2014年02月08日

インド・ネパール回想記24(完)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】

長かった、回想写真記におつきあいくださいまして、ありがとうございました。

日本に戻ってきてからずっと、感じることがたくさんあります。

うまく伝えられないです。 きっと、きちんと伝わらないから、沈黙しておこう。


パタン7.jpg


外国とのご縁が深いようで、また、すぐ4月から海外に行きます。

ありがたいことに、ネパール、インドでヨーガを教えるお仕事とご縁が結ばれました。

みなさん、一緒に、行きませんか?

海外で学び、自分の枠を広げましょう! http://himalayayogaism.jimdo.com/



この写真は、私の持つ光、そして、わたしをサポートする存在たちの光。(細工なしです)

私の光.jpg

犬とか、赤ちゃんとか、霊視できる方には、このように見えるようです。

わたしは、今よりも、もっと、誠実に生き、エゴを捨て、闇も愛せる勇気を培って、

もっと、もっと、光の存在になっていきたいです。

合掌

(インド・ネパール回想記終わり)


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2014年02月07日

インド・ネパール回想記23(パタン)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】

帰国前日。

ネパールに住む友人に会いに、パタンに行きました。

パタン1.jpg


ここは、日本で言う「京都」みたいなかんじかなぁ。

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歴史的な建造物だらけで、楽しい。

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ネパール人の修学旅行生?みたいな学生さんがたくさんいました。

パタン4.jpg


みんなしてこの水を汲んでいる。聖水なのかな。

パタン5.jpg


最初から最後まで、いろいろあった、インド・ネパール巡礼でしたが、

とてもいろいろと、大変だったけれど(ブログに書けないこと)、すべてが全部、学びでした。


パタン6.jpg






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2014年02月03日

インド・ネパール回想記21(犬にも、牛にも)



【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


犬の記事が書いてある、現地からのレポートは、強いて言えば、これかなぁ。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11373891.html





日本でも、そうですが・・・・・

インドでも、ネパールでも、

動物に、好かれます。

とくに、犬。 そして、牛。



牛が、のっそり、のっそり、

確実に私めがけて、近づいてきます。

やや、警戒しちゃう。はは。

牛.jpg



歩いていると、わたしを、じーーーーーっと、見つめます。

わたしに視線を定めて、凝視しながら、顔もわたしも歩みとともに。

なにが、見えるのだ、牛は。

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ワンコ、大好き。

食べきれなかったパンなど、捨てたらもったいないので、野良ワンコにあげるために、鞄に入れておいきます。

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インドも、ネパールも、どこにでも、ワンコがいるのです。

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ワンコも、町の住人です。

なでなで。

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頭をなでなで、愛をたっぷり注いだら、5分くらいで、こぉ〜〜〜んなに、心を開いてくれました。

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この子も〜。 心、オープン〜。

ここには3泊して、毎日、私の帰りを、部屋の前で待っていてくれたの。

命名「マメコ」。まめな子だから(笑)

犬.jpg



日本に戻ったら、野良ワンコが全然いなくて、とっても寂しい、つまんない。

日本に生まれたワンコは、かわいそうだ。

繋がれていない犬は、殺されてしまう。

ノーチョイスだ。

繋がれて生きるか、または、殺されるか、それか、逃げ続けて、コソコソ生きるか。

どちらにしても、自由はないんだね。

日本人の、都合で。

なんにも罪がない犬を殺しても、それは、殺戮とは呼ばないのか。

おかしいと思う。

殺す役目の人は悪くない。 それは、その人の仕事だから、そうするしかない。

このルールを決めた人が、おかしい。

そして、それを「おかしい」と、思わない人も、おかしいと思う。

命の重みに、ランクも、なにも、ないと思う。

なんか、ちょっと、シリアスになってしまった。








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インド・ネパール回想記20(ルンビニー3)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】




「これは、平和の木、と呼んでいるんです」

と、お上人さんが紹介してくださいました。

ルンビニのお寺の裏にある、はらっぱにある木。

平和の木.jpg



マンゴーと、菩提樹と、ガジュマルと、ニームの、

4種類の木が、ひとつになっている。

平和の木2.jpg


「この木は、異種が融合し、交わり、そして、支えあいながら、ひとつになっている。木でさえも、こんなふうに種類の違うものと調和していけれるのだから、人間もできるはず。人種が違う、国が違う、言語が違う、カーストが違う、と争わず、世界はひとつになるべき。木でもできるのに、人間はなぜ、それができないのか」

と、お上人さんのお話し。


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地球って、素晴らしいです。

人間は、自然から、学ぶことがいっぱいあります。





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2014年02月02日

インド・ネパール回想記19(ルンビニー2)



【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】



お釈迦様が御出家なさる前に住んでいた、宮殿跡地。

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マヤ夫人のお墓(だと言われている)小さな祠は、

大きな木が自然に生えてきて、まるで、祠を包み込むようにして、根を張っていました。

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生命力の、逞しさ、力強さ!

自然って、すごい!

地球が大好き!



田舎に行くと、子供がたくさん寄ってきます。

貧しい子供たち。

「ギブミーマニー」と、繰り返します。

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和尚さんは、無収入で仏道に生きてらっしゃるので、お金はおげられないけれど、お釈迦様の生き様を描いた紙芝居を持っていて、いつも、子供たちに見せています。

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なんて、心温まる光景。

子供たちも、「ギブミーマニー」をやめて、素直に、夢中で紙芝居をみています。

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お金をもらってこい、と、大人に教えられているだけであって、本当は、こんなふうに純粋なのです。

子供は、天使だ。



プラサード。

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たいていキャンディなどを、人々に配ります。

プラサードは、出家されたスワミが、一般のかたがたに施すこと。



今回の旅は、行く先々に、知り合い、友人がいて、お世話になったことがとてもありがたかったです。

この和尚さんも、そのお一人。

東日本大震災があった年から、毎年、日本で行われた、被災者慰霊行脚、原発反対行脚に参加させていただいて知り合いになりました。

今年も、参加させていただいて、祈り、歩きます。

日本の一般的なお坊さんたちとの、宗教心の深さ、ご修行の真剣さが、雲泥の差です。

日本は、神仏に対しての帰依心というのは、どうなっているんだろう。

ある一部の僧侶を除いて、お坊さんは、ただの職業になってしまっているのか?

その、一部の少数である、本物の信仰心のある日本の僧侶の方々と、わたしは交流があります。

きちんとご修行されている僧侶の方も、少数ですが、もちろんいらっしゃいます。



「お釈迦様は非暴力を説いているのに、日本のお坊さんはなぜ肉を食べてもいいのだ?」

と、インド人に言われて、言葉に詰まりました。

「肉も魚も食べていい、酒もタバコもOK、女性遊びもする、お金を稼いでも良い、お経も一日一回くらい、または、毎日唱えない人もいる、のだしたら、お坊さんと一般の人との違いは何なんだ?」

とも、聞かれ、日本の神仏に対する思いの象徴のようで、大変、がっかりしました。

言いたいことはたくさんあるけれど、このブログでは、これ以上コメントを、ぐっと堪えて、控えます。

もちろん、ちゃんとご修行されているお坊さんも、いらっしゃいますけどね。

でも・・・・・。

やめておこう、大好きな日本に、がっかりしてしまうから。

でも、わたしとご縁のある日本人のお坊さんは、日本でも、インドでも、ネパールでも、みなさん、ご修行されて、立派なかたがたばかりです。

わたしは仏教徒ではないけれど、一緒に、修行させていただいています。



わたしは、やっぱり、ネパール・インドの、本物のスピリチュアリティが、しっくりきます。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月01日

インド・ネパール回想記18(ルンビニーで年越し)



【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11405626.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




お釈迦さまが誕生した場所、ルンビニー。

知り合いの、日本人僧侶のお寺にお世話になりました。

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大みそかは、お坊さんたちとみんなで、おそばを作って、いただきました。

もち米などもないし、キヌとウスもないので、手でこねこねして、おモチ作りしました。

しかも、小麦粉も切らしていたので、全粒粉で!

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茶色いお餅になりましたよ〜

すっごい時間がかかったけど、楽しかったな。




除夜の鐘も打たせていただきました。

お経をたくさん唱えました。

わたしは、一斉ヒーリングをしていましたので、とても、穏やかに、高次元と繋がった時を過ごしました。



元旦の早朝4:30.

お釈迦さまが誕生した場所にあるお堂へと、歩きながら、祈りました。

お堂には、いつもはない、キャンドルのデコレーション。

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小さな炎と、濃い霧が煙る、寒い朝。

とても、美しく、幻想的でした。

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心をこめて、祈りました。

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とても、貴重な、スピリチュアルな時間を過ごさせていただきました。

感謝。

合掌


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2014年01月31日

インド・ネパール回想記17(ヒマラヤ アンナプルナ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


ネパール側から見る、ヒマラヤ。

ヒマラヤ連峰の西寄りの、アンナプルナ。

日の出前に出発し、丘に登り、

サンライズを拝みました。

素晴らしかった。

言葉では伝わらないので、

どうぞ、写真を、お楽しみくださーい。

今度、ここで行うヒマラヤヨーガ、一緒に行きませんか?
http://himalayayogaism.jimdo.com/

この写真は冬ですが、開催の4月5月は、ウキウキの初夏ですよ!


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月30日

インド・ネパール回想記16(ポカラ2)



【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


シャンティストゥーパ。 仏舎利塔です。

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お釈迦様の骨が埋まっているのです。

ポカラストゥーパ2.jpg


関係者と一緒に参拝させていただいたので、いろんなお話が聞けまして、とても有意義でした。



ポカラのフェワ湖。

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ヒマラヤが湖面に映る、美しい湖。

女性の方が、ボートを漕いでくれました。

ポカラの湖2.jpg

いい笑顔。



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ほんと、美しい時間。






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2014年01月29日

インド・ネパール回想記15(ポカラ1)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


ネパール ポカラには、12/28 に到着しました。

友人がヨガスタジオをしていまして、「おいで〜、そして、ヨガクラスやってくれ〜」

と言われていましたので、そこで、ヨガを教える気満々で行ったのですが、

年末で、観光客が少なくて、ヨガクラスはシーズンオフだそうで、

意気揚々と行ったのですが、「ヨーガクラスないから遊んでいいよ」と言われ、カクン、と肩透かしでした。



ということで、滅多にしない、観光!とうものを、しちゃいました。



ぶらぶら街を歩いていると、とっても、フレンドリーな現地の方々の笑顔に、ホッとさせられます。

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なにやら、滝底の洞窟に続く入り口のよう。

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この子、可愛い。思わず、パチリ。

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滝底を、洞窟の中から見たところ。

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ここは、素晴らしいエネルギーだった。

地球のクンダリーニを感じました。




チベット難民キャンプにて。

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手作りカーペット工場。

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子供の写真をすぐそこに貼って、お母さんたち、がんばってます。

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「日本のキャンディ持ってないの?子供にあげたいんだけど」、とおばさま。

おばさまなんて言ってしまったけど、わたしよりも若いんだろうな。きっと。



糸を紡ぐのは、おばあちゃんたち。

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やっぱり、ここでもチベット。

今回の旅は、最初からずーっと、チベットです。

とても気になる。







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2014年01月28日

インド・ネパール回想記14(コブラ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】




道端で。

おじさんが、しゃがんで。

コブラを、操る。


コブラ使い.jpg


とても、おもしろい!

すごい!

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2014年01月27日

インド・ネパール回想記13(ギフト)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】



チベット仏教の女神様。 ホワイトターラー。

ホワイトターラー.jpg


瞑想の中で、彼女が出てきて、

わたしに光の玉を授けてくださいました。

わたしは、新しい叡智をいただきました。

合掌



ブッダも、日本やインドと、ちょっと違います。

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チベットに、惹かれてます。





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2014年01月26日

インド・ネパール回想記12(クリスマスプレゼント)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11399794.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




記事にあるように、こんな風に、ガンジス川にお花の小舟を流すのがしきたりです。

ガンガ6.jpg


そして、それを売っていた、少女と母。

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リシケシは、ガンジス川のわりと上流なので、ヴァラナシのように、汚く、臭くないのです。

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夕陽も、最高に美しい。

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涙が出てきちゃいました。

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ここで、大きな封印が開き、解放が起こって、わんわん泣いて、新しい叡智を授かり、また私は、光が大きくなりました。


この写真はハヌマーン。

いつも、ハートに神がいて、すべてを明け渡します、という意味だと、わたしの解釈。

ハヌマーン.jpg


聖地は、信仰が厚く、本当に、居心地がよい。

リシケシ、大好きです。


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2014年01月25日

インド・ネパール回想記11(朝のガンジス川の祈り)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11399794.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




そして、早朝。

ガンジス川で祈りました。

霧に煙る、ガンガー。

ガンガ5.jpg


太陽が、愛にしか感じられない。

ガンガ2.jpg


なんて、美しい。



お祈りをしているときに、川に流したお花の小舟は、

流れていかずに、いつまでもいつまでも、私たちの前を、行ったり来たりしていました。

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たくさんの鳥たちが集まってきて、頭上を、バサバサと飛び、いつまでも、そこにとどまっていました。



祈りよ、世界に広がって行け。

世界の平和と、非暴力。

心をこめて、ガンガーの風に、わたしのバジャンの歌声が乗っていきました。

リシケシ祈り.jpg





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

インド・ネパール回想記10(Rishikesh)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11397447.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




大好きな、リシケシ。



ガンジス川沿いには、川の水を持ち帰るためのボトルが売られています。

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もちろん、わたしも、持ち帰ってきました。

自分用に持ち帰ってきましたが、帰国してから、

もっと、必要で、価値がわかる、大切なかたに、差し上げました。



大きな橋はトレードマーク。

数年前の思い出が、懐かしく思い出されます。

リシケシ2.jpg


マーケット。

リシケシ3.jpg

ヨガの聖地ですが、ここ数年で、すっごーーーーい、変わって、観光地化してしまっています。

ヨガブームですから、仕方がない。



ビッグなアシュラムで、毎晩行われるプージャ(祈りの儀式)。

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グルの説法と、バジャン、キルタン。

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ガンジス川に、世界の平和を、祈りました。

リシケシプージャ3.jpg


今回、突然、ガンジス川の女神さまが、私を呼んでくれました。

リシケシプージャ4.jpg

そして、女神様に、新しい叡智をいただいたのです。






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2014年01月23日

インド・ネパール回想記9(FREE TIBET)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11396368.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




ダラムサラは、チベット難民の、悲しくも、怒りに満ちた、苦しいエネルギーがとても強かった。

ダラムサラ4.jpg


奥深いところに、響くものがたくさんあり、とても、苦しく悲しくて、言葉にできません。

わたしは、過去世でチベット人だったこともあるようです。



チベット仏教に、どうしようもなく、惹かれます。

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カルマッパさんのお寺。

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バターランプを補充する、チベットラマ僧。

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ああ、とっても、落ち着く。





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インド・ネパール回想記8(ダラムサラ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11396354.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。





寒い地方に、来ちゃいました。

路上で売っているものも、あったかそうなものになっちゃいました。

ダラムサラ1.jpg


小さな町。 のんびりとした商店街。

ダラムサラ2.jpg



ここは、下北沢か!?と思うような、カフェがたくさんあるのです。

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チベット料理。 モモ。 餃子みたいなの。

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大好きな、テントゥク。

テントゥク.jpg


寒いから、ほかほかのお料理と、人々の温かい笑顔が、幸せです。



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2014年01月22日

インド・ネパール回想記7(満月の祈りのウォーキング)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】

下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11392808.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。



上記、現地からアップしました記事にありました、満月の日の祈りのウォーキング。

fullmoonwalking2.jpg

満月・・・・・とはいえ、夜だけではなく、昼も朝も、24時間、歩いてOkなのです。



ここは火の聖地です。

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みな、火に、帰依心を捧げ、自分のエゴやカルマを投げ入れます。



ティルヴァンアマライのテンプル。

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とても、大きく、広く、素晴らしいです。

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そして、また、歩く、歩く。

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こんな、大きな足。

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神の足と崇められ、みな、おでこをつけてリスペクトします。



夜になっても、歩きます。

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満月を浴びながら、歩き続けるのです。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

インド・ネパール回想記6(聖者の洞窟)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11394790.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




このアルナチャラ山で、ラマナマハリシはサマディーに達しました。

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とっても、のどかで、平和な安らぎの波動に満ちた場所です。



ラマナマハリシが瞑想をした洞窟は、今では、皆が入って瞑想できるように、建物が増設されていました。

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ここは、まるで、蜂蜜の中に、まったりと包まれているような、とても濃いエネルギー。

なんにもない、ただの洞窟なのですが、いつまでもいつまでも、それこそ何年も、座っていられそうな気持になる、エネルギーでした。



アルナチャラ山に、ハイキング。

絶景で、素晴らしいエネルギーでした。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インド・ネパール回想記5(ラマナマハリシ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11392437.html

先に、記事を読んでからのほうが、わかりやすいと思います。




ここが、ラマナマハリシが眠るホール。



ここでは、わたしは、ゆっくりと時計回りで回り歩きながら瞑想をするのですが、もう、すごいんです。エネルギーが。

ラマナアシュラム2.jpg

ホールにすわって、ラマナマハリシを呼びましたら、繋がったようです。

とても、やさしく、慈悲に溢れたエネルギーです。



これは、毎日行われる、プージャ(祈りの儀式)。

ラマナアシュラム1.jpg

何度観ても、見惚れてしまい、そして、また何度でも見たくなります。



これまで何度も訪れています。

そして、また、何度も、帰ってくると約束しました。






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2014年01月20日

インド・ネパール回想記4(マドゥライ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


下記の記事の、画像のアップです。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11390427.html

先に、記事を読んでから、画像をご覧になると分かりやすいと思います。





記事の孤児院にて、お上人さんに、リスペクトするインドの方々。

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この、孤児院をボランティア、無償で運営されている方は、マハトマガンディーの厚い信仰者だそうです。



子供たちは、とても純粋な目をしているのだけれど、どこか、遠慮がちで元気いっぱいな感じではないのです。

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抱きしめてあげたい。

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記事に書いてある、子牛。

必死に縄を引きちぎって、お母さんのおっぱいに吸いつく。

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人間が一人では、引きはがせないほどの強い力で、無我夢中で、求めていた。

なんて、残酷なんだろう、人間は。

無理やり、子牛をひきはがし、そして、人間用の乳を搾る。子牛の目の前で。

子牛2.jpg


母親から引きはがされた子牛は、近くの木に繋がれたが、窮屈な姿勢で、首をまげて、母親の顔にすり寄る。

首に、ロープが食いこんで、痛いだろうに、それでも、母の顔に頬をすりよせることをやめない。

子牛3.jpg

こんな、親子を、引きはがしてまで、無理やり、乳を搾るのか、人間は。

悲しかった。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月19日

インド・ネパール回想記3(サンカランコービルとマドゥライ行脚)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


下記の記事の、画像をアップしますね。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11389731.html

まず、滞在中の記事を読んでから、画像を見ると、わかりやすいです。



その、小さな日本の道場があるサンカランコービルでの、毎朝のお祈り風景。

サンカランコービル1.jpg


毎朝4時に起床し、4:30〜6:00過ぎまで、マントラを唱えて祈り続けます。

お堂の中や、外の塔をまわり、朝日にも感謝の祈りをします。

サンカランコービル3.jpg


仏舎利塔(お釈迦様のお骨が収められている塔)を、手作りで作っています。

この、レンガをひとつひとつ、はめ込んでいく作業、とても感動しました。

サンカランコービル2.jpg

これから、何千年も、歴史に残る、このレンガを、わたしの想いも一緒に、はめ込みました。



マドゥライの街中を、街頭修行。

太鼓をたたきながら、マントラを唱え歩きまわります。

日本ではそうもいかないのですが、ここインドでは、町中の方々が、合掌をしてくださったり、感謝の気持ちを表してくださいます。

インドの信仰心の厚さは、やはり、わたしには居心地がよいです。

マドゥライ.jpg



そして、記事にも書きましたが、町を歩いていると、テレビ局のかたがたに、突然、インタビュー依頼されました。

インタビュー.jpg


そして、テレビ撮影。

インタビュー2.jpg

わたしも、インドでテレビデビューしちゃいました〜。



そして、このお上人さんは、世界で唯一、ガンジーのお骨がきちんと埋まっているお墓を建てたかたです。

ガンジー記念館2.jpg


風貌も、お顔も、ガンジーさん、そっくりのお上人さんです。

ガンジー記念館.jpg

本当に、すごいかたなのです。腹が据わってます。

心から、尊敬申し上げます。

合掌



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月18日

インド・ネパール回想記2(ニルギリ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記のブログ記事の、画像のアップです。

記事を読んでから、画像をご覧になったほうがわかりやすいと思います。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11379496.html

この記事を書いた時は、こんなところにいました。



ニルギリは、ニルギリティーの産地。

一面のお茶畑が広がり、たくさんのかたがせっせとお茶を摘んでいました。

ニルギリ2.jpg


標高1800m。

素晴らしい景色と、空気が澄んでいます。

ニルギリ.jpg


人々も、気さくで、かわいい。

「もっと、笑って、笑ってーーー!!」と、撮り直した時の笑顔。 ふふ。

ニルギリ4.jpg




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月16日

インド・ネパール回想記1(観音様のプージャ)


【 2013.11.19〜2014.1.6 インド・ネパール巡礼・修行の回想記です。】


現地で書いた、下記のブログ記事の、画像のアップです。記事を読んでから、画像をご覧になったほうがわかりやすいと思います。

http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/11383261.html


森の中、関係者だけでの濃密な儀式でした。

プージャinニルギリ.jpg


わたしが、遠く離れた聖地で買い求めてお届けしました観音様の御像です。

プージャinニルギリ2.jpg


その観音様の目を開かせる、開眼の「印」を、聖なる川、ガンジス川のお水で書きます。

プージャinニルギリ3.jpg

儀式の前と、儀式の後で、観音様のお顔が変わっていました。



「シヴァリンガム」です。調和の象徴。

プージャinニルギリ4.jpg

このテンプルを建てたかたのお話によると、神のお告げにより、山の上の森の中に、このシヴァリンガムの形をした石が眠っているから、探しにいきなさい、ということで、このニルギリの山に来て、神から教えられた場所に行ったところ、本当に、この石を見つけたそうです。

そして、このシルディサイババのテンプルを建立したそうです。

そのかたは、女性なのですが、先日、南インドでダライラマさんと一緒にセレモニーをされたようで、報道されてらっしゃいました。

とても、透明なかたでした。

プージャinニルギリ5.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月06日

帰国!


さっき、成田に着陸しました。

無事、帰国です!

今回のたびは、いつもの、宇宙的な学びよりも、

もっと、三次元的であり、いいも悪いも、人間的な学びでした。

けっこう、大変でした〜。

ブログには、書けないことが多いなぁ。

また、写真などは、追って、アップさせていただきますね。

とりいそぎ!
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帰国!



さっき、成田に着陸しました。

無事、帰国です!

今回のたびは、いつもの、宇宙的な学びよりも、

もっと、三次元的であり、いいも悪いも、人間的な学びでした。

けっこう、大変でした〜。

ブログには、書けないことが多いなぁ。

また、写真などは、追って、アップさせていただきますね。

とりいそぎ!

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2014年01月04日

ネパール ボダナート



ルンビニーから、バスで11時間かけて、カトゥマンドゥに移動してきました。

さらにそこから、30分くらいかな?

ボダナートという、チベット仏教の地にやってきました。

とーっても、落ち着きます、チベット仏教。

早朝の祈りに参加させていただきました。

この、チベット僧の、ぶつぶつ、つぶやくみたいなお経が、とても心地よい。



いろいろ、買い物もしましたので、

帰国しましたら、サットサンガで販売会しまーす。

個人教室などでも、もって行けれるかもしれません。

私のヒーリングのお弟子さん(上級以上を伝授された方)優先で、ヒーリングスティックをお譲りしますので、早めにおしらせください。

たしか、5〜6本しか、ないと思います。

あと、ペンドゥラムも、10個くらい買ってきましたので、早い者勝ちです。

こちらも、レイキ上級以上の方優先です。

すみません。使いこなせるかた、優先なんです。

あと、なにを買ったかしらー?

トゥルシーティーとか、アリババパンツとか、ヨガマットバッグとか、あと、もろもろ、忘れました。

あー、もう、すぐ、日本だー




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月31日

信じてくれて、ありがとう2013



日本では、もうすぐ、今年が終わる時間ですね。

ここ、ネパールは、日本と時差が3時間15分あります。

いま、わたしは、ネパールのルンビニーという聖地にいます。

お釈迦様の生まれた場所です。

その、聖なる場所で、年越し、新年を迎えます。

素晴らしいご縁で、日本のお寺さんに滞在させてもらっています。

今日は、お堂の大掃除を手伝い、これから、深夜に除夜の鐘をならします。

わたしも、12回、除夜の鐘を打たせてもらうのです。

なんて、光栄なこと!



いま、夕方のお経が終わりました。

たっぷり、2時間のお経です。

明日の朝は、4時間、ルンビニーの街中を、お経を唱えながら祈り歩きます。



日本のみなさま。

愛しています。

私を、信じてくださってありがとうございます。

ときに、私に対して、

疑う気持ちや、否定する気持ちも、モヤモヤした気持ちも、あったのでしょうね。

でも、あなたは、信じてくださった。

その、ある意味「勇気」にも似たお気持ち、痛いほど感じます。

本当に、ありがとうございました。

心から、愛しています。

あなたのこと、あなたのこと、あなたのこと、

愛しています。



あともうすぐ、

元旦の新年 無償一斉ヒーリングに入ります。

1/1 0:01から23:59までです。



お申し込みくださった皆さんは、すでに、わたしのエネルギーに包まれています。

おひとり、おひとりに、丁寧に、感じさせていただきながら、お独りずつ、入っていきました。



それは、緩やかな、心地よいうねりのある、ぬるめの水の中を、

ゆらゆらと、漂いゆれているかのような、気持ちのいいところです。

エネルギーの中のあなたは、目を閉じて、うっとりと、まったりと、しています。



とても、美しい、青色をしています。

そして、深みのある輝きで、そのゆらめきを、いっそう、美しく映えさせています。

そこは、とても平和で、なんの心配も、恐れもないところ。

時間になりましたら、おひとりおひとり、それぞれ、あなたが必要なヒーリングがされます。

どうぞ、心を開いて、お受け取りください。

一斉ヒーリングの感想、お待ちしております。



ああ、なんて、素晴らしいんだろう。

とても、愛に満ちています。

ありがとう。

あなたが、信じてくださるから、わたしは、こんなにも幸福に、

あなたへの、ヒーリングも増幅します。

信じてくださる、あなたのエネルギーが、わたしの力を増幅するのです。

あなたは、癒されるのと同時に、わたしを、癒しているのですね。

本当に、どうも、ありがとう。

どんどん、増幅し、周りの人にも広がって、地球が、平和に満たされますように。



もしもあなたが、なんらかの事情があって、参加したかったけれど、できなくて、

一斉ヒーリングにお申し込みされていない方でも、

テレパシーで感じた方は、実は、一緒に入ってもらっています。

もしも、あなたが、そうならば。

どうぞ、同じように、感じて、受け取ってくださいね。



ネパール、ルンビニー、お釈迦様が生まれた場所。

シャンティストゥーパ、仏舎利塔、ワールドピースの塔があるお寺にて。

今年一年、お会いして、心を通わせた、すべてのあなたに、すべてのあなたに、すべてのあなたに、

ほんとうに、心底から感謝をしながら、夕方のお祈りをしました。

心から、心から、どうもありがとうございました。



まもなく帰国。

いろんな、ニュースがたくさんあります。


P.S. 
1月のスケジュールをアップしましたので、HPをご覧ください。
http://yukismyogaism.jimdo.com/







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

クリスマスプレゼント




ヒンズー教で行うガンジス河の祈りは、お花やキャンドルを小さな小船に乗せて川に流します。

貧しい人々が、それをたくさん作って持ち、売り歩いています。

ガンジス河のほとりでお祈りを始めようとしていると、小さな少女が、お母さんと一緒にお花の小船を売りに来ました。

一個50ルピーと言われて、うわ、すごい高いな、と思ったけれど、(普通は5〜10ルピーくらい)少女がかわいかったので買いました。



そのお花の小船を流して、お祈りをしていると、今度は、少年がお花の小船を売りに近づいてきました。

もう、一個買ったから、いらないよ。 no money だよ。

と、何度言っても、何度言ってもしつこく、プリーズ、プリーズ、と言ってきます。

かわいそうだけれど、見ない振りをしてマントラを繰り返していたら、

その少年も一緒に、マントラを唱え始めました。

とても、かわいらしい。

少年は、お祈りが終わるまで、ずっと、近くに座っていました。



立ち去ろうとすると、「ギブミー サンタクロース」と言いました。

そう、今日は、クリスマスでした。

今日は、たくさんの物乞いの子供たちにクリスマスプレゼントをねだられました。

この寒いのに、ビーチサンダルで、セーター一枚の子供たち。

靴をかってくれとか、そのジャケットをちょうだいとか、ストールをくれとか、

いろんな子供たちに、何度も、せがまれます。

正直、困りますし、かわいそうだし、買ってあげないことに罪悪感だけれど、

ひとりだけに買ってあげるわけにもいかず。

仕方が無いです。お金ないです、ごめんね。ごめんね。



「今日はクリスマスだから、プレゼントちょうだい」と、

靴をねだった少年に、靴はないけれど、ブッダのステッカーをあげました。

少年は、とってもとっても、嬉しそうににっこりと笑って、そのステッカーを、持っていたカゴの中央に置きました。

頭をなでなでしてあげたら、嬉しそうにはにかんで、撫でられた頭を、かいていました。



そのあとも、5〜6人の子供たちに、頭なでなで、ほっぺたプニョプニョしてあげたら、とても嬉しそうでした

インドの物売りの子供たちは発育が悪いみたいで、見た目が7歳くらいでも、実は12歳くらいだったりする。

あの子達は、両親がいないのかなぁ。

大人たちに、使われて、働かされているのかなぁ。

抱きしめられることも、ないんだろうなぁ。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝のガンジス河の祈り




朝日の時間。

早朝はとても寒いのでダウンジャケットとニット帽に、中にはフリースとタイツという姿で、

ガンジス河と、真正面に向き合いました。

この、ゆるやかな流れを見ながら、大切な人たちを想い、祈りました。

この聖なる河で祈ると、世界に繋がると信じ、世界の平和を祈りました。



お香をたいて、マントラを唱えていると、頭上に、鳥がたくさん集まって来ました。

無数の鳥たちは、それぞれ、あちらこちらに向かって飛びながら、旋回して、頭上に留まっています。

ほうぼうに飛ぶ鳥たちは、無秩序に見えて、彼らなりの秩序があるのでしょうね。

地球は、完全な宇宙のリズムで動いています。



目を閉じて、心をこめて、地球に向けて、バジャン(ヨガの神聖な歌)を歌います。

ここ、リシケシはシヴァ神の聖地なので、シヴァのバジャン。

ゆっくりと、そして、伸びやかに歌うと、ガンジス河の神が、しっとりと聞いてくれているようです。

近くに座っていたインドの女性も、目を閉じて聞いてくださっています。



とても、気持ちがよくて、目を閉じて、ずっとこうしていたい気持ちでした。

地球は、なんて、愛に満たされているのだろう。

わたしは、なんて、ちっぽけなのだろう。

吐く息は白く、とても寒い朝でしたが、その分、冷たい頬に、暖かい太陽の恩恵をありがたく感じました。


(写真は、帰国したらアップします!)




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

RISHKESH




突然!

リシケシが、私を呼びました。

だから、来ちゃいました。

とはいえ、14時間近いバスの移動は、きつかった〜。

しかも、一番後ろの席しか空いていなくて、リクライニングがまったくできない席。

そして、日本の高速バスのような立派なバスではなく、窓がきちんと閉まらないような、オンボオバス。

しかも、日本の道と違って、山道クネクネ登っていき、舗装されていない道を、ゴンゴン、登るので、

バスが、ジャンピング、ジャンピング、飛び跳ねながらの移動です。

座っているお尻が、本気で、15cmくらいは、飛びます。

ジェットコースターの14時間ですよ!

いやー、きつかった。

もう、落ち着くべき年齢だっていうのに〜〜、体力も限界でした。



リシケシは、ヨガの聖地。

8年前に、初めて訪れたときよりも、かなり、観光地化していてがっかりです。

ヨガブームだからね。

今回で、4回目の巡礼。

ガンジス川が、とても心地よい。

わたしは、ここに、祈るために来ました。



わたしの夢は「世界平和」。

真剣に真剣に、そう思っている。

自分のカルマの清算だとか、エゴの浄化だとか、将来がうまくいくようにだとか、人間関係円滑にとか、うんぬん、

もう、そういう「個人的な枠」は、いいの。越えたいの。

「三次元のわたし」のチマチマした問題は、もう、どちらかというと、興味が薄いの。

わたしは、「世界平和」のために、地球のために、なにができるのか。

それには、どうするのか。真剣に求めている。



明日は、ガンジス川のほとりで、しっかり祈ろう。

リシケシ、呼んでくれて、ありがとう。

ただいま、ガンガー。






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2013年12月21日

FREE TIBET



ここ、ダラムサラは、ダライラマがチベットから亡命してきた場所。

そして、たくさんのチベット難民たちが亡命して来ている場所。



ミュージアムや、街角にある看板には、本当に、痛ましい、悲惨で、残虐、むごたらしい、

殺戮や、拷問、虐待、暴力の記事が掲げられています。

それをみて、わたしはなんて無知だったんだろう、と泣きました。

こんなに、恐ろしい殺戮が、世界で起こっているということに、泣きました。

悲惨にも、まるで、人間とは思えない拷問をされているということに、泣きました。

小さな子供たちへの、むごたらしい虐待に、泣きました。

政府に対しての反抗と、世界に対してのアピールのための、焼身自殺。

2013年12月3日現在で、123名が、街角で焼身自殺をしています。

その、動いている映像と、写真と、亡くなった方々のポートレイトを見て、泣きました。

そのかたがたの、残していった言葉を見て、泣きました。

5000Mを越える、雪山のヒマラヤを越えて、亡命してきたかたがたの映像を見て、泣きました。

凍傷で、両足を切断して、泣いている子供の写真を見て、泣きました。

何万人も逃げてきているけれど、インドにたどり着くのはたったの数百人だという事実を見て、たどり着かないかたがたは、国境で撃ち殺されているという事実を見て、泣きました。



インターネット上に、詳しいことを書くと、ここに住む難民の方々にご迷惑がかかる(とても悲惨で、むごたらしい迷惑)ので、書けませんし、今後、人物の写真も載せることができません。

帰国したら、口頭で、たくさんのかたに伝えていきたいです。

日本にいたら、わからない事実です。

日本では、詳しく報道されませんから。

でも、知るべきです。

事実を知るべきです。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Dharamsala


南インドにいましたが、ビューーーーーン、と北インドに飛んできました。

ダラムサラという、ダライラマの本拠地の場所。

とても寒くて、ブルブル、です。

貧乏旅行なので、自分のものは何も買わないぞ!と心に誓っていたけれど、(生徒さんたちにお譲りするものと、ヒーリング用の道具や、アシュラム用品以外)

この寒さに負けて、防寒具を一着、買ってしまいました。



南インドでは、Tシャツに薄いアリババパンツにサンダルでOKだったのに、

ダラムサラでは、Tシャツ、ヒートテックのハイネックシャツ、セーター、フリース、ダウンジャケット、ニット帽、タイツ、靴下、綿のズボン、レッグウォーマー、マフラー、という姿。

こんなに寒いと思わなかった〜〜〜〜。



ここはインドとはいえ、チベットを亡命してきた方々がたくさんいらっしゃいますので、

日本人と似たような顔の方ばかりで、かなり、ホッとします。

そして、

インドの、あの、ラジャシックな街中の雰囲気・・・・大声で叫びながらケンカ腰に喋る、無愛想極まりない、顔が濃くて目つきが怖い上に、ガン見してくる、車がプープーうるさすぎる、などなど、きりがないですが・・・・

その、緊張感なしでは過ごせないという、インドの雰囲気に比べて、このダラムサラは、とても、おっとりとのんびりとしていて、すごく、ホッとします。

たまには、必要です。こういう、「ホッ」、の感じ。 インドって、疲れるから。



そして、ここは、夏は、観光地なんでしょうね。

いまは、寒くて、あまり観光客がいないですけど。

おしゃれなカフェが、た〜〜〜〜くさん、あるのです。

ほんと、歩くと、カフェだらけ。

西洋人の観光客が多いのでしょうね。

入ってみると、まるで、

下北沢のカフェのような、手作り感がある、こぢんまりしているけれど、まったりできて、居心地が良い・・・・という感じの、おしゃれなお店が多いのです。

または、ゴミゴミした狭い空間を上手に利用した、中目黒のモスバーガー、みたいな感じだったり、

このインドで、意外にも、ちょっと素敵空間なのです。

チベットのお坊さんも、カフェで毎日、お茶してましたよ。



ダライラマさんはいま、南インドに行っていて留守でした。

次期ダライラマの、カルマッパさんも、ブッダガヤに行っていて留守でした。

わたしは、それを知っていて、ここに来ました。

お二人にお会いしたくて来たわけではないので。



ダラムサラは、最初は、旅の予定には入っていませんでした。

でも、旅の途中でチベットの方と知り合いになり、そのかたにダラムサラをお勧めされたあと、

立て続けに、おそらく・・・・・8人くらいの人に、ダラムサラを、お勧めされました。

今回、インド12回目で、こんなことは初めてのことだったので、

この、流れに従って、ダラムサラに飛んできました。

ちょうど、図ったように、会う予定だったインドの友人と会えなくなり、行くはずだった場所がキャンセルになたので、本当に、図ったように、ぴったりと、ちょうどグッドタイミングでした。

ふふ。 わたしの、魂が導いたのですね。












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月20日

何も持たない人生は、失う恐れの無い人生



旅はいつも、素敵な人々との出会いも、ワクワクします。

今回も、素晴らしい出会いの連続です。

インドに来るたびに、起こる出来事、気づき、導かれる方向、出会う人々の神聖さが、回を増すごとにグレードアップしています。



聖地で出会ったアメリカ人の男性は、23年間、ただ、瞑想のみをして、世界の導かれるところに旅をしているそう。

いま61歳で、若いころ、大きな会社の社長さんをしていたそうで(「プレジデント」と、彼は言っていましたが)、

超多忙で、心身ともに大変だったので、一年間、仕事をお休みする、ということで一時辞めるつもりだったのですが、それ以降、二度と戻らなかったそう。

そして、それ以来、なんの仕事もしていないのだそう。

そう聞くと、常識人、現代人は、「プー太郎」とか、「ヒッピー」とか、ジャッジしてしまうのかもしれませんね。

でも、そうではなく、彼は、遊んで暮らしているわけではなくて、それからずっと、神の啓示に従って生きてるそう。

ですから、「聖者」ですね。

20年くらい前に、瞑想中に、チャクラが開き、宇宙へのゲートが大きく開いて、上へと上がり、

彼の言葉をそのまま通訳すると

「仏陀が入ってきて、僕の両腕をつかんで、ガクガク体を揺さぶったんだ。起きろー、スティーブン、目覚めろー!ってね。」

ユーモアあふれる彼は、彼なりに楽しく脚色して、ウインクしながらチャーミングに微笑んでいました。



仕事しないで、どうやってこの地球上で生きていけるのですか?と聞いたら、

「若いころに一生懸命働いた貯金で、とてもとても質素に暮らしているだけだよ」

と言う彼。

「家族もいない。妻も子供もいない。家も住所も無い。仕事もしていない。持っているものは何も無い。だから失うものも何も無い。思う存分、霊性の道を歩めるんだ。そして、それ以外のもの・・・お金も含めて・・・はなんにもいらないんだ。」

恐れがまったく、なにもない彼。

それは、なんにも、執着がないから。

「僕はサドゥ(行者)だよ。でも、普通の行者は、人間や自然から施しを受けるけれど、僕はATMから施しを受けるから、ATMサドゥと呼んでくれ。わはは」

とても、明るくて、冗談ばかり言って、そして、とてもとても、やさしく愛に溢れたおじさまでした。

本当に、本当に、いい人。

すごい人に出会っちゃったな。

本当に「すごい人」って、すごそうに見えないのです。

でも、実はすごい。

彼は仕事をしていなくてお家が無いけれど「ホームレス」なんて下衆な言葉で片付けるのではなくて、

わかる人にはわかる「神聖な人生」を生きているのです。

ただ、自由を求めて、やりたい放題しているヒッピーなどではなくて、本当に、神聖と繋がっていると、なにもいらなくなるのですね。

無執着・離欲を、努力なく楽しんでやっている。

ひとは「恐れ」から、目が曇っていく。

もともと、なにも持っていない、なににも執着していなければ、失う「恐れ」がないわけですね。

すごいなぁ。

こういうおかたと、出会う段階に来たんだなぁ、わたし。



今回の旅では、ほんとーーーに、いい人ばかりに出会います。

ブログには書いていないけれど、本当にたくさんの人々と出会っています。

行く先々、各所で、素敵な人々と知り合い、この先の人生に繋がっていくとてもよい出会いの連続です。

わたしのつながりが、インドに、世界に、どんどん、広がっていきます。









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月19日

聖者の洞窟




聖者ラマナマハリシが瞑想し、サマディーに達した聖なる山、アルナチャラを登りました。

登るといっても、登頂を目指すのではなくて、彼が瞑想していた洞窟まで行くプラン。

インド人の友人が言うには、「15分くらいだよ」ということでしたが、30分以上かかりました(笑)

シャキシャキ歩いていたのだけれど。

さすが、インドの人は、時間の感覚が適当です。いつものことですが。



この山は、無条件に心地がよい!!

いるだけで、穏やかな気持ちになります。

素晴らしい神聖な波動です。

眺めが、とーーーーーーっても素晴らしくて、心地よい風を浴びながら、景色のよい岩の上で瞑想をしました。

最高の気分で、もっとずっと、ここにいたい、と思いました。



ラマナマハリシが瞑想した洞窟は、いまは、小さな物置小屋のような建物になっていました。

大きな岩が建物の上に見えることから、当時はその岩の下にもぐりこんで座って瞑想に耽っていたのだろうと想像できます。

建物は、マハリシ死後、信者のために作られたのでしょうね。



一歩中に足を踏み入れたところから、すごい柔らかなエネルギーに包まれます。

まるで、蜂蜜の中にいるかのような、濃密で柔らかくて、愛にあふれた宇宙のエネルギーです。

洞窟の中に座らせてもらって、目を閉じると、もう、そこは、ここ(3次元)ではないかのようでした。

いや、きっと、すでに高次元だったのでしょう。

本当に、素敵な波動、エネルギー。

もっと、もっと、座っていたい。

彼は17年間、この洞窟で瞑想していたそう。



この土地は、とても強いご縁を感じます。

わたしの過去世から繋がる、強い、強い、ご縁です。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

カレー



(いつも、帰国してから、旅のレポートを書いているのですが、今回は、書かないつもりなので、インドにいるうちに、そして、インターネットがつながるところに滞在しているうちに、せっせと、旅の模様を綴っておくのだ!)



インドでは、やはりカレーです。

朝も、昼も、夜も、インド人はカレーを食べます。または、カレー味(マサラ)のもの。野菜炒めとか、スープとか。

右手の3本指を使って、上手に食べます。

とにかく、現地のものは辛いです。

「うへー、カラーイ!ヒー!」と言うと、「え?これで辛いの?」といわれます。

日本人の舌と、インド人の舌は違うのね。

でも、辛いの食べた後は、不思議と甘いのが欲しくなって、ちょうど、あの、インドの甘すぎるチャイがちょうどいいんですよね。

日本でこのチャイを飲んだら、甘すぎて気持ち悪いのだけれどね。



そうそう、

チャイも、最近では日本ではやっていて、いろんなスパイスが入っていますよね。

でも、本物のインドのチャイは、なんのスパイスも入っていない、ただのミルクティーなのです。

しかも、激甘のミルクティー。 底のほうは、甘くて飲みにくいほど。

日本に入ってくると、スパイスティーになるのは、なぜだろう?



インドのカレーは、日本のカレーと違って、結構、サラリとしています。

あと、日本にある、インド人やネパール人が経営しているカレーやさんは、相当脂っこいけれど、

インドの本場のカレーは、あそこまで、濃くないです。

あ、でも、高級レストランに行くと、きっと、こってりしているのかも。

わたしは、安いところしかいかない(行けれない笑)のです。



でも、実はわたしは、できるだけ、ナッツや、ドライフルーツ、フレッシュフルーツを食べて生きています。

カレーは、一日、一食くらいかな。または、食べないときも多いかな。

ナッツや、ドライフルーツは、高いので、安いカレー定食を食べたほうが、お財布は安心なのだけれどね〜。

カレーはすきなのだけれど、こちらでカレーを食べると、神経がラジャシックになるので、控えています。

ラジャスな状態では、瞑想するのが難しくなるから。

それと、安いカレーやさんで食べると、痰がからんでしかたがない。

あまり、良い油を使っていないんだろうなー、と感じます。



今回のインドでは不思議なことに、ぜんぜん、お腹がすかなくて、

食べたいという食欲は無いのだけれど、無理やり食べてる、という感じです。

食べなくても、プラーナで満たされているのかな。







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2013年12月17日

満月の祈りのウォーキング



このアルナチャラの山は、毎月、満月の祈りの儀式があります。

満月の前日から、一日、巡礼者は祈りながら山の周りを歩きます。

今月12月は、12/16 13:20から、12/17 14:59までのあいだ、好きなようにスタートして、好きなときに終われる、祈りのウォーキングを毎月行っています。

何度もこの聖地には巡礼させていただいていたのですが、いつも、満月を逃していたので、今回、偶然にも、滞在が満月に当たって、本当に嬉しい!

しかも、本当は、違う日程で訪れる予定だったのですが、いろいろトラブルがあって、日程がずれて、ちょうど満月の日になりました。

アルナチャラの聖なる山は、それほど大きくないので、外周を一周ぐるっとまわっても、14kmほどです。

車が通る、普通の舗装されている道ですし、歩きやすいところを、普通は裸足で歩きます。

慣れないと、裸足に小石や、砂利が、結構痛いです。

それどころか、牛の糞や、人間のおしっこや、おじさんの吐いた痰などもあるので、気をつけないと、です。

そして、次から次へとやってくる、物乞いの人たちをすり抜けて、しつこい物売りのおじさんをすり抜けて、のんびり歩く牛を避けながら行きます。

次々とやってくる障害物を、上手に乗り越えていく、ロールプレイングゲームのようです。はは。



わたしは、歩きながら、ずっとマントラを唱えていました。

一周14kmの距離のあいだ、いくつもの(20個くらいかなぁ?)小さなリンガム(聖なる象徴)や、小さな祠みたいなテンプルがあり、そこに、ひとつひとつ、お参りしていきます。

アルナチャラは、5エレメンツ(土、水、火、風、空)の中では、火の聖地ですので、いたるところで火がたかれています。

その火に、小さな蝋のようなもの(名前忘れました。よくホーマで使います。私のアシュラムにお越しになっているかたは、火を炊くときに使いますので見たことありますね)

を、炎の中に投げ入れて、その火のエネルギーを頭、眉間、のど、などに広げます。

わたしは今回のこの祈りの儀式では、「世界の非暴力」を祈りました。

それにはまず、一番近い存在である、「三次元のわたし」の「暴力的な感情=エゴ」を焼き尽くすよう、

自分自身に向かっての「誓い」にも似た祈りを行いました。

どうぞ、わたしのなかの、暴力的な想い、感情、仕草、行動などが起こらないように、「わたし」のエゴが焼き尽くされますように。

そこから発生する平和的な波動が、世界に広がりますように。

そして、世界中のすべての人々の、暴力的な想い、感情、行動がなくなり、平和が広がりますように。



「火」は、とてもパワフルな存在です。

闇に明かりを灯すことができ、寒さに暖を作ることができ、生きるために食べるものを料理することができ、沸騰させ消毒することができ、なおかつ、人に分け与えても減ることが無い。そして、下へ向けても、上へ、上へと向かっていく。

インドでは、祭壇に、必ずずっと火を灯しています。(甲府の我がアシュラムでもそうですね)

家庭では、少なくとも、朝起きて、すぐに火を灯します。

それは、自己の「igunorence・無知・エゴ・マーヤ」をこの火で焼き、明るく照らしてくれるように、という意味。

エゴでガチガチに固まって、視界が濁ってしまっているわたしを、クリアに、広々としてくれますように。




満月の祈りのウォーキングは、午後から始め、日没後まで歩きました。

ものすごいたくさんの人々が歩いていました。(写真は帰国してからアップできます)

ある種、お祭りのようですね。

日本でも、お寺などでお祭りがありますよね。

でも、日本では、お祭りに行っても、あまり信仰心があるかたは少ないのかな。

屋台とか、出店とか、イベントを楽しむ感じかな?

インドでは、一直線に、神様への信仰心=ワンネス=世界平和、のために、楽しんでいます。

とても、素敵です。

インド中から集まる何万人、何千万人の人間たちが、ただひとつの目的「祈り」のために集まってくる。

なんて、神聖で、尊い思いなんだろう。

すごいなぁ。

インドは、この、深い深い、スピリチュアリティが素晴らしい。

だから、わたしは好きなのです。

インドに来てなにがしたいかというと、まず一番は、「祈り・瞑想」です。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

聖者ラマナマハリシのアシュラム




Tiruvannamalaiという場所の、Arunachalaというところに移動してきました。

ここは、知る人ぞ知る、沈黙の聖者ラマナマハリシの地です。

彼はここで出家し、人生のほとんどをここで過ごし、たくさんの信者が訪れた場所です。

アルナチャラというのは山の名前で、山自体にとても強いエネルギーがあり、彼は、この山にこもって瞑想をしていたそうです。

この地に、ラマナマハリシのアシュラムがあります。

山の洞窟から出てきた彼が、晩年を過ごし、サマディーを迎えた場所です。



アシュラムには、テンプルや、ホールや、瞑想ルームなどがあります。

有名な聖者のアシュラムですが、少し小さめのアシュラムです。

信者さんたちはとても穏やかで、とても熱心です。

この地の波動が、大大大ダーイスキです!

人間も、物乞いも、犬も、牛も、サルも、クジャクも、みーんな、愛に満ちていて、とても穏やかです。

インドに来るときは、チャンスがあればできるだけ訪れるところで、過去にも数回巡礼させていただいています。



ラマナアシュラムのサマディーホールは、亡くなったあとのラマナマハリシの遺体を地下に葬ったうえに建てられています。

その事実を知る前から、わたしは、ここが、「なんか、すごいぞ!ここは!」と感じていました。

なーーんて言えばいいんだろう。 うまく説明ができない。

いろいろな聖地に行き、聖者のアシュラムに巡礼させていただいていますが、

わたしが感じると、それぞれ、聖地によってエネルギーの質が違うのです。

ここは、一言で言うと・・・・うーん・・・ひとことで言えないけど(笑)「宇宙」。

本当に、宇宙のギャラクシーのきらめきを感じますし、深く、広く、高次元が大きく反応します。



このラマナアシュラムでの瞑想が、わたし的には、インドの中でベストワンです。

ここでは、とっても、素晴らしい瞑想ができるのです。

今日も、本当によかった。

ほんとーうに、素晴らしい瞑想だった!

また、ここに戻ってこれて、幸せです。

本当に、シアワセ!

ちなみに、我が天空の森アシュラムでする瞑想が、日本の中ではベストワンです!ふふ。



この素晴らしいエネルギーの地に、ヨガ&ヒーリングスタジオが開けたらいいなぁ。

と、夢見ています。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母の乳房と愛情



前回の記事の僧侶のお上人さんのご縁で、インドの孤児院を訪問させていただきました。

あいにく、子供たちは勉強に出ていて、半分しかいなかったのですが、

休み時間に戻ってきて、恥ずかしそうに、わたしたちと交流しました。



子供たちはみな、孤児で、両親がいません。

どういう事情で孤児になったのかは聞いていません。

おそらく、日本人のわたしには想像もつかない理由であったり、悲しい出来事であったりするのでしょう。

きっと、発展途上国でカーストの名残がまだ残るインドでは、日本の孤児たちとは、事情が違うのだと思います。



子供たちの笑顔は、本当に天使ですね。

子供たちに、こちらも、心が柔らかくなる。

天使の魔法です。

でも、やっぱり、無邪気さが足りないのは、どことなく、悲しみを押し殺している「影」があるからでしょうか。

本当に、せつないです。

いつか、わたしが、お金持ちになったなら、孤児院のような施設を作りたいな。

宝くじ、当たらないかな(笑) いまだかつて、買ったことないけど、宝くじ。(笑)



孤児院に男性が、バケツを持ってやってきました。

向かいの原っぱには牛がいて、その牛のお乳をとりに来たようです。

男性は、乳牛を木に縛り付けて、動けないように、後ろ足も縛りました。

「こうしないと、暴れるんだよこの牛は」

そう男性はおっしゃっていました。

わたしは悲しくなりました。

暴れるほど、嫌なんだね、牛さん。ごめんね、わたしたち人間が、勝手にあなたの大切な体の一部を、強引に奪っていって・・・・・。



突然、子牛が跳ねて、駆け寄ってきました。

母牛が縛られて、乳を搾られるのを見て、縄を力ずくでほどいて駆けてきたのです。

子牛は、おもむろに、母牛の乳首に吸い付き、夢中になってお乳を吸いました。

周りにいた人間たちは、子牛を引っ張って引き剥がそうとしますが、子牛は力強くて、なかなか動きません。

一心不乱に、目をまん丸にして、必死にお乳に吸い付きます。

男性たちが、子牛をひきはがして、母牛の近くの木に縄でつなぎました。

男性が、母牛の乳をしぼるのを、子牛は、首をねじって、その光景を凝視していました。

その子牛を、母牛が頬ずりし、ペロペロと、まるでなだめるように愛撫していました。

「息子よ。お前のためのお乳なのだけれど、人間は強引に盗んでいくものなのだよ。でも、仕方がないのよ。息子よ。忍耐しておくれ。あなたのためのお乳なのだけれど、人間が取っていく・・・・というのが、生きていくためのシステムなのだよ。忍耐しておくれ」

まるで、そんな感じ。

子牛は、とても悲しそうに、縄につながれた首をねじって、ギリギリ届く母牛の鼻先に顔を近づけ、頬ずりします。



わたしは、とても悲しくなりました。

せめて、せめて、

子牛にお乳を飲ませてあげて、そのあとに、人間が絞ったら、だめなのか?

子供は、お母さんの乳房が必要なのに。

人間だって、お母さんの乳房に吸い付くことで、愛情を学んでいくというのに。

母牛と子牛の光景は、とても悲しくて、胸が痛かったです。



孤児院のこどもたちは、どんな気持ちで、毎日、この光景を見ているのだろう?

孤児院の子供たちは、母の乳房もなく、悲しくて頬ずりする母の存在もなく、

どのようにして、「愛情」を学んで生きているのだろう。

とてもせつなく、無力な自分を感じました。

子牛の悲しそうな顔が、目に焼きついています。

わたしたち人間は、たとえ、動物とはいえ、親子の愛を引き裂く、権利があるのだろうか?









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

世界平和と非暴力



ご縁がありまして、マドゥライ中心から170km南にいった、サンカランコービルという、小さな村にある、日本の仏教のお寺に、数日間、お世話になりました。

そちらで、本当に、素晴らしい体験をたくさんさせていただきました。



そこのお寺のご住職は72歳の高齢のかたなのですが、インドに来て30年、インドの前にスリランカにずっといたので、海外滞在はもっと長いそうです。

スリランカの内紛を収めようと、爆弾や、銃弾の流れ弾が飛び交う町を、平和を祈りながら、歩き続けていたかたです。

テロリストと政府軍が、銃撃戦をしている場所に、恐れずに出向き、平和を祈り、マントラを唱え続けて、テロリストを退散させたり、

ときには、テロリストたちに、理不尽な理由で拉致されて、頭に銃を突きつけられたときもあり、そのときも、そのテロリストのかたの内なる神を信じ、一心に非暴力を祈り続けて、2時間くらいも祈ったあと、目を開けたらテロリストはいなくなっていたという経験があったり、

もう、それはそれは、すさまじい人生を歩んでいらっしゃる方です。

命をかけて、真剣に世界平和と非暴力を祈ってらっしゃる方です。

まるで、マハトマガンディーです。

見た目も、じつは、そっくりなのです。



30年前にインドに移ってからも、一文無しで、毎日毎日、祈り歩いていたそう。

マドゥライのマハトマガンディー記念館の敷地内で、7日間の断食をして祈り続けていたのがご縁で、国営のその場所に、小さな道場を作るご縁となったそうです。

インドを縦断する平和行進を、何ヶ月もかかって行ったり、

町中を毎日、祈り、唱え、太鼓をたたきながら歩いていたことで、様々な、偉い方から招かれ、ご縁ができたり、

マハトマガンディーの唯一の遺灰が残っている場所に、自ら、お墓を建立したり、

そんな、本当に、一直線の信仰の人生を送っている方です。
 


僧侶の流派は、真剣に「非暴力」を祈り、日々、厳しいご修行に励まれる流派です。

時には、精神修行と、信仰の強さを増すために、焼身修行(自分の腕を焼く)もされます。

水も飲まない断食は、毎月3日間行い、断食中は早朝から夕方まで、永遠にお経を読み続け、平和を祈り続けます。

年に一回、一週間の断食をして、祈り、唱え、太鼓を打ち続けます。

本当に、すごいです。

こうやって、命を懸けて祈ってくださる方々がいらっしゃるからこそ、宇宙の秩序が保たれているのだと、本当に感じます。



そんなことしてはいけないのですが、日本のお坊さんと比べてしまいます。

この目で「本物」を見てしまうと、日本との違いに、とてもがっかりしてしまいます。

すみません。そう言うと失礼ですね。



そのお寺は、お寺とはいえ、まったく収入がありません。

お墓などはないですし、インドでは法事などもありません。

完全なる無収入で、30年以上も生きてきたそうです。

日本の素人の感覚で考えると、お寺は「お葬式をする場所」「お墓を管理する場所」という感じがするのですが、

本来のお寺の役割は、「霊性修行をする場所」「世界平和を祈る場所」であると、再認識しました。



その僧侶とご縁がありまして、南インドのマドゥライの町を、小さな太鼓を叩きながら、マントラを唱え、祈り、歩き回りました。

本当に、歩いていくそのまわりに、お経の波動が広がって、土地が浄化していくようでした。

人々は、私たちに両手をあわせます。

信仰心は、言葉も、国籍も、すべてを越えます。

真剣に、本気で祈るものには、なにも怖いものがないのです。

死ぬことすら恐れない僧侶は、とことん腹が据わっていて、本当にかっこいいです。

本気で、世界の平和と、非暴力を、祈り続ける姿は、感動で涙が出てきます。



雑誌にも、新聞にも、何度も、取材されたそう。

今回も、祈り歩くわたしたちの姿をみて、テレビ局が突然取材に来ました。

わたしは、お坊さんではないけれど、ちゃっかり、テレビデビューしました(笑)



うまく、言葉にできないのですが。

こんなふうに、真剣に、まっすぐに、生きたいと、

強く心に思いました。

僧侶のかたとお会いし、その、心動かされる強烈な人生をお聞きして、

心が正され、晴れ晴れと、すっきりと、かげりがなくなったような気がします。

わたしも、まっすぐに、生きていこう。


本当に、素晴らしい出会いに、心から感謝いたします。

来年、また訪問させていただきたいです。

建設中の仏舎利塔の工事を、ボランティア(カルマヨーガ)で手伝ってくださるかた、いらっしゃいましたら、一緒に行きませんか?

今後、何百年も、千年も、二千年も、歴史に残る建立物を、その手で、積み重ねてみませんか?

わたしは、レンガをひとつひとつ積みながら、本当にありがたくて感動しました。

よいカルマを積み、人生の視野が広がりると思いますよ。











posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チャイルズポーズ



南インドのシヴァナンダヨガアシュラムにて。

アーサナのクラスに参加していたときのこと。

チャイルズポーズ(子供のポーズ、わかります?わたしがよくお休みで使うポーズです。正座のポジションから、お腹を腿に、おでこを床につけて、両手を足首の横に沿わせます)

をしていたとき、思い出しました。



ヨーガ指導歴、えーと、たぶんいま、12年くらいかな、わたし。(2013年現在)

ヨーガより前に様々な指導者という立場にいましたから、それを含めると指導歴という意味では16年!くらいです。

早いなぁ、あれから16年か。

昔むかーし、まだ、ヨガティーチャーではないたころ、初めてヨガクラスに参加したときのこと。

チャイルズポーズをしていて、インストラクターから「すべてリラックスして」と言われ、

あの姿勢で体を脱力したときの、心地よさ!! 

あのときは、「脱力する」ということに感動して、ホッとして、涙がホロッと出てきたっけ。



当時の私は、フィットネストレーナー、エアロビ・ダンス・キックボクシングインストラクターなどをして、バリバリ動いていました。

今の私からは、全然、想像つかないでしょ?(笑

行列ができる、人気インストラクターでした(笑)はは。

いつでも、人から見られる華やかな仕事で、肌を露出するので、常に、プロポーションをキープしていなければいけない状態で、

いわば、外側からみた自分にいつも囚われていたんですね。

見た目の美しさを要求される仕事でしたから。

内側に目を向ける、ヨーガとは正反対の仕事をしていました。

そして、常に、寝ているとき以外は、ダンスのコリオグラフィーを、頭の中で組み立てていました。

体も、こころも、脱力することなんて、なかったんでしょうね、当時は。

結構、筋肉質で、綺麗なプロポーションをしていたので、ヌードの写真を撮らせてくれませんか?と真剣にお願いされたこともあります。(2回も!)

でもね、いつも、どこか、怪我をしていました。

捻挫したり、腰のヘルニアになったり、肩がだめになって腕が上がらなくなったり、首が回らなくなったり、股関節が痛かったり・・・・・。

いつも、どこか、痛かくて、毎日、テーピングしながら仕事していたな、あのころ。

健康的な体の「見た目」とは反対に、実は、とても苦しかったな。



初めてヨーガクラスに参加して、ポーズするのも、見た目の綺麗さばかりを追いかけていて、ずっと力が入っていたんだろうなぁ。

チャイルズポーズで「脱力して」と教えていただいて、

「ああ、そうなんだ、脱力してもいいんだ」と思ったら、とても楽になったなぁ。

「両腕の力を抜いて、上半身の重みを受け止めて、首の力を抜いて、頭の重みを感じて、いらない力がどんどん抜けていきます」

と、言われて、そのとおりにしたら、ああ、なんて、ホッとするんだろう、と思ったなぁ。

胸の奥から、何かがじんわりと染み出てきて、気持ちが柔らかくなって、涙がポロリと出てきたの、そのとき。

よっぽど私は、緊張した生活をすごしていたんだな、きっと。

毎日のように、筋トレして、踊って、体が怪我して悲鳴を上げていても、動き続けていて、

頭の中は、コリオグラフィーでいっぱいで、いつでも、フル回転だった。

がんばっていたんだなぁ、わたし、あのころ。

頭も、体も、もう、めいっぱいだった。



そのころ、

体の使いすぎで、体が疲労しすぎていて、咳をしたら肋骨が自然に折れてしまって、

でも、コルセットしながら、踊り続けて、インストラクターし続けていたっけ。

痛かったなぁ、つらかったなぁ、あのとき。相当、痛かったなぁ。

息をするのも痛かったのに、がんばって踊ったり、トレーニング指導したり、ピラティスデモンストレーション、パワーヨガもしたりしてたもんな。

休めばよかったのに、休むことができなかったんだな、そのころのわたしは。

止まることが、怖かったんだろうな。

結局、肋骨の疲労骨折はなかなか直らなくて半年ぐらいかかって、やっと、痛みなく、動けるようななった記憶がある。

若かったからなぁ、わたし。



ヨーガを始めて、本当によかった。

当時の、バリバリに筋肉を鍛えていたときよりも、いまのわたしの体のラインは、結構緩やかに、ふくよかになったけれど、

怪我はまったくないし、体調も最高によいし、心がとっても素晴らしいし、

健康そのもの!を、すべてで表している。

なにより、小さな枠に囚われず、大きな宇宙的レベルで自分を感じられるようになって、

「ワンネス」が、なんて、素敵なんだろう。

愛が、溢れて、まわりのすべてを覆い包んでいくことで、

わたしも、こんなにも満たされる。



わたしにとって、「ヨーガ」の第一歩は「チャイルズポーズ」で感動したこと。

そう、みんな、アーサナからヨーガに入門する。

わたしもそうでした。

でも、もっと、もっと、深いんです、ヨーガって。

もっと、もっと、みんなに、ヨーガの深さを知ってもらいたいな。

アーサナだけではない、「真髄のヨーガ」について、みなさんにもっと伝えていきたいな。

レクチャー的に、お堅く表現すると、

「瞑想の実践で、マインドがクリアになり、ピュアな真なるものとつながり、隠されていた純粋な知性が現れることで、エゴが減っていき、そして、魂の源からの叡智と繋がることで、ハッピーになるのです。」

それは、ブログでチョロット、教えられるものでは、ないと思う。



インドで、そんなことを感じました。

やっぱり、ヨーガはインドですよ。

アメリカのヨーガの資格も、もちろんわたしは持っていますが、いやいや、やっぱり、西洋のものではなく、東洋の思想ですよ。インドですよ。

この、インドの土地に根付いているスピリチュアリティーが、ガップリ、ヨーガとリンクします。

私にとってのヨーガは、インドの波動が根っこにあります。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

In Sivananda Yoga Ashram



In Sivananda Yoga Ashram


I am back home!

我が家のような、シヴァナンダヨガアシュラムに滞在しています。

本当に、好きです、ここは。

今日は、半日だけ自由な日で、町までやってきました。

毎日、カルマヨーガをさせていただいています。

アシュラムの敷地の草むしり・・・・・というか、茂りまくった長い草を、鋤で、ガツガツ、掘り起こしています。

土の匂いと、草の匂い、ハーブの匂い、地球との交わり、です。

とても、楽しいです。



もちろん、アーサナも、瞑想もしています。

日本では、なかなか、他人のガイドでアーサナすることがないので、ここではとても集中できて嬉しいです。

肉体に、感謝しながら、日ごろ、自分の肉体に冷酷なので、いま取り戻しています。



いま、アシュラムではティーチャーズトレーニングが行われていて、わたしのカルマヨーガは、そのお手伝いもありますし、

わたしの個人的なカルマヨーガは、ここに滞在する生徒さんたちのケアかな、と感じています。

毎日、肉体も、精神も、かなりハードなティーチャーズトレーニングの期間、ポジティブシンキングになるための、お手伝いだと思っています。

インドでは、どこにいっても日本人とご縁があります。

日本人との出会いから、わたしの「カルマヨーガ」がしっかりと確立されていきます。

インドにご縁があって、引き寄せられた日本人のかたがたの、魂の向上のお手伝いができるよう、

いつも、陰ながら、お仕事させていただいています。



寒いところから、いきなり、暑いところに来たので、体調管理が難しいです。

ここにあと1週間いたら、また、寒い北へと移動します。

インド出発前に、生まれて初めて買ったダウンジャケット(ユニクロ!)を、脱いだり、着たりの繰り返し、の旅です。

ちょっと、大変です。 体に気をつけねばね。

今回のインドは、7週間の巡礼の旅なのですが、呼ばれる場所が結構多くて、何気に忙しかったりします。

私が行くことで、人々にとっても、土地の波動にとっても、なにかのお役に立てると嬉しいです。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

観音様の開眼儀式 in Nilgiris.



数日前のことです。



南インドのニルギリの山の中にて。

標高1800mの場所に、わたしのレイキの師匠がいらっしゃいます。

師匠の友人が、さらにもっと山の中に、新しいアシュラムを作りました。

その方は、神からいただいたメッセージの中で教えられた、ニルギリの山の中に、

ポッコリと、自然に現れていた、天然石のシヴァリンガム(聖なる象徴)を見つけ、そこにお堂をたて、祀りました。

神からの啓示に従って、突然、みつけられたり、寄贈されたりしたお像を祀って、敷地内にいくつものお寺を作っています。

新しく、森の中に観音様のお像を祀って小さなお堂を建立するため、

師匠からの要望で、わたしがいた、マハーアヴァターの聖地で、観音様のお像を探し、購入して運びました。



森の中にて、その観音様のお像の開眼の儀式(プージャ)を行いました。

建立の関係者数人だけが参列した、とても、濃密なスピリチュアルな時間でした。

観音様の開眼・・・・ということで、わたしと同行していた日本人の僧侶による、仏教のプージャでした。

おそらく、インド人のかたがたは、初めての体験でしょう。

お経が、森の中に響き渡り、太鼓が空気を強く振動させると、森の中が凛としてきました。

わたしたちは裸足で、森の土の上に立ち、お経と大地からの響きの共鳴が感じられました。



観音様のお像の目に、ガンジス河の聖水で印を書き、お経をこめると、

観音様の目が開いたと、僧侶がおっしゃっていました。

そして、儀式(プージャ)の前と、後では、観音様の顔が変化していました。



インドの、山の中で、とても貴重な経験をさせていただきました。

本当に素晴らしいご縁をいただきまして、師匠に心から感謝しています。

お会いするたびに、師匠のことを理解します。

というか、お会いするたびに、自分が師匠について、今まで、なにも理解していなかったことに気づいていきます。

師匠のおっしゃる言葉は、的確で図星で痛いところをストレートについてくるので、カチンと来て、そのときは受け入れられ無いこともあるのですが、

あとになって、「そうだよなぁ」としみじみ、わかってきます。



インドでの経験は、本当に、宝物です。





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2013年12月03日

日本人として


そうですよね。
これだけ、インドが好きで、頻繁に行っていたなら、勘違いされますよね。
でも、皆さん。
わたしはインド人になりたいわけではないのです。
インドに永住したいわけではなのです。
しばらく住んで、学びたい気持ちは強いです。
でも、「住んでしまいたい」という言葉は、永住、ではないのですよ。「しばらく」なのです。

下記、3時間以上かけて、心をこめて書きましたので、読んでくださいませ。


********


はい。インドは「バクティ」という意味では非常に居心地がいいです。
聖地では、誰も彼もが祈るため、だけ!に生きています。
わたしの友人のタクシードライバーが言っていました。
「俺は、神(祈る)、仕事する、家族、それ以外は何もいらない。」
最高のバクティだな、と思いました。
インドでは階級制度があり、タクシードライバーは学校にも行けない人たちで、階級的には低い人々なのです。
でも、わたしは、真剣に、なによりも神を最優先して、それさえあればなにもいらない、と言う彼を心から尊敬しました。


インドの聖地では、「生きる、生活する」の優先順位の一番が「バクティ・祈り」なのです。
道端でお祈りしていても、どんなところで瞑想していても、誰もわたしを気持ち悪がりません。
石とエネルギーをつなげても、過去世の話をしても、根掘り葉掘り、興味本位で茶化す人もいません。
わたしのエネルギーを解放できるので、スピリチュアルな国は、やはり居心地がいいです。
「気持ちがいい」、という表現はとはちょっと違うかな。
気づき、学び、の中では苦しいときもありますから。
そこを越えると、ワンネスの愛の広がりが素晴らしいのですけどね。
でも、その学びの苦しみさえも、とても、幸せと感じています。
それは、過去世からの学びでもあり、神から与えられる、数々の奇跡からの気づきだったりいろいろです。
聖地にいる、すべての人々が祈ることで起こる、この波動は、日本では難しいです。
ですので、インドの聖なる場所にいると、この波動で、胸が震えて、自然と涙が出てきます。


はい。もちろん。
わたしも日本人に生まれたからこそ、日本にいまも住んでいます。
日本で、日本人として生まれてきた意味があることを知っていますので、これだけインドにご縁があっても、日本に住んで、日本人のために、がんばっています。
わたしも、世界一平和な国、日本に生まれて本当に幸せです。
世界一いい人の人種、日本人で本当によかったと思います。
(世界各国の方を相手にヨーガを教えていましたから、いろんな国のかたとお話させていただきまして、「日本人が世界一だ!」と思いました。)


わたしは日本人を誇りに思いますし、日本のことが大好きだからこそ、震災のボランティアや、亡くなったたくさんの日本の方々の慰霊の行脚にも、毎年、何回も行きました(行脚は独りで参加しました)。
わたしが日本人であるからこそ、こうして、日本のために祈ることができます。
わたしが日本人であるからこそ、インドの聖者の智慧や、ヨガの恩恵を日本の皆様にお伝えできるのだと思っています。
インド人になりたいとは、思ったことがありません。
というか、日本人がいいですよ、もちろん。
インドは、まだカーストもひどいですし、生活がとても大変です。
「インドに住んじゃおうか」なんて、冗談めかしていったりもするけれど、その意味は、日本人として、インドに少しの間住んで、もっと学びを深めたい、という意味であり、永遠に住みたいと思ったことは、一度もないのですよ。
わかってくださいいますでしょうか。


日本は、少しずつ、少しずつ、なのです。
少しずつ、変化していっています。
その少しずつの変化に、私たちヒーラーや、ライトワーカーは合わせて、光を広げていくのです。
わたしも、お弟子さんたちにも、その役目があるのですね。


あるかたが、「インドで自分を見つめてください」と言ってくださいました。
とても誠実なかたで、愛にあふれたかたです。
その言葉をお聞きして、果たして、わたしはそうなのか?と自分を内観しました。
わたしは、インドで「自分を見つめて」いるというよりも、「世界を感じて」います。
「自分」という個人的な枠ではなくて、です。
世界の中の、宇宙の中の、わたし、という存在の役割を、感じています。
「個人的な枠を越えて「あなた」が浄化されることで、あなたはもっと与える人となり、世界は浄化される」
と、はっきりと、毎日、繰り返し、メッセージをいただいています。
そして、その宇宙の中のわたし、という感じ方の中で、わたしが日本にいること、日本人として、生まれたことも、わきまえています。
本当ですよ。
わたしは恐れのない「鳥」ですから、ピンと来たら、どこでも飛んでいきますが、
いまだに、日本に住んでいるということは、そういうことなのです。
生徒さんたちや、ブログなどの一般公開するものには、説明が難しいので、
「インドが大好きだから、住んでしまいたい」と、ただ言っているわけですが、
インドは、やはりアセンテッドマスターたちに選ばれた国だけあり、滞在し、スピリチュアルな生活をすることによってしか、深められないものがあると感じます。
それは、事実です。
それが、わたしにとってとても学びとなるので、もっと長くいたい!と思わせるのでしょうね。
ただ、好きだから、という理由ではないですし、その、学びは、日本のみなさんのためにもなるということを、皆さんがわかってくださることを期待します。


わたしは、日本人に生まれた意味があり、だからこそ、こうして、日本で日本人のみなさまのために愛を広げています。
日本のことを責めている、のではないのですよ。
そういった、個人的なわたしの好き嫌いではないのですね。
日本も地球と一緒に、アセンションしていきたいです。
そのために、わたしも、私のお弟子さんたちも、時間をかけて、命を削ってがんばっています。
だからといって、インドが高次元なのか、といったら、そうではないのです。
インドがよくて、日本が悪い・・・・・という、問題ではないのですね。
インドにも足りないところがあり、日本にも足りないところがある、それはそれぞれ違うのだということ。


もう少しずつ、もう少しずつ、「宇宙・ブラフマン・大いなる力・愛・光 など」への意識が高まることが必要なのだと感じます。
わたしは、日本人として生まれた意味があることと同様に、こうしてヨーガに出会い、インドに導かれている意味があるからこそ、こうして何度も訪れます。
それは、日本を非難するためではなく、日本とインドの架け橋なのだと思っています。
そして、それは「犠牲的」なのではなく、それが私の喜びだから、行っています。


結論として。
わたしは、もちろん
日本を愛していますし、
日本人に生まれて、本当に、本当によかったと思っています。
外国に暮らしたことのある、多くの日本人がおっしゃるように、
わたしも、思います。
「世界を見て、初めて、日本の素晴らしさがわかる」
そう、わたしは、日本は世界一の国だと思うし、日本人を誇りに思います。
だからこそ、こうして、日本にとって必要だと思うことを、私なりにがんばっています。
わたしにできることは、祈ることや、エネルギーを広げること、愛の波動を高めること、ヒーラーを作ること、ヨーガを通して平安を広げること、内なる光への架け橋となること、苦しんでいるかたを愛で想って差し上げること、エゴをできるだけなくしワンネスを広げること、
など、派手なことはありませんし、わたしはまったく有名な人物なんかではないですが、
わたしにできることを、誠実に行っています。
それが、わたしのカルマヨーガであり、バクティーヨーガであり、
なにより、わたしの喜びなのです。

心をこめて。
合掌



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月02日

聖地で見た夢2


<聖地で見た夢2>



寝転んでいるわたしの体が異常に重かった。

腕を動かすことも難しかった。

お手洗いに行こうと起き上がりたいのだけれど、体が動かない。

寝返りも難しい。

とても苦労をして、とても時間をかけて、やっとの思い出、四つんばいになり、

トイレを探して部屋を這い出た。



トイレかな、と思って、ガラガラと引き戸をあけて、中に入ったら、

個室にはなっているけれど、なんだか、違う雰囲気。

3段ほど階段があって、下に下りている。

体が思うように動かないので、恐る恐る、したに降りていくと、

白衣を着た女性に「あなた!ここは私服での立ち入りは禁止ですよ!」と叱られた。

あ!そうなんだ!トイレじゃないのか!

間違いに気づいたわたしは、戻ろうとするのだけれど、体が思うように動かないので、カタツムリのよう。

「早く、出て行ってください!」

とても怖い顔の白衣の女性にまた叱られてしまった。

「体がうまくうごかないんだよ〜〜」と言いたいのだけれど、口も動かないから、伝えられない。もどかしい。

なんとか、入り口の3段の階段を這ってあがったところで、力尽きて倒れてしまった。



わたしが倒れている隣に、女性と男性の老人二人が運ばれて、わたしの脇に寝かせられた。

そうか、この部屋は、このかたたちに何かするお部屋だったのか、そりゃ、失礼。

そう思ったわたしは、なんとか、外に出ようとするのだけれど、なかなか、体が動かなくて、

入り口の引き戸を、ゆっくりと、時間をかけてあけた。

横たわっていた私は、引き戸の先に手を伸ばして、体をよじりながら這い出ようとした。

すると、隣に横たわっていた老人ふたりも、手を伸ばしてきて、なにか呻きながらついてこようとする。

ああ、この老人たちも、外に出たいんだな。

そして、わたしのこの体の重さは、不自由さは、体が不自由な方の体の感覚を、教えてくれているものなのかな。

近かった女性のほうの老人を抱きしめて

「おばあちゃん。外には出ないのよ。いま、看護婦さん来てくださるから、ここで待っていてね。ね。」

と、やさしく、耳元で語りかけた。

「はい。」

とても素直に、おばあちゃんは、元の場所に戻り、横たわって静かになった。

わたしは、とてもせつなくなった。

生きていくために、おばあちゃんは、強い願望をも譲って、従順になる。

もっと、抱きしめて、体中さすって、愛してあげたかった。

おばあちゃんが、「生きていること」を、認めてあげたかった。



白衣の女性が来て「早く、出てってください」と、横たわって身をよじっている私に言った。

なんとか廊下に出て引き戸を閉めたら、その女性が、窓から、すごい怖い顔でわたしをにらみ続けていた。

彼女も愛が、欲しいのだな、と思った。

あの女性も、仕事に追われて、愛が枯渇してしまったのかもしれない。

愛してあげたい、あの女性を、ねぎらって、やさしく抱きしめてあげたい。

本気でそう思った。

愛が必要なんだ。



みな、持っている光は同じ。

その根本の光は、本当に、美しい。

その光の周りを覆ってしまっているものを、

愛は、取り去るのかもしれない。



夢の中でしたが、体が思うように動かなくなって、はじめて、動けない方の苦労がわかった。

苦しんでいる方々の、お役に立てることをしたい!と思った。









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感謝という修行



レイキの師匠のお宅にご挨拶にやってきました。

ニルギリの標高1800mの山の中です。



だいぶ昔、

インドに半年近く滞在していたころ、そろそろ、インドビザが切れてしまうから、どうしようか、

ネパールかスリランカにいってひとまず、インドビザの更新をして、

もう、このまま、インドに根を張ってしまおうかと、真剣に考えていました。

そのとき、師匠に

「お前は日本に帰りなさい。日本で必要な人々がたくさん待っているから。ヒーラーとして、人々に与えなさい。」

と言われて、(しぶしぶ笑)日本に帰りました。

いまとなっては、それが、正しかったのだと思います。



「レイキヒーラーをもっと作るために、伝授講座を開きなさい。ユキはよい力を持っているから、日本のために、ヒーラーをどんどん増やして、波動をよくしていく助けをしなさい。」

とも言っていただきました。

ですので、お金儲けでお仕事しているのでは、ないのです。わたし。

本気で、日本を、世界を、よくしていきたいのです。



師匠に、最初、わたしはあまり好かれていなくて(笑)、尋ねていったわたしは、一回、追い返されたのだけれど、

バクティーヨーガの修行をして、また、懲りずに戻ったときには、受け入れてくれました。

師が、わたしの、何度目かの誕生日を与えてくれ、目を開かせてくださったのです。

インドでは「暗闇に灯す懐中電灯」・・・・・こそが、「グル」という意味です。

ずーっと、暗いどん底にいた私に、光を灯してくださったのでしょう。

わたしも、ほかのかたに「光」を与えられますように。

たくさんのかたの、「目」を開く、助けとなりますように。



わたしは、口が下手なので、面白いことを言って師匠を楽しませたり、お世辞を言ったり、

また、自分の業績を自慢したり、わたしのお仕事についてなど話したり、

無理に明るく振舞ったり、大げさに会話を盛り上げたり、

そういうことがまったくできなくて、ただ、黙って、座っているだけなので、

いまでも、それほど、気に入られているわけではないのだと思いますが、

うまく、口と態度で表現しきれないぶん、

気づかないところで、感謝のエネルギーを送り続けています。

ハートから湧き出る愛のエネルギーを、広げ続けています。



クンダリーニヨーガの基本として

「師への献身」という、修行があります。

師匠への献身的な思い・感謝は、自分自身の浄化と、魂の向上に繋がります。

わたしがこうして、スピリチュアルヒーラーとして活動できるのも、

師からきっかけをいただいたからです。

大人になると、子供のころに受けた親の恩寵を忘れてしまうように、

社会的に認められ、大きくなって力がついてくると、師への感謝も忘れてしまいがちです。

滞在は、たった2日間ですが、わたしをこうして導いてくださった、感謝を心から送りたいと思います。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月30日

肉体の有効期限



聖地のアシュラムにて、バクティヨーガの巡礼の毎日。

食堂にて、先日。

フランス人の女性が突然、倒れました。

おそらく、脳梗塞、脳出血、などの脳のトラブルでしょう。

一緒にいたフランス人の仲間たちが、驚いていたところに、ちょうどわたしが通りかかりました。

わたしは、1mくらい離れたところから、見ている振りをして遠隔ヒーリングしていたのですが、

倒れた彼女が目を開けて、少し顔を動かすようになったので、思い切って、近づいて、ぴったりと寄り添ってヒーリングをさせてもらいました。

彼女の、額やのどや胸に手を当ててのヒーリングをしていたのですが、もう、かなり冷たくなっていました。

インドでは・・・・・聖地では・・・・・ヒーリング(目に見えない力)というものに理解が深く、

こんなふうに、インドドレスを着ている得体の知れない日本人が、患者の一番近くにいて触っていても、

誰も止めないし、咎めないし、むしろ、「お願いします」的な雰囲気で助かりました。

冷たかった彼女が少し暖かくなってきました。

一緒にいた彼女の友達が半狂乱になって泣き叫んでいます。

倒れている彼女は、目は開いているけれど、見えているのかどうかはわかりません。

その目から、涙がみるみる、あふれてきました。

わたしは、彼女のおでこに手を当てたまま、目からのヒーリングで、彼女全体を包みました。



救急車が来て、彼女は担架で運ばれて行きました

一命を、とりとめてくださることを祈ります。



今生での肉体は、「有効期限」があるもので、それは、もしかしたら突然、切れてしまうことだってあるのだ。

毎日を、大切に、丁寧に、自分の魂の道に従って、いくべきだなと思いました。

無駄に過ごしては、いけないのだ、と思いました。

今回の経験は、ヒーラーであるわたしにとっての、大きな経験となりました。

ありがたいです。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月29日

聖地でみた夢1



<聖地で見た夢1>


わたしは、お医者さんではないけれど、病院で治療をする人として存在していた。

とても重たい病気の方のご自宅に、訪問治療するために、道具などの準備をしていた。

大きなたらいに、ぬるま湯を張って(たぶん聖水だったのだと思う)、重たいそれをもって、運んでいた。

病院内のロビーはとても人が多くて、人をよけて、重たいたらいを運ぶのは大変だったが、

苦しんでいる患者さんのために、がんばって運んでいた。

突然、心無い人が、私を後ろから突き飛ばした。

わたしは大きく転んで、たらいは派手にひっくり返り、聖水は全部床に流れてしまった。

頭にきた。

苦しんでいる方のために、丁寧に運んでいたお水だったのに!

わたしは立ち上がって、わたしを突き飛ばした男性を睨んだ。

「私はあなたを許さない!」

指を指し、にらみ続けながら、「私は許さない!」と続けていた。



すると、

ちょっとキツそうな中年の女性が、わたしを笑った。

「ははー、なーに、転んでるのみっともない。水浸しになって、かっこわるいわー」

彼女は、わたしをあざけり続けた。

わたしは、彼女を睨んだ。

彼女は、わたしに対して、汚い言葉で、心無く、容赦なく、傷つけ続けた。

苦しんでいる方々のために、丁寧に運んだお水なのに!!!

わたしは彼女の両腕をガッシリとつかみ、体をゆさゆさ揺さぶって

「わたしはあなたを許さない!!」

と、彼女の顔を覗き込みながら叫んだ。

驚く彼女の顔。

わたしは怒っていたのに、なんだか、彼女のことがかわいそうになってしまった。

「わたしはあなたをーーーー・・・・・・・許します!」

そういって、抱きしめようとしたら、彼女に抵抗された。

「あなたは、本当はやさしい人なのよ。本当は、心が優しい人なのよ。」

そういって、頭を撫でてあげたら、今度は抱きしめさせてくれた。

彼女の体から、ほっと、力が抜けるのがわかった。



憎しみからは、苦しみ以外、何も生まれないのだな、と思った。

「愛」こそが、すべてなのだな、と夢の中で、思った。



目が覚めて、

まったく、そのとおりだな、と思った。

毎日、素晴らしい夢を見ます。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月28日

アガスティアアストロジー



わたし、自分の過去世も、ある程度までわかってるし、

未来もある程度わかっているし、

やるべき使命も、

すでに清算したカルマも、新しく作っているカルマも、わかっていますから、

インドの占いにはまったく、全然、興味がなかったのですが、

なぜだか、アガスティアのアストロジーを受けることになってました。

というか、正確には、受ける人の通訳をするために同行したのですが、

流れでわたしも、生年月日とか聞かれて、

なぜか、受けていることになっていました。はは。

大変、盛り上がりました!

大笑いで、とても楽しかった〜〜〜!

結論は
「very high spirituality and very good life. Healing, Helping, service, teaching and guiding Others」 

いまやっていること、そのまま続けなさい、ということです。 I know. haha




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月26日

時間と空間を越えて




信じられるかな。

昨日、

肉体を持つ前の存在に、戻った。



時間と空間を越えて。

わたしは、日本にちょこっと、帰ったようだ。

どうやって、飛行機に乗らずに日本にちょこっと帰れるのかな、

と思ったすぐあとに、ぐにゃり、とした感覚。

もう、日本にいた。



わたしは、ピカピカ光って、ぴょんぴょんはずんで、自由に飛び回っていた。

高速で、ピューーーーーン、とあちこちに飛んでいた。

空の高ーいところ、空の彼方まで飛び上がったけれど、怖くなんかなかった。

とても気持ちがよかった。

愛に満たされていて、とても幸福だった。

とても、自由で、壁も床もするりと、すべてを通り抜けるから、絶対、事故なんてなかった。

わたしは、存在していなかった。

ただの光になって、飛んでいた。



建物の中に降り立った。

ホールの真ん中だった。

また、ジャンプして飛んでいこうとしたけれど、ほんの50cm飛ぶだけだった。

もがいたけれど、やっぱり飛べなかった。

見ると、足があって、腕があって、重たいからだがあった。

ああ、そうか。

肉体を持ってしまったんだ、と思った。

肉体を持つと、自由じゃなくなるし、飛べないんだ、と思った。

飛べない私がなんとかして飛ぼうともがいている姿を、周りのみんなが見ていた。

わたしは、光だったころの自由な記憶があるので、どうにもこうにも、

「ちっちゃい枠」の自分がもどかしい。



心の通った、愛する生徒さんたちの姿を見かけた。

光ではなくなってしまい、残念だった気持ちがほっとした。

ああ、そうか。

肉体を持つと、自由じゃなくなって、飛べなくなって、寂しいけれど、

こうやって、人間を密に愛することができるんだ、と気づいた。

肉体があるからこそ、愛の表現がわかりやすくできるのかもな、と思った。



ある男性に

「わたしは本当はインドにいて、ここにいるわたしは、ここにいるように見えるけれども、実際の私ではないのです。」

と、説明した。

「信じられないかもしれないけれど、本当なのだ」と。

彼はとても驚いていたけれど信じてくれた。

「もはや、あなたは、世界のために働くべきだ。そして、貧しい国のために働くべきだよ」

と、言われた。

わたしも、そのとおりだと思った。



いろいろな出来事を経て。(割愛)



そろそろ、インドに帰ろうと思った。

生徒さんたちに会う前に、帰ろうと思った。

きっと、インドにいるはずの私を見たら、混乱を招くから。

どうやって、帰るんだろう?

頭で考えたやりかたでは、失敗した。

心のままに、心の力を抜いて、行ったやりかたが成功した。

ふわり、と体が浮いたような感覚と、意識がぶわっ、と大きくなったような感覚の後

わたしは、インドの鳥の鳴き声の中にいた。



夫に話したら、

「テレポーテーションだね」

と、言った。

なるほど。

そのとおりだと思った。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

Puttapurthi, India


皆さん、わたしは無事です!



インドにて、6日目です。

成田空港出発のときに、ちょっとトラブルがあり、出発が一日、ずれましたが、

無事に、最初のインドの聖地で、毎日、祈りの日々を送っています。

もう、本当に、天の計らいとしか思えないことの連続です。

素晴らしすぎる、インドでのスピリチュアルな日々。

インド、幸福すぎます。

わたしが、すべて赦されて、愛の光になる場所。

浄化が急激に進んでいて、ちょっと苦しいですが・・・(笑)



毎日、尊いメッセージをいただいています。

ノートに書き留めています。



犬たちと、赤ちゃんたちが、私をじーーーっと、みつめます。

彼らには私の光が、見えるのでしょう。

わたしも、感じます。



菩提樹の周りを、歩きながらマントラを唱え、祈り、瞑想します。

なにをしているときよりも、一番、至福のときです。

わたしは、なんにもいらない、

幸福は、ほんとに、何もいらないんだなー、と強く感じます。



一年前に、この菩提樹の周りを、祈りながら歩いているときに、

わたしの足元に落ちてきた葉を9枚(インドでは神聖な数)拾い集めました。

それを、本のページの間に挟んで、こっそり日本に持ち帰ってきました。

先日の、インド出発前の天空の森アシュラムでのサットサンガに、来てくださったかたがたにメッセージを書いてさしあげました。

心をこめて、愛をこめて。

この聖地での、神聖なパワーと、大きな愛が伝わりますように。



明後日、移動して、次なる聖地へ向かいます。

愛する日本へ。

インドから、祈りを送ります。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする