山梨の生徒さんから、CDにコピーした、高徳なかたのありがたいご講和を何度かいただきました。
そのいくつかの中に、ある有名なクリスチャンのシスターのかたのご講和もありました。
いつもとても心に響くお話しで、何度も何度も、繰り返し聞いては、まだまだ、人間のできていない、修行が足りない自分の悪いところを見直しています。
シスターのかたですのに、仏教の有名なお言葉のお話しをされていたのですが、それがとても心に残ったので書き記しておきたいと思います。
クリスチャンの彼女が、講話の中で仏教の教えをチョイスされたのが印象的でした。
わたしのヨーガの思想にある、とても大切な言葉があります。
「There is only one religion, the religion of LOVE」 だからこそ、こだわりなく、まんべんなく、様々なreligionや、心理学などの分野からも学びを深めています。 「one LOVE」のために。
このシスターのかたがわたしに教えてくださった仏教の教えは、「人は、財産がなく、蓄えがなく、暮らしは貧しくても、ホトケ様に捧げものをすることができる」、という教えです。
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「無財の七施」1.眼施(げんせ)慈眼施〔じげんせ〕ともいいます。眼による施し。優しいまなざしで人に接することです。
「目は口ほどにものを言う」といいます。自分の心というものはまなざしによって伝わるものです。
人に、優しくあたたかいまなざしを与えて、そのかたを幸せにして差し上げる、というお布施です。
2.和顔悦色施(わがんえつじきせ)和顔施〔わがんせ〕ともいいます。穏やかな温かい表情で人に接することです。
自分自身が、相手の表情一つで心が揺れ、影響を受けるということを考えると、優しい表情で接するということが大きな布施だということがわかります。
とはいえ、表情というのは感情が表れるところです。気分のいいときに優しい顔をすることは簡単ですが、腹の立っているときに穏やかな顔を、落ち込んでいるときに明るい表情をするというのは大変なことです。
自分自身の小さな感情にこだわらず、自分の顔を見る方の幸福を祈って、愛にあふれた表情をみせれたらいいな、と思います。 表情ひとつで、相手の方に幸せを与えることができますね。
しかしながら、わたしは良くも悪くも、裏表がない人間なので、思っていることがすぐに表情に出てしまいます。 この和顔施を実践するのには大きな自己コントロールが必要で、とても難しいことですが、和顔施を意識して、周りの方へのお布施としたいと心がけたいです。
3.言辞施(ごんじせ)
愛語施〔あいごせ〕ともいいます。愛のある言葉、思いやりのある言葉を与えることです。
人間のコミュニケーションの中心は言葉によるものですが、言葉一つが人の生死を左右することがあるものです。
言葉は口から出て、音になり、あっというまに流れて消えて行ってしまうものですが、「記憶」としていつまでも残ると思います。
ひとつひとつ、なにを話すにしても、無意味なこと、必要のないことを話さず、うわさ話や人の悪口を言わず、口から出る言葉を大切にして、心をこめてお話ししたいと思います。 これも難しいですね。
4.身施(しんせ)捨身施〔しゃしんせ〕ともいいます。損得を抜きにして、自分の身体を使って奉仕することです。
ボランティアとして自分のできることを探して奉仕すること。また、頼まれ事をしたときに、快く応えることも大切な身施ではないかと思います。
わたしはヨーガを通して「奉仕」をさせていただいている、という感謝の気持ちを持ち続けようと思います。
皆さんががヨーガを通して幸せになってくださるのが、わたしの幸せにつながります。
人生での修業は「愛」というエネルギーから来る「奉仕」だと考えています。 それが「自己満足」や「利己主義」になってしまうこともあるので、気をつけたいです。
5.心施(しんせ)心慮施〔しんりょせ〕ともいいます。思いやりの心を持つこと、真心を込めて行うことです。
人の喜びを心から喜び、人の悲しみや、苦しみを自分のことのように受け止めるてあげることも大きな布施といえるのではないでしょうか。
わたしは言葉が足りないことがあるので、上手なアドバイスはできなくても、せめて、お話しを一生懸命話を聞いて、うまい言葉がみつからなくても、心をこめてうなづくだけでも、その心が伝わって、いくらかでも表情が明るくなると思います。
「人を喜ばせるために何ができるか」と考えるところから始めるだけでも、心の方向性が自分中心から変わり、また、そういう心というのは自ずと相手にも伝わると思います。
6.床座施(しょうざせ)
座席を譲ること。経典には「席を作って座らせる、あるいは自分がすでに座っている席を譲って、座っていただく」とあります。
人に対して、居心地良くしてあげるという意味もあります。 困っている方、助けを必要としている方に、心地よい環境を提供してあげる、という意味にも取れます。
忙しいと、どうしても自分中心の考え方に偏ってしまい、わたしもそれで毎日のように反省しています。 ひとりよがりな考え方、自己満足の親切ではなく、本当にそのかたに必要な手をさしのべて差し上げられる人間になりたいです。
7.房舎施(ぼうしゃせ)自宅に人を迎え、雨露をしのぐ場を提供することです。経典には「家の中に迎えて過ごしてもらう」とあります。
一宿一飯を拒まない、という意味です。 これは、自分の持っているものを他人とわかちあう、ということでもあります。
わたしが持っているものは、すべて神様からのいただきものです。 お金や持ち物もそうですが、この肉体も声も、これまでの経験もたくさんのかたからの支えも、すべていただきものです。
いただいたこの宝物を、自分だけで抱え込まずに、できうる限り、必要な方に分け合っていけれる、心の大きな人を目指したいです。
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この7つの教えは、お金も時間もかかりません。
日常生活でできる、まさに「修行」です。 難しいですね。 心がけたいと思います。