは、さほどスゴいとは感じなかったけど、

サードAを受けた瞬間から、目玉が入れ変わったようだった。

儀式が終わって目を開いた瞬間から、見える世界が急にまったく別のものになったのを覚えている。

私が、「旅を続けたい。日本には絶対に帰りたくない、これからひとまず、オーストラリアに行って働いて、その後も世界を旅するつもりだ」と言ったら、グルは即座に

「いや、お前は日本に帰れ。たくさんの人がお前を待ってるから。たくさんのヒーラーを作れ。お前は良い伝授者になる。日本に帰ってやるべきことをやれ。故郷の富士山に帰って、ヒーラーとして日本に貢献しろ」
と真剣に強く説得されたことを思い出します。

いやあ、懐かしき若かりし頃。

その後も、サイババとの交流はしばらく続きました。

そのお話はまたいつか。

画像は、レモンジンジャーハニーティー。

インドが恋しくて最近たまに作っては飲んでいる。(知ってる人は知ってるよね)

そして、バガバットギータと聖地のインドの菩提樹。

インドがとてもとても恋しい。

けれど、ドイツで共にいる愛する人々と、FBなどで繋がる日本の愛する人々とのご縁は、本当に幸せで感謝ばかりです。

すべてのご縁に生かされて、活かされています。

ありがとう。


インドのグルとサイババとの出会い.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:00| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月27日

自然界のスピリットと繋ぐコネクター


自然界のスピリットと繋ぐコネクター.jpg


《自然界のスピリットと繋ぐコネクター》


星野道夫さんのことを考えていた。

熊に自分の皮膚を、肉を、内臓を、骨を、

引きちぎられている感覚を想像してみた。

私はイマジネーションに優れているので(霊媒体質・トランス体質)

その人のエネルギーを自分に纏って、アリアリと感じることができる。

普段はお仕事での個人セッションの中で、必要があるときしか意図的にトランスしないのだけれど

今日は、想像していたら、ソファーで知らずにトランスしてしまって、

夫に「大丈夫か?Are you ok?」と、顔をのぞき込まれた。





熊の神聖さをリスペクトし、

熊に愛と感心を注ぎ、

熊に全幅の信頼と深い理解を持ち、

そして、

熊に地肉を捧げ、

地球の命の循環のサイクルの一部となった星野さん。

文献によると、熊に身体を咥えられ、森へと運ばれていく彼は、泣いていたという。

それは、悲しみと痛みと裏切りと無念への涙だったかもしれないけれど、

でも、あれだけ、

純粋に自然を愛し、

動物のピュアさと繋がり、

スピリットを尊重し、

地球からのメッセージを受け取り、

そして熊を信じていた彼だったから、

ネガティブな意味だけではない、他の意味を含んだ最後の涙であったのかもしれない。

私が2020年にアマゾンを訪れたとき、

原住民の部族の顔にペインティングをした男性が、深い森の中に悠々とそびえる巨大な聖なる木を指差して言った。

「すべてのシャーマンは、肉体が死んだ後は、この神聖なる木に還る」

星野さんは、インディアンのシャーマニズムに深くリスペクトをしていたから、

彼のたましいも同じ様に、

きっと、文字通り、地球の一部へと還っていき、

たましいは、常に、森や氷河や熊とともに在るのだろう。(星野さんが「たましい」と平仮名で表現するのが好きだ)

トランスして私が感じたこと・見たことは、

こんなところにひょっこりと書くものではないし、

自分のエゴを育てても仕方ないので、

私のハートの宝箱にしまっておこうと思う。





私は星野道夫さんの感性が文字で表現する、言葉と、息遣いと、間合いと、静寂が好きだ。

文章の中に広がる広大な空間や、

文字と文字との隙間隙間に、

自然界のスピリットの気配をシンシンと感じる。

まるで

ただ、読んでいるだけで、

知らず知らずに、自然界のスピリットと繋がってしまうようだ。

彼はそのように意図しているわけではなかっただろうし、

読んでるほうも、それを期待しているわけではないだろうけれど、

彼の感性から美しく紡ぎ出される響きのよい言葉たちを、丁寧に読み進めて、想像の旅をしているだけで、

いつの間にか、自然界のスピリットと繋がっている。



これなんだ。

私が本当の意味で、私の人生を使って、したいことは。

私が自分の活動を通して目指しているのは、ここなんだ、と共感する。

私は、自分がしているすべての活動に

「内なる地球と外なる地球とのコネクション」

のエネルギーを込めている。

そして、私は「コネクター・繋ぎ人」である素質を持っているので、

関わるかたへ、自然界のスピリットとの繋がりを無意識にシェアしている。

ヨーガでも、

Movement Medicine でも、

シャーマニックヒーリングセッションでも、

また、

私の書く文章にも、

踊っているエネルギーにも、

瞑想しているエネルギーにも、

祈りの旅をしているときにも。

いつの間にか、

知らず知らずに、

意図していなくとも、

気づかないうちに、

出会って、ご縁のある人々はそのとき必要な分だけ受け取っていく。

星野さんの文章を読んでいると、私はとても共鳴する。

彼は、淡々と、彼の美しい冒険や、アラスカの大自然での生活のエッセイを書いているのだけれど、

そこには、彼の「コネクター」としての叡智が大きく働いている。

誰かや、何かを批判するでもなく、

こうするべき、こうあるべき、と誰かや、社会に、自分の正義を押しつけようとするでもないというのに、

彼を感じる(文章を読む)だけで、

人々に、自然界のスピリットと繋げるサポートをしている。

私は「コネクター」として無理矢理、私の力で誰かをこじ開けるような事はしない。

ご縁で出会う人々や、

私の声の宇宙波動が響く人々や、

私の体が創り出すムーブメントからのエネルギーや、

私の文章から醸し出される内なる静寂など、

に共鳴する人々に、

ただそっと

「鍵」を渡しているのだろう。

そのドアは、私が開いてあげるのではなく、

それぞれ自らの手で開くからこそ、人生の意味が深まると感じる。

私は「鍵」を渡し、ドアの居場所のヒントを与え、開け方のコツも囁き、あとはそれぞれの人のたましいを信頼して見守る。

このお役目は、私のハートからの喜びであるから、

私自身がいつでも、そのための準備が出来ている状態でいるように、

常に、目を開いていよう、と努める。

森や植物や野生動物の純粋性に、自分の波動がいつでも近づいたものであるように、

人間サイドのわたしの埃を、日々、お掃除していこう。

きりなく出てくる埃だから、常に、意識しなければ。

今のこの狂った世の中にいても、

ただただ、自分の中のPure self と、地球の純粋性・宇宙の愛と、

繋がっていよう。



ありがとう。星野さん。

なんだか、彼が同志のように感じられ、そして、地球の同じ担当部署の先輩のように親しみを感じる。(おこがましいです)

深い敬意とともに。
合掌





≪オンラインクラススケジュール≫

◎Movement Medicine オンライン
リサーチコース「背骨・中心から開く」
3回コース 
10/8金, 9土, 10日 
19:30〜22:00日本時間 12:30〜15:00ドイツ時間
MMリサーチコースの詳細はこちらのページをご覧ください。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/482976352.html



◎ヨーガ・瞑想

🍀9/29水曜20:00日本時間 13:00ドイツ時間 
オンライン・シヴァナンダヨーガ

🍀10月毎週?月曜 21:00
静けさと繋がる座る瞑想&マスク外して呼吸法・いろいろ週替わりで・オンライン

🍀10月毎週?水曜 20:00
シヴァナンダヨーガ・オンライン

★ヨーガクラスは2時間・瞑想クラスは1時間です。

シヴァナンダヨーガの詳細はこちらをご覧ください。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/479645501.html



≪おまかせ・なすがままシャーマニックヒーリング個人セッションご予約(オンライン)≫

グループクラスよりももっと深めたいかた、今!重要なとき!と感じるかた、
より開かれたいかた、お悩みのトピックがあるかたへ、ピンと来てる方へ。
大変ご好評をいただいております。
シャーマニックヒーリング、創造療法(アートセラピー)、スピリチュアルカウンセリング、浄霊、カルマサポート、エネルギー調整、などなどなすがまま。
私自身、セッションをさせていただくことが本当に大好きなので、喜びのままにワークをさせていただきます。
これまで、私のエネルギーワーク・ヒーリング伝授講習をお受けになった方の、スーパービジョンに、そして、これまで、私から能力開発ワークをお受けになった方の、もろもろの調整にも、どうぞご活用ください。
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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:47| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月29日

日本で迎えた誕生日2021


誕生日の機能6/28。

毎日予定がギッシリの私のスケジュール帳の、この日の枠だけは真っ白にしてありました。

日本で誕生日を迎えるのはとても久しぶりで、軽く10年ぶりくらいになるかも。

今回も、最初の予定では誕生日はドイツで夫と過ごす予定だったけれど、フライト欠航で日本滞在が延長になり、誕生日も日本にいる流れとなりました。

さらに、この日に予定していたイベントも、日程が変更となり、宇宙は完全に何かを意図しているな、と私は気づいていました。



そして、起こることはすべて必然で、宇宙のこの完璧なまでに粋な計らいに、私はニヤニヤしてしまうのでした。

いまの変容のために、学ぶこと、癒されるもの、手放すもの、そういった、私の魂レベルで必要な環境が、過不足なく与えられている。

スゴいなあ、生きるって!



空白の誕生日に何をするのか、当日の朝まで何も決めないようにしていました。何をしたいのか、私の魂と、宇宙の意図は、私にどんな風にレアな日本での誕生日を過ごさせるのか、当日までのお楽しみにしてありました。

大好きな富士山に行こうかな、龍の住処を登山しようかな、湖畔でドラム叩いて過ごそうかな、巨大なクリスタルのスーパー銭湯でノンビリ読書しようかな、見晴らしのよい温泉で絶景を見ようかな、公園でヨガやダンスをしようかな、候補はいっぱい!

でも、何もプランを立てずに、完全にフリーにして当日までいました。



そして、朝。

瞑想のあと、突然、「母に感謝をしよう」と思いました。



私が生まれた日は、母の受難であり、母にとっても大きな変化の日。

母がいなければ、私はここに存在しない。

母への感謝を行動しよう。

海外に住む私は、誕生日に母に会うことは、きっとこの先もう二度とないかもしれない。

そして、2018年の始めから、脳腫瘍という病気にゆっくりと蝕まれ苦しむ母に、この先、ドイツからあと何回会えるかもわからない。

こうして宇宙が、私を日本に留めたのにも意味があり、誕生日を母と過ごすことも宇宙の意図の一つだと感じました。

私は自分の肉体が生まれたところ(母)とともに、自分の誕生を祝う機会を与えられました。

母とは本当にスピリチュアルなご縁が強く、私は母の人生のカルマや魂の学びや、インナーチャイルドやハイアーセルフなどもわかっているし、それが私の人生に与えている影響もある程度わかっているので、大きな気持ちで母を、そして母との関係性を見守っています。

山梨にいるときは、毎日、母のお世話をしているので、母と会うことは特別なことではないのですが、

ライトワーカーとして生まれた私の最初の使命は「母を幸せにする」でしたから、私の命の原点に戻る、という特別な意図の元に、直感が私を動かしました。



昼。

ヨガの生徒さんの経営している、甲府駅近くのお蕎麦屋さんへ。

母を連れてランチにでかけ、久々の遠出に母も喜んでいた様子。



帰宅後。

往復50分のドライブは、母にはかなりしんどかったらしく、イスに座ってグッタリとしている母に、唐突に私は

「お母さん、誕生させてくれてありがとう」

と頭を下げたら、母は急にピシッと背筋を伸ばして

「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう」

と母も膝に手を置いて頭を下げました。

母と私の繋がりがしっかりと見えました。



私は生まれる前の記憶があり、母を選んでやってきたのを覚えています。

母の子宮に降りる前の私のテーマと興味は「愛」でした。

母との関係性を通して、深い学びと、自己理解の機会を与えられています。



夕方。

ひとりで、私のお気に入りの隠れ家温泉にいき、誰もいなくて貸し切りの露天風呂で、母のことを想って涙を流しました。

この涙は、悲しいのでも苦しいのでもなく、ただただ、魂が癒された涙でしたので、流れるがままに任せました。

地球の体液である温泉に包まれながら、私の魂と、母の魂の癒しを、同時に感じていました。

私は、自分と母を感じながら、昔、失った息子のことを思い出していました。

母になるって・・・親子を築くって・・・自分がもし誰かの母親だったなら・・・。

私にもし子供がいたのなら、私みたいな子供がいて欲しかったな、と傲慢でなく、心から思いました。

そう、心から思っている自分に気づいて、息子を失ったトラウマや、母との関係性の中での長い長いプロセスが、癒されているのを感じました。

新しいステージへと向かう、変容が始まっていると感じました。



生きるというのは、地球に存在する「生と死」の循環を喜びのままに体現するということ。

いま私は、この命をただただ祝福している。

そして、この先の未来の地球へ、この祝福を繋いでいきたい。

溢れる涙は、愛と喜びの涙に変わり、流れ続けて、地球からの体液と交わり溶け合いました。

今回の日本では、最初から最後まで、日本のスピリットから、本当にたくさんの大きなギフトをいただいています。

母との関係性からの学びも、魂レベルでの理解がとても深まりました。



夜。

友人が、オンラインで私の星読みをしてくれました。

私に起こっていること、学んでいること、気づいていること、抜け出すべきこと、腹をくくること、やっぱりねーのこと、星から読んでくれました。

見えた、見えた!

とってもよく見えた!

私のこれからの未来が、楽しみすぎて仕方ない。

いま経験しているすべてに、感謝感謝ばかりで、感謝すればするほど、さらに流れ込んできて、また受け取って、

どうしようもなく、感謝と愛、ばかりの今の経験が、私の未来創っていくのです。合掌



誕生日の日。

日本に生まれたことに、ありがとう。

心から、この奇跡に感謝しています。

そして、ご縁の繋がるすべての人々へ、ありがとう。

人は無意識的に支え合って生きている。

あなたがいるから、私は魂の学びに気づき、成長をさせてもらっています。

すべてのご縁に心から感謝しています。

すべてはあるべくして起こり、そして、あるべくして起こらない。

人生を信頼すること。

愛だけを見つけること。

私は歓迎されてここに存在しているということ。

命は循環し、それが当然であり自然なのだということ。

その終わりある命を、どう生きるか。

どうせ朽ちるなら、愛の姿で朽ちたい。

残りの日本、あと2日。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:38| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月03日

ブログを部分的にお引越しています。


≪ お知らせ ≫


ブログを部分的にお引越ししています。

クラスやセッションなどのお仕事のお知らせなどは、引き続きこちらのブログでお知らせしていきますが、

詩やエッセイやシェアしたいことなど、創作活動に関するものは、お引越しをします。



書きためているエッセイや短編小説や詩をもっと外に出していこうと思っているのです。

noteという創作専門コミュニティーで。



そこで表現したいワタシの世界は、スピリチュアルに偏りすぎない「愛はふと気づくもの」。

誰かになにかを訴えるのではなく、
何かを変えようと偉そうなことを言うのではなく、
または、
ファンタジーやオカルトで現実逃避したことではなく、

何気ない日常にある素敵な瞬間・・・ハートのどこかがなんだか響いてるぞ、というような瞬間を切り抜いて(まるで俳句や短歌のように)、

地球上の生き物の中で、人間だけが感じることができるのであろう、繊細で微妙でせつなくて温かい、「感性」という純粋性に触れ、

人間という「社会的な動物」の持つ情熱と冷静の美しさ・・・を、表現していきたいです。

なぜなら私は、人間それぞれの人生を感じるのがとても好きだから。

始めたばかりですが、どうぞnoteフォローしてください。


https://note.com/earthtraveler


あなたのフォローが創作意欲の助けになります。

よろしくお願いいたします。

ユキ


≪おまけ・つぶやき≫

私は子供のころから物語や詩を書くのが好きで、15年くらいまえには、物書きになりたいなぁ、とおぼろげに夢見ていまして、小説を書いたり、エッセイを書いたり、詩を書いたりしていました。

そんな私でしたが、2011年くらいから、大きなスピリチュアル変容があって、少しずつ、物書きから遠ざかっていきました。

この、流行りウイルスのロックダウンで、「本当に私が喜びとしているものは」という自分への問いかけを繰り返し、瞑想をしてきました。

数か月前、ふと気が向いて、昔々やっていたmixiを開いて、15年位前の若かりし日の自分が書いていた、エッセイや小説を読んでみて、

その当時の自分の純粋さと、文章の表現の鮮やかさに感嘆し、なんてかわいい女性なんだろう!と、

今よりも若く儚く不安定だけれども純粋に生きていた当時の自分に、まるで恋したような、盛り上がった気分になりました。

あの頃からわたしは、だいぶ人間的にもスピリチュアルティにもシャーマン的にも成長して、たくさんの知識と経験が増え、15年前に比べるとすべてにおいて完熟してきてはいますが、

それと引き換えに、当時の純粋な感性や、透明感のある繊細さ・・・という生まれ持っての感受性を表現する技術を、今の私は見失ってしまっているような感じがして驚きました。

昔は持っていたその宝物は、きっと今でも持ち続けているに違いないし、

繋がっているチャンネルが違うだけで、ただ見えなくなっているだけだと思うのです。

その、「私の本来の魅力の一つ」である叡智に、またチャンネルを繋げなおすため、

またエッセイや小説や詩を書き始めることを思いつきました。

私が文字で織りなす世界が、あなたという人間の中の「自然Nature/Pure self」と繋がる、日常のよいインスピレーションとなりますように。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:52| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月26日

(エッセイ)羨ましなと思う人



《つぶやきエッセイ・羨ましいなと思う人》



久々に、日本の図書館に行った。

貸出カードの有効期限が切れてしまっていて、ちょっと困ったけれど

なんとかカード延長することに成功した(イエス!)。

私は子供の頃から本の虜で、小学校では4,5,6年生の時、3年連続、学校全体で図書館利用ナンバーワンの賞をいただいた。

それほど、毎日毎日、読んでいた。

飽きもせず、登下校で歩きながら読んでいたし、時には、ランチを食べるのを忘れるほど、読んでいた。

そして、ここ10年以上、スピリチュアル・心理学・自己啓発・仏教学・ヨガ・シャーマニズム、などの本ばかりを読んでいたので、

なんだか先月から、そういう類の圧力ではなくて、ただ無性に、心地の良い小説・純文学をサラサラと読みたくなって、

それが、いまの私にはどうしようもなく必要だと感じていたので、

今回の日本帰国の、いくつかあった理由の一つとして、一緒に飛行機に乗ってやってきたのだった。

日本語の小説を読むのは、とても久しぶりだ。

徐々に、または、みるみると「あの頃」の自分に戻っていくのが感じられて、

とても好ましい気持ちになり、お風呂の中で夢中になって本を読んでいる。





わたしは、羨ましいなぁ・・・と思うタイプの人々がいる。

それは、甘え上手な人。

どうやったら、そんなにたくさんのかたから、サポートしてもらえるのだろう、そのコツを伝授してほしい、と心から思ってしまう。

私は、とても強い人だと思われるらしい。

だから、きっと、ユキさんなら1人で大丈夫、と思われているのかもしれない。

ああ、でも、私一人では無理なことばかりだというのに、でも、手伝ってくれる人はいないので、だから一人でやるしかない、それだけなのに。

そして、失敗したり、損をしたりして、呆然としたまま痛いハートに絆創膏を貼るのだけれど、

でもきっと、端から見るとわたしは「成功者」と嫉妬されているのかもしれない。

失敗だらけの自分、それをコツコツと許し続けているだけなのに。

たまに、

本当に自分一人ではできないけれど、ぜひ実現させたい夢があったりすると、勇気をだして誰かにサポートをお願いしたりもするのだけれど、

でも、そんなときでも

「ユキさん、1人でやったらいいよ」と言われてしまう。

そして、ガーン。そして、やはり1人なのか、と。

助けは、得られないのか、と。ガーン(って表現、今の日本でもする?)。

そういう経験は、一度や二度じゃなく、三度や四度でもない。

ふむ。どうやったら、

助けて〜!と言ったら、ドヤドヤといろんな人たちが、どうしたどうした、と集まって来てくるタイプの人になれるのだろうか。

そんな薬があったら、欲しいくらいだ。

あ、でも、薬は飲まない主義なので、ハーブでお願いしたい。

行いは返ってくる・・・というのは、とても基本の方式だ。

わたしは、他人をサポートしていないのか?と自分を省みてみると、

いやいや、かなり強力なサポーターとして、たくさんたくさんの人に、ガッチリ、親身になっているではないか。

では、なにが返ってきているのか?





どちらかというと、人々は勝手に思い込みで「わたし」という人間を勘違いして、誤解して、

私はその誤解を解く機会さえも与えられずにプイッと放り出され、

理不尽に、ただハートを痛めていることも少なくはない、ように見える。

ひどく繊細なのに、でも、ものすごく芯が強いから、

関わる人々がたくさんの闇や影を、私に投影することを刺激してしまって、

人々は自分と向き合わざるをえなくなって、苦しくなってしまうのかな。

でも、それって、ある意味、魂のお役目だから仕方がないのか。

とはいえ、なんだか、フェアじゃないなあ、と少しガッカリしたりするのだけれど、

でも、私は最初から最後まで、その人のすべてを許してしまう、という魂のお役目も知っている。

誰かが去れば、誰かがやってきて、

そんな風に、うまくサイクルが循環しているのも知っている。





15年前に書いていた、当時のブログや小説や詩なんかを、本当にきっと15年ぶりくらいに読んでみると、

当時の自分が、今の自分と全く違って、

というか、当時の自分は、今の私が「羨ましいなぁ」と感じてる部類の人で、

この、目の前で、目に見える事実に気づき、

ちょっと、じっとしていられなくて、足をバタバタしてしまうくらいビックリした。

私、変わった!変わりすぎ!

日本滞在では、この15年の自分の時間を、ゆっくりと埋めていくかのように、時間を過ごしたい・・・

そう思っていたのだけれど、やっぱり、忙しい日々になってしまった、日本での私の時間。

愛する人たちと会うのは、本当に心地よい。

そして、サポート・応援したい人たちに寄り添って話を聞かせていただくことも、本当に美しい。

だから、そんな素敵な時間たちで、スケジュール帳が(未だに手帳を使っている。やはり紙が好きだ)いっぱいになってしまったのは、まったくストレスにはならないのだ。

でも、

ドイツに戻る前に、

来週から短い旅に出ようと思っている。

自分と、自分の感性と、二人っきりになるために。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:55| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月30日

「内なる自然」と繋がる大切さを伝えたい



わたしの「真実からあふれ出る声」を聴いてください。



わたしは、クラスの中で、指導を通してメッセージを伝えています。

それは、一見異なって見えるクラスの中で、共通しているメッセージです。

私にとっては、ヨーガアーサナでも、踊る瞑想・ムーブメントメディスンでも、座る瞑想でも、舞踏のダンスパフォーマンスでも、創造療法セッションでも、すべて同じことをしています。

それは

「内なる自然と繋がる」ということです。



その「内なる自然」というのは、名前がなく、目で見える形で存在していないので、わたしはいろいろな呼び方で呼んでいますし、そして、世間でのスピリチュアルな世界でも、いろいろな名前で呼ばれています。

例えば、内なる静寂、無、アートマン、グレートミステリー、ピュアセルフ、Unbroken、小宇宙、インナーブッダ、自分の中心、大いなる自己・・・・などなど、

みなその分野のそれぞれにしっくりくる名前で呼んでいますが、でもそれはそれぞれ違うものではなく、ある一つの「それ」についてを指しています。

わたしも、それぞれのクラスの中で呼び方を変えたりすることがありますが・・・・例えばヨーガの時はアートマン、と呼んだり、ヒーリングセッションの時は小宇宙と呼んだり、座る瞑想の時は内なる静寂と呼んだり、ムーブメントメディスンの時は中心・who I am と呼んだり、

聞く側・説明する側がわかりやすいように、呼んでいますが、でも実際には、それはある一つの「それ」についてを指しています。



身体を使って、またはエネルギーや意識を使ってするワークの中で、わたしが一番伝えたいことは、

「それ」と繋がるにはどうするのか、そして、「それ」と繋がることによってなにが体と心とスピリットにもたらされるのか、ということです。

それが、私たちが快適で安心して幸せを感じながらこの地球に暮らしていく、根本の礎となると信じているのです。



思い返せば、2007年ころからずっと、わたしはその研究をしています。

2007年当時は、わたしがフランスの会社のリゾートホテルでヨーガティーチャーとして働いていた時期でした。

そのリゾートホテルでは、毎日、朝と夕方に、海に面した大自然の中でヨーガを教えていました。

自然から学ぶことがたくさんあり、肉体が「自然」に還っていくことが、どれだけ大切か・・・・ということを、身をもって体験しました。

ここから、私のこのリサーチが始まったと感じています。



ありがたいことに、これまで

「私のクラスはなんだか違う、うまく説明できないけれどなんだか普通と違って、とても良い」

というお声を、これまでの長い指導経験(ヨーガ・ダンス瞑想・座る瞑想・ダンスエクササイズ)の中でたくさんたくさんいただきました。

それは、「言葉にできないあの感覚=自分の中の「それ」と繋がる」という経験をしてくださったからなのだと感じています。

それは、言葉(マインド)の範疇を超えているので、言葉にすることができないのです。

そして、それは私がクラスを提供する中で望んでいることで、それを伝えることに心から喜びを感じています。

私は実際には「指導している・教えている」とは思っているのではなく、「経験をシェアしている」と感じています。

培った感性と経験からの智慧を、ご縁のある方々におすそ分けしているような気持ちでいます。

シェアすること・オファーすること・・・・私が持っている経験を分け与えることは、私にとって本当に喜びであり、生きていくパワーに繋がります。

参加してくださる方がいてくださることで、私はシェアすることができますので、ご縁があって私と繋がってくださる方に、本当に心から心から感謝していますし、

その感謝をグループクラスの中やプライベートセッションの中で、表現させていただいております。



「内なる自然」(いろいろな呼び方がありますが、このページではこの名前で統一しますね)と繋がる経験を通して、

デスクに座って仕事をしているのが自分ではなく・・・、コンピューターやスマホをみつめているのが自分ではなく・・・・、生活のことを考えている、いろいろなプランを立てているのが自分ではなく・・・・、

実際には、「わたし」は、地球の上に立って、地球の上で森や川や海や動物などの自然と共に生きているのだ、という大きな視野と繋がります。

その感覚を持ちながら自分自身を感じ、そして、この肉体と呼吸と心臓と血液のムーブメントを通して命を感じることで、

自分自身の生きている意味、そして、自分が何者なのかWho I amに繋がります。

すると、気持ちが安らぎ、心が安全を取り戻して、自分の中には平和が訪れます。

私たち、ひとりひとりは、世界の一部です。

世界は、わたしたちひとりひとりが構成しています。

ですので、わたしたちひとりひとりが、この「内なる自然」と繋がりなおし、どんなに大変な状況でも「平和」と繋がることができると信じることで、

世界で起こる戦争や争いは、減っていくのだと感じています。



そして、その「内なる自然」と繋がるためには、まずは、それを邪魔しているものから遠ざかる必要があります。

邪魔しているのは「マインド」そして、自分で自分を制約している「やらなければならないこと」、そして、自分で自分に信じ込ませている「自分は愛されていない」という思い、などなど。

それらの罠から自分を救出していくことが大事です。

そのために、ヨーガやムーブメントメディスンなどの身体を使ったテクニックを使って、自分自身の「いま・ここ・わたし」に戻ってくる必要があるのです。



ヨーガのポーズでは、しっかり根を張って、そして、天に向かってしっかりと伸び上がらないと、きちんと決まらないポーズがたくさんあります。

ですので、ポーズの練習をしていると、知らずに「木や植物の生命力」を自分自身で培っていることになります。

それが、「本来の自分」に近づくので、だからヨーガはこれほどまでに世界中で長い間、流行っているのだと思っています。

わたしは、ヨーガのポーズを、見た目の良し悪しや、ポーズの完成度で指導しません。

そのポーズをしているその体が、そのポーズからどんなエネルギーを感じて受け取っているのか、を感じていただきますので、形や柔軟性は二の次です。

私自身がヨーガのアーサナをしているときは「木や植物の生命力」と同じエネルギーをはっきりと感じます。

大地と天の間に、堂々と生きる生命力を感じます。

その経験を、クラスの中ではシェアしています。



同じように、ムーブメントメディスンでも、ダンスを習うのではなく、自分の中から沸き起こるエネルギーを動きにしていきます。

そこには、地球の要素と同じ、5つのエレメント(地・水・火・風・空)が存在します。

自分は水であり、火であり、風であり、大地である・・・・ということを、頭(マインド)を超えたところで受け取り、理解するからこそ、体の動きが生まれてきます。

そのとき、あなたは、「内なる自然」と繋がっています、だからこそ、説明できない心地よさを覚えるのでしょう。

そして、ツリーオブライフ、という素晴らしい瞑想法で踊ることで、

私たち地球の上に住むすべての命が持つ、本来のエネルギーに立ち戻ることができます。

木も花も動物も昆虫も鉱物たちも、すべて天と地の恩恵を受け、大地に支えられ、天に向かって開かれていきます。

それは、地球上に住むすべての命がそうなのですから、同じ地球上に住みながらにして、人間だけが、違うものなのだ、とは私は思いません。

人間だけが特別ではないのです。

人間も、ほかの生物たちと同じように、地球に住む家族であり、大地に支えられ、天に向かって開かれて生きているのです。

それが、自然な生き方なのです。

その自然から遠ざかり、不自然に生きていくから、体と心にアンバランスが生まれてくるのです。




ヨーガでもムーブメントメディスンでも、わたしが伝えたいことは「内なる自然」と繋がることなのです。

それが、結果的にもろもろの改善や解放に繋がっていくのです。



個人的なことを話しますと、いま、実はわたしは、自分自身を豊かにする、充電の時期に入っていると感じています。

自分の人生・生活を通して、「内なる自然とつながる」ということを、ポジティブとネガティブと様々な感情を持つ自分を通して、日々、研究しながら過ごしています。

わたしには、たくさんの経験があり、そして、シェアしたいこと・分け与えたいことがたくさんあります。

ご縁のある方々に、これからも、よりシェアし続けて行けれるように、いま、充電期間に自分自身をみつめています。

今も昔も、わたしの望み・夢は「世界の平安」であって、

そこに向かって、私がこの命と経験と人生を使って、どう現わして行けれるのか・・・・この溢れる愛をどう使って行けれるのか・・・・

そんなことを熟考しながら、自分と共に過ごしています。



私はかなり(よい意味で)頑固なので、自分が「よい」と思ったことしか人にはお勧めしません。

だから、人から聞いて「あれ良さそうだってよ〜」みたいに、信ぴょう性も信頼もない形で、人に伝えたりしません。

そして、テレビや動画からの情報や、誰か知らない人が書いた本の情報を、簡単に鵜呑みにはしません。

いったん、自分の中に落としいれて、そして、自分自身が納得し、腑に落ちて、共鳴すること・人・ものしか、人にお勧めしません。

それを前提に・・・

わたしは、わたしのクラスを自信をもってお勧めします。

そこには、私だからこその良さがあり、それは、自分の経験をもってシェアしたいことだけをシェアしているので、

だからこそ、自分自身を信頼しています。

誰かよりも優れているとか、秀でているとか・・・そういうわけではなくて、皆それぞれ良さがあり役割があるように、私は私の良さがあり役割があって、それを真摯に貫いています。

もちろん、わたしは完璧ではありませんし、たくさん間違ったり、判断を誤ったり、知らずに人を傷つけてしまったり、勝手に自分が傷ついて相手を悪者したり、たくさんの間違いを犯します。

でも、自分を許します。

わたしは完璧を目指していません。

でも、その時々のベストを目指します。

起こってしまったすべての間違いや過ちは、とはいえ、その時々のベストであり、後からジャッジしたとしても、それ以上でもそれ以下でもない、だから、わたしは、自分自身の過ちを赦すことで前に進むことを選択します。

そして、自分自身と向き合うことや、自分の夢を形にしていくこと(無から有を作る)や、きちんと言葉にして伝えていくこと、人と人との理解を深めていくことで自分自身の理解を深めていくこと、そして、自分の人生をもっての「人間とはなんだ?」というリサーチ・研究を続けて、

その経験をさらに積んでいき、これからも、この先も、自分の提供するものを自信をもって世間にお勧めしていきたいと思っています。

ご縁のあるすべての命たちへ、心を込めて。
To all my Relations.

