2022年08月31日

教会のセレモニーが好きだ


教会のセレモニーが好きだ.jpg



かわいい教会

バックの美しい山も含めてとても好き

この教会はイタリア北部の山の中、リンゴ畑が広がり人々がとても柔らかな大好きな土地

ドイツや周辺国の墓地は、とってもお洒落で人々の憩いの場みたいにもなっている

お墓の一つ一つがそれぞれ個性的で、かわいくて、アートで、お花も花壇みたいにふんだんに植えられて、家族の愛がたくさん感じられて、墓地でお墓を鑑賞するのが好きだ

日本では墓地って、ちょっと怖くて近寄りがたい場所の象徴?みたいな感じだけど、こちらの人たちは、亡くなった家族をお洒落に可愛く美しく飾ってお世話してずっと愛する象徴なんだろうな

教会の中に入ったときの、スッと一本通る感じが好きだ

日本の神社仏閣も好きだけど、またキリスト教の教会は違う、スッ、なんだよな

観光向けの大きな大聖堂よりも、地元で愛される教会が好きだな

祈りの波動が教会の全体に膨らんでるから

カトリックのセレモニーに出席するのも好きだ
みんな「サービス」と呼んでいる儀式

出席するのは大抵、英語の国ではないので、何言っているのかわからないけれど、
出席者の真剣な神への敬意と平和への願いの中にいるのが心地よい

神父さんが祝福の言葉と共に、私の口にパンを入れてくれるのも、

そして、

最後のほうで、隣や前後にいる見知らぬ人たちの手が届く範囲の全員と握手をしあって、見知らぬ人にも幸福を祈りあう、それが一番好きだ

他人の幸福を祈り、自分の幸福を受けとる、それは、世界平和への祈りだと思う

SNSで繋がるすべてのあなたへ
握手と共にあなたの幸福を祈ります

******

《日本での活動 暫定スケジュール 変更の可能性あり》
(8/30現在)

☆9/9〜11 長野のキャンプ場にてMovement Medicineゲリライベント!ミュージシャンとコラボ予定!(ネットには宣伝しませんのでお問い合わせください)

☆9/19月•祝日 森の中のヨーガ教室(山梨県甲府市武田の杜)
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/490908713.html

☆9/23金•祝日
虹の戦士語り + 7方向を旅するドラム瞑想 + トーキングサークル コラボ企画 (東京都 ちょっとしたカフェ)
https://fb.me/e/2FSDvdHsE

☆9/26新月セレモニーイベント(山梨県ピラミッドセンター)

☆10/2日曜
14:00 東京都日野市でワークショップ

☆10/8前後 静岡で検討中

☆10/10-12 瞑想リトリート (滋賀県長浜市 琵琶湖ホテルグラッチェ) 単発参加も可能

☆10/15土
自分に、還る Movement Medicine & Voice space art コラボ企画 (愛知県豊川市いるかビレッジ)
https://fb.me/e/28YFuLvYc

☆10/21-23 すでに繋がりのある人向けの深いワークショップ検討中(富士山周辺)

☆9月10月
循環ハートインフィニティ高次元ワーク伝授講習会
保護アップリフティング高次元ワーク伝授講習会

☆9月10月
ファミリーコンステレーションワーク
聞く力を養う(仮名)伝授講習会
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:13| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月16日

(エッセイ)どんな瞬間も礼拝となる


日常のどんな瞬間でも、祈り・セレモニーとなる。



例えば、身体をケアするとき。

オイル選びはものすごく重要。

オイルは皮膚から浸透して、内臓や細胞に働きかけるし、そしてアロマは神経に働きかけるからね。

私は地球(植物)のエネルギーに敏感なので、本物か偽物かすぐにわかる。(私にとっての、という意味ね)



ドイツに来てから、こちらの生徒さんがお勧めしてくれた、イギリス製の会社のもので、顔も頭皮マッサージも身体もすべて揃えてます。


どんな瞬間も礼拝となる.jpg



身体は一生ものだし、日々成長という名の老化をしていくから、身体に良くないもの使ったら、もう取り返しがつかない。

だから、私の感性が納得するものだけを使います。



毎日のお風呂の後(浴槽には日本の野草ハーブを入れます)、

顔や身体にローズウォーターやオイルを塗るときは、大事な祈り・セレモニーの時。

洗面所に立ってササットチョチョイ、となんてやりません。

ベッドルームのフロアにタオルを敷いて、その上に真っ裸できちんと座り、

まず目の前に使うオイルなどを全部置いて、その植物のスピリットたちに挨拶をして、私の体へのウェルカムを伝えます。



そして、

身体の各部位に、丁寧に感謝を伝えながらオイルを塗っていきます。

塗る、っていうか、手のひらで優しく押し与える感じ。

ありがとう、私の膝。
ありがとう、私の子宮。
ありがとう、私の肩。
・・・順番にすべての部位に感謝を伝えていきます。

顔は、オイルを与えたら、その上から手のひらのエネルギーで癒します。



私たちはこの身体と共に生まれ、共に死んでいく。

そして身体は、どんなに酷使しても無視し続けても、健気に動こうとしてくれる。

この、たった一つの私の最重要パートナーへ、質の良いオイルと蒸留水と共に、毎晩の礼拝です。(オイルや蒸留水作りは錬金術だよね)

何気ない日常のすべては、意識次第でセレモニーとなり、

そして、それに時間と意識を使うことで、毎日は丁寧に積み重ねられ、より意味あるものとなります。



よかったら、Youtubeで語ってる最新「7.かけがえのないパートナーである身体はすべてを記憶している。そして、両親や先祖へと繋がる」も見てね!
https://youtu.be/s3sXZql_x34


Instagram : yukilakshminarayani

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:04| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月20日

(エッセイ)竜門峡




枯葉が覆い、ふかふかに柔らかくなった山道を歩く時の、独特な音と感触が好きだ。

ざくざく、ざっざっ・・・・

たくさんの落ち葉のベッドのふんわりとした感触が、トレッキングシューズの厚い底からでも伝わってくる。

どれほどの葉が枝から離れ、風に吹かれて大地に還っていったのだろう・・・。

山の中の遊歩道を落ち葉はすっぽりと覆っていて、それはかなり厚くなっているので、その下にゴロゴロあるであろう自然の石たちは、その黄色や茶色や赤の枯葉の下にもぐり、冬眠するかのように見えなくなっている。

私は、どこに隠れているのか予想もつかない枯葉の下の見えない石を、変な角度で踏んで足首をひねらぬように、太腿にぐっと力を入れてザックザックと歩く。

ゆっくりと一歩一歩の足の置き場を慎重に見つめ、狭い渓谷の道筋を踏み外さぬように。

遊歩道は時に1mにも満たない狭い幅になり、足元の脇には、ゴウゴウと水が激しく流れている。

眩暈でもしてふらりと足を滑らせたら、あのスピードのある流れの中に滑り台&ダイビングだろうな。



この、「竜門峡」に来たのは、これで二回目だ。

前回は確か・・・・8年ほど前だった気がする。

一歩一歩、渓谷の急流沿いを登っていく、自分の足元をみつめる。

ここは「遊歩道」と名前がついているけれど、いやいや、その名を信じてはいけない。

この「遊歩道」は歩きやすく整備されているとは言い難く、最低限の道案内以外はとてもワイルドで、あちこちでフェンスは傾いたり崩壊したりしているし、落石で渡し板が歪んでいたり、岩が行く手をふさいでいたり、道筋に小川が流れていたりぬかるんでいたりして、トレッキングシューズでなければなかなか歩くのが難しいだろう。

わたしは、登山用の装備で来たから、軽快に歩くことができたが、さっき駐車場で会ったご夫婦が履いていた靴・・・旦那様は薄いスニーカー、奥様は高齢者がよく履いているような軽くて柔らかくて平べったい底に少し踵が高くなっている黒い合皮の靴・・・では、ぬかるみや、枯葉の登り坂を登っていくのは、少し難しいだろうな、とふと、心配してみたりする。

とはいえ、きっとそのご夫婦は、私のようにてっぺんまで登ることを目的としていないのだろうな。

きっと、ちょこっと写真を撮りにお散歩に来たのだろうな。

そのご夫婦以外は、誰にも会わなかった。

誰一人周りにいないこの渓谷を、私は一人で静かに森を楽しみながら歩いた。

勢いよく流れていく美しい川は、バシャバシャと大きな水音を激しくたてていた。

その川沿いに続く細い登山道を、私はゆっくりと森を隅々まで感じながら登っていく。



竜門峡1.jpg



入り口で「クマ出没注意」の看板を見たことを思い出し、一人での登山だというのにクマ除けの鈴を持っていないことが少し不安になった。

鈴はないけれど、代わりに、私はマントラを大きな声で歌いながら登った。

激しく流れる川の爆音にかき消されてしまわぬよう、大きな声で山の斜面の方向に向かってマントラを歌って、クマに私の存在をアピールした。

思い付きで「森のくまさん」を歌ってみたりして、「熊さんにぃ〜であぁったぁ〜・・・いやいや、出会っちゃいかんだろ」と自分に突っ込みを入れてみたりして、一人でクスクス笑った。



川は、ゴウゴウと大きな音を立てて、私が歌った声を丸ごとかき消していく。

それにしても・・・、

ここ一週間はずっと晴れていて、雨は一滴も降っていないというのに、山の上からどうやったらこんなに大量の水が流れてくるんだろう・・・。

自然の完全さに感服しながら立ち止まり、滝のように落ち、渦のようにうねっては流れていく、水という生き物をじっと見つめ、しばらく、その美しい完璧な営みに目が離せずにいた。



竜門峡6.jpg



この森は、たくさんの気配がする。

わたしには感じる。

でもその気配は、恐ろしいものではなく、むしろ、繊細な子猫のように、息をひそめて、でも好奇心ムンムンで私を少し離れたところから観察しているようだ。

どーも、おじゃましてます。こんにちは。ユキです。

いいよ、好きなだけ私を観察して。

私はあなたたちを変えようとしないし、何も求めない、そして、あなたたちを邪魔しようともしない。

だから、私を安全に歩かせてね。この森のスピリットたちよ。

その山によって、森によって、その地のスピリットには表情・・・というか、性格・・・というかがあると感じる。

この地のものは、とてもシャイで、でもすごくたくさん、大勢で見にやってくる感じ。



8年前にここに来たとき、同じようにてっぺんまで登ったのだろうけれど、

この山の起伏や、遊歩道(という名のプレ登山道)を歩いた記憶がまったく無く、そして、今こうして歩いていても、まったく当時の経験が思い出せない。

あの頃、私はどんなことを考え、どんなものに繋がっていたのか。

当時の自分自身にしばしのタイムスリップ。

8歳若い私、模索しながら人生を歩き、まっすぐに真摯に、せつなくなるくらいただただ誠実に生きていた。

そしてあの頃、この渓谷を登ったときは、私の龍との出会いの直前だった。

「竜門峡」という名前から、やはり、龍とのつながりを思い出す。



竜門峡5.jpg



首から下がる、一眼レフカメラの重みで、首が少し痛くなったので位置を変えて、右肩に引っ掛けてカメラを小脇に抱えた。

そうだ。

あの時も、一眼レフを持っていた。

今持っているこの同じカメラだ。 

レンズだけは新しく取り換えたけれど、カメラ本体はあの時と同じものだ。

ずいぶん前から愛用しているこのカメラ。

きっと、私の手の柔らかさや目のまなざしを記憶しているだろう。

右手はカメラ本体、左手はレンズのズーム、そして右目でのぞき込む、それがいつものポジション。

古いタイプなので、直接、目をファインダーにつけなければいけない。

でも、わたしは、さっ!とカメラを構えてファインダーに目をつける、その姿勢をとるのがとても好きだ。

わたしは8年前にここに来た時から、随分と人生が変わって、人間として魂として成長しているのだろうけれど、

でも、手の柔らかさや、カメラを構える感触はきっと変わらずにいて、このカメラは、その馴染み深い「私の手」を覚えてくれているだろう。

私の相棒として、これまで故障もせず私についてきてくれているのだ。

カメラを握る手から、わたしもカメラを感じる。

この感触、この重み、この形、この硬さ、この丸み。

このカメラを買ったのは、確か、15年位前だった。

移り変わる時代の中、ご縁の中で、このカメラは変わらず私と共にいて、これまで様々な国や土地に一緒に旅した。

落とさないように、揺れて木にぶつけないように、汗で濡れないように、大事に大事に抱える。



竜門峡3.jpg



ああ、汗が流れている。

背中に、胸に、こめかみに。

いいぞいいぞ、森よ、私を浄めておくれ。

私が人間としてこうして生きて、知らず知らずに拾い集め、背負いすぎてしまった不必要なものを、

森はひとつひとつ、そぎ落としてくれるような感じがする。

年を重ねるっていうこと、生きていくっていうことは、知らずに背負ってきてしまったものを、いかにそぎ落として軽くしていくか、だと思う。

身体を動かして汗を流すのは、シンプルに心地が良い。

それが、自然の中なら、なお良い。

南米のアマゾンに滞在したときに、アマゾンのシャーマンが言っていたことを、森を歩いているといつも思い出す。

「森にいるときは、あれこれ頭で考え事をしてはいけない。すると頭痛がしたり気分が悪くなる。ただ今・ここ、だけに集中して、森にだけ集中するんだ」

「そして、セレモニーをする前には、必ず丸一日、森に入って浄化をするんだ」



竜門峡2.jpg



ふと、私の足が止まった。

山側には、背の高い木々と共に巨石がゴロゴロと周りを取り囲み、突然やってきたちっちゃいわたしを、ギョロギョロなんだなんだと観察しているようだった。

わたしはとても小さくなって小人になったみたいな気分だった。

そのたくさんの巨大な丸い石が、どういうバランスでか奇跡のように安定していくつもいくつも積み重なっていて、その巨石と巨石の隙間から、ボトボトと水が流れて落ちて、その下に小さな流れを作っていた。

左下に見える大きな川の中にも、巨石がゴロンゴロン寝転がっていて、皆で揃って水浴びをしているようだ。

また、何かの気配を感じた。

そう、私は見られている。

私は目を閉じ、両腕を大きく開いて、顔を少し上にあげ、息を大きく吸い込んで、吐き出す息で喉をこするようにして「AAAAAUUUMMMMMMM」と、ユニバーサルマントラを唱えた。

この森と一つになる、最高に広がった感覚。

すべての息を吐ききって、マントラの声が聞こえなくなってから、ゆっくりとまた息を吸って、そして、静かに目を開けた。



開いた目の前を、たくさんの枯葉がひっきりなしに飛んでいた。

うわあ・・・・・キレイ・・・!

まるで、ゆるやかな流れ星の中にいるかのように、一瞬、宇宙に放り出されたかのような無重力な気分だった。

カサカサ、ガサガサ、木々が揺れている感じがした。

風が吹いてきたのだ。

川の流れの爆音にかき消されて、風の音は聞こえなかった。

でも、木々が大きく踊っているのが感じられた。

そして、目の前の宙を、たくさんの枯葉が浮いていた。飛んでいた。流れていた。舞っていた。

それはもう、雪が降っているときのように、あたり一面、空中を枯葉がゆっくり浮遊していた。

静かにくるくると回りながら舞い落ちる枯葉のシャワーの中で、私はまるで、自分の身体が上へ、上へ、と昇っていくかのような錯覚を起こし、足元がふわりと大地から浮かんだような気分になった。

なんて、美しいんだろう・・・。

揺れる枝たち、自由奔放に伸びる木々、どっしりと巨石たちがそれをみつめ、山全体がすべてを受け入れて、

そして、宙という宙を、枯葉が自由に飛び、浮き、舞い、なんとも美しいダンスを踊っている。

本当に幻想的。

地球はなんと美しいのか。

祝福されている、わたしは、祝福されている。

大きな森の中のちっちゃな私は、プレゼントをもらった子供のように、はしゃいで喜び、両腕をさらに大きく天に向かって開いた。

完璧だ、森から私へのプレゼントだ!

ニコニコとわたしは笑いながら、木々や巨石や川の流れや落ち葉のパフォーマンスショーやこの舞台のすべてをみつめる自分の視線に、

ありったけのお返しの愛を込める。

そして、一眼レフの重みを確かめながら、右手で胸に抱え、今この魔法のような美しい瞬間を、カメラのファインダー越しではなく、この目でしっかりと受け取ってよかった、とカメラに伝える。

すると彼も、僕も仕事抜きで楽しめてよかった、と言ったような気がする。

よき相棒よ。長い付き合いだな。

振り返り、さらに登っていく方向へと顔を向け、まるで少女のように、少し弾むようにしてまた私は歩き始める。

森の中のたくさんの巨大な岩たちが、このちっちゃな少女を、微笑みながら見守っているようだった。



竜門峡4.jpg













posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:44| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月12日

砂浜に座って今日思うこと


人間のマインドについて不思議なことがある。



とってもお世話になった人がいて

深く感謝していて

すっごく大切に思っていたのに

なにか一つ、カチンとくることや

ムカッとすることや

こちらの期待通りの態度じゃなくてガッカリすることなんかがあると

急に、イヤになったり、

怒りや嫌悪に変わってしまったりするのは、

なぜだろう。



不思議で仕方がない。



それまで、どれだけ、いただいた愛と親切へ感謝していたとしても、

たったひとつの出来事で、

急に、気持ちが変わってしまうのは

人間のマインドの不思議・罠だ。

愛と憎しみは、同じコインの表と裏なんだな。



これまで、わたしの経験の中で、

そんな感じで、急に去っていった人びとを、わたしは許します。



なぜなら、わたしも、そのマインドの罠を、同じように持っていて、きっと誰かに対して知らずにやっているから。



そして、



自分自身が、そのマインドの罠にはまってしまっていると気づいたら、

それは、テストされているのだと気づこうと思う。



「ユキ、お前のあのひとへの感謝は本物かい?本気で感謝してるのかい?」というテスト。



これまで、心底、感謝して慕っていた人への気持ちが、

急に、あれっ?って、どうでもよくなって、むしろ疑いや怒りに変わったら、

それは、テストされているのだと気づこうと思う。



結局のところ、

すべての感情や思想いや情熱は、

その方向がポジティブであれ、ネガティブであれ、何であれ、

すべては愛が絡んでいるのだから、



どうせだったら、

ハートが満たされるほうに変換してみつめたほうが

断然、よいに決まってる。



だから、

マインドの罠にはまりそうになっている自分自身をみたら、

その人へのこれまでの感謝を思い出そうと思う。



そして、



罠にはまってしまった後に気づいてしまい、テスト落ちてしまったときは、

そんな自分も許す。

罠にはまることもあるさ。



そして、気付いたことすべて、気づきに関わったすべての人へ、

愛と感謝を

祈りとして送ろうと思う。



そんなことを感じながら

ひとり

砂浜に座って

湿った風を受けながら

見つめている

スリランカの夕陽。


砂浜に座って今日思うこと.jpg







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:42| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月31日

今日のダンスのエナジー



今日のダンスのエナジーの描画。



ミュンヘンダンス2.jpg




描く、踊る、描く、踊る・・・探求、リサーチ

最高に楽しいよ! 

ダンスセラピー&創造療法のスペシャルコンビ!

9月の日本での活動の中で、こんなイベントやりますのでお楽しみに〜

スケジュールは近日公開しまーす

そして、

イベントなどでダンサーとして踊らせていただける機会を、私に与えてください。

世界のどこでもよいですし、規模の大小は気にしないです。

日本でも、世界のどこでも、舞いたいです。


ミュンヘンダンス.jpg





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:14| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月29日

ラ・パルマ島「ドラゴンツリー」


ドラゴンツリーに会いに来ました。



ドラゴンツリー1.jpg




木登りはわたしの趣味の一つ。

惚れた木には、いつも登る。



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ドラゴンツリー2.jpg




登ったところに、シャーマニックセレモニーをした痕跡があり、地球を愛し、祈りに生きる世界の同輩の同じ思いに微笑みました。


光と祝福に満ち溢れる

スペイン領 カナリア諸島 ラ・パルマ島にて。

アトランティックオーシャンに向かう、火山の島。

ここから地球への祈りと、自分自身への祝福の時間を過ごします。



ドラゴンツリー.jpg



******

追記。
そして、今朝見た夢はまた、とても刺激的で意味のあるものだった。

わたしは、太くて大きな木の幹の前に座って、その気にオイルマッサージをしていた。

その木は、まるで太った中年の男性のように、どっしりと、力強く、固くて、重たい、男性の象徴のようだった。

その男性エネルギーの木に、わたしは、まるでセクシャルヒーリングをしているようだった。

パートナーは、わたしの左隣に座って、細くて、しなやかで、白っぽくて、女性性の象徴のような木に、同じようにマッサージを与えていた。

わたしたちは、二人で、それの時間楽しんで、会話しながら木と戯れていた。

まさに、わたしがこの人生を生きる、スピリチュアル使命の一つ「陰と陽のハーモニー」だった。

そして、メッセージが聞こえた。

「ユキ、人のためではなく、自分の人生を生きなさい。これまで、世界の平和のために生きてきたのだ。これからは、自分の人生に愛を向けることを最優先にしなさい。自分の人生を二の次にしてはいけない。あなたが自分自身の人生を磨いていくことで、周りのすべての人たちのためになるのだから。なぜなら、ユキ、あなたは愛そのものだからね」


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:37| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

FIRE!


断食7日目の今日。

イギリスでのMMトレーニングにてセレモニーを行う。

断食(これは自主的にやってること)のおかげで意識がものすごいクリア。

体は浄化されてとても反応がわかりやすい。

そして、エネルギーを感じる感性も研ぎ澄まされていて、私になにが必要で、なにが不必要なのかが明確にハッキリクッキリわかる。

最高だ、ものすごいパワーを内から外から感じる。

今日はダンスセレモニー。

私のスピリチュアルな道への炎をさらに磨くための祈りの舞いとしよう。

この、磨かれた「強さ」を、この記事を通して皆さんにもシェアさせてください。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:56| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

スカラベ・いつでも「開いてる」こと



おもしろいオジサンに会いました。



昨日、新しいサロンに置くものを探しに、大〜きなフェスに行きまして(広大な敷地にたーくさんのお店が出店している催し)、



Tollwood.jpg



ある、変な?波動の石屋さんでわたしは立ち止まりました。

ヨーロッパの石屋さんは、大抵、きれいに陳列して、ライトアップや陳列棚がとても美しいのですが、

その出店は、乱雑にごちゃごちゃ置かれている感じが、ヨーロッパ風ではなくて、

それがわたしにとっては興味をそそられ、そのごちゃごちゃの中から、自分にしっくりくるものを探し出すのが面白そうで、

かなりの時間をかけて石たちに触ったり、みつめあったりして、向き合っていました。

ああ〜、わたしは、本当に「大地」と繋がるんだな〜と実感。

石たちに囲まれていると、本当に本当に、心地が良いですし、

石たちとの会話が本当におもしろい。



とにかく、わたしはクリスタルが大好き。

人によっては、植物とつながるひとや、お料理で自分のスピリチュアリティを表現する人などいるけれど、

わたしは、石・大地と繋がる人。

植物はとても好きだけれど、野菜を料理することには、あまり大きな興味がない。

でも、石とは会話ができる。

心を通わせることができる。

みんな役割分担で、得意分野があるんだよな。



わたしが、かなり長くじっくり石とのコネクションを楽しんでいたので、「お、こいつ、なんかちょっと違うぞ」と感じたのであろうお店のオジサンが、わたしに近づいてきました。

最初は、わたしも「売りつけられるのやだなあ」と警戒していて、あまり話を聞かなかったのですが、

彼が、わたしに「これはどうだ、これもみてごらん」って、持ってくる石が、とても質の良い石ばかりだったので、

徐々に、興味を持ち始めて、彼のいう「石は向こうのほうから語り掛けてくるんだよ。だから、人に決めてもらっちゃいけない。自分で感じるんだ。」という言葉も、まったく私の意見と同じだったので、

なんだか、このオジサン、話がわかるなぁ、と、わたしはだんだん、彼に向き合っていきました。

わたしは一人で見ていたのですが、頼んでもないのに何度か、「これはどうだ?」と石を見せてくれて、

それは今まさにわたしが見つめていた石と同じ種類の、より質の良いものをその都度、持ってきてくれました。



そのオジサン、急にまたやってきて、握りこぶしを私の前に出して

「みたいか?ふふふ」と、いたずらっぽく微笑んでいました。

どうやら、手の中に石を隠して、もったいぶってじらしている様子。

あはは、面白いなこのオジサン。「イエス、見たいです」

「ほら、見てごらんこれ、シトリン。スーパーよい波動で、質がよいんだよ」

うん、確かに、とても美しくて、しかもファントムが2重になってる! すっごい!

「これは、ヒーリング用なんだよ、誰かをヒーリングするときに使うやつなんだよ。」とオジサン。

わ〜〜〜〜、すごいな、いいな、欲しいな〜〜〜〜〜!!

「ふふん」と唇で笑って、オジサンはそのクリスタルを自分のポケットにしまった。

「ええ〜〜〜!おじさん、自分のポケットに入れているの!?」

「そうだよ、俺だって、質の良い石が好きだから、これは自分用なんだ、ふふん」

あははは〜〜〜、売る気じゃなかったのか、おもしろいな〜、ただ自慢したかっただけなのね。



そして、今度は私が丸い球の石を見ていたら、またオジサンが近寄ってきて・・・

さっきと反対のポケットに手を突っ込んで、ザザッと、何かを握りしめて出してきた。

「オジサン、何個、ポケットに入れてキープしてるの!?」わたしはおもしろくなって突っ込んだ。

「ほ〜ら、これみせてやるよ。みたいだろ。この透明感、この光具合。」

オジサンがポケットから出したのは、大きな丸い透明で美しい水晶だった。

「こうやってライトを当てると・・・・ほら見えるだろうここにライトの集中したところが、ここからヒーリングできるんだ」

ほほぅ〜〜、とてもきれい。いいないいな〜〜〜〜

そしてまたオジサンは、ふふん、と笑って、それをポケットに戻した。

あはははは〜〜〜、やっぱり、また自慢したかっただけなんだ〜〜〜。おもしろいなこのオジサン」

「あなた、おもしろいね。石も好きだけど、あなたに興味があるよ。どこから来たの?どこに住んでるの?」

興味を持ったわたしは、オジサンにいろいろ個人情報を聞いた。

彼は、アメリカとフランスに半分ずつ住んでいるらしく、石の研磨・加工・販売をしていて、ネックレスなどのアートジュエリーを作っているのだそう。

どうりで、手と指が、まるでグローブみたいに分厚くて黒くて、職人の手だ。

でも、英語がアメリカなまりでも、フランスなまりでもない、私よりもきっと英語のボキャブラリー少なそう。

一体、本当はどこの生まれなんだろう??

聞いたのだけれど、なまりが強すぎて、何度聞き返しても、彼の言っていることが理解できない。

わたしはかなりたくさんの国の人と関わってきたから、大抵のなまりは大丈夫なんだけど、このなまりは初めて聞く感じ。

南米のほうの感じの顔つき? アラブっぽくはないんだよな。

または、アメリカ原住民、ネイティブインディアン系?



わたしは、ラブライドライド2個、マラカイト&アズライトの原石、ターコイズ、フローライトを、厳選した。

すごく波動が、わたしとピッタリはまる子たち。

「連れてって!」って言っている子たちばかり。

ヒーリングルームのお部屋の波動を守るためのインテリア用と、ヒーリングセッションの時に使うヒーリング用に。

石をオジサンに持って行って「ディスカウントしてね〜!」とお願いした。

オジサンはあっさり、

「いいよ、じゃあ、これは、〇〇ユーロにして、これは、〇〇ユーロにして、これは、〇〇ユーロにしてあげる、だから合計〇〇ユーロだ。安いだろう?」

最初に行っていた値段よりも30%も安くしてくれました。

とはいえ、最初に提示した値段も、オジサンの気分で決まってた感じなので、本当に安いかはわかりませんが(笑)

でも、わたしは大喜びでその値段で承諾!

そして、実は、目をつけていたセレナイトの石があったので、それはもともと5ユーロ(650円くらい)と安かったから、

「オジサン、このセレナイトも欲しいんだけど、おまけにつけてくれない?」

と聞いてみたら、

「あっはは、いいよ、クリスマスプレゼントだ!好きなの選びなよ」とあっさり。

わたしが、また石一つ一つ、触って感じて厳選した後に、

「オジサン、わたし、2個欲しい石があったんだけど、2個でもいいかな?」と、聞いてみる。

「あはは、まあ、いいよ、持ってきな!」

わーーーおぅ、なんて気前がいいんだ。 思わず

「わーお、オジサン、愛してるよ〜!」と口走ったら、オジサンも、

「あはは、俺も〜」と。

楽しかったな〜、力が抜けてて、好きだなあ〜、こういうオジサン。



そして、オジサンも私に興味を持って少し質問してきた。

「キミは何やっている人なの?」

「わたしは、実はヒーラーなんですよ」

「なんのヒーラー?石?」

「うん、石も使うけれど、でもメインはエナジー、それとボディワーク」

「なーんだ、じゃあ、ここにいーっぱいヒーリングストーンがあるじゃないか、もっと買えばいいのに!使えばいいのに!」

「そうなのよ、わたしももっとたくさん買いたいの!でも、まだミュンヘンに来たばかりで、これから本格的に活動をスタートするの。だから、今はまだ、たくさん買えないんだよ」

「いや、だって、そんなに高くないだろう、安い値段にしているよ、うちは」

「わかってる、でもいまの私のお財布には、いいなって思う質の良い石は、まだちょっと高いのよ」

「なるほど、わかった。理解したよ。じゃあ、ちょっとこっちにおいで、見せたいものがある」

そして、オジサンは、わたしにとっておきのやつを見せてくれた。



スカラベ。



スカラベ.jpg



これは、エジプトで神格化された昆虫で、太陽の神の象徴。



「キミが新しく仕事をここで始めるのに、これを持っていると絶対にサポートになるよ。これには、『ドアを開く』という力があるからね。石は自分で選んで、俺が加工して作ってあげるよ。これは、ちょっと高いけれど、でも、一回買ってしまえば一生、キミのサポートになるからね。」

わたしは、本当に腑に落ちたし、エジプトにはご縁があるので、神様がこの人を通してメッセージを届けてくれているんだな、と受け取った。

値段を聞いたわたし。 払えるけれど、勇気がいる額。 それをオジサンに伝えると

「もちろん、今じゃなくてもいいさ。 少し経って、お金を稼いだ後でいいさ。 俺は、売るために言っているんじゃなくて、キミの将来のために言ってるんだからね。いまだ!手に入れるぞ!というときがきたら、そのときがキミのタイミングなんだよ。 」

うん、その通りだ。

わたしは、この出会いから、もうすでに、これから始まるわたしの未来に、とても希望を感じた。

このオジサンから、このスカラベを買う、買わない、はもう、どちらでもよいと思った。

どこかほかで違うスカラベに出会うかもしれないし、または、実際にエジプトに行くことになるかもしれない、または、ひょんなことから手に入るかもしれない。



この人は、わたしにメッセージを届けてくれた。

それは、私だけにわかるメッセージ。だからいまはまだ人には言わない。

人との出会いは、いつでもすべて、意味がある。

それが、好意を持つ人でも、嫌気を持つ人でも、どちらも出会いには意味がある。

いつでも、「開いている」状態でいることが、すべてのメッセージと意味のある出会いを、

受け取る最善の準備だな、としみじみ、思った。

つねに、スピリットと「つながった」状態でいること・・・それを保つこと。

目の前のあれこれや、未来の不安にあたふた、振り回されて、「つながり」を失わないこと。

それが大事だな、いつでも目を開いて。

本気で、心がけよう。





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2018年08月11日

ドゥルパド・歌も踊りも世界を救うのだ!


カトマンズに滞在しているメインの目的は、ドゥルパドというボイストレーニングを受けることです。

私は本当に大好きで、4年ほど前からしばしばカトマンズに通って個人レッスンを受けています。



ドゥルパド2.jpg



ドゥルパドは声の響きを宇宙とつないで歌う瞑想的なテクニック。

もとはインドの皇族へ捧げる伝統的な格式高い音楽だそうです。

先生たちは週に2回、小さな村にある障害者学校にて子供たちへ教えています。

ありがたいご縁で、そのクラスに一緒に行って参加させてもらうことができました。


ドゥルパド1.jpg



子供たちは目が見えなかったり、手足がなかったり、車いすだったりするのですが、みんな本当に幸せそうで純粋でオープンでシンプルで、大感動しました。

そして、そのお仕事をされてらっしゃる先生たちにも感動しました。

とても刺激されました。

人間が歌って、踊れば、世界は平和になるのだ!

これからもわたしは、私の信じる道を、愛の名のもとに活動をしていこう。 

ありがとう。 合掌


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 02:36| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

水に洗い流す



イタリア・ラッチェという小さな田舎町。

昔むかしの人が畑に水を引くために作った小さな小川沿いに、何キロも森の中を歩く。




くねくねと続く細いけもの道を、小川沿いに歩いていると、水の音がときに、激しくなったり、ときに内緒話のようになったり、

アップダウンと共に、1歩ごとに変化していって、その水音がとても耳に心地が良い。

鳥が歌う声、木々が風に揺れる音。

肌を通り過ぎる空気の感触、トカゲやリスたちの気配。

上昇していく自分の身体の体温、汗の感覚。

マウンテンシューズの底から感じるゴツゴツ岩の存在、松ぼっくりの柔らかさ。

お花の匂いがわたしの感性をくすぐり、太陽の光がわたしを元気づける。




小川に沿って歩いている、わたしに湧き上がってくる思考、思考、思考。

わたしは自分の思考の傍観者だ。

なぜだろう、こんなに素敵な環境で、気持ちよく歩いているというのに、

マインドは、あとからあとから、過去に傷ついた人間関係の経験を思い出させている。

わたしはマインドの動きに溺れない。

いつも、ただ、ただ、観察している。

とくに、同性の友人・近しかった生徒さんたちから受けた、ショックな出来事を繰り返し、繰り返し、

マインドはわたしに語りかけ続けている。




わたしは「わたし」の言い分をよーく聞く。

そうか、そんなにショックだったんだね。うんうん、そうなんだね。

それが、いまも、トラウマになって、恐怖になっているんだね。

これは、自己憐憫になっているのとは違う。

ただ、見つめる、観察する。

わたしの思考の、ありのままを、見届ける。

言い分を聞く。

過去の感情を、理解してあげる。




でも、どうして、いま、この美しい森の中を歩いているときに、繰り返し繰り返し、「傷ついた経験」が湧き上がってくるんだろう。

そうか。

癒されているんだね。

いまはもう「安全な場所にいる」ということを、傷ついているわたしの側面に、知らせて癒しているんだね。

もう、昔のことを思い出して、繰り返し、傷つかなくていい。

「いま」というこのときは、あのときの「悲しみ・ショック」の時とは、違うんだ。

「いま」は安全なんだ、繰り返し、昔の経験を思い出しては、自分で自分を傷つけなくていい。

そう、あれは過去のこと。いまじゃない。

水に洗われているんだ。

この、美しい森と、清らかな小川と、気持ちの良い自然の音の中で、わたしは「いま」を認められているんだ。





小川は、同じ方向に流れ続ける。

決して止まらず、後戻りせず、ひとつの方向へと流れ続ける。

時に激しく岩を砕き白い波を生み、ときに安らかにキラキラと輝いて、先へ、先へと、流れ続ける。

水に流そう。

水に洗われよう。

「いま」はこんなにも美しい。

悲しみも苦しみも、すべて過去のことで「いま」じゃない。

「いま」の瞬間はこんなにも祝福されている。

水に流そう。

水に洗われよう。

すべて、流れていく、流れていく、流れていくんだ。

自分の中の「水」が共鳴する。

水は形を変えるもの。

そして、岩をすり抜けることもできるし、砕くこともできる。

わたしは「水」。

わたしは変わることができる。

水のように、柔軟に、繊細に、そして強く、意志をもって、先へ先へと。




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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:40| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月15日

尺八とチベッタンベルとアラビックジャズ



今日はミュンヘンでの日々のことをちょこっと・・・。

ミュンヘンでも、毎日、あれこれ忙しく過ごしていますが、

コンサートと、自然散策には、ちょくちょく行っているな、と気づきました。

日本にいるときは外食するのが息抜きの方法だったのですが、

芸術と山や自然を愛するドイツの環境にいると、その国の波動に馴染んでいって、自然に生活スタイルが変わるので、とても興味深いです。




先日、尺八コンサートに行ったときのこと。

コンサート・・・とはいえ、50畳くらいの瞑想ホールで、座禅の生徒さんたち向けに行われた会でしたので、参加者は20名くらいでした。

奏者は日本の女性で、尺八を修行として行っているかたでした。

尺八は吹くかたによって、全然、波動が違いますね。

そのかたの「息吹」のエネルギーが、ダイレクトに届きます。

彼女の吹く尺八は、とても瞑想的で、静けさの中にすべてを秘めている、「日本の魂」を感じました。

静けさは・・・・本当にすべての叡智を含んでいます。

日本人だからこそ、わかるこの「間」の豊かさ・・・・の感覚です。




そして、数日前には、シンギングボウルのミニコンサートに行ってみました。

シンギングボウルは別名チベッタンベルとも呼ばれていますね。

わたしも、演奏している大好きな、大好きなスピリチュアル楽器です。

ミュンヘンに、お気に入りの民族楽器店があって、ミュンヘンでもヨーガサークルで教えているのですが、その会場から近いので、そこには時々顔を出していて、楽器やCDを買ったり、変り者の店主とただ話をしたり、気軽に立ち寄っています。

そのお店の中でのミニコンサートでしたので、商品が置いてある隙間に座る感じで、全部で15名くらいでしょうか、ぎゅぎゅうの満員でした。

演奏はとても美しかったです。 が、すごく「ヨーロピアンなテイストだなぁ」というのが印象。

すご〜く美しかったんですよ。とっても。

本来のチベットの味を、上手にヨーロッパ風にキレイにおしゃれに塗り替えた感じ。

まるで、キリスト教の教会の雰囲気のような、メロディアスなシンギングボウルでした。

初めて聞いたな、こんなヨーロピアンな感じのシンギングボウル。

これは、これで、音楽として美しくて素敵でした。

ヨーロッパの人たちは、やはり「表面の美しさ」を追求するんですよね。

聴く人のために演奏している・・・・っていうかんじ。

本来のチベットのひとたちは、聞く人のための演奏ではなくて、祈りのための波動としての演奏だから、その根本から違うんでしょうね。

わたしはどちらも否定せずに好きですが、わたしが自分で演奏するとしたら、チベットのやりかたのほうがコネクトしやすいな、と思いました。

文化の違いは、根本から違うから、同じものを扱ってもまったく違う顔になります。興味深いです。

先日の尺八の演奏は、聞く人のことを意識して演奏している感じが全然しなくて、だからこそ、その「人間」のエネルギーをパワフルに感じ、それが「美」と感じました。

ここが、日本とヨーロッパの文化の違いでしょうね。





そして、昨日は、アラビックジャズコンサート。

youtubeを聞いてトキメイて、ミュンヘンでコンサートがあったので行ってきました。

チュニジアのミュージシャンで、瞑想実践者だそうで、youtubeのサウンドを聞いただけで共鳴するものがありました。

とても有名なミュージシャンのようで、ジャズだというのに、フィルハーモニーオーケストラのホールでのコンサートでした。


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もっと、小さな部屋で密に感じたいなぁ〜〜〜〜、と行く前には思いましたが、

大きなホールでも、ものすごい近く演奏者のエネルギーが感じられて、本当に、本当に素敵な時間を過ごしました。

あっというまに2時間が経っていて、わたしはすっかり、彼の演奏に恋してしまいました。

彼の演奏のエネルギーは、セクシャリティのエネルギーを刺激します。

Anouar Brahemさんというミュージシャンですよ。

彼の演奏は、聞く人のことも意識しながらにして、自分の「無」から「有」を作っていくエネルギーを、前面に信じて、そこに、メランコリックでありながらにして、遊び心を加えた、酸いも甘いも味わいつくした大人の柔軟性を感じます。

バランスがよくって、わたしの感性にはピッタリはまりました!




音楽や、ダンスや、絵画など、芸術のすべては、ダイレクトにハートに響きますよね。

創造性=クリエイティビティ=セクシャリティ

と、人間の持つナチュラルな感性・エネルギーへと、つながります。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:41| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

祈りの民族が好きだ。



祈りの民族が好きだ。

神聖と常にともに生き、生活、時間、存在そのものが、礼拝となっている人々。


祈りの民族2.jpg


祈りの民族3.jpg



祈りの民族が好きだ。

図書館で借りた民族の美しい写真集をウットリと眺めながらお茶を飲む、静かな夜。

自分の感性と二人っきりの大事な時間。

好きだ。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:09| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

POWER!


やっと少し回復してきた。

素晴らしいディープなWSを含む10日間のイギリスの後、ここ1週間、サイキック能力全開で開きまくっていて、受信がすごくて、外界と交わるのが大変だった。

ミュンヘン郊外のお気に入りのイザー川でプチセレモニーをして、ルーツを燃やして、祈り、強く、堅く、これからの誓いを立てた。


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わたしは、やる! わたしには、できる!

そのために生まれてきたのだ!

はっきりと、しっかりと見えているビジョンに、強い意志を持って向かう。

もう、進むのみ。 やるのみ。



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センタリングとグラウンディング、そして、パワーの容認、深い呼吸で古いエネルギーのリリース&リサイクル。

よし。やっぱり愛なんだよね。

統合。


イザーの祈り3.jpg


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:14| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク



先月、ミュンヘンで「ディナーインザダーク」を経験したあと、同じような企画が東京でもロングランしていると聞いて、さっそく体験しに行ってきました。

8月いっぱいで一時お休みされるそうです、よかった、間にあった〜。

ミュンヘンでの体験の時も感じたのですが、

「わたし、暗闇、怖くない」んです。




全員で8名での暗闇90分冒険の旅でしたので、私のほかに7名いたのですが、

何人かは、恐がってる感じの素振りで、なんでだろう?・・・・と不思議な気分。

みんなの歩く速度が遅いので、暗闇でも早く歩けてしまうわたしは、単独行動したくて、ひとりではぐれたくて、仕方がない(笑)

自分でも、なんで怖くないんだろう??? どうして、何人かの人は怖がっているのだろう?? と、不思議でした。

完全に一人だったら、ひょっとして怖いかもしれないですが、みんなすぐそこにいるしね。

わたしは、想像力が長けているので、イマジネーションが簡単に膨らむのでしょうね。

暗闇なんだけど、視覚以外の感性で感じるあれこれから、なんだか、全部、見えているように感じました。

真っ暗なんだけど、見えるんですよ。

目で見てるんじゃないんだけど、人々が動いているのや、植物や建物の様子や、全部、見てる感じでした。

なんとも、口では説明できないけど、見えてるから、全然、怖くないの。




まったく知らないもの同士の8名で、暗闇での体験を共有したことで感じたことは・・・・

真っ暗闇だと、なんだか、知らない人同士なのに、すぐに仲良くなっちゃうっていうこと。

みんな、まるで一緒に来た友達かのように、大笑いして楽しみましたよ。

これも、興味深かったなあ〜

最後のほうなんか、みんなで、カンパーイ!して、「上を向いて歩こう」を大合唱しましたよ。

あはは、まるで、どこかのバックパッカーの宿で旅人たちと、寛いでいる時のよう。はは

でも、始まる前に見た参加者の人々は、ごく普通のかたがた(目を合わせようとしない)だったのに。

始まる前、あんなによそよそしかったのに、暗闇になったら、急に柔らかくなってね、まるで前から知っていた仲間のような雰囲気になりましたよ。

おもしろいな〜

暗闇だと、人々のハートの真ん中の温かさとしっかり繋がれる・・・というか。




そこで、人間好き、内観フェチのわたしは、体験から、よーく熟考してみる・・・・・




思うに・・・・

視覚からの情報って、私たちの理解の70?80?%を占めているって言われていますよね。

ということは、視覚という感覚が、一番私たちに影響を与えているのですよね。

なにに影響を与えているかというと、「思考」だと思うの。

だって「理解」というのは、通常の人は「脳」でするでしょ。(人によってはスピリチュアル的な理解もするけど)

ということは、「思考」へ一番、影響を与える外側からの情報は、「視覚」ということですよね。

それを、遮断することによって、思考ではないところで感じる能力が目覚めやすくなる、ということ。

そして、人間関係が、暗闇の中でこんなにスムーズで、みんな受容的でリラックスできるということは、

逆から察すると、視覚からの情報は、わたしたちを緊張させるということかな。

それはどうしてか?

「こうしなきゃ」とか、「こうしちゃだめだよ」とか、そういうジャッジメントが入りやすいのかな。

そして、ハートを開いて他者と接することへの「恐れ」も、加わってブレンドされてくるから、

なかなか、「あるがままの自分でいられない」= 「人に本来の自分を見られるのが怖い」、かな。

また、「人から見られている」という状況から、緊張してリラックスして過ごせない・・・っていうのもあるよね。

それは、なぜか?

「評価される」とか? 「ちゃんとしなきゃ」とか? 「よく見せよう」とか?

それは、全部、あるがままの自分を否定していることだね。

目で見える情報から、そこにつながりやすいのかな。



いずれにしても、暗闇だと、そういう、自分で自分を縛りつけている「観念」が、全部消えてなくなっちゃうんだよね。おもしろい。

じゃあ、どうして、明るいところだとそうなっちゃうのか?

それは、あるがままの自分、でいることへの、罪悪感かなぁ。

罪悪感って、なんだろう。

自分が自分らしくいちゃいけないんだ、という気持ち?

社会に出ると、みんなと同じじゃなきゃいけないとか、目立っちゃいけないとか、個性は嫉妬されるとか、

そういう、見えないけれど重たいプレッシャーが、あるよね、確かに日本って。

でも、それも、社会で順応するためには、仕方のない知識と技なんだろうね。

暗闇ではあんなに、ハートが開いていたみんなも、企画が終わって明るいところにでたら、

途端に「シューッ!」と閉じていったんですよね。

まるで、閉じる音が聞こえるかのように、わかりやすく、シューーーッ!って。

みんなだけじゃなくて、私自身も、ピリッ!とした緊張感が、急に現れ出たのを感じた。

急に! 自動的に! あ、あまり目立っちゃいけないな、みたいな(笑) びっくり! 

あと、迷惑かけちゃいけないな、とか、周りに嫌な気分を与えちゃいけないな、とか。

そういうのが、明るいと自動的に湧き上がってくるんだな。

暗闇だと、きっと全部許してくれる、みたいな安心感があって、どんな自分でも出せるんだよね。

興味深かったなぁ〜。 大人って複雑でおもしろいなぁ〜。




わたし自身が強く感じたことは、暗闇のほうがとても楽なこと。

他者とのつながりが、とっても楽。

自分が、自分でいられる感覚が、ずっと楽。

ずっと、暗闇のほうがいいなぁ、なんて思ってしまったほど。

まるで、瞑想状態のような感覚だ。

視覚に頼ってはいけないな。

視覚に頼る = 思考でジャッジ・判断する = 偏った理解 = 真実が歪曲される

これは、いけないな。

感受性を豊かにして、本当に大切なところと繋がって、生きていきたいな。

それが、少し社交辞令の世界から外れることだとしても、わたしは、いいと思うんだ。

本音で、本質で、わたしは生きていきたいな。

一番大事なのは「わたしの本質」。

自分の感じること、学んだことは、素直に伝えたいし、感じたい。

社交辞令よりも、社会性の決まり事よりも、そっちを優先したい。

だから、感性をフル活用して、人間の本質で、生きていくのだ。

そういう、人間関係だけ!で、人々とつながっていきたい。

暗闇で感じた「ハートの目」で、物事や人物を、感じていこう。

それは、明るいところで視覚で受け取った情報からの理解よりも、はるかに、居心地が良くて、しかも平和的だった。

そうなの、平和を、感じたのだよ。

偽りの情報(視覚からくる思考への間違った刷り込み)に気づいていよう。

すると、すっごく、世界は面白そうだなぁ。

という、学びでした。


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2017年07月22日

ディナー・インザ・ダーク



ドイツで、ディナー・インザ・ダークという催しに参加しました。

真っ暗闇の中で、ディナーのコースをいただくという企画です。

日本でやっている、ダイローグインザダークのディナー版ですね。



本当に、真っ暗闇でした。

真っ暗な時って、自然と、目をめいっぱい大きく見開いている、自分に気づきました。

そして、視覚からの情報が得られない分、ほかの感覚で感じ取ろうとしているのがとてもよくわかりました。



まるで、スウェッドロッヂの中みたいだな、というのが第一印象。

スウェッドロッヂは、ネイティブアメリカンの祈りの儀式の一つです。

わたしの大好きな儀式なので、チャンスがあるたびに参加します。

その儀式も真っ暗闇の中で行うので、ものすごくいろいろな感覚が冴えてきます。



人間の外側からの情報を収集する感覚の中で、80%は視覚からの情報で、わたしたちはいろいろと判断しているのだそう。

その、ほとんどの割合を占める視覚を遮断することによって、ほかの眠っていた感性が目覚めてくる。



目で見えない分、すごく意識的に体を使って、フォークとナイフを探したり、

こぼさないように水を注いだり、パンの感触で種類を判断したり、

普段なら、なにも考えずにする行動を、本当に意識的に行いました。

自然と動きもゆっくりになって、思考もゆっくりになり、とても、瞑想的な時間を過ごしました。

これは、わたしが、意識的にヨーガアーサナを行うときや、意識的なダンス瞑想を行う時と同じ感覚だな、と感じました。

なんであれ、どんな行動であれ、意識的に行うことは瞑想になりうるということ。

体の内側から感じようとすると、それは、瞑想的になるということですね。

素晴らしい体験でした。

今回の体験は、これからの自分の活動にも、つながっていくと思います。






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2017年05月31日

深夜のレコーディング・・・



静まり返った天空の森の深夜。

今の時期は、フクロウも鳴いていないので、夜はとても静かです。

時々、シカの長い鳴き声が、森に響いているくらい・・・・。

そんな、深夜。

こっそり、ひっそり、シンギングボウルと向き合って、

自分の感性を愛でているわたし。


シンギングボウル.png



これは、6/21の夏至の日に行われるイベントで、ソロで踊らせていただくときの、サウンド作りをしているところ。

わたしの「いま」のエネルギーで、そして、感性で、しっくりくるものを、自分でみずから作ります。

当日に向けて、体的にも、心理的にも、エネルギー的にも、すべて準備を進めています。

たくさんのかたが、「いまのわたし」のエネルギーを感じていただけますように。

お待ちしております!


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6/21に富士山近くの河口湖 円形ホールで行われますイベント
「夏至の集い ようこそ新しい世界へ」
詳細は、こちらのページです。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/450393273.html







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2017年04月27日

静かなる水面でいること


世界は反映・反響・反作用

水面が波立てば 

太陽も歪んで見えてしまうだろう


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2017年03月27日

春の雪とともに降りてきたシンボル



なんてことでしょう!

桜がそろそろ咲くというのに、昨日、天空の森は雪が降りました。

そして、少し積もりました。


春の雪1.jpg



朝、起きてビックリです!

そして、その日の2日前にノーマルタイヤに変えてしまった我が愛車の「森のエルフ」は、

この、雪を下山することができず・・・・ お仕事キャンセルしてしまいました。

久々のイベント、楽しみにしていたのに・・・ガッカリ・・・・。



なんだか、日本の波動に馴染むのが難しくって、それとリンクしてとっても感じるものがあり・・・・・

自分で自分に、創造療法をしてみました。

降りてきたのは、宇宙からのシンボル。

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そして、描画で表現できないものは、身体を使って踊って表現し尽くしました。

約1時間くらいは踊っていたと思う。

途中、ヨガのポーズみたいになったり、死んだみたいになったり。

とにかく、ダークネスでした。




たくさん、表現したらとてもエネルギーを消耗したみたいで、

ストーブの前の床で3時間ほど、ばったりと、死んだように寝てしまいました。

翌日の朝、カーテンを開けると、また雪でした。


春の雪2.jpg


春の雪は、マジカルです。

明日の新月に向けて、わたしは、エネルギー的な準備が進んでいるようで

内側で、いろんなことが起こっています。

いろんなことが、わかってきています。






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2016年12月14日

ご近所に住む鹿さん



天空の森は、動物たちもたくさん住んでいます。

人間が生活する音がほとんど聞こえないこの天空の森では、

夜、

静かにしていると、森の動物が鳴いているのがわかります。

鹿さんたちも、毎日、鳴いています。



夜、運転中に、天空の森付近で、最近はとても頻繁に鹿さんと出会います。

週3くらいで鹿さんと対面します

メスの鹿さんは、車のライトをみつけるとすぐに逃げてしまうのですが、

オスの鹿さんは、すっくと立ったまま、こちらをじっとみつめます。

わたしも、じっ・・・・・とみつめます。

わたしと、鹿さんのあいだで、目に見えないコンタクトが始まり、交信します。

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2016年12月07日

保健・美容氣功講座



先日、長野で行われました「保健・美容氣功講座」という魅力的なネーミングの講座に参加してまいりました。

一生、学びですね〜。 学ぶことが大好きです。

山下道場主催の山下先生は、ヨーガもご経験されて、氣功や即興の舞も行うおかたですので、

わたしとの共通点がバッチリはまっています。

最近、ちょこっと、合気道も趣味で始めたわたしですので、

こちらの先生の「氣」のお話もとてもすんなりと理解できました。



美容保健氣功.jpg




学んだことのすべてを活かして、これからのわたしの人生、活動に役立てて、たくさんのかたへ癒しを広めていきたいです。

とてもしっくりくる居心地の良い、本当に素敵な出会いでした。

ここでお会いしましたかたがたと、近いうちにまたお会いして一緒にお仕事しそうな気がするなぁ・・・・。





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2016年12月02日

創造療法が好きです


創造療法とは未知なるあなたを開花させる、心理療法とエネルギーヒーリングの両方の良さを活用した、前進的なアートセラピーのセッションです。

しばしば、自分で自分にワークをします。

なすがまま手が動くまま、体が動くままに創造していくことで、解放が自然と起こります。



描画で無意識層から表現をしたり、箱庭で世界を作ったり、紙粘土で立体像を作ったり、

布を使って空間を活用したり、楽器を使って音の波動を使用したり、声の波動を使ってみたり、

なんのルールもなく、先生もいないし、見本もないから目指すものもない、

そして、誰にも見せなくてよいからジャッジされることがなく、出来不出来にこだわることもない、

あるがままに生まれてきたものを、裁くことなく、あるがままに、ただ認めていく。

とてもとても自由で、枠や概念を超えた、楽しいセッションです。

マニュアルがないと困ってしまう、「自由」が一番難しい日本人には、とても必要なのでは・・・・と強く感じます。




わたしは、ときに、自分自身でワークするとき、体を使って行う時もあります。

子供にこれをしてもらうと、本当に楽しそうに、無意識層の叡智をめきめき発揮していきます。

大人の人は、ブロックがバリバリなので、無邪気になるのは難しそうですね。

わたしは、大好き。

自分で自分にこのワークをするときは「人からどう見られるか」という、大きなブロックからの解放に役に立ちます。

まるで、生まれて初めて体を動かした・・・・かのような新鮮な気持ちをもって動きます。

自分の中の、隠したい感情も、無かったことにしたい「悪」の部分も、見ないようにしている「闇」も、全部丸ごと、大きく表現しちゃいます。

すると、それは、それまで大嫌いだったものだったにもかかわらず、思いっきり自己表現することで輝きに変わっていきます。

「きれい」という概念のものだけを表現するなんて、つまんない。

だって、それは、社会の中で日常的に、いつもやっていることだから(いい人になったり、迷惑をかけないように生きたり)、いつもやっているままのパターンでやっても、セラピーにも、癒しにも、解放にも、ならないから。



自分の善いも悪いも、すべてを表現するのが、気持ちがいいのです。

体を使って表現すること、とても好きです。

踊る・・・・っていうか、身体にこびりついているエネルギーブロックをを解放するために、好きなように動く・・・・です。

それは、美しいダンスじゃなくていいし、誰かに褒められなくってもいいのです。

ご縁があって一緒に人生を送っているこの肉体とともに、ただただ、生きているこの「生命」を謳歌するのです。

だから、「表現すること」が大好きです。

踊ることも、歌うことも、楽器を弾くことも、ヨーガアーサナも、

うまいとか、下手とか、そういうの関係なく、

ただただ、好きなの。

だから、

創造療法がとてもとても、大好きです。

「生きる」ことは、いかにして自分をこの肉体と人生で「表現」していくか。

だと思うのです。




これは、11/26に、箱庭のなかで現れた、わたしの世界。

なんとなく、その時はアップするのがためらわれましたが、

いま、アップしたい気持ちになりましたので、ここに載せてみよう。


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愛に溢れまくっています。

ハートがどっかーんです。

そして、陰と陽が融合しています。

男性性にうまく、女性性が寄り添っています。

セクシャルエネルギー=スピリチュアルエナジー(クンダリーニ)もフル活用すると、暗示されています。

わーお!



創造療法セッションについてはこちら
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/411320156.html




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2016年11月04日

朝のひととき


イタリアの友人から頂いた「モカマシーン」でディカフェを楽しむ、光あふれる朝。

火にかけたときの、コポコポ……の音が好き。

ふふふ、いい香り・・・



コーヒータイム.jpg



とても疲れている今日は、優しい女性シンガーの声に目を閉じて心をユラユラとのせる。

ちょっと寒いけど、窓を大きく開けて、柔らかな風と、山の虫たちを迎え入れる。



「会いたいな」・・・と想う人がたくさんいる。

その人たちも同じように、たまに、わたしを想っていてくれるといいな。

会いたいな・・・






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2016年10月11日

昨日見た子猫の夢



「昨日見た子猫の夢」




広い広い体育館のようなホールである学会のような催し物をしていた。

それは、いわゆる一般的な堅苦しい学会ではなく、魔術的なものをカジュアルにしたような感じの趣旨だった、ような気がするがよくはわからない。

まるでハリーポッターの世界のように、ほうきに乗って飛んでいる人がいたり、手のひらで光を作ったりしている人たちがいた。

わたしは、そこに、参加していたが、わたし特有の自由スタイルで存在していた。

自由スタイル・・・・というのは、気が向いたものは拝聴し、そうでないときには好きなところに行ってしまう・・・というもの。

夢の中でも、「こうでなきゃいけない」という概念に縛られるのは好きではなく、必要だと直感で感じることのみ、没頭する。

ある発表が終了し、次の発表が始まると、わたしは興味がなくなり、そのホールの外に出た。

外に出ると、ある一角に木造りの小さな小屋があり、その小屋の中には暖炉があり、何人かが暖炉の周りで寛いでいた。

部屋に入ると、そこはまるで森の中のようだった。

森の匂いと、森の気配、森の湿度を感じた。

わたしはその数人の近くの床に座り、皆がなにかを話しているのをぼんやりと聞いていたが、さっぱり、意味が分からなかった。

わたしの知っている言語で話しているようだったのだけれど、まるで、違う言語で話しているみたいに、まったく理解ができなかった。

とくにわたしは話しをするでもなく、そのわからない言語を聞き流しながら、暖炉の火を見ていた。

小さな黒い子猫がわたしに近づいてきた。

子猫を手でふわりと触ると、先ほどまで暖炉の近くにいたようで、体毛がとても暖かかった。

わたしは、動物が大好きだ。

首やら、背中やら、撫でてあげると、わたしの膝の上に乗ってきて、そのままゴロンと寛ぎ始めた。

わたしはとても嬉しかった。

次の発表がホールで始まるらしく、そこで談笑していた人々は移動し始めた。

黒い子猫の飼い主らしき人が、「あなた、ちょっと子猫を見ててね」と言った(ように思えたが、言語は理解できなかったので想像した)。

子猫はわたしによくなつき、抱き上げたり、頬にすりすりしたりして、お互いの愛を交換し合った。

至福の時だった。愛がいっぱい。

わたしは、違う部屋に移動した。

黒い子猫を両腕に抱き、その部屋に入ると・・・・・、

その部屋は、大きな大きな窓があり、遠くの向こうに海が見える、広い砂漠の部屋だった。

子猫はするりとわたしの腕をすり抜けて、砂漠のほうへと走っていった。

砂漠のように見えたそれは、ツブツブのなにやらウネウネ動いている、不思議なものだった。

わたしは、あの見知らぬ彼女の飼い猫を離してしまって、もしも、いなくなってしまったらどうしよう・・・と心配になって追いかけようとした。

どこからともなく、3頭身くらいの背丈の、「不思議の国のアリス」に出てきそうな感じの、帽子をかぶった男が、ぬっそりと現れて

「子猫は大丈夫だよ、心配ない」と言った。

彼は口も表情も動かさずに、それをわたしに伝えた。

それは、耳で聞こえたのではなく、ハートに響いたかのように感じた。

それを聞くとすぐに、子猫が部屋の向こう側にあるどっしりとしたテーブルの陰から「ニャン」と顔を出した。

それまで黒かったその子猫は、いまは縞模様に変化していた。 

でも、それは、先ほどの子猫だとわかった。

また、子猫はわたしに近寄り、甘えてきて、わたしの腕に抱かれたがった。

わたしは、ウネウネ、ツブツブ、キラキラしている砂漠(のようなもの)の上に座って胡坐をかいて、子猫を抱き上げて愛撫した。

子猫は、わたしを軽くかんだり、ザラリと舐めたり、柔らかな肉球でパシパシしたりして、わたしを喜ばせた。

至福の時だった。 愛がいっぱい。

ほどなくして、子猫はまた、思い立ったように砂漠の向こうの海がよく見えるところに、タッタッタ、と弾むように駆け、一度振り返ってわたしをみつめてから、そして、あちらに行ってしまった。

「さあ、あなたはもう大丈夫。行きなさい。悲しむことはない。あなたはもう大丈夫だよ。」

そう、聞こえた(ハートに響いた)ように感じた途端に、わたしのハートに、ポッ、と柔らかい光が灯った。

それは、とても、とても、温かく、柔らかく感じた。

じーんとして、涙が溢れたように感じたが、実際には、涙は出ていなかった。

子猫はもう、そこにはいなかったが、なんだかずっと、一緒にいるような気がした。

わたしは、なにかを決意し、振り返り、「よし!」とその部屋を出た。

子猫の温かさが、ずっと、記憶に残っていた。

ハートの温かさが、ずっと、続いていた。


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2016年03月17日

チェロ・木の癒し



ご縁がありまして・・・・・

チェロを触らせていただく機会に恵まれました。

ケースの蓋を開けた瞬間から・・・・!!

もう、この「木」の波動が、たまらないっ・・・・

はぁぁぁ〜〜〜〜〜〜・・・・と、官能のため息が漏れます。。。

触らせていただいて、そして、抱かせていただいて、

もう、本当に、素敵。 素敵すぎる。

「木」からの波動が、優しすぎる、温かすぎる・・・・。



初めて手にしますので、弾き方なんかも全然わからないのですが、

音を出してみて・・・・、楽器を抱いているわたしの身体全体に、その「木」からの振動が伝わってきて、

そして、わたしの波動と共鳴していって・・・

深い、深い、癒しへと導いてくれました。

はぁ〜〜、本当に素敵。 素敵。 素敵。

チェロを習っているわけではなく、機会がありま詩て、試しに触らせていただいただけなのですが、

本当に、本当に、よかったぁ〜。

感動でした〜


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

旅のランチスタイル



夏ころからずーーーーっと、日本のあちこちを訪れております〜。

最近では、わたしの軽自動車でも長距離ドライブができる!と自信がつきましたので、

あちこち、それはもう、あっちこっち、導かれるままに出向いております。

車で旅をするときの定番ランチスタイルはこんなかんじ。


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公園、カセットコンロ、味噌汁、お蕎麦、玄米コーヒー、

そして、お日様と、そよ風、鳥の声、空の青。

スーパー質素だけど、なんて贅沢な時間なのでしょう〜。


旅のランチ1.jpg


そんなわけで、体調を崩してしまったりして、ご迷惑をおかけしたりしていますが・・・・

明日から、ネパールでボランティアに行ってきます〜〜〜〜〜







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

山の神


毎日通る自宅の近くの場所に「山の神入口」と、小さな板に書かれた看板があります。

いつも、気になっていたのですが、ちょうど上り坂のカーブのところでしたので、いつも素通りしていました。

先日、

そこを、通り過ぎた瞬間に、ある鋭い感覚がありまして、お、これは何かあるぞ、と思い

「行ってみよう」と、Uターンして、細いその「山の神入り口」を車で入って行きました。

民家が立ち並ぶその路地は、ぐんぐん、急こう配で山へと登って行きます。

空き家がいくつかあり、そのすぐ先に、さらに少しだけ登ったところに、山の神さまはいらっしゃいました。



ガラリ、と波動が変わっていて、「うわぁ〜」とため息がでました。


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すごい、聖なる波動。

あきらかに、神域です。

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この質素な鳥居の周辺は、まさに、神域との境目の波動で、ぐにゃぐにゃしていました。



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少し奥はちょっと開けていて、手を挙げて合図をすると、山の上のほうから、風がザザザザァーーー、と吹き下りてきました。

自然との調和です。 ばっちりです。


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本当に素晴らしい聖域でしたので、皆さんにもおすそ分けします。

届きますように。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

わたしが生命を表現すること



少し前ですが、

山梨県のとある山奥で開催されました、音楽と舞のイベントに行ってみました。

当日、突然の思いつきでしたので、どんなものなのかはさっぱりわからず、直感のままに行ってみました。

ここで感じましたことは、本当に素晴らしかったです。


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表現方法って、いろいろありますよね・・・・

絵を描く、詩を書く、ものづくり、作品を作る、歌とか、舞とか、祈りとか、楽器を弾く、話し方、立ちふるまい方、ファッション、髪型、生き様、などなど・・・・

創造性から湧きあがってくるものが、ほとんどだと思います。

そして、たいてい、それを表現していてとても楽しいしワクワクしている。

それには、上手いとか、下手とかいう、人間が勝手に判断するジャッジメントは必要ありません。

いかに、そこに「自分の生き様」を込めているかによって、例え、上手ではなかったとしても、人は魅了されます。

とくに、光ではなく、闇の部分を、思う存分表現すると、人はぐんぐん、引き寄せられます。

そこには、完全なまでの、魂を揺さぶられる感動があります。


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わたしは、光のお仕事をするために生きています。

光は、光だけでは存在できず、闇を持つことによって、光がさらに大きくなります。

光が多きければ大きいほど、闇も深く、濃いということ。

その闇さえも、闇の姿のまま極めて行くことによって、光と同じように尊いものに、なるということ。

わたしは、光のお仕事をし続けていくために、尊い闇をも愛し、表現していきたいと思います。

うまく、言葉で伝えることが難しいですが、人間は、光も闇も持つことで完璧なのだ、と強く感じています。



わたしたち日本人は、「間違えてはいけない」と「人に迷惑をかけてはいけない」という気持ちが大きすぎがゆえに、表現することが難しくなってしまっているのだと感じます。

でも、そういった性質だからこそ、誠実であり、世界で一番の国民である(と私は誇りに思っています)わけなのですが、その利点が裏目に出ると、「恐れ」となって何もできなくなってしまうのではないかと思います。

わたしも日本人なので、身を持って、そう感じています。

「自分を表現すること」は、間違いを恐れたり、人からどう見られるかを気にしたり、そういったことを超えていると思うのです。

「いまを生きる」

というのは、いまの自分をめいっぱい表現していいる、ということに等しいと思うのです。

わたしは、ご縁があって、いまのこの人生と、この身体と、この環境と、この人間関係に生れてきました。

人生の幕を下ろす時期がくるまで、わたしにしかできない、唯一無二の人生を、思う存分表現して行きたいと、心から思います。



昨年の秋から、体調があまり良くなくて、ずっと、無理してきましたが、

今月8月から、エネルギー調整と自己鍛錬のため、ヨーガのお仕事をお休みさせていただいております。

生徒さんの皆さまには、本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいですし、

そして、それでも、わたしを許して下さる生徒さんたちを、本当に、本当に、尊敬しています。

人は、支えて、支えられて、生きているのだと、しみじみと感じます。

わたしにできる、世界への貢献は、「わたしがわたしを精一杯表現して生きること」だと思います。

魂の歓びとともに、この人生を生きている、この生命を、めいっぱい、「わたし」で表現していきたいです。

そうすることで、支えてくださるたくさんのかたがたの、わたしなりの愛のお返しになるのだと、信じています。



そんな理由から、今月と多分、来月もヨーガはお休みさせていただいています。

おかげさまで体調不良も、少しずつ良くなってきていますし、私の中の「無」の部分からの叡智がどんどん、溢れてきています。

ヨーガ教室はお休みとさせていただいておりますが、

9月の19〜21の合宿は、わたし主催で開催させていただきますので、よかったら、皆様ご参加くださいませ。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/422334652.html

この合宿は、わたしの魂の歓びの表現のひとつでもあります。










posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

新たな決意



わたしの、特別な「引き寄せの力」に、改めて、驚く。

わたしは、謙虚に生きているし、自信満々なわけではないし、

いつだって普通に、気持ちが落ちたり、自分の無力さに悲しくなったり、

もちろん、不安定になることもあったりして、怒ったりも、泣いたりもするから、

それほど、普通の人と違うとは、自覚がなくて、そんなに、ものすごい能力があるとは思っていないのだけれど、

でも、

どう考えても、神界から「特別扱い」されていることが、

どんどん繋がる神聖な存在たちでわかる。

あちらから、わたしめがけて、降りてきてくれる。

宇宙からのオーダーも、多い。

ならば、

きとんと自覚して、その道を進んでいこう、と思った。

2015年 7/25 時間を外した日に、福井の空を見上げて。



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2015年05月18日

ヘナアート描いてみた



100%自然の植物素材のヘナ。

よく、髪を染めたり、癒しのパックなどに使ったりされていますが、

肌に少しの間沈着する性質もあるため、1週間ほどで消える安心なおしゃれタトゥーとして使われてもいます。

もともとはインドで使われているもので、インドではおしゃれででがなく、スピリチュアルな意味が含まれていて、結婚式などには、両手、両腕、両足に、ぎっしりと、模様を描いたりもします。

インドでは、メヘンディという名前で、とても伝統的な文化です。



自分できちんとヘナアートを描いたことがなかったのですが、初めて、描いてみました。

そしたら、ものすごい楽しいの。



これは、描く前から龍のイメージが出てきて、でも、ちょっと龍を描く自信はなかったので、蛇を書きました。

インドでは蛇は神様です。


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すると、トライバル柄が次から次へと浮かび上がって、スルスル、迷うことなく描けちゃいました。


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本当に、不思議なのだけれど、まるで知っているかのように、スルスル描いている、わたし。

初めてやったのに!


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そして、もう一つも、

一つの線をかくと、次に書くものがわかり、その次の模様を描くと、すぐ次に描くものが浮かび上がって、

なんの迷いもなく、ここまで描きあげて、

そして、・・・・・うん、大満足。


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ヘナアート、モーレツに、楽しいです!!!

自分の創造性が、溢れてくるの。

楽しいっ!!



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月25日

水の中の魚


とある水族館にて。

とても素敵な時間を過ごした。



この水の中に泳ぐ魚のように

力を抜いて、優雅に生きよう。

るるる。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月06日

創造療法へのアプローチ


おかげさまで、

創造療法〜セルフクリエイティブセラピー〜

が、とてもお役にたてているようで、大変、光栄な気持ちです。

「創造性」「無」「自己の宇宙」から、ご自分自身の手と身体で、

誠実にそれを表現していくそのご様子は、

本当に、奇跡であり、宇宙的であり、とても美しく輝いて見えます。

ご自分自身としっかりと向き合おうとされる、そのひたむきであり、真摯なお姿に、

わたしは、ただただ、ありがたい気持ちで寄り添わせていただいております。



創造療法は、私自身がとても好きなセッションで、

実際に受けてみまして、これはすごい!!!と納得したからこそ、

ご縁のあるたくさんの方々にも、受けていただきたいと思って、資格を取りました。

ですので、自分で自分に、創造療法に似たようなことを行うこともあります。

創造療法を指導するには、独特の高次元の技がありまして、

「人間的な視点と、神聖な霊的な視点」というのを両方から持ちます。

それは、人生を歩んでいるその人と、そして、魂的な部分でいう神性を、同時に見つめることができます。

そうすると、すべては、すべて、無駄なこと不必要なことなどないのだ、ということが、痛いくらいわかります。

そのかたの、一見ネガティブな部分や闇の部分も、とても大切な宝物なのです。

その逆に、光に溢れていればよいというだけではない、ということもあるのだということにも気がつかせられ、

その点では、ヨーガの思想と同じだな、と感じるのです。





セッションをクライアントさんに提供しているわたしは、それ以上に、自分自身のケアをしていきます。

どんなヒーラーさん、カウンセラーさん、エネルギーワーカーさんもそうだと思うのですが、

まずは自分がしっかりと、自分ときちんと向き合って学んでいく姿勢でいなければ、他のかたへのセッションは難しいです。

自分の内側と向き合う・・・・・・。

必要だと感じるときに、自分の創造性へとアプローチする時間を作っています。

それは、自分自身の人間的なエゴの部分と、神聖で霊性の部分を、両方から愛する目線で見ること。





テーブルの上に、白い紙と、クレヨンを用意して座りました。

まずは、ぼんやりと頭を休め、なにも期待しない、なにも気負わない、という心を作ります。

なにか書きたい気持ちが現れるまで、ただぼんやりと座って窓の外の山々を見ていました。

森に沿うように立つこの「天空の森ヒーリングスペース」は、静かに耳を澄ませていると、自然の音だけが聞こえてきます。

地球に育まれていることに、安らいでいきます。

森の中から、変わった鳥の声が響きました。

その瞬間、

「あなたが地球に生まれたわけ」

と言葉ではない言葉で、ダイレクトにハートに伝わってきました。

自然界の生き物たちは、いつも、わたしをサポートしてくれます。 鳥や、虫でさえ。

わたしは、響いたその言葉をじっくりと味わい、それに、ふんわりと心を委ねます。

目の前の白い紙に目を落とすと、最初は小さなビジョンから、徐々に派生して、大きなイメージが湧き

もつれて絡み合った糸がほどけていくみたいにして、

クレヨンの色たちが、みるみる、白い紙を埋めていきます。

動くがまま、手を動かし、

その動いている腕の動きは、耳では聞こえない宇宙の旋律が絡み合っていくかのよう。

本当に、奇跡のようです。 自由。

「無」から「有」ができあがる。

なにも意図を持たず、結果の善し悪しに囚われず、ただ、出てくるがままに、描く。

なにも、出て来なければ、それは、出てこない、ということが必要だということ。

すべては、完全なる、「いま、ここ」。

素晴らしいです。

描画から、ふと顔をあげ、窓の外を見ました。

向うの山々が、悠々と広がっています。

一陣の風が吹いて、山の木々から、木の花粉?芽?花びら?が、

まるで、粉雪のようにふわふわと美しく舞い、

窓の外のテラスに、さらさらと降り注いでいました。

森からの祝福です。

とても嬉しい気持ちになりました。

これからも、自分を信じて、

前を向いて、歩いていこうと思います。


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2014年08月14日

丸裸の森



我が天空の森の裏山にて。

洋服を脱いで、下着も脱いで、

ユキというラベルも脱いで、

「社会」を全部、脱ぎ捨てて、

真っ裸で森と調和しました。


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全裸のわたし。

ただの、わたし。

地球の中の、ちっぽけな一部。

地球に心を開くと、優しく迎え入れてくれました。




自然に、周波数を合わせます。

「人間の私モード」では、感じられないことが、とても感動的に感じます。

木の葉が自然に舞い落ちる、小さな音と、かすかな空気の揺れ。

虫の羽音が波うつ、波動。

木漏れ日がユラユラと模様を変えていく、土と落ち葉。

よく目を凝らすと、実に無数の虫たちが生きている、大地。

土のにおい、木の幹の匂い、虫の死骸の匂い、わたしの肌の匂い。

小川のせせらぎが、コソコソ内緒話してるみたいに、わたしの耳までやってくる。

わたしは、地球。

私がどんどん広がっていく。

手放せば、手放すほど、

わたしは、すべてを手にしている。




カリンバも弾いてみた。

音が、まるで音符になって、あちこち飛び回っているようだった。

隣の栗の木が、いまにも、くねくね、ダンスをしそう。

山が楽しそうにしていた。


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ここまで来た、森を振り返ってみた。

森の木々の向こうには、我が家がある。

木々の隙間からは、もう、建物は見えないけれど、人間が住む気配はわかる。

丸裸の私がここで。

森の中にひとり立ち、人間界の様子を窺っている。

野生のシカや、猪たちも、こんなふうに、わたしが住む、すぐ裏山で、わたしの生活を窺っているのだろうか。

野生の動物に周波数を合わせてみる。

胸が、わくわくした。

人間って、窮屈だ、と思った。



不思議なことに、

裸だと蚊に刺されないけれど、服を着た途端、蚊が寄ってきたよ。

自然と同化していたんだね。

洋服は「社会」だね。

不自然。

脱ぎすてると、なんて気持ちがいいんだろう。

自然は、なんて居心地がいいんだろう。


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2014年07月19日

今朝の夢 胸を開く


今朝の夢。

「あなたは、胸の中に、異物がありますから、胸を切り開いて取りだす手術をしましょう。」

そう、お医者さん(多分)に言われたようです。

わたしは、ショックで、ボーっとしていました。

それを言われたのが、ヨーガクラスの直前だったので、まもなく生徒さんが集まってこられました。

3〜4名の生徒さんと一緒に、集合場所から少し離れたところに移動しました。

なぜか、窓からそとにでたり、人の家の庭を通ったり、フェンスをよじのぼったりしながら、移動しました。

覚えているだけで、Nさんと、Wさんが、いました。

わたしは、胸を開く手術のことを、ふたりに話しました。

おふたりは、聞いてくださいましたが、相槌もなく、なにも言いませんでした。

わたしは、「異物を取り除く」というポジティブな結果よりも、「胸を開く」って痛そうだ、とネガティブなほうばかりが気になっていました。

そう、考えただけで、鳥肌が立って、胸がジクジク痛くなりました。


************


そんな、夢を見ました。

数日前から、ずっと、胸にあるひっかかりがあります。

またわたしは、人を傷つけてしまったかなぁ、ととても悲しくなっていました。

いつも、誠実に生きようと、心がけて、そして、実践しています。

そのとき「必要だ」と思うことだけを、言ったり、行ったりしています。

ときに、それは、他の人には重すぎたり、きつすぎたりするのかもしれません。

すると、あとでそれに気付きます。

そして、悲しくなります。

悲しくなる必要は、ないのだと思います。

夢の中の「異物」は、これですね。

その囚われから、解放されるときなのですね。

心をこめてお祈りして、あのかたに、わたしの真意が届きますように。









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2014年04月23日

グランドクロスのつぶやき


昨日から、なんだか、不思議な感覚。

カッ、と熱くなったり

ストン、と低空飛行になったり、

やりたいことがなんでもできるという、ウキウキの、万能感だったり、

鳥がいっぱい寄ってきたり、

光が、ふわふわ、飛んでいたり。



今日はグランドクロス、なんだって。

占星術は専門外で、わたしはあまり詳しくないけれど、

頭ではない部分で、宇宙は、とても身近にあり、とっても大好き。

今年は、2回グランドクロスがあり、そして、その2回とも、ネパールにいる、わたし。

という、すごい偶然。 いや、偶然じゃないのかも。

googleで調べたら、グランドクロス、

とにかく、「決断と変化」「節目のとき」「自分のありのままを出す」「ジャンプするべき」なーんて、出てきた。



今朝の夢も、リアルだったな。

夢の中で、赤ん坊の身体をしたインド人の老婆に、「11日にしなよ」と、はっきりと、言われた。

なにを?11日に?

Sさんに、首を奇妙な形でマッサージされたら、唇からたくさんのアリンコみたいな、羽虫みたいなのが、出てきた。

「虫」は、わたしにとって、エネルギー的に癒し的な象徴なのです。

気持ち悪くなんかないのです。

遠隔ヒーリングのときに、虫さんたちは、お手伝いしてくれたりもします。

この夢は、確実に、なにかのメッセージだな。



昨夜の瞑想は、すごかったな。

いま、このネパールでティーチャーズトレーニングコースを教えているのだけれど、

そのコースの講座の中での瞑想で、自分が、あっちに行ってしまって(笑)

わたしはティーチャーだというのに、

サマディーの状態から、戻ってくるのが大変だったな。

自分がエジプトのミイラになったみたいに感じた。

その、感覚のまま、今日も、一日いました。

表裏一体、みたいな感覚。

すぐ、あっちに、いけちゃう。

だから、できるだけ、世俗から離れていたい、という気持ち。

できるだけ、喋りたくない、という感じの一日だった。

世俗に・・・・、三次元に戻ってきたくなかった。

仕事に、ならん(笑)

でも、おもしろい。

なんだろうこれー、なんか、あたし、昨日から変だ〜、って思っていたら、グランドクロス、って情報。

わたし、その影響か?

今日は講座がお休みの日です。

午後のひととき、

「ハトホルの書」を、読み始めて、ドキュンと来たのと、懐かしさを感じたのと、宇宙のことやワンネスのことやいろいろいろいろ思い出したのとで、泣きそうになった。

全然、泣く本じゃ、ないのにね。

宇宙は、最高だ。

わたしも、本を書くべきだ、って、メッセージが来た。

さて、なにについて書こう。

経験した、不思議なこと、ブログでかけないこと、人にも言っていないこと、自分でも忘れていること、

不思議なことが、もうあたりまえの日常になりすぎて、いちいち、驚かないし、いちいち、人にも言わないようになっている。

すごーい、たくさんある、不思議体験、すべて書くか?

まずは、神様。

時間と、カミングアウトする、勇気をください、だな。

つぶやきでした。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

「枠」が、はずれた


また、

「枠」が、はずれた。

何度も、嵐が来て、心が泣き叫んで、発狂して。

そして、また、覚醒され、封印が開いた。

これは、すごい。

とても、自由。 穏やか。

そして、愛そのもの。

どうやって、この力を、世界に、地球に、使っていこうか。

楽しみだな。



「枠」から自由になってみると思うのですが、

この「枠」があるからこそ、「自由」も存在するんですね。

尊い学びの為に、「枠」も、必要な存在なのです。

「枠」がなければ、「自由」という概念さえも存在しない。

相対するもの。 光と闇。 陰と陽。 月と太陽。 

すべては必然であり、必要があって存在する。

そして、そこから学ぶからこそ、人間として、今の時代に生きている。

だから、「枠」を怖がる必要はないし、毛嫌いすることもないのだね。



でも、「枠」の中の渦中にいて、苦しみ、呻いているときは、

それがわからないのであるから、暗闇で、悶えて、足掻いて、苦しいのだけれどね。

でも、苦しいんだけれども、人間は、

この苦しみを「味わえる」ことができる、素晴らしい生き物なんだ。

「自分」という人生ドラマの中の、ドロドロも、ギトギトも、

じっくりと、堪能して生きていこうじゃないか。

それは人間だけができる、特権なのだね。

そう、受け入れると、「枠」はとれるんだな。



魂がわくわくすることを、やればいいのだよ。

その、気持ちに向かって進めば、あとは、宇宙が味方してくれるから。


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2014年02月13日

ジャズライブ



たまには、遊んでる記事も・・・・・・(笑)

このブログに載せる内容は、シリアスなことが多いのでねー。

実際のわたしは、結構、抜けてて、自由ですよ。お会いしたことある方は、ご存知ですね。



先日、東京のお気に入りのジャズクラブに行きました。

ジャズ、大好き。

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2007年まで、ここ、吉祥寺に住んでました。

今よりも、少し若くて、今よりも、経験が浅くて、

そのときなりに、悩んだり、シアワセだったりしていた、自分を思い出しました。

懐かしいなぁ。 若かったなぁ。

あの頃も、こうして、ひとりでジャズライブに来て、空間に身を委ね、サウンドに身体を揺らしていたっけ。

音楽も、ダンスも、大好きだった。

また、踊りたくなりました。

昔は、ダンサーもしていました。 

プロではないけれど、海外に住んでいたころは、素人のショーにも毎晩、ダンサーとして出演していました。

また、踊ろうかな。



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2013年11月09日

陶芸教室



毎日が、たくさんの出来事と、出会いに満ちています。

先日、陶芸教室に行ってきました。

はじめての体験!

ワクワク、がとまらない!



作った作品は、こちらでーす!

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蓮の花をイメージしたの。

天空の森アシュラムにお越しくださったかたに、お茶をおいしく召し上がっていただきますように、

湯呑茶碗を作りましたよ。

焼きあがると、ピンク色の、まさにロータスの感じです。

かわいい。(*^_^*)



まもなく、インドに行ってしまいますが、帰ってくる(つもり)でいますので、

どうぞ、山梨の我がアシュラムに遊びにお越しくださいね。








posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月13日

つらつらと


つらつらと、日記でも。



思うところがあり、昨日から断食中。

今回は、水とお茶だけです。


一晩たった今朝も、まだ、食べたい気分ではないので、今日も断食にしようかな。

わたしは、不思議なことに断食しても痩せないのです。

普段の食事も、本当に、質素で、無駄なものは食べていないというのに。

それはきっと、食物ではない部分から、栄養をいただいているのでしょうね。

それは、エネルギー、光、気、プラーナ、いろいろな名前がついていますが、きっとそれらです。



一昨日は、東京でお教室がありました。

お久しぶりにお会いする方々でした。

みなさん、待っていてくださってありがたいです。

笑顔がキラキラ輝いていて、わたしもつられて、キラキラになりました。



仕事のあいまに、用事があり、江ノ島龍口寺へ。

ご縁の深いお寺さんです。

翌日大祭があるようですので、屋台がたくさん出ていて、とても賑わっていました。

龍口寺.jpg



昨日は、身延道場に、道場のお掃除などのご奉仕に行きました。

窓を全部開け放つと、清々しい風が吹き抜け、わたしを歓迎してくださっているようでした。

断食の時の、独特な心の静けさの中、祭壇の前に座り、瞑想をしました。

ここにいると落ち着きます。

まるで、抱きしめられているような、安心感で、少し、胸が熱くなります。

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身延山久遠寺 御廟所参拝。

不思議な方をおみかけしました。

はだしで歩いて、片手には法螺貝。

ああ、ヒーラーさんだ、と、仲間の直感です。

彼女が吹く法螺貝の音を、私も近くでこっそりいただきました。

みな、それぞれが、それぞれの形で、祈ります。

祈りよ、世界に届け。

久遠寺.jpg



断食中は、気付きがすごいです。

一秒、一秒、毎瞬が、気付きと、浄化と、覚醒です。

ある意味、厳粛な気持ちで、それらを受け入れます。

わたしは、わたしでよいのですね。

誰と、比べることもない。

あのかたにも、あのかたにも、そして、あのかたにも、幸あれ。


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2013年09月05日

夏の終わりの湘南



夏が終わる。

湘南 片瀬西浜。

まだ、ギラギラと日差しは強いけれど、

風は確実に、秋の匂いを運んでくる。




夏の間、大盛況だった、たくさんの海の家も、

8月いっぱいで終了し、

徐々に、荷物を運び出している。

数日後には、建物も、全部、解体するのだろう。


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ああ、海はいいな。

みんなが、解放される。

海は、わたしのことを何にも知らないけれど、

でも、なんでも知っているのだ。



海の向こうに想いを送る。

世界中の友人たち、愛する人間たちに、愛を広げる。

私は非力で、彼らの苦しみを、直接、救ってあげることはできないけれど、

せめて、風に乗って、想いよ、届け。



どうしても、助けてあげられなかった、異国の友人。

助けてあげることはできない、自分が許せなくて、

自分の心を慰めるために、なんとか、できないかと、思案した。

でも、

やさしい言葉をかけると、

相手に、期待をさせてしまって、

余計、苦しめてしまうんだ、と学んだ。

結局、救えないのなら、

あれこれ、かき回してしまっては、

余計、傷つけてしまうんだ、と学んだ。



そして、

わたしも、とても、胸が痛かった。



ヨーガの教え。

「助けられないのなら、沈黙を守る」



せめて、

この愛が、

風に乗って、海を越えて、

あの人の苦しみを癒しますように。


片瀬西浜.jpg




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2013年07月14日

morning asana practice in the refreshed park




わたしの 呼吸 と

地球の 呼吸 が

ひとつに なる

I am here.

I am feeling a universal language.

そして、 宇宙。



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2013年05月29日

ピアノナイト



先週のことですが。

山梨県の八ヶ岳の森の中のペンションパペットさんで、

プライベートピアノパーティに参加させていただきました。

ひょんなことから知り、ためしに、わたしも行ってもいいかしら?と聞いてみたところ、運よくOKをいただきました。

ペンションパペットさんのオーナーさんが、富士河口湖町が行っているショートフィルム大賞のグランプリを獲得されたということで、その、プライベート上映会でした。

その映画の中で、小林真人さんというピアニストのかたが曲を提供されていました。

小林さんと、映画の監督さんはお知り合いだそうで、小林さんもその上映会にいらっしゃっていました。

小林真人さんは、最近の小中学校の音楽の教科書に載っている「明日を信じて」という曲を作った方です。

すごいかたなんですねー。

映画が終了後、生ライブをしてくださいました。

なんと4曲も、即興で、自由に、メドレーで弾いてくださいまして、わたしは感動して涙がウルウルしていました。

本当に、本当に、素敵。

心の奥深い、深ーいところに、しっかりと響きました。

実は、こっそり(笑)スマホに録音したので、あれから、毎日、毎日、聞いています。

電車に乗るときも、家にいるときも、毎日。

とっても、素敵。何度聞いても、ピアノの音色は心を開きます。

わたしも、ピアノが弾きたいな〜、と思いました。 弾けないけどねー。

そういえば、結構前からピアノが弾きたいと思っていたのです。

家族から「ピアノは調律とか面倒くさいよー」と反対され、半ばあきらめていました。

時間を作って、始めてみようかな。

やりたいと思っていること、やらなきゃもったいないね。



誕生日だった友人が、2曲、小林さんの伴奏で歌ってくれました。

話をするときの声とまったく違って、透き通り、澄み渡るような歌声。

うっとりと、我を忘れて聞き惚れてしまいました。

ああ、わたしも歌が歌いたいな〜、と思いました。 単純ですね(笑)

歌いたいなー、インドでは、毎日歌っていました。 鼻歌ですけどねー。

日本は、わたしにとってちょっと窮屈かな。

ついでに、踊りたい。

これも、何年も前から踊りたい踊りたい、と思っていたけれど、時間とチャンスがなくて叶わずでした。

踊りたいな。

心が開くこと知っているのに、それを我慢していたらもったいないね。

数日前、3時間の瞑想の後、「踊りたい、歌いたい、楽器を弾きたい」と、ダイレクトに感じました。

わたしに必要なのは、「表現をすること」。

それは、体全部で、私が持っているこの肉体と物質的なもののすべてでの表現。

わたしは、言葉が苦手なのです。

私が感じている、この、深くて、大きな感覚は、言葉では伝わらないのです。

とても、もどかしい。

だから、表現したいな。



本当に、素敵で、素晴らしい夜でした。

窓からは、満月の前夜の、ほぼ真ん丸なお月さまが、森の上のほうからぼんやりと浮かんでいました。

深呼吸すると、森と満月と一緒に呼吸をしているようでした。

あの夜が、忘れられないな。

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2013年05月26日

満月の祈りのビジョン


ウエサク祭の満月の昨日。

早朝の瞑想のときに受け取ったヴィジョン。

写真を横にしたかのように、左側からあがってくる朝日と、

ひっくり返して、天地が逆さまになって、上空から生まれ出てくる朝日。

はっきりと、見えたヴィジョンから感じ取ったメッセージ。

「自分の概念をひっくり返したところ、または、状態から、朝日はあがることもあるのだろう」

なるほど。ありがたい気付きをいただいた。

これからのわたしと、私にかかわる世界が、ひっくり返るのだろう。

楽しみだなあ。

昨日。

世界に向かって、ハートの泉から、愛があふれて地球を包みました。

苦しんでいる存在たちの平和を、心から、心から、お祈りしています。

天空の森山と太陽.jpg




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2012年12月10日

お野菜のチカラ★


ゆる断食 6日目に入りました。

毎日、「気づき」と「浄化」と「愛」が、すごすぎます。

楽しくって、やめられない!



ゆる断食・・・・とは、勝手にわたしが呼んでいるのですが。

いつもよりも、ゆるーいルールで断食していること。

基本的にはフルーツ。 できるだけ旬のもの。 それを好きなだけ。

あとは、お野菜のスムージー。

そして、お野菜のポタージュ。

私が感じる「サトヴィック(純性)」のもの、浄化の邪魔にならないものだけにしています。



なぜ、ゆる断食しているのか・・・・?

それは、地球の平和のための祈りなのです。

いま、地球は変容のとき。 がんばっているのです。

わたしも、心をこめて祈ります。

できるだけ長く・・・できたら、年越しまで・・・少なくとも21日まで続けたいので、

日常生活送りながらなので、ルールをゆるくして続けています。



でも、

体力的に危険な時は、もちろん、食べます。 まだ、元気だから大丈夫ですが。

それから、人からいただいた、ありがたい食物も、感謝していただきます。 

痩せたいためにやっているわけではないので、心と体を縛り付けるようなことはしません。

だから、全然、ストレスがないのですねー。



こちらは、スムージー。 菜っ葉、水菜、キャベツ、リンゴ。

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そして、ポタージュ。 かぼちゃ、ホウレンソウ、塩、無調整豆乳、ヴィーガンコンソメ。

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目を閉じて、一口ずつ味わいながら、ていねいにいただいています。

お野菜と大地のエネルギーを感じています。

感謝。


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2012年12月05日

今、一番欲しいもの


Oh my lord.

わたしに、

他人の悪いところを

見えないようにしてください。

何者をも、

分析したり、裁いたりしない、清らかな目をください。

何者にも、

怒りを覚えない、冷静さをください。

どんなことにも、

比べず、優劣をつけない、

公正さをください。

どんなにひどいことを言われても、

どんなにひどい仕打ちを受けても、

それをまるごと愛せる、

すべてを包み込む、慈愛をください。

ほかには、なにもいらない。

ものは、なんにもいらないから。

それが、いま、一番欲しいもの。

Oh my light.

Om
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2012年08月24日

わくわくリスト



ランチタイム。

お気に入りのカフェにて、くつろぎの時間。

ペンと紙をとりだして、

書き始めるは

「わくわくリスト」



心がわくわくすることを、書き出してみた。

ある、ある。

やりたいこと!・・・・ではなくて、

ただ、ワクワクすること。

キーワードがたーくさん出てきた。

わあ!



そしたら、もっと、ワクワクしてきた☆

マレーシアの少女.jpg


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2012年08月09日

縄文カフェ 焚き火会


一昨日の夜。

「縄文カフェ 焚き火会」に参加させていただきました。

場所は山梨県北杜市長坂。

東京近郊の近場の公園・・・・ではなく、遠いけど山梨の山の中に行きたかったのです。

その日の朝、この会を知って、ピン!ときて、その瞬間に申込んで、

東京の我が家から、ドンブラドンブラ、各駅停車に揺られて山梨まで帰りました。



こちらは、主催者の舘野さんが「野風草」という体験ステイできる空間を提供しているところ。

舘野さんは自然農をしてらして、その大切さをたくさんのかたに伝えたいと、強い信念を持ってらっしゃる方。

そのお庭に縄文時代の縦穴式住居を作って、その中で焚き火をしてお話しをしようじゃないか、という会です。

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す・て・き・!

地球、大好きなわたしは、「今夜行きます!」と、一瞬で決めてしまいました。



炎は、いいですね。

本当に、不思議と、心がどんどん落ち着いていく。

この小さな空間が、どんどん、愛しくなり、濃くなっていく。

むかしむかしの日本人たちは、こうやって、家族で交流をしていたのですね。

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インドでは「火」はとてもパワフルで、しかも崇高なものです。

火は、物質の中では一番すぐれたツール。

お金よりも、なによりも、素晴らしいものです。

お金は使えば減ってしまい、豪華な食べ物は食べれば消えてしまい、物質は時間がたつと古くなってしまう。

でも、「火」は、どんなに人々に与えても、決して減ることはない。

ケアをしてあげていれば、永遠に消えることもない。

古くなって悪くなることもない。

いつでも、同じクオリティで、不変でいられるもの。



食材を、人間の体に適応できるよう、調理することができ

不必要なものを、焼き消すことができ

寒さには、暖を

冷たさには、熱を

そして

暗闇に、光を与えるもの



さらには、炎は

常に、上へ、上へと向かう。

水は下へ、下へと向かっていくが、

炎は、下向きにしても、いつでも、上へ、上へと向かおうとする。

とても、パワフルであり、ポジティブなもの。



炎の中に、ドラゴン。

そして、

シヴァ神のコブラも現れました。

ありがたい。合掌



インドの霊性の高い人たちは、

朝起きて、すぐに、ロウソクに火を灯します。

または、アシュラムやテンプルなどの神聖な場所では、24時間、ずっと火を灯し続けています。

ヨーガの思想では、私たちの持つ「エゴ(無知、ignorence、アヴィディヤ)」を、

炎で燃やし尽くし、炎が人間として生きるためにもつカルマを清算してくれるよう祈るという意味があります。

そのような崇高なお仕事ができるほど、「火」というのは偉大な存在なのです。

アラティ(祈りの儀式)のときは、やはりまた、その崇高なる「火」を使います。



「炎」っていいですよね。

寒い時期などは、自然に人々が火の回りにあつまり、

心もどんどん、近づいて温まってくる。

寒い季節、

家族のだんらんの間に、暖炉などがあると、自然とコミュニケーションがとれて素敵だな。

わあ、私の理想だぁ。

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一昨日の焚き火会でも、焚き火を囲んで、新しく出会った素敵な人々とのお話も楽しかったです。

初対面でしたけど、不思議と、壁がなくなるんですね。

なんだか、もともと、友達だったみたいな感覚で、とても自然にお話しができました。

ほんと、素敵な時間でした。



9月に企画しています、私主宰の合宿でもキャンプファイヤーと称した、シンプルなアグニホトラ(火の祈りと瞑想)をしますよ。

自分のネガティブなものや、過去の記憶、許せないもの、強いエゴ、怒りや、悪い習慣、などなど

全部、その炎に捨てて、焼きつくしてもらいます。

ヨーガでは火のことを「アグニ」といいます。

浄化した後、満点の星屑の中での星空浴は、ほんと最高です。



素敵な空間、時間、それを、共有してくださった人々のご縁に感謝をいたします。

合掌


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

古い古本屋さん



一か月以上前から楽しみにしていたのに。

電車を乗り継いで、1時間以上もかけて行ったというのに。

行ったら予定が変更になったということで、期待が叶わず・・・・・・・。

仕事もわざわざ調整したのに・・・・。

がっかり・・・・して、ショックで、言葉も出ず。

なんで、いきなり変更するのよぉ〜!と、怒りがこみあげてきたけれど、

受付のお姉さんに怒っても仕方がない、とその感情をお持ち帰りにしてきました。



今来た道を引き返して、駅までトボトボ歩きました。

あ〜ぁ、せっかく急いで来たのになぁ。

来た時よりも、二倍のゆっくりした重い足どり。

しょんぼり・・・・が、なかなか回復しません。



これは、わたしの「自由度」を計るテストだな。

神様が、わたしの心の修行の進行度をチェックしているのだな。



そうはわかっても、やっぱり、まだちょっぴり、ガッカリ感。

これを、前向きにとらえなければ、このテストには合格できないんだろうな。



ふと、

足元から顔を上げると、昔ながらの商店街の一角に、古くて小さな古本屋がありました。

お客さんは誰もいないし、本も、ブックオフよりははるかに汚れていて、色が変色しています。

とっても、入りにくい、薄暗いお店。

でも、なんだかここに入りたくなりました。

この、薄暗いお店で、引きこもりたい気分。



一歩中に入ると、本屋さん独特の匂いがします。

プラス「年季」の入った匂いも。

狭い店内には本がぎーっしり。

ほんと、かなり古そうなものばかり。

分類分けされているような、適当なような、アバウトな陳列を、端から端まで、くまなく見ていきました。

特に、探しているものはないのだけれど、本好きは、本のタイトルを見ているだけでも楽しいものです。



私は「古本」が好きです。

この本を、誰か他の人が手にして、電車に乗るときや、リビングのリラックスタイムや、旅行などに持ち、その誰かの生活の一部となった時間があったのだな、

と思うと、その本の経験してきたことが、とても尊く感じます。

本の中に、ラインが引いてあったり、書き込みなんかがしてあると、もっとワクワクします。

時代を越えた、知らない誰かと、繋がる感覚。

素敵です。



薄暗いその古本屋さん。

中にいると、まるで別世界です。

静かで、ひんやりとしていて、外の喧騒が、まるで異次元のように感じます。

通りすぎていく人々の、会話の端々が、次から次へと通りすぎていきます。

まるでここだけ、時間が止まったかのよう。

古い机に、お店のおばあちゃんが眼鏡をかけて、新聞を広げ、パラリ、パラリとそのめくる音だけがやけにリアルです。

猛スピードで流れていく時間の流れのなかで、ピタリ、と立ち止まってみたら、ここにいた、はっ!いま気づいた、そんな感覚。

『私はどんな環境でも、自分の流れのリズムを乱さぬいこう』

そう、改めて思えた瞬間でした。

きっと、あの古本屋さんの、あのたくさんの古い本たちが経験してきた、数えきれないほどの人間たちの生活、そして人生から、

私はメッセージを受け取ったのでしょう。

古本たちは、人生の先輩たちと共にすごし、一緒に歳をとっていき、様々な場面を見て、経験してきたのでしょう。

心に染み入るような、よいメッセージ、確かに受けとりました。



一冊だけ、どうしても気になる本を購入。

300円。

おつりをくれるおばあちゃんのシワシワの手。

おばあちゃんも、たくさんの経験をしてきているのだろうな。



お店を出ると、さっきの「しょんぼり感」は、きれいさっぱり、なくなっていました。

今回の神様からのテスト、合格かしら。

足取りも軽くなっていました。


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2012年05月21日

銀河鉄道の夜



読書がダイスキです。

ほとんどがヨーガやスピリチュアルや、心理学に関するものなのですが、

気が向いたとき、スタンダードな文学もたまに読みます。

実家の本棚の隅っこにあった本を手にとりました。

「銀河鉄道の夜」宮沢賢治著。

「セロ弾きのゴーシュ」や「双子の星」その他14作からなる、文庫の短編集です。



パラパラ・・・・と、ページをめくってみます。

宮沢賢治の、このやさしい世界がダイスキです。

幻想的で、ロマンティックで、メッセージがたくさん投げかけてあり、ゆったりとした、詩的な文章がダイスキです。

せつなくって、泣きたくなってしまいます。

こんなピュアな気持ちを、わたしは忘れていたなぁ・・・・と、童心に戻れるような気がします。



宮沢賢治の作品は、一番最初は小学校のときから、大人になるまでに、もう何度か読んだことがあるのですが、読むたびに違う感情が生まれます。

読むたびに、心に響くポイントが変わるのです。

それは、わたしの心が成長している証拠なのだ・・・と思いたいです。



あるページに、7年前に私自身が書いたメモが挟まっていました。

わたしは、詩を書くのが好きなので、読んだときに感じたことを書いて挟んでおいたのでしょう。

「銀河鉄道の夜」の中の、主人公ジョバンニの言葉のところです。

沈没しかけた船から、ボートで逃げ出す人々のことを思って、涙を流しながら言った言葉です。



*****



『なにがしあわせかわからないです。 
ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。』



それを聞いた青年が祈るように答えました。

『ああそうです。 ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。』


ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。


*****


当時のわたしのメモの言葉。





何度も何度も読み返してしまいました。

なんども、なんども。



最近、ずっと心にひっかかってることがあります。

すべてを受け入れる、大きな心になりたいなぁ・・・ということ。

苦手なこと人並みにあるし、

人に対してこうしたらいいのに・・・と思うこともあるし、

居心地の悪いシステムもたくさんあるけど、

ぜーーーーーんぶ、するん、と受け入れられる人間になりたいなぁ。

そうしたら、きっと、もっと幸せなんだろうなぁ。

わたしは、まだまだダメだけれど、

すべてを受け入れられるように、

ゆったりと、穏やかに生きたいなぁ。



時には、些細なことにイライラしたり、

いろんなものを見てストレスを感じることもある自分自身に、

あとで、ああぁ・・・・・と嫌悪を感じたり、反省したりする日々だけれど、

そんな自分自身さえも、

受け入れられるようになりたいなぁ。






7年前のわたしが、そこにいました。

当時と比べて、今はどうなんだろう。

いまも、基本的には同じような気がする。

もっと、たおやかに生きたいなぁ、と思っているのは、おんなじだ。

でも、微妙に違うんだね。

受け取り方が、ちょっと、変化していることに気づきました。

同じものを読んでも、その都度、受け取り方が変わるのですね。

見えてなかったものが、きちんと、見えるようになった気がするのです。



昔のわたしと一緒に読み返した、何度目かの「銀河鉄道の夜」でした。

また、数年後に読み返したら、

恐らく、

違う感情が生まれることでしょう。


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2012年04月17日

「しなやかな心になるためのプロジェクト」向きを変える編



ヨーガの教えをいつも心にとめた生き方を目指しています。

毎日、ヨーガにどっぷりつかっています。



ヨーガの教えの中で

「苦しみも、喜びと同じように受け入れなさい」

というものがあります。

移ろいゆくこの世界は、所詮、いわば幻のようなものだから、

そのような変化するものに心を惑わされて、心を波立たせず、

真理を見なくてはいけないよ、ということとも理解でき、

または、

今の苦しみは、未来のために必要な痛みだから、

必ず、自分のためになることとして、受け取りなさい、ということにもとれます。

他にも、解釈の仕方はいろいろあるのですが。



「来るものは拒まず、去る者は追わず」

今まで、カルマヨーガ、そして、バクティヨーガの心で、人生のお仕事させていただいていました。

でも、気がついたんです。

「苦しみを受け入れ」・・・・というのは、その通りなんだけど、

だからといって、わざわざ、苦しみの方向に、自ら進んでいくことはないよなぁ、と。

人生の「無条件の愛からくる喜び」を、楽しんでいる中で、たまたま「苦しみ」がやってきたならば、

それは、welcom! と、受け入れればいいわけで、

「幸福」の中にいながらにして、わざわざ、苦しみを探し求めて、そこに向かう必要はないんだよなぁ、と。

そう、気がついちゃいました。

ああ、わたしは、いつのまにやら、「苦しみこそが、幸せの源!」みたいに、意味を間違えて解釈してないか? それを自分に植え付けていないか? と改めて自問してみました。

ちょっと、心の目線の向きを変えてみようと思いました。

いまこうして、「絶対なる幸福感」の中にいると確信しているというのに、別に、あえて、苦しみの方向に顔を向けなくても、いいじゃないか。

そう、わたし、とっても幸せです。 生きてるだけで、幸せなんです。

「苦行」することは、確かに大切ではあるけれど、それが、自然にやってきたら、喜んで「苦行」しようじゃないか。

機会が与えられていないというのに、「苦行」をわざわざ、探さなくてもいいじゃないか。

人生というのは、必要な時に、必要なものが、与えられるのだ。

「苦しみ」が必要な時には、その時に、自然に与えられるのだ。

だから、積極的に苦しみを探して、求めなくてもよいのだよ。

そうだ、そうだよ。そうなんだよ。

おっと、危ない、危ない。

間違えたまま、そっちに行っちゃうとこだったよ。

よかった、よかった、気づかせていただいて。

よし、向きを、こっち向きに変えよう。

気づかせてくださったかたに、大きな感謝をします。

こっち向きに、変えてみます。


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2012年03月17日

まっさらになる努力



まっさらに、なろうと思う。

「こういうときは、こうするもんだろう」 

とか

「普通、こうしたら、こうするのが常識だよね」

とか

そういうの、

考えない努力をしようと思う。

今までの、わたしの経験の中で学んできた、

「物差し」で

物事を、見ないようにする努力をしようと思う。

理想は、

子供に戻ったかのように、

まるで、すべて、初めて体験するかのように、

なんの「ジャッジ」もしないで、

「なるほど、そういうものなのか」と

なんでも、するする、受け入れられるように、なろうと思う。

どんなに非常識なことを見たとして、

それが、生まれて初めて見るものだとしたら、

「常識」も「非常識」もわからないわけで、

そうすると、ジャッジのしようがないわけだ。

そんなふうに、

まっさらな、目と、心で、

人間や出来事を受け止められたら楽だろうな。

人に対して、

こうして欲しい、

とか

こうあるべきだ、

とか

そういう「独りよがりの物差し」も、消滅する努力をしようと思う。

大人になる・・・・って、尊いものだけど

経験を積む分だけ、心のしなやかさが無くなっていくのかな、と思う。

ひとをジャッジしない、裁かない、まっさらな子供の心に戻る、

努力をしようと思う。


20137


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