2013年05月16日

イモムシくんにも


以前の記事で

犬にも、牛にも、子供たちにも

ハートが繋がることができると判明したわたし。

昨日、

神奈川のマンションの裏にある、小さな山の散歩道を歩いて、

帰路についていたところ、

かわいい、かわいい、イモムシくんたちが、

木の手すりを、ひょっこひょっこ歩いて(?)いるのを見つけました。

あっ!かわいい〜〜〜!!

と顔を近づける私。

イモムシくんの、あの、ひょっこひょっこ動きがかわいくって好きです。

じーーーっと、みつめて、ハートをイモムシくんにコネクトしてみました。

そしたら、イモムシくんが、くるりとこちらに方向転換して、やってきます。

木の手すりの際まで来て、わたしの顔のほうに、体半分乗り出して、

「そっちに行きたいよー」と、上半身だけでクネクネダンスをしています。

あはは〜〜、イモムシくんにわたしのハートが通じちゃった!

かわいーー!

よし、じゃあ、他の子にも!と、なん匹かのイモムシくんに、同じようにトライすると、、、

やっぱり、こっちによって来て、上半身を私の顔のほうに乗り出して、クネクネダンスを見せてくれます。

わあ~~、かっわいいなあ~~



結論。

わたしは、

犬にも、牛にも、子供にも、繋がることができるし、

さらに、イモムシくんとも繋がることができる、と判明。

あはは。



自然が大好き。

これは、木イチゴかな?

とっても、かわいらしいの。

わたしに話しかけてきましたよ。

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2013年04月02日

許すこと



あるかたのfacebookに書いてあった言葉が、とても腑に落ち、

ずっと、心に残っています。



「日本人は、子供のころ、人に迷惑をかけないように、教えられるけれど、

インドでは、人に迷惑をかけて生きていくのだから、人を許すように、教えられて育つ。」



なるほど、本当に、それが大事だよなぁ、と思う。



わたしは、立場上、偉そうなことをたくさん言っているけれど、

本当に、まだまだ、まだまだ、まだまだ、未熟すぎて、

自分の未熟さかげんに、がっかりする。

偉そうに、人前でヨガの思想を教えている、自分が恥ずかしくなる。

自分のエゴから、知らずに、人を傷つけてしまうんだ。

本当に、悪人だ、と思う。

エゴは、他人を許せないことから来るのかもしれない。

わたしは、生きてるだけで、知らずに他人に迷惑をかけてしまうのだなぁ。

そんな自分のエゴが許せなくて、許せなくて、自分が嫌になるけれど、

でも、そんな自分のエゴを、許していくことで、

もっと、人にやさしくなれるのだな。

もっと、人にやさしくなりたいな。

自分の中の「闇」を許していけれたなら。



今まで、傷つけてしまった方々に、どう、取り返しができるのだろう。

どっしりとした桜の木のように、無償で人々に、大きな愛を与えられる人になりたい。

まだまだ、ほど遠いけれど。


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2013年03月28日

妥協


「歩み寄る」ことと、「妥協」することは、違う、

という事実。



調和するため、より理解するために、

自分と相対するものに近づいて行くことは、必要。



だからといって、

自分の真実の声に背を向けることは、ない。



魂の声は、

「聞こえないふり」を続けていると、

やがて、

本当に聞こえなくなってしまう。


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2013年03月11日

大震災を忘れないで



大震災から2年経ちました。

どんどん、「過去の出来事」になっていき、

わたしも含め、人々の記憶から薄れて行きます。

でも、忘れてはいけないと思うのです。



過去の、ボランティアや、慰霊行脚のブログをもう一度読みました。

ここに、貼り付けておきます。



2011.3.26 爪痕
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10056518.html

2011.4.12 震度6
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10084983.html

2011.7.13 命の行進 
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10245548.html

2011.7.28 命の行進2
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10274877.html

2012.3.29 気仙沼の人々
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10693025.html

2012.6.7 命の行進3
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10787653.html

2012.6.19 命の行進4
http://blogs.dion.ne.jp/yukism/archives/10803868.html



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2013年01月03日

ゆるすこと



赦すこと

許すこと

緩すこと



赦せない!と思うことを、手放すこと。

許せない!と感じるエゴに、気付くこと。

緩せない!と決めつけていることを、払い落とすこと。



まずは、

自分自身を「ゆるしていく」と、

他人に対して、ゆるせるようになる。



世界は自分の内側の合わせ鏡。

まわりの文句ばかり言ってないで、

まずは自分の愚かさに気がついてみる。



目の前のことだけに、必死になっていると、

夜が明けたことにすら、気付かない。



「必死になる」というのは、そこに執着があるということ。

しがみついているということ。

これを成功させなければ、だめなんだ!と、頑なにこだわっているということ。

そこには、ネガティブが含まれているということ。



「こうあるべき」とか、「私ってこういう人間だから」とか、「絶対、こうしたい」とか・・・。

もう、いいじゃない、

そんなにしがみつかなくても。



あなたには、

あなたにだけしかできない、

あなたらしく生きる道がある。

それは、あなたが考えている「あなたという姿」とは違うのかもしれない。



必死になって、命を磨り減らさずとも、

誠実に生きて、魂を輝かせることができる。



世界は、こんなにも広く

地球は、こんなにも偉大で

わたしたちは、こんなにもちっぽけなのだから、

どうあがいても、変えられないものもあるし、

それに対して、怒っていても、しかたがない。



赦す。

許す。

緩す。



自分も、他人も、世界も、平和になる。


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2012年12月22日

Hello new world in love


昨夜の瞑想は、すごかったです。

言葉になりません。

様々なものを見て、聞いて、感じました。

日本語では、いや、世界中のどの言語を使っても、表現することができません。

すごかった。

皆さん、私の愛を受け取ってくださいましたか?

わたしは、しばらくこの、至福を、ゆっくり味わって、噛みしめて、生活しようと思います。


今日で、ゆる断食、18日めです。

よく続いています。

すごく清らかになってると確実に実感しています。

今まで、不必要なものを食べ過ぎていたな、と学んでいます。

わたし、とても元気で、痩せ細ることもなく、お肌もプリプリ柔らかくて、全然疲れないし、絶好調です。

人は思った通りに人生が進むので、

「食べないと死んでしまう」と思い込むと、そうなってしまう、、、

「食べなくても大丈夫」と思い込めば、そのようになる、、、

と最近読んだ本に書いてありました。

ホントだなあ、と身をもって実感です。

本日から、天空の森にてプチ断食合宿が始まりますので、このまま引き続き、断食続行です。

Happy new life to all of you!!

愛に溢れた、新しい地球と共に、ゆっくりと歩んでいきましょう。

かけがえのない素晴らしい一日を!!

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2012年11月25日

ロナワラが繋ぐ2人の最期



インド ロナワラにあります、カイヴァルヤダーマヨーガホスピタル、大学、研究所。

3年くらい前に、わたしはそこに滞在して、経験を積んでいました。

わたしはすでに日本でヨーガ指導をしていて、それをすべて手放して外国へと行ったときのことでした。

そのヨーガホスピタルに滞在中に、日本でのヨガの生徒さんの死を知りました。

そのかたは、私が日本を離れたあと、ガンで闘病し、亡くなった後、その方のお姉さんが、闘病中の彼女の日記に私の名前が何度も書かれていたことと、アドレス帳にわたしのメールアドレスがあったことから、メールをくださいました。

そのメールを読んだのが、ロナワラのヨーガホスピタルのライブラリーのパソコンでした。

とてもショックでした。

そのとき、ホスピタルには私以外に、もう一人、日本人の女性がヨーガセラピストコースでヨーガを学んでいました。

ちえちゃんという名前の彼女と、そのショックな出来事のお話をして、ふたりで人生のはかなさ、せつなさ、ヨーガの智慧の重要さを話しました。

その、ちえちゃん。

昨日、連絡があり、亡くなったと。

32歳でした。

脳内出血で、突然倒れたのだそう。

人生は、何が起こるかわからない。

ヨーガとアーユルヴェーダを研究し、インドやタイで学び続けていた、ちえちゃん。

今世の学びを終え、来世に旅立ったのでしょう。

でも、突然です。 

昨日は、ぼんやりとしてしまいました。

2009年6月、インドのロナワラ、カイヴァルヤダーマヨーガホスピタルに滞在した時に(プライベートなブログに)書いた日記を、見返してみました。

生徒さんの死を知った時のわたしの気持ちと、ちえちゃんの思い出が書かれています。

ご縁があって知りあって、同じ場所で繋がった2人について、記録として残しておこうと思います。

ご冥福をお祈りいたします。合掌

以下、過去の他のブログ日記より転載します。



******

「出会いは必然」2009年6月



チエちゃんは神戸出身で、最初はアーユルヴェーダに興味を持って、勉強しているうちに、そこからヨーガの学習へと導かれたそうだ。

インドで出会った偶然。すごいなあ。

彼女は
試験の最終日にわたしの部屋に遊びに来てくれたの。
 


久々に、スピリチ
ュアルな話ができて、とても楽しかった。

お互いの共通点もたーーくさんあって、ええーー!!ってふたりで驚いた。

そして、会話の流れで、わたしの学びたい事、そして、これから取りたい資格を、彼女は持っている、ということを聞いたんだ。

うわぁ! いろいろお聞きしたいわぁ。

彼女がそれを学んだ、南インドのヨーガの施設の情報をたくさんいただいた。

そして、ああ、わたしも、そこに行くな、こりゃ。と思った。



不思議だなぁ。

繋がっちゃった。

実は、わたしはつい一昨日、南インドに路線変更する決意をしたのだ。

ほんと、突然だよ! ひらめきで。

そして、その次の晩に、チエちゃんから、私が行く南の進路にある、よい情報をもらったので、びっくりしてしまった。

何にも無かったところに、ばらばらだったピースが少しずつ寄せ集まってきて、そして、道がどんどんどんどん繋がっていくなぁ。

まあ、そりゃ、偶然でしょ・・・・といったらそれまでだけど、そういう偶然をすごく大切にしているわたしには、「なるほど」と感じるものがあったんです。



その夜は、それ以外にもチエちゃんと偶然の一致がたくさんあり、ふたりで驚き続けた。

おもしろいね〜、繋がるね〜



******



「どうにもできないこと」2009年6月



こちらにきて、1ヶ月が経ちます。

自分の人生ばかりを考えて、自分勝手に旅に出てきたのですが

今日、

こんなことしていて、いいのだろうかと

考えさせられるニュースがありました。



このホスピタルには日本語が使えるインターネットがあるので、とても便利です。

さっき、メールのチェックをしていたときのこと。

すごく懐かしい名前を、宛名に発見しました。

彼女は、わたしのクラスに毎週欠かさず来ていてくれて、そして、いくつものクラスを全部参加してくれていた、生徒さんでした。

すごく痩せていて、でもいつも明るくて、そしてすこし毒舌な、印象深い女性でした。

わたしが海外に行くことで仕事を辞めると告白したときに、あの毒舌な彼女が涙ぐんでくれました。

涙ぐみながらも、口では、

「かんべんしてよー!勝手にやめないでよー!ダメダメー」

と、相変わらずの強い口調は崩しませんでした。



海外に滞在中は、メールを数回しただけで、わたしもなかなか思い出すことがありませんでした。



そんな彼女の、お姉さんから、今日、メールが届きました。

なんだろう?

と、メールを開いてみると・・・・

彼女は悪性の腫瘍で3日前に亡くなったそうです。

お世話になった人リストに、わたしの名前があったので、お姉さんがメールをしてくださいました。

闘病中の、12月30日の彼女の日記の中に、

「ヨガのクラスは本当によかった!ユキさんがいなくなったのは本当に困る。早く帰ってきて!」

と、書いてあったそうです。

私が日本の仕事を辞めたのは3月だというのに、9ヶ月間もわたしのこと待っててくれていたなんて・・・・・・。

その後も、何度かわたしのことが書いてあったそう。



ショックで、涙が止まりませんでした。

ホスピタルの図書館で、ぐすぐす、泣いていました。

まわりに座っている人たちは、見てみない振りしてました。




ちょうど、午前中に読んでいた、ヨガの聖典「バガヴァッドギーター」に書いてあった一説に

「人が死んで、泣くものは愚かものだ。私たちは肉体だけで生きているわけではないことを、賢者は知っていなければいけない。」
(かなり、略してありますが、勘違いされるといけないので少し柔らかくしてあります。)

というのがあったことを思い出しました。

そうはいっても・・・・・まだわたしは賢者にはなれず、愚か者なので、こういう場面では、えんえん、泣いてしまいます。



考えてしまいました。

こうして、インドにいて、みんなに散々心配かけて、たくさんの人から応援してもらって、援助もしてもらって

それなのに、

もし、その人が亡くなってしまったら、わたしは跳んで帰ることもできない。

たくさんの人々に、どれほどお世話になっているか知れないのに、わたしは、何も返して差し上げることができない。

わたしを、ずーーーっと、待っていてくれる人がいるというのに、

わたしはそれを見ようとしないで、感謝もしないで

自分の人生を行くんだ・・・・・とかなんとかいって、ばかみたいに自分の正面しか見てない。



もしも

両親が亡くなったら。

兄弟が、親友が、昔の恋人が亡くなったら。

お世話になったかたがたが、突然・・・・・・・・・としたら。

どうにもできない。

ここにいたら、どうにもできないことだ。

わたしは、ここで後悔せずに

「自由」を続けていけれるのだろうか。



なんだか

ショックです。



大切にしなければいけないものは

じつは

なんなんだろう



聖典「バガヴァッドギーター」から引用すると、きっとクリシュナは

「行け。そして、汝がするべきことをするのだ。」

と、わたしに言うのかしら。



するべきこととは。

わたしがするべき人生の仕事とは。



過去の日記から転載。 インド カイヴァルヤダーマヨーガホスピタルにて。







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2012年09月08日

あるがままで



わたしの目に見えない部分の「わたし」が、ものすごいスピードで変わっていきます。

それは、すごい勢いなのです。

目に見える部分の「わたし」は、それに、追いついていこうと、精一杯。

そして、

わたしをとりまく、すべてもまた、すんごい速さで、進んでいる。

葛藤して葛藤して、葛藤の末、

「よっし!」と腹をくくって決意したら、

もう、一気に、ビューーン、って連れて行かれているかんじ。

人生って、すごい。

ワクワクするんだけど、その速さに戸惑う気持ちもちょっとあり。

力を抜いて、流れに身を任せ

ありのままで

あるがままで

頭であれこれ考えず

自分を信じていこうと思います。



でも、まだ、言えないんだな。

なにから書いていいやら、わからないし。

もう少し、待ってくださいね。



ビクトールフランクルの「夜と霧」の中の言葉。

『自分の人生から何が期待できるかではなく、自分の人生が自分に何を期待しているかを知ること』

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2012年08月25日

時を刻むということ



丸い大きな時計が壁にかかっていた。

その時計は、秒針が、素直ではない動きをしていた。

素直な動き・・・・、というのは、チッ、チッ、チッ、と

まるで、兵隊の歩き方のような動きを言う。

では、「素直ではない」、その大きな丸い時計の秒針とは、

にじり寄るような、太極拳のような、日本舞踊のような、

はたまた、

嫌がる子供を、無理やり引きずって連れてくるときのような、

そんな、重たくて奥深い動き方をしていた。



わたしはその、スッ、スッ、と、すり足で近づいてくるような秒針を目で追いかける。

おもしろい。

いつまででも飽きずに見ていられる。



時計を発明した人は誰だったのだろうか。

一日が24時間で、1時間は60分で、一分は60秒だということを、

誰が決めたのだろうか。

そして、その人は、どういうふうにしてそれを感じ取って創造したのだろうか。

すごいことだ。



太古の昔に意識を飛ばしてみる。

そこには時計はない。

時計がなくてもよかったのだろう。

それでは、どうして、時計を作る必要があったのだろうか。

時間・・・という、「枠」を、何のために作ったのだろうか。



時計がなかったころは、きっともっと自然に、人間は自分のリズムで生きていたのだろうな、と思う。

そして、目には見えないエネルギーや、波動や、光や、流れが見えて、感じていたのだと思う。

だからこそ、「時間」の流れというものを感じられ、そして、何もないところから創造ができたのだと思う。



ヨーガを学んでいても、思う。

様々ある呼吸法。プラーナヤーマ。

呼吸法も、むかしむかし、ヒマラヤの山奥のヨーガ行者さんが、エネルギーフローを感じ取って行じていたのだろう。

昔の人は、そういう能力を持っていたのだろう。

すごいなぁ。

そしてそれが、当然だったのだろう。

卑弥呼とか、陰陽師とか、存在していたことだし。

では、なぜ、現代人は、目に見えないものを信じられなくなったのだろう。

いったい、いつから。



時間が作られ、時計ができ、人間は進化発展した。

でも、きっと、それに伴い、退化消滅したものもあるはずだ。

どちらかというとわたしは、

人間が失ってしまったもののほうが、実は大切だったのではないか、と感じる。

時というのは、そういった矛盾も全部知った上で、

淡々と、刻まれるべくして、刻まれているのかもしれない。



「素直ではない秒針」をみつめながら、

ふと、考えたことだ。

指が進むままに。 雑記にて


むいから5

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2012年08月14日

表現をするということ



最近、

心が柔らかくなっています。

小さなことで感激して涙ぐみます。

胸の奥が、ポカポカ、しています。

ふとしたことで、魂が、ブルブルッ、と震えます。

今は、そういう時期なのでしょう。

一分一秒、大切に、この時期のわたしをゆっくり観察しています。

こういうときは、書きたいことが溢れてきます。

でも、感じたままをそのまま書いてしまうと、頭おかしいと思われてしまう(笑)ような内容になってしまうので、

ネットは気を付けなければいけませんね。



私は、「おしゃべり」が苦手です。

私の生徒さんの皆さんは、信じられないでしょ?

お仕事の時、ヨガを教えているときは、私はスイッチが入り、大きな力と繋がっているので、

勝手に言葉がスラスラ出てくるのです。

だからヨガを教えているときの私は、私でありながら、見えない力が働いている、わたし。

実際の、プライベートのわたしは、とてもシャイで、お喋りが苦手なのです。

でも、プライベートの私を知っている人は、家族だけかな。

これも、わたし、そして、それも、わたし。



私は多分、人よりも感じることがたくさんあるのかな?と思います。

感受性が豊かすぎるのかもしれません。

私は生まれたときからこの肉体の「わたし」で、他の人間になったことがないので、

他のかたが、物事をどんなふうに感じ取っているのかは、わかりません。

でも、他のかたのお話を聞いたり、私が感じてることを話したりすると、やはり、あれ?違うんだ、と思うことが多いです。

うまく言えないのですが、浅い、深い、の感覚が、違うんだ、と思います。

そう感じ始めたのは子供の頃かなあ?

私が見るもの、感じるものを、いくら話しても通じない・・・・と感じて、だったら言わない方がよいのかもしれない、と口で表現することをやめました。



小学生の時から、詩や小説を書いていました。

口で表す代わりに、文字として表現することを選びました。

わたしは、毎日毎日、詩を書いて、自分の感じること、胸の奥が震えることを、子供ながらに表現していました。

その時の気分に合った色の折り紙を選んで、その裏に詩と絵を書いていました。

そう、絵を書くのも好きでした。

特に、色鉛筆で描く、淡くて繊細な絵。



大人になって、やはり、書くことが好きです。

口でうまく自分を表現できないぶん、文章にするとうまくまとまります。

とはいえ、私が感じていることを100%完璧に伝えることは不可能で

ひとつの文章表現をとっても、人それぞれ、実に十人十色の受け取りかたをされますね。

読者に感想をお聞きすると、「へえ〜、そういう視点でとらえるのかあ〜」と、驚くことも少なくないです。

私の表現を読んで、そのかたの、もともと内に持っているものが、反映されて、味付けされて、理解されるのでしょうね。

それでも、良いも悪いも、

私が書いたものが、そのかたにとって、何かのきっかけや、閃きや、癒しや、気づきとなっていることが、私の喜びでもあります。

表現者として。

私は、書き続けていきたい。

私自身も、日々、確実に変化し、

毎日、書きたいことが変わっていき、

たとえ同じことを書いたとしても、私の日々の変化とともに、時期が変わると、表現も変化します。

過去の日記や記事を見ると、幼さに恥ずかしくなるときもあります。

でも、その時のわたしも、わたし。

毎日、毎分、どんなときも、精一杯生きて、その時の力の限りに輝いているわたしです。

痛いほど誠実に生きている。

私は、書き続けたい。

表現していきたい。

いつのひか、

その、方法さえもわからないけれど、

「本」という形に残せたらいいな

なんて、淡い夢です。

お盆の慌ただしさの中、雑記にて。


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2012年06月24日

気品



山梨に戻るとホッとします。

都会で、失ったものをチャージできます。



田植えが終わったあとのたんぼ道を歩いていました。

苗がきちんと整列している景色はとっても清々しくて、心がシンプルになります。

爽やかな風がわたしの髪を揺らします。

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ふと、田んぼの中央に、足の長い白い鳥が、水の中に足を浸して佇んでいました。

おそらく「白サギ」でしょう。

くちばしが長く、首もひょろりとしている。

長い首をのばし、じっ・・・・・と、どこか遠くを見つめています。

思わず足を止めて、見とれてしまうほど、美しい。



長い脚を上手に持ち上げて、まるで踏みしめ、確かめるように、一歩一歩、田んぼの中を移動しています。

歩いている・・・・というよりも、まさに、足を置いている・・・・という言葉がぴったりの動きです。

なんて気品があるんだろう。

とっても素敵です。

しばらく立ち止り、白サギさんの素敵な仕草のひとつひとつに見惚れていました。



写真を撮らせてもらいたいな〜、と携帯を構えたところ、

白サギさんはゆっくりと移動し始め、そして、大きな羽をおもむろに広げて、バサバサと、飛び立ちました。

その飛び立ち方がとても優雅で、目が釘付けになりました。

羽をはばたかせてわたしの頭上を通り過ぎ、電線の隙間を抜けて、あちらのお家の屋根の上を通り過ぎて、徐々に小さくなっていきます。

それは「飛んでいる」というのではなく「空気を滑っている」かのように、非常にゆるやかに、とても優雅に、大きな羽をゆっくり動かしています。

曇り空に、白サギの白い体がまるで、輝いているかのように浮きだって見えます。



ひとつひとつの仕草がとってもゆるやかで、優雅で、余裕があり、気品があります。

立ち振る舞い、たたずまい、飛び立つ瞬間、羽ばたきのうごき、空気を滑るなめらかさ。

すべてに惚れます。



向こうの山へと向かって飛ぶ、白サギさんが見えなくなるまで、わたしはずっと目で追いかけ続けました。

白サギさんとの出会いの時間。

なんて素敵な瞬間をいただいたのだろう。

白サギのようにどんなときでも優雅であり、いかなる状況にいても気品を持っていたい。

わたしは、白サギのようになりたい。





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2012年05月15日

東京 粋人情



東京と山梨で暮らしていると、

都会と田舎の、人間のコミュニケーションのとりかたが違うのがわかります。

やっぱり、東京だと、皆さん、サラッ、としているよなぁ、と感じていました。

逆に、田舎だと、面倒くさくなるくらい、世話を焼かれたりするのですが(笑)

そんな、クールな首都東京のど真ん中で、心がほっこり、顔が微笑む行動を見ました。


****


東京メトロの西早稲田の駅にて。

電車から降りて改札を出る前にお手洗いに立ち寄りました。

そこでは、清掃員の女性の方がお掃除をしていて、床をモップかけしていました。

わたしは、申し訳ない・・・と思いつつ、そのわきを通り個室に入りました。

用を済ませて個室を出て、洗面所に行くと、今度は清掃員さんは洗面所の下をモップかけしていました。

ひとりの60代くらいの女性が、洗面台で手を洗っていました。

モップかけしていた清掃員の方が「あ、すみません」とその女性に言うと

「いえいえ〜、いいのよぉ。いつもお掃除ありがとうございますぅ。ここのお手洗いはどこよりも綺麗よぉ〜。」

と、手を洗っていた女性が声をかけました。

わぁ、清掃員のかたは、きっと、とっても嬉しいだろうな。

そんなこと、言ってくれないもんね、普通。

せっせと、人の嫌がることをしているというのに、誰からも感謝されないもんね。

感謝の言葉、嬉しかっただろうなぁ。

わたしも、恥ずかしがらずに、その女性のようにどんどん、言えるようになろう。


*****


広尾駅の改札を出て、地下道を通り、地上に向かう階段を登っていました。

荷物が重かったので、前かがみになって、足元を見ながら、えっさほいさ、登っていました。

目の前には、髪の長い、おしゃれな女性の後ろ姿。

階段を登りきるところで、地上には、小さな子供連れのお母さんがいて、子供の手を引いていました。

その傍らにはベビーカー。

すると、わたしの目の前で階段を登っていた女性が

「大丈夫ですか?手伝いましょうか?」

と、その若いママさんに声をかけていました。

わあ、素敵だなぁ、と思いました。

きっと、このかたも、子育てしていた時に苦労されたんだろうなぁ。

パリッ、と決めたスタイリッシュな女性の方で、サングラスを頭に乗せていて、一見、冷たそうに見えたので意外でした。

東京の「人情」も、素晴らしいよなぁ。


*****


小田急線のとある駅で下車しました。

道を歩いて目的地へと向かっていると、道路の向こう側の歩道を、大きな鉢植えを持って歩いてくるおじさまがいました。

なんの花だろう? 遠くてよく見えなかったけれど、ピンク色で、とってもきれいでした。

歩道の上をこちらに向かって歩いてくるそのおじさまは、向かいから歩いてくるおじいちゃんとすれ違うところでした。

歩道が狭いので、二人はすれ違うことができず、おじいちゃんのほうが車道に下りて二人はすれ違いました。

そのときに、

「これは、何の花?」と、おじいちゃんが、そのおじさまに聞きました。

「これは・・・・・ですよ。」(聞き取れなかった)とおじさま。

「へぇ、綺麗だね〜、いい花だね〜」

「そうですね。」

二人は、歩道と車道に立ち止り、そんな小さな会話をして、何事もなかったようにすれ違いました。

ああ、こんな小さなコミュニケーションでも、人間って大事だよなぁ。

きっと、花を抱えたおじさまは、気持ちがよかっただろうなぁ。

おじさまはお花屋さんかな?

ふたりはきっと、知り合いではないんだろうな。



*****


わたしのマンションは25世帯が住んでいますが、ほとんど顔を合わせません。

両隣に住んでいる方の顔も見たことがありません。

ときどき、声は聞こえるんですけどね。

タオルを持って引越しのご挨拶に行った時も、不在だったので、粗品だけドアノブにかけておいたので、実際にはお会いできませんでした。

東京に住み始めて、13年が経ちますが、考えてみれば、隣の人と交流した記憶がまったくありません。

むしろ、当時は女性の一人暮らしだったから、過度に警戒してしまって、避けていたかな。



そんな、
人間同士のコミュニケーションが薄いと思っていた東京で、素敵な人情をみさせてもらいました。

「ひと」って、素敵ですよね。

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2012年05月14日

食育と環境2


数日前にアップした、「食育と環境」の、面接授業の続きです。

今回は「孤食」について。

授業では30年前のVTRで学習しました。

特に、子供の「孤食」について、調査されたVTRでしたので、その内容を少しだけ、皆さんとシェアさせていただきますね。


*****


小学生にアンケート調査をとったところ、一人で朝食をとる子は30%くらいいるそうです。

夕食も20%近くのデータが出ました。

これは30年前の調査なので、不況の今はもっと増えているでしょう。

子供たちのアンケートによると、

・朝も夜も、同じメニューだった
・ご飯と、つけものと、缶詰だった
・即席ラーメンを自分で作った。具はなし
・トーストとコーヒー
・家族で食事するときは、週に一回もない

など、「一人の食事は楽しくなかった」と、全員が書いていました。

子供たちに、昨夜の夕飯の様子を絵に書いてもらうと、
広い机に、小さくポツンとお茶碗があったり、
食べてる自分の顔が悲しい顔に書かれていたり、
目や鼻などがまったくない、のっぺらぼうだったり、
ひどいときは、棒人間だったり、
食事の時の「寂しさ」が描かれた絵に表現されていました。

同じように、

アメリカや韓国の子供たちに食卓の絵を書いてもらうと、家族みんなでわいわい楽しく食事をしている風景が多かったようです。

人物もお料理も大きく描かれていて、人物の表情が皆、笑顔でイキイキしているのが特徴的です。

アメリカでは、夕飯を家族全員で食べる家族が57%、韓国では78%でした。

家族の一部の人ではなく、全員です。 それで、この割合はすごいですね。

日本では難しいよなあ。

しかも、子供が一人だけで食事をする割合は、韓国ではゼロだそうです。

さらに、一週間に家族全員で揃って食事をする回数は、韓国は約6回、日本だと約3回だそうです。

何度も言いますが、30年前のデータです。



夕食時にTVを見る割合は、アメリカだと13%、日本だと60%。



日本の子供のアンケートで、一人で食事をした子供に聞くと、一人で食事はしたが、母は家にいた(一緒に食卓にいなかった)割合は、朝食で91%、夕食で77%。

家にいながら、子供の食事に同席していない割合です。

では、母親は何をしていたか子供に聞くと
・TVを見ていた
・掃除をしていた
・寝ていた
・新聞や本を読んでいた
・別室でビールを飲んでいた



進学塾に通う小学生は、塾の授業の10分休憩で、お弁当をかきこんでいました。

ゴホゴホ、むせながら、咀嚼もままならず、飲み込んでいました。

10分休憩で食べきれないと、次の休憩まで、残りはおあずけ。

帰宅したその小学生の母との会話。

「どうでした?塾は?」
「いつもの通り」

塾でお勉強はしていても、家庭での会話の仕方を、学んでいないのかもしれません、とナレーション。



夕飯を「食べなかった」と書いた小学生の男子の家にインタビューに行ったそうです。

「昨日は夕飯食べた?」
「食べなかった」
「一昨日は?」
「食べなかった」
「どうして食べないの?」
「お腹が空いてなかったから」
「どうしてお腹が空いてなかったのかな?」
「おやつを食べ過ぎて、お腹がいっぱいだった」
「昨日も一昨日も?」
「(頷く)」
「お母さんとお父さんはいつ帰ってくるの?」
「夜遅い」
「それまで一人なの?」
「ばあちゃんがいるけど、別の部屋にいる」



「食事は楽しくなかった」とアンケートに記入した子供にインタビューしていました。

「なぜ、楽しくないの?一緒に食べるのが嫌なの?」

・お父さんが、会社の文句ばかり言っている
・お母さんが、近所の人の文句ばかり言っている
・両親が喧嘩している
・勉強のことを聞かれて、すぐにお説教する

この子達は、食卓にいたくなくて、お腹が満たされないうちに、すぐに、席を離れてしまうそうです。



しつこいですが、これは30年前のデータです。

不況が続く日本は、今はどんなデータが出るのでしょうか。

30年前よりも、母親も仕事をしている率が高くなっていることでしょう。

少子化が進み、兄弟もいなくて一人で過ごす子供はどのくらいいるのだろう。

もちろん、

子供を愛していない親は一人もいないわけで、働かなければ子育てができない・・・・など、皆さん、それぞれ事情があって、やむを得ず家をあけているのです。

両親が早く帰宅でき、夜はきちんと、家族で過ごせる時間が持てる、日本社会の向きになるといいのにな。

私の主観はほとんど入れず、VTRの情報をそのまま載せましたので、皆さんそれぞれで、考えてみてください。

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2012年05月10日

食育と環境



昨日と今日の二日間。

放送大学の面接授業で「食育と環境」という科目を受講しています。

すごく興味があったので、楽しみにしていました。

その授業の中で見たVTRが、とても印象的だったので、記しておきます。



福井県の小浜町は、食育に力を入れているそう。

小学校の学校給食は、「地場産給食」と呼ばれ、地元でとれた野菜やお魚を使っているそうです。

朝、近所の農家のおばあちゃんが、野菜を抱えて学校の給食室に来ます。

まさに、子供たちが、通学のときに通っている畑の、毎日育っていくのを見ているその野菜が、給食として出されるのです。

ときには、農家の方々が、給食の時間に現れて、いま食べている野菜について語りながら、子供たちと一緒にお昼を食べます。

子供たちは、実際に食べてるこの野菜が、目の前にいるおばあちゃんの手で、丹精込めて作られたことを知り、感謝をしていただくことを学びます。

農家のおばあちゃんは、

「子供たちが食べるから、できるだけ農薬を使わないで作っている」

と、話していました。

生産者も、消費者も、お互いの顔がわかるから、お互いが優しい気持ちになれるのですね。

感動でした。



都会の小学校では

「給食費を払っているのに、どうして、いただきます、なんて言うの?」

なんて言う小学生もいるそう。

悲しいですね。



自閉症の子供たちを対象にしたお料理教室では、

お料理作りを通じて、自然と、人間とのコミュニケーションがとれるようになります。



定年後、がんばって仕事一筋だったお父さんたちは、

友人もなく、やることもなく、寂しい思いをしていましたが、

お料理教室で仲間ができることで、友人と生き甲斐を見つけます。



ただ、栄養のバランスよく食べること・・・・だけではなく、「食育」を通じて、「生きること」、「生かされていること」を、学んでいくことができます。

食べるもので、私たちの体と心は作られます。

栄養素だけではなく、食に関わるときの「気持ち」や「想い」や「人との交流」や「そこから発生するよい雰囲気」も、一緒に食べて、心を作る要素となっているんですよね。

とくに、食事での「心」の面の変化は、私も痛いほどよくわかります。

素晴らしいVTRでした。 感動して軽く泣いちゃいましたよ。

今日も、あと一日、この授業です。 ハードスケジュール続きだけど、がんばるぞー!

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2012年04月22日

いまの坂道


ヨガに関する心理学の本を読んだ。

ある一節が心に残った。



「登り坂で笑い、下り坂で泣く」



登り坂では、きつくてきつくて、大変だけど、コレから先のくだりのラクなことを考えると笑わずにはいられない。

下り坂では身体はとてもラクだけれど、きっとこれからつらい登り坂が待っているのだと思うと、泣きたくなってくる。

苦しいときには、前向きに。

順調なときには、謙虚に、慎重に。

ということ。




登り坂・・・・と聞くと折れ線グラフを思い出して、とってもいい調子なのかと思ったけど、逆なのね。

登りのほうがたしかに苦しいもんね。

なるほど。




わたしはいま、登っているのか、くだっているのか。

考えたこともなかった。

わたしはどのへんにいるのだろう。

登っているのか、くだっているのか。

どっちかわからない場合は

笑って良いやら、泣いて良いやら。




どっちかわからないから

とりあえず

笑っとくか。


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2012年03月02日

夢に向けて



私の夢は、ヨーガアシュラム(道場)をつくることです。

でも、ヨーガをするだけではなくて、心を痛めて苦しんでいる方や、心身ともに疲れてしまっている方たちに、元気になって回復していただく施設をつくりたいです。

合宿できる施設が理想で、お寺のような規則正しい生活をするなかで、忘れていた自分の自然なリズムを取り戻して行っていただきたい。

もちろん、ヨーガの智慧も使っていき、たくさんのかたの心の平安のサポートをさせていただきたいです。

まだまだ、まだまだ、とても貧乏ですので、そんな大それたことはできないのですが、チャンスが来たら実現したいです。

その、チャンスを待っているところでもあります。



先日、北関東のほうで、ひとつ、その夢の実現に近づきそうな、よいお話しをいただきました。

いよいよ、未来が動き出したのか! と、少し胸が膨らみましたが、過度な期待は物事をゆがめてしまう、ということを知っていたので、平常心を保つ努力をしました。

お話しを聞きにあちらに伺うまでの数日間、場所的に、もしそこに決まってしまったならば、山梨も東京も神奈川も遠くなるため、今の生活をすべてストップしなければならないことになるな、と気づきました。

もう、皆さんとお会いできないのかもしれない・・・・、と思うと、クラスの生徒さん達が愛しくて、ありがたくて、本当に、涙の出る思いでお仕事させていただいていました。

ああ、わたしがこうして、お仕事(カルマヨーガ)させていただいているのは、皆さんがあってのことなんだな、と、改めて強く感じ、心の底から感謝の気持ちがあふれました。

わたしがいくらたくさん学び、それを生かして良いお仕事をしたくても、皆さんが集まってくださらなければ、成立しないのだな、と、本当にありがたく思いました。

おひとり、おひとりに、心をこめて合掌をさせていただきたい気持ちです。



結局、その北関東の施設を継承するお話しは、相棒と検討した結果、お断りすることになりました。

ですので、しばらくはまだ、この山梨、東京、神奈川の生活を続けていきそうです。

夢に向けて、もっとたくさんのかたの助けとなるならば、今の生活をギブアップするのも必要なことだけれど・・・・

できたら、いまの活動範囲の中で、よい施設がみつかるといいな、と願っています。

どなたか、よいお話しがありましたら、ぜひお知らせください。



先ほど、山梨の田舎道を、瞑想ウォーキングをしてきました。

頭の中が、なかなか静かにならなくて、少し苦労しました。

その帰り、実家の近くの神社に、ぶらりと立ち寄りました。

ここは、2年前、わたしが海外から戻ってすぐのころ、

ずっと体調の悪かった友人を想って、毎日、毎日、友人の健康の回復をお祈りに来ていた神社でした。

久しぶりに来たこの神社に、ご無沙汰していたご挨拶をさせていただき、日本の復興と、世界の平和、友人の無事、をお祈りしました。

わたし自身の未来は、きっと、祈らずとも良い方向に向いていると信じているので、ここでは祈りません。

神様は、わたしの行いを見てくださっているから、誠実に生きていれば、きっと、報われる時が来ると思います。

そう信じて、誠実に生きるのみです。

手を合わせると、こうして、生きている毎日の日々に、感謝があふれます。

雑記にて。

合掌

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2011年12月04日

Different World



日本に戻ってから、一週間以上が経ちました。

インドで修行中は、気を抜くと、シャワーを浴びる時間もないほど拘束されていたので、慌ただしくて、「なんだこの生活はー!」と、目が回っていましたが、いま時間が経過してから思い返すと、大変だったことよりも、満たされていた気持ちが蘇ります。

共に学ぶ仲間たちとコミュニケーションをとる時間もあまりないほど、追い込まれた生活だったけれど、世界中からの仲間と一緒に乗りきったあの時間を、とても尊く、ありがたく感じます。

本当に、よい経験をさせていただきました。 経験は宝ですね。

いま、今週の山梨での仕事を終え、東京に戻る電車の中です。

山梨は7週間ぶりです。

すっかり寒くて、驚きました。

愛車のキントウン号に挨拶をしたら、ずっと眠っていてもらったというのに、威勢のよいエンジンで迎えてくれました。

いいこ、いいこ。

各駅停車の車窓から見える紅葉がとても美しく、太陽の光に映えてキラキラしています。

日本は、本当に美しい国です。

四季折々、私たちを楽しませてくれます。

今年は11月ほとんど日本にいなかったので、紅葉は見れないと諦めていたけれど、見れてよかった。

帰国してからずっと、なんだか、私の目玉が変わったみたいな感覚です。

見るもの、接する人、電車も、歩く道も、以前と同じだというのに、すべて違って見えます。

私の目玉が、グリッ!と引き抜かれて、誰か他の人の目玉がパコッ!とはめられて、交換されたみたいな感覚。

世界が、とても、やさしく、美しく見えます。

人間が、輝いて見えます。

日本で待っていてくださった皆さんが、まるで神様みたいに見えます。

ありがとうございます。

この目玉が、ずっと持続してくれたらいいな。

やっぱり、日本が、一番素晴らしいです。

深く感謝。 合掌


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2011年10月07日

Suicaを持って思うこと


昨日のこと。

朝、仕事に出るときでした。

駅の改札に向かったら、Suicaを家に置き忘れてきてしまったことに気が付きました。

ありゃー、こりゃ、不便だな〜

と、心の中でぼやきながら、久々に券売機で切符を買いました。

東京でのお仕事は、都内と近郊、あちこちを移動しますので、Suicaがとっても便利で役に立っています。

いつも、たくさんの金額をチャージしておいて、電車の利用だけではなく、コンビニやキオスク、ジュースの自動販売機など、使えるところではなんでも使用しています。

大きな荷物を肩にかけながら、または、キャリーバッグを引きながら、バッグの中のお財布をゴソゴソ探して、焦ることなく、Suicaだったら、サッ! ピッ! と、お買い物ができて、とてもとても、便利で楽ちんです。

昨日はその「すぐれもの」を持たずに家を出てしまいましたので、とっても不便でした。

が・・・・・・

Suicaがすごく便利で、持っていないと不便だ・・・・ということもわかったのですが、それと同時に、大切なことに気が付きました。

「お金のありがたみ」

今まででしたら、お茶や喉あめなんかを購入する時、自動販売機やキオスクの機械にSuicaをかざすだけで、サッ!ピッ!、と終了していたお会計でしたが、

現金で支払うとなると、肩にかかる大きな荷物が落ちないように身体を斜めにして抱えながら、こちらに持つ小さいバッグの中からお財布を手探りで探して、財布の中の小銭をガサガサとかきまわし、指でつまみあげて差し出す・・・・

という、この「あたりまえの行為」が、お金の大切さを改めて気づかせてくれました。

小さな金額・・・・たとえば、自動販売機のペットボトルのお茶150円だったり、ご飯を食べる時間がないとき、キオスクで買うSOYJOYだったり、コンビニで買う野菜ジュースだったり・・・・、それぞれ、それほど大きな額ではないのですが、「お財布から小銭をだす」という行動をすることで、一瞬、支払いを躊躇します。

「ちょっと、まてよ。 本当に、この買い物は、今必要なのか?」・・・と。

今までは、何も考えずにSuicaで、スッ!ピッ!・・・だったので、『お金を使う』という感覚が麻痺してしまったように感じました。

インターネットショッピングもそうだと思います。

クレジットカード払いで、簡単にお買い物できちゃいます。

たいていはお仕事関係の事務用品や消耗品の購入が多いのですが、必要なものが思いついた時に購入できて便利なので、わたしは、しょっちゅう利用しています。

でも、支払った気分があんまりしないです。 

しかも、購入したことを忘れてしまっていて、荷物が配達されて、「ああ、これ買ったんだっけ!」・・・・と思いだすこともあります。

世の中は、どんどん、便利になって、私はそれにどっぷり浸かって、どんどん、大切なことを忘れていっているような気がします。

たとえ100円でも、50円でも、お金は大切に、丁寧に、感謝して使わなければいけないですね。 改めて、反省です。

便利になるにつれて、人間との交わりもどんどん薄れていき、そうなることで、人間と交わることがなんだか億劫になってしまうのかもしれません。

よくないな、と思います。 ほんと、よくないです。

日本人の20代〜30代の死亡原因の第一位が「自殺」だそうです。

こんなふうに、人間との心の交流がなくなってしまうことで、「孤独」を感じてしまうのかもしれません。

あの、人間との距離がめちゃくちゃ近すぎるインドでは、ありえないことです。

日本も江戸のころのように、心の通った関係を、現代風にアレンジして持ち続けていけれたらいいな、と感じました。

そうはいっても、忙しいと、どうして忘れてしまいます。 

少しずつ、日常で訓練して、閉じた目を開いていきたいです。

まずは、電車以外ではSuicaを使わないことから始めてみるか!

無駄に、小銭を使わないようにしてみよう。

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2011年09月27日

稲刈り体験で知ったこと


生まれて初めて、稲刈りのお手伝いをさせていただきました。

機械で稲を刈っていき、紐や古い藁で縛って一束になった稲を運んで、竹の棒で作った台にかけて干していきます。

稲を竹棒にかけるときは、6:4の割合になるように開いて、それを、一つずつ交互になるようにかけていきます。

そうすると、乾燥しやすいそうです。

先日の台風で、稲が大分倒れてしまい、機械で刈れないところは、手で刈っていきます。

腰を屈め、ひとつひとつ稲をつかんで刈っていくのは、本当にご苦労なことです。

私は初めてでしたので、刈り取った稲の束の運搬と、竹棒にかける作業をやらせていただきました。

実際に、泥と藁にまみれて作業をしてみてわかったことは、お百姓さんたちの大変なご苦労。

そして、さらには、たくさんの命が犠牲になっていることでした。

稲を刈るときに、カエルやイモリが死んでいるのをたくさんみました。

機械にひかれてしまうのです。

束になった稲に挟まっていたり、田んぼに横たわっていたり、足だけ稲に挟まれ、血を流しながら悶えているカエルもいました。

なんて、かわいそうなんだろう。

申し訳ない気持ちで、胸が痛みます。

私はベジタリアンで、お肉やお魚はいただきません。

「非暴力」という意味で考えれば、もちろんお野菜も同じ生き物ですが、「動物を食べる」という面で考えれば、お野菜をいただくことは「非暴力」にならないのではないか…?、と考えていましたが、そうではないのだということを知りました。

こうしてお米を収穫するにも、お野菜を育てるためにまく農薬にも、犠牲になっている「いのち」がたくさんあるということを知りました。

誰にも気づかれず、気にもとめてもらえないけれど、私たちのために「いのち」を落としている「生き物」が数えきれないほどいる…、という事実を知りました。

切なくて、切なくて、たくさんの小さな命を犠牲にしてまで、こんな私みたいな人間が生きていることが申し訳ない。

だからといって、極端に、「なにも食べてはいけない」ということではなく、この事実を知って、ありがたくいただかなければいけないのだ、と思います。

このショックを忘れないようにして、きちんと感謝してお食事をしなければいけない…、と強く思いました。




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2011年09月10日

入道雲とお月さま


土曜日は、分刻みで、めいっぱい働く日。

ときには6本、クラスをやります。ありがたいことです。

今朝は、今年最後の早朝ヨガを開催しました。

曇っていた空が、開始時刻になるといきなり晴れました!

すばらしーい!ありがとう!お天気の神様!

ふいに、海外で働いていた頃を思い出しました。

なんとも言えない切ない気持ちが込み上げました。

こういう微妙な気持ち、表現しがたい感情は、人間だけが持っているのだな…と、妙に冷静になったりして。

*****

愛車「キントウン号」で、あちこち移動しますが、山梨は空と山が広くて、本当に気持ちがいいです。

今日は、日本独特の薄いブルーの空に、モクモクとムクムクと入道雲現れて、ワラワラと入道たちが群れていました。

自然はまさに、芸術です。奇跡としか言いようがありません。

神様が作る自然の造形の美しさに圧巻です。

ああ、ありがたいなあ、生かされているなあ。と、心に染みる今日の空でした。

*****

ふと、友人のことが頭をよぎります。

古い友人ですが、もう会えないかもしれないかたです。

ふいに、涙が出そうになり、困ってしまいます。

心の傷がなかなか癒えず、実は9ヶ月ほど、ずっとこんな調子です。

毎日毎日、彼女の幸福を祈り、胸が苦しくなります。

*****

昨日、放送大学学習センターに行き、借りていた授業DVDを返しました。

毎週、コツコツ勉強しています。10年後の資格取得に向けて地道にがんばっています。

ここの職員のかたの穏和な雰囲気が大好きです。

いつも、ふんわり包まれます。

相談すると、面倒くさがらずに親身になってくださって、お願い事も臨機応変、親切に対応してくださいます。

ニコニコ笑顔で、ほんわかあったかい。

私も見習いたいです。

自分以外の人間は、みな、私にとって教師ですね。

たくさんのことを教えてもらえます。

*****

明日は早朝からある、ガネーシャ祭に参加し、その後は場所を移動して午後までアップデートプログラムの研修があるため、今夜中に東京に戻らなければ。

今週はたった一晩だけの山梨滞在でした。

慌ただしく帰宅し、また出掛け、家でもパソコンで仕事してますので、最近では母と会話もできません。時間の余裕がなく、申し訳ない。

いま、山梨から東京に帰る電車の中。

ゴトゴト…各駅停車に揺られて、窓の外を見上げると、盆地の夜景の上に、きれいなお月さまがふわふわ浮かんでます。

空気が澄んでいて、とても輝いて見えます。 明後日、満月ですね。

目の奥が熱く、目を閉じると眼球に軽い刺激があります。

まぶたに、お月さまが浮かんでいるようです。

*****

ぼんやりと、気の向くまま、指が進むまま、今日一日を振り返りました。

今日も、良いことも、そうでないことも、たくさんありました。

各駅停車の中、携帯電話より。スマートフォンではないから、ちとやりにくいです。

今日の出来事すべて、人々すべてに、合掌。

がんばってくれた私の体に、感謝。

明日という日に、合掌。

雑記にて




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

アヒンサー(非暴力)



エスカレーターに乗るたびに、思い出すことがあります。

数年前の名古屋にて。 伊勢神宮に参拝に行った帰りでした。

新幹線の時間にギリギリになってしまい、わたしはとても急いでいました。

大きなデパートの中でした。

見知らぬ地にてグルグル探し、やっとみつけたエスカレーターに飛び乗り、それをぐんぐん、階段のように昇って行きました。

たしか、関東と関西は、エスカレータで立つ位置が逆だと聞いていましたが、みな、片方に寄っていたので、空いている片方を力強くよじ登っていきました。

目的地に着くよりかなり前で、おふたり、中年の女性と若い男性が、ふたり並んで立っていました。

おそらく、母と息子・・・という関係でしょう。

行く手を阻んでいるのは女性のほう、ということは、一般的に立ち止ってはいけないほうに立っていたのは母親のほうでした。

しばらく彼女の後ろで待っていましたが、新幹線が発車する時刻がどんどん迫ってきていたため、しかたなく声をかけました。

「恐れ入ります。とても急いでいますので、ここを通していただけないでしょうか?」

出来る限り丁寧な口調で、わたしの持つ一番穏やかな声のトーンで、名古屋のローカルルールに背かないように。

女性はちらっ、顔を横に向けただけで、わたしのほうに振り返って顔を見ることもせず

「階段でいけっ!!!!!」

と、それはものすごい大声で、ひとこと怒鳴り、そのまま前を向いてわたしをシカトしました。

私は唖然としました。

こんなに急いでいるのに、今から階段を探して、それを昇っていけ・・・・と?

名古屋では、そういうルールなのか? 急いでいる人を、先に行かせてあげず、先に立っていた人が優先なのか?

わたし、傷つきました。 とっても。

意外にも、結構すぐに傷ついちゃうんです。 

まさか、心細い見知らぬ地にて、見知らぬ人に、「通していただけますか?」とお願いして、あんな勢いで怒鳴られると思いませんでした。

あんなに丁寧に、謙虚にお願いをしたのに、ひとこと怒鳴られただけで、あとは無関心にされてしまいました。

なんて理不尽なんだろう。

数秒間、ショック過ぎて立ちすくみ、体を動かすことができませんでした。

悲しくて涙が出てきました。

彼女は、虫の居所が悪かったのかもしれません。

わたしの態度を、もっと謙虚に改められたのかもしれません。

でも、数年たった今でも、エスカレーターに乗るたびに・・・、本当に、毎回乗るたびに、思い出し悲しくなります。

名古屋の一番大きな、心に残った印象です。

「言葉の暴力」が、一番、後々まで残ります。

何気なく言ってしまった言葉で、後々まで相手を傷つけ続けることもあるのですね。

気をつけようと思いました。

そして、今まで知らず知らずに傷つけてしまったかたがたに、ごめんなさい。

その名古屋の女性、怒鳴ったご本人も、きっと気持ちが良くないでしょう。

彼女の心の安らぎをお祈りします。







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2011年08月12日

雨と晴れのボーダーライン



ここ数日、本当に暑いですねー。

わたし、暑いの大好きなのでわりと平気です。

暑いときに、「あちーあちー」と言いながら、汗をだらだらかくのが気持ちいいです。



先日、

「雨の切れ間」を見つけました。

雨が降っている場所と、降っていない場所の「切れ間」に遭遇しました。

ここは晴れているのに、5m先の向こうは雨のラインが見えるのです。

なんだか、ワクワクしました。

ダッシュして向こうまで走ると、雨の中に突入するのです。

そこからまた、ダッシュして戻ってくると、晴れ間に脱出できるのです。

とっても不思議な感じがしました。

同じ大地、同じ空の下、同じ視界の中で、真っ二つの両極端の世界が、同時に見えるのです。

雨の中を歩くことを選択して、向こう側を行くか、

晴れている場所を選んで、こちら側を歩くか、

どちらにしても、わたし次第。

人生って、そうかもな。

同じ空の下、同じ空気の中、同じ大地の上で、いつでも「雨」と「晴れ」がきちんと用意されていて、

わたしの心持次第で、こちらを歩くか、あちらを行くか、選べるのかもしれないな。

土砂降りの雨の中をトボトボ歩いていたとしても、パチン!と気持ちの切り替えをすれば、

すぐそこに、晴れまがあることに気がつくのだな。

それに気づくも、気付かないも、こちらを行くも、あちらを選択するも、

わたしの心持ち次第なのだな。

たとえ、ずぶぬれで歩いていたとしても、うつむいて、そのまま、ずっと雨に打たれ続ける必要はなく、

気持ちを切り替えて前を向き、視点を変えれば、すぐそこにある、晴れている場所に気がつくのだな。



そんなことを感じた、「雨の切れ間」体験。

毎日は、奇跡の連続。

さまざまな出来事を通して、いろいろなことに気がつかせてもらえる、人生の恵みの宝庫だ。


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2011年08月05日

生活の中で小さく微笑む瞬間



仕事始めの太陽が、キラキラと眩しい東京の美しい朝。

ふと見上げると、木の枝の隙間から、チョコン・・・・と枝に座る鳥を発見した。

頭の毛が黒く、喉とお腹のところが白、背中がくすんだ青色をしている。

尾がとても長くて、ピコピコ、かわいく動いている。

見たことがない鳥だ。

君は、どんな声で鳴くのかな?

声を聞かせてほしかったな。



色鮮やかな花たちが咲き誇っている。

東京の自宅の近所のこの団地には、お花好きの方がたくさんいるらしく、いつでもきれいにお世話されている。

道路にはみ出さんばかりにして、嬉しそうに、肩を寄せ合い咲き乱れている。

真っ赤なお花に顔を近づけてみた。

花弁に、黒い丸がポツン、とついていた。

ん?? これはなんだろう??

よーく見ようと思って、さらに顔を近づけたら・・・・

突然、シャキーン!とプロペラが開き、パタパタパタ・・・・・と低空飛行して、ゆっくりと飛び立っていった。

驚かせてごめんね、テントウ虫さん。

カッコイイところ見せてもらっちゃった。



雨上がり。

手に傘を持つと、どうしても、ユラユラ、揺らしたくなってしまう。

歩くリズムと、傘の揺れが、上手に重なって、まるでダンスをしているみたいだ。

なんだか、楽しくなってくる。

東京の自宅から、駅までの道のり。

池谷さんのお宅の庭は、いつもおじいちゃんが庭いじりに精を出している。

曲がった腰で、ときには脚立に乗って松の木をハサミで整えている。

通りかかると、昔ながらのコンクリートの塀にはかたつむりがたくさん張り付いていた。

思わず立ち止り、その、ノロノロ歩きに視線を留める。

両方のツノが、ピコピコ・・・ピコピコ・・・・、動いている。

ふふふ。 かわいいね。



山梨に戻るたびに、この、圧倒的な時間のゆったりさに、心が和む。

キャリーバッグをガラガラ引きずりながら、田圃道を歩く。

農家の方の手作りの風車が、カタカタカタ・・・・と風に押されて音を立てている。

「偉いなぁ」、誰も見ていないのに、真面目にお仕事をしている。

前から自転車に乗ってくる、ほうっかむりをした農作業姿のおばあちゃん。

ほっぺがまんまるで、真っ赤で、ツヤツヤで、普通の顔をしているのに目が笑っている。

フラフラとハンドルを操縦しながら、ゆっくりと近づいてくる。

「こんにちわ〜、いい天気だねぇ」

知らない人にも声をかけれるというのは、なんと素晴らしい習慣なのだろう。

田舎ならでは。



田舎の田圃道を、ガラガラ、ガラガラ、キャリーバックを引きずっていると、かなりの振動になる。

タイヤが壊れてしまうのではないか?と、危惧しながら、ときどきお休みしながら歩く。

立ち止り、道端のお花の写真を撮っていると

「お!いいね〜、こういうの。」

と、後ろから歩いてくるおじいちゃんが、キャリーバッグをさして話しかけてきた。

「うん、持ち運びに楽ですよ〜」

「結構たくさん入るらー、そうでもねーけー」

甲州弁丸出し(笑)

おじいちゃん、長生きしてね。



ちいさな交差点。

赤信号で車を止めると、少年が二人手をつないでいる。

ちっちゃいほうの男の子が、サッ!と手を挙げて横断歩道を歩きだす。

「兄ちゃん、手ぇあげなきゃダメなんだよ!」

片腕をあげ、胸を張って、堂々と、ノッシノッシ、と交差点を横断する。

大きいほうの男の子は、恥ずかしそうにして手を挙げずに、そそくさと歩きだす。

ふふふ。

子供の成長の一端を垣間見せてもらった。

微笑ましい、ワンシーン。

 


どんなに ちっちゃいものでも

幸せは、数えると増えますね。


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2011年05月25日

サーカスパフォーマー



海外のリゾートホテルにいた頃のことを思い出しています。

今思えば、あそこでの経験は本当に貴重なものでした。

当時は、多忙すぎて息が詰まって、逃げ出したい気持ちばかりでしたが、

普通の生活では体験できないことをたくさんさせていただきました。

世界各国のお客様にヨーガを教える機会に恵まれたことで、わたしの指導の幅が格段に広がりました。

言葉の通じない方に、どのように上手に指導するか・・・・・言葉は通じなくても、心がこもれば、皆さん理解してくださること、を学びました。

知識ももちろん大事ですし、講師の肉体、ポーズの美しさも大事ですが、やはり一番大切なところは「心からの指導」なのだな、と痛いほど学ばせていただきました。

一緒に働く、外国人の若者たちも、頼りないわたしをいつもサポートしてくださって、お友達もたくさんできました。

仲間の中で、わたしが最年長だったというのに、シャイなわたしを、まるで妹のようにケアしてくださいました。

サーカスショーにも出演させていただきました。

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天井からつられた太いロープに、片足や片腕を結び付けて、下からロープをブンブン振り回されて、空中でパフォーマンスをするものでした。

宙づりになって、高速でブンブン振り回されるので、とっても気持ちが悪いです(笑) 目から血が出そうでした。

高いところからの空中でのパフォーマンスは、コアの筋肉を使って、力強く演技します。

あの頃は、毎日毎日、ハードなトレーニングをガンガンやって、みるみるムキムキ筋肉マンになっていきました。

毎日16時間労働で、大変だったけど、

若くなかったから、何度も倒れたけど、

がんばってたな、わたし。

貴重な経験に、感謝。 合掌。

よし!

今は、「今」を精一杯、がんばるぞ!

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2011年05月14日

What a wonderful world


昨日、

車を運転しながら、母からもらったCDを聞いていました。

その中の一曲に、ルイアームストロングの曲が入っていました。

わたしはジャズが好きなので、昔からこの曲は聞いていたのですが、

改めて聞いてみると、とっても心に響きます。

サッチモの柔らかな声と、のびのびとした歌詞に、心が無限に広がります。

まさに、

わたしがいま、見ている世界、感じている幸福感が、そのまま表現されています。

目に入るもの、肌で感じるもの、すべてが愛しくて、やさしく感じられます。

イメージが膨らみ、心がふわふわ浮かんでいって、この素晴らしい世界と一体になっていきます。

世界は、なんて素晴らしいんだろう。



I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world

The colours of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shakin' hands, sayin' "How do you do?"
They're really saying "I love you"

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world

Oh yeah

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2011年02月27日

冥想ウォーキング


朝日のあがるまえから、玄関のドアを開けて、空の下へと出かけました。

まだ薄暗いあたりを、ブラブラとお散歩です。

今まで、ジョギングすることはあっても、お散歩することはあまりなかったな・・・と、気が付きます。

呼吸のリズムと、足のリズムを合わせる、瞑想ウォーキング。

「いま」を感じる、「わたし」に集中する、メディテーションです。

いつもの歩く速さの3倍、ゆっくり歩いてみると、今までなんと超高速で突っ走っていたか、思い知らされます。



畑のわきの用水路に、カモが二羽、スイスイ、泳いでいました。

仲睦まじく、寄り添って泳ぐ姿は、とても微笑ましく、仲の良い、誰かさんたちを思い出します。

カメラを構えると、突然、バタバタと飛び立ってしまいました。

ああ、ごめんね、お邪魔をして。



ありがたいことに、わたしは人から頼られることが多く、すべてを背負いこんでしまう性質なので、知らぬ間に、人々の期待を一挙に引き受けて、重くてヒイヒイ言っているのに、誰も置いていくことができずに、無理して抱え込み、さらに、道端にいる人たちも、どんどん、持ち上げ、拾い上げて、一緒に運んで連れて行こうとしてしまうので、突然、プツン、と電池が切れて、バッタリと倒れてしまいます。

両手は二本しかないというのに、たくさんのかたの手を引いてさしあげようと、無理をしすぎているのかもしれません。

私の体はひとつしかないのですから、わたしが手を引いて差し上げたかたが、他の方の手を引き、そのかたがまたほかの方の手を引き・・・そういう形になってくれたなら、世界に愛と平和が広がってくれるのかもしれない・・・と考えていますが、それには、他の方たちの協力も必要になりますので、もう少し時間がかかりそうです。



一歩。 一歩。 また、一歩。

呼吸のリズムと空気が出入りする感覚を楽しみ、足を一歩出す・・・というドラマティックな出来事を繰り返し味わいます。

わたしがこうして生きていることへの感謝、呼吸をして、体を動かしていることの喜びが、ふつふつと、湧きあがってきます。



だいぶ、夜が明けて明るくなってきました。

太陽が昇る方角には、ちょうど厚い雲がかかっていましたが、反対側の北岳は晴れていて、朝日が赤く輝いていました。

山梨は、本当に美しい。

こんなに素晴らしい土地に居ながら、うつむいて歩いていたらもったいない。

いつのまにか、前ばかりを見て走っていたけれど、のんびり、まわりを眺めながら歩くことも必要だと思いました。

出かける前に、ポケットに小銭をジャラン、と入れてきました。

近くのコンビニで、なにか買って帰ろうかな。

よく父は、コンビニでお菓子を買ってきてくれたな。わたしは朝から晩まで飛び回って、ほとんど家にいないので、会話をすることがめったにないけれど、わたしを気遣ってくれているんだな。

母に、なにかお菓子を買っていってあげようか。甘党の母には、なにを買っていったら喜ぶかな。

そんなことを考えていたら、胸がいっぱいになって涙が出てきました。

家族に愛されているなぁ、としみじみ感じ、こうして、「お菓子を買っていってあげよう」と思う相手がいるということが、本当にありがたいと感じます。

『「愛」は与える力も大切だけれど、受け取るキャパシティを育てることも大切だ。』

尊敬するインドの師匠がそう教えてくださいました。

本当に、そう思います。

わたしの周りのかたがたからの愛、太陽からの愛、自然の音からの癒し、地球からのやさしさ、とにかくとてつもなく大きな「愛」が胸にあふれて、歩きながら涙が出てきました。

すべてがありがたくて、なんにもしてお返しできない、ちっぽけな自分が申し訳なくなってしまいます。



昨日、ヨーガのクラスの生徒さんからいただいた、あるクリスチャンのシスターの方の講話のCDを、車の中で聞かせていただきました。

『心を亡くすと書いて「忙」ですが、「忘」という字も心を亡くすと書きます。』と。

ああ、そのとおりだな、と思いました。

忙しいと、心が死んでしまうばかりか、忘れてはいけない大切なことをどんどん忘れていってしまいます。

心に響く、ありがたいお話しをプレゼントしてくださった生徒さんに感謝します。



毎週、行じている、週に一度の断食行。 その行が明けた今日の朝。

目覚める直前に見た夢は、とても幸福なものでした。 しっかりと固く、愛を感じる夢でした。

感性が豊かになっている、そんな今朝。

思いつくまま、ただ指が進むまま、いま思うことを綴ります。

Hari Om

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2011年02月24日

慈悲の瞑想

先日参加させていただいた「座禅会」で教えていただきました、「慈悲の瞑想」がとても心に残っています。

愛の教え、バクティーヨーガを心がけているわたしに、ピタリ、とはまりました。

「慈悲の瞑想」では、まず、自分自身に愛を投げかけます。 自分自身に対し、ずっと幸せでありますよう、苦しみから解放されますよう祈ります。

そして、それを他の人間を思い浮かべながら行います。

それは、
・自分が好意をよせている人間、
・無関心な人間、
・苦手な人間、
と、好きな人だけではなく、嫌いな人にも、そして、なんにも関心のない赤の他人にまで愛を祈る瞑想です。

そのかたの笑っているところを想像して、「どうぞこのかたがずっと幸せでありますように」と祈ります。

そして、そのかたが泣いている、落ち込んでいる姿を想像して、「どうぞこのかたが苦しみから解放されますように」と祈ります。



「祈り」というのは、「届く」とか「届かない」とか、そういう「結果」はどちらでもよいのだと、わたしは思っています。

「祈る」という「行為」で、私も、相手の方も、私の周りのすべても、浄められるのだと思います。

ですので、結果・・・を気にせずに、とにかく、そのかたのこと、その出来事のことを想うことが大事なのだと思います。

その「祈り」は、「どうかお金持ちになりますように」とか、「どうか、合格しますように」などの「取引」の祈りではなく、心からの慈悲の祈りでなければ浄化どころかその反対・・・の方向へと傾いてしまうと思っています。

とはいえ、
私も完璧な人間ではありませんので、間違えたり、いやな感情を持ったりすることもあります。

完璧でないからこそ、精進して行ける喜びがあるのだと思います。 それを喜びと感じられることが、ありがたいです。

生活の中で、忙殺されてしまわぬよう、自分にも他人にも、動物にも自然にも物にも、「慈しむ心」を日々、心がけて行きたいな、と強く感じています。


船


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2010年11月24日

Remind



インド大使館後援の日本とインドの文化交流祭に出席させていただきました。

日本の和太鼓から始まったオープニングでは、力強い日本の魂を感じ、その荒々しい和太鼓のリズムに合わせたヴェーダチャンティングは本当に迫力があり、鳥肌が立つほどの感動を覚えました。

日本とインドの子供たちの合唱や、記念祝辞など、祭典の一部を共有させていただき、意識が高まりました。

残念ながらあまり時間がなく、オープニングの部分しか出席できず、途中で退席させていただいたのですが、ヨーガの勧戒であるIshwar-pranidhanaの、よい気づきとなりました。

素晴らしい時間をありがとうございました。



そして、同じ日に、85日間続いた祈りの修行が終了しました。

毎日、マントラの祈りを108回、85日間唱える浄化の修行でした。

開始したのが8月の終わりでしたので、ちょうど、インド出張の時期もかぶっていたり、指導者養成講座を開講したりと、時間を作るのがとても大変でしたが、崇高な気持ちで過ごせた85日間でした。

自身のキャパを広げることができ、意識が高まった素晴らしい時でした。

よい機会を与えてくださって、ありがとうございました。



日々の慌ただしい生活に埋もれてしまわぬよう、わたしのやるべきことを忘れてしまわないよう、いつも「愛」を持ち、ハートに聞きながら、これからも精進してまいります。

合掌

蓮3


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2010年11月17日

まなざし


先日、電車に乗っていた時のこと。

ちょっと、遠いところまで行く予定でしたので、移動時間が長くなる日でした。
よっしゃっ!・・・と、教科書を持ち込んでやる気満々で、電車の中でバリバリ勉強していました。

今、放送大学で学んでいる学問は本当に面白くて、周りも気にせず夢中になって教科書に書き込みやらマーカーやらしていました。

移動時間が長くても、電車の中が混んでいても、ずーっと座れなくても、勉強しているとへっちゃらです。



わたしは、子供のころから、集中し始めるとご飯を食べるのも忘れて、朝から晩まで没頭してしまうタイプです。

そのかわり、興味のないものにはまったく集中力がなく、あまりやる気の起きない塾や習い事は、全然、長続きしないことが多かったです。

「おまえは飽きっぽい性格だ。」と言われていましたが、自分で「これだ!」と認めたものには、猪突猛進してのめり込んでいくタイプでした。

好きなものだけにしか反応しないという、親・教師泣かせの子供でした。

その点は、いまも、まったく変わりなく、集中するとなにも耳に入らなくなってしまいます。

専門分野にしか興味がないので、テレビも見ないし新聞もほとんど読まないので、世間のことがまったくわかりません。

以前通っていた英会話教室では、時事ネタばかりを毎回話題にして会話するので、わたしにはさっぱり話題が見えず、意見を求められても知らないことばかりなので会話にならず、わたしには学習方針が合わない、と結局、通うのをやめてしまいました。

東京に暮らしていながら、人里離れた山の中に暮らしているような生活です。



そんな、すごい集中力で、電車の雑踏の中で、一心不乱に勉強しているわたしを、はたと、止める「気」がありました。

なにかを感じ、教科書から、ふと、目を上げると、バチッ!とあった視線の先には、60代くらいの上品そうなおじさまのやさしそうな眼差しがありました。

目の奥に深い温もりを感じる、その紳士の眼差しは、夢中になって鉛筆とマーカーを走らせているわたしを、しばらくの間、ずっと観察していたのでしょう。

顔を上げたわたしと目が合うと、おじさまは「ニコリ」と微笑んでくださいました。

わたしもつられて「ニコリ」・・・のあとに、照れくさくなり、下を向いてまた、教科書へと視線を戻しました。

学生・・・と呼ぶにはずうずうしい年齢のわたしを見て、まなざしでエールを送ってくださっていたのかしら。

おじさまのやさしい微笑みが「がんばれよ!」と言ってくださっているように感じました。

見知らぬ方から、突然、プレゼントをいただいたようで、なんだか嬉しくなり、またこっそり微笑みました。

人は、まなざしだけでも他人を幸せにできるんだな、と、そのおじさまから教えていただきました。

心がほっこり、あったかくなりました。

改めて、人間って、いいな、と思いました。

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2010年08月13日

MIRACLE DAYS

キラキラの生まれたての朝日の中

ポニーテイルをピョンピョン 揺らしながらジョギングする

起きたての鈍くて重たい頭が だんだん冴えていく この感覚が好きだ

まだ 夜の名残を少し残した 大人になりきれない思春期の葛藤のような 早朝の空気

こんなに朝早いとうのに たくさんの人間観察が楽しめる


1250









歯磨きしながら新聞を取りに来る ランニングシャツのおじいちゃん

頭にカーラーを巻いたままで 玄関の鉢植えの水やりをするおばさま

始発の電車へと急ぐ スーツ姿の眠そうなサラリーマンの猫背

自転車でスイスイ 音楽を聴きながら走る青年

ちいさなワンちゃんを散歩する 太鼓っぱらのおじさま

一体 何時から走り始めたのか すでに汗だくのランナーたち

一仕事終わったあとの ビール片手にコンビニから出てくる 夜間肉体労働者さん

ふわふわ ゆらゆらと 揺れながら歩く アジアンウェアの無国籍青年

母が前かがみに手を引いて ひょこひょこ 引かれる小さな子供

道路と向い合せになるほど 腰の曲がったおばあちゃん

みんながみんな 「いま」を生きている


339








ああ おもしろいなぁ

目に見えるこの人々は みんな 「今日」という「わたしの朝」の背景となるんだな

たくさんの人間がいて みんなそれぞれ暮らしていて

人それぞれ 人生があって 悩みや 苦しみがあって

嬉しかったり 幸せだったり 人を愛したりして

そして この「地球」に一緒に暮らしているんだな

わたしたちはみんなでこの「地球」をシェアしてるんだ

クラスメイト みたいなもの

仲間なんだね

みんな 一緒に暮らす 家族なんだ


067














ザブザブ 雨が降ったり

ゴウゴウ 風が吹いたり

カンカン照りで 溶けそうだったり

ときには 雷が ドカンと落ちることもあって

本当に 毎日 いろ〜んなことが起こって

「地球」って 本当に飽きないとこだ



1492









朝には輝く朝日が 必ず昇り

昼と夜の間には いつも決まって 空気が色を変えていく


1457









木漏れ日の公園で、ベンチに座って ランチタイム

カカカカ・・・・・ヒグラシの声を聞きながら 夕涼み

空を見上げて 星を数えて 家路を急ぎ

朝にはいつでも 鳥が楽しそうに歌っている


1550









息を吸えば いつでも新鮮な空気が おなかいっぱいに入るし

目を閉じれば 気づかなかった 実に無数の自然の音が 耳を楽しませてくれる


1734








人から言われた一言で グサリと傷ついたり

あんなこと言わなきゃよかった と後悔したり

ひょんなことから 出来事が急展開 どんでん返ししたり

心のまま 素直になれなくて反省したり

思いがけない 神様からのプレゼントをいただいたり


1648







いっぱいいっぱい ぐしゃぐしゃになるまで泣いたって

必ず お腹がすくように 必ず すぐに笑顔になるんだし

ぎゅうぎゅう 胸が押しつぶされて 苦しくて苦しくて動けなくても

眠れば 必ず目が覚めるように 闇のあとには 絶対に 光がやってくるものなんだし


3718













うまくできてるなぁ

毎日は芸術だ

一瞬 一瞬が 奇跡だ

人生ってやつは 絶対にわたしを飽きさせない

この地球は なんて楽しいんだろう

サイコーだ

生きてるって 楽しすぎる

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2010年06月18日

落し物から気づくこと


東京での生活の朝。

通勤ラッシュの、あのギュウギュウの電車は大嫌いなので、ピーク時を避けて、いつもかなり早めに家を出ます。

仕事の時間よりも早く到着してしまうので、その時間を、本を読んだり、エクササイズをしたり、お勉強をしたり、自分のための時間に使います。

早起きをすると、時間がたっぷり使えるから好きです。



ある駅での、ホームへと続くエスカレーターにて。

目の前の青年のお尻のポケットから、目薬が飛び出しそうにしていました。

その青年は肩に大きなスポーツバッグを抱えていたのですが、バッグがお尻のポケットをこすって、歩く時の振動で、ポッケの中に入っていた目薬が、今にも落ちそうな状態。

身体半分、乗り出して、必死でしがみついている様相でした。

「ああ〜、あの子、落ちそうだわ〜」

と、ハラハラしながら見つめる私は、若い青年のお尻を凝視する、変なおばちゃんに見えただろうな(笑)



エスカレーターが終わるころ、一歩、踏み出した青年のお尻のポケットから、力尽きた目薬のビンが、ポロリ・・・とわたしの足もとに落ちました。

憐れ・・・・・努力虚しく、持ち主の意識の外で転がり落ちる、メグスリくん。



私は、さっ!と腰をかがめ、かわいそうなメグスリくんを保護し、「すみません!」と、青年を呼びとめました。

彼は、イヤホンで音楽を聴いていたのでわたしの声に気付かず、どんどんホームを進んでいきます。

わたしの手の中で泣きじゃくる迷子の迷子のメグスリ君。

待っててね、いま、彼のもとに帰してあげるからね。

小走りで青年に追いつき、音楽にどっぷり浸かって自分に世界に入っている彼の肩をトントン叩きました。

「はい、これ落ちましたよ」

という私の声は、音楽に消されて聞こえなかったと思うけど、彼は、「ありがとうございます」と小さな声で言ってくださいました。

よかった。メグスリくん、無事返還☆



その日の午後。

朝のクラスが終わり、のんびり自分のエクササイズとストレッチを楽しんだあと、電車に乗り込みました。

ランチタイムの電車はすいていて、朝の殺人的なラッシュに比べると、とてもゆったりとしています。

座席に座り、先日のヴェーダンタの記念式典のときに購入した書籍を広げていました。

心が洗われるような、はっ!と気づかされるような、素晴らしい内容の本に夢中になっていました。

わたしは集中すると周りが見えなくなります。

時間もあっという間に過ぎてしまいます。

とつぜん、誰かがわたしの腕を触ります。

隣の空席を挟んでその隣に座る女性が、わたしのほうを向いていました。

どうやら、声をかけてくださっていたらしいのですが、集中して周りが見えなくなっている私には聞こえなかったようです。

やさしく、腕をトントン、とされました。

「これ、落ちましたよ。」

彼女が差し出してくださったのは、本のしおり代わりに使っていたTSUTAYAのTカード。

夢中になっているうちに、知らずに本から抜け落ちていたようです。

「あ、ありがとうございます。」

お礼を言うと、ニコリ、と彼女は微笑んでくださいました。

わぁ、嬉しいなぁ。 気持ちがやんわりとしました。



自分の行いは必ず返ってくる・・・・という、ヴェーダの教え、ヨーガの教えを思い出しました。

これは、ほんのささいな出来事だったけれど、気付きを与えるには十分な出来事でした。

まわりに与えたものは、必ず、返ってきますよね。

善いことも、悪いことも、です。

「必ず」返ってくるのなら、善いことをたくさん行って、良いものをたーくさんまわりに与えたいです。

返ってくるのですから。

まわりが幸せになると、わたしも幸せになるのです。



尊敬するかたのお言葉に

悪いものを見ない  − 善いものだけを見なさい
悪いことを聞かない − 善いものだけを聞きなさい
悪いことを言わない − 善いことだけを言いなさい
悪いことを思わない − 善いことだけを思いなさい
悪いことを行わない − 善いことだけを行いなさい


という教えがあります。

まったく、そのとおりで、それこそがすべての幸せにつながりますね。

自分自身の幸せにも、そして、まわりのかたたちの幸せにも、さらには、そこから広がって、世界の幸せにも。

み〜んなが少しずつでも幸福の波動を広めていったら、世界全部が幸福になるのにな。

少しずつでも、広めていきたいです。 わたしから、まわりのすべてのみなさまへ。

毎日が「気づき」で、まいにちが「修行」です。

合掌


たんぽぽ


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2010年05月19日

13の月の暦ワークショップ



16日(日)の夜。

石和のメキシコ飯店マパさんで行われたイベントに参加させていただきました。

「13の月の暦ワークショップ」

これは、マヤ暦を使って生活をして行く方法を教えてくださるワークショップ。

マヤ暦とは、古代マヤ文明の知恵をベースに生まれた暦だそうです。

この暦で生活していくことで、宇宙や自然と調和したリズムを思い出し

日々、生きる時間に輝きを思い出させてくれるそう。

フライヤーに「時間を変えれば意識が変わる」と書いてあるように

意識をして毎日を生きていく、ひとつの手段、きっかけ、だと感じました。


love














マパ暦では、心のリズムと、肉体のリズムがあるようで、そのバランスをうまく保ちながら生活をして行きます。

素敵ですね。



ワークショップでは、自分の誕生日から、マパ暦で言うタイプを割りだしたり

それと相性の良いタイプ、反対のタイプ、謎のタイプ、ガイドのタイプなどを調べていきました。

そして、その4タイプのかたがたに周りを取り囲まれると・・・・

自分が生まれた時の、そのままの状態に戻れるんだそうです。

このサークルの真ん中に入ると、みなさんそれぞれ、なんだか、不思議な感覚になるようです。

おもしろいですね。


maya














実際に教えていただいて、この13の月の暦はとても難解で

すべてを理解するにはかなり時間がかかりそうですが

根本のコンセプト・・・というか、これを通じてなにがしたいか・・・はおぼろげながら理解できました。

とても簡単にざっくり言ってしまうと

「意識して、丁寧に毎日を生きる」

ということなんだと思います。

そのきっかけづくりとして、こうして暦を意識していくと、よりいろんな「気づき」が起こるのでしょう。



わたしも、様々なシンクロニシティとともに生きていますので

とても納得ができます。

これからも、丁寧に、大切に、毎日を生きていこうと思いました。



それにしても・・・・

朝日のイベントで3時に起きた日のことでしたので(睡眠2時間!)このイベントの終了時刻の22時近くなると眠くて眠くて・・・・

マパさんでいただいたメキシカンコーヒーにはテキーラが入っていたので

さらに、眠気パワーアップでした(笑)

楽しいイベントでした!

ありがとうございました☆






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2010年05月14日

新月瞑想 と 赤いバラ

明日14日は新月です。

スケジュールの都合により、今夜13日ですが、新月瞑想会を開催させていただきました。



新月での瞑想は、願いや夢を成就するエネルギーを高める瞑想を行います。

この瞑想法は、アメリカの師匠から授かりました。

師匠に感謝し、忠実に継承させていただいております。

夢や願いを、しっかりと心の奥の奥まで植え付けていきます。



ヒトは、心に思った通りの人間になるので

私たちのこの、性格やひととなりは、まさに、心にあるそのままなのです。

ということは、

どんなに自分のことが嫌いでも、ネガティブでも

そうさせたのは自分自身なのですね。

逆を言えば、心に描く自分自身をポジティブにしていけば

自然と、そういう自分になるのですね。

いわば、イメージトレーニングのようなものでしょうか。

大事ですね。

ダメダ、ダメダ、と思っていると、ダメになってしまうし

インフルエンザにかかりそうだな・・・と思っていると、本当になってしまったり。

心はすべてと繋がっているんですね。



今月のわたしの新月のお願いは・・・・・

ヒミツです。 ふふ☆




いつも、お部屋をお借りしてお世話になっている田富総合会館の受付のおじさまから

嬉しい嬉しいサプライズをいただきました。



rose
















きれいなバラの花。

深紅にしたたるような美しいローズたち。



*赤いバラの花言葉・・・・愛情、美、情熱、熱烈な恋、あなたを愛します

*赤いバラの蕾・・・純潔、あなたに尽くします

*赤いバラの葉・・・無垢の美しさ、あなたの幸福を祈る



キャーーーー! ロマンティックすぎっ!

突然のサプライズって、嬉しいですね☆

「つぼみもいっぱいついてるから、しばらく楽しめるよー」と、プレゼントしてくださいました。

田富総合会館のおじさま、ありがとうございます。

でも、花言葉の意味だったら、困っちゃいます(笑)



わたしも「喜び」をいただいたので、ほかの誰かにも「喜び」をプレゼントしたいな。

そうやって、まわりから受けたものは、めぐりゆくはず。

いいものも、わるいものも、ぐるぐると廻りゆくならば

いいものばかりを、まわりに巡らせたいものです。









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2010年04月25日

地球と仲良くなるイベント

昨夜、Bar Slowさんで行われたイベントに参加させていただきました。


「地球と仲良くなるイベント〜「損にできること」を育てよう!〜 」

という、地球環境についてのイベントです。

とってもためになり、環境への意識が高まりました。

たくさんの参加者がいて、こんなに多くの方々が、地球を守ろうとがんばっているのか・・・と、地球が大好きなわたしは、胸が熱くなりました。


地球イベント1

















以下、 フライヤーより抜粋。



この地球が直面しているさまざまな問題を前に

損たち一人ひとりの力はあまりにも小さくて

ともすれば、あきらめや不信、無力感に襲われてしまうかもしれません。

「自分にできることなんて何もない」

と真剣に考えたり、話し合ったり、行動を起こしたりすることに

大きな困難を感じてしまうかもしれない。

でも結局のところ、

この世界は損たち一人ひとりからできています。

一人ひとりがちょっとずつ変わっていけば

世界もまたちょっとだけ素敵な場所に変わっていくはずです。

損たちの選択や行動が未来を決める大きな力を持っています。

さまざまな立場で活動する3人のお話しを聞きながら

「損にもできることがある」

という小さな希望の芽を見つけて、共有して、より大きな力へと育てていきましょう!

燃えさかる森にしずくを一滴ずつ落とし

「損は、損にできることをしているだけ」

と語るハチドリ・クリキンディのように。


地球イベント2















大学教授 社会環境学の箕浦一哉さんのお話http://moon.ap.teacup.com/minoura/

グァテマラの環境を守る大田美保さんのお話
マヤナッツのお話をお聞きして、少し・が出てきました。
http://www.mayanuts.jp/

スーパーエコ生活をきわめている 井上直記さんのお話
電気代一カ月900円を切るそうです。あっぱれ。
http://www.u-kimura.com/

ハチドリの物語http://www.yukkurido.com/01_book/items_book_hachidori.html

  
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2010年02月09日

なりたい自分

なるほどなぁ、と頷ける

ありがたいお言葉が舞い込んできました。

皆さんとシェアさせていただきたいです。


*****


人は自分の考えるとおりの人になります。 

いつも他人の欠点ばかり考えていると、 

その悪はあなたの中に入ってきます。



*****


そのとおりですね。

私たちは、心に描く通りの人間になるというのは、本当だと常日頃感じています。

「私は、ダメダ、ダメダ」

と思いながら暮していると、駄目な人間になってしまいます。



「あー、風邪ひきそう〜」とか

「こんなことしても、どうせ駄目なんだろうなー」

「無理に決まってるじゃん、無駄だよこんなの」

と、根拠のない心配やネガティブシンキングが過ぎると、

結局、そのとおりになってしまいます。

まだ、だれも見えない未来のことだというのに、

始める前から、自分自身でネガティブな悪い種を植え付けているようなものですね。

もったいない。



わたしが昔、外国でインストラクターの養成トレーナーをしていたころ

「Don't give up! before you try to start it!」

とよく言っていたのを思い出します。

「やってみる前から、駄目だと思うな!」という意味です。



本当に、やりたいと思うこと。

本当に、なりたい自分。

本当に、かなえたい夢。

そういった、「本当に」心に描くものは、必ず実現するのです。

わたしはそう信じて、これまで、夢を実現し続けてきました。





いつも他人の欠点ばかり考えていると

その悪はあなたの中に入ってきます



そして、これはわたしもまだまだ修行が足りないところ、気をつけなければいけないことでもあります。

わたしたちは人間ですので、地球上のすべての人とウマが合うわけはありません。

他人が言った言葉に、心を傷つけられたり、

周りの人の行動が気に食わないこともあります。

自分にとっては「ウイルス」に感じるかたがいるとしても、そのかたにも「善」は必ずあるのです。



ヨガには「アヒンサー(非暴力)」という大切な言葉があります。

人(もの)に暴力的になってはいけない

という意味なのですが、わたしはこれは、ただ、殴ったり殺したり、肉体的な暴力だけを言っているのではないと思っています。

言葉で相手を傷つけることも立派な「暴力」ですし、肉体の傷は時間がたてば治っていきますが、言葉で傷つけられた心の傷は、いつまでもずっと長引いてしまいますので、むしろ重罪だと思います。

ふいに、口を出てしまうこともあるので、難しいですね。

そして、「態度」での非暴力も心がけたいです。

人間は

自分の考える通りの人になります


ということからも伺えるように

「どう考えているか」が私たちの人格となります。

ですので、心の中で悪い気持ちを持っていると、そのとおりの態度が出てしまいます。

口ではうまいことを言って、笑顔を作っても

心の中では反対のことを思っていれば、それは相手に伝わりますね。

「目は口ほどに物を言う」もそうですが

「態度」もそうだと思います。

そして、「ふいに口に出てしまう言葉」は自分の「どう考えているか」の正直な表れですね。

心の中でさえ、暴力的な想いを持たないようになれば、「建前」と「本音」の間で葛藤することもなくなり、ストレスに感じることもなくなります。

他人と一緒にこの地球上に同居している以上、人間関係でのストレスは避けて通れないものですが、

周りを変えようとするよりも、自分自身の内面を変える努力をするほうが、ストレスが少ないのは事実です。



しかしながら、私たちは人間ですので、嫌な感じがすることもあるし、苦手な人ももちろんいます。

理想はとても困難で、一見、無理なようにも感じますが、まさに

「Don't give up! before you try to start it!」

「やってみる前から、駄目だと思うな!」


ですね。



日々、精進していきます。

今日はちょっと語っちゃいました。へへへ。


三姉妹





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

熟れた彼女

本日は、お仕事をお休みさせていただいて、

埼玉でヨーガ療法士のお勉強会に参加してきました。

土曜日のクラスを楽しみにしてくださっていた皆様、

すみませんでした。

今日のヨーガ療法士のお勉強会は、アドバンスのコースで、

さらにさらに、深く専門的な領域へと掘り下げていきます。

今日から2年間、毎月のように通うことになります。

往復で7時間の通学時間。

お尻が痛いです。



様々な症状の方へのヨーガ指導を学んでいきます。

ストレスからくる心の緊張から

身体の筋肉が過緊張となり

身体的障害や、内科疾患へと繋がります。

その「ストレス」と感じている「心」を治療していけば

おのずと肉体は健康になるではないか!

という、根本から治療する素晴らしい療法です。



埼玉まで通うのは大変だなー、どうしようかなー

受講料高いしなー、お仕事お休みするの気が引けるしー

と、少し悩んでいたこともあったのですが、

悩む必要なんかまったくなかったです。

改めて、こちらへ参加することの選択が間違っていなかったことを実感し、

また、わたしが行きたい方向へと、着実に進んでいる、「道」を再確認できました。

これからも、信じて一歩一歩、進んでいきます。



「ユキさんは、山梨県でただ一人のヨーガ療法士だから、これからなにかそちらで催しがあったら、お声を掛けさせてもらうかもしれないよ。よろしくね。がんばってね。」

と先生にお声をかけていただきました。

なんと!光栄です。

よろこんでお力になりたいです。

これからも精進してまいります。



8時間の長い座学が終り、急いで帰宅です。

10分後の電車をのがすと、1時間先まで待たなければなりません。

今朝は始発で出てきたので、あまり寝ていませんし、

頭もたくさん使ったのでクタクタです。

早く帰宅したかったので、駅までの道のりを小走りで急ぎました。



信号待ちで止まった時、ふと見上げると・・・

膨れ上がった、完熟したお月さまが、ぽっかり・・・。

生まれたばかりの満月は、ちょうど目の前のビルのすぐ上に、ふわりと浮かんでいました。

いつも見る、頭上のお月さまの3倍くらいはある、膨張した彼女は

橙色にぼんやりと、怪しげな光を放っていました。

官能的ともいえる、艶っぽい輝きの彼女はまるで、

誰かが、真っ暗な空の上に、絵具で書き足したかのような

とても非現実的な存在でした。



しばらく、うっとりと見つめていましたが、

電車の時間が迫ってきていたので、名残惜しかったのですが、また小走りに駅へと急ぎました。



肉体的にはすごく疲れた一日でしたが

たくさんのプレゼントをいただいた

充実した気分です。

感謝。



tokyo moon












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

コドモのココロ

知り合いの娘さん、小学校3年生。



「ねえねえ。」

「ん?」

「サンタクロースって本当にいるの?」

「・・・・・・・・!!」



何も言葉が返せませんでした。

ウソがつけないわたしですが、子供の夢も壊したくないし、でも、ウソはいけない

・・・という葛藤から、ノーアンサーになってしまいました。



自己分析してみました。

ウソがつけなかった、ってことは・・・・

サンタさんはいないと思ってるんですね、わたし。

自分のその反応でそのことがわかりました。

でも、それは・・・・・

もしかしたら、それはわたしの思い込みで

本当はいるかもしれないんです。

だって、「いない」っていう確証も「いる」っていう確証も、どこにもないわけですから。



「いるって言われているけど、まだみたことないな」

がわたしの目指す思想なんじゃないかと思います。

言葉だけではなく、心からそう思えるようになりたいです。



わたしの隣にいた奥さんが、言葉を失って固まる私の代わりに、その3年生の少女に言いました。

「どう思う?いるかな?いないかな?」

「う〜〜ん、いる気もするけど、いないような気もする〜〜」

と、少女。



そう、まさに、この答えがまっすぐなものの見方だと思います。

だって、「いない」って決めつける事実はないし、みたことがないから「いる」とも言い切れないし。

おとなになると、「社会に適応、不適応」という枠でいろいろなものをくくってしまいがちです。

サンタクロース、もそう。

トナカイのそりに乗って、空から煙突に降りてくる・・・

なんて、この現代社会に適応しないじゃないか

おまけに、煙突なんて今の時代ないじゃないか

・・・という、頑なな現実主義から「いるはずない」とジャッジしてしまうのですね。



サンタクロースがいるのか、いないのか

実は、そのこと自体が問題なのではなくて、

その考え方に問題があるのではないか。

もっと広〜〜〜い視野で見てみると、

自分が思っている「社会」というものに適応しないものに対しての、根拠のない妄想、思い込みがたくさんあることに気づきます。



「普通さー、こうするじゃなーい?」

と、「普通こう」という言葉が口癖の方も多いですね。

その「普通」と考えているのは、わたしたちの偏った価値観であって

「世間の普通」ではないのではないか、と思います。




今回の発見で、いつのまにかわたしは

偏ったものの見方、考え方をしていたのかもしれないな

と、改めて反省させられました。



いろいろと思考がめぐり

事例もたくさん浮かびましたが、

それはまた時期を見て、みなさまと共有させていただきたいなと思います。



子供のピュアなココロは素晴らしい。

お勉強させていただきました。

TS04903s.jpg


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月18日

あいさつの魔法

大好きな時間帯、

夕方と夜の境目。



夕日の中をジョギングしました。

今日も朝からあちこち移動して、夜まで忙しい日でしたが

そんな慌ただしい日こそ、なんとか隙間を見つけて自分の時間を作ります。

わたしと、自然とのランデヴーの貴重な時間です。

自然と一体になる、大好きな時間です。

夕陽の赤に、富士山が美しく染められていました。



いつも田舎道、たんぼ道を、自由気ままに走ります。

のろのろ運転、蛇行運転、時にはダッシュしたり、後ろ向き走り

なんでもありです、わたしのジョギング。

気分のままに、好きなように自然と戯れます。

呼吸をして、空気が体に入ってくるのも気持ちがよくて、

ひとりでニヤニヤしちゃいます。

気持ち悪いでしょ(笑)



今日は、いつもとルートを変えて、違う田舎道へ。

夕方と夜の境目の時間は、犬のお散歩タイムなんですね。

たくさんの方たちが愛犬を連れていました。

ほのぼの〜です。



前方からジャージ姿の60代くらいのご夫婦が、こちらに歩いていらっしゃいまいた。

お散歩・・・・ではなく、ガシガシ歩くぞっ!!

って雰囲気のおふたり。

きっと、夫婦の日課なんでしょうね。微笑ましい。

わたしはおふたりを避けるため、走るスピードを緩めず、斜めにギューーンと路線変更しました。

すれ違う瞬間、旦那さまのほうが

「こんにちわー」

声をかけてくださいました。



わぁ!

なんて、素敵なプレゼント!

いつもと違うルートを走ったので、私のことは知らないはずなのに

声をかけてくださるなんて!

「こんにちわー」

わたしも笑顔で答えました。



上々だった気分が、さらにさらに、グングン急上昇していきました。

たったひとことで、こんなに気持ちが良くなるなんて

「あいさつ」ってすごいなぁ。

人と人とのコミュニケーションって、素敵ですね。











posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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