合掌  ユキ



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:00| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月29日

母のブーツの思い出


ちょっとプライベートなわたしについてのことを。

母への想い。


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このブーツは、母が20代のころに買ったもの。

だから、50年以上前に買ったブーツ。

当時、若くて美しかった母は、本革のブーツを買うのが夢だったようで、お金をコツコツためてやっと手に入れたのだそう。

年を取って、もう履かなくなっても、長い間、きちんと箱に入れて大事にしまってありました。

わたしがお年頃になったときに、母はそのブーツを私にくれました。

「とても気に入っているし、思い出がたくさんあるから後ろ髪ひかれるのだけれど、でも、もうこの年で履くこともないだろうし、箱の中にしまっておくのももったいないから、ユキ、使ってくれる?若いあなたが使ったほうが、とても似合うと思うから」

わたしは、母の想いを引き継ぎました。

それから、25年という長いあいだ。

母の想いを知っているわたしも、これまでもったいなくてあまり頻繁に履くことができず、たまにしか使っていなかったのだけれど、

随所随所で、わたしが若かりし頃、このブーツを履いていた思い出がよみがえります。

その時々の自分がふっと思い出されて、人生を思い返して微笑みました・・・デートして幸せだったとか、絶望のふちで真冬のイギリスをさ迷い歩いていたとか・・・・今は、すべて、微笑ましい経験・・・。

そして、昨日、外出するときに久々に履いてみると、古くてもろくなっていたのでしょうね、皮とジッパーの部分が破れていました。

なんだか、母を思って、とてもかわいそうになりました。

昨日は、破れたまま履いて外出すると決め、今回がこの靴の最後のお仕事・・・と決めて、母の若かったころ・・・このブーツを履いていたころの母を思いながら過ごしました。

もう少し、飾っておいて、気持ちが落ち着いたら感謝とともに処分しよう、と決めています。

気が変わったら、仕立て屋さんに直してもらうかもしれないな。



そして、いま、

母との波乱万丈の人生を思い出しています。

母が彼女の夫と別れて新しい人生を歩む決断をしたとき、母は41歳でした。

その後、私が父から去り、その選択から勘当され父を失って、母との新しい人生を歩む決断をしたとき、私は13歳でした。

それからずっと、母と共に、想像を絶する苦難と貧困を乗り越えてきました。

秀才だった私だったけれど、大学生になるなんて遙か遠くの夢で、年齢をごまかして15歳から働いて家計を助けていました。
(今思えば、学校というロボット製造システムで、私の独特な感性を潰されずにすんで良かったと思う。)

いま、人生の最終地点へと差し掛かっているのであろう、母へ。

あの壮絶な人生を・・・そして、この猛烈で特殊な娘とともに・・・よく頑張ったと、心から賞賛を送りたいです。



4月下旬から5月中旬まで一時帰国します。
期間中、山梨・東京・静岡・関西で活動予定です。

日本、愛してます。

ハートが開いて愛がダダ漏れで仕方ないの。


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:03| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

「わたしとムーブメントメディスンとの出会い」




「ムーブメントメディスンとの出会い」




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わたしは、その頃、

これまでの生きかたと、すっかり変えた生きかたをする時期にいた。

そして、そのためには、私の持つすべての要素と素質を活かして表現することのできる「なにか」を持つことが必要だと、とても強く感じていたし、その「なにか」がもうすぐやってくるであろうと、気づいていた。

それまでの私は、以前とてもお世話になって、わたしを刺激し育ててくれた、インドの「師」から、様々な理由とタイミングののちに離れてから4年以上が経っていた。

インドの師匠に対しては、ずっと永遠に尊敬と感謝は持ち続けているが、その師から直接学ぶ段階はもう過ぎたのだと感じて、それ以降は、新たに「師」を持つ機会がなかった。

というのも、私自身がヨーガの師匠という立場となったことから、「自分の内なる光が師であり、わたしは自分の内なる光の弟子である」と感じていたし、それは真実だ。

そして、様々な痛みを伴う出来事があって、これまでの生き方と、まったく違う生き方をする人生の転機がきて、それからしばらくは、わたしは、これまで積み上げて培ってきたものを、どんどん崩壊させ、手放していった。

すべては、直感と内なるガイドと共に、物理的にも、精神的にも、道徳的なことでさえ、どんどん、崩して、手放していった。

そして、ついにわたしは予感していた「師」と出会った。

ムーブメントメディスンそのもの・・・その存在・・・それをわたしが実践すること・・・そこから繋がるすべての結びつきと気づき・・・ムーブメントメディスンに関わるすべてがわたしの「師」である。

ムーブメントメディスンのテクニックは、わたしの「内なる師」をさらに磨いてくれるサポーターであり、そして、そのムーブメントメディスンを育て豊かにしてくれ、そしてそれを私に伝授してくださった創始者であるヤコブとスザナは、深く信頼する「外なる師」であり、

「内なる師」と「外なる師」がどちらも否定しあうことなく、どちらも尊重しながら同時に、どちらからもガイダンスを得ることができるムーブメントメディスンの存在に、心から感謝している。



ムーブメントメディスンと出会ったのは、日本でわたしのオリジナルで提供していた動く瞑想のクラスに参加してくださったある一人の生徒さんから、お勧めされたことがきっかけだった。

「ユキさん、きっと好きですよ。シャーマニズムが根底にあるから、きっと、ユキさんならなにか感じると思う」

というその彼の言葉が、わたしの直感の芽を刺激した。

さっそくすぐに一度、日本でのクラスに参加してみた、そのクラスの中で、

わたしは、自分が「ムーブメントメディスンをガイドする人になるんだ」と内なるガイドからのメッセージを受け取り、そして、初体験のときから「プロトレーニングを受ける」と決めた。

そこから、ムーブメントメディスンについて調べたところ、プロトレーニングを受けるまでの必要条件がたくさんあり、道のりが、ものすごく長く、そして、ものすごい莫大な費用がかかることを知り、その高すぎる敷居に大ショックを受けて、いったんは諦めかけたが、

いや、しかし、わたしの直感は間違いがなく、何度、自分のハートに問いただしてみても、やはり「わたしはムーブメントメディスンを与える人なのだ」ということでしか、腑に落ちる答えが現れず、

本当に、暗闇の崖から、着の身着のまま飛び降りるような気持ちで、エイヤ!と飛び込んだのだ。




その時期は、わたしの人生の本当にターニングポイントであり、

それまでのインドやアジア各国での長い奉仕と修行の時期をひと段落して、ヨーロッパとご縁がちょうどつながったところで、

ヨーロッパと日本を行ったり来たりしている頃だったことから、イギリスに何度も通わなければいけないプロトレーニングは、わたしにとってはとても良いタイミングのように見えた。

そして、ヨーロッパでムーブメントメディスンや、それに似たコンシャスダンスのクラスをたくさん受けて、自分自身のプラクティスを深めていった。

初めて、インテンシブワークショップ(集中ワークショップ)を受けたのは、ドイツのフランクフルトだった。

ムーブメントメディスンの素晴らしいティーチャー、キャロラインとベンの二人でのリードのとても濃いワークショップだった。

どんな内容か、あまりよく調べずにわたしは直感のままに飛び込んだのだが、本当に、わたしの人生にとって大きな癒しが必要なポイントにフォーカスしたワークだった。

それは、女性性と男性性のバランス・・・そこから繋がるインナーチャイルドと両親との関係性の癒しだった。

その時の、爆発的な癒しと覚醒は、今でも忘れられない。

身体から、ムーブメントから、こんなにも衝撃的な気づきと、目覚めが起こるのか・・・・!! 

なんという素晴らしいヒーリングなんだ・・・・!!

私自身が、祖先から受け継ぐシャーマニックな素質があるため、その方向へのエネルギーにとても敏感であることから、魂レベルでの癒しと覚醒が、ワークショップを通してどんどん進んでいった。

わたしは、天から引き寄せられたムーブメントメディスンに完全に心を開き、いっさいの疑惑が消え去って、さらに「これを人々に分け与える人になるんだ」という確信が深まった。

私自身の人生でこれまで培ったすべての要素・素質(ヨーガ思想・哲学・スピリチュアリティ、座る瞑想・動く瞑想、シャーマニズム、ゲシュタルト、アートセラピー・創造療法、心理学、カウンセリングスキル、陰陽師、ダンスインストラクター、フィットネストレーナー)を、このムーブメントメディスンを通して丸ごと活用できるということも感動的だった。

求めていたのは、これだ!!

すべてが、ピタリ!と、はまっていた。


***************

≪お知らせ!≫

ムーブメントメディスンの創始者・ヤコブ&スザナが日本でワークショップを開催します。
これは、本当に、「よい」という言葉を超えて素晴らしいので、みなさんにお勧めしたい!
詳細は、FBページからのコピーを下記に張り付けます。

わたしは、浜松と熊谷のワークショップにいますので、一緒に踊りましょう!
まだ、お申込み、間に合いますよ!!

***


ムーブメント・メディスン創始者ヤコブ&スザナ・ダーリングカンによる初のジャパン・ツアー
“For All Our Relations”


お待たせしました!

身体から自然に生まれるムーブメント(動き)がメディスン(薬・癒し)となるダンス、「ムーブメント・メディスン」の創始者2人が、満を持して来日します!!

自由に踊ることの喜び・動く瞑想の深み・シャーマニズムの精神が組み合わされたムーブメント・メディスン。
それは踊ることで癒され、自分が何者かを知り、自分だけのユニークなギフトを世界に与えて行くためのメソッドです。

国境や人種を超えて、あらゆる人の中に息づくダンサーを目覚めさせ、人々の変容を促す活動を世界規模で行なっている創始者・ダーリングカン夫妻。

30年かけて培ってきた、彼らのワークの結晶となるジャパンツアーでは9月に11日間に渡って、対談、ワークショップ、個人セッションを行います。

ダンスの経験がない方も、自分にはリズム感がない、と感じている方も大歓迎です。

皆さんと、この貴重な機会をご一緒出来ますことを、心から楽しみにしています。

ムーブメント・メディスン ジャパンツアー2019事務局


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各イベントの詳細とお申し込みは、各スケジュールの下の〈お申し込み〉リンクにてご確認の上、お申し込みください。お申込み後、すぐに自動返信メールが届きます。届かない場合は、お手数ですが、mmjapan.tour2019@gmail.com までご一報ください。


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⭐️ツアースケジュール⭐️

@ 9月12日(木)対談@東京
 *この大転換の時代を生きる、あなたへのメッセージ*
A 9月13日(金)東京オープンクラス
 *創始者お二人による贅沢な2時間半。まずは体験され
たいあなたへ*
B 9月14日〜16日 女性限定ワークショップ@群馬
 *女性のための身体、心、魂へのメディスンを受け取る
3日間*
C 9月14日〜16日 ワークショップ@静岡
 *生命を愛する人に向けた、インナーシャーマンへの
ジャーニー*
D 9月17日(火)大阪オープンクラス
 *ヤコブによる、初の関西クラス*
E 9月18日/19日 個人セッション@東京
 *あなたの魂が必要とするメディスンを受け取る
セッション*
F 9月20日〜23日 ワークショップ@埼玉
 *過去の傷を癒し、あなたが何者であるかを知る、
フェニックスとトランスフォームする4日間*



⭐️ムーブメント・メディスンとは⭐️

身体から生まれる自由な動きを通して、自分と世界と出会い、繋がる。それがムーブメント・メディスンです。あなたの人生を、この世界にたった一つしかないアートワークとして生きるために、身体・心・意識を一つにし、そこに宿る叡智を目覚めさせます。2007年、イギリス人夫妻スザナ&ヤコブ・ダーリングカンによって誕生しました。
芸術性・科学性・セラピー・シャーマニズムの特性を融合させた、現代を生きる人間のメディスン(薬・癒し)となるダンスです。
https://movement-medicine-japan.com (日本語)
https://www.schoolofmovementmedicine.com/ (イギリス本校・English)



⭐️ツアースケジュールの詳細⭐️


@ 9月12日(木)対談
〜ヤコブ&スザナ、そして「よく生きる研究所」主宰・榎本英剛氏によるスペシャル・トーク〜
会場:日比谷コンベンションホール(大ホール)
住所 : 東京都千代田区日比谷公園1-4
時間:19:00~21:00
料金 : 4,500円(前売り)/ 5,000円(当日)
<お申し込み>https://www.kokuchpro.com/event/c656603d3c9c6df8d39fa6c42058b7ae/
<イベントページ>
https://www.facebook.com/events/2329098207209711/?ti=icl

A 9月13日(金)東京オープンクラス
「Move! ムーブ!」
(Teacher:ヤコブ&スザナ)
会場:ファースト・プレイス東京
住所 : 東京都荒川区東日暮里5-50-5 ラングウッドビル地下2階
時間:18:30~21:00(予定)
料金 : 5,000円(前売り)/ 5,500円(当日)
<お申し込み>
https://www.kokuchpro.com/event/ac71e5b87117a6b99e3fe1bca04727ce/


B 9月14日〜16日 女性限定ワークショップ
「Re-Claim リクレイム(取り戻す)」
(Teacher:スザナ)
会場:にいはるこども園体育館
住所:群馬県利根郡みなかみ町須川774-1
宿泊 : 太陽館 http://www.taiyoukan.com
時間:14日午後スタート/ 16日17時終了予定
料金:55,000円
✳︎料金には宿泊費・食費が含まれます
<お申し込み>
https://www.kokuchpro.com/event/4f176241ef287ba88e4c235a9caee123/


C 9月14日〜16日 ワークショップ
「Re-Source リソース(源との繋がりを強める)」
(Teacher:ヤコブ)
会場:方広寺 http://www.houkouji.or.jp
住所:静岡県浜松市北区引佐町奥山1577−1
宿泊 : 同会場
時間:14日午後スタート/ 16日17時終了予定
料金:55,000円
✳︎料金には宿泊費・食費が含まれます
<お申し込み>
https://www.kokuchpro.com/event/e44de895de314e8ff370503d12e5a7cf/


D 9月17日(火)大阪オープンクラス
「Move! ムーブ!」
(Teacher:ヤコブ)
会場:大阪府羽衣青少年センター体育館
住所 : 大阪府高石市羽衣公園丁1
時間:18:15~20:30
料金 : 5,000円(前売り)/ 5,500円(当日)
<お申し込み>
https://www.kokuchpro.com/event/8d345fd4c16d0bf873a574ceedfd8f6b/
<イベントページ>
https://www.facebook.com/events/495933547821264/?ti=icl

E 9月18日/19日 ヤコブ・スザナによる個人セッション
Shamanic Personal Sessions in 東京
会場:健康古民家かのう
住所:文京区千石 3-28-5
時間:1)12:00〜13:30, 2)14:30〜16:00,3)17:00〜18:30
料金:55,000円(通訳なし50,000円)
<お申し込み>
https://www.kokuchpro.com/event/a94d79dc0996b91de3a060aba7f26e22/


F 9月20日〜23日 インテンシブ・ワークショップ
「Phoenix Rising フェニックス ライジング(立ち上がるフェニックス)」
(Teacher:ヤコブ&スザナ)
会場:ときの湯温泉 ホテル・ヘリテイジ https://www.hotel-heritage.co.jp/
住所 : 埼玉県熊谷市小江川228 
宿泊 : 同会場
時間:20日午後スタート/ 23日16時終了予定
料金:70,000円
✳︎料金には宿泊費・食費が含まれます
<お申し込み>
https://www.kokuchpro.com/event/5437a169c20d8f5c38b525a05f0dc7b9/



⚫︎全てのワークショップ、クラスで日本語通訳有。
⚫︎全て人数限定のワークとなります。定員になり次第締め切りとなりますので、お早目のお申し込みをお勧めします。
⚫︎上記の理由で、講演会・オープンクラスの当日券はご用意できない場合もございます。
⚫︎E個人セッションとFワークショップ@埼玉では、
最低一度のムーブメント・メディスン(またはコンシャス・ダンス)の経験が必要です。
⚫︎上記のワークショップに参加するとSchool of Movement Medicine が開催するプログラムの必要条件としてカウントされます。


お問い合わせは下記のアドレスにお願いします。
mmjapan.tour2019@gmail.com




⭐️ワークショップの内容⭐️

🌕 9月14日〜16日「Re-sourceリソース(源との繋がりを強める)」
(Teacher:ヤコブ)

〜シャーマンでありムーブメント・メディスンの共同創始者ヤコブ・ダーリンカンによる、生命を愛する(大切にする)人に向けたムーブメント・メディスン“インナーシャーマン”のジャーニー〜

内容:
人間である、ということがなんと素晴らしく、なんとチャレンジな時代なのでしょう!
私たちの未来と次世代の未来は、現代社会で人間が送る再生可能ではない生き方がもたらす脅威の中にあります。しかし同時に、その脅威に直面しようと目覚め立ち上がる人々のグローバルな動きもあります。

このワークショップは、変化のために行動している全ての人のためのものです。この人生にベストを尽くしながらも、燃え尽きてしまわないためには、資源を持っている=リソースされている必要があります。「インナーシャーマン(内なるシャーマン)」とは、私たち誰もの内に存在する古からある原型です。人類が受け継いだ遺産である、このインナーシャーマンというエネルギーは、自然の潜在的な力とも強く繋がっています。
自然の力は、受け取って与える相互性の法則そのものです。私たちの生命が、健やかにそしてダイナミックにバランスを保つことを、自然の力は教えてくれます。自然の力と共に生きてきた先住民にとって、明瞭に考えるとは、深く聴く、ということです。ムーブメント・メディスンを通して、私たちも深く耳を傾けていきます。

このワークショップは、人生という旅を生きる、あなたの身体と心そして魂のための場です。安心・安全な環境の中でお互いの活動を尊重し合いながら、この世界を大切にしていることからこそ生まれる抑圧や痛みの荷をおろし、解放します。このジャーニーの中で行う儀式によって、回復力を高め、生命のもたらすギフトを受け取ります。そして、あなたがなぜ生きているのかを知ることで、この世界にあなたが与えるギフトは何であるのか、再確認していきます。


このワークショップでは:
*あなた自身をリソースします(資源を与えます)
*あなたのインナーシャーマン(内なるシャーマン)とつながります
*全ての領域で作用している相互性(受け取り、与える循環)を体感します
*身体性の保ち方や、回復力を高めるための優れたツールを学びます


🌕9月14日〜16日「Re-Claim リクレイム(取り戻す)」
女性限定ワークショップ(Teacher:スザナ)

〜スザナ・ダーリングカンと踊る、女性のための身体、心、魂へのメディスンを受け取る3日間〜

内容:
このワークショップは、自分を解放しながら内に宿る力や官能性とつながり、ほかの誰でもない、あなた自身であることの喜びを取り戻すための場です。
自分の真の境界線をより深く感じ、外部の基準に合わせて作りあげたコンフォート・ゾーン(慣れ親しんだ行動領域)に安全なやり方で挑み、そこから抜け出す方法を学んでいきます。
そうすることで、自分にとっての真実、自由、そして人生における魂の目的を探求していきます。また、自分を見失うことなく他者と協調し、
クリアにコミュニケーションを取るためのシンプルなテクニックも学びます。

私たちの多くは女性として「目立つこと」や「自信を持つこと」について、負の教えを受け継いで来ています。これらの教えは無意識のレベルで、私たちの行動に制限を与えている場合があります。
ワークショップ「リクレイム(取り戻す)」では、スザナの注意深く経験豊かなガイドを通して、それらの教え(メッセージ)を見つけ、解きほぐしていくワークを行います。それによって自分の潜在能力を解き放ち、女性として、自主性(自律性)・美しさ・力を持った自分として生きる方向へ、踏み出すことができるようになるのです。


このワークショップは、こんなあなたの為のものです:
*女性である自分をエンパワーしたい
*本当の自立を生きたい
*自分の真の境界線を強めたい
*生命を喜び祝福したい
*人生で、もっと与えて受け取りたい
*共感力と深いレベルでのコミュニケーションを学びたい
*あなたの魂の青写真から生きたいと思っている



🌕9月20日〜23日「Phoenix Rising フェニックス ライジング(立ち上がるフェニックス)」
(Teacher:ヤコブ&スザナ)

〜ヤコブ&スザナ・ダーリングカンによる
ムーブメントメディスンのシャーマニック ジャーニー〜

内容:
ムーブメント・メディスンの創始者スザナ&ヤコブ ・ダーリングカン2人による、パワフル且つ変革を促すワークショプへようこそ!
「フェニックス・ライジング」では、4日間という濃厚な時間を共に過ごしながら、火を囲むような強いつながりの中でお互いのストーリーをシェアし、自分自身に向けて、つながっているものたちに向けて、そして私たちが属するより大きな世界に向けて、祈りを体現し、踊ります。

このワークショップは、こんなあなたの為のものです:
*責任のなすり合いにウンザリしている
*過去の傷を癒したい
*本当の自分は誰なのかを発見したい
*自分の生まれてきた魂の青写真を生きたい

過去の傷は、あなたにしか生きられない創造的な人生を送る為の強力なメディスンとなる可能性を持っています。しかし、それは生きている意味を損なう強い毒にもなりかねません。
ここで大切なことは、たとえ困難に直面した時そう見えなかったとしても「自由(選択)」への鍵はいつも私たちと共にある、ということなのです。

ワークショップ 「フェニックス ライジング」は、フェニックス(不死鳥)の力を呼び覚まし、その自由への鍵を手にするのを助けます。
フェニックスが現している、「生・死・再生」の3つのサイクルを踊り、回復力や存在感を高めてくれる日常に使えるツールも実践していきます。
そして自分の中に必ずある、どんな時にも安全な隠れ家を見つけ、野生の力やパワーに満ちた’nature unbrokenーどんな時も壊れずにつながっているもの’と出会います。
そこで計り知れない生命の力や美しさを再発見し、あなたの人生という一つの壮大な生命の神秘を生きる力を受け取ります。

フェニックスはムーブメント・メディスンの中心的シンボルです。
不可能に見えることを可能にしていく為に必要なヒーリングを、丁寧に一歩ずつ進めていくようにフェニックスが教えてくれます。
個人や民族としての傷が何であれ、誰もがその傷を癒し、乗り越える力を持っています。その力と出会うことで、地球の人類の家族として誰もがお互いを認め合い、私たちはWeb of Life(生命の織物)の中で相互依存していることを伝えていく新しい物語が生まれるのです。



⭐️プロフィール⭐️

ーヤコブ ダーリングカンー
彼のこれまでの全人生でシャーマニズムを学び修練し、30年以上にわたり世界中で教授。21歳の時、雷に打たれ、子供の頃に経験していたシャーマンとしての能力の使い方を学び始める。
現在はサーミ族(北欧の少数民族)のエルダー・シャーマンたちや、アチュアル族やサパラ族といったアマゾンの民からも実践するシャーマンとして認められ、偉大なヒーラーとも称される。2007年、近代的でダイナミック且つシャーマニックなプラクティスである、「ムーブメント・メディスン」を妻のスザナと生み出した。ヤコブは彼のハートからまっすぐに教え、時に素晴らしいユーモアを交えながら、自分が誰であるかを思い出し、自分の力と創造性を発見するようにインスパイア(刺激)する。ベストセラーとなった「ジャガー イン ザ ボディー、バタフライ イン ザ ハート」(Hay House 2017) (日本語未翻訳)の著者でもあり、彼の最新著書「シャーマン;Shaman - Opening the Doors Between the Worlds」はHay House社より2019年にリリース予定。彼はまた、2018年に「シャーマンズソング:Shaman’s Song」のCDを作った。


ースザナ・ダーリングカンー
ムーブメント・メディスン ウーマンとして知られている彼女は、夫のヤコブと共にSchool of Movement Medicineの共同ディレクターである。
スザナは、5リズム創始者のガブリエル・ロスのもとで18年間に及び弟子として学び、人類学、ゲシュタルト心理学、ファミリー・コンスタレーションなど、様々な分野で学び、世界中で教えてきた。
彼女の教えは古代の知恵と、神経科学を含めた深遠な効果をもたらすための知性を融合している。スザナの「 joy stream (喜びの流れ)」とのつながりは、どんな境界線も超え人々を魅了し、魂の道を歩む勇気を与える。音楽家・作家でもあり、「ムーブメント・メディスン;Movement Medicine : How to dance, awaken and live your dreams」(Hay House 2009年) (日本語未翻訳)の共著者である。これまで10枚のアルバムをリリースし、現在2冊目の本を執筆中。メディスンになる音楽満載のサイト、Music Medicine も展開。https://music-medicine.co.uk/


https://www.schoolofmovementmedicine.com
https://www.darlingkhan.com



主催 :
ムーブメント・メディスン ジャパン
ムーブメント・メディスン ジャパンツアー2019事務局
後援 : NPO セブン・ジェネレーションズ




Movement Medicine Japan 公式HP
https://movement-medicine-japan.com/blog/


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 03:03| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月29日

カウントダウン・日本滞在


日本滞在あと8日間!

