
明けましておめでとうございます。
今年は龍年ですね。
パワフルで、スピリチュアルな龍のように、今年もしっかりと自己精進して、たくさんのかたがたにご奉仕させていただきます。
たくさんのかたに支えられている、感謝を忘れずがんばります。
年末からお正月にかけて、年越しで5日間の集中内観修行をさせていただきました。
内観とは・・・
臨床心理学の世界では有名すぎる権威である村瀬孝雄先生のお言葉をお借りします。
「身調べ」と呼ばれていた自己省察法をもとにして創始した自己改善法であります。自分の過去の想い出を、特定の身近かの人々との関係の中から、組織的に順序立てて、徹底的に調べてゆくだけで、それまでの自分や他人についての見方、感じ方が、大転換してしまうのは驚くほどです。しかもこの変化は、決して、第三者の暗示とか指示によって起こるのではなく、あくまでも内観者自身の意志によって実行された行動によるのです。この方法を深く検討して行くと、これがどんなに理にかなったやり方であり、変化が起こるべくして起こるかが納得されるはずです。
村瀬孝雄:元学習院大学教授
初代日本内観学会会長
元日本心理臨床学会理事長
内観とは、その文字のごとく「内側を観る」ということです。
自分を調べる・・・ということですね。
自分という人間は、自分が一番身近にいて、生まれた時からずっと、行動も心の中でさえ、親にも見せていないものすべてを見てきているわけですから、自分を調べるには自分が一番適任なのです。
他人が思う「自分」と、自分が思う「自分」のギャップを、この内観で埋めて行きます。
特定のどなたか1名を決めて、そのかたに対する自分自身の行動、態度、心持を調査していきます。
一日約15時間、研修所によってはもっと長く、毎日毎日、調べて行きます。
畳半畳のスペースしか許されておらず、しかもそこを屏風で囲い、完全に外界と遮断された空間で、人によっては足を延ばすこともできず、自分を調査し続けます。
お風呂とお手洗いの時間以外は、その畳半畳の薄暗い独房の中に滞在し、食事もそこでいただきます。
それを、通常一週間続けます。
調べること・・・・(1)していただいたこと、お世話になったこと
(2)してお返ししたこと
(3)ご迷惑をおかけしたこと
0才〜現在の年齢まで、2〜3年ごとに区切って、各年代2〜3時間、自分の過去の行いを、徹底的にしらみつぶしに調べて行きます。
特に、ご迷惑をおかけしたことに比重を大きくして思いだしていきます。
それは、まるで検事が被告人を調査するように、冷静に偽りなくとことん調べ上げて行きます。
まずは、基本的に母親との関係から調べて行きます。
母を0歳〜現在の歳まで各2〜3年ごとにみっちり2〜3時間かけて調べた後、父、兄弟、配偶者、義理の両親、親友、お世話になった方、と調べ進んでいきます。
母は、自分のルーツ、根源であり、心理学的にも、母親との接触の中で、人間の人格形成が成されていくと考えられていますから、心の育成に一番影響が大きい、母親にたいする自分自身を調べて行くのです。
人に迷惑をかける・・・・ということは、相手がしてほしくないことをするということですね。
その「してほしくないこと・・・迷惑」を、受け止めてくれ、受容してくれた経験をきちんと思いだし、そのかた(母など)の愛情を再確認します。
子供のときは、それがこちらにとっては不都合で、こちらにとって都合のよいことだけが愛情・・・だと考えやすく、自分に不都合なことはお説教・・・・と考えやすいのですが、大人になってみてよくよく冷静に考えてみれば、すべては深い愛情からのことだった、ということに気が付きます。
いかにひどいことをその人にしてきたかを見つけ、それを受け入れてくれ、自分を陰ながら支えてくれているひとがいるという実感が生まれ、今まで見えなかった周りの愛に初めて気が付きます。
(内観については、まだまだ語り足りませんが、あまり長くなると内観の宣伝(笑)みたいになってしまいますので、興味があるかたは直接個人的にご質問ください。)
それは、自分が自分として「ありのまま」で認められた・・・という経験なのです。
まるで、霧が晴れたかのように、自分のみていた「幻の価値観」のベールがはがれて行きます。
それに伴い、自分で自分を苦しめていた「心の牢獄」から、出ることのできる「出口」を見つけられます。
あとは、日常の努力で、見つけたその「出口」のドアを開け、強い意志とともに牢獄から出て行くだけです。
内観は「愛情の落ち穂拾い」と所長さんがおっしゃっていました。
「愛情だと気がつかないから、落ちちゃう。だから、それに気がついて、拾ってあげる。」
気がつかずに自分でポロポロと落としていて、「私はなんにもしてもらえなかった」と思ってたのは、相手のせいではなくて自分のせいです。
それに気付いて、落としていた愛情をひとつひとつ拾い集めれば、それは莫大な量で、抱えきれないほどの愛を、自分の無智さから自ら落として自分を苦しめていたのだということに気が付きます。
内観終了後は、確実に人間関係がよくなります、と自信を持って言えます。
それは、「自分が変わる」から「周りが変わって見える」ので、「ものごとの受け止め方が変わる」からなのです。
とくに、ご両親との関係に悩みがある方や、不安定な心を悩んでらっしゃるかたを見ると、集中内観をお勧めしたいなぁ、といつも心の中で思っています。
内観は、ヨーガの瞑想法の一つと同じ手法です。
ヨーガの瞑想法の中にも、チッタ(心素)の認知を変えていく・・・という方法があります。
内観と、ほとんど、同じだといってもよいかもしれません。
集中内観修行を受けさせていただくのは、今回で2回目です。
ひとりっきりの半畳の狭い空間で集中的に、通常は一週間連続して行っていきます。
前回、行ったのは5年くらい前のことです。 そのときは、みっちり1週間させていただきました。
今回は、仕事の都合で5日間しか時間が取れず、所長さんに相談させていただきましたら、経験者だということから特別に5日間で行わせていただきました。 温かいご厚意に感謝いたします。
5年くらい前の前回は、すべての日、半日断食をしながら行いましたが、今回は、1日完全なる断食を行い、残りの日は半日断食にしました。
これはルールとは違い、わたしの意思で、そうさせていただきました。
年越しでしたので、大みそかの夕飯が「年越し蕎麦」だったのがありがたかったです。
元旦の日の朝は断食だったので、他の方が食べ終わった食器をみる限り、お雑煮だったようです。
研修所のかたがたの細かなご配慮が、本当にありがたかったです。
営利目的ではない、心からの人助けの気持ちがないと、やっていけれないお仕事だと思います。
集中内観は、3〜4日目からが本番です。
ですから、最低でも4日以上は連続して、一日15時間、独房の中に座って自分を調べなければ、意味がないのです。
内観の本を読んだり、一日だけ・・・または数時間だけの「お試し内観」や講義などで学んだだけの経験で、本当の内観の良さを知ることはできません。
人生はなんにしても、知識だけ学んで、あたかもそれをすべて知ったかのように語ってしまうのは、愚かなことだとヨーガの哲学では考えます
経験して、初めて、「知る」のです。
2回目の集中内観修行で経験し知ったことは、わたしには、拾い損ねている「愛情の落ち穂」まだまだ、まだまだ、たーくさんあるということでした。
今までの自分は、なんてたくさんの大切な人たちを傷つけてきたんだろう、と驚きました。
自分の甘えから、大切な人たちに、こんなにも迷惑をかけ、そのかたたちの人生に影響を与え、時には人の人生を破壊してきたのか・・・!と、本当に申し訳なくなりました。
だからといって、死んでお詫びする!・・・という、自己卑下などではなく、むしろ、今まで見えなかった「感謝するべきこと」が、ポコポコ、ポコポこ、あとからあとから現れてきて、できるだけ長生きをして、これまでの自分の罪滅ぼしをしていきたい!・・・と強く感じました。
いただいていた親切や、愛情や、受容に、これまで、気付かなくて本当に本当に申し訳ありません、と深く深く頭を下げ、涙があとからあとから、こぼれてきました。
これからは、もう二度と「心のサングラス」をかけず、心の目をいつも大きく開き、たくさんの「善意のタネ」や「愛情の穂」を、落とさないように、見過ごさないように、わたしという人間を支えてくださる大切な人たちに、いつも感謝をしながら生きて行きます。
本当に、わたしは「生かされている」ということを、痛感しました。
素晴らしい年越しのご修行をさせていただきました。
いつかわたしも、ヨーガ道場と併設して、内観研修所を設立して、たくさんのかたのお役にたちたいな、と夢見ています。
まだまだ、雲をつかむような、遠い夢です。
今年一年の、あなた様の光り輝くご多幸を、心より、心よりお祈りしております。
合掌