それを今日、母に伝えたらお互い涙が・・・。

今回の帰国は、病気のため、歩けない・ものを持てない・言語・認知障害のある母のお世話がメインの目的だったから、山梨にちょこちょこ帰れるプランでツアーを組んだ。

本当に濃く意味ある時間を、母と過ごさせてもらっている。

前向きに、生きよう・良くなろう、としている母に、自分の頑張りやさんの姿が重なって見える。

そして今日、意識は爛々で、情熱はムンムンで、でも身体はクタクタな私に、友人が「ユキさん、いつも全力だから〜」と言ってくれて、「ほんとだ、全力だ」、とそんな母譲りの自分が愛おしく、可愛く、抱きしめたくなった。

母の闘病を通して、これまで受け取れなかった・気づかなかった・拒んでいた、母との関係性の中での「許しと愛」、そしてそこから自分への許しと愛を、いまここで学んでいるようだ。

胸がいっぱいだ。

この貴重なエネルギーもクラスの中で自然にシェアしているんだな、私は。

こうして、伝えられる機会があるということは、本当にありがたいな。



ギャラリー.jpg




≪日本滞在中のワークショップ・クラス スケジュール≫ 

●5/31(金)19:30〜21:00 山梨県甲斐市・スタジオ905
チャリティー企画・サイレント瞑想会 収益全額インドの子供達に寄付します
https://www.facebook.com/events/648330825628656/

●6/1(土)10:00〜11:30 山梨県中央市・田富総合会館
インサイトヨーガ 
https://www.facebook.com/events/2273976099480924/

●6/1(土) 山梨県韮崎市・ニコリ
@16:30〜18:00 
A18:30〜21:00 
(二部構成) ライト@のみ、ディープ@+A
ムーブメントメディスン 特別ワークショップ
@のみ「Warming up・親愛なる、私の身体と心へ」
@+A「Deepening into the Balance逞しさと繊細さ・陰と陽のハーモニー」https://www.facebook.com/events/1272382759591418/


******


≪創造療法・ボディバランシング・ヒーリングカウンセリング 体面セッション≫

体面にてセッションがお受けいただけますのは、わたしが日本に滞在中のみです。
どうぞこの機会をご利用くださいませ。
詳細はこちらです。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/465631741.html


*****


≪新サイキックプロテクション伝授講習&ブラッシュアップ再受講≫

6/4火曜15時から

伝授講習
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/409862235.html

ブラッシュアップ再受講
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/465771394.html


**********************


≪お申込み・お問い合わせ≫

 ykyogaism★gmail.com ←★を@に変えてください


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:57| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月10日

自分を愛することは家族と先祖の癒しとなる


親愛なるみなさん、いまローマで飛行機の乗り換え中です。もうすぐ日本の大地に足をつきます。

ハートが溢れているので、ちょっと私の興味深い体験とプロセス、そして今の想いをシェアさせてください。

毎回のことですが、日本に戻るタイミングで大きな癒しと浄化のプロセスが起こります。

そのたびに、自分自身の過去が癒され、現在の学びとなり、未来への光とパワーに繋がっているのがわかります。

今年はしばしば、日本に帰ることになってます。

それは実は、母の深刻な病気・手術のためなのですが、そこから関連しての、家系と先祖とのラインの気づきとヒーリングがたくさんあり、日本という国により一層、愛を感じています。



そして、ある深いプロセスを経て、

私の肉体は、母の子宮で育まれ、母の人生を共に経験し、母の肉体から誕生してきましたから、私の肉体は母の一部であり、私自身の「この身体と心」を愛し、尊重し、大切に育むことが、実は母への癒しに繋がっているのだ、ということに大きく気づきました。

そして、私自身、とても誠実にそこにフォーカスし、ここ一ヶ月、自分と向き合い・愛し・尊重し続けてきました。

自分自身の身体と心を愛おしむことを通して、そこから母への癒しが進み、なんと奇跡が起こって、母は急速に回復し、予定していた手術の前日に、突然、手術キャンセルとなり、手術の都合であと一ヶ月くらいは入院する予定だったのですが、なんと、明日、突然、退院することになりました。

しかも、わたしが山梨に戻る同じ日程と時間に、母も自宅に戻ります。

「Returning home of this life」

宇宙はすべてを完璧に出会わせてくれます。

完全なる筋書きに、驚きながらも、この命を改めて信頼する、大きな意味のあるハプニングです。



母の深刻な病気の発覚からこの数ヶ月、ここまでの間、本当に大嵐のようなプロセスが、津波のように押し寄せ続けてきて、自分の中のあらゆる感情を経験し、過去の記憶と経験の気づきと癒しが爆発的に毎瞬間ごとに起こっていました。

そして、わたしは本当に誠実に、「わたし」を知りました。

ガッカリするような自己否定や、私は愛される価値がないのではないかと信じてしまう妄想や、母国から離れて土台を失う恐れの不安定さと深い悲しみと、どうしようもなく日本が恋しい切ない想い、子供の頃の記憶からの憤りと怒り、など・・・たくさんの感情を経験し、見つめて、認めて、抱きしめて、自分自身の一番の理解者になることで、わたしは一息、呼吸をするごとに、魂の成長を感じています。

私が日々のプラクティスとして行っている、動く瞑想(ムーブメントメディスン)、ヨーガの智慧、シャーマニズム、内観、ヒーリング、生活の中での瞑想、宇宙とのコネクション、などを通して、すべてを咀嚼して、消化しています。

そして、それらすべてのプロセスが、影の領域から光の領域へトランスフォームするキーワードなのだという事実が存在し、あらゆる出来事とすべての出会いに感謝が溢れます。



今回のツアータイトルである

「親愛なる、わたしの身体と心へ・・・」

は、私の経験した本当に価値あるプロセスからのギフトを、日本のご縁のあるかたがたにシェアしたい想いから、このタイトルをつけました。

皆さんに、とてもシェアしたい、ハートからの想いです。

ぜひ、ぜひ、お越しくださいませ。

こちらのページがスケジュール一覧となります。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/465259912.html

たくさんのかたにお会いでき、シェアできますことをハートから願っております。

愛を込めまして。

合掌
ユキ ラクシュミナラヤニ

P.S.
画像はスペイン領カナリア諸島の火山の島にて。個人的な地球への祈りのセレモニー(宇宙のお仕事)で、実は一昨日までいました。
私とともにいるJapanese dragon は自由自在に大空を移動し旅をするようわたしを導いているようです。
素晴らしい火山のエネルギーをみなさんにも画像からシェアします。


ラパルマ火山.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:30| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月02日

「竹雄とロッキーとユキの思い出」



昨日、祖父・竹雄の夢を見たので、私の小さな頃のことを書きたくなった。

竹雄は父方の祖父で、シャーマンだった祖父とは違うほうの、普通のおじいちゃん。

母方のシャーマンだった激しい祖父とは反対に、父方の祖父・竹雄は、とても穏やかで緩やかで、自然と動物を愛する優しい男性だった。

私が生まれてから13歳まで一緒に暮らしていた。

幼少の頃の私は、毎日、祖父と一緒にいて、いろんな事情から、両親といる時間よりも、祖父と過ごす時間のほうが多かった。



祖父とは、毎日、1〜2時間くらい、愛犬ロッキーの散歩に行くのが日課だった。

季節の移り変わりの美しさや、小さな生命の逞しさや、奇跡のような空の広さ、その美しさが毎日変化することなどを、小さな私はロッキーと祖父とともに学んだ。

毎日、空と雲を見上げて、天からメッセージを受け取っていたのもこの頃だった。



自転車に乗れるようになったオカッパ頭の小さな私は、あちこち一緒に連れて行ってもらった。

小さな自転車の私は、なかなか祖父のスピードに追いつけず、祖父はしばしば自転車を止め、振り返って待っていてくれた。

その祖父目掛けて、私は必死でペダルをこいだ記憶が、いま鮮明に思い出せる。

遊亀公園での紙芝居は大のお気に入りで、紙芝居に影響されて私がなにか一芸をすると、祖父はゲラゲラ笑って型抜きや、水飴を買ってくれた。(40代中盤以上じゃないと知らないよね、これ)



本が大好きな私に図書館にも頻繁に行ってくれて、重たい本をたくさん自転車のかごに入れて運んだ。

祖母が入院したときも、毎日、二人で自転車をこいでお見舞いに通った。



一人では行くことのできない遠いところでも、祖父の後ろから自転車をこいで、どこにでもついて行った。

ひょっとしたら距離はそれほど遠くない場所だったかもしれないけれど、私にとっては、ものすごい大冒険で、本当に楽しくて、おじいちゃんが大好きだった。



愛犬ロッキーは、甲斐犬の雑種で、その前にいた黒い毛のマリーが亡くなった後、きっと、兄がどこかから拾って来たのだと思う。

私もかつて何度も何度も、子犬を拾って来ては、いつも、翌朝にはいなくなっていて(きっとまた捨てにいったのだろう)何度も号泣した記憶が蘇る。

ロッキーはとてもかしこくて、そしてとても繊細な男の子だった。

幼少の私には、散歩のほかに、ほぼ毎日の日課として「ロッキーを抱きしめる時間」というのがあった。

ロッキーは屋外犬だったので、あまり綺麗ではないし、いつも臭かったから、私は、ロッキーをハグする専用のジャージ(当時はジャッシーって呼んでたよね)に着替えて(汚れても気にならない古いやつ)、庭にあるロッキーの小屋の前に壊れた古い座卓を置いて座った。

両脚と両腕を大きく開いて「ロッキー!おいで!」と言うと、ロッキーはいつも「嬉しい!」と全身で表現しながら、私の胸と内股に目掛けて走り飛び込んできた。

私はロッキーを両腕・両脚・胸で抱きしめ、撫で回して、きっと、毎回1時間近くは可愛がっていた。


とても愛しい、愛犬ロッキーとの愛の交換の時間だった。

ロッキーは私と祖父のことが大好きだった。

祖父との思い出には必ずロッキーが加わる。




ある日のこと、祖父がボロボロの風呂敷を見せてくれた。

それは、戦争の頃、空襲で逃げるときに使った風呂敷だそうで、火の粉が飛んだのであろう焼けた穴がいっぱいあいていた。

戦時中の恐ろしい実体験から、どれほど平和がありがたいか・・・を、祖父は教えてくれた。

私はその風呂敷からの凄まじいエネルギーに、目が釘付けになったのを覚えている。



祖父との思い出の中のわたしは、いつでも、空の下・自然の中で、動物と共に、ゲラゲラ笑って踊っている。

いま思い出せば、

どうやって自然を愛するか、

地球と会話をするか、

空から愛を受け取るのか、

動物の気持ちを感じ取るのか、

穏やかに平和に過ごすことのありがたさ・・・

祖父・竹雄と過ごした温かな時間の中で、大切なことをたくさん学んだのだと、いま感じる。

祖母はとても厳しく強い女性で、反対に祖父はとても穏やかで、いつでも面白いことをして笑わせてくれた。



私が13歳のときに事情があり祖父との暮らしを去ることになり、その後、祖父に会ったのはそれから15年後の亡くなる寸前のベッドに横たわる姿だった。

そのとき祖父はもうすでに、話は出来なくなっていたが、私の顔をみたら、生まれたての赤ちゃんみたいに顔をクチャクチャにして、目一杯の笑顔で一言だけ「ゆーきー」と、涙を流していた。

祖父と一緒に暮らせなくなった当時の私は思春期の13歳で、生きる力を失った絶望のどん底で、自分の痛みのことで精一杯だったから、

祖父の気持ちは、今のこれまで全く考えたこともなかったけれど、

昨日の夢で、鮮明に幼少期が思い出されて、祖父との思い出と愛を、いま、じっくりと味わって、このブランクを埋めるかのように、いま、ゆっくりと受け取っている。

いま感じてみれば、祖父も、小さい無邪気なユキと一緒に過ごす時間を楽しんでいただろうし、

きっと、突然、生活の中から私が消えてしまって、ものすごく寂しかっただろうな・・・と、別れて30年以上たったいま、初めて、祖父の気持ちになって感じている。



そんな祖父が、本当に珍しく昨日、夢に出てきた。

ニコニコして、私になにかをくれた。

それは、もみの木の枝だったような気もするし、赤いキレイなお花だったような気もする。

ビジョンはちゃんと覚えていないけれど、とても、穏やかで温かいものだった感覚だけ覚えている。

祖父が愛とともに夢に出てきてくれて、わたしは幼少期の自分とつながる機会を与えられ、本当にありがたいなあ、と胸がいっぱいになっている。



昨年の年末から、

近しい親族たちが、倒れる、入院、手術、(亡くなる)・・・ということが引き続いて起こっていて、

わたしの今世での「家系の癒し」が大きく起こっている、いま。

きっと、同じ宇宙の流れの上で、同じような側面を学んでいるかたもいるかな?と思い、そのかたの癒しのキッカケにも繋がりますように・・・と、この個人的な私の癒しをシェアします。

愛は、過去からも、受け取ることができるんだ。

ありがとう、おじいちゃん、ロッキー、そして、小さなユキ。

この人生を学ばせてくれて。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:11| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月27日

日々、向き合っていること



私が、誠実に向き合っていること・・・。


愛を受け取る能力を培うこと。


あれは愛だった、と気づくこと。


意外なこれも愛なんだ、と受け入れること。


与えられた愛を、なんらかの誤解で消し去らないこと。


こんなにも愛されて、与えられているという事実をまっすぐ見て、孤独の罠から脱出すること。


足りないもっとちょうだい、とあら探しをするよりも、いただいた優しさを何度も何度も思い出して、感謝でいつまでも満たすこと。


例えどんなキツイ状況だとしても、そこに隠れている、一片の愛を探すこと。


受け取ったものの表層はトゲトゲしたものだとしても、痛みではなく、その裏に確実にある、愛だけを受け取ること。


自分はある側面で傷つきやすいということを認め、その脆い箇所に自分自身で、愛という軟膏を塗ること。


ときに、見失ってしまうこともあるということを知っていて、その都度、愛への信頼へ戻ってくること。


わたしは、愛そのものなのだ、ということを、瞬間瞬間、気づいていること。


過去の、または現在の過ちを、心底、許すこと。


愛に気づく能力を磨くこと。


自分の繊細さを祝福すること、それはすべて愛に関わるものだから。


まだまだ説明できるけど、これらが、


私が毎日毎時毎分毎秒、誠実に見つめている・意識したいことです。


すると、愛以外のものは、実はなにも存在しないことに気づくのです。


読んでくれてありがとう。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:48| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

多摩川でのミラクル


今回の日本滞在は12日間。

その最終日。

魔法が起こり、星の導きでピタリとコンタクトして、わたしはなぜか東京に流れる多摩川の川岸に座っていた。



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ドラムを奏で、愛・人生・宇宙軸・内なる静けさ・陰と陽・天の流れの完璧性を自然と愛とともに語りあった。

わたしは、現れ出る「相対の神秘」とその美しさに、瞬間ごとに大きく感動させられていた。

二つの流れが、反対側の軌道を通って、逆からたどり着く奇跡的な調和。

どこにも、裁きや自己肯定・他者否定が存在しない、あるがままで完全であるカタチに大きく納得した。

頭上を通り過ぎる2本の電車ラインの、現実社会の人間爆弾的な音と、川の流れと水面の揺らぎの自然へのゆだね。

そして、

ホームレスのカオス的な村を通り抜けると、子供たちが駆け回るブランコ広場にでた。

相対のバランスは、地球の呼吸そのものだった。

旅人・地球巡礼者としての教訓は、

プランなどという不自然なものは、存在しないほうが、天のシナリオの流れにうまく乗れる。

起こるすべてが完璧であり、祝福に満ちていた。

多摩川沿いでの祈り・・・、その深い意味に気づいたのは翌朝だった。

ふと思い立ち、地図で多摩川の源流を追っていくと、シャーマン・霊能者であったわたしの祖父が生まれ育った村のほど近いところへと繋がっていた。

そこを源流として・・・生まれ、育ち、流れ、変容し、引き継いでいるラインが、羽田空港脇から大海へとひとつになっている・・・。

ここで明るみに出たのは、紛れもない、わたしのいまの非凡なる生き様と、先祖からの継承。

数ヶ月前、わたしは、なぜ私がいま、ヨーロッパに住み、私の叡智をそこで種蒔きしているのか・・・を、自分の今世での先祖たちに説明した。

彼らはそのとき、(島国の日本人なので)なかなか理解を示してくれなかった感じがした。

でも、今回、きちんと日本の土地の上に立って、さらにその先のことを伝えたのだと感じる。

先祖たちが達成し得なかったことを、わたしは望んでいるのだ。

だからわたしは「かつての型」を離れて、伝統を重んじながらにして近代になじむよう変容させるという、さらなる進化を促した。

先祖からのシャーマニズムの唯一の継承者であるわたしが、引き継いでいる叡智を、この現代社会に活用していく・・・

私自身、なかなか、受け入れられなかったこの決断に、「腹をくくる」という決心がついていることを、先祖に行動で伝えたことで、いま、やっと受け入れられたような気がする。

伝統は守る、でも、昔と同じやり方では現代社会では使えないんだ、ということを、時間をかけて説得したような気がする。

いまのわたしにとって、ヨーロッパでのこれからの活動に、日本サイドのご縁からのサポートがとても必要だ。

私がヨーロッパと他のアジアで、このジャパニズムの叡智をシェアしていくことで、日本はより一層、自覚を持って「日の本〜太陽の国」として目覚めていくと信じている。

今回の滞在も大きな学びと深い深い魂の癒しがたくさん起こった、奇跡の国、日本。

その最終日に、この、わたしの日本の祖先から続く多摩川の水の流れに座り、わたしは大海を渡っていく・・・、日本からと先祖からの叡智と愛を感じ、それをしっかりと受け取り、これから、世界に開いていこうと思う。

そして、

15年前から、わたしの魂の闇と光の学びのトリガー(引き金)である、イギリスで飛行機を乗り継ぎ、そして、ドイツに着陸した。

日本とイギリスとドイツを繋いだラインで戻ってきたことも、偶然でありながら、必然であった。

素晴らしい、流れとご縁。

すべては、大いなる采配に祝福されていると感じる。

感謝・感謝・感謝

合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 03:28| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

ムーブメントメディスン・プロフェッショナルトレーニング修了



先週、イギリスにて

ムーブメントメディスン・プロフェッショナルトレーニングコースのすべてのモジュールを修了しました。

本当に、長く深く濃く素晴らしくしっかりしたトレーニングでした。

2年以上かけての長い道のりでしたが、

とはいえ、まだ終わったわけではなく、モジュールは終了しましたが、ここから1年半〜5年かけて、本当の「卒業」に向けての活動が始まります。

本当に、ものすごい大変で、「狭き遠い門」だけれど、

それだけの、価値があります!!!



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すべてのワークショップやトレーニングは、目の玉(どころか胃や腸まで)が飛び出るくらい高額だったので、莫大なお金がかかりましたが(山梨のかつての愛する天空の森が買えたかもなあ)、

でも、わたしの直感は、いつでも本当に、常に正しいです!

私は、決めたら(長くは)迷わないたちなので、猛スピードで最短でここまで来ましたので、2年3か月でしたが、仲間の中には、10年かかった人もいました。すごいなあ!と感服します。(その人それぞれの、プロセスと速度ですので、なにが良いでも悪いでもなく、それぞれの良さがあります。)


その前から、わたしは、20年かけて「ボディ・マインド・スピリット」に関わるすべての経験を、人生の中でお仕事としてやってきました。

最初の始まりは「フィットネストレーナー」として、「ダンスインストラクター」として、「ヨーガの修行者」として、「瞑想実践者」として、「ショーダンサー」として、「ヒーラー」として、「スピリチュアルカウンセラー」として、「仏道の修行者」として、「陰陽師」として、「シャーマニックダンサー」として、「舞踏プラクティショナー」として、そして、「日本シャーマンの子孫」として、わたしが人生の中でずっと携わってきましたものがすべて発揮できるこの分野に、ごくナチュラルに導かれていきました。




ムーブメントメディスンは、心理療法・ゲシュタルト・運動にかかわる知識・トラウマ療法・音楽療法・シャーマニズム・スピリチュアリズム・宇宙レベルで、様々な方面からの知識と技術を、この現代社会にフィットするように、とても上手にアレンジされています。

創始者であるヤコブとスザナの30年以上にわたる研究の末の技術・・・・本当に素晴らしいです。

わたしの夢である、「非暴力・平和な地球」に、個人レベルの第一歩を踏み出す、素晴らしい気づきとなる技術です。

わたしは、ムーブメントメディスンに出会う前から、「動く瞑想」をクラスとして提供していました。

もともと、スピリットや宇宙からのメッセージをキャッチする能力がありますので、ムーブメントメディスンの技術を学ぶ前は、自身の感性に基づいて、自分なりに独自のクラスを提供していました。

驚いたことは、

わたしがこれまで独自に提供していたある技術と、ほとんど同じことをムーブメントメディスンの技術でも使っていたということ。それがいくつかありました。

ただ、その表現のしかたと提供の仕方がムーブメントメディスンでは、より社会に受け入れてもらいやすい形でしたので、そこを求めていたわたしは、ただ感動でした。

そして、自分の能力に、改めて驚き、やはり、わたしの「宇宙とのコネクション・繋がり」は間違いないな、と改めて認めたことと、

そのもともと持っている叡智をさらに磨かれた形で発揮することができるムーブメントメディスンでの学びとの出会いに、とても感謝しています。

わたしの望みは、とにかく、わたしの持っているもの(メディスン)を「オファーしたい・シェアしたい・提供したい」。

そして、きちんとそれを認めて、自分にできることをきちんと知っていて、それを、誠実に表現していくこと。
(日本文化である「謙虚・謙遜すぎる」のは、度を過ぎると「自分を小さくしてしまう」悪い習慣だと思う。自分を認めることは大事です。「自分を大きく見せること」ではなく、「自分を小さくしないこと」のために、自分をまっすぐに「等身大で」認めること。日本人には本当に大事なことです。)

こうして、2年以上かけて学び、日常の生活でもその叡智を実践してみて思うことは・・・・

チャネリングや宇宙エネルギーだけで提供するクラスでは、できなかったことを、たくさん手に入れ、それが、自分自身の「人間として」の実生活の中で、本当に役に立っているということ。

そして、クラスを提供するという目線で見ると、

とてもわかりやすいく整理整頓された技術のほうが、現代社会に生きる人たちに受け取ってもらえる、だから、その形で提供するほうが、より「社会に貢献」できるということ。

すごいじゃないか!

そして、

いつでも、子供のころから「一匹狼」で、「空高く飛ぶ鷹」であったわたし。 

絶対に!群れない!!という人生を歩んでいたわたし。

今まで、交わることが難しかった「社会性(コミュニティ)」というところにハートを開いていくことで、より自分の叡智が現代社会で発揮できるという気づきの大切さ・・・・。

資格を持つこと(そのための学び)は、本当に大事だ。




これほどまでに、「長く狭い門」をくぐり、深く濃いトレーニングを受ける、価値があったと思います。

信じられないくらいお金がかかったけれど、やはり、「金額」というのはそれ相応の価値があるのだと、納得しました。

これまでのわたしの人生の中で、数えきれないほどのたくさんの資格を得て(ボディ・マインド・スピリットに関わるもののみ)、ものすごい学んで(出費して)、深めてきました。

すべてが、わたしの糧となり、すべての知識と経験を、いま活用しています。





以前、わたしが日本で提供していた「動く瞑想・ムーブメントメディテーション」のクラスにご参加くださっていたかたも、いまの私のクラスでは、違う印象を持たれるでしょう。

以前も、良いものを提供させていただいていましたが、さらに、違う側面でのクオリティがものすごいあがっています。

でも、「わたしの個性」は失わず「わたしだけが与えられるエネルギー」でムーブメントメディスンを提供できます。

本当に、素晴らしいです。



日本にお住まいのかたへ、

当初の予定(9月)より早めに帰国することになりましたので(ちょっとしたトラブル発生で)、次の日本帰国の機会には、ぜひクラスを楽しみにしていてください。日程が決まりましたらご案内します。
(※クラス開催をお手伝いしてくださる方を募集中です(会場の確保、告知など)。日本全国、お声をいただけましたらどこでも飛んでいきます。ぜひ呼んでください。お気軽にご連絡くださいませ!)

ミュンヘンにお住いの日本人の方へ、

ミュンヘンにてクラスを開いていますので、ぜひ、身体に自由を与えるムーブメントメディスンを体験しに、お越しください。

ドイツ人のナビゲイトよりも、日本人特有の繊細さがともに共鳴して、身体もハートも、きっとしっくりくると思います!



今回の最後のモジュールでは、やっと、わたしはこのコミュニティーの一員になれた感じがします。

これまでの長い道のり、いつでも「よそ者、はぐれもの」のような気分でいました。

今回のモジュールでは、毎日、自分自身にチャレンジを課し(人から見たらなんてことないことだけれど、私にしたらとてもチャレンジ!なこと)、

自分自身のこれまでの枠を広げるべく、本当に、自分磨きを徹底しました。

本当に、実りある最後のモジュールでしたので、共に命のエッセンスを交わし合った仲間たちが、とても恋しいです。

私の内面とシャドーを映し出すミラーとなってくれた、愛する仲間たちに、無限の愛と感謝を届けたい。



濃くて深い、スピリチュアルであり、心理療法的なトレーニングの中で、

個人的な人間としての人生の学びがわんさかありましたが、ちらっと書くにはもったいなさすぎる、素晴らしい学びだったので、

また、別の機会に、きちんとした言語として降ろしてから、書くことにしたいと思います。




2週間のイギリス滞在からミュンヘンに戻ったお部屋には、パートナーからお祝いに、バラの花束のプレゼントがありました。



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彼は、本当にすべてにおいて柔軟で、「こうあるべき」をお互いに、どんどんガラガラ崩し合える、素晴らしい理解者であり、わたしのサポーターです。

わたしの人生、その都度、そのときのわたしの魂の目標とその速度と方向に沿って、いつでも、その都度、最高のパートナーに恵まれます。

過去にも感謝。

いまにも感謝。

未来にも感謝。













posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:31| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月15日

準備その7 Beyond3ヒーリングルームinミュンヘン「プレオープンセレモニー」



(NEWヒーリングルームの準備 その7)



なんとか、お部屋はできました。

まだ、いくつも家具が足りていないのですが、明日から同僚がこの部屋を使用するので、それまでにギリギリセーフで、なんとかセッションができる形になりました。



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実際に私が本格的にここでセッションを始めるのは3月からとなりますが、共同で使っていくことになった同僚のための、ひとまずの、プレオープンです。

たくさんのシンギングボウルとヨーガの道具を収納する棚は今月末に、カーペットは2月下旬に届くはず、

そして、11月に日本から(船便で)送ったいくつかの段ボールの中(まだ届いてない!)にも、ここに置くものが入っているので、それらを設置したらバランスを見てまたインテリアを考えようと思っています。



山梨のわたしの愛するヒーリングスぺース・天空の森から持ってきた愛する石たち。

わたしが聖地に仕上げたあの場所での癒しのエネルギーをたくさん蓄えているこの子たち。


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インド・マドゥライのお気に入りの寺院から持ち帰ったガネーシャ。

これも、天空の森の祭壇の壁につけていたものです。覚えている方もいらっしゃいますね、きっと。

毎日、瞑想とお祈りをした波動が浸み込んでいます。


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クリソコラは、わたしの人生の中のある時期、一番のお気に入りの石だった。

大好きな「地球」をイメージさせる、愛の石。

以前、ご縁がつながったかたがプレゼントしてくださったこの想い出の石を、インドネシアの自然の木でアレンジ。

変容の渦が、愛と共に在る・・・・・ まさに、わたしの個性であるエネルギーの現れだ。


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11月に西表島で、祈りを捧げた海岸から持ってきた、Siva Eyesの貝たち。

それを、インドヒスイで囲い、フラワーオブライフのご縁でつながった大切な友人から、数年前に誕生日プレゼントでいただいた幾何学オブジェクトで、グリットを作りました。

どうぞ、地球の水が、浄化されますように。


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た〜〜〜くさんあった、スピリチュアル・ヒーリングに関わる置物やオブジェクトたちは、ほとんど、ご縁の深い生徒さん・クライアントさんたちに差し上げてしまったので、以前のようにあまりたくさんはないのですが、でも、少しだけでも残しておいてよかった。





作業の合間、ひと休みのご褒美ランチは、人生でナンバーワンの美味しさの、ビーガンピザ屋さんを新しく開拓。

ビックリするほど美味しかった。ビーガンのピザが食べられるのは本当にありがたい。


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ひとまず、プレオープンまでに仕上げるべきことがすべて終わったあと、

セッションルーム2つ、控室、ロビー、トイレ、洗面所、などのすべてのお部屋のエネルギー的な浄化とお祈りをしました。

そして、

新しいわたしの祭壇。

これもまだ、発展途上で、これから、よりしっくりくる形に整えていきます。

この祭壇のものも、本当に、想い出深い石たちばかり。

わたしのスピリチュアル的なサポートをしてくれる、とても働き者の子達ばかりです。

魂の故郷・ラダックから持ち帰ってきたホワイトターラーのタンカは、額縁をゴールドに変えて、新たにここに鎮座しました。

マニ車は、山梨での愛車「フォレストエルフ(森の妖精)」の中でクルクル回っていたものです。覚えている方もいますよね。




この祭壇の前に、ドラムを持って座り、この土地と、この場所に関わるすべての人々、スピリットたちに、ご挨拶のお祈りをしました。



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わたしは地球とのコネクションがとても強いので、いつでも必要な土地に、自然な流れで導かれていきます。

そして、大抵は、旅の中で導かれて行き、その土地と歴史と波動と交流して、癒しや浄化をしているのですが、

こうして、旅を経て、ある土地に「根を張る」ご縁がつながることは、相当な強い導きのもとに起こります。

わたしは、この、以前はまったく興味のなかったドイツという国、ミュンヘンという土地に導かれてやってきて、

そして、とてもスムーズな形でここに「私の祈りの場所」を持つことになりました。

すべては、神聖なる力・宇宙の采配であらゆるものが与えられています。

誠実に、誠実に、わたしはわたしのやるべきことを、ここでやっていくのみです。



このドラムセレモニーには、パートナーも一緒に同席してくれました。

新しい土地に暮らすこと、自分のヒーリングルームをオープンさせること、この土地で活動すること、すべてのご縁をつないでくれたのは、パートナーです。

彼とのスピリチュアルコネクションに、心から感謝をしています。



プチセレモニーのあと、たくさんの言葉がわたしの口から出てきました。スピリットからの言葉でした。

わたしは、山梨・天空の森ヒーリングスペースでの山の上での暮らしが、とても恋しい、寂しいと感じている。

6年間という期間。

激動の波乱万丈のわたしの人生の中で、ターニングポイントである15歳以降、6年間という期間は、一番長く、ひとつの場所に住居を構えた経験でもあります。

その、運命の土地であった「天空の森」から持ってきた品物を見ると、あそこでのエネルギーや、山の動物たちの声、空の広さ、朝日と夕陽の神々しさ、夜の森の静けさ、祈りの生活として完璧に聖地に作り上げたあの場所で、訪れてくださった本当にた〜〜〜〜くさんの愛すべき人々との、かけがえのないすべての瞬間が思い出されて、ことあるごとに涙が出て仕方がない。

いつでも、天空から、下界の街へ、祈りを送っていた日々。

そして、今回は、ミュンヘンの街中にヒーリングルームを持つことになって、多少の抵抗感があることも、口から言葉として現れてきました。

わたしは、自然の中にいることが好きだし、人間の波動がたくさん入り乱れているところに長く滞在するのは、これまで、とてもエネルギー的に邪魔される思いをすることが多かった。

旅をしているのならば、いくら人間だらけでもよいのだけれど、そこに「根を張る」となるとやはり、人里離れたところが気持ちが良いのも事実。

でも、

信じられないくらいのスムーズな流れで、新しくここに根を張ることになり、そして、それを選択したのはわたし自身だ。

だから、疑いようもなく、わたしは、すべての最善へ導かれている。

故郷・山梨の天空の森ヒーリングスペースでの、6年間の自然との暮らしを経て、きっと、私自身がすでに「自然界の波動」に転写されているのだと感じている。

だから、この街中に導かれてきて、人々に、わたしの「自然界の波動」をシェアして行くのだと思う。

山を下りてきて、よかったのだ、と感じている。

今年の6月に、ものすごい葛藤の末、号泣しながら手放すことにした「天空の森」の愛する我が家だった。

でも、それもすべて必然で、さらなる輪を広げていくためのきっかけとして、山を下りてくる、最高で最善の機会だったのだと思う。

そして、山の上から行きついたのがミュンヘン・・・・というのも、おもしろい流れであり必然の導きなのだが、

これから、このミュンヘンを「ホーム」として、私の持つ「自然界の波動」とさらに「日本の禅スピリット」を、ヨーロッパにシェアしていきたい。

そのためには、私自身が人間的な側面でのプロセスだけに囚われず、いつでも高次のわたしに「開かれている・繋がっている」ことが必要だ。

それを、忘れずにいよう。

わたしは、本当に「瞑想の中に生きる」ことが、しっくりくる。

わたしの瞑想は、座って目を閉じていることだけではなく、生活の中で「常に気づいていること」。

大笑いして冗談を言っていても、号泣していても、落ち込んでいても、怒っていても、ワクワクしていても、どんなときでも、

「常に自分をみつめていること」。

そして、いつでも、自分自身のこれまでの人生で刷り込まれてきたことに、人間であるわたしの「いま・ここ」の感情は影響されている、ということに気づいていること、

そして、真実であるスピリットの声を信頼すること、ハイアーセルフ・宇宙との繋がりに開いていること。

そして、それらの経験を、ご縁のある方々にシェアして、サポートをしていくこと・・・・。

正直なところ、お料理をしたり、お掃除をしたり、家庭のあれこれをしたり、主婦をしたりするのは、わたしの人生の本当にお役目ではない。

それは、いまのわたしにとって、結構楽しいし、生活への感謝の気持ちから進んでやっているけれど、でも、これは居心地がよい環境づくりのため。

わたしには、この人生での役目があって、「自分が何者か・Who I am」が、見えている。

だから、わたしは自分の生まれ持ったギフトであるパワーをきちんと発揮できる環境で、自分の役割を持って世界に貢献していきたい。

この、「Beyond3ヒーリングルーム」を持つことによって、さらに、わたしの叡智が発揮できることを、本当に光栄に感じているし、

そして、この流れになりご縁と機会をいただく幸運を、とても幸福に感じ、感謝でいっぱいだ。



そんなことを、ただただ、口から出るままに喋っていました。

それを、愛のこもった眼差しで、ただ静かにパートナーは聞いてくれていました。

静かな夜、石造りのこの部屋にわたしの声が響き、すべての石たち、すべての神聖なる存在も、聞いてくれていました

まだ、新鮮なペンキの匂いがするこの真新しい部屋の空気を、一息深く、吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出しました。

そして、未来へのドアが開かれました。











posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:22| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月26日

シンギングボウル・動画


メリークリスマス★

ショートビデオをシェアしますね。

シンギングボウル瞑想会のほんの少しだけの1コマ。

クリスマスイブに、プライベートグループへのヒーリングでした。

ここで繋がる皆さんにもプレゼント。

響きと倍音の間にある。静けさの美しさを感じてください。

寛いだ年末をお過ごしくださいませ。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:35| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月18日

FMフジ・インタビュー録音公開




2018年11月4日 山梨県武田の杜にて行われました
「森の中のヨーガ教室」で、FMフジのラジオのインタビューがありました。



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記事はこちら。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/461627056.html


ラジオで放送された録音を送ってくださったのですが、
どうやったらここにアップできるのかわからなかったので、スマホの動画で撮ったものをyoutubeにアップしてみました。

ラジオなので画像がなかったので、写真をスライドショーにしてみましたが、
画像の編集・・・・などもやりかたがわからなかったので、ラップトップで簡易にスライドショーにしたものを、
スマホに撮る・・・・という、とても原始的な方法でやりましたので、
大変お見苦しいですが・・・・


よかったら聞いてくださいませ。
わたしは、5分30秒あたりから喋ってます。



(訂正)
アナウンサーがムーブメントメディスンを紹介しているときに、
「ヨーロッパでしか受けられない」と言っていますが、それは間違いで他の地域の国でも(日本でも)受けられます。
「日本では資格を持っているものが二人しかいない」と言っていますが、それは間違いで、実際は3人です。

伝達ゲームは、いろいろと、細かい部分が変わってしまいますよね。ここで訂正しておきますね。







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:26| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

日本の「居場所」へありがとう


旧天空の森ヒーリングスペースを訪れた。

今年2月にドイツに住民票を移し、その後も6月までここをキープしていました。6年間住んで、たくさんの活動をして、わたしの成長とともに、大きくなっていった、山の上のサロン。

日本の中で「私の居場所」と一番感じた場所。

離れるとき本当につらかったな。10日間、寝込んだもんな。



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胸がいっぱい。

何度か、

ご縁のあるミュージシャンにライブをしてもらったり、

ご縁のある僧侶のご祈祷会を開いたり、

私が教えた過去8期やらせていただいたヨーガ指導者養成講座の生徒さんたちの集いや、

定期的に開催したらサットサンガや瞑想会、

シンギングボウルコンサートや星空ヨーガ、

沈黙瞑想修行会や、断食デトックス合宿、

早朝の呼吸法修行会やチャクラヨーガ、

エネルギーワークやヒーリング伝授講習や個人セッション、

本当にた〜〜〜〜〜〜くさんのかたがたが来てくれた。

大好きで、大好きで、大好きで仕方がない場所。

お世話になったなぁ、この場所この山この景色。

ありがとう。ありがとう。



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たくさんのかたに出会えた場所。

思い出がいっぱい、いっぱい、いっぱい、いーっぱい。

ありがとう。ありがとう。



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私は、さらに前に進みます。

来年、1月から、ミュンヘンの中心部で私のオフィスを持つことになりました。

ありがたいご縁と流れに心から感謝です。




私は、これからもさらに前に進んで行くんだ。

いまは、ちょっとだけ、後ろを振り返って、

この日本での大好きな場所で、

美しくて楽しい愛する人々との、

たくさんの思い出に浸っているの。



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ハートがあったかいよ。

場所は変わり、私は成長して、表現もグレードアップしていくけれど、

いつでも持ってる「愛」は変わらない。

ずっと変わらず、持って進んでいこう。

おひとりおひとりに寄りそう形で提供させていただいていますヒーリングカウンセリング・創造療法セッションは、今回の日本活動中も、東京・山梨の別サロンにて行っております。

ご予約可能枠が少なくなってまいりました。

ご希望の方はどうぞお急ぎくださいませ。

スケジュールはこちらのリンク先の下の方に、随時、アップデートしています。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/461294678.html

お電話・オンラインでしっかり受けられる好評のセッションのスケジュールはこちらです。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/445301608.html

愛を込めて
合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:13| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月08日

母と父のインナーチャイルド





前回のこちらの記事の続きになるかな?という投稿です。


「パートナーとのケンカと、インナーチャイルドの怒りの関係性」
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/461993396.html




むかし、

わたしが、「心理学」や「臨床心理学」を学び始めたころのこと。

わたしの人生において、「親が子供の私へどう関わっていたか」がどれだけ影響しているのか、ということを衝撃的にその学問から知りました。

それは、本当にショックで衝撃的で、「心理学」「臨床心理学」を学べば学ぶほど、

「どうして、両親は私にあんなふうに接したんだろう。もっと、子供の心理を尊重してほしかった!」と激しい怒りとなり、

わたしは、どんどん、両親のことを恨むようになっていきました。

なぜなら「母のせいで、父のせいで、わたしは人生をこんなに苦しんでしまった」という、被害者意識がどんどん、積もっていってしまったからでした。

確かにわたしは、波乱万丈の人生ですし、子供のころから家庭は平和で安泰ではありませんでしたが、とはいえ、大人になってからは、自分なりに折り合いをつけて、愛を受け取ろうとしていたし、自分なりに愛を表現していたし、感謝していたのですが、

その学問を学んで頭でっかちになってしまっていたわたしは、それまで、両親に関わることで、十分理解して納得していたことでさえも、急に許せなくなり、良い方向に流れていた親との関係性が、どんどん崩れていきました。

人間(自分を含め)への理解を深めようと思って始めたこの学問の探求でしたが、結果的に苦しみを生んでしまい、そこからの解決策をみつけられませんでした。

いま思い返してみると、

なぜそうなってしまったかというと、

実際のカウンセリングを自分自身で受けて、プロセスや癒しを体験することなく、ただ、本で読んだ知識だけでわかったつもりになっていたから・・・・でした。

心理学について勉強はたくさんしていました、ですが、学び始めた最初のころは、実際に「カウンセリング」というものを受けたことがありませんでした。

ですので、まさに、ただの「頭でっかち」だったのだと思います。



スピリチュアルなことや、ヨーガに関わることも、たやすく「頭でっかち」になりやすいですよね。

世間のさまざまな場面でいろいろなかたから、それはとても感じますし、それを感じるということは、スピリチュアルな世界に入り始めたころのわたしもそうだったから、感じるのかもしれませんね。

経験を伴わない頭でっかちだと、本当に苦しむことになるのだ、ということを、最初のころ、身をもって経験しました。



それに気づき、「カウンセリング」や「ヒーリングセッション」を実際に、定期的に、受けることが、自分が学んできたことをより深め、自分の人生を持って経験して反映していくことに、とても大事なのだと感じています。

いまのわたしは、セッションを与える側ではありますが、もちろん、いまもセッションを受けることもありますし、定期的にスーパービジョンを受けますし、自分を向上させるワークショップも受けます。

プロとして提供していくときに、自分自身をより深め、より技術を向上させていくためには、当然のことです。

スピリチュアルな知識でも、ヨーガの哲学でも、どの類の学問でも、まったく同じですね。



勉強する=知識になる

実践し活用する=智慧になる



「知識(頭でっかち)」は、ときに人生の邪魔になります。

これを読んでくださるご縁のあるあなたに、私の経験からのアドバイスは、

ぜひ、文字だけの知識で豊かになろうとせず、なんにせよ、実際に経験をして、本当の意味でのハーベスト(収穫)を得ていただきたいと願います。

とはいえ、

「頭でっかち」だった自分が思い込んでしまった「やり場のない怒りを両親のせいにすること」から始まったプロセスがあり、

わたしは、そこから、這い上がってくる過程の中で、たくさんの学びを得ました。

だから、その「間違い」から苦しんだことも、結果的には「大きな学び」だったということを見ることができます。

どちらに転んでも、どちらでも間違いではなく、学びの目線で見れば、常に「正解」です。

ですので「頭でっかち」になってしまって、間違いの眼鏡をかけて物事をみてしまったことも、

スピリチュアル的に見れば、意味のある成長のプロセスだったということですね。



話が反れたので戻りますね。




インナーチャイルドは、人それぞれの学びであり、そのかたによって、とても複雑に入り組んでいますし、そのかたによって、真実がそれぞれですので、定義づけることができません。

ですので、ほんの少しだけ、わたしの気づきをシェアしたいと思います。




母にも、そして、父にも、インナーチャイルドの怒りや傷があります。

両親にも子供時代があるということ。



わたしの母も父も、第二次世界大戦のころに生まれています。

ですので、戦時中や、戦後を経験をしたことがないわたしにも、とても大変な時代だったのだろう、ということは想像がつきます。

そのまた両親(私にとっては祖父母ですね)は、さらに古い時代の人たちですので、いまとは、かなり子育ても違っていたでしょうし、親子の関係性も違う時代でしたでしょう。

その時代は、お金のない家庭は、女の子供をお金持ちの男性に売って、お金を作ったりもしていましたし(祖母はそれを経験しています)、

とくに「性教育」について学校でも教えられていないばかりか、親も教えませんから、結婚してもどうしていいやらわからない。

きっとそのころは、結婚するまでは貞操を守る、というのが常識のようでしたので、とくに、恋人を作るとか、そういうこともあまりなく、

ましてや、リレーションシップの「練習」もなにもなく、その年齢になったから結婚して、結婚したらすぐ子供を作る、という文化。

家庭の財政の都合で結婚させられたり、または、男性からの押しに負けて結婚してしまったり、または、お見合いの義理で断り切れず・・・などもあったのかもしれません。

ですので、前の記事(下記リンク参照)に書いたような、夫婦のリレーションシップから学ぶ・・・などということは、見当もつかなかったでしょう。

「パートナーとのケンカと、インナーチャイルドの怒りの関係性」
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/461993396.html

だから、ひたすら、忍耐、忍耐・・・・だったのだと、わたしの母の言葉から察することができます。



そして、

自分が親から育てられたように、自分の子供に接する・・・・というのが、自然な流れですので(なにか新たに自分で学んだのなら別ですが)

母も父も、自分が育てられた過程の中で学んだように、私との親子関係もそのように作っていったのだと思います。

時代の変化と共に、少しずつ親も学び、自分の子供時代の想い出や痛みを、子育ての中でオーバーラップさせながら、そして、癒されて、気づきがあり、自分の成長と共に、子育ての仕方も少しずつ変化していくのでしょう。




誰のせいでもない。

みな、自分のできることを、自分が持つだけの知識と経験で、ベストを尽くしている。

時代の流れなのですね。

日本の変容と進化のプロセスの一部として、親と子供の関係性が、時代と共に変化・変容している。



わたしは、今年になって初めて、母の少女時代の真実と、母の結婚生活の真実を聞きました。

わたしの知らなかった母の人生を知って、本当に、母への理解が深まりましたし、母への同情と愛と感謝が膨らみました。

そして、

自分がどれだけ勝手な投影を母にしていたのか、がわかりました。

母や父から与えられたことでできあがった、インナーチャイルドの怒りや悲しみの投影だった(と頭でっかちな私は勝手にジャッジしてしまった真実ではない投影)というのに、

その母の「母」というラベルを剥がした、本当の姿を知ったら、その母から受けた投影でさえも、真実として当てはまらない「まやかし」だったことが、はっきりわかりました。

母には、母自身の人生の深い深い大きな痛みがあり、そこと向き合いながら、折り合いをつけながら、第二次世界大戦後の厳しい時代を乗り越えて、

そして、

インナーチャイルドの傷を抱えながら、世間への恐れや疑念を感じながらも、

わたしや兄たちを育ててくれたのだなぁ、と、「ひとりの人間」として、「投影」という眼鏡を外した目線で、改めて母を見て、感動しました。

母を尊重するために、詳しいことは書きませんが、

本当に、子供時代も、そして、結婚後も、女性としての尊厳と、インナーチャイルドの怒りと悲しみにとって、

危機をたくさんたくさん向かえて乗り越えてきた母の人生に、

わたしは、同じ「女」としての助け舟として、唯一の「女の子」として、家庭に生まれたのだ、と感じました。



わたしも波瀾万丈の人生の中で、それはそれは、もう、たくさんの、たくさんの危機がありました。

母は、わたしが子供時代、または、大人になってからもずっと、その危機のたびに、わたしをサポートするために、同じようなフレーズの言葉を、何度かかけてくれたことがありました。

それは、実際に、直接言ってくれる時もありましたし、また、手紙に書いてくれるときもありました。

今年の初めころ、日本からドイツに引っ越しをするときに、片づけていた古い荷物の中に、古い母からの手紙を発見して、その何度か私にかけてくれていた「言葉」を手紙の中に発見し、そしてたくさんの状況を思い出しました。




今年の夏に、「母と父への癒しと許し」という無料一斉ワークをしたときのプロセスの中で、



・・・・・こちらです、素晴らしいワークだったのでよかったら見てください。

≪無償・満月一斉ワーク≫「母と父への癒しと許し」
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/460662336.html



衝撃的に気づいたことは、

「母が私にかけてくれていたあの数々の言葉は、母が子供のころに、母の両親から言ってもらいたかった言葉なのだ!」

ということ。

この大きな気づきは、子供時代の母をとてもとても感じて、それはもう、泣けました。



そして、その一斉ワークにご参加くださった方が感想の中でのシェアリングがまたシンクロしていまして、

そのかたが、

「自分の子供に対してかけた言葉について、自分が親からかけてほしかった言葉なのかもしれない」

と、素敵な気づきをシェアしてくださいました。(※ご本人にブログ掲載の承諾をいただいています)

わたしの気づきと、偶然にも共鳴していて、本当に感動しました。



前回の記事にも書きましたように、夫婦のリレーションシップからも、お互いのインナーチャイルドの学びになりますが、

それに加えて、

親子関係の中でも、インナーチャイルドの学びあいがあるのだ!と、

素晴らしい人生のカラクリに、激しく感動しました。



わたしは、しばしば、世界のさまざまな場所でセレモニーをします。

すべての命のプロセスを森羅万象と共に祝福するためのセレモニーは、わたしの喜びです。

ときには、グループのセレモニーに参加したり、また、個人的にプライベートでセレモニーをしたりすることも多くあります。

そして、しばしば、自分のインナーチャイルドの癒しと共に、母と父のインナーチャイルドをそのセレモニーに招待して、

真剣に、ともに癒しを祈ります。

なぜならば、

わたしは、母と父の一部から結合して創造されていますので、

母と父のインナーチャイルドの痛みも、引き継いでいると思うのです。

そして、両親はそのまた両親たちのインナーチャイルドの痛みを引き継いで・・・・・その連鎖が延々と続いているのだと思います。

でも、間違えてこの文章を読まないで欲しいです。

それは、ネガティブな意味ではなく、それは自然であるということ。

だから、両親や先祖を恨んでも、なんの解決にも至らないということ。

そうやって、

時代は進化し、変容して、いまに至りますから、

引き継いでいるこの命を、いまのわたしのこの時代にできることで、さらにいまのベストを尽くして愛していきたいと感じています。



これは、わたしの人生の気づきですので、あなたにもピタリと当てはまることはないと思いますが、きっと、なんらかの刺激になるのでは?と思いますので書きます。

こうして、どんな人が見てくれているのかわからない、顔の見えない不特定多数の人たちが関わるインターネットの上、ブログの感想やフィードバックもいただくことはほとんどありませんし(苦情ではないです!)、本当にわたしとしては、わたしの人生の繊細な部分を書くことはとても勇気がいることです。

ですが、きっと、誰かのお役に立つと信じて、書いています・・・。

わたしの「繊細さ」を抱きしめながら・・・。

これを読んでくださっているあなたへ、愛をこめて。

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2018秋・日本での活動スケジュール
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/461294678.html

ミュンヘン・山梨・東京・オンラインでの
ヒーリングカウンセリング・創造療法のご案内
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html



母と父のインナーチャイルド.jpg












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:08| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

女性たちへの祈り




もう、すでに、ロングセレモニーから2週間以上も経つのか。
トレーニングも含め2週間、セレモニーは7日間、その内72時間は断食して踊り続けた、素晴らしい時だった。

長かったセレモニーだったので、インテグレーション(統合)も、かなり長くかかったようだ。

やっと、リアリティに戻ってきた感じ、やっと、なにか書くことができそう。

わたしは、たくさんの爆発的な学びと、たくさんの柔らかな気づきを、いっぱいいっぱい経験した。



セレモニーでは、ペルーからシャーマンが実際にやってきて、セレモニー全体を期間中ずっとプロテクトしていた。

それはとても刺激的だったし、わたしとも共鳴していたのを強く感じた。

不思議なことに、私はスペイン語が話せないというのに、そのペルーからのシャーマンと同席する機会が何度もあった。

ありがたいスピリット同士の引き合わせ。

すべては、天の導きだった。




サマーロングダンス4.jpg





セレモニーのあいだ、わたしは、たくさんのスピリットたちに守られているのを感じていたし、

そして、わたしの先祖のシャーマンたちのスピリットも、そこに応援に来ていたのが分かった。

この2週間。

過去世からの叡智と、祖先からの応援と、世界中からのライトワーカーからのサポートと、高次元での情報がものすごくて、

とにかく、なにから伝えて言ったらいいのかわからなくて、言葉にならなかったけれど、

本当にとても尊い気づきと学びと覚醒だったので、少しずつでも言葉にして、

この世界にオファリングしていきたい。

わたしの人生は、オファリング。与えること。シェアリング。分け与えること。

そんな気持ちで、いま、書き始めた。




わたしにはもともと、いわゆるシャーマン特性があるので、

わたしにとってご縁のあるものを、自動的に自分の身体に取り入れて(トランス)、そして、多次元から癒している・・・ということがしばしばある。

セレモニーの中では、本当に、ものすごいたくさんの世界のあれこれを、身体に取り込んで、

たくさんのビジョンを見て、それを身体の中から解放していく踊りを肉体に許可し、

実際に肉体的にもそしてハートにも痛みを感じて、ヒーリングウォーターがたくさんたくさん目から流れ出て、

気づきの光と共に呼吸をして、循環して、観察して、抱きしめて、

そして、それらを愛という名のもとに癒し、自分も愛という名のもとに癒された。

とくに、日本の女性の様々なトラウマの集合意識が、わたしの身体をパワフルに突き動かしていた。

想像を絶するものすごいドラマティックでロマンティックな展開が起き、

様々な側面からの集合意識的なものを、たくさん身体に取り入れて、そして、わたしのすべてを捧げて、それらを癒し、自分を癒していた。

でも、勘違いしないでほしい。

わたしが自分に取り込むものは、わたしの魂がきちんと「選択」したもののみなので、それらに振り回されて狂気になることはほとんどない。

わたしには「自分を守る」という権利があるし、わたしの魂は「宇宙目線」で見たときの「最善」のことのみをわたしの人生に与える。

自然にことが起こるときは、「ユキ」という人生を生きるわたしの人生の学びにご縁のあるものだけを、わたしの魂は選んで取り込んでくれる。

だから、わたしはシャーマニックなライトワークの犠牲になっているのではなく、

自分の人生にとって大きな癒しと学びとステップアップの、貴重な機会を与えられているのだということだ。

そして、誠実にそれらと向き合い、それを自分の人生とリンクさせて真摯に向き合うわたしの、この愛のエネルギーが、世界へのオファリングなのだ。




この、インターネットという、相手の顔が見えない場で、しかも、エネルギー交換が発生しない一方通行の世界では、伝えられることは本当に限られる。

わたしが、その壮絶なる経験の中で、伝えたいことをざっくり言うと、

日本の女性を救いたいということ。

世界中の女性の集合意識を、身体と心で経験し、そしてそれをシャーマニックダンスで解放して癒していく尊い経験から、

わたしの本当に、本当に、願うことは、

日本の女性を応援したい、ということ。

わたしにとって特にご縁の深い「日本」へオファリングしたい。

女性の強さ、ありのままの美しさ、「わたし」のままでの尊さ、すべての喜怒哀楽をあるがままに歓迎すること、

女性の身体の神聖さ、ハートの滑らかさ、存在の柔らかさ、女性性器・臓器の神秘さ、命を育む聖なる母性、妖艶な炎、

動物のようなしなやかさ、命を創造するセクシャルエナジー、世界に歓喜をスパークする平和のエクスタシー、底知れぬ愛と受容、

女性の持つ、すべて、すべて、すべてを歓迎して、祝福したい。





男性に愛されるために生きるのが女性のあるべき生き方ではないと思うし、

男性を立てるのが女性の本来の美しさではないと思う。

女だから、女とは、女である限り・・・・・まだまだ、まだまだある、社会的な観念である「女」。

それは社会が勝手に作り出した「こうあるべきドラマ」だ。

「こうあるべきドラマ」が刷り込まれると、「こう見られたい」という自分を演技して装うことを覚えてしまい、

結果、それぞれが持つオリジナルな真なる強さが奪われ、女性としての尊厳を見失う。

もしもそれらの社会的観念が、本当に真に女性の美しさだったとしたならば、すべての女性は男性と共にいて、ためらいようもなく100%幸せであるはず。

にも関わらず、父親との不和や、夫とのセックスレス、パートナーや恋人との関係性への不満、男性上司とのトラブル、複数恋愛からの混乱、男性に関わる出来事からの悲しみ、せつなさ、怒り、居心地の悪さ、自己否定、は絶えることを知らない。

それらが、愛でつながったご縁だったとしても、だ。

だとしたならば、「こうあるべきドラマ」の通りに生きていても、そのひとそれぞれの本当に真なる幸せには至らないのではないか、という疑問が湧く。




日本では、ある程度長い期間夫婦をしていると、セックスレスになることが本当に多い。

なぜ、セックスレスになっていくのか。

その理由があるのだ。

それは、誰が悪いとかどちらのせいだとかいう個人の問題だけではなく、社会的な観念からの「もがき」もある。

日本では、10年以上一緒にいる夫婦は、かなりな確率でセックスレスになる。(3年でもなり得る)

60歳近くになっても、お互いの身体をベッドで触れ合わせる夫婦は、本当に少ないようだ。

面白いことに、わたしが住むドイツではセックスレスのドイツ人夫婦はあまりいない。(歴26年のベテランドイツ人心理カウンセラーからの調査より)

そして、年をとっても、それぞれの段階で、それぞれのやりかたで、それぞれにあった頻度で、「making love メイキング・ラブ」を楽しんでいる。

もっと、面白いことに、

日本人とドイツ人同士の夫婦になると、セックスレスになる確率があがる。ドイツ人同士の夫婦だとあまりないというのに。

外国文化の中に住んでも、夫婦のどちらかが日本人だと、なぜこんなに大きな差が生まれるのか。

そこには、どんな違いがあるのか?

生まれ育った国での「社会的な観念」がどれだけパワフルに人生に影響しているかが、よくわかる。

日本の少子化の謎が、そこにあるのだと感じる。





幸せとは、なにか。

幸せという定義さえも、実は社会からの「こうあるべきドラマ」になっているから、「とはいえこれで幸せなんだ」と思い込もうとしているけれど、

それは、本当の意味では(本能レベルで、魂レベルで)違うから、いつでも、なんだかどこか虚しさと、もやもやと、なにかが足りない感覚。

そして、そのもやもやの正体を見ることは、雲をつかむよりも難しいから、なにかでその空虚感を穴埋めして、そしてまた、ほかの穴埋めを探す。




女性が受けた、自尊心の傷や、支配的なセックスへの恐れ、肉体的・言語的・態度での暴力、

社会が植え付けた「ウソの理想像」との自己比較からの激しい罪悪感、そしてそこからくる自己嫌悪感、

すべて、すべて、本来の女性の美しさとはまったく程遠いところを向いている。




とはいえ、

男性サイドも、社会的な観念からの観点、という枠を超えることは難しく、

愛しているし、守りたい、と心から思っているにもかかわらず、

それを上手に伝えるすべがうまくみつからない。

そこには、確実に男性サイドでの葛藤と自己否定などが生まれるのであろう。

今回わたしが受け取ったメッセージとビジョンは、女性たちからのものだったので、どうやら私は女性サイドの担当のようで、

男性サイドのことは詳細にいまは言葉が出てこないので、これを読む男性に嫌な気持ちを与えてしまったら申し訳ない。

それでも、男性にフォーカスすると、大きな葛藤からのフラストレーション、愛と恐れが、たくさん入り混じったものを感じる。

だから、簡単に「男性が悪い!」と言っているわけではなく、

誰かのせいではなく、結果として現れていることをきちんとみつめて、

そこから、わたしたちは学んで成長していく能力があるからこそ、人間として生まれているのだ。




実際、

女性は男性に守られ、愛され、癒され、サポートされることで、

より一層、美しく、自分らしく愛にあふれて生きていく。

誰しも、パートナーを必要とし、愛し愛されて生きたいと願う。

それが、自然な欲求だ。

その「自然」を、どう自分らしく人生に花咲かせていくのか・・・・は、みなそれぞれの形がある。




日本の女性への祈り.jpg





セレモニーの間・・・・・

とにかく、凄まじいほどの強力な集合意識が、わたしの身体を借りて、わたしにたくさんのビジョンを見せた。

わたしは自分の身をもって、それらと向き合い、自分自身とも向きあい、それらは、たくさんのプロセスを経て癒されて行った。

それらのビジョンは、明らかに、わたしのこの人生の経験ではなかった。

社会的な背景からの抑圧、肉体的暴力、性的虐待、父親から受けた心の傷、夫から尊厳を損なわれた痛み、セクシャルハラスメント、レイプ、性行為への嫌悪、自尊心への悲しみ、自己否定の嵐、自己ジャッジメントのナイフ、

それらは、たくさんの女性たちの集合意識だった。

そして、母の胎内にいる時に、母の人生とカルマと過去世からの経験を、わたしの身体の細胞が記憶したものだった。




わたしは、わたしの身体と心をもってそれらを経験した。

そして、セレモニーの中で、私の肉体のすべてを使って祈り、感じ、抱擁し、認めた。

わたしは、受け取ったこの「宝」を、日本の女性たちへオファリングしていきたい。




DSC_3453s.jpg




ここ数日、夜がわたしを繊細にさせる。

夜遅くになると、まだまだ、ヒーリングウォーターが目から流れ続ける。

悲しいのでもなく、苦しいのでもなく、

ただ、ただ、魂が癒されていくときの、涙。

わたしは、祈る。

心から祈る。

すべての女性の、本来の幸せを祈る。

すべての女性が、魂が震えるほどの「愛」を感じることを祈る。

すべての女性が、自分という人生に、生まれてきた本当の意味につながることを祈る。

すべての女性が、あらゆる圧力と支配と観念から、自由になることを祈る。

すべての女性が、オンリーワンの魅力を花咲かせていくことを祈る。

すべての女性が、愛することを恐れず、愛されることを受け取ることを祈る。

心から、心から、祈ります。




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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:09| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

教会でのある出版記念講演で思ったこと



昨日はミュンヘンのとある教会にておこなわれた、

ある作家さんの新しい書籍出版記念講演に行ってきました。


教会での講演会1.jpg




ヨーロッパの教会は、どこも本当に美しく、みな信仰心が強いので教会そのものが地域の方から本当に愛されていて、それがとても伝わってくるので、とても気持ちの良い愛の波動なので、いるだけで心が落ち着きます。


アメリカの作家さんの出版記念講演だったのですが、クリスチャンの思想でありながらかなり自由にスピリチュアリティを表現している作家さんで、ファンがたくさんいるらしく、時間の10分前にいったら、もう満員で座れないほどでした。

わたしは、一階は満席だったので、二階の席に座って聞いたのですが、教会独特の天井が高い建物の作りのため、マイクの反響がひどすぎて、実は、なにを話しているのかさっぱり聞き取れませんでした。

参加費も支払ったので残念でしたが、でも、集まっているかたがたがとても熱心で、たくさんメモを取っている人がいらして、その真剣にスピリチュアルを学ぶ人々の中にいて、刺激を受けました。



教会での講演会2.jpg





いまはドイツとイギリスとのかかわりが多いのですが、ヨーロッパにいると、どうしても、日本との大きな違いを比べてしまいます。

それが、良いでも、悪いでもないのですが、日本の「改善点」や「矛盾点」もよーくみえます。

日本は島国なので、日本の中にいると、気づかないです。



わたしは、昔から、本を書きたい、というのが夢です。

これは、小学生の時からの夢。

11歳くらいから、詩や物語を書いていました。

その夢は、今もまだ持ち続けていて、「いつ花を咲かせようかな」と、時を見計らって、種まきをしているところ。

本を書きたいです。

詩をたくさんのかたにシェアしたいです。

ブログじゃなくて、実際の「本」という形にしたい。

心がじーんと温まる物語なんかも書きたいし、

自由な空想から、読者がはっと気づくようなファンタジーも書きたい。

そして、これまでわたしがたくさん学んできた、サイコロジーのこと、スピリチュアルなこと、宇宙の愛についても書きたい。



宣言しておこうかな。

すると、宇宙エネルギーがそっちに注がれる。

人生は自分の意図次第で、思いどおりのカタチになる。

それを、自分の人生かけて立証しているようなものだ、わたしの人生は。 イェス!
























posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:01| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

(近況)72時間に向けて心と魂とエネルギーの準備中



いま、イギリス・ロンドンにいます。




6月の日本での活動を終えて、6月14日の夜、ミュンヘンに戻ってきて、9日間の滞在ののち、また出発しました。

実は、ミュンヘンに戻ってから、ずーっと、体調を大きく崩してしまい、8日間、高熱などの諸症状で寝込んでいました。

これは、、

夏至の大浄化!・・・に加えて、日本での活動のハードスケジュールの疲労・・・にさらに加えて、人生が大きくシフトしていく重要なポイントである大変容のため、

急速に、かつ、ドラマティックに、そして、ダイナミックにわたしの魂の学びが進んでいるので、

肉体がその高次元的な部分のスピードについていけれていないのだな、と感じます。



夏至を過ぎたら、急に回復してきました。

とくに、今回は声が出なくなってしまって、「声変わり」なんだな、わたしの中の男性パワーが、もっとスタイリッシュに洗練されていくための変容なのだな、と自分で納得しました。

そして、後半に差し掛かって(今もまだ変容中ですが)咳がたくさん出ているのは、わたしの「ハート」を(咳で)動かして、癒しのプロセスが実行中なんだな、と納得しています。

身体は本当にきつかったけれど、1週間以上も寝込むことなんて人生の中でそうそう何度もないことなので、

自分の身体とがっつり向き合い続けるよい機会でした。



寝込んでいるあいだも、見る夢がとても意味深で、たくさんのメッセージがありました。

とにかく、わたしはシフトしていくのです。

また、変容していくのだ。

死ぬまで、学びと、癒しと、変容の繰り返しだな。ブラボー。ヒューヒュー!




祝福1.jpg




ミュンヘンではずっと寝込んでいましたが、身体はつらかったのだけれど、嬉しいこともた〜〜くさんありました。

まず、

4月に短期集中、猛勉強して受けたドイツ語の試験に合格した通知が来ました。イエーイ!

これは、長期ビザを取るために絶対に合格しなければいけないテストで、ドイツ語知識まったくゼロ!だったわたしが2か月でなんとか合格したのは本当に本当に、ものすごい努力したからでした。

そして、

その合格通知をもって、役所にビザの申請に行き(体調不良の中、息も絶え絶え・・・(笑))、やっとやっと、2年間(+1年間)の滞在許可ビザを手に入れました。ひゃほー!

3年後に、またさらに2段階上のレベルのドイツ語試験に合格しなければいけないのですけれど、3年あればきっと、どうにかなるはず!

ああ、このビザを持っていればもう、ドイツの空港でドイツ人警察官にすごい厳めしい顔で尋問されて、泣きそうなほど怖い思いをすることがなくなって、ホッとしています(入国が頻繁なので、今まで疑われていたらしい)。

それに加えて、やっとやっと、ドイツが私を歓迎してくれていると感じられました。

日本の家を手放したこのタイミングで、やっとドイツから迎え入れられたのだな・・・・と、しみじみ、すべては、完璧なタイミングだな・・・と宇宙に感謝します。

そして、

いまのパートナーと出会って2年の記念日。

彼との出会いからヨーロッパへのご縁がつながりましたし、わたしがどんどん「現実社会」にグラウンディングしていくきっかけとなりました。



ふたりの足.jpg




*******



わたしたちは、シェアリングをとことんします。

ご飯食べながら・・・とかではなく、きちんと「シェアリングしよう」と時間を決めて、向かい合って、合掌して頭を下げるところから始めます。

「あなたの本質とわたしの本質が出会うセレモニー」として。

お互いの関係をどう感じているのか、どう大切に思っているのか、そのほかに大切に思っていることとのバランスをどうとっているのか、などなど、そのときに湧き出てくるものをシェアします。

日本人のわたしは、こってり日本文化が浸み込んでいますから、「自分の意見を言う=敵対する」という、日本社会が勝手にわたしに刷り込んだ、生きにくい「嘘の思い込み」があったので、多くの日本人と同様、なかなか自分の気持ちを話すことが最初はとても難しかったのですが、

実は、人間関係を円滑にするには絶対的に!このシェアリングが活用できるのです。

「言わなくてもわかるでしょ」は、絶対に通用しないし、「この人はこういう人なんだ」という思い込み・妄想は超危険。

でも、シェアリングというのは、相手をジャッジするのではないのです。

ネガティブなことをトピックにするときは、

「わたしはあなたの態度と言動から、こんなふうに「恐れ・不安・怒り・悲しみ」を自分の中に感じている」・・・・というシェアリング。

あくまでも、自分が主体。

ポジティブなことをトピックにするときも、あくまで、自分が主体。

「あなたがもっとこうしてくれると私はもっと嬉しいんだけど」・・・という形ではなくて(これは形を変えた苦情ですね)、

相手を変えようとするのではなくて、わたしの古い感情が、いまの生活でどう刺激されて表れてきているのか、を、自分主体で語ります。

それは、

「あなたのせいでこんなに怒っている、悲しんでいる」・・・という、相手が自分にそのネガティビティを与えている、という形ではなく(それは相手のせいにしてますよね)、それは、相手から受け取るもので刺激されてている、自分の中にもともと持っている「古いあれこれ」なんだ、ということをしっかりみつめる、そして、それを伝える。

すると、本当に人間が深まりますし、深まる人間同士がともに深まっていくと、その人間関係も深まって豊かになっていきます。

興味のある方は、どうぞ、わたしのWSや個人セッションをお受けになってください。

きっと、お役に立てます。

詳細はこちら。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html



*******



そして、

たくさんのかたから、わたしのシフトチェンジのお祝いをいただきました。

本当に、皆さんから愛されていることに、感謝、感謝が溢れて止まりません。

こんなわたしでいいのかしら?と思うことがたーくさんある、完璧ではないわたしですが、

その不完全ささえも、祝福されているのですね。

本当にありがたいことです。




祝福2.jpg




とはいえ、

ここ最近、立て続けに起こったいろいろな出来事から、自分の社会の中での存在価値の自信が揺らぐような出来事がありました。

これも、すべて、足元を固めていくためのひとつひとつのプロセスなのだと受け止めましたが、(雨降って地固まる・・・ですね)、

それでも、人間の部分の私が、傷ついているのがとてもよくわかり、その痛みと悲しみとともに寄り添っていました。

わたしは愛されているし、わたしの命は祝福されている・・・・・、でも、もちろん、痛みも悲しみも人間ですから持っていて当然だし、現れるても当然。

わたしは、わたしという人間の中の「小さなユキ」が傷ついているのを抱きしめながら、ここ数日、過ごしていました。




昨日の夕方、ロンドンに到着しました。

昨夜は一人の夜。

ベトナム料理屋さんでベジタリアン生春巻きを食べながら、自分自身と寄り添っていた時のこと、

突然、ライトが消えて、大きなバーステーケーキを持った定員さんたちが、「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌いながら歩いてきました。

お店の中では15人くらいの団体さんがいて、その中の一人の誕生日パーティーだった模様。

私の前を通り過ぎて、そのグループのほうにキャンドルを灯したバースデーケーキは移動していったのですが、

なんだかわたしは、自分の命を祝福されているかのような、嬉しい気分になりました。

偶然で必然のギフトですね。

これは、確実に、大いなるものの粋な計らいです。

痛みも悲しみも、わたしの「再生」のための良き学びの材料なのだ、だから、それらは成長のためのツールであって、本当の意味での真実ではないのだ、というメッセージ。

わたしは、その団体の方への「おめでとう」を心の中でつぶやくとともに、自分自身の生命・存在にも「おめでとう!」と心から伝えました。



****************



いまわたしは、イギリスの土地にしっかり立っています。


14年前に、イギリスを通じて、私の人生にとって大きな痛ましい出来事があって、こんなふうにまた頻繁に来ることになるとは思わなかったけれど、

成長というのは、過去も未来も(過去世も未来世も)すべてひっくるめて、美しいなぁ、と胸が熱くなります。

昨日は到着後、夕方から時間がありましたので、ロンドンで一番大きなハイドパークで大地と太陽にエネルギーチャージをしてもらいました。



ロンドン4.jpg




肉体はまだ、完全に回復していませんが(鼻水ずるずる、咳がゲホゲホ)、意識はとてもはっきりと明瞭で、そして、わたしの前に見える未来へのビジョンはとてもしっかり明るく明確になっています。

今月はずっと、日本でもドイツでも、たくさんの出来事が起こりましたが、

いつでも、必要なものが、あちらからやってきて、わたしの人生に「どうぞ」と、開かれていて、そして、わたしを待っていてくれています。

本当に、ありがたいことです。

わたしは、ただ、力を抜いて、自分を信じて・・・「わたし」であり続けながら、一歩一歩、一瞬一瞬、目の前の「何も見えない中に見えるもの」を誠実に楽しみながら進んでいくのみです。




今日はこれから、電車で4時間ほど移動した土地で、また、ムーブメントメディスンの濃いトレーニングが始まります。

今回は11日間の集中トレーニング。

わたしがムーブメントメディスンのトレーニングで学んでいることは、ただ単に「動く瞑想」ではなく、

そこには、

とても説明しきれないほどの、「インナーワーク・内なる学び」のお宝がざっくざっくと盛り込まれています。

今回の11日間の中では、72時間の断食で踊り続けるセレモニーを含みます。

これは、「命」への完全なる祝福で、わたしのすべてを使って森羅万象の中に生きる「命」・・・・わたしも含めすべての命・・・への祝福です。

最高です。とても楽しみです。

わたしは、誰かに気に入られようと生きるのではなく、

誰かのようになろうとするのではなく、

わたしは、わたしになる。

これしかない。

それは、ネガティブも、闇も、シャドーも、わたしの「真実」ではないけれど、しかし、すべてわたしの一部であり、

その闇からきちんと自分をみつめて、学んでいくことで、

魂は成長・進化して、闇さえも闇でありながらにして、その個性のままに輝いていく。

おっしゃ、書いていたら、エネルギー的な準備が整った!

読んでいる方から、たくさんの応援を感じます。

どうも、ありがとうございます!



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:14| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月22日

日曜のフラワーオブライフ




2週間くらい前からずっと、おりてきていると感じていたエネルギーがあって、

なかなか、それが統合していなかったのだけれど、

昨日、

突然、違うところからの素早い波動がやってきて、それは私にとっては少し受け取りにくい波動で、

そういうときはすごく意味のある、変容のタイミングのことが多い。

肉体は抗いながらも、先祖の助けを借りながら、自分なりの形に咀嚼して、私の中で統合していった。

この「ゲリラ的」な形でやってくる「ダウンロード」的なものは、宇宙からのものが多く、

たいていが、有無を言わさず、かなり強引にねじ込み入ってくる感じ。つまり、肉体的に苦しい。

だから、わたしはいつも、交渉して、もう少し心地よい形になってもらうことにしている。

昔より、だいぶ交渉が楽になったし、流されずに、自分の意志で受け取る波動を選択するようになったので(つまりYesとNoが明確=バンダリが強くなった)、

だいぶ意識がはっきりと、すべての過程をこの目でしっかり見届けた感。

とはいえ、かなりな大きな「ギフト」との融合だったので、今回も、身体が動けなくなってしまって、

とてもとても大切な約束をひとつキャンセルした。

でも、そのキャンセルをした相手たちとの関係性の中からのつながりに関与する「ダウンロード」だったので、

キャンセルした後に、ほっとしている自分を感じて、マインドと魂は、違うことを望むのだな、と

ベッドに伏せながら、ふむふむ、と納得したりした。




今朝になって、ヨーガアーサナをしているときに、ビジョンがいくつか見え、

そのビジョンと共に呼吸をし、寄り添いながらアーサナをしていると、わたしは、ちっちゃな子供の純粋性に戻っていった。

純粋性は、本当にピュアで美しく、自分自身の中にそれはある。

その後、

猛烈に絵を描きたくなって、描画の瞑想モードに入った。

瞑想モードでの描画は、なんの迷いもなく、ただただ、手が動いていく。

そうすると、すべてが完璧な場所に収まって、アンバランスさえも完璧なバランスになる。




明け渡すこと、委ねることは、ただ、身を任せるだけではなく、

「わたし」であるという意識を持ちながらにして、ゆったりと観察しているということ。

「わたし」に自信を満々にもって、そして、その自信と共に明け渡している、ということ。

次回の日本での、エネルギー的なイベントの準備が着々と進んでいます。

http://yukismyogaism.seesaa.net/article/458378556.html

お会いできるかたに、エネルギーシェアできると思います。





わたしのエネルギーが高まっているときは、あちこちの時計が壊れる、または、止まる、または、間違った時間を示す。

だから、いつも時計を持たないようにしているのだけれど、小さな腕時計をひとつだけ、仕事デスクの片隅にひっかけてある。

一昨日から、その時計が、毎日、時間が狂っている。

おもしろくて、微笑む。

いま、すごく、わたし高まってます。

ぐるぐる、変容の渦の中。

いいぞいいぞ、いい調子だ!




描いた絵から受け取ってください。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:41| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月25日

破壊と再生のドラマ



インドから日本に帰国した。すごかった。統合。



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空を駆ける軽やかな光る眼の大きな翼と、地を這う力強い爪をもつ毛むくじゃらの太い四つ足が、

ひとつに統合したら、純粋さになった。

プロセスは本当に派手な嵐のようだった。

これまでの、たくさんのトラウマがドコドコ現れて、私を恐怖に慄かせるという、人生ドラマを演じていた。

暴れて、痛めて、破壊しまくったら、最後に残ったのは、結局「愛」だけだった。

死ぬ気で、本気出して、本音でぶつかったら、木っ端みじんに砕け散って、

そして、散らばったあとの痛々しい欠片たちが、バラバラに寄り集まったら、それも結局「愛」だった。

いまわたしは、グレードアップした自分を馴染ませている状態。

次のステージに行くまで、このステージでの私を楽しみつくすんだ。



トラウマは、過去の記憶の奴隷になっている状態。

過去の巨大な痛みがモンスターと変身して、暴れ狂っているけれど、

それは、所詮、過去のことで、今現在の真実ではない、ただの幻。

トラウマの奴隷として、そのまま生き続けるも、

いつもの慣れ親しんだパターンへの執着を捨ててそれを卒業するも、

結局は自分の選択・設定なのだ。



時として、ひとは、どっぷりとネガティブパターンに漬かっているほうが楽に感じるのかもしれない。

「ほらね、またこれだ。やっぱりそうなると思ったよ。いつもこうなんだ、どうせこうなんだ。」

そう言い続けているほうが、気持ちよく(ある種の間違ったエクスタシー)感じると錯覚するのかもしれない。

そうやって、出来事のせいにしているほうが、自分は努力しないで済むから、楽だ。

なんてことだろう、それはクレイジーな幻覚だというのに、人は簡単に楽なほうを選んで、ただ馬鹿みたいに繰り返してしまう。



わたしは、それを、ザックザックと破壊して、前にどんどん、進む役割。

踊りながら、ザックザックと、破壊していく。

その先には、新たなステージが待っているし、それはとても楽しいゲームのようだ。

人生は、ドラマだ。

自分の切り替えスイッチ次第で、どうにでもなる。

チャンネルを変える覚悟を決めてしまえば、人生は思う方向に変わっていくのだ。

リモコンをどこに置いたのか忘れてしまったのか。

じゃあ、まずは、忘れているそれを、探すところから始めたらいい。



どうなったとしても、どんなドラマが繰り広げられたとしても、

わたしたちは、すでに生きていることそのものが守られているし、

存在しているそれ自体が、絶対的に愛されているんだ。



わたしの今世について。

こんなに日本文化が居心地が悪いのに、どうして、日本国籍に生まれてきたのかもわかった。

それは、必然であったし、必要であったのだ。

よーく、わかった。

日本にしかない、あの独特な「一滴ずつの暗黙の交換」がわたしには、どうしても必要だったのだ。

細心の極上のケアが必要だったのだ。

そして、繊細なガラスのロータスのわたしは、その日本の先祖から引き継いだものを、自ら選択して受け取った。

霊能者であった祖父から、受け継がれたバトンを、わたしのオリジナルな剣で調理する。

そして、未来へと踊りながら歌いながら飛んでいく、タンポポの綿毛を作った。

種を、世界中のいろいろな土地に撒いて、愛と平和を風と共に囁いていった。

どうなったとしても、わたしは、とことん守られているし、

絶対的に、もう、根本から、根底から、疑いようもなく愛されている。

それを、一歩踏み進むたびに、大地に浸み込ませていった。



人生は、自分で作り上げるドラマだ。

いつでも台本を見直して、書き換えることができる。

見直したところからだけ、書き換えることができるのだ。

どうでもいいことは、もうどうでもいいから、

この自分のドラマを面白く、目がキラキラ輝くようなシナリオに書いて、ときに見直して、そしてまた、書き換えていくことに、

夢中になって楽しんでいたら、

わたしたちは、きっと、絶対的に愛されていることに疑いを持たず、

そして、自分が愛そのものであることへの、自信と確信が持てるのだと感じる。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:48| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月15日

天空の森の絶景をみながらつぶやき




着々と、もうすぐ新しい生活への未知に飛び込む、スピリチュアル的な準備が進んでいるのがわかる。

先月12月に、かつての私は確実に死んで、そして、いま新たに生まれ出るための、産道の中を一歩一歩進んでいる状態。

暗いけれど、狭いけれど、確実に出口は明るく、そして、その先は無限に広がる、ということを信じているし、それは真実。

結局、古い古い私の一番センシティブで壊れやすい結晶のような部分を、丁寧に溶かして、ゆっくりと飲み干していかなければ、この先には進めない・・・という「設定」になっていた。

魂の進化の構造はとても巧妙なので、過去から未来へ、闇も光も、すべてに隙がなく、過不足がなくて感心する。

そして、それを見つめる「目」を持つ自分を祝福したい。

魂が提案する、途方もない「プラン」に愕然としながらも、自分のカリスマ魂の「進化」に対する潔い熱意に、我ながらアッパレ、と降伏した。

そして私は、一歩ずつ、すべての感情と経験と過去と未来を味わいながら、進んでいく。

一歩踏み出すごとに、わたしの姿形がニュルンと変わっていくのが、よくわかる。

実は、バリから戻ったばかりだというのに、突然、数日後に、インドに行くことになった。

破壊しきったあとの、統合と再生と創造のセレモニーに、魂のふるさと・インドのクレイジーなパワフルエナジーに呼ばれた。

私もクレイジーだわ。

とことん、この愛すべきクレイジーを極める!意気込みでいる。


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天空の森からの日没後と、日の出後の、絶景を見ながら、

回転する地球という宇宙船の上に降りて、人間として生きている、「わたし」を、じっくりと 咀嚼し、味わっている。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:41| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月08日

2018年の初夢「自分の内なる叫びを尊重・最優先する」



2018年の初夢は、すごく強烈だった。

年末からずっと起こっていた出来事と、学びがつながっていることに、あとで気づいた。

その夢の意味を、「社会のマインドコントロールに巻き込まれるな!わたしは私の感性を尊重すべき!」というふうに、わたしは解釈をした。



***********************


わたしは、人からある団体の集いを紹介された、という設定で、あるコミュニティのワークショップのようなイベントに参加していた。

でも、わたしは、参加者が全員、とても奇妙に見えた。

なにやってるのこれ? 気持ち悪い。

みんな、すごく、どう考えても的外れなことを、誰かの指示のもと、一心不乱にやっていた。

指示を出しているその「誰か」は、姿は見えないし、どこかからマイクで指示を出しているわけではないのだけれど、

でも、その「誰か」の存在感はとても大きくて、姿も声もなにもそこにはいないのに、みんな、その「誰か」のいいなりになって動いているのがわかった。

「ああ、気分が悪い、なんだこれ」・・・とわたしは、愕然とした。

怪しいグルに洗脳されている人たちが、怪しげな行動でぐるぐる動いている。

わたしは「ここは私の場所じゃない」と、心から拒否感。

ロボット人間・・・・、あやつり人形・・・・、そんな言葉で表現できる人たちが目の前で、歌ったり、歩いたり、なにか書いたり、なにかやったり、とにかく、なにか行動している。

その人たちは、自分の意志でそれをしているのだと信じているのだけれど、実は、全部、マインドコントロールの下で起こっていて、

自分たちが「あやつられている」ということにさえも、気づかず、「自由に行動している」と間違えて捉えている、本当はすべて支配されているということにも気づいていない。

わたしは、すべてが見えるから、その人たちの無知や、目に見えない支配的な存在のこともわかっていて、

だから、わたしは抵抗して、その「マインドコントロール」にはあやつられないようにしていると、

周りの人々が、わらわらとわたしに寄ってきて、わたしを彼らの中に巻き込もうとする。

「どうしたんだよ、すごくよいイベントだよ。おいでよ。君は間違っている。みんな、すごくいいって言っているのに、どうして君だけそう思わないんだ。」

そう言って、人と違うわたしを、彼らの中に巻き込もうとする。



夢の中のわたしは、高いところから広い視野ですべてが見えているから、

「まあ、ちょっとこの中に巻き込まれてやって、様子を感じてみるのも面白いかもしれないな」

と、柔軟に構えて、そのロボット人間たちの間に、同意のもとで入っていってみた。

わたしはボディワークをしている人たちに交わってみた。

数年前に参加して学んだ、舞台芸術の学校の研修のような感じのボディワークが行われていた。

身体表現は大好きだ。

いろんなひとの体に寄りかかって表現したり、歩いたり、数人で身体で形を作ったり、持ち上げられたり、腕や足を絡ませたり、とても面白かった。

夢中になって、隣の人や、前の人との呼吸を合わせて身体で表現していて、はっ!と気づいた。

こうして、ロボット人間たちのあいだにいると、その人たちに合わせることが必要になるから、相手の空気を読みながら動いたり、予測して構えたりして、

そんなふうにしているときというのは、実際には、目の前のほんの小さな狭い空間しか見えていないのだ!

そして、目の前の小さな狭い空間で繰り広げられている、周りの人間たちとの押し合いや、駆け引きや、空気の読みあいなど、それが、自分の世界のすべてになってしまっているではないか!

こんな小さな狭い空間の中で、こんな小さなことが、「人生のすべて」みたいに見えて、いかに周りとうまく呼吸を合わせていくか・・・・がすごく重要なことみたいに見えてしまっている!

わたしでさえも、このロボット人間たちの間に入り込んでしまったら、一瞬、自分を見失ってしまった!

これは、おもしろい発見だ。

いくら「わたしはしっかり目が開いている」と思っていても、いざ、その渦中に入ってしまうと、結局、まわりのロボットたちと同じものなってしまう。

そして、それに気づかない・・・・!? こわっ!




その後、後半のイベントは、たくさんの人間たちがベルトコンベアーみたいな、周り寿司みたいなのに立って、次から次へと、わたしの前に流れてくる、という場面。

なにがしたいのか、なにを意図しているのかわたしにはわからない。

でも、列になって流れてくる人々が、自慢げな誇らしげな顔で、「ふふん」という表情なので、周りでみている私たちよりも、きっと、なにか偉いことをして、その褒賞のために、ここに立って、みんなに見せるためのパレード?なのかもしれない。

わたしは吐き気がした。

なんで、気づかないんだこの人たち。

何に対して誇っているのだ?

結局、姿のない声も聞こえないけれど、確実にマインドコントロールしている「ある存在」に、ただ操られているだけだ。

良いと悪いのジャッジさえも、知らないうちに深層に植え付けられて、勝手に競争心と優劣を設定させられて、そして、こんな恥ずかしい形で、ベルトコンベアーで流されている姿でさえ「すごいでしょ、ふふん」と思ってしまっている。

なんてこった、大丈夫なのか日本は??

周りの人々は、ものすごく盛り上がっていて、わたしひとりだけ冷めている。

ん? わたしがおかしいのか? もしかして、わたしが変なのか?

人と違うと、どうしても「わたしがおかしいのか?」と思ってしまう。

これも、団体コミュニティーの中で調和を図る日本の文化特有だけど・・・・でも、わたしは自分の感性を尊重したい。

わたしは、おかしくなんかない!




その場所から帰ろうとしたけれど、どうしても、帰り道がわからない。

何度も、変な場所にワープしてしまう。

わたしは夢の中では空を飛べたから、目的地を上からみて、そこにめがけて飛んでいくのだけれど、

上から見たその目的地が、近づくと形を変えてしまうし、道もころころ変わってしまうし、どうにも、帰り方がわからない。

まるで、罠にかかったかのようだ。

あそこに目掛けて飛んで行っても、違う場所にたどり着いてしまう。

空を飛んで、あちこち行ったけれど、眼下の町並みは、グニャグニャと、常に変化して安定しないから、どこにも降り立つことができない。

どう考えても、罠にかかっているとしか思えない。




しかたがないので、空を飛ぶのはやめて、アナログな方法で、歩いて帰ることにした。

自宅と思われる場所にたどりついた。

たぶん、自宅だったのだろうけれど、見たことのない家だった。

見覚えのないドアを開けて、家に入ると「おかえりー」という声がした。

全然、馴染みのない落ち着かない家だったけれど、ここがわたしの自宅、という設定だった。

夢の中のわたしは、知らない家を「自宅」と設定されていることに、とても不思議な気分でいた。

中には、母がいて、兄が2人いた。

兄の子供もいたけれど、これも実物と違って、見たことない太った男の子だったけれど、「わーい」と嬉しそうに私に駆け寄ってきたので、きっと兄の子供(の設定)なのだろう。

わたしは駆け寄ってきた男の子を、「よっしゃー」と抱き上げて、楽しそうに見せていたけれど、見たこともない男の子と楽しそうに遊ぶ・・・という演技をしていることに気づいていた。

社会って、演技だよな。 

知らない家で、見たこともない男の子を抱き上げて、「家族」という演技を完璧にこなす。

社会って、演技次第でどうにでもなるんだな、と思った。

そして、母と兄たちはわたしに「イベントはどうだった?」と聞いてきた。

「とてもよかっただろう?」とみんなしてわたしに聞いてきた。

わたしは感じたままに話した。

「すごく居心地が悪かったし、納得いかなかった。気持ちが悪かった。わたしの場所ではなかった。意味が分からないし、みんなただのマインドコントロールだった。」

そうしたら、みんなが大反対して

「どうしてだ!?だって、人々はみーーーんな、素晴らしいって言っているんだよ。だから、みんながそう言うなら素晴らしいに決まっているじゃないか。なんで、ユキはいつも、人と違うことを言うんだ!みんなが、良いというものは、良いに決まっているだろう!」

私は、激しく納得できない。

だから、懇々と丁寧に、ひとつひとつ、なぜおかしいのか、なぜ気持ちが悪いのか、どうして納得しないのか、みんなマインドコントロールされているだけなのだ、ということを、辛抱強く説明した。

家族のみんなは一瞬、納得して同意してくれたけれど、数秒後にはまた

「いや、でもそういうものなんだから、みんなやっているんだ。お前がおかしい」

と、すぐにまた、洗脳されたモードに戻ってしまう。

ああ、ダメだこりゃ。

と、心からあきらめた。



***************************



これが、わたしの初夢。

衝撃的だったので、細部まで結構、鮮明に覚えている。

起きてから、ものすごい強く納得した。

最後のほうは、わたしの子供のころの体験ともリンクする。

わたしは、「変わった子」と呼ばれていたし、人のことがよくわかって(読めて)しまうので、図星ばかりをつくので、大人から好かれないことが多かった。

そして、あまり人に頼らず、ひとりでなんでもやろうとしたし、ひとりの時間をすごく大事にしていた子供だった。

「お前は変わっている。物事を斜めからいつも見ている」と親に言われ続けて、「わたしは変なのか?」と自分を責め続けて、いまこの瞬間まで、その「自分を責める」心の癖がどっぷりとついている。

でも、ただ、わたしはすごく感性が長けていただけで、いろいろとわかってしまったから、そのまま口に出して言うと、社会に洗脳されている人たちに「それはおかしい」と言われただけだった。

そして、子供のわたしは、自分があるがままの姿でいると、「おかしい」と言われてしまうのだ、と学んでしまったのだけれど、じつは、とてもオリジナルな能力を持っていただけだったのだ。

自分の「わかってしまう」という敏感な感性が人を怒らせたり、嫌われたり、おかしいと言われてしまうことから、小学校5年生くらいから、すでに、「わたしはあるがままじゃダメなんだ」という自己否定が始まっていた。

いま、大人になって、その子供のころに培ったたくさんの傷とトラウマを、癒し続けている。

そして、先日、パートナーにこの夢についてシェアして、さらに、大きく納得した。

わたしは、社会のマインドコントロールの罠には、はまらない、と決意した。

ただ単に、みんなが「よいものだ」と言っているからといって・・・、ただ「有名だから」といって、自分の感性・感覚を殺さないようにする。

自分の直感・ハートを、常に最優先に信じる。

迷うとき・・・・というのは、周りのあれこれに惑わされてしまって、最初に感じた直感を疑っているときだ。

わたしは、自分を疑わないようにする。

なにが起こっても、すべて最善なら、わたしは自分のスタイルを貫くし、だからといって、人のスタイルを否定しない。

みんな、違って、みんな、いい。 

「違い」を認めて、ひとつの独立した存在として、オリジナルな唯一無二の命としてのわたしを、

とにかく、心から尊重して生きる。

「自分を愛する」という、聞き飽きた言葉では、足りない。

「わたしという命を尊重する」

これが、わたしの2018年の初夢からの、強い決意。

そして、

社会のマインドコントロールの罠をしっかりと見極めて、知らずに、はまることは絶対にしない。

でも、知っていて、あえて、はまってみる・・・ということは、するかもしれない。

それが、自分の夢の実現と、それに伴う、魂の進化に必要ならば、それもあるかも。

でも、それは「操られている」のではなくて、「自分の意志で、ロボットの真似をして踊っている」のだ。

知らずに振り回されている・・・ということと、知っていてあえて罠にかかる・・・というのは、大きく違うのだ。

「自分の内なる声」をなによりも最優先にする。

社会的対面や、いわゆる常識や、周りからの目や、自分の中に植え付けられた「社会的観念」のジャッジメントなどには、操られないし、

聖者や偉人の言葉や、宗教的な教えや、ヨーガの哲学的な智慧や、成功者のアドヴァイスなどにも、操られない。

どんな偉い人が私にアドバイスしたとしても、どんなに大量の人々がわたしはおかしいと言ったとしても、だれが何と言おうと、わたしは「自分の内なる叫び」を最優先にしたい。

本当の意味でわたしを守れるのは、私しかいないし、

本当の意味でわたしを幸せにできるのは、私しかいない。

そんな、2018年の初夢だった。

バリの北端の海沿いの田舎町で、ドイツ人のコミュニティーの中で、文化的なことや、社会的なことや、いろんな内なる葛藤と共に、2018年は始まった。

こんなふうに自分としっかり向き合っていくことで、様々な、葛藤から自分の命を学んでいく。

今年も、より一層、飛躍しそうだ。

合掌


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:47| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

つぶやき・根っこのヒーリング


(つぶやき・引っ越し2か月前)


海外移住することと、一人暮らしから卒業することについて、ものすごい勢いで、ワクワクと不安と寂しさと喜びがごちゃ混ぜになっている自分の心を、微笑ましく見ているこの頃。

今回、11月に日本に帰国してから、自分のルーツ(根っこ)がどんどん癒されていくのがわかる。

こんなふうに、もう何年も、海外と日本を行ったり来たりしていると、その都度、日本に帰国してくるたびに、その時々の日本滞在に向けての、いわゆる「テーマ」が自然と存在していることに気付いている。

今回のテーマは、自分のルーツを許していくこと。

それに関わって、もろもろの現象が、ものすごいスピードで起こっている。



実のところ、今年に入ってから、融通の利かない日本と、自分軸のない日本人の振る舞いと、まどろっこしい日本文化が、ほとほと嫌いになる、という感情がたくさんたくさんたーくさん現れた。

今年の夏に5週間くらい日本に滞在していたときが、ピークだったな。

その夏ころ、私に会った友人たちは、私が日本文化に対して文句ばっかり言っていたので、嫌な気分だっただろうな。
いま思い返すと申し訳ない気持ちです。



でもそんなふうにして、日本へのフラストレーションを沸き立たせることで、当然母国へ持っている日本への愛着・執着を手放して、海外移住への幻の恐れを克服するための、いわば「背中の後押し」的な、自然な宇宙の計らいだったのだ、と確信している。

それとともに、

きちんと移住することを決断して、パートナーと暮らすための、ものすごい面倒くさい手続きを、いま、ひとつひとつ進めていくとともに、一歩一歩、日本から徐々に遠ざかっていっている過程で、わたしはどんどん、これまで許せなかった自分の「ルーツ」について、より一層、客観的に見れるようになっている。



ルーツについて、一番大きな許しは、母と父に対して。

そして、自分が日本人ということに対して、過去の海外経験でた〜っぷり培ってきてしまったコンプレックスと自己否定への許し。

それに加えて、子供のころから塗り込んできた、自分が生きていること・存在への疑い。



どうあがいても、変えることのできない私のルーツ(根っこ)の部分の、真実ではない後付けの観念と、長いこと傷ついていた部分に、きちんと誠実に愛をもってみつめていくことで、じっくりとゆっくりと癒されていくのがわかる。

ものすごい深い、深い、プロセスが、毎日、毎日、わんさかやってきている。

抵抗する自分もいるけれど、とても大切な時期なので、ひとつひとつ、根気よく向き合っていく。

こうやって、しっかり自分を見つめていくことが、「生きる」っていうことだよな、としみじみ、感じる。

そして、そうすることで、魂はどんどん、磨かれていく。

どんどん、自ら縛っていたロープを解いて、自由になっていく。

この「解いていく」という尊い作業でのエネルギーが必要だからこそ、わざわざ、私たちは、自ら縛っていくのだろう。

人生のすべてには意味があるんだ。

でも、その意味に気づかなければ、まったく意味がないんだよね。



そんなわけで、わたし、

新しいスタートにえいっ!とダイビングするための、

ワクワクと、ハラハラと、うひゃひゃひゃと、チーンを、

めいっぱい楽しんでま〜〜す。



※オリジナルなヒーリングセッションのご案内
(カウンセリング・創造療法(セルフクリエイティブセラピー)・ヒーリング・高次元エネルギーワークを組み合わせて、おひとりおひとりに最善のワークを提供しています)
わたし、さらに磨きがかかっています。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:40| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

日本のわたしについてのつぶやき



昨日、日本に帰国しました。

私、どんどんまだまだパワーアップしています。

迷いも恐れも超越しています。

言葉にはできません。

日本に帰ってくるたびに、自分が変化・進化・変容しているのがよくわかります。

帰国のたびに、日本人と日本文化から感じるものが違うから。

日本人も日本文化も、そんな急激には変わっていないはずだから、

わたしが、急速変容しているんです。

もはや口癖ですよね、これ(笑) わたしは、どこまでも、進化していきます。




今回の日本滞在は6週間。

ご縁のあるかたとお会いでき、エネルギーのシェアができると思います。

ぜひ、イベントやヨーガクラス、ヒーリング個人セッションなどにお越し下さいませ。

今回のヨーロッパでは、私の能力が開きすぎてしまって、ちょっと大変でした。

チャネリング能力もヒーリング能力も、ぐんぐんアップしていますので、それに伴って、いろいろ(説明できませんが)とエネルギー調整しないとなりませんでした。

もっともっと、わたしの持って生まれた才能と、培ってきた経験を、広く世界に使っていって、世間に貢献していきたい。


***************



面白いなあ、と感じたのは、ヨーロッパからの帰国の飛行機の中。

いつも、日本に到着する3時間前から、体調が悪くなります。

これは、ここ最近3回連続で、同じタイミングで体調が悪くなります。

下痢と吐き気と呼吸困難、で、とーーってもつらいです。

何度もトイレにこもって、呻いていました。

そして、徐々に日本に近づく、着陸30分前くらいになると、徐々に楽になってきて、嘘みたいに消えてなくなるのです。

不思議だなぁ。

まっさきに考えたのは、ちょうど北朝鮮の上空あたりを飛んでいるときだから、土地の波動に敏感な私は、なにかに反応したのかも?

そしてもう一つ考えたのは、

進化・変容したわたしが、日本の土地の波動にきちんと馴染めるように、身体が準備していたのかも、ということ。

日本の波動は本当に独特です。




**************



日本に戻ってくると感じるのは、「孤独」。

わたしにとっての人生のテーマです。

子供のころからの夢は「温かい落ち着ける家庭」でした。

大人になってからも、夢は夢のまま・・・・・ずっと。

きっと、これから叶うはず・・・・。

でも、これまで、「愛」はたくさん、たくさん、たくさん、与えられてきました。

わたしは、「愛を学ぶために生まれてきたのだ」と、大きな声で言えます。

「愛とは与えて与えられるもの」

私がとても「愛」を楽しめる時間は(パートナーとの時間以外では)、ヨーガクラスや、ヒーリングセッションなど、誰かに「与えているとき」です。

「愛そのもの」の形になって、わたしは与えています。

そうすると、目の前にいるかたとの「愛の交歓」が始まるのです。

これは、目に見えないエネルギーでの部分で行われます。




今回のヨーロッパ滞在2か月の中で、3週間ほどはイギリスでムーブメントメディスンのトレーニングを受けていました。

小学生のころから常にリーダー役のわたしが生徒になるシチュエーションは、とても貴重な経験です。

自分の弱いところがわんさか、わんさか、出てきて、とても興味深かったです。

そして、気づいたのは

「わたしは、愛を受け取るのが上手ではない」ということ。

与えるのはとても得意です。

でも、受け取ることが難しい。 

いつもそうですが、今回も本当に深いトレーニングで、わたしのインナーチャイルドからの情報を、たくさんたくさん感じることができました。

自分のテーマである「孤独」がよく理解できました。

素晴らしいです。わたしのテーマ、万歳!

良いとか悪いとかのジャッジメントでは計ることのできない領域です。

軽やかになるための経験には、あえて、重りを持つことが必要な時もあります。

思いだす作業のエネルギーが必要な時は、忘れてしまうことを繰り返すことで、エネルギーが繰り返され、徐々にパワーアップしていくのです。

伝わるかな、この少ない言葉で(笑)

とにかく、

生きるって最高! 

歌って踊って笑って愛しあって・・・




戻ってきた、愛する天空の森ヒーリングスペース。

わたしは、本当にここでの時間が大好き。

森の音がとても優しい。 

太陽の輝きも、虫たちの動きも、時間帯によってさまざまな違う種類の鳥の声が聞こえるのも、

本当に居心地が良い。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:18| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

子供のころのインスピレーション


わたしについての記事。

ムーブメントメディスンの「イニシエーションWS」9日間 を受けに、イギリスに来ています。

このWSは、

受胎・誕生・幼少期・思春期・青春期・成年期・成熟期・老年期・死・・・の人生の9サイクルをダンスとともに洗って内観する、メチャクチャ深い、プロセスのダンスヒーリングです。

昔、一週間の集中内観療法を受けたことがあり、あの時は畳半畳の独房みたいな空間で一週間、人生を洗った記憶があります。 2回やりました。

でも、今回は肉体を使うからより深いと思います。

そのWSに先立って準備するものの中に、子供の頃にインスパイアされた大人たちの言葉・・・というものがありました。

そこにフォーカスをしていると、幼少期のことで思いだすことがいくつもありました。




吉野弘さんの詩です。「祝婚歌」


祝婚歌s.jpg



これは、小学生のころに、大好きで、大好きで、たまらなかった詩です。

小学生だというのに、パートナーとの愛を深めるための詩が好きだったなんて、愛のために生まれてきた、わたしらしい。

このころの日記も出てきたので読んでみると、客観的に冷静に見ても、家族愛に飢えているのがよくわかりました。

「うちは一家だんらんが無いので、2週間に1回くらいは、家族みんなでご飯が食べたいな・・・・なーーんて、贅沢かなぁ・・・・?」

なんて、小学生の言葉にしては、寂しいことも書いてあったりして。





そして、これは、小学校を卒業するときに、担任の先生からいただいた言葉。

「非凡なる人生」

当時のK先生は、私の人生の中で唯一、わたしを認めてくれた先生だと感じています。

私は、子供のころから敏感で、直感が鋭くて、恐らくいま思うに、リーディング能力が長けていたので、

人のことがよくわかってしまって、ズバズバ、本当のことを友達に言ってしまったり、遠回しに言わないで、ストレートに図星をついてしまうことがとても多く、

周りのお友達を泣かせてしまったり、怒らせてしまったり、することが多かったのです。

本人は、意地悪しているつもりはなくて、ただわかっちゃうから、言ってしまうだけなのですが、

それが、周りの友達たちには、図星だったり、隠したいことだったり、本当のこと過ぎて受け入れられなかったりしたみたいで、

日記の中には

「また、わたしは強く言いすぎて、なんとかちゃんを怒らせてしまった。こういうところは直さなきゃ」とか

「そんなつもりじゃないのに、泣かせてしまった。もう、自分がヤダ」とか

人と違う自分を責めている日記の内容が目立ってあった。

そんなわたしを、K先生は

「それはユキちゃんの良さでもあるんだよ」と言ってくれた、初めての先生だった。

わたしは、小学生までは秀才で(中学生から落ちこぼれたけど)、とても頭がよかったし、リーダーシップがあったので、K先生はわたしに特別な仕事・・・テストの採点とか、みんなのまとめ役とか・・・・・、を与えてくれていた。

わたしは、自分が人と違うこと、人の本音がわかってしまうこと、図星をついてしまうこと、敏感過ぎることに気づきはじめて、なんだか、自分が自分でいちゃいけないみたいな気分になっていたけれど、

K先生のおかげで、そのままの私でよいのだ、ということを教えてもらった気がする。

小学校卒業の時にいただいた言葉

「非凡なる人生」

は、

「そのままの自分のオリジナルな人生を貫きなさい。人と違う、あなただけの個性的な生きかたをしなさい」

というメッセージでした。

本当に、嬉しかったです。

その後、K先生はずっとわたしのことを気にしてくださっていて、12歳で小学校を卒業してから、私が24歳くらいまで、お手紙を交わしていました。

今回、WSの宿題のためにいろいろと昔の資料を引っ張りだしてみたのですが、自分の人生を振り返る、よい機会となりました。




今日から、9日間。

ここ、イギリスにて。

さらに、じっくり・・・・・過去から、未来まで・・・・・味わってきます。

もうすでに、3〜4週間前から、このWSのプロセスが始まっていて、わたしは、自分のルーツであるところ・・・・日本人として、日本文化、両親、家族、など・・・・への意識のプロセスが進んでいます。

このWSの最中は、ブログはアップはお休みします。















 
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:03| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

私がいま経験している、パートナーとの愛の深めかた


「私がいま経験している、パートナーとの愛の深めかた」



気づきと学びがざっくざくのパートナーシップが続いています。

起こった出来事から、自分の中で反応している感情を、相手のせいにしない、自分のせいにもしない、

誰のことも責めない、何が起こっても世界の何に対しても責めない、恨まない、ポジティブもネガティブも、起こった出来事のすべてが「学び」となる、

魂から響き合い、高めあい、自分自身で癒すきっかけを与えあう、スピリチュアル的に素晴らしいパートナーシップです。




わたしたちは、とことん、話しあいます。

自分の魂の学びと、そのプロセスをシェアしあいます。

ぶつかり合っても、とことん話し合って、全部、誤解からくる妄想だったことに気づきます。

愛についての恐れも、相手への想いの投影の中に見ている自分のインナーチャイルドのことも、いま自分に巻き起こっている問題からの発展のプロセスについても、

とにかく、とことん、シェアします。

否定しないし、自分の持つ「こうあるべき」を押し付けることもない、相手に文句を言って相手を変えようとするのではなく、この出来事はなにを私に伝えようとしているのか、にフォーカスした関係性。

まず、「関係性の中から自分が、自分の人生をどう学んでいくか」についてに、フォーカスを向けて関わっていくと、気づきがみるみる増えて、そして、それがすべて自分自身の魂の癒しにつながっていきます。

お前のせいだ、とか、全部わたしが悪いのよ、とか、そういう、意味のない、無駄な責任のなすりあいはない。

自分の感情の責任は、それぞれお互いが責任を持つ。

その目線での関係性から、自分にフォーカスした時に起こる学びとプロセスを、とにかくシェアする。

すると、話している自分も、どんどん整理できるし、自分が話しているのを聞いている、相手の反応から、さらに自分の中に発生してくる感情など、さらにまた、自分について気づくことがたくさんあり、どんどん、プロセスが進む。

そして、相手のシェアリングも聞くことで、自分がいかに、自分の内面や、過去の経験からの痛みを相手に「投影・転移」していたかに気づき、

その、リアルタイムで今まさに起こっている「誤解」に気づくと、まるで、現行犯逮捕(?)的に、それらの痛みは癒されていくのがわかる。




そして、とことんシェアしあったら、な〜〜んだ、馬鹿みたい、ただの幻想だったんだ!・・・・と最終的には、ふたりで、思いっきり笑い飛ばす。

出しきっちゃうと、あとくされがなんか、なんにもない。

人生の出来事は、結局、自分の心が作り上げた幻影のドラマだね、これは、痛快だわ。 

悩んでもアホらしい。 深刻になりすぎることはない。

そして、「まるで趣味だね、このネガティブ・エゴ・恐れ、は。あはははは〜〜」と笑い飛ばして、気づかせてくれたお互いの存在に感謝する。

そして、愛が深まる。

でも、この最終的に笑い飛ばす・・・に至るには、とことん話し合って、見つめあって、自分と向き合って、パートナーも自分と向き合っているのを見守りながら、わたしは私と向き合う・・・・過程が必要。

向き合うことをすっ飛ばして、ただ笑い飛ばして雰囲気を変えようと努力するだけなのは、問題解決を先延ばしにしているだけで、一時的なその場しのぎであって、なんの意味もない。

繰り返し、また、おなじような問題がやってくるだろう。

パートナーシップから、自分のブロックや、投影や、インナーチャイルドの訴え、どうやって自分を癒していくのかを学ぶ。





先日、わたしがふと思ったことを口にした。

「わたしは、出会ってすぐのころは、あなたに対してまったく恐れがなかったの。自分の直感を絶対的に信じていたし、なんの迷いもなかったのに、どうして、今は、関係を続けていくこと、そして先に進んでいくことに、恐れと疑いがいっぱい出てくるんだろう?」

パートナーは、ははは、と笑いながら言った。

「それは、以前は僕を通してしている自分の「投影・転移」を見ていただけだったんだろう。だから恐れがなかったんだろう。いまは、リアルな僕という人間をきちんと知って、投影がなくなってきたから、恐れと疑いが見えてきたんだろう。ははは、おめでとう」

なるほど〜〜〜〜〜〜、と激しく納得した瞬間でした。

さらに、グイーーーーン!と、自分への理解も深まった = 魂の学びが進んだ、のでした。

そして、恐らく、彼も同じように、私に対する自分の「投影・転移」から学んでいるからこそ、笑いながら、そう言えたのでしょう。

最後は、深刻になりすぎる自分たちを、笑いとばして、見つめあって、微笑んで、お互いの存在が自分にとってなんと学び多きものかと感謝しあって、

すると、愛が、さらに深まっていきます。




★パートナーシップ、ファミリーシップ、フレンドシップなどの人間関係に関する、ソウルカウンセリング・ヒーリングセッション承っています。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html

★魂の癒しにつながる、ラクシュミナラヤニ ユキ オリジナルヨーガ 出張クラス承っています。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/451857242.html



ふたりの影.jpg












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:52| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月25日

今日は、祝福すべき大きな一歩前進の日



ここのところずっと、深い深い、プロセスに入っていた。

100日間の祈りの舞を始めてから、わたしは、たくさんの気づきがあり、たくさんの癒しがあり、

前にもまして、かなりな猛スピードで、魂の学びが進んでいる。

そして、どんどん、潔くなっていく。

やはり、肉体を使いながらの瞑想・内観は、気づきと癒しが、本当に大きく、早いと実感する。



今日は、祝福の日としたい。

そんな出来事が起こった。


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先日の新月の前夜。

久々に、古いスタイルで宇宙からコンタクト要請が来た。

これは、わたしが小学生〜高校生くらいまで、頻繁に経験していた方法で、高校を卒業してからはピタリと無くなったやりかただった。

だから、私にとっては古典的なスタイルだったので、「おおおお〜〜〜、久々〜〜〜、懐かしい〜〜〜〜〜」と、結構盛り上がった。

どうしたんだろう、こんな古い手を使って・・・・、最近のスタイルをどうして使わないんだろう・・・・?

と、不思議だったんだけれど、きっと、発信元の宇宙部署?(笑)が違うんだろう。

子供のころによく繋がっていた部署?は、大人になって必要がなくなったので、コンタクトが途切れたんだろうな。

で、大人になってからは、違う部署からのダウンロードが違うスタイルでやってくるんだな。



その経験から、わたしは、ビッグでパワフルな、ギフトを、ある存在からいただいた。

それを、わたしの手にしっかりと入れたこと。

はっきり、覚えているし、ビジョンがすぐ目の前にある。

その「ある存在」の波動も、しっかりまだ、覚えている。



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その翌日。

自分に創造療法・箱庭ワークをしてみた。

私の存在でのグレートマザーが見守る中、無意識層から創出されたものは「インフィニティ&統合」だった。


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すごいエネルギー、わかりますか?

世界の平安にお役に立てますように。

(創造療法は、私が個人セッションで提供しているカウンセリング技術です。自分の中から出てくる「未知」がとても興味深いですよ。 気になるかたはぜひセッション受けてみてください。)


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もろもろの、絡み合った複雑な糸の束が、ひとつひとつ、ほどけていったようだった。

そして、今日。

時が来て、わたしは、ずっと破れなかった膜を破り、大きな一歩を踏み出した。

予期して恐れていた反応とは全く違って、そこには「愛」が溢れていた。

宇宙からの「ある存在」と同じ波動を感じた。

わたしには、もはや、欲しくても手に入れることは不可能である・・・・と、思いこんでいたものが、

実は、すでに持っていた・・・・ということに、衝撃的に大きく気づいた。

ただ、「持っていてもよい」ということを、自分で拒否していただけだった、ということに、やっと気づき、愕然とした。

自分で拒否していながら、欲しい、欲しい、と求めていたということに、大きなショックとともに気がついた。



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気づいたからには、もう、古いパターンは、いらない。

そして、わたしは、この古い私を、永遠に埋葬することを決意した。

この自分で作った「古い刷り込み・サイクル」が、自分自身のすべての不具合につながっていることに大きく気づいたいま、

もう、それとともに、これから先の人生を歩む気はなかった。

古い私のパターンを、もう、終わりにすると、心に決めた。

強く、強く、決めた。

まるで、一度、わたしは死ぬかのようだ。

ずっと、そのパターンを「拠りどころ」のようにしてしがみついてきたから、

そこから、離れることは、もはや居心地が悪く、恐れさえ現れる。

でも、もう、戻らない。

わたしは、その「古いわたし」を、葬る覚悟ができている。

死と再生。

その繰り返し。 

細胞と同じように。

今夜、私は、セレモニーをする。

あの「古いわたし」の「死」への、祝福のセレモニー。

イエーーーーイ!!

人生は、最高のドラマだ!!!

最強・無敵の気分!!

生まれてきた意味が、よくわかる!!

誰になにを言われても、揺るがない!

わたしは、わたしを生きるのみ!!



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:08| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

イギリスとワタシの想い出つぶやき



(わたしについてのつぶやきカミングアウト?)



ものすごいディープな魂の癒しと再生の7日間だったイギリスでのワークショップ・・・・。

濃いワークの後はとてもセンシティブすぎて、あまり動けない。

なかなか、現実社会に意識が戻ってくることができない。

ロンドンはいろんな波動がごちゃまぜで呑み込まれて邪魔されないように自分を強くプロテクトして、引き続きワタシと二人で寄り添い続ける。

愛すべきワタシ。

ワタシが生きていること。





ロンドンの雑多な街。

大聖堂の敷地の芝生に座って、イギリスにまつわる過去を想いだす。





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イギリスは私にとって深い思い出がある。

そして、鬼門でもある。

また平和な気持ちで訪れることができてよかった。

遠い昔の悪夢が、どんどん癒されていく。

あの頃のすべてを、どんどん許していく。




20代の頃。

イギリス人のボーイフレンドとの出来事を思い出す。

文化の違いや国籍の違いでたくさんのすれ違いや、否定しあいや、誤解があり、お互いの家族ぐるみで文化を否定しあって、傷つけあい、悲しみあい、悔やみあい、お互い愛がほしいがゆえに、大きな間違いを繰り返した。

私は身体を傷つけ、仕事を失い、一文無しになって、心がズタズタになって、どこにいても号泣していて、幻覚や幻聴が現れ、うまくいかない人生を恨み、テーブルの上のフルーツナイフを握りしめて、死について考えていた。

あのころの私は、本当に未熟で、ただただ、愛がほしかった。

苦しかったな。

本当に苦しかった。

若かった。





そんな、イギリスの思い出。

イギリスアクセントの英語や、地下鉄のシート、雑多な町ゆく人々、ロンドンの街のあちこちで当時の私がオーバーラップする。

心細そうに、ボンヤリと、自分を見失っている、若かりし頃のワタシがそこにいる。

そんな当時のワタシを静かに見つめる私は、いま、とても穏やかだ。

すべてが癒されていく。

すべてを許している。





よかった。

またイギリスに来ることができて。

入国するまで、実は忘れてたんだ、この過去のワタシを。

だって、もうすでに終わって消化して、吸収してたことだったから。

でも、これで、恨みではまったくなく、ちゃんと、あのときのすべてに感謝を伝えられたから、さらに統合していったと感じる。





愛すべきワタシ。

繊細なワタシ。

よく頑張って生きているよ。

波乱万丈な、この非凡なる人生。

いつでも愛されているから、大丈夫だよ、ワタシ。

ずっと「隠したい過去」だったことだったけれど、初めて「語りたい過去」と感じたので、私の現実世界に形として残しておこうと思って、書きました。

ああ、なんて人生って素晴らしいんだろう。

こんなふうに、過去の苦しみを、学びとして振り返ることができる。

人生は、魂の学びの旅だ。

子供のころからずっと、重たいこと、苦しいこと、いっぱいあったけど、

ブラボー。わたしの人生。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:19| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

わたしにとっての「ヒーリング」



とあるかたが、ネット上でつぶやいていらっしゃったことに・・・・・・


「ヒーリングに関して、あまり賛成できないところ。 
苦しんでいるかたがたの魂は、その問題を自ら選んでいる。
それは、魂の学びのためであって、それを学ぶことが必要だからこそ、困難はやってきているはず。
だから、その現状をたとえ治めたとしても、それは、本当にその人のためなのかどうか疑問だ。
自分自身を救えるのは自分でしかないし、本当の意味で、一生自分を愛することができるのは、自分でしかない。」


と、こんな感じの内容でした。(文体は変えてありますが)

それに、わたしが反応して、わたしはこんなふうにコメントしましたので、ここでもシェアさせていただきますね。

ヒーリングに関しての、わたしの思う、いまのスタイルです。



***************



確かにそうですね。 

人を助けたい!と願う人がいるということは、助けられるべき苦しむ人を創造する、仕組みですよね〜。わかります。    

ちょっと、シェアリングさせてくださいね。  

私にとってのヒーリングは、私がその人を癒して解決させるのではなくて、その人が自分の力でそれを学びきる(=癒される)ための、サポートのためと考えています。 

魂の学びは自分でしか学べないものです。

でも、一人ではにっちもさっちもいかない状況も確かにあります。 

深い意味での「癒される」とは、誰かにしてもらうのではなくて、自分で自分の学びを学びきるところにあると感じています。 

そして、それは、自分でしかできませんので、巷にある「ブロック解除!」などは、暫定的になんとか解除されたとしても、また結局引き寄せて、同じことの繰り返しなので賛成しかねます。 

学んでいないのに無くなってしまえば、また同じような学びが来るのですね。 

だから、ご自身で学んでいかれることが必要なのですが、それがどうやったらいいのかわからなくて、ぐるぐると同じところを何年も長い間スパイラルして苦しんでいるかたがたには、「どうやったら学びきることができるのか」のサポートが時には必要となります。 

そういった意味での「ヒーリング」は、執着もエゴも少なく、とてもポジティブです。 

ヒーリングに関してはいろいろな考え方があるのでしょうね。 

この記事を読ませていただいて、私の思うヒーリングというスタイルを確認する、よい機会となる記事でした。

ありがとうございました〜。


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と、こんな感じのコメントをしましたが、批判でもなんでもなく、そのかたが想いをシェアしてくださったことで、わたしも自分の想いをシェアできたのですね。

シェアリングって、素晴らしいです。




このコメントに書いた想いは、わたしのヨーガの指導スタイルとも同じです。

誰かに癒してもらうのではなくて、自分で癒されていくのです。

ヨーガでは、肉体からの感覚・情報で、自分を理解していくことで、自然とそれを学んでいくのです。

わたしは、それを、うまく学んで行けれるように、ナビゲイトしています。

わたしのエゴではなく、ごり押しでもなく、ルールでもなく、支配でも、依存でもないかたちで、ナビゲイトすることに努めています。

ヨーガの哲学や、概念や、正確といわれるポーズの形を目指したり、ポーズの名前を覚えたり、うまくできたとか、へたくそだとか、そういう、がんじがらめの不自由さは、まったく利用しません。

自分自身のポーズさえも、見せない時があります。

なぜなら、参加者がそれを目指してしまう気持ちが現れたり、そこまでできない劣等感を生まれさせてしまったり、はたまた、私自身の中に支配欲や優越感が芽生えてしまうことを避けるためです。

先日、ちらっとみた記事のことですが・・・

わたしとしては、ヨーガの競技会?みたいな会で、すごい成績を修めた・・・・というヨーガティーチャーは、あまり賛成しません。(個人的主観と思っていただいて結構です)

だって、その競技会?のような競い合って出来不出来を評価しあう会・・・・という存在自体が「ヨーガ」から遥か彼方の遠い思想ですし、

また、それに、「参加しよう!」と応募するヨギーも、競争心や、認められたい欲、優劣思考、でのことでしょうから、それも、ヨーガからは程遠い思想ですよね。

世間では、そういった、ポーズがきれいにできて、それを評価されているかたがたを「すごいヨギーだ!」という目で見るのだと思いますが、わたしとしては「すごいエゴ丸出しだ!」と思ってしまうのです。



とはいえ、

私自身がまったくエゴのない人間だ・・・・というわけではなく、それが「エゴだよね〜」と気づくということは、私の中にも同じような性質を持っているからなわけで、

それに気づかせていただけるので、すべての出来事はありがたいことです。

この件でいえば、私自身がアーサナよりも瞑想のほうが好きなこともあるので、ポーズができてナンボ!みたな、身体くにゃくにゃを見せびらかすヨーガは好きじゃない・・・というところからくる、葛藤がいろいろあるからですね、きっと。

外側で起こっている出来事に、なにかしら反応している自分は、すべて、自分の内側を反映しているのだということですね。

人間関係の中で生きていると、毎日、毎瞬、毎瞬が、自分の内側への気づきの連続ですね。

日々、進化しているので、また、来年はもっと新しいスタイルのビジョンが見えているのかもしれませんが、いまのわたしの想うところを書きました。















posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:12| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

サーカスしてた時の画像


私のサーカスパフォーマンスのビデオを見つけました。

2008〜2009年、海外のリゾートホテルでヨーガティーチャーしてるころ、サーカスショーのお手伝いを少ししたときのもの。

最初はロープを昇ることすらできず、すごいすごい努力して、毎日の練習で筋肉ムキムキになりました。
懐かしいなあ。

ショーには4回出させてもらったけど、緊張でガチガチで思うようにできなかったな。でも、頑張った。

あのころを思い出すと胸がキューンとする。

本当に尊い思い出です。

どっしりした身体が恥ずかしいですが・・・ アップしてしまおう。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

子供の頃とか、ちょっと昔のこととか、今の想いとか、語ります



(指が進むままに語ります)



子供時代の作文やら日記やらが入った袋を見つけました。

小学校3年生〜6年生まで、宿題で書いていた日記を読みました。

改めて、自分の子供時代を「大人の目線」でみて、感じることがたくさんありました。

とてもつらかった中学生時代の記録はまったく存在していませんでした。(実はつらすぎて記憶もあまりないです)




わたしは14歳からずっと、暗闇の中にいました。

その後、とても苦労をした高校時代を経て、家庭の金銭的な問題で進学を断念して、高校を卒業してから就職をして、恋人ができたり、自分のやりたい夢をどんどん自分の力で実現していって、

それまで、自分は存在してはいけないのでは・・・と孤独と悲しみと苦しみの中にいた思春期時代から、就職して少しずつ、人生というものの実感が湧いてきました。

小学生のころの日記を読むと、とても霊的なことやスピリチュアルなことが、普通に書いてありました。

当時の記憶は薄れていますが、わたしは、子供のころから、シャーマニックないまの姿の「原型」があったのだと見えました。

その後、とてもつらい人生のどん底の中学生の時期があり、生きていることがつらい思春期を過ごしました。

そのころに、子供のころから持っていたわたしの「霊的な感性」は、失われました。




その後、

わたしが、いわゆる「思いだしてきた」のは、ヨーガを学び始めたとき。

それも、フィットネスのヨーガではなく、マントラを唱えたり、瞑想をしたりすることも学んで、大きく気づきがありました。

フィットネストレーナーやダンスエアロなどのインストラクターをしていた20代中盤のころに、フィットネス系のヨーガを学び始めたところから、わたしのヨーガの歴史は始まります。

その後、ある出来事から身体を壊し、心を壊し、20代終盤でスピリチュアルなヨーガを学び始めました。

とても衝撃的でしたが、とても、しっくりきました。

そのころから、いろいろな「霊的な感性」が戻ってきました。

瞑想の実践を本格的に始めて、まもなくして、本当にすぐに、数回目で、「つながり」ました。

あのときの感覚は、いまでも忘れられないです。

詳細は語りませんが。

信じてもらえなくても、別によいです。




そして、いろいろなものが、わかり・・・・というか、わかっていた、知っていた、ということを思いだしました。

でも、それまでの、暗くて荒れた人生が培った、わたしのパターンはまだ根強く残っていましたから、まだまだ、いろいろな苦しい闇を引き寄せ続けて、幸福とはほど遠いところにいました。

いろいろな出会いや、ご縁や、学びなどがたくさんあり、わたしはどんどん、人間的にも学びを進め、霊的にも進化していきました。




その次に、大きく、ドカン!と「開かれた」のは、インドのグルに出会い、レイキの回路を開いたときでした。

初級ではなにも感じず、上級でもやや・・・・、サードの伝授をした直後から、「ドカン」でした。

その瞬間から、世界がまったく違って見えました。

そこから、わたしは、自分の独自に持っている才能が、ますます、開かれていきました。

不思議な現象や、ミステリーなことが身の周りでいろいろ起こりました。

目を疑うような不思議現象が、目の前で、私の手で起こることも多くありました。

驚きましたが、全然、動揺しませんでした。

詳細はまたいつか。

本当の意味で、14歳から続いていた「暗闇」から、やっと一筋の光が見えたのは、この時だったのかもしれません。

その後も、学び続け、進化し続け、留まるところなくわたしは、上昇していきました。




その次に、覚えている「瞬間」は、インドのとある聖者のアシュラムに滞在して、毎日、瞑想をしていたときでした。

わたしは、魂の進化のため、しばしば高熱を出す時があります。

そのときも高熱のため、ベッドで数日寝ていた私は、ある日、朝目覚めるとなにかが変わっていることがわかりました。

ベッドに起き上がると、世界がまったく違って見えました。

見えないものが見え、色とりどりのカラフルな光や、お花のように咲き乱れているものや、人間ひとりひとりが持っている光や、自分の放っている光や、自分が通りすぎる道筋に、光の筋ができることや、

いろいろ・・・・、いろいろ・・・・、説明しませんが、とても素晴らしい世界でした。

そして、「ワンネス」をまさに、みるもの、人間、すべてに、無条件に感じていました。

説明はうまくできません。

経験しないと、わからないことだと思います。

信じてもらえなくても、別によいです。




わたしは数ある不思議体験を、いたずらに伝えないようにしています。

それはまずひとつは、

いろいろな人が、様々なジャッジメントをするので、繊細なわたしは、傷ついてしまうこともあるので、自分を守るため。

もうひとつは

わたしの体験を誰かに伝えることで、そのかたの霊的な覚醒を妨げることになる場合もあるので、自分のエゴのために他者の霊性の進化の邪魔をしないため。

それから、

自分のエゴを、できるだけ育てないようにしたいから。

わたしは、いつでも、純粋でいたい。




そして、日本でも・・・・・

日本では、自分の子供時代のトラウマやインナーチャイルドの開放が、爆発的に起こることがしばしばありました。

本当に、いつも、爆発的で、いろいろな出来事がつながっていき、時が来ると、突然、爆発的に解放されます。

いつでも、ご縁のあるかたや、ご縁のある宇宙的な存在が、カギとなって、わたしを無意識のうちにサポートしてくれているのです。

そのかたは無意識ですから、全然、気づいていないのだと思いますけれど、わたしは、いつでも、ご縁のあるかたがたのおかげで、魂の成長につながっていることに、心から感謝しています。




その後も、シャーマンのかたとのご縁や、スピリチュアルマスターとのご縁、仏教の高僧のかたたちとのご縁、などなどから、学びをどんどん深め、覚醒をどんどん繰り返し、ここ5年間で、飛躍的に自分の霊性が進化・変容を繰り返している日々。

やはり、2011年の大震災後から、劇的な変容です。

いまでは、かなり高次元的な宇宙エネルギーを使いこなすことができ、ヒーリングだけではなく、自分自身の能力開発や、他者への能力開発もでき、シャーマニックな祈りや、ライトワーカーとしての世界各地ので活動を行っています。

数多くの「その瞬間」を繰り返して、自分のジャーマニックな存在を受け入れながら、いまもなお、続いています。

それは、爆発的に解放されたり、緩やかにじわじわ訪れたり、いろいろです。

人間ですので、もちろん、これまでの様々なパターンなどがあり、反省したり、感動したり、へこんだり、興奮しすぎたり、傲慢になったり、謙虚になりすぎたり、日々が、学びです。




いまは、こうして、ご縁のある方に魂レベルのことをお話ししたり、わたしの「純粋なる知識」を伝えさせていただく講習などの機会があるごとに、

自分がどれだけの「宇宙レベル」での知識を持っていて、それを、出すことが出きるのか・・・・ということに、毎回、自分で自分に驚かされます。

これは、やはり、オゴリでもなんでもなく、すごい知識なので、どんどん、活用していくべきなのではないか・・・・と思うのです。

ここは、謙虚すぎてはいけないのでは・・・・と最近、思うのです。

いま興味があることは、そういった自分の才能や個性や「純粋なる知識」を、どうやったらもっと世界に、宇宙に、人々のために、活用していけれるか、ということ。

個人セッションだけではなく、スピリチュアル的な哲学のワークショップ、ひとりひとりの良さを目覚めさせていくようなボディワーク、などなど、していけれたら活用できるのかなぁ。

ひとりでは難しいことですので、ご縁のある方のご協力で、きっと、これからもさらに、「わたし」を活かして行けれるのだと思います。

ご協力くださいますかたがいらしたら、とても嬉しいです。

ご縁に心から感謝いたします。

合掌

ラクシュミナラヤニ ユキ


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

わたしのヨーガ



≪ちょっと語ります≫

わたしの実践するヨーガ。

ただ存在することにフォーカスすること。それこそがヨーガ(繋がる)であること。

痩せるとか、ストレス解消とか、柔軟になるとか、そんなことを期待して行うのはアーサナではなくて、ただのエクササイズであり、それを求めるならジムに行ったらいい。

わたしは数年前まで・・・・東京の有名フィットネスクラブで指導をしていました。

自分でいうのも何ですが、すごい人気で、私のクラスに参加するための整理券を求める人が、開店前から長蛇の列を作るほどの、超大人気ヨーガインストラクターでした。

そんなわたしだったにも関わらず、なぜ、そのスター舞台から自ら降り、それまで、ジムで一クラス80名集めていた生活から、いまは、少ないときは3名という個人指導に切り替えたかというと、理由は、こういうことだったから。

「伝えたい!」と思うことを伝えていきたいから、自然と引き寄せられて来てくれる、受け取ってくれる準備でできている人たちに、きちんと伝えていきたかった。

だから、利益やエゴよりも、わたしの生きるこの人生で「やりたいこと」を選びました。

シンプルに、シンプルに生きるんです。やりたくないことは、しない。



とはいえ、実はわたしは、「ヨーガ」がすべてだとは思っていない。

ヨーガは、「真実を伝える」ということと「真実に近づくために感じてもらう」ということに、とても便利だから、使っている。

わたしは「ヨーガこそがすべて!」とは思っていないから、いつでも、手放すことができる。

しがみついていないし、否定も肯定もしていない。

行く先が見えて、そこに向かうことが出きるのなら、いろいろな方法があってもよいではないか、と思っている。

執着は、まったくない。

これこそが、真理なのだと思っている。

だから、神聖とつながりながら踊ることも、感じるままに絵を描くことも、宇宙エネルギーのヒーリングも、パワーストーンと話をすることも、シャーマニックな活動も、すべてわたしにとっては「ヨーガ(つながる)」のカテゴリー。

いいじゃないか、ヨーガマスターが踊ったって。



「わたしはヨーガに生きるんだ!」なんて頑なにしがみついていた時期も昔はあったけれど、いまは、言い替えられるほど、柔軟になった。

「わたしは、わたしを生きます」=それが、結果的には「ヨーガ(宇宙とつながる)」



だから、世界で活躍中のヨーガティーチャーである私は、自分の指導方法や概念や非凡なる経験の数々に、自信も誇りもありますが、

だからといって、「わたしはすごいんだ」と思っているわけではなくて、それは、「わたしという人間を極める」ということの、ただのツールにすぎないということ。

日本でも、海外のあちこちでも、たくさんの種類のかたがたにヨーガを教えているわたしの人生の中で、一番、伝えたいのは「真理」であるところの「私たちの源泉と行先」。

それを、言葉のうまく通じない海外の方がには、エネルギーで伝授しながらアーサナ指導をしている。

西洋のかたには言葉で説明しても理解しにくいようなので、エネルギーで伝授します。

アーサナでは肉体を使いますが、肉体を使いながらにして、そこからどのようにして自分の「中心」へとアクセスしていくのか、つなげていくにはどの意識レベルを活用するのか・・・・を、

言語では表現できないところで、アーサナ指導を通して感じとっていただいています。

わかる人にはわかるでしょうし、わからない人には、いつかきっと(今世か来世かもっと先か)わかるのだと信じています。


ああ、語っちゃった。失礼。


ベネチア2.jpg




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月03日

(つぶやき)グルという立場


(つぶやき)

ヒマラヤでは世界中のかたが私の弟子になりました。

実際に「弟子入り儀式」をしたわけではないのですが、魂的にみて、かつての(過去世)の弟子たちとたくさん出会い、いろんな国の人々が、みな、私のガイダンスを求め、称賛し、私の存在から人生の光をみつけて、変容のきっかけを見出していきました。

ヨーロッパ人もインド人もアメリカ人もいました。

中には、インド人の僧侶も私を認めて、私のもとに彼の求める宗教的な人生についての助言を求めに来ました。

そして、ヒマラヤで何人かのインドの「グル」と呼ばれる人々に接し感じたことがありました。違和感がたくさんありました。

グルという立場である私がこれからより自由に人々を導いていくために、反面教師のとてもよい学びとなりました。



わたしは、明るいし、無邪気だし、若く見られるし(今回も実年齢より10〜13歳若く見られました)、きっと、「これぞグル!」みたいな理想像を持っている人から見ると、まったくそれっぽくないのだと思うけれど、本当の意味での「師」というのは、依存とコントロールの呪縛からフリーであるべきだと思うのです。

だから、わたしは、いつでも若々しく、フレッシュで、エゴのないグルでい続けたいと思います。



7/7にラダックを離れ、その後、しばらくしてブログに書いた記事をもう一度読み直してみて、再度シェアしたくなったので貼り付けます。

http://yukismyogaism.seesaa.net/article/440093401.html

ラダックでは崩壊と再生の連続でした。

さすが、ヒマラヤです。

つぶやきでした。


マヨルカ5.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

裸のワタシ



2016.5.12の三日月の日。

天空の森にて、裸になり神と光と自然と踊りました。

画家の友人が、わたしのありのままの姿を描いてくれました。

「森の中でヌードの絵を描いてほしい!」と私から彼女に依頼をしたのは3月の初旬、前回のインドから帰国してすぐのことでした。(描いてもらったあと、すぐに次のインド・・・魂の進化の旅・・・へと旅立ち、いまインドにいます)

そして、神が用意してくれたこの輝かしい日は、図ったように、わたしの人生にとって最高で最善のタイミングであり、大きなターニングポイントでした。



森の画家.jpg




あの日・・・。雲ひとつない、真っ青な快晴の日。

小川の優し気なせせらぎと、

鳥たちの無邪気な鳴き声と、

前日までの雨上がりの土のにおい、

木漏れ日の緩やかな輝き、

虫がわたしを面白そうに観察し、

にょきにょきと、コロコロと無数の森の精霊たちが現れて、

完全なる、瞬間と、瞬間の、間の隙間に、するり、するりと滑りこむようにして、

わたしは、すべてを脱ぎ去ったただのあるがままの姿で、肌で・・・魂で・・・宇宙と地球を感じながら、森羅万象と共に喜びに震えました。

それは、わたしの新しい人生の幕開けに、完璧なタイミングでした。




明日の満月をここ、インドのラダックで迎えるため、アップします。

今のわたしの一瞬の真実である記憶として保管しておきたいのと、

このエネルギーをシェアをすることでご縁のある方の魂にも響くと感じまして、恥ずかしい気持ちもありますが、思い切ってアップします。

ひっそりと、魂レベルでお役に立てましたら光栄です。




インドより愛をこめて。
合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ




***************




◎画家の友人のコメント◎




☆5月12日

三日月




天空の森にて




木の葉がささやき 

木漏れ日の中

宇宙銀河の川に触れ 

美しく花開く蓮の花は光の闇を統合し 万物の生命に光を与える




**************




◎わたしのコメント◎

あの日の森・・・・・。

流れが、緩やかにシフトチェンジする助けとなりました。

わたしは、「わたし」であるところの神をしっかりと見て、感じ、そして、それを確かに信じることで、

静かに感動の波がわたしの肌を細胞レベルからピカピカと輝かせ、わたしは、自分の肌・・・身体のヒカリにみとれました。そしていまもなお、わたしを継続的に小さく震わせ続けています。

あの日、わたしがそれを確信したことで、地球に属するあらゆる存在たちが、わたしに祝福をしに現れ、歓びのメロディーを与え、近くから、遥か遠くから、いまもまだセレブレイションは空間を超えて続いています。


***


光が大きければ大きいほど、闇も深くどこまでもダークで・・・、それはすべてのバランスからの真実であり・・・・・、

その光と闇も、丸ごと全部、抱きしめることが喜びであるという生きかたを、わたしは選択しました。

宇宙は、その覚悟を決めた私を、大きく開けて迎え入れ、どこまでもどこまでも、深い闇へと招待しました。

それは、まばゆい光とのパラレルワールドになっていて、光は影であり、闇はヒカリであるということを、わたしのライトボディーのすべてで認識し、そして、その強大なうねりの中で、わたしは「恐れ」をすべて卒業し、ただただ、わたしの肉と、わたしのヒカリは、地球と踊り戯れました。

スペシャルなわたしのあの時間は、わたしに、肉体を持つ人間としての広大な可能性を見せてくれました。


***


翌週、絵が完成し、それを手にして感じた瞬間。

あの時、わたしは、わたしの死ぬ時期がわかりました。

それはそう遠くなく、わたしは、そのとき死ぬのだということがわかりました。

それは、わたしが肉体を離れることなのかもしれないし、または、「人間」という存在をやめるときなのかもしれない。

どちらでもよいと思いました。

肉体を離れて、この人生が終わる意味での死だとしても、生きながらにして「人間」を超越する意味だとしても、どちらでもわたしは怖くありません。

死を知ったことで、わたしは「だから生きるのだ」と、覚悟が決まりました。

わたしは、わたしにだけ許されたこと、「わたし」をまっとうすることに、覚悟が決まりました。

なにも怖くなくなると、自分を心底、信じることができます。

自分をとことん信じていると、他者の「闇」であるダークネスが、とても愛しく見えてきます。

これまで、他者に反映・投影として見ていたであろう、嫌悪していたダークネスであっても、それも、すべて、愛しくて仕方がない。

抱きしめたい。

優越も、敵も、味方も、なにもかもは幻であるだけでした。


***


わたしは、わたしを溺愛する。

愛し尽くして、愛を踊り続ける。

そうすることで、どれだけたくさんのかたの、助けになるか・・・・。 それを知っている。

わたしは、すっかり、「わたし」を生きる覚悟ができました。

ただ、ただ、生きる歓びに、生きていく。 そうすることが、わたしの世界への愛の表現。

だから、わたしは、生きるのだ。

生きるということは、死と向き合うこと。

光と闇がパラレルワールドに存在するように・・・・・見える世界と見えない世界が二重に存在しているように・・・・・有限と無限が共存しているように・・・・・・・生きるということは死に向かうということと等しい。

今日は、昨日よりも、確実に、一日、死(モクシャ・解脱)に近づいている・・・・。

この陰と陽・・・・世界は、なんて美しいんだろう。

わたしが人間を終えるときまで、わたしは「わたし」を、愛のままに生きる。

歓びが、わたしを震わせています。



裸の私.jpg







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

つぶやき・わたしを伝えること

(つぶやき)



わたしは、「創造性」で生きているのが濃いと思うのです。

だから、分析したり、思考で生きるのが、ちょっと苦手です。

「なにかお言葉を書いてください」と、ノートを手渡されると、

どんな言葉も嘘くさく感じて、なにも単語が出てこない代わりに、

そのノートにクレヨンで、そのかたの魂に繋げて、唯一無二の創造的な絵を描いてプレゼントすることがあります。

わたしから出てくるものは、言葉という三次元的なものでは表せないことがほとんど。







絵を描くのは好き。 

暗号みたいな 詩を書くのも好き。 

踊って体で表現するのも好き。 

歌って声で表すのも好き。

でも、「なにを感じているのか、わかるようにきちんと説明して」と言われると、うまくできなくて、泣きたくなる。

原始的・・・・? 

うん、感性、フル活用で生きているのかな。

だから、「言語」が出てこない・・・。

言語で考えようとすると、「感性」が薄れてしまう・・・。

バランスよく、使えるといいなぁ。

「こいつ馬鹿か」と思われることもあると思う(笑)。

でも、言語はただの言葉であって、それは知性とは違うと思うの。






わたしは、おしゃべりが苦手。

だから、独りでいると、とても楽です。

独りでいるのは、自分自身と共にいる時間。

本当の意味では、独りではない。

常に自分自身の中の神聖と寄り添えて、宇宙観の中にいることができる、満たされた時。

「わたし」の一番の理解者である、「ワタシ」と共に過ごす時間が、一番、居心地が良い。

「ワタシ」は「わたし」を心から愛している。





わたしが感じる「いろいろ」は、言葉にはならない、言葉では伝えることではないの。

だから、

わたしが話したいこと、伝えたいことを、なんとか「言語」という形にして、誰かに投げかけても、

なかなか理解しがたいみたいで、誤解を生んでしまうことも多く、

だったら、「なにも言わない」ということを、いつも選択してしまいます。






でもね、これじゃあ、ますます、自分の世界に入りこんでしまって、

「たくさんのかたに伝えたい!」というわたしの願いが叶わない・・・・







「伝えたい」と思うことというのは、イコールして「なにを伝えたいのか」を「自分に問う」ことだと思うのです。

ということは、

「自分の外に伝えることを避けている」、というのは、イコールして、「自分とはなにか」、を「見つめることを避けている」ということだと思うのです。

わたしがなにができて、どんなことで世間に貢献できるのか、わたしのどんな叡智を周りに伝えて行けれるのか・・・・・

それは、わたしにしか、わからないことだし、

わたしだけが、それを広げていくことができるのだから、

しっかり、わたしが、私自身の望みを叶えてあげるべきだと思うのです。

ちょっと難しくて、面倒くさくて、すぐ嫌になっちゃうけれど、

でも、そこは、わたしの「やりたいこと」をさらに豊かにしてくれるだろうことは確実だから、

すごく、大変だけど、やってみようかな。







今日・・・・・、

改めて・・・・・わたしって、自分の感性を言葉で伝えるのが、ほんっと、下手!!・・・・と、

自分に激しくがっかりして、しょぼーん、となった出来事があり・・・・・

落ち込んでも仕方ないし、自分を諦めてしまっては、前に進んでいくことはできないから、

逃げ出してしまうのは簡単だけど、でも・・・

わたしは真になにがしたいのか・・・・を、自分ときちんと向き合ってみたところ・・・・

やはり、そこを超えた先に、わたしの枠が広がって、わたしの魂の喜びがあると感じました。

だとしたら、その「苦手なことに対する努力」は必要なこと、と受け止めました。








わたしのもともと持つ利点で・・・・まだまだ、活用できるものをプラスして、ミックスして、それらを生かして、

偏りすぎずに、もっともっと、いろいろな方面から

自分が伝えたい叡智を、いろいろなタイプの思考の方にもわかるように表現して、

メッセージを広めていこう・・・・・と、

やる気になってきました。(ちょっとずつ)

そしたら、

わたしの人生の時間を構成している粒子が、キラキラ、している、いまです。

そんな感じの、つぶやき、でした。

こうやって飾らない言葉で書くって、ちょっと恥ずかしいな。。。


ワンネス♡♡ キラキラをあなたにも。



永田クリスタルボウル4.jpg















posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:23| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

旅先からのつぶやき



(つぶやきます)


旅は、わたしの人生そのもの。

さまざまな土地の波動を感じ、それを認めて高め、地球を癒すことでわたしは癒されています。

訪れるあちこちの地の、闇と光の両方の神聖に触れさせていただき、融合と調和からの宝物を転写させていただき、それを世のために活かしていくことでご恩返しをしています。

そしてわたしは、

旅先で出会うすべての人々のハートに、「カギ」を与えて去っていきます。

それは、そのひとの魂から求めているものへとつながるカギです。



わたしのするヒーリングは、もはや、手や体を使って触れたりしないものが多くなっています。

高次や過去世、カルマなど、そのかたの魂へとアプローチしていくヒーリングですので、わたしがそこに存在し、一緒に時を過ごすことによって、ヒーリングをさせていただいております。

ときには、みつめる眼差しからのもの、わたしの声の波動から、わたしの霊性の腕が伸びたり、ハートから広がる黄金の波だったり、また、FBやブログの投稿からのヒーリングだったり、普通では目に見えないものを使って、届けています。

それは、そのかたの幸福を真にお祈りする、グレートマザーである部分のわたしの愛からの抱擁であり、ご縁のあるすべての方々の最善をサポートさせていただく、生き様としての礼拝です。



そんなふうにして、

わたしは、目立つことはなく、自己アピールをすることも苦手だけれど、

ひっそりと、宇宙のバランスを保つお仕事を担っています。



旅をしていると、道に迷って迷子になることがとても多いです。

それは、ライトワーカーとして大きな光を放って生きているために、浄化や癒しが必要な場所へと、自然と引っ張られてしまうことがあるからです。

なので、なかなか目的地に到着できずに、知らない道を迷いながら通ることもたくさんあります。

また、体調不良や状況のトラブルなどにより、足止めをされて、ひとつの土地に長くいることもあります。

そういうときには、その土地でわたしのお役目があることを知っていますし、それをわたしは楽しみながら生きています。

わたしにご縁のある土地には、癒しと浄化をさせていただくことで、わたしはより高まっていくのだと知っているので、予定通りに行かないことも、興味深く、トキメキながら過ごしています。

宇宙のお仕事、神界からのご依頼を、尊い気持ちで喜びとともにさせていただいております。

無償でのワークが多すぎて、お金は(やばいくらい)ないけれど、いつかきっと、報われると信じよう。うん。



一瞬、一瞬ごとに、

わたしは死んで、そしてまた、一瞬ごとに生き返っている。

だから、一瞬ごとに、新しいわたしになる。

この肉体がなくなるまで、わたしなりのやりかたで、この溢れる愛を表現していき、

一生、美しい地球に恋をし続けていきたい。

人間としての形あるわたしは、とても不器用なので、うまくはいかないことも多いけれど、

それでも、わたしは、死ぬまで私らしく、愛に生きていきたい。


ご縁のあるすべてのあなたに、

愛と感謝をこめて。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 11:41| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月16日

声の波動




最近、

わたしの「声の波動」がパワーアップしているようです。

以前から、「癒しの声」という自覚がありまして、ヨーガのときなどは、わたしの声の誘導で皆さんがリラックスしてくださるのがよくわかります。

普通に冗談を言ったりして遊んでいるときはそうでもないのですが、宇宙とつながる「スイッチをON」にしたときは、波動が変わるのがわかりますし、

わたしも、自分が喋っている声と、それに重なるようにして違う波動でしゃべっている自分の声を、二重に聞こえています。



最近は、その「癒しの声」がパワーアップしているようで、スピリチュアルなことを説明しているときも、それを聞いていると眠くなってしまう方が多くなってきています。

個人セッションのヒーリングカウンセリングや、各種伝授講習のとき、または勉強会の時などで、

わたしが、スピリチュアルなことをお伝えする時は、わたしの頭で思考したものではなくて、上から降りてくるものをそのまま口から伝えています。

ですので、「スイッチON」の状態なのですね。

するとですね、みんな、どんどん、目がトロンとしてくるのです。

これは、前からしばしば、あったことなのですが、最近ではほぼ100%、みなさん、眠くなります。



んー、わたしの説明の仕方が下手くそだから、みんなを眠たくさせてしまうのかなぁ・・・・・・? 一生懸命、伝えようとしているのだけど・・・。

と、反省したりもしましたが、「スイッチON」にして喋り始めた瞬間から、みなさん眠たくなるので、どうやら、わたしの話し方の技術ではないのかもしれない・・・・・・。

わたしの声には「瞑想状態に促す」という効果があるようなのですね。

ですので、思考が働かなくなる。(だからリラックスして眠くなる)

すると、ハートが開きやすくなる。

そして、ものごとを波動やエネルギーで感じやすくなる。

・・・・・・・・と、こんな感じなのだと思います。





こないだ、ネパールのボランティア活動報告会をしたときも、聞いてくださったかたは眠くて仕方なくなってしまったようですし、

先日、とある集まりで「レムリア」についてのわたしの経験と知識を話し始めたら、とたんに、そこに参加して聞いてくださっていた、全員!が、コックリコックリ、し始めました。

軽く焦ったりもしましたが、「これは、わたしの話し方が下手くそだからではない・・・・」と自分に言い聞かせました・・・・(笑)




むむむ・・・・・・・

わたしの声は「お宝」だけど、この「催眠効果(笑)」は考え物だなぁ(笑)

最近では、スイッチONにしていなくても、自分のしゃべる声を耳で聞いて、体で感じていると、その波動がとても気持ちがよいのが、自分でもわかります。

普通に、コンビニでお会計の時の「あ、袋はいいです」とか、郵便局で「お願いします」とか、

そんな何気ない言葉の波動も、すごく気持ちがいいことが、自分でも感じられます



わたしは、自分で経験していることだけが「私にとっての真実」なので、ほかのひとが、どんな風に自分の声を感じているのかわかりませんが、

みなさん、自分が発する声を、自分の耳で聞いているでしょ? そんなことしていない?

これは、わたしだけなの?

わたしは、自分の発する声を、自分の耳で、いつも聞いています。

だから、聞きながら、感じながら、話している感じですね。

このわたしの「魔法の声」。

大事にしていきたいです。




とりとめなくなってしまいましたが、「声の波動」についてでした。







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:34| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

(つぶやき)東京STAY

(つぶやき)
東京STAY、4日間。

仕事と講習会にて、ホテル滞在です。

懐かしいなあ、東京に暮らす・・・・・、この感じ。

15年くらい、東京に住んでいました。

2年くらい前に住居を完全に天空の森に移したけれど、ありがたいことに、まだ、東京近郊にもお仕事のご縁があります。

東京人やってた15年の間、3回ほど、1-2年、海外で生活し、またいつも東京に戻ってきたっけ。

だから、お引っ越しも多かったな。

しかもわたしは、しょっちゅう痴漢に会っていたので、自宅までついてくることが何度もあり、その都度、引っ越ししていたっけ。

でも、いつでも、郊外に住んでた。

のんびり、が好き。

今回の東京STAYも、わざわざ、郊外に宿をとった。



隣の人の咳払いも聞こえちゃう壁の薄さとか、

窓を開けると、ご近所の暮らしが見えちゃう、聞こえちゃうとことか、

すごくちいさく控えめに、鳥が鳴いているのとか、

部屋の小さな窓から見える、小さな空とか、

懐かしいなあ、この感じ。

天空の森とは正反対だけど、なんか、これはこれで、寛げたりもする。

目線を変えれば、この地域に、たくさんの人と一緒に住んでるんだもんね。



東京に暮らして、良いところは、外を歩く機会が多いこと。

山梨だと、玄関出たらすぐに車に乗っちゃうけど、東京だと、駅まで歩くし。

季節や風を、五感で感じられる。

のんびり、てくてく、住宅街を歩くのも楽しい。

いろんな人の人生が、この家ごとに、存在しているんだな。

みんな、別々のお家なのに、こんなにピッタリと密接して、ひしめき合って、別々だと思っていても、結局、いろんな人生は、集まって生きることを選択しているんだ。

道行く人とテレパシーでコミュニケーションとれるのもおもしろい。

いろんな人を観察できるのも興味深い。



東京で、一番好きな時間帯は、夕暮れ。

瞬きごとに、色が変わっていって、その、グラデーションのなかに、わたしがドップリと浸かっている。

なんて、ドラマティックなんだろう。

素晴らしい、奇跡の瞬間。



また、

期間限定で東京に住むのもいいかもー、なんて、思ったりして。

んー、でも、すぐに自然が恋しくなるのかな。

ふふ、カフェでのんびり・・・・、して、つぶやいちゃった。
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月19日

(思い出)雪の日の15歳の少女



自分のこれまでの人生のことについても、たまに、書いていきます。



*******************


15歳のころ。

人生で、一番最初のわたしの、生きづらさを感じていた時期です。

中学3年生で転校をしました。

「ユキ、学校変わってもいい? 大丈夫?」

と、母に聞かれて、

「新しい学校、楽しそう。新しい自分になれそう」

と、答えました。

母は離婚したあと、新しい旦那さんと一緒に暮らしていて、そこにわたしも引き取られました。

本当は、転校なんてしたくなかったけれど、とにかく、やっと、母と暮らすことができて、ずっと一緒にいたかったので、強がりを言いました。

わたしは、「ごく自然に見えるように強がりを言う」という技術を、思春期の頃から、身につけていました。



新しい学校に通い始めて、わたしは、どんどん、自分を見失って行きました。

家出もしたし、たくさんの悪いことばかりをして、母を泣かせました。

母を困らせるのは嫌なのだけれど、でも、困らせることばかりをしてしまって、どうしたらいいのか、わかりませんでした。

生きているのが、苦しくて、なんのために生きるのか、わからなくなっていました。

食べることに興味が無くなり、2週間で10キロくらい体重が落ち、体力も落ち、

立ちあがることができなくなったときは「やばい、死ぬかもしれない」と、やっと気付いて、立ちあがれないので、這って台所まで行き、冷蔵庫をやっとの思いで開けて、這っていても手が届くものを取って、無理矢理、食べたことを思い出します。

母も、義父も、朝から深夜まで仕事をしていましたので、わたしは大抵、ひとりでアパートにいました。

学校に行く意味もわからず、いつも、朝、登校に家を出るのですが、母が仕事に出かけたあとに、こっそり、家に戻ってひきこもっていることもありました。



ある日の冬。

学校の授業が終わって、帰宅をしようとしましたら、雪が降っていました。

結構、大きな雪が降っていて、これは、積りそうだな、というほど。

傘を持っていなかった私は、そのまま歩きだし、雪に降られながら歩きました。

その頃は、「もう、どうにでもなれ」という気持ちで生きていましたから、雪に降られるくらいどうということでもないです。

制服が乾かなかったら、明日は学校に行かなければいいや。 と思っていたくらい。

わたしは、別段、急ぐわけでもなく、ゆっくりと、下を向いて、雪が降り始めたアスファルトを見つめながら歩いていました。

頭の上や、両肩には、雪が降り積もっていましたが、気にしませんでした。



突然、メガネをかけた天然パーマの男子が、私の前に立ちました。

男子は、いま自分がさしている傘をわたしに、「はい」と差し出しています。

「女の子が雪に降られたら、だめだよ」

男子は、わたしに傘を押しつけて、

「僕は、同じ中学の2年○組だから、傘は明日返してくれればいいから」

そういって、スタスタ、私を追い抜いて歩いて行ってしまいました。

生きる気力を失っているわたしは、驚きで何も声が出ず、しばらく、ぼんやりと立ち止って、渡されるがままに傘をさしていましたが、

少しずつ、その男子の思いやりが嬉しくて、傘を大事に両手で持って、ゆっくりと歩きました。

こんな私にも、優しくしてくれる人がいるんだ、わたしは生きていてもいいんだ・・・・・、そんな温かい気持ちが少しずつ心に沁みてきて、それを味わいながら、足元の、中学用シューズを見つめながら、雪道を歩きました。



翌日、

その男子の2年○組に行きました。

ひとりだと、はずかしかったので、友人を誘いました。

その友人というのが、あまり真面目な子ではなかったので、わたしはさんざん茶化されていて、

その男子に傘を返す時には、茶化されて恥ずかしかったので素直な自分でいられずに

「ありがとねー、きっと、いい男になるよー」

なんて、上級生っぽく、上から目線で言ってしまいました。

その男子は、微妙な顔をして、傘を受け取るとすぐに教室に入ってしまいました。



わたしは、素直になれなかった自分を激しく後悔しました。

どうして、「とてもありがたくて、感動したんです」って伝えられなかったんだろう。

一緒に、友達がいたから、強がって見せてしまったんだな、と思いました。

あのときの、男子は、名前も知らないけれど、なんて素敵な優しい子だったんだろう。

傷つけてしまったのかな、わたしがあんな言い方をしたから。

いまでも、遅くないかな。

お礼を言いたいな。

「あのときは、どうもありがとう。 子供すぎてきちんと伝えられなくてごめんね。 あなたの優しさに、わたしは生きていてもいいんだ、って思いました。 本当に、どうもありがとう」




少女のころの私を思い出すと、いまでも、胸が苦しくなる思い出が、たくさんです。




















posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

今日のメッセージ



(降りてきたメッセージ)

過去の罪は償われました。

もう、苦しみにしがみつく必要はないのですよ。

さあ、真実を生きなさい。



ルルドのマリア様.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

もって生まれた才能?



わたしは、子供のころから変わった子だったと思います。

子供のころには、動物や自然など、ピュアなものと交信して、情報をもらっていましたし、

サポートして下さる存在を確実に感じていて、お願いをすると大変わかりやすい形ですぐに現実化していました。

いろんな目に見えないものたちのおしゃべりが、よく聞こえていましたけど、いつもじっくり、聞かず聞き流していました。

幼少のころは、空を一日中見上げて、宇宙からの情報をたくさん受け取っていました。

いま思い出せば、宇宙船にも何度も何度も乗って行ったのだと思います。

そして、乗り込むところと、戻ってくるところは覚えているので、肝心なところの記憶は消されていたというのもわかっています。

なぜなら、不可解な現象が、身体への影響として、尋常ではない形で現れていましたから。

これについては、あまり、たくさんの人には話したくないかな。




いま思えば・・・・・

小学生低学年の頃。

友達の家に遊びに行くと、何度か遊びに行った友達の家の母親からたいてい、2パターンの対応をされます。

@あまり好かれず「もうユキちゃん、来ないでね」と言われてしまう。

Aとっても好かれて「夕飯食べて行きな。毎日おいで」と歓迎される。



とくに、悪いことやイタズラをする子供ではなかったですし、身なりも普通で、いつでも元気いっぱい皆のリーダー的存在で、成績もトップクラスでしたし、子供なりにみんなの悩み相談役をしていました。

素行が悪くてとか、不良だからとか、そういう意味でジャッジされていたのではないと思うのです。

ただ、わたしは本音でズバズバものを言う子だったので、大人はきっと傷ついたのでしょうね。

そのお宅にお邪魔して、見えるもの、感じることを、ズバズバ言ってしまっていたのだと思います。

すると、大人は、「なにこの子!?」って、怖くなっちゃう。

だから、友達に

「ごめんねユキちゃん、お母さんがユキちゃんをもう、お家に呼ぶなって言うの」って、言われちゃう。

子供の頃って、そう言われても全然、傷つかないんですね。

傷ついた、っていう記憶がまったくないです。

ただ、「あ、そうなんだー。なんでだろー。ふーん」くらいに受け取っていました。

そして、「じゃあ、お母さんがいないときに遊びに行くねー。」なんて、無邪気に答えちゃう(笑)

その頃はなんともなかったのに、大人になったいま、思い出してみてやっと、ちょっと傷ついたりしてます(笑)

逆に、好かれる親には、ものすごく好かれたんですね。

不思議なくらい、わたしを好いて、気にいってくださる大人もいました。



いま、そんなことを思い出したりして、わたしは、相当、変わった子供だったんだろうなぁ、と苦笑いしています。

きっと、わたしが元来、そのかたの触れられたくない部分を刺激してしまう才能があるからなのでしょうね。

自分で言うのも恐縮ですが、秀才で、リーダー的存在で、明るくて、元気はつらつの、小学校低学年の時代でしたから、大人ってそういう子が自分の子供の友達でいると、嬉しいはずなんじゃない?!なんて、いま思ったりするんですが、

子供のころからそういう才能があり、だから、わたしのこと怖くなっちゃう大人もいたのでしょう。




大人になった今も、やはり、わたしのことが怖いと感じる方は多いのだと感じています。

でもね、魂の目線から見ると、だからこそ解放が起こり、そのかたの魂の進化が促されていくのだと感じるですね。

言い方を変えると・・・・・、

あることに「抵抗感」を感じるときは、そこに、自分の中の進化への「カギ」が隠されているということなのですね。

抵抗を感じることに飛び込んで行くと、もちろん、「痛み」とか、「苦しみ」とかあるだろうな〜、という「恐れ」が出てくるでしょう。

だから、「嫌だなぁ〜」と思うわけです。

そこを、冷静に受け止めながらよじ登って行かれるかたは、ご自分のシャドー的な部分から「気づき」を得ることができ、気づくことで「解放」へ近づいていきます。

それを、アシストする能力は、わたしの持って生まれた才能でしょうね。

子供のころから、そんなことを無意識にしていたのだと、いま思います。




でも、「ものすごく!無理!!」という「メガ級の抵抗感」があるときは、あえてそれに挑まないですね〜。 自分の準備が整う時まで、ちょっと様子を見るかな〜。

「軽くやだな〜、どうしようかなぁ〜、うーん」くらいの感じでしたら、「GO!」っていうかんじ。 

あくまで、私の場合。



なんとなく、自分のことを書きたくなりました。

読んでくださるかたに、癒しのヒーリングが届きますように。

合掌


いわさきちひろ2.jpg





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:00| Comment(3) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月28日

私が流産した時に学んだこと


「わたしが流産した時に学んだこと」


個人的なことをお話しします。



以前、妊娠をしたことがあります。

検査をしたわけではありませんが、霊的に発達している部分の私は、それが、すぐにわかりました。

赤ちゃんの魂が天からわたしのお腹の中に滑り落ちてきて、3日目くらいから確信していました。

わたしの心と体は大きく変化しました。

新しい人生に、胸はときめき、新しい生命に、それはそれは愛が溢れまくりました。

なんて、なんて、素敵な日々なんだろう。 妊娠って。

初めて恋をしたときのように、生活のすべてがバラ色になりました。

何を見ても、なにを感じても、すべてが自分と子供ためのものになりました。

なんて、愛に溢れていたんだろう。

自分のうちから溢れる愛と、それに応えようとする小さな命からの愛。

子供を持つって、なんて素晴らしいんだろう、と実感しました。

女だけに与えられた、至福の愛の交歓のとき。

本当に幸せでした。

女に生まれて、よかった、と心から感じたのは、生まれて初めてでした。




わたしは、自分のことよりも人のこと・・・・と、人に尽くしてしまいすぎる傾向がありますので、必要最低限な食糧以外、日ごろ、なにかを自分の為に買う事があまりありません。

妊娠期間というのは、本当に不思議で、ものすごく、自分を大事にするのですね。

この期間は、自分の為に買い物のすべてを選んでいる事に気づきました。

お腹の中の赤ちゃんを大事にすること・・・・は、自分を大事にすること、に繋がります。



例えば、ハーブティーのお店に行っても、「自分のため」にお茶をハーブティーを選ぶことは、今まで、まずなかったのですね。

いつも、誰かにさしあげるために買います。

または、セッションに来て下さった方にお茶をお出しするために選びます。

自分は、二の次なのです。わたし。

でも、妊娠していると、思考が変わるのですね。

まず、自分の赤ちゃんの為、その赤ちゃんが入っている自分の身体の為、のことを一番に考えるのですね。

そして、「あ!自分の為だけにハーブティーを選んでる、わたし!」と気づいた時の驚き!!

これまで、自分のことを愛してあげていなかったことに気がついたのでした。




これが、とても驚いたことでした。

「自分を大事にする」ということ。

わたしは本当に苦手なことでした。

自分より、人の為に、生きてしまうのですね。

すると、自分を大事にすることを忘れてしまうのです。

でも、お腹に赤ちゃんがいると、ものすごく自分を大事にするのですね。

赤ちゃんが大事だからこそ、その赤ちゃんが入っている、自分の体を大事にする。



本当に、この自分に対する接し方の大きな変化には、驚きました。

そして、今まで、自分を大事にする、ということをきちんとしていなかったのか、がわかりました。




そのとき、わたし主催の海外でのリトリートツアーを行ったときでした。

わたしは、妊娠の超!初期の状態でツアーの引率が始まりました。

なんといっても、妊娠2週間くらいでしたから。

普通の人は、気づいていないときです。

その貴重な期間に海外の聖地に行けれることがとても幸せで、「やった、お腹の中の子供も、一緒に聖地に行けれるなんて!」と、とっても喜びました。

現地に到着して、3日目くらいに、わたしは流産してしまいました。

もちろん、検査をしていなかったですから、病院にも行きませんでしたが、わたしには流産したことがわかりました。

普段から生理痛はほとんどないわたしなので、激しい痛みですぐにわかりましたし、多量な出血が続いていました。

なによりも、「いなくなっちゃった」という実感が、真実でした。

病院も検査も何もいらないのです。 できたときも、いなくなったときも、自分で、全部、わかりました。

わたしは、とても悲しかったです。

自分が主催したリトリートツアーの最中に、私自身が、悲しみのどん底に落ちてしまいました。

お役目も遂行しなければいけない、でも、人間としてのわたしは、女として一番悲しい局面で悲鳴をあげている・・・・・・つらかったです。



たくさんの後悔をして、自分を責めて責めて、責めまくって、夜、独りになって泣くだけ泣きました。

「もっと大事にできたはず。なぜ、もっとこうしていなかったのか。なぜ、もっとああしなかったのか。わたしは馬鹿だ。」

自分を責めることに足りなくなったら、今度は、当時のパートナーを責めました。

「あなたが、赤ちゃんができたって信じてくれないから、赤ちゃんは出て行ってしまったんだ!」って。勝手な妻ですね。

もう、どうしようもなくて、どうしようもなくて、夜も眠れず泣いていました。

そこに、ありがたいことに、神的な存在からの助けが入り、気がついたのです。



あの赤ちゃんは、まだ、そこにいるから大丈夫なんだ。

ずっと前からタイミングを見計らっていて、そして、いなくなったあとも、次にやってくるのを待って、そこにいるんだ。

その頃のわたしが、あまりに、疲れて、自分よりも人のためのことを考えすぎていたから、

気づかせるために、ちょこっと、やってきてくれただけなんだ。

そして、ちょこっと私の中に入ってくれて、自分を愛するって、素晴らしいんだ、っていうことを、教えてくれたんだ。

そして、これ以上長くいると、お腹が痛すぎちゃうよ、っていうギリギリまで、私の中にいてくれたんだ。

そして、痛すぎないうちに出て行ってくれたんだ。

その時は、赤ちゃんの魂がお腹に宿って、まだ2週間くらいでしたから。

赤ちゃんは、わたしに、教えに来てくれたんだ。

愛というものについて、愛するという事についてを、教えにやってきてくれたんだ。

幸せ〜〜〜〜〜!!って、無条件に感じる瞬間を、教えに来てくれたんだ。

そう、気づいたのですね。




実際、赤ちゃんがお腹にいた、2週間、本当に、幸せでした。

あの幸せ感は、これまで経験したことがなかった。

サマディの恍惚感や、ワンネスのときのすべてがお花みたいに見える感覚や、高次の中にいるときの宇宙の感覚とは、また、全然違う種類の、幸福感。

赤ちゃんは、わたしに、それを教えに来てくれたんだな、と思いました。

わたしが、頑張り過ぎていて、自分を労らないから、教えに来てくれたんだ、と思いました。




まだ、肉体が形成されない、魂だけの状態の2週間、ギリギリ、いてくれたんだ。

赤ちゃんの身体が出来ちゃってからいなくなると、わたしがもっと悲しむし、もっともっと痛いから、

そうなるまえに、悲しみが少ないうちに、身体が痛くなる前に、教えることだけ教えてくれて、そして、出て行ってくれたんだな。

赤ちゃんはそのつもりで、やってきてくれて、そして出て行ってくれたんだ。

わたしは確信を持ってそうだと感じ、それが腑に落ち、そして、ずっとそこについてくれている赤ちゃんの魂も、そうだと言っていました。



閃光がスパークするかのように、それがわかって、

今度は、感謝の意味で、泣きました。

ありがとう、ありがとう。

あなたが、すぐそこにいるのは、わかっているよ。

ずっと前から、待っていてくれているのも、わかっている。

わたしの最善の時を、待っているんだね。



私たちが生まれるのは、他人を幸せにするため。

子供が生まれて、まず最初のお仕事は、母親を幸せにすること。

わたしとご縁のあった赤ちゃんの魂は、わたしを幸せにするために、わたしに幸せを教えてくれるために、ちょこっとやってきてくれたんだ。

なんて優しい子なんだろう。

わたしは自分を責めて、悲しんでいるだけだったら、せっかく赤ちゃんが教えに来てくれたのに、無駄になっちゃうよ。

幸せを願って来てくれたのに、わたしが学びを受け取らずに、ネガティブに浸っていたら、赤ちゃんは嬉しくないだろうな。

教えてくれてありがとう。

ごめんね、わたしはどんどん、年ばかり取って、もう、こんな年になってしまって、子宮も老化しているよ。

いつか、今世で、本当に、赤ちゃんが生めるチャンスがあるといいな。

教えてくれて、ありがとう。

わたしは、愛されているし、だからこそ、私は、愛することができる。

自分を大切にすることは、世界が柔らかい羽毛布団のようになり、すべてが暖色の温かな調べになるということ。

その中に身をゆだねていると、努力しなくても、自然と、人にやさしく、人を愛することができるという事。

肉体を労るという事は、わたしのこれまでのすべての経験、過去世での経験もすべて、まるごと受け入れるのだという事。

そして、「孤独感」は真実ではないのだということ。



わたしは、その時、海外のある聖地にいました。

その聖地では、必要なことしか起こりません。

ということは、これはわたしにとって必要だった出来事ということ。

悲しみも、痛みも、必要で、そこから真実に気づくためのこと。

だとしたら。

だとしたら、わたしは、赤ちゃんが現れてくれて、そして、姿を消した、この経験を、無駄にはしたくない。

絶対に、絶対に、無駄にはしたくない。

ただ、泣いて、ただ、悲しんで、ただ、後悔して、自分をあーだこーだ、責めて、他人や環境もあーだーこーだ責めて、ずっと引きずって、引きずっている間、ずっと前に進めなくて、

そういう、無駄な経験には、絶対に、絶対に、したくない!!

絶対に、しない!!! 絶対に!!

私に幸せ感を教えてくれるためにちょこっとやってきてくれた赤ちゃんのためにも!!

そう、決意した明け方。

すべてのピースがカチッとはまり、わたしは復活とともに大きく成長しました。




人生は、素晴らしいです。

すべては必然であり、すべては学びである。

この出来事は、昔の出来事ですが、いま、シェアしたくなったので、書きました。

きっと、この記事が必要な方がいらっしゃるのでしょうね。

すべては必然ですから。

世界は繋がっていますから。

毎日、毎日、こういった気づきと、解放と、進化の連続です。

関わるすべて、起こる出来事すべてに、ありがとう。

自分のことを赤裸々に語ることに慣れていないので、この記事をアップするのに勇気がいる、というのが本音です。

一気に書いたので、乱筆乱文ですが、このまま直さずアップしますね。

読んでくださりありがとう。

合掌


シャスタ52

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:34| Comment(6) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

新宿のツバメ


東日本大震災 慰霊の東北行脚(北茨城、福島、仙台)から、高速バスで新宿に戻りました。

この、西口の京王プラザ、三角ビルのあたり、懐かしい。

東京に住み始めた16年前。

このあたりのフィットネスジムで、フィットネストレーナーのアルバイトをしていたっけ。

芸能人も来ているジムで、当時、江頭2:50さんや、なべやかんさんがトレーニングしているのを見たこともあったな。

あの頃は、極貧生活で、一袋のもやしを、一日ぶんのおかずと決めて、どうにかこうにか生きてたな。

府中の四畳半のアパートで、よく、頑張っていた、あたし。

新宿駅に向かう、あの、動く歩道のある高架下の道で、

頭上をシャーーッ!とツバメが追い抜いていった映像を思い出しました。

わんさかいるダークカラーのスーツ姿のカチコチのサラリーマンたちのなかで、サファリハットをかぶって、素足にサンダルの姿の私だけが、立ち止まって、ツバメを見上げていた記憶があります。

サラリーマンさんたちは、どうして、ツバメに気づかないんだろう?ととても不思議だったっけ。

当時の私、その、勢いよく思いきり飛ぶツバメをみて、ああ、私は人と違っててもいいんだ、って感じたっけ。

そして、なんだかわかんないけれど、よし!って思ったっけ。

懐かしい16年前のわたし。

そんなことを思い出しながら、歩いた新宿。

いまのわたし。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

ラジオインタビュー


先月5月下旬。

カトゥマンドゥで日本とネパールをつなぐ目的のラジオ番組に出演させていただくご縁に恵まれました。

下記のURLからお聞きになれます。

http://www.nipponchautari.org/2014/06/44-episode-16th-june-2014.html



最初ネパール語ですので、ちょっと早送りしていただいて、

18:20〜27:00 くらいがわたしが喋っているパートです。

調子に乗って、最後はバジャンを熱唱してしまいました(笑) 

改めて聞くと、結構恥ずかしい(笑) 恐れなしです、わたし(笑)

素敵な経験を、どうもありがとうございました。

ダンニャワー。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

ラジオゲスト出演


6/30と7/7の2週にわたって、YBSラジオにて放送されました、ラジオ番組です。

「美的カフェ」というコーナーに私がゲストで出演させていただきまして、ヨーガについての想いを語らせていただきました。

素晴らしい経験ができ、とても楽しく過ごすことができました。

当日の模様を書いたブログはこちら。→ http://yukismyogaism.seesaa.net/article/387534460.html


どうぞお聞きください。

01 トラック 1.wma


02 トラック 2.wma




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:10| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする