2020年12月14日

(エッセイ)帽子の顎ひも



「あ!いたっ・・・!」

細い針が、左手の人差し指に刺さって、私は思わずビクッと手を引いて、胸に寄せた。

見ると、かすかに赤い点が見える。

その人差し指を口の中に入れて、チューと少しの間吸って、ペロリと舐めたらパタパタと手を振って、風で指先を乾かす。

この真っ白な日よけ帽子に、わたしの血液の鮮やかな赤がついてしまわないように、十分に用心して人差し指をできるだけ帽子から遠いところに広げ、代わりに中指を使いながら針を刺す。



「ごめんね、ユキ。なんだか面倒なことをやってもらっちゃって」

畳の上で正座をして背中を丸くしながら縫物をする私の隣で、座椅子にもたれたまま半分こちらに身を乗り出した母が、眉を寄せ困ったような顔をして何度も同じ言葉を繰り返す。

「甘え下手」なのは、母譲りだな・・・・、と私は確信する。

母は、私が母のためになにかするといつでも「ごめん、ごめん、ごめん」と謝ってばかりだ。

私は、その母の口癖に聞こえないふりをして、背中を丸くし、ものすごい集中力でじっと手元を見つめている。

いつのまにやら、この私もだいぶお年頃になってきたようで、最近は手元の細かい作業のとき、視界がぼやけてしまう。

私自身は永遠に思春期の中にいて、そんなに大人になったようにも感じないのだが、肉体は確実に時間と共に腕を組んでどんどん進んでいるのだろう。わたしの「幼さ」を置いてきぼりにして。

手元との距離を調整しながら、お疲れ眼のピントをなんとか合わせつつ、チクチクと針と糸を繰り寄せていく。




その日の午後、カラリと晴れて、薄い青がろうろうと広がる空。

ハトの群れが冬の畑をついばんでいて、私たちが近づくと合図もなしに一斉に飛び立ち、そして、どうやって意思疎通するのか一斉に向きを変えてそしてまた一斉に向きを変えて・・・見えない誰かに指揮されているかのような奇跡のようなダンスを描いていた。

私たちは、母の家の周りの路地や畑の脇の道を、ふたりで「歩く練習」をしていた。

母がかぶっていた大きなフードの黒い帽子が気になった。

母は、どうしても日焼けをすることが許せない性分らしく、いつも外に出るときは絶対に帽子をかかさない。

その黒くて広いまあるいフードは、母の顔をすっぽりと覆い隠して、恐らく、かなり日焼けをガードしている役立ち者だとは思うのだけれど、その代わりに、前方がまったく見えず、足元しか見えない構造をしている。

二人で歩く練習をするあぜ道は、ライスフィールドが広がり、用水路の水の音が心地よく聞こえる線路沿いで、山々が美しく見える日本的な田舎の風景で、わたしはここで風や土を感じながら歩くのが好きだ。

一時間に一本か二本、2両編成のローカル電車が、ゴトゴトと実にのんきなスピードで通り過ぎていくのも、のどかで気持ちがゆっくりになる。

とても細い畑道ではあるのだけれど、とはいえ、近所の車や自転車やバイクが通ることもしばしばあって、どう考えても前方が見えていないであろう、大きな黒い魔女みたいな帽子をかぶって、ヨチヨチ、手押し車を押している母をみると、ヒヤヒヤしっぱなしだった。

ただでさえ、病気で視界が狭くなっているうえ、歩くことに全神経を集中して頑張っている母は、さらには耳も遠いので、車や自転車が来ていることに気づいていないのは間違いないだろう。

私が日本にいるときは、一緒に歩いてあげられるから良いのだけれど、私が日本にいない一年の大半の期間は、母はひとりで歩く練習をしているらしい。

ひとりで、この帽子をかぶって周囲が全く見えないまま歩いているなんて・・・私は心配でゾッとする。

私は母に、この黒い帽子は庭の枯葉拾いのときだけにして、歩くときは使わないほうがいい、と提案した。

すると、母には母の言い分があって、いくつかある帽子の中で、この黒い魔女のような帽子だけが、顎ひもがあるから、帽子が飛んでしまうことを心配しないで済むので、歩く練習に集中しやすいそう。

なるほど、それなら・・・・と、私は母が持っているすべての帽子に、顎ひもを縫い付けた。

なんだか私は、「母を守るんだ」という力強い使命感を感じている自分に気づいた。

いくつもの帽子にチクチク針を刺しながら、子供のお世話をするってこういう気持ちなのかな、と感じてみたりした。私は今世では、自分の子供とのご縁がなかったけれど。

こうやって、若かりし日の母も、私が幼少期のころには、赤白帽子や黄色帽子やぞうきんや布バッグなどを、せっせと縫ってくれたんだろうな・・・なんて、想像したりした。

その時の母の気持ちを想像して、なんだか、じんわりと感謝が溢れてきて、温かい気持ちになった。

過去の母からの愛をいまさらながら受け取り、そして、今の私の母への愛を認めながら針と糸とをみつめていた。





数日前、

ランチに母の好きなあんまんを蒸した。

母は、熱いから・・・と、あんまんをお箸でつかんで、私を微笑ませた。

「美味しい!」と目を真ん丸にして、一口食べ、そして、また次の一口も、まるで初めて食べたかのように、最初と同じように目を大きく見開いて「美味しい!」と、一口目と同じ感動を現わした。

私が一緒でだからこそ、食べる食べ物がたくさんあって、ひとりだと経験できない感動があるのだろうな・・・、と私がいないときの母の生活のモノクロさを感じる。

平日のお昼過ぎ、テレビでは毎日殺人事件のドラマか、健康になる商品の電話販売の番組ばかりがやっていて、私はほとほと、テレビという毒が嫌になっている。

私はテレビが好きではないし、20年以上テレビのない生活をしているけれど、でも、母の生活にはテレビが欠かせないので、母の家では母の生活を尊重して、私は口を閉じる。

それまでぼんやりと、テレビの画面を見ていた母が、突然顔を上げ、目の光を変えて神妙な顔になり、まっすぐに私をみつめ、「ユキに聞いてもらいたいことがある」と言った。

私は、ドキッとしたが、それが母にとってとても重要なことなのだろう、ど感じ、あんまんの乗っていたお皿を二枚重ねてから、組んでいた足をほどき、姿勢を正して、母のまっすぐな視線を受け止めた。

母は、脳に大きな腫瘍があり、言葉がうまく話せないし、物事を理解することが、もはやうまくできなくなってしまった。

だから、母が話す言葉は支離滅裂で、主語も名詞も動詞も、すべてがめちゃくちゃなので、きちんとした会話にならない。

元来、話好きの本人は、喋りたいことをきちんと喋ることができなくて、それはそれは、とてもつらそうだ。

けれど、聞いている私も、心を静めてゆとりをもって、イライラしないように気を付けて、とても好意的な気持ちで、フルに想像力を使って聞いてあげなければならない。

その母が、うまく出てこない言葉に苛立ちながらも、「ユキに話したいことがある」と、わたしに自分の過去の小さな過ちについてを告白した。

それは、私から見ると(世間一般的にみると)とても小さな間違いで、誰も傷ついていないし、誰しも起こす可能性のある出来事で、そして、誰しもそれほど深く気にせず通り過ぎるであろう出来事だったというのに、母はその後5〜6年間、ずっと、その時の自分の間違った選択に対して、自分を責め続けて苦しんだという。

苦しくて、苦しくて、後悔して、後悔して、申し訳なくてどうしようもなく、もう、死んでしまおうか、と思ったほどだ・・・と聞いたときは、どれほど母が自分を責めて、どれほど自分自身で自分を傷つけるタイプの人間なのかというのを、改めて知った。

絶対に誠実でありたい、曲がったことは絶対にしたくない・・・という母の信念が、彼女をそれほど苦しめたのだ。

どのように苦しんで、どのように傷ついたのか、をめちゃくちゃな言葉でつなぎ合わせて(それを私が想像とテレパシーで理解して)、本当に苦しそうに、母は顔をゆがめて、胸を掻きむしる動作を繰り返した。

本当に、つらかったのだろなぁ。



ひとしきり話した後、

「ああ、ユキに話してよかった。胸が軽くなったよ。ずっと誰にもこんな申し訳ないこと話せなかった。ユキが聞いてくれてよかった。もう昔のことだからいいよね。もう、いいんだよね」

と、頬の緊張を緩め、目じりが少し下がって、さっき胸を掻きむしっていた手で、今度は静かに同じ手で胸を撫でている。

私は、ニッコリと笑顔になって、「よかったね、お母さん」と伝えた。

私はなにも言わず、ただ相槌を打っていただけだったのだけれど、ジャッジも慰めもせず、ただ聞いてくれる・・・という、ただそれだけが母にとって必要だったのだろう。

母の誠実さ、まっすぐ過ぎて不器用なところ、自分を戒める気持ちの強さ・・・よく知っている、私の愛すべき母。

誰にも相談できなかった、その母の性質もとてもよく知っている。

そして、私に話してくれたことを、心から嬉しく感じる。

「ユキ、ありがとう、聞いてくれて。気持ちが軽くなったよ」無邪気にそう言う母が愛しくて、鼻の奥がぐっと苦しくなって、あわや目から水が溢れそうになる。

それを、抑えるためにまた私はニッコリと笑い、「よかったね、お母さん」と言った。

私は、慰めようとも、母の気持ちを軽くしようとも、話を膨らませようとも、なにもせずに、ただ、ハートを開いて聞いていただけだ。

でもその「聞く姿勢」が、話す側にとって、一番、癒されるのだと(仕事柄)知っているから、私は母にもそうした。

母の少し安堵した顔を見ながら、心の中で祈った。

母が、どんどん、癒されますように。

もっともっと自分を許して、自由になっていきますように。

母の苦しかった人生のすべての経験から残る、すべてのつらい記憶が、泡となってポコポコポコポコと消えて無くなっていきますように。

日に日に、物事の理解ができなくなり、少しずつ、動くことが困難になっていく母。

そんな母に、「良くなってほしい」とは私は願っていない。

もちろん、「これ以上悪くなりませんように」とは願っている。(でも、それは無理な願いだと知っている)

しかし、「良くなってほしい」と願うことは、「今の状態の母を許せない」、という思いがあることと等しいと私は思う。

だから私は、そう願う代わりに、どんな状態のどんな母でも許したい。

もしも、なんにもできなくなっても、全部、許したい。いやすでに、全部、許してる。

言うまでもなく、ずっと一緒にいたいに決まっているけれど、でも、人間の命は生まれた瞬間から、終了することが決まっているのだから、

だったら、命ある限り、そのままで、ありのままでいいから、ただただ、幸せでいてほしい。

言語がめちゃくちゃでも、日常生活がうまく過ごせなくても、世話が焼けたとしても、あるがままでいいから、幸せを感じて過ごしてほしい。

母が、とにかく幸せでいてくれることを、母の胎内から生れ落ちた、あの瞬間から、ずっとずっと、私はこの人生の中で、ただそれだけを願っている。

地球に生まれて、初めて愛を学んだ関係性である母という人は、

こうして、まだまだ、まだまだ、私の中にある愛に、気づかせてくれる存在なんだ。

なんて尊い存在なのだろう、母親とは。



ありがとう、お母さん。

押しつけではなく、恐れからでもなく、ただ、あなたに愛をお返ししたい。

私のできる限りの愛をあなたに。



私はまもなく、ドイツに戻る。

延長したらいいのに、とつぶやく母。

でもそれはできない。ドイツの家族と、クリスマスを過ごす約束をしているのだ。

クリスチャンの彼らにとっては、クリスマスを家族で過ごすことは大きな意味があり、私はドイツの家族と一緒に過ごす、愛と信仰に満たされたクリスマスが大好きだ。(日本のフェイククリスマスとは違って大きな意味があるのだ)

そして、日本人であり、クリスチャンでもない私を、本当に温かく優しく、家族の一員として迎え入れてくれ、広々と受け入れてくれた、ドイツの家族のことを心から愛しているし、大切に思っている。



とはいえ、私が遠くに離れてしまうことで寂しそうな母を見ると、本当に胸が苦しい。

でも、ドイツで待つ最愛の人とのハグとキスが、たまらなく恋しい。

このグルグルと渦を巻いている胸の中の感覚は、やはり、すべて愛から生まれているのだろう。

気が緩むと、涙が出て仕方がないけれど、これは一体、なんの涙なのか、タイトルをつけることができない。

でも、この胸の中の、愛のグルグルから湧き上がっていることは確かだ。

そんな気持ちと共に、ビュウビュウとスカートを揺らす今日の午後の強風の中を散歩していたら、

このあたりでは見たこともない珍しいカラフルな鳥が一羽、意味ありげに私の近くに寄ってきて、強い北風に吹かれながら、私をみつめていた。

わたしも、その暗さと明るさが美しく調和する珍しい鳥をみつめながら、風に吹かれていた。

残りの日本滞在、あと2日間。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:51| 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月11日

見守りの母・富士山


なんて美しいんだろう、私の故郷・山梨甲府。

どこを向いても360度、美しく力強い山々に囲まれている。

そして、いつでもどんなときでも、富士山が見守っていてくれている。

1995年くらいに故郷を離れ東京に暮らし、その後、海外で暮らして、そして2009年くらいに、故郷・甲府に戻ってきたときに、富士山とたくさんの山々の美しさに毎日が感動の日々だった。

私は子供すぎて気づかなかったんだ。

子供の頃は、そこに富士山があって、八ヶ岳や南アルプスや他たくさんの山々が、生活の一部としていつでも当然そこにあって、

そして、絶対に消えることがないその山々との、確信を持った安心感とともに暮らしていたので、それはまるで、呼吸をすることのように当然のことだった。

でも、あの頃、

故郷を離れて、東京の狭い空の下に10年以上暮らし、海外の海辺で暮らし、インドの砂埃の中で数年暮らしたあとに戻った故郷で、

富士山が変わらずそこで待っていてくれたことに激しく感動し、急に目が覚めたみたいな気分になった。

子供の頃は当然すぎて見えなかった、気づかなかった、富士山のエネルギーに気づいて、やっと本当の意味でそれを受け取ることができ、心から感謝感激した。

あの頃、

真剣に富士山に恋をしていて、地球を愛していて、胸が切ないくらいにときめいていた。

そして今、

さらにあの頃より大人になって、さらに故郷から遠い遠い地球の裏側のいろんな国々で、酸いも甘いも経験値を増した私は、

また、故郷の美しさと、母なる富士山に新たな気持ちで恋している。

実際の母はどんどん年をとり、ますます動けなくなり、会話ができなくなり、そして彼女の命の火が細くなっていくのを、愛とともに見つめている。

絶対に失うことのなかったはずの絶対的な愛の存在を、失う恐れや不安、私のルーツが大きく揺さぶられる不安定な経験をしていても、

「見守りの母」である富士山が、まったく変わらぬ安定感と確実感で、いつでもそこにいてくれることが、

ありがたくて、ありがたくて、もう、それだけでも「何があっても大丈夫」という、全幅の信頼を自分の人生と運命に寄せることができる。

今回、航空券を買って2日後に急に飛んで帰ってきたけれど、母国に帰ってきてよかった、としみじみと思い、深く長い呼吸をしている。

山梨に生まれ育って、本当に良かった、と

ハートがあふれて、喉から込み上げ、私の瞳をゆらゆらと潤している。

ただただ、明け渡す。

そして、あとは、やってくるのを待つ。

なにがいつ来ても、いつでも私は開いていられるように、感性を磨いて、あるがままでいる。

この感覚に繋がるのは、日本にいるからこそだ。ヨーロッパにいるときは、繋がってもチャンネルがちょっと違う。

私は、必ず、すべては与えられる、といういうことを、信じて疑わない。

夜明け前の富士山との逢い引きは、濃く、せつなく、甘く、安心して、私を少女の純粋性という中心へと戻してくれた。

そして、これから、朝陽が昇る。

ただいま、日本・山梨・富士山。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:24| 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

バレンタインデイ



ドイツのバレンタインは男性が女性に花を贈るそう。

仕事が終わった頃の夕方には花屋の前に行列ができていました。

花と同じで、女性も「きれいだよ」「愛しているよ」と言われるともっともっと美しくなりますね。

先日、ミュンヘンに住民票を移したけれど、2年前からドイツと行ったりきたりで、日本とドイツの両方に住んでいたようなものなので、新しい生活はそれほど新しくはなく、いつも通りの静かな暮らしです。

変わったことと言えば、お互いが内観フェチのスピリチュアルなカウンセラーなので、2人の関係性を通して、ものすごい、自分自身を学んでいるので、どんどん、スピリチュアルなドアを開いて行っているということ。もう、いくつもの。たくさんの。

私たちは、自分の内的なプロセスと学びをとことんシェアして、それを、何のジャッジもせずに見つめ合います。

そして、「文句を言おう」ではなくて、「理解しよう」とする姿勢で、ハートを開いて向かい合うと、相手とのやりとりの中から、自分のパターンがよく見えてきます。

すると、すべてのモヤモヤは、自分の内側にある古いパターンの幻影だったのだ、と気づくので、

目の前にある、真実のその人をきちんと見つめることができて、さらにお互いの愛が深まります。

パートナーシップは、相手が鏡となって伝えてくれることを、どう冷静にみれるかによって、魂の響き愛が
深まります。

お互いにお互いの存在を活用しながら、魂の学びを深めていく形が、パートナーシップの素晴らしい形だと感じます。

それには、本当に本当に、「私はこう感じている」の形でのシェアリングが必要。相手やなにか、または自分を責めるのではなくてね。

でも、自分の意見を言うと、周りを責めてる・・・となぜか思われてしまう日本では、自分軸をもっと強く持つことがさらに大事だよね。

先日のバレンタインは、些細なことがツボにはまって、面白くって、可笑しくって、軽く20分くらい、涙を流して大爆笑しました。

お腹を抱えて、身をよじらせて、ヒーヒー言って、笑ってる相手の顔を見てまた可笑しくなって、大爆笑でした。

まるで爆笑セラピーです。

あたたかい幸福なひととき。愛が柔らかい。

愛よ、広がっていけ。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:49| 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

故郷ほっこり



いそいそと、

母がわたしにコーヒーを入れてくれる。

夕飯を作ってくれる。

みかんを出してくれる。

せんべいを出してくれる。

お風呂が沸いているから入っていきな、と言ってくれる。




わたしは、

イタリアンレストランでランチをごちそうしてあげる。

母に、ちょっとオシャレな服を着せる機会を作ってあげる。

愚痴を聞いてあげる。



母は、

今日はユキがいるから・・・と、テレビを消してくれる。(私はテレビが嫌い)

ユキがインドにいる間、もしも何かあったら・・・と、パスポートを作った・・・と笑った。



わたしは、

「インドに連れてってあげようか」と聞いてみる。

母は、顔を濁し、生活の変化はあまり好まない。



わたしがいると、母はとても安らいでみえる。

わたしは、母の笑顔が好きだ。



帰り道。

車を運転中、わたしは赤信号で止まっていた。

信号を待っていた自転車の制服の女子学生が、信号が青に変わり横断歩道をゆっくりと渡り始めた。

女子学生は、鼻を真っ赤にして、つるつるのホッペに涙を流しながら自転車をこいでいた。

じっ・・・と女子学生をみつめる私。

思春期のあれこれが、彼女の涙を流させたのだろう。

胸が、キュンとするなぁ。

子供のころから、感受性豊かな、わたしの姿を思い出す。

とはいえ・・・・いまもなお・・・・・

わたしは、永遠の思春期。

この年になっても、歩きながら・・・、車の運転をしながら・・・、スーパーで買い物をしながら・・・、

頻繁に、涙を流すことがある。

泣きじゃくることもある。

繊細に、たくさんのものを受け取り、

それを大事に味わっている。

無垢で、ピュアで、無邪気に、

おばあちゃんになるまで、

ハートを開いて、感受性を大切にしていきたい。


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2015年11月03日

ふと、感謝


(つぶやき)

雨上がりのにおいが好き。

土のにおい。

濡れた草木のにおい。

虫やミクロの生物たちが繁殖しているにおい。



森の鳥たちがめいっぱい歌っている。

トンボがわざわざ私の手に降りてくる。

森の奥から動物が鳴いている。

そろそろ、日が沈む。


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干していた洗濯物を取り込む。

お洗濯はスキ。

思いっきり干せるだけ干すの。



ホカホカの白いコットンのシーツに顔を埋めて

フガフガ、太陽のにおいをむさぼる。

自然のにおいが、とても好き。

地球がダイスキ。


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2015年05月06日


昨夜は、母の誕生日ディナー。

私が祈りを込めて作ったクリスタルブレスレットと、知り合いのフラワーアレンジメントされるかたが作ってくださった白いバラとピンクのカーネーションの花束。


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「とにかくお母さんが幸せになってくれるのが私の願いなの」

と言ったら、涙が出た。

これまで頑張りすぎて生きていた母。

老後はのんびり、楽しく生きてね。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月25日

柔らかな少女


ぶらり・・・・と、実家に立ち寄った。

いつ来ても、どんなときでも、

無条件でウェルカムしてくれる場所。

とてもありがたい。

世界でひとつだけの、貴重な場所だ。



ここ数年、ずっと、苦しそうだった母は、

最近、トンネルを抜けて、また人生の転機を迎えた。

母が笑っていて、明るいと、わたしもとても嬉しい。



「あ痛っ!」

急に口を手で押さえて丸まった母。

「どうしたの?」

「舌噛んだー!」

「食べながら喋るからだよぉ〜〜」

キムチ鍋がグツグツ、こたつの上で温かな湯気をあげている。

なんて、安らいだ夕べなんだろう。

こんな、小さな瞬間に、胸がいっぱいになった。

家族。 ぬくもり。 共に過ごす時間。 赦しあうこと。 愛・・・・・・・。

感謝。 いてくれてありがとう、おかあさん。



小学5年生のころのわたしは、たくさんの趣味があった。

ミニバスケット、
ローラースケート、
愛犬の散歩、
雲を見て過ごすこと、
詩を書くこと、
小説を書くこと、
漫画を描くこと、
ひとり演劇、
木登り、
ピンポンダッシュ(!)。

そして、絵を描くのも好きだった。

とくに、色鉛筆でのグラデーションや、水彩の淡い色彩の絵画。

学校の授業で、好きな絵本を書いてみよう、という題材で、わたしは「いわさきちひろ」を選んだ。


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母が大好きで、うちのカレンダーは毎年、この作家さんのものだった。

母が住む、いまのこの家は、わたしが生まれ育った家ではないけれど、

リビングの壁にも、玄関にも、

いまも、この淡い色彩の子供たちが飾られている。

じっ・・・・・・と、ふんわりした少女とみつめあうと、

まるで、かつてのわたしが、そこに佇んでいるかのようだった。


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思い出す。 思い出す。 思い出す。 溢れ出てくる。

あったかい切なさが、ハートを柔らかくする。

充電、完了。

愛を、ありがとう。



















posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

いいふーふ



先日。

玄関のドアを開けたら、

60cmくらいある、大きな鉢植えを抱えた夫が、

ニコニコ、かわいい笑顔で玄関に入ってきた。

「はい。いいふーふ の日。」

だって。

11/22 の出来事でした。

サプライズプレゼント。

幸せ〜!

ありがとう! 

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2014年10月19日

ふんわり幸せ


夕陽が部屋に差し込む時間。

お気に入りのピアニストのBGMを聞きながら、

干していたふかふかのお布団をとりこんで、

お日さまの匂いのする洗濯物をたたんで、

陽だまりの時を過ごす。

こんなにのんびりと時を過ごすのは、すごい久しぶりだぁ。

夕陽の時間が、大好き。

西の山に夕陽が沈んでいくのがバッチリと見える、

山の上に建つ、この我が家で過ごす、最高の時間帯だ。

最近は、ここ天空の森でのお教室やイベントを減らして、

自分のためだけに、この素敵すぎる場所を、独り占めしている。

愛する空間。 

ここでは、なにもかもが、愛すべきもの。



元気がなかった植物のひとつを、植え替えてあげた。

ホームセンターの不自然な土ではなくて、裏の山にある、自然の土に。

すると、枯れかけていた植物から、小さな、かわゆい葉っぱがたくさん出てきた。

嬉しくて、嬉しくて、「やったー!」と飛び上がって喜んだ。

そんなわたしをみた植物も、楽しそうに「よかったわ〜」とニッコリした。

そのほかの植物たちにも、「明日は君たちも植え替えてあげようか。ん?」と話しかけたら、

その自分の声のトーンが、すごく、すごく、優しくて、柔らかくて、

自分の声だというのに、胸がジーンとして、泣きそうになった。

優しい言葉をかけられると、嬉しいなぁ、

と、自分の声に、癒されたりして。

植物たちが、ニコニコしていた。

いつも、私を見守ってくれている、この子たち。

愛だなぁ。

遠くから、お祭りのお囃子が楽しげに聞こえる。

日本だ。

窓からの夕陽が、とても穏やかに差し込んでいた。

今日も、ありがとう。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

家族という「わたし」


空を見上げていて、ふと、思い出した。

父に動物園に連れて行ってもらったとき。

園のアーケードをくぐりぬけて、たまらず、駆けたとき、鳩の群れがパァーーーーッ!!と飛び立ったこと。

あの時の、わくわく、幸せ感。

当然のように、愛されていたこと。



スーパーの製菓売り場で全粒粉を手に取った時に、ふと、思い出した。

海外暮らしから戻って、しばらく、母と暮らしていたころ、

毎日のようにお菓子を作っていた。

母が喜ぶ顔が、好きだったから。


***


今日は、お彼岸の最終日。

ギリギリセーフで、お墓参りに間に合った。

凛とした美しさの白いリンドウを買って、お墓参りに行く。

子供のころから、何度も、歩いたお墓までの道。

階段をよいしょ、よいしょ、と登ると、そこには

母と、父と、兄がふたり、そして、幼少期のわたしの残影が待っていた。

タイムトリップ。

わたしが御線香を持ち、兄が新聞紙に火をつける。

父は墓石にお水をかけ、母は花を生け、もうひとりの兄は、はしゃいでいる。

わたしの家族。 残影。



白いリンドウを墓石の前に生けると、青白く光った。

インドのお線香に火をつけて、手を合わせる。

目を閉じて、祖父母に意識を合わせてみる。

祖父母とともに一緒に暮らした、子供時代の生き生きとした思い出が、一気に蘇える。

「おばあちゃん、おじいちゃん」

心の中で声をかけてみる。

言語ではない言葉で、祖父母がわたしに語りかけてくる。

「愛」が溢れていた。

涙が出そうになるのを、ぐっと堪える。

そう、わたしはいつも、堪えていた。

目を開けると、墓石の後ろにある、無数の彼岸花が、赤く赤く、生きていた。


***


久々に、温泉に行ってみた。 ひとっぷろ 700円。

露天風呂に座り、はぁ〜〜〜、と温かなため息をつく。

わたしの生活は、すべて、自分の選択。

わたしは、わたしの道を歩むのみ。

とはいえ、わたしはターミネーターではないのだ。



ここのところ、立て続けに続いていた、理不尽さ。

それについての、癒しが必要と感じていた。

露天風呂の中で、空を見上げる。

暮れゆく一日と雲の間から、宇宙言語で、受け取ったものがあった。

それを、高速でライトボディが理解していったあと、

湯船のお湯に目を向けたら、

鳥の羽が少し向うのお湯の水面に、ふわふわ、浮いているのが見えた。

いま受け取った宇宙言語情報を高速でまとめながら、ぼんやりしていると、

鳥の羽が、水面をふわふわ揺れながら、まっすぐにわたしの方向に向かってくる。

あ、天使の合図だ。

羽は、何の迷いもためらいもなく、わたしのハートチャクラめがけて、寄ってくる。

それをわたしは、右手ですくい上げる。

そして、空を見上げる。

祝福。



ゆっくりとわたしは、取るに足らない、わたしの二元性での葛藤から解放され、

開かれたわたしの肉体は、揺れ始めた。

誰もいない露天風呂の浴槽の中で、ひとしきり、くるくる、ゆらゆらと、舞いを踊った。

そう、わたしは、こうして舞っていることがとても自然。



確信を持って、新しい私を得た。

感謝というか、ねぎらいというか、そんな気分で温泉を出た。

温泉の休憩所に、わたしを待っていてくれる夫がいた。



お彼岸の最終日の今日。

「家族」という形から、「わたし」を再認識した。

「愛」。

感謝。

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2014年08月17日

お盆の想いで

お盆の想いで。

親戚のおばちゃんの背中に抱きつく。

親戚のおじちゃんの腕にぶら下がる。

父方のいとこたち。

母方のいとこたち。

トランプゲーム。スピード、大貧民(大富豪)、ババヌキ、神経衰弱、七並べ。

大好きなおじいちゃんとサイクリング。

甲府の動物園。遊亀公園。紙芝居。型抜き。水飴。影ふみ。ひとりダンス。木登り。

愛犬ロッキーを抱き締めて、もみくちゃにして可愛がってあげるときの、ロッキーの体温。

大好きなロッキーにそれを毎日する、専用の、汚れても臭くなってもOKの紺色のジャージ。

真っ青な空。白い雲。宇宙。宇宙船。

田んぼの道路の、コンクリートの上に寝転んで、温かい石の上からみる、夕暮れのピンク空。

はしゃいでまたいだ、迎え火。

茄子の牛と、キュウリの馬。

母が毎日、一杯のコーヒーを飲むのを我慢して、貯めた小銭で買ってくれた、ピンクのサンダル。

目が悪いおばあちゃんの足の爪を、代わりに切ってあげる、日溜まりの縁側。

兄がお年玉で買った、庭の卓球台。

黄色いローラースケート。

軽トラの荷台に乗って、サーフィンごっこ。

母がホースで庭の花壇に、大きく水をまくときの、ワクワク感。

父が私の足をもって、ブンブン振り回してくれる。はしゃぐ私。

鳥かごの中の喋る鳥に、「大好きだよ」を教える私。

早朝のクワガタとり。土の臭い。木の幹の感触。

死にかけた雀を拾ってきた。手のひらの上で、一声鳴いて、死んでしまった。号泣のわたし。

寄りかかって、体ごと倒れて泣いた、居間の網戸。

セミは一週間の命だと聞いて、ワンワン泣いた、わたし。

幸せな幼少期。

大家族の中の、元気一杯の、わたし。

胸が切なくなる、想いで。

抱き締めたい。












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2014年06月16日

ワンネス


ワンネス。。。。。

みんな、それぞれ、持っているものが違うのだから

それぞれの持っている、


「あなただけにしかできない宝物」、を

発揮しあい、出し合いながら、協力して、

調和された波動で、世界を組み立てていけばよいと思う。

あなたのことが必要な人が、必ずいるし、

その人は、私じゃなくて、あなたのことが、必要なの。

だから、あなたは、あなたでいいと思うの。

自分と、誰かを、比べる必要なんて、ないと思う。

嫉妬をして、心を曇らしたり、

自分をダメダダメダと卑下して、自らに深い傷を作ったり、

やり場のない怒りが増幅して、人生をつまらなくしたり、

そんな、もったいない生き方をしても、仕方がないと思う。

「気付くこと」。

まずは、そこから始まる。

小さな小手先だけ見て、目の前のことだけで精いっぱいの目線を、

大きく、宇宙レベルの視野にして、宇宙の中で生きる自分を感じよう。

大事なことは、来世に先送りにしないで、今世で、やろう。

わたしも、あなたのことが必要な時は声をかけるし、

あなたも、わたしが必要な時は呼んでくれたらいい。

手をつないで行こうよ。

不自然に、目をそらして、避けても仕方がないし、

無理に、はしゃいでも、疲れちゃうでしょ。

比べなくていいんだよ。

ありのまま、等身大のあなたで、

あなたができることだけ、磨いたらいい。

みんなで、手をつなごう。

わたしは、偉くないし、すごくないよ。

そういうなら、みんな、ひとりひとりが、それぞれ、「すごい」と思う。

あなたは、わたしにない素晴らしいもの、たくさん持っているし、

わたしは、わたしにしかできないことがある。

ただそれだけ。

上でもなく、下でもなく、

わたしも、あなたも、みんな、必要。 この、世界。

ワンネス。

愛しているよ。

あなたの、その怒りや、悩みも、すべてまるごと、愛している。

抱きしめあって、ハグしあおう。

ワンネス。

手をつないでいこうよ。

あなたは、わたし。

わたしは、あなた。


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2014年02月25日

日々



静かに、静かに、幸せが浸透していく。





ホームセンターで。

黄色いお花の鉢植え。

「わたしを、連れてって!」と黄色いマーガレットが私を呼びとめた。

立ち止まり、しげしげと眺めて、「うちのこになるかい?」と聞いた。

白いお花の鉢植え。

「あたしもーー!!」と。

まじまじと、白いマーガレットをみつめた。

腕を伸ばし、マーガレットちゃんたちと手をつないだ。

わたしの新しい家族になった。





花桃。

春の色。

枝の太さと、茶色の濃さに、胸がきゅん、とした。

「樹」が好き。

「枝」が好き。

とても儚く、健気な、蕾。

逞しい枝に、ちょこんとくっついて。

なんて、かわいいんだろう。

また、家族、増えたよ。





ここは、とても静か。

目の前の山は、まだ真っ白だ。

雪解けの、音が聞こえる。

それはまるで、山の血液。

さらさら、さらさら、ピチョン。

生きているんだね、山も。

ぴちょん。





カラカラ・・・・・と、窓を開ける。

冷気が、興味津々で近づいてきた。

ふわり・・・とわたしの髪を揺らし、挨拶していく。

太陽が雪の白に反射して、突き刺ささる。

遠く、遠ーくで、こんこんこん・・・・・キツツキが木を打っている。

山の生物の気配は、わたしをほっとさせる。

わたしも、地球に住んでいる、という安心感。

すべての生物が、同居人、いわば、家族。





BGM、水の音。

とても、安らぐ。

わたしは、水の中。

この世界は、水の底での出来事。

ゆらゆら、ゆらゆら。

幻の世界。

この世はマーヤ(幻想)。





毎晩、夢を見る。

とっても、とっても、直観的で、素敵な夢。

すごい、すごい、学びとなり、とてもありがたい夢。

でも、内容は、忘れちゃうの。

いいの、でも、学んだことは、残っているから。

言語ではない、思考ではない部分に、残っている。

夢の中でのわたしは、真実のわたし。

アストラル。





本を読む。

お風呂で、本を読む。

至福の時。

汗をかく。

水を飲む。

そして、本を読む。

至福の時なの。 愛する時間。





毎日、スープを作る。

味噌スープ。野菜をたっぷりいれて。

飽きずに、毎日、毎日、作る。

昆布のおだしの、やさしさ。

ごま油を少したらすと、おいしいの。

ショウガを刻んで入れると、おいしい。

唐辛子もちょこっと。

あったまる。

幸せ。





夕陽が、山の稜線に消えていく。

夕焼けは、どうしてこんなに、胸がせつないのだろう。

無条件で、ハートが開く。

開いたハートから、泉が湧く。

広がる、広がる、光の海。

今日もありがとう。

沈む太陽。

無条件の愛。

地球と宇宙の鼓動。





龍が来ている。

もともと、ここにいるのは、金、銀、緑、赤。

でも、最近、もっとたくさん来ているの。

天使も、たくさん。

ありがとう、たくさん、勇気づけて、なぐさめてくれる。

わたしは、わたしで、いいんだね。





静かに、静かに、浸透していく。

ゆるやかに暮らす。

幸せに生きる。

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2013年10月08日

ムサシとワタシ



冷蔵庫にはショウガと、梅干ししか入っていなかった。

今日、東京出張から戻ってきたから、なんにもない。

仕方がないから、お米を炊いた。

お米なら、たくさんある。

1合炊いて、全部食べてやろう!と思った。

梅干しと、すりごまと、ユカリで、食べてやるぞと、意気込んでいた。

質素は、限りなく質素、でも、わたしは全然平気なタイプ。

基本、バックパッカーだから。

人生の。



畳に正座をして、どんぶりにたくさん入ったお米と向かい合った。

冷蔵庫になにもなくても、お料理しなくても、お米さえあれば幸せだ。

きちんと合掌をして、「いただきます」

さっそく、ユカリをかけて、一口いただいた。

よく噛んで、お米、を味わう。





ムサシが来た。

お隣のワンコだ。

ここは山の中だから、いつも放し飼いなのだ。

カシカシ、と爪の音をウッドデッキに響かせ、

ニョコッ、と窓に顔を出した。



お!

よく来たな、ムサシ。 まあ、座れや。



最近、キミは、よく来るな。

お菓子、目当ては、知ってるんだぞ。

わたしが好き・・・・だけじゃないだろ、ね、ムサシ。

まあまあ、いいから座れって。



網戸越しに、ジーーーーーーー、とわたしを見ている。

なんだ、ムサシ、お菓子ないよ。

ジーーーーーーーーッ

えー?じゃあ、米、食べるか?



どんぶりから、左手のひらに、ちょこっとだけ乗せる。

ペロッ、と舐めたくせに、フンッ!と鼻息だけ吐いて、食べなかったときに、

おいおい、舐めたなら食べてよ、わたし食べれないじゃん!と、

よくありがちな、ショックを受けない程度の、少しだけの量から、まず。



フンフン、ムサシ、匂いを嗅ぐ。警戒。

ペロッ、お、舐めた!

ガフ、おお、食べた!

ムサシはお米も好きらしい。 はは、メタボめ。



私が、一口。 ムサシに一口。

黒ゴマかけて、一口。 ムサシにも一口。

梅しそ、のせて、一口。 ムサシにも一口。



こんな歌、昔なかったっけ?

♪ムサシとボクとで、はんぶんこ〜〜



よしよし、いい子だね。

ペロペロ、お米の一粒一粒まで、手のひらを舐めてくれる。

あったかいな、ムサシの舌。

きもちいいな。



ガフガフ、いいながら、私の手から食べるムサシ。

うまいか。 そうか、よかったな。 ガフガフ



かわいすぎる、ムサシ。

愛してるよ、ムサシ。

ムサシ。


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2013年07月02日

ニャンコと枝豆と鳥と雲とわたし




先週の、ある、よく晴れた日。

久々のお休みでした。

山梨←→東京の移動もなんにも無く、完全にお休みの日は、本当に久しぶり。

珍しく上手にスケジュール調整できたなぁ。

大きく伸びをする。

おかえり、わたし。



その日は天気がよよかったので、午後、ふらりと多摩川にお散歩に行きました。

少し歩くと汗ばむ陽気。

梅雨の合間にひょっこりかおをだした太陽さん。

キラキラ、わたしの貴重な休日を輝かせます。

梅雨の時期も、ときどき、こうして晴れてくれることで、

太陽がわたしたちに与えてくれる恩恵のありがたみを改めて感じられます。

もちろん、恵みの雨もありがたいけれど。



河川敷にどっかりと座り、サンダルをポイポイッ、と脱ぎます。

裸足が、好き。

きちんと、地球の呼吸が感じられるから。

買ってきた枝豆(大好物)を、プチプチと食べて、ご機嫌で、柔らかい風に吹かれます。



にゃあ。

と、聞こえたので後ろを振り返ると、

黒と白のニャンコが、ちょこりん、と座って、わたしを観察しています。

あら、どうしたの、ニャンコちゃん。こっちおいで。



にゃあ。

このニャンコは、どうしてこんなに魅力的に鳴くのだろう。

ほうっておけない、かわゆい声。このぉ〜。

こっちおいで、枝豆、たべるか?



にゃあ。

トコトコ、ニャンコが近づいてきて、手が届かないギリギリのところで、ちょこりん、とまた前足をそろえます。

意味ありげな視線のニャンコ。

ニャンコは、わたしに似ているなぁ、といつもいつも思う。

ひとりが好き。群れるのは嫌い。人付き合いが苦手。お世辞も社交辞令もへたくそ。

でも、本当は寂しがりや。



クンクン。

鞘から出した枝豆を差し出すと、鼻を近づけてきた。

ニャンコは枝豆、食べるのか?

あら、やっぱだめか。

また、ちょこりん、と座って、長い尻尾をふわりと地面に落とした。そして、パタパタ。



どうした、ニャンコ。

さみしいのかい?

わたしも、さみしいよ。

一緒に、歌おうか。



♪あなーたにあえたしあーわーせー 感じてぇ〜〜

風に〜〜 風に〜〜なりたい〜〜♪



川沿いにはニャンコが何匹もいる。

人間に捨てられたのかもしれないけれど、

みんな自由で、幸せそうだよ。

ニャンコが世俗を捨てたのだね。うん。

それは、おめでとう。



大空を、鳥が悠々と飛んでいる。

子供のころから、何千回、思っているだろうか。



鳥になりたい。

風になりたい。



小学校一年生のときから、ずっと、空からメッセージをいただいていたっけ。

今思い返せば、ずっとだ。

頭上の雲は流れ流れて、ゆっくりと気がつかないほどの速さで形を変えていきます。

その流れに、わたしの心をのんびりと乗せる。

わたし、本来のリズムだ。



川面に映る、夏のモクモク雲が、ピカピカしている。

空を、自由に羽ばたく鳥たちが、こっちにおいで、とわたしを呼んでいる。

いくよ、わたしも。

そっと目を閉じて、風になる。


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2013年06月21日

だっこのしゅくだい



facebookで素敵な記事がありました。
ここでもシェアしますね。



「だっこのしゅくだい」

2003年出版、いもとようこ氏作の絵本 しゅくだい より



せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。

おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。

ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。

だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。

なんかはずかしいとおもいました。

でも、うれしかったです。

いそいでいえにかえりました。

いえにかえって、すぐ、おかあさんに、

「だっこがしゅくだいにでたんよ。

しゅくだいじゃけえ、
だっこして」と小さいこえでいいました。

おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。

でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。

おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。

おかあさんのからだはぬくかったです。

だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。

ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、

おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。

ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。

そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。

つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。

大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。

さいごはおとうさんでした。

おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。

ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。

おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。

おとうさんのからだはぬくかったです。

ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。

さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。

だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。


引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)




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2013年01月12日

木と人のぬくもり



フェアトレードの素敵なお店を見つけました。

実家の近くにあったのですが、噂を一度だけ聞いたきり、なかなか、訪れることがなかったお店です。

人にお礼の品物を差し上げるのに、どこで買おうか・・・・と考えましたら、

ちょうど、そのお店を思い出し、遠くないし、フェアトレードだし、行ってみました。

お店の扉を開けた瞬間から、とても、温かい「想い」がふわりとやってきました。

一呼吸しただけで、「ああ、素敵なお店だ」とわかりました。

お店にはチョコレートやお茶から、バッグや衣類まで、たくさんのものが販売されていました。

その、すべてが手作りで、作った方の顔写真がついて、説明書きもあったりするものもありました。

「顔の見える流通」、いいですよね。

そして、「作り手の心が伝わる」トレード。



わたしは、ずっと欲しいと思っていた、木のスプーンをみつけました。

どなたかの手作りで、温かみがあって、口に触るときにやんわりしていて、素朴なものが欲しかったのです。



バングラデシュのアブドゥルさん。

「静かなところに座って、みんなが幸せになれるようなものはどんなものか、考えて作ります」

と、書いてある説明書きの横には、

写真に慣れていないのか、はにかんで木のスプーンを持つ男性の写真がありました。

わたしは、ドキュン、と胸を貫かれ、危うく、涙が出そうでした。

こんなふうにして、丁寧に、大切に、物を作る人がいるんだな。

そして、わたしは、その心のこもったものを、使いたいな、そう思いました。

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自分で使うぶんと、プレゼント用にもいくつか購入し、なんだか、心がほかほか、しました。

人間の心は、本当に美しい。

自然の力は、とっても温かい。

見知らぬ人でも、繋がってみると、愛がどんどん膨らみ、自然と結ばれると、心が広々としてきます。

この、バングラデシュのアブドゥルさんが作った木のスプーンでいただく野菜スープは、

格別においしいだろうな。



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2012年11月11日

ピアノと少女



わたし、

ピアノを練習したいなぁ、と、突然、沸き上がってきました。

楽器の演奏は、ある意味、礼拝だと思うのです。

心を込めて祈るさまに似ている。

瞑想的でもあり、大いなる偉大な力と繋がる瞬間。

演奏してみたい、ふれあいたい楽器、サックスとか、ドラムスとか、ハルモニウムとか、

実はたくさんあるのだけれど、

今は、無性にピアノがいい。

優しい、ふんわりした音色で奏でて、空間を満たしたい。



そんなことを相棒に話していたとき、突如として、記憶がバチン!と閃光をはなっちました。

幼いわたし。 

ピアノの発表会。

ピンクのドレス。

新しい靴。

ふたつに結った長い髪。



あれはいくつだったか。

多分、小学校一年生ころ。

なんでもやりたがる好奇心旺盛の少女は、それこそ、目にはいるもの、聞いた情報、全部やってみたかった。

そして、持ち前のわがままと、言い出したら聞かない我の強さで親を屈し、そのリストの半分くらいのものはやらせてもらっていた。

そのひとつが、ピアノ。

今思えば、うちは貧しくて、子供に習い事をさせる余裕は、どこにもなかったのだと思う。

毎日、精一杯の暮らしをしていたというのに、なんにも知らない少女は、そんな苦労している両親に駄々をこねたんだなぁ。

ピアノはもちろん買えず、父がオルガンをどこかからもらってきて、それを狭い部屋の一角において練習していた。

ピアニストになる!・・・・なんて夢があったわけではなく、ただの好奇心でやっていただけなので、結局1年くらいでやめてしまった。

両親は、がっかりしただろうな。



思い出すのは、初めてのピアノの発表会。

いつも少女は、親戚のお姉さんのおさがりばかりを来ていたけれど、発表会の日のために買ってもらった白とピンクのドレスは、ふわふわしててとってもかわいかったな。

新しく買ってもらった靴は、靴流通センターみたいなところで安く買った、サンダルみたいなものだったけれど、ピンクでお花がついていて、すっごくかわいくて気に行っていたっけ。

ガチガチに緊張した記憶があるなぁ。

きちんと弾けたかどうか、まったく覚えていなくて、母に「ユキが緊張するなんて珍しいね」なんて言われたな。



母が少女の長い髪を、きちんときれいに、かわゆく結ってくれた。

嬉しそうにはしゃいでいる少女を見て、きっと母も嬉しかったのだろうな。

貧しいながらも、なんとかお金を捻出して、ピアノの習い事・・・・なんて、生活にそぐわない素敵なことを少女に与えてくれて、

新しい服も、靴も、結ってくれた髪も、本当に、本当に、嬉しかったな。

なんにも知らなかった子供すぎた少女は、そんな母の苦労や、想いや、愛に、きちんと気がつかなかったな。



そんな記憶が、一気に、ぶわぁ〜〜〜〜っ、と溢れてきて、胸がキュゥーーーー、となって涙が出てきた。

なんて、愛されていたんだろう。

それに、気付かずにいたのだな。 

ううん、気付いていたけれど、同然のこととして、見逃していたのかな。



愛は、時間差でやってくるものだなぁ、としみじみと思う。

人からいただいた愛や思いやりは、あとになってわかる。

でも、そのときはもう、遅かったりもする、ときもあるのだな。

いただいた愛に気づけずに、愛が欲しい、愛が足りない、と言っている。

愛は、気付けば、そこにあるんだよな。

気付くのが、大事だよな。



人間は、愛を原動力として生きているなぁ、とつくづく思うのです。

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2012年11月09日

遠回りして帰ろう



神奈川の自宅に帰る時間。

駅からの帰り道。

何通りか、家に帰るまでのルートがあります。

お買い物に立ち寄るお店のある通りや、

ちょっと運動したいときの坂道や、

キャリーバッグじゃないときに通れる、舗装されていない森の小道や、

気持ちが引き締まる、お寺の脇道や、

かわいいワンちゃんに会える住宅街の道など、

その日の気分に合わせて、変えてみたりします。



その日は、ちょっとがんばって、長〜い階段がある道へ。

たまにしか通らないこの道は、ご近所だというのに、とても新鮮な気分になります。




すれ違う、ベビーカーの中の赤ちゃんが、私の顔を見て、パッ!とお花みたいな笑顔になってくれたり、

それをみたお母さんも、私に笑顔であいさつしてくれたり、

真っ白なワンちゃんが、きちんとお座りしていて、優しい目でわたしをみつめていたり、

そのワンちゃんに話しかけて、わたしの気持ちがふんわりとしたり、

横断歩道を渡るときに、白いところを狙って踏もうと、ジャンプしている子供がいたり、

それを真似して、やってみようとしてジャンプして、車に見られてちょっと照れてる自分がいたり、

長い階段の中間くらいで、おじいちゃんがひと休みしていたり、

それを追い越すのもったいなくて、わたしもひと休みしておじいちゃんを観察したり、

空がいつもよりも、高く、広く、感じたり、

風がいつもよりも、やさしく、柔らかく感じたり、

目を閉じて、この夕暮れのせつない時間を味わいたくなったり、

意味もなく「ふふふ」と、笑ってみたり。



なんてことない日常が、とても幸せ。

遠回りして帰りたくなる。

夕暮れの空がとても美しい。

「今日」という日が、尊く感じる。


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2012年10月03日

親孝行の日



忙しい日々を、少し整理し始めています。

スケジュール表はぎっしりでした。

仕事と、学びと、たまに、楽しみを、めいっぱい予定表に詰め込んでいました。



今月から、スケジュール管理を見直しています。

視点を変えて、大切なものを、しっかりと見据えたいと思うのです。

自分の肉体も、とても大事。

相棒と、その家族のことも、とても大事。

そして、

両親が、とてもとても、大事。



めいっぱいに仕事と学びで埋め尽くされていた、わたしのスケジュール帳に

今月から

「親孝行の日」

というアイコンが増えました。

そんな、小さな一歩でさえ、すでに、心が幸福です。

かけがえのないもの。

仕事と学びよりも、優先すべきですね。

これから、今までの親不孝を取り返します。

人生そのものが、学びです。

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2012年07月16日

MOTHER



山梨にて。

骨折をしてしまって安静にしていた母が、9か月ぶりにヨガに復帰しました。

母はそそっかしいので、よく転んだり、滑ったりして骨折をします。

骨粗鬆症なので、ちょっとしたことですぐに骨が折れてしまいます。

今回は重症で、何カ月もずっと、痛そうで、動くのが苦しそうでした。

年齢も関係して、回復が遅くなってきているのかもしれません。



山梨での個人教室にて。

癒し系のヨーガの教室で、9か月ぶりに母は私のヨーガ教室に参加してくれました。

まだ痛そうな顔をしていましたが、自分なりに工夫しながら体を動かしていました。

「できる」「できない」ではなくて、

「よし、ヨーガをやるぞ!」という気持ちになってくれたことがとても嬉しいです。

ずっと、ふさぎこんでいて、気持ちも落ち込みがちだったようなので、徐々に、ポジティブになってきたことがとても嬉しいです。

そして、改めて、

わたしは、ヨーガを指導しているときが一番、「自分らしさ」を表現できるのかもしれない、と思いました。

母への愛が、広く深く、大きく溢れました。

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2012年07月03日

叔母



昨日、

山梨の塩山へ行ってきました。



父方の叔母が亡くなりましたので、火葬する前に会いに行ってきました。

79歳で、アルツハイマーや、緑内障や、他にもいろいろ患い、入退院をし、ずっと寝たきりだったようです。

最後は、脳梗塞で突然の死だったそうです。

私は、家庭の事情で子供の頃に父と離れ、縁を切られてしまいましたので、父方の叔母が、生きている頃に最後に会ったのは25年くらい前でしたか。

眠るような安らかな表情の叔母は、私の記憶の中の25年前の顔とは、まったく別人で、小さく痩せて、当時の元気で豪快な面影はまったくありませんでした。



従兄弟にも25年以上ぶりに会いました。

とても、優しく、思いやりのある、立派な男性になられていました。

彼は7年前に結婚したそうですが、そのことも私は知らされていず、どこに住んでいるのかさえも知りませんでした。

こうして、また、再会できたことを、心から嬉しく思います。

封印していた幼少のころの思い出が、少しずつ蘇えってきます。



叔母については、子供だったときの記憶しかないので、あまりよく知らない、と言えます。

従兄弟と、本当に久しぶりに話し、叔母のことを教えていただきました。

叔母には、従兄弟の彼が生まれる前に、もう一人、女の子の子供がいたそう。

私も小さい頃、写真を見せてもらったのを、おぼろ気に覚えています。

その少女は小さな頃に病気になり、入院したそうです。

病名は忘れてしまいました。

そのとき、お医者さんから処置された麻酔のショック死が、少女の死因だそうです。

病気が原因ではなく、医療ミス(?)が原因で亡くなったそうです。

叔母が、抱き締める、その、腕の中で、少女はヒクヒクと痙攣しながら息を引き取ったそう。

最愛の我が子を、自分の腕の中でなくしたのです。

その話を昨日初めて、従兄弟から聞きました。

せつなくて、苦しくて、涙が出ました。

叔母について、よく、知らなかったのですが、そんな辛い経験を乗り越えたかただったのか、と改めて叔母を想い、胸が苦しくなりました。

叔母はその経験からクリスチャンとなり、生涯を崇高な信仰心で過ごされたということです。

叔母の人生を想い、言葉にならない感情で、胸がいっぱいです。

小さい頃にお世話になった叔母に、なんにもご恩返しができずに、これまで来てしまいました。

せめて、ここに記しておくことで、叔母の存在を残しておこうと思います。

クリスチャンの叔母に、合掌をするのは失礼なのでしょうか。

心の中で深く礼だけして、叔母の愛と悲しみと信仰の人生に、心から敬意を表します。




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2012年06月02日

身延線でほんわり



山梨に戻るときは、金曜の午前中の、東京の練馬区でのお仕事を終え、その足で電車に飛び乗って、どんぶらどんぶら、揺られます。

練馬区からだと、山梨の実家まで各駅停車で、4時間かかります。

毎週毎週、よくがんばってるなあ、と自分を誉めてあげます。

練馬区から地下鉄を乗り継いで、新宿にでて、また京王線に乗り換えて、高尾でJRに乗り換えます。

大都会から、一気に田舎へとタイムワープしてくる気分です。

新宿駅のGODIVAの脇を通りすぎたかと思えば、猿橋あたりの、緑の山々に一気にワープしてくるのです。

電車は山の中、トンネルの中をいくつも通過して山梨へと向かいます。

トンネルを超えるたびに、緑豊かになっていき、各駅停車でひとつひとつの駅で止まって、扉が開くたびにのどかな風景に変わっていき、気持ちも和やかになっていくのがわかります。

やっぱり、田舎はいいなあ。



甲府から乗り換えて身延線へ。

4人がけのボックス席に座りました。

目の前には小学生低学年の少女が、漢字のテストの答案用紙を見ていました。

大きな赤丸が何重にもついていたのですが、いくつか間違いにもチェックがありました。

彼女は、じっ・・・・・っと答案用紙を見つめた後、おもむろにバッグからノートと鉛筆を取り出しました。

左足を右足の上に組んで、左ももを机にして、少女はノートに漢字の練習をし始めました。

彼女の人生の中では、いま、この漢字を書きとることが大事件なのですね。

とっても上手に、きれいに、漢字の書きとりを練習していました。

答案用紙をチラチラ見ながら書き取る彼女。 書き順がめちゃめちゃで、教えてあげたい気分でした。

かわいいです。 とっても、かわいい。

ほのぼのします。



隣の4人がけのボックスシートには、中年の女性が一人座っていました。

身延線は、甲府駅で待ち合わせの時間が長いです。

わたしが中央線から乗り換えするときも、いつも、30分以上は待ちます。

電車はホームに止まっているので、電車の中の席に座って発車を待ちます。

隣のボックスシートに、小学校の高学年の少女が二人、座りました。

中年の女性は、優しい笑顔で小学生たちにほほ笑み、自分の荷物を引き寄せました。

「思いやり」の心が見えます。 母の優しさ、も見えます。

電車が発車する数分前に、おばあちゃんが乗ってきました。

おばあちゃんは、中年の女性と、小学生の少女二人が座る、隣のボックスシートに、「はい、すみませんね」と、腰掛けました。

皆さん、空気がなごやかです。

肘がちょっと当たっただけで、大きなため息をつかれてしまう、東京の山手線とは違うなぁ、と感じます。

おばあちゃんがバッグからゴソゴソとなにかを取り出そうとしています。

小さなきんちゃく袋から出てきたのは、キャンディでした。

女性は、なぜかキャンディを持っていますよね。 不思議です。

おばあちゃんは、「はい、どうぞ」と、同じボックスシートに座る、中年の女性と、二人の少女に、キャンディを一個ずつ渡していました。

ニコニコしながら、しわくちゃの手で、キャンディを手渡します。

もらった方々も、顔がほころびます。

ぼんわり、和やかな空気が流れました。

自然と、お天気の話や、小学校の話が、その4人の中から生まれてきます。

とっても、ほんわ〜り、温かいです。

人間って、こんなふうに自然に交流するのが本来の姿なんだよな、と思います。

ほんと、自然に4人の心がふんわり一つにまとまりました。

田舎ならでは。 東京では、感じられない「ほんわり」感かもしれません。

この雄大な山々に囲まれているからこそ、こんなふうにあったかい気持ちになれるのかもしれません。

大都会から一気にタイムワープしてきて、いつもいつも、この田舎の「ほんわり」に癒されます。

山梨、いつもいつもありがとう。


ふれあい公園2





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月01日

膝を抱える少年


先週のこと。

昼間、小学校の前を通りかかりました。

おひさまがとっても気持ち良くって、キラキラ光る太陽の恵みの中を、幸福感に包まれていました。

小学校の裏手の、給食室のすぐ横の、フェンス沿いを、てくてくと歩いていました。

このフェンスの向こうには、小学生なりの社会があるんだなぁ。

小学生の頃って、学校と家庭が、世界のすべてだったなぁ。

そんなことを考えながら、立ち止り、右手の指をフェンスに掛け、中をみつめ、しばらく、子供の頃の自分にタイムトリップしていました。



フェンスの向こうでは、給食室の裏口から、「給食のおばさんとおじさん」が、働く姿が見えました。

顔の3分の1は隠れてしまう大きな白いマスクに、白い帽子に、白いズボンに、白い厚手のビニールの足首まであるエプロンをしたひとが、

ガタガタと、給食の食器などが入っていたのであろう、スチールの四角い箱を、

持ち上げては積み上げ、そして、それを片付けては、また、次の箱に取りかかっていました。



10年くらい前、オーストラリアのバナナファームで働いていた頃を思い出しました。

あの頃も、あの給食のおばさんと同じような、白くて長いビニールのエプロンをつけて、腕が腱鞘炎になって、痛くて痛くて、鉛筆も持てなくなるほど、水の中を流れてくる、何百個、何千個ものバナナを、朝から晩まで、選り分けたり、もいだり、ナイフで切ったりしていました。

作業は恐ろしく単調で、しかも、信じられないくらいキツかったけど、今思えば、日本にいたら、間違いなく経験できなかったであろう、素晴らしい経験でした。

当時は、嫌で嫌で、泣きそうになりながら仕事してましたけどね。

経験は「宝」だ。



たちすくんで、フェンス越しに、じーーーーーーっと、観察していると、

はた・・・・・と、ひとりのおばさん?もしかしたら、おじさん?と目が合ってしまいました。(大きなマスクしてたから、性別がわかりません。)

わたしは、ばつが悪くなり、慌てて目をそらしました。  あは、怪しい人ですね。



目をそらした先には、10本ほどのビニール手袋が、洗濯バサミに吊るされていました。

すべて、指の部分を上にして吊るしてあって、

すべてのビニール手袋は、中指部分に、洗濯バサミを挟まれていました。

そして、すべてのビニール手袋は、人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指と親指が折り曲げられ、

「ブイサイン」の形になっていました。

ぶらさがってる全部の手が、「ブイサイン」でした。

たくさんの人の手が、「いえーい♪」って、言ってるようでした。

なんだか、嬉しくなっちゃいました(笑)

嬉しくなっちゃったので、ニコニコと微笑みました。

いいねぇ、こんな遊び心。 これは、偶然ではありえないな。

誰か、ユーモアのあるひとの仕業に違いない。



ふと、少し離れたところに目を移すと、少年がひとり、ポツン・・・・・と、コンクリートの段差に座っているのが見えました。

少年は、膝を立て、その膝に顎を乗せ、体を二つ折りにするようにして、両手で足元を探っていました。

良く見ると、

足もとに転がっている石ころを、右足のあたりから左足のあたりに、手が届く範囲にあるだけ全部、ポイッ!と、小さく投げていました。

右側の石ころが無くなると、今度は、左側にたまった石ころを、同じように、ポイッ!と右足の方に投げました。

まるで、与えられた仕事を黙々とこなす、作業員のようでした。

ベルトコンベアーで流れてくる、お弁当の容器に、リズム良く、黙々と、梅干とたくあんを置いて行くようなかんじでした。

水流で近づいてくる、津波のようなバナナの房を、品質の良いもの、悪いもの・・・・と、黙々と、選り分けていくようなかんじでした。



ははぁ。

あの、ビニール手袋の「ブイサイン」は、この少年の仕業かなぁ?

今は、授業がない時間なのかな?

それとも、サボリかな?



少年は、同じ動作をしばらく続け、いきなり、がばっ!!と立ちあがって、

今まで熱心に相手をしていた足もとの石ころを、まるで、無かったことにするかのように、えいっ!と、右足でざざっ!と蹴り散らし、

たたたっ!!・・・・・・と、どこかに駆けて行ってしまいました。



子供は、おもしろいなぁ。

いろんなことを、自由に感じて、いろんなことを、自由に考えているんだろうな。

「経験」が少ない分、わたしたち、大人には感じられないことを、たくさん感じて、

その心の処理の仕方がよくわからなくって、戸惑うことが山ほどあって、

スポンジが水を含むように、小さな事から、必要無いことまで、様々なことをどんどんどんどん吸収して、

そうやって、心を育てていくんだろうな。



わたしも、そんな頃に戻りたいな。

少年のような純粋な気持ちに、戻れるかな。

今からじゃ、遅いかしら?

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月25日

空を見あげる

おまんじゅう雲s.jpg


空高く

見上げる 

やせっぽちでちっぽけな わたし



空高くから

見下ろす 

ふんわりまあるい 雲



手を伸ばし

手のひらをかざし 柔かな感触を 貪ろうとする わたし



ゆったりと

するりと 上手に 逃げる 雲



子供の頃

空を見るのが 好きだった

雲が流れるのを いつまでも いつまでも

目で追っているのが 好きだった

子供の頃

飼犬を連れて れんげ畑

仰向けに寝転んで 空を眺めた

風が さわさわと れんげを揺らし

わたしの頬を 撫でて行った

つらいことが たくさんあって

そのまま れんげに変身して しまいたかった

そして

風に吹かれて あの雲の上に ひょっこり 座ってみたかった

子供の頃

いつまでも いつまでも

日が暮れるまで 空を 眺めていた

傍らに 飼犬を 抱いて



いつも 空を見る

お天気が 気になる

夕焼けが 痛いほど 好きだ

朝の陽光は 心地よさに せつなくなる

夏の雲と 力強い太陽に パワーをもらう

星空は わたしを抱きしめ

月は あたたかな わたしの親友



空は 不思議

すぐ そこにあるのに

手を伸ばすと

いつも 

するりと かわされてしまう

気がつくと

いつも

そこにいて 遠くから わたしをやんわりと 包み込む



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

おばあちゃんとアンパンマン



山梨にて。

ローカル電車の身延線に乗っていました。

この身延線は、通常2両・・・多くて3両編成の電車。

ぎゅうぎゅうの満員電車には絶対にない、平和な時間が流れます。

窓の外を流れていく、山々にも心が癒されます。

ローカル電車なので、山手線のように窓側にシートが伸びているタイプの座席配列ではなく、

二人ずつのシートが向い合せになる、4人ボックスシートです。

それに、出入り口付近に、二人掛けシートが横向きに設置されています。

わたしはいつも、4人掛けシートよりは、2人掛けシートを選択します。

東京から、山梨の家までの道のり、3時間30分です。

身延線に乗り換えるころは、すでに3時間以上電車に揺られた後です。

本を読むのも読み疲れて、はぁ〜〜、と顔を上げると、向かいの方も目を閉じて背もたれに寄りかかっていました。

70代後半くらいのおばあちゃん。

布製の黒いキルティングの小さめのリュックを両腕で胸に抱えて、目を閉じてまどろんでいます。

外は寒いので、暖かな電車の中にいると、自然に眠くなってしまいます。

ウトウトとしているおばあちゃんの腕に抱えている、そのリュックに目が止まりました。

まるで、睡眠に引っ張られているのに抵抗して、このリュックにしがみついていることで、かろうじて現実にとどまっているようでした。

おばあちゃんが抱きしめているリュックには、丸い大きめのカンバッジが、3つ、ついていました。

アンパンマンと、バイキンマンと、どらえもん。

うふふ。

その、漫画のカンバッジと、おばあちゃんのあどけない寝顔がとてもマッチしていて、わたしは微笑みました。

お孫さんからのプレゼントでしょうか。

何人、お孫さんいらっしゃるのかしら?

かわいいんだろうなぁ。

プレゼントされたアンパンマンのカンバッジを、バッグにつけて、いつも身につけ、大切にしているんですね。

とっても、嬉しかったんだろうなぁ。

本当に、微笑ましい。

あんまり、ニヤニヤしているのも、まわりに気持ち悪がられてしまうので、心の中でニッコリ微笑みました。

心が、あったかくなりました。

蓮1

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月26日

愛の表現



レイキのお弟子さんに、日本に住む外国人のかたがいらっしゃいます。

彼女から素敵なメールをいただいたので、ご本人の了解を得て、ご紹介させていただきますね。



彼女が先日、母国へ帰郷されたときのこと。

実家は大家族で、皆でワイワイ賑やかに過ごされたようです。

いつも日本で寂しい思いをしているでしょうから、とても楽しかったでしょうね。

お母様の手料理の、変わらぬ美味しさに感激されていました。

日本では食べられないですもんね。

彼女が日本に戻るとき、お母様がこうおっしゃったそうです。

「あなたは本当にがんばっているね。お母さんは、あなたになんにもしてあげられないのに、あなたは一人で日本でがんばっているのね。本当に偉いわね。また行ってしまうと、寂しくなるよ。」

彼女は、「なんにもしてお返しできないのは、こちらのほうなのに…」と、胸が熱くなったそうです。



しばしば、お母様と国際電話をされるそうです。

電話を切るとき、お母様はいつも、「私のかわいい娘、愛しているよ」と、言ってくださるそうです。

彼女も照れながらも、「私も」と答えるそう。

素敵な文化ですよね。

日本にも「愛の表現」が、もっとわかりやすくあればいいのにな、と思うときがあります。

日本人は、素晴らしい思いやりと、大きな愛情を持っているにも関わらず、それを表現することを、「恥ずかしい」と思ってしまうのではないかと思います。

もちろん、私も含め、です。

私は、外国にご縁があり、これまで何度か外国に暮らしたり、たくさんの国を訪れ、いろんな外国人と接してきました。

外国にいるときは、回りに影響され心が開き、「愛の表現」が容易くできるので、とても居心地がよいです。

しかし、日本に帰るとまた、「日本人的消極性」に戻ってしまいます。

「言わなくてもわかってるでしょ」的な態度になってしまいます。

でも、「言わなきゃ伝わらない」、ということは、実は知っているのですが。



彼女はメールでこんなふうに語ってくださいました。

「親が亡くなったあとに後悔しないように、できるだけやさしくしてあげたい」

本当に。 まったくその通りですね。

いなくなってからは、親孝行、したくてもできないですもんね。

これまでの私の波瀾万丈の人生の中で「つらいこと」は、本当にたくさんありました。

苦しい時期、埋もれている時期、いつも、母がさりげなく側にいてくれました。

母がいたからこそ、たくさんの「つらいこと」を乗り越えてこれたのだと、改めて気づきます。

本当に、ありがたくて、頭が上がりません。

下手くそながら、これから、親孝行をして、感謝を表現していけたらいいな、と思います。

彼女からいただいたメールを拝見して、私の心が愛で溢れました。

合掌

百草園7



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 04:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

愛に飢える


東京の我が家の近くに、よくみかける猫ちゃんがいます。

コンビニの近くだったり、駅までの道の住宅街の塀のわきだったり、いつもひとりで丸くなって座っています。

わたしが通りかかると、いつも

「・・・・ミャア」

と、か細い声で、わたしを呼びとめます。

このニャンちゃん、毛並みは艶がなくボサボサで、顔はただれていて、目はくぼみ、どうやら病気のようなんです。

さみしそうに、力なく 「・・・・ミャ・・・」と鳴きます。

かわいらしい薄いピンクの首輪をしていますから、飼い猫なのだと思うのですが、それにしても、見るからにかわいそうです。

これまで何度も、さみしそうに、元気なく佇んでいる姿を見ていました。

先日の夜、わたしが通りかかると、また 「・・・・・ミャ、ミャ」と声なく鳴いてわたしを呼びました。

「あら、ニャンコちゃん、こんばんわ。どうしたの」

近寄っていくと、ニャンちゃんもこちらに寄ってきて、わたしの足にすり寄ってきます。

潤んだ目でわたしを見上げ、また、声にならない声を発します。

わたしはたまらず、しゃがみこんで彼女を愛撫しました。

汚れた背中を触ってみると、背骨がゴツゴツと飛び出るほどガリガリに痩せているのがわかりました。

足を引きずるようにして歩き、目の周りがガビガビにただれていて、本当にかわいそうな姿です。

首輪を見ると、ハート形のアクセサリーもついていて、なにか書いてあったようですが、古くなっていて読めません。

飼い猫だったのに、迷子になってしまったのかしら。

虐待されて、逃げてきたのかしら。

いずれにしても、「誰かに飼われている」感じはしないのです。

こんなにガリガリに痩せちゃって、お腹すいてるんだろうな・・・・・。

わたしは、近くのコンビニに行ってなにか買ってきてあげようと、立ち上がりました。

彼女はまるで「行かないで!」とすがるようにして、私を悲しげに見上げます。

「一人にしないで!行かないで!」と。

「ちょっと待っててね、すぐに戻ってくるからね。ご飯、買ってきてあげるからね」

その時一緒にいたかたに、彼女を預けて、すぐそこのコンビニに、なにか食べれるものはないか探しに行きました。

わたしがツナ缶を手に戻ってきたとき、彼女はとても嬉しそうに、わたしの足にスルリとからみつきました。

ただれた鼻先や目を、しゃがみ込む私の膝にスリスリとこすりつけます。

「さあ、ご飯たべてね」

ツナ缶を、シャコッ、と開けて、彼女の前に置いてあげたのですが、匂いは嗅ぐものの、食べてくれません。

またすぐにわたしの膝に戻り、甘えてきます。

「食べ物よりも、愛をちょうだい」・・・・そう言っているかのようでした。

こんなにガリガリになって、声が出ないほど弱っているというのに、目の前にある食べ物よりも、「愛」を渇望しているのです。

せつなくなりました。

生きるものは、動物でも人間でも、食べ物も必要ですが、もっと必要なものは「愛」なのだ、ということを感じました。

そうか、じゃあ、満足するまで撫でてあげるよ。

しばらく彼女の全身を撫でてあげ、彼女の人間への信頼が少し回復したころ、ツナ缶を近づけると、少しずつ食べてはじめてくれました。

でも、わたしが体を動かすと、また、「行っちゃうの!?」という不安に駆られ、私のほうにすり寄ってきます。

「大丈夫だよ、ここにいるからね。食べ終わるまでいるから、安心して食べてね。」

悲しげな彼女を安心させ、ツナ缶にうながします。

ああ、

わたしが、ちゃんとした生活・・・・東京と山梨のダブル生活じゃない・・・していたなら、こっそりマンションに連れ帰ってしまうのにな。

首輪がついていなければ、保護してどなたか飼い主を探してあげるのにな。

明日の朝、山梨に戻らなければならない私には、なすすべがありません。

わたしを、チラチラ見ながら、モソモソとちょっぴりずつ食事をする彼女を見ながら、せつない気持ちになります。

お別れのとき。

歩き去る私たちに、少しだけついてきた彼女に

「そこにいてね、来ちゃだめよ。明日の朝も来るから」

と言って、立ち去ります。

振り返ると、じっと止まって、こちらをみつめている彼女の視線にぶつかりました。

彼女を置いていってしまうことへの後ろめたさを感じながら、何度も振り返り、歩き去りました。

ひとりぼっちで、空腹で、さみしいだろうな。

私たち人間も、豊かで快適な暮らしを送っていても、彼女のように「愛を渇望」しているのかもしれないですね。

人間の場合は、その「愛への渇望」を、このニャンコのようにアピールできず、隠してしまうのですね。

ゆえに、表現できない押し殺した「渇望」が、いろいろな形で心身の症状として出てしまうのかもしれないですね。

しみじみと、ニャンコちゃんに教えてもらった、夜の道でした。

来週、東京に戻ったら、今度はネコ缶をあげよう。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月13日

コドモたち



3週間ぶりに、山梨に戻ってきました。

この、山並みが、変わらず美しくて、胸がいっぱいになります。

山梨は、本当にいいところです。

また戻ってこれたことに、「ありがとう」と心で手を合わせます。



インドボケも徐々に治ってきて、静かだった心が、また、騒がしくなってくることもあります。

「日常生活」というのは、本当に「修行」だなぁ、と感じさせられます。

よっぽど、インドのアシュラムで朝から晩までラージャヨーガに浸っているほうが、楽です。



最寄駅から、田舎の田圃道を、キャリーバッグをガラガラひいて、テクテク歩いて家まで向かいます。

まだ山梨は、田植えが始まっていないようです。

昨日は雨が降っていましたが、今朝は清々しく晴れているので、田植え前の畑が、光にあふれてキラキラ輝いていました。

地球って、美しいな。



向こうから歩いてくる男の子、二人。 小学生くらいでしょうね。

賢そうで、明るくて、何の陰りもない、キラキラ輝いている、かわいいかわいい、ボクちゃんたち。

わたしの姿を見ると、

「こんにちわ!!」

と、挨拶してくれました。 わたしはちょうど、狭い道を後ろから来る車を避けようと振り返ったところでしたので、そのあいさつに応えるタイミングを逃しました。

すると、もう一度

「こんにちわー!!!」

さらにはっきりと、しっかりと、わたしをみつめて、ボクちゃんは挨拶してくれました。

「あ、こんにちわ。」

なんだか、わたしは照れてしまって、ちょっとハニカミながらお返事しました。

そうだな、田舎っていいな。 東京に住んでると、忘れちゃうな。



そういえば、わたしが小学校低学年の頃。

多分、先生か誰かに「誰にでも挨拶をしましょう」と教わったのでしょうね、道を歩いていて、会う人みーんなに挨拶していた時期があったのを思い出しました。

挨拶するのが面白くて、歩きながらわざわざ、人を探して、ふらふら他人の家の庭を覗いたり、はるか向こうにいる人に駆け寄ったりしていました。 

小さい頃の私は、いまよりもさらに田舎に住んでいたので、子供の歩ける行動範囲のご近所には、そんなにたくさん、人がウヨウヨ歩いているわけではないのですが、近所のおじちゃんや、おばちゃんなど、会った方みーんなに「こんにちわぁ!」攻撃をしていたのを覚えています。

お相手が挨拶を返してくれるまで、何度でもしつこく言い続ける!という、少し迷惑な挨拶でした(笑)

子供のときって、なんでも楽しいものですよね。

挨拶する・・・・ということが、ただ楽しくて、誰にでも「こんにちわ!」していたわけですが、ある日、近所のおじいちゃんが、

「ユキちゃんはいつも元気がいいねぇ!ほれ、お小遣いあげるよ」

と、500円をくれました!!

わたしは一瞬、唖然・・・・・・としたと思います。 まさか、挨拶でお小遣いもらえるなんて。 しかも、当時としては大金の500円もっ!

興奮して、すぐにお家に帰って、おじいちゃん、おばあちゃんに報告したのを覚えています。



子供のころのように、無条件になんでも楽しくて、キラキラ輝く日々が、大人になっても感じられる感性を持ち続けたいです。

田舎は落ち着きます。 山梨、いいなぁ。

心が、満たされていくのがわかります。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

シワシワの手


先日、東京で。

ホームから電車に乗り込みました。

横長の座席の端っこのあたりのつり革につかまりました。

その日はお天気が良く、気温もぽかぽかと暖かく、電車の中ではジャケットの下に、じんわりと汗ばむほどでした。

疲れて、焦点が合わない目を、ぼんやりと窓の外に向けていると、目の前で不思議な動きをする老人が、視界に入りました。



老人は、電車のドアの傍らに立ち、本を片手に広げながら、もう片方の手をしきりに動かしていました。

人差し指をのばしてみたり、てのひらをゆらゆらと揺らしてみたり。

グーにしたりパーにしたり、ササッと空中を切るように動かしたり。



はて?

なんの合図なんだろう?



わたしは老人の読んでいる本を、気付かれないように覗きこみました。

本は書店のカバーがかけてあり、表紙は隠されていたのですが、ページには図解で手話のかたちが載っていました。

それを見ながら、老人は、わたしが凝視しているのも気がつかず、

まわりのことなんか、気にもせず、

一生懸命、手を動かしては練習していました。

手を動かしていたかと思うと、ふ・・・・・と動きを止め、何かを考えているような神妙な顔つきで

じーーーーーーーーっ、と空間を睨んでは、

また、せっせと手話の練習をするのでした。



老人は、おそらく70歳は過ぎているでしょう。

やさしそうな目尻のシワと、年輪を重ねたゆるゆるの手の甲、たくましい5本の指、短く切りそろえられた爪が印象的でした。

本にかけられたカバーは、新品というには程遠く、くたくたにくたびれて、数え切れないほどページを綴っていることを物語っていました。

どうして、その年齢から手話を学んでいるんだろう。

どうしても、会話したいかたがいるのかしら。

ボランティアをしているのかしら。

愛する人が、耳が聞こえなくなってしまったのかしら。



おじいさん。

がんばって。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月14日

祖母、君子の思い出




「パチン、パチン」

先日、実家にて。

柔らかな午前中の日差しの中、庭に面する窓際で、足の爪を切っていました。

新聞紙を広げて、爪が飛び散らないように注意しながら、 パチン、パチン・・・と爪を切っていました。

震災のため、ここのところずっと緊張状態が続いていましたが、この日は、いつもよりものんびりとした時間を過ごしていました。

温かい陽光に目を細めながら、 ふと、 祖母のことを思い出しました。



25年くらい前に亡くなってしまった祖母とは、わたしが生まれてからずっと、一緒に暮らしていました。

わたしは、祖父母がだいすきで、毎日のように祖父母の部屋を訪れ、家にいるときはほとんど、一緒に過ごしていました。

祖母は、白内障で、あまりよく目が見えなかったため、生活するのがとても困難そうでした。 その祖母を、祖父がさりげなくサポートしていたのを覚えています。



祖母は、目が不自由のため、手の爪も、足の爪も、自分で切ることができませんでした。

時にはわたしが切ってあげることもあったのですが、子供だったわたしは、他人の爪を切る・・・・ということに恐怖を感じていて、頻繁にはお手伝いしていませんでした。

どこまで切っていいのか、肉を傷つけたらどうしよう、痛くしたらかわいそう・・・・と、怯えていたのです。

当時のわたしの家は大きな一軒家で、庭もとても広く、祖父母の部屋には縁側がありました。

その縁側に新聞紙を広げ、陽射しが差し込む明るい時間帯に、祖父が祖母の足の爪を切ってあげている、微笑ましい情景を、何度も何度も目にしました。

当時はなんとも思わなかったのですが、今思い返して見れば、なんという素晴らしい夫婦愛だろう・・・と、鼻の奥がツン、とします。



祖母は、がんで一年近く入退院を繰り返していたのですが、入院中、そして自宅療養中、毎日祖母の看病をする祖父がいました。

まだ、身体を動かせた時期の祖母は、6人部屋に入院するのが嫌で嫌で、いつも駄々をこねていました。

祖父は、自転車で毎日病室に通い、わたしも、学校が終わると、ほとんど毎日のように祖母の病室にお見舞いに行っていました。

面会時間が終わる頃になると、わたしと祖父は帰らなければいけないのですが、 祖母は「さみしい。さみしい。」と言って、

「わたしも一緒に帰る。」  と、身支度を始めようとするのです。

そんな祖母を、祖父と二人でなんとかなだめ、病室を出るのですが、祖母はヒョコヒョコと、わたしたちについてきてしまうのです。

わたしたちは、ささっ、と壁に身を隠し、隠れながら祖母が廊下をウロウロと、わたしたちを探しているのを観察しました。

祖母は、白内障で目が不自由だったけれど、細かい作業以外はなんでもできるほどの視界は持っていたので、歩いてまわることもできたのですが、わたしたちが壁の向こうから覗いているところまでは見えなかったようでした。

わたしは祖父とふたりで、そんなさみしそうな祖母が、トボトボと病室に帰っていくのを、何度となく見届け、そして、ふたりで自転車に乗って自宅へと戻ったのでした。

祖母のさみしそうな後姿を、今でも鮮明に思い出します。



祖母が、衰弱して動けなくなってしまった時期。

祖母は、トイレに行くこともできず、おむつをしていました。

おむつの取替えは祖父の仕事で、そのときは、さすがにわたしを部屋に入れようとはしませんでした。

自分の愛した女のおむつを替える祖父。

あの頃は、なんとも思わなかったのですが、今思えば、「究極の愛」なのではないかと感じます。

寝たきりだった祖母は、「床ずれ」がひどくて、お尻にも背中にも、痛々しい赤い痣がたくさんできていました。

祖父は、一日に何回も何回も、祖母の身体を動かしてあげ、痛そうな部分に軟膏を塗り、ドライヤーで乾かしてあげていました。

祖母は、ぎゅっ!と固く目をつむって、たまに、泣きながら「ありがとう」とお礼を言っていました。

祖母も、女なのです。

自分の愛した男に、おむつをかえてもらったり、床ずれに軟膏を塗ってもらったり、情けない姿をたくさんみられてしまい、それはそれは、せつない気持ちでいっぱいだったのではないでしょうか。

今、もしわたしが祖母の立場だったら、どうしようもない無力感と羞恥心で涙が止まらないでしょう。



祖母が亡くなって、お葬式が終わっても、祖父は一度も涙を見せませんでした。

わたしは、ゴウゴウと泣き崩れ、しばらく立ち直れませんでした。

祖父は、どんな気持ちで、愛した女を看取ったのでしょう。

涙を流すのも忘れてしまうほどの、虚無感だったのでしょうか。



あの頃は、わたしは子供過ぎて、なんとなくやり過ごしてしまった、あの「夫婦愛」を、

先日、ふと、思い出しました。

15年前に祖父も亡くなってしまい、わたしは、20年前に、あの当時の家を出てしまっています。

時代は流れ、環境は変わり、わたしもずいぶん大人になってしまい、子供のころのようなピュアな気持ちのままではいられなくなってしまいましたが、ダイスキだった、おじいちゃんとおばあちゃんのことは、一生、ココロの中に置いておこうと思います。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月15日

ゆず湯

ゆずを買ってきました。

育てたかたの写真もコメントも、きちんと表示されている産地直売店で、5個で80円でした。

とっても安くて、嬉しくなりました。

お家に帰って、さっそく、浴槽にお湯をため、「ゆず湯」にしました。

3個をお湯に浮かべ、あと残りはまた次回、使うことにしました。

うきうきしながら温かいお湯につかり、読書をしました。

汗がたくさんでてきて、ゆずのやさしい香りに包まれて、気分がますます爽快になりました。



ふと気付くと、いつもゆずは近くにいます。

この子たちは、どうしてわたしの近くに寄ってくるんだろう。

向こうのほうに、手で押して、移動させても、押しやっても、また、ゆるゆるゆる、とわたしのほうへ揺られてくるのです。

しばらく、向こうの端っこのほうにおとなしくしているな・・・と思って読書に集中していると、知らないうちに三個とも、わきの下のあたりでぷかぷか浮いていたりするのです。

いつのまに・・・! わたしに気づかれないように、どんぶらどんぶら、上手に近づいてくるんです。

君たちは、そんなにわたしの近くがいいのかい。



読んでいた本を閉じ、冷えていた手をチャポン、と温かいお湯の中に入れ、健気なゆずたちを手に持っては離し、かきまぜては沈め、しばらく相手をしてあげることにしました。

お湯の中で腕をゆらゆらと動かすと、ゆずたちは、くすぐったそうにふわり・・・とかわしていきます。

そしてまた、わたしのそばに張り付いて、小刻みに揺れ、まるでクスクス・・・と笑っているようです。

注意をむけられるのが、とっても嬉しそう。

ひとつを手にとって、やさしく握ってみました。 まるで、ぎゅっと抱きしめるように。

ぼこぼこの皮に、じゅうっ・・・・と、果汁が染み出てきて、ふんわりとよい香りが鼻腔をかすめます。

ああ、いい香り。 

その子を離し、次の子も、最後の子も、同じように手のひらで抱きしめてあげます。

ゆずの香りに頭のてっぺんまで包みこまれます。

ああ、幸せだぁ。

かわいいゆずさんたち、どうもありがとう。

ハイジ


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月03日

ちいちゃんと、斎藤さん



これは、5年前に、他のサイトに書いたブログです。

懐かしいので、こちらにも載せてしまおう。

当時は、こういう風に文章を書いていたんだなー、あたし。





2005年11月16日



夕方のJR。

もう、やんなっちゃうくらい、混んでました。

ホームに電車が到着し、電車のドアが開いても、あんなに、混んでたら、げんなりです。

乗りたくっても、乗れません。 でも、強引に乗ります。(笑)



背中から、よいしょっ、と、乗り込ん(押し込ん?)で、鼻先を、プシューー、とドアが閉まりました。

わたしは、ドアにへばりつくようにして、息でガラスが曇るのを、みつめていました。

隣に立ってた、同じく、ドアにへばりつき組のおじさま。

あんなに狭いのに、どうにかこうにか、うまく隙間を見つけて、片手で読書をしていました。

すごいな。 

わたしは、手を下ろしたまま身動きができず、ずり落ちてくるニット帽を、持ち上げることもできないというのに。(笑)



電車は、するすると減速し、次の駅のホームに到着し、鼻先にあったドアが、ガバッ!と開きました。

冷気が、ふわぁーーっと、一気にやってきて、鼻の頭が、さぁーーーっと、急に冷たくなるのを感じました。

ドアが開き、目の前に立っていたのは、若いママと、ママに抱かれた小さな子供。

ママは、白いコートを着ていて、ショートカットの首筋が、とっても華奢で、上品な、清潔なかんじの、石鹸みたいないい匂いが漂ってきそうな、透明感のある、きれいなかたでした。

小さな子供は、くまさんみたいな、うさちゃんみたいな、ふたつ耳がついた、白いニットの帽子をかぶって、白いあったかそうなセーターをきた、かわいいかわいい、女の子でした。

鼻の頭と、ほっぺがピンク色で、思わず、カプ♪って食べちゃいたいくらい、かわいい女の子でした。

こんなに混んでるところに、子供を抱いて入るなんて、かわいそうだなぁ。と、同情しました。




ママは、女の子を胸に抱きかかえたまま、さっきわたしがやったみたいに、「すみません」、よいしょっ、と、背中から車両に乗り(押し?)込み、「よかったね、ちいちゃん。お外が見えるよー。」と、楽しげでした。

親子は、車両の中の、まわりの「イライラ空気」とは対称的な、「微笑み空気」も一緒に連れて来てくれました。

片手で、器用に読書をしていたおじさまは、明らかに嫌な顔をして、迷惑そうに、まるで、臭いものでも嗅いだときみたいな顔をして、じろっ、と親子を睨みつけました。

そのまま、眉間にシワを寄せたまま、大きな深ーいため息をひとつつき、本のページへと視線を戻しました。



女の子は、言葉を話せるようになって、間もないらしく、喋ることが楽しくて仕方がない・・・・という感じで、めちゃくちゃに、単語を並べ、めちゃくちゃに文章を作っていました。

ママにしか、理解不可能でしょう(笑)

読書おじさんは、眉間のシワをますます、深く濃くして、横目でちらちらと、牽制サインを出していました。

そんなもの、あのかわいいかわいい、純真な白いうさちゃんに感じ取れるわけもなく、女の子は相変わらず、楽しそうに、めちゃくちゃに、言葉を紡いでいました。



「埼京線は、いつも、混んでるねー、ちいちゃん。」

「さい・・・・・・?さい?」

「さいきょうせん。」

「さいちょー・・・・?」

「さいきょーせん。」

「さいとうさん?」

「あはは。違うよ、斉藤さんじゃないよ、ちいちゃん。埼京線だよ。」

「ちいちゃん、さいとうさん、知ってるぅーーーー♪♪」

「さいとうさんは、人の名前でしょー?これは、電車だよー。」

「さいとうさん、知ってるぅーーーー♪♪ちいちゃん、さいとうさん、すきぃーーー♪♪」

「うふふ。」



いやぁー、まいりました(笑)

わたしは終始、口元が緩みっぱなしで、「ちいちゃん」から、目が離せませんでした。

かわいいなぁ♪

こんな、激混みの、ぎゅうぎゅうの満員電車に、天使が降りてきたようでした。

天使たちの、『ストレス社会に、微笑を取り戻そうキャンペーン実施中』、なのかと思いました。(笑)

かわいいなぁ♪

こんな、かわいらしい会話を、こんなにすぐ、耳元で聞いたら、誰だって、とろとろに、とろけちゃいます♪

これには、あの、読書おじさんも、降伏したらしいです。

おじさんは、爪楊枝くらいなら挟めそうなくらいの、深ーい眉間のシワを、ひゅるひゅるひゅる・・・・と、アイロンでもかけたみたいにして、横に広げて行きました。

本に視線を落としたまま、鼻がかゆいのをガマンしているみたいな表情で、右の口元の端を、いびつに緩めました。

そして、メガネの奥から、横目で、ちらっ・・・・と「ちいちゃん」を見て、ちいちゃんと目が合うと、ガマンできずに、口元が、ぐわっ!と横に広がり、細い目が、もっと細くなり、でれっ、と垂れ下がりました。

まるで、深ーく潜水していたひとが、しゅるしゅる、っと水面にあがってきて、ぶはっ!と呼吸するみたいでした。

ちいちゃんと微笑み合ったおじさんは、そのあと、ママと目が合い、

「あはは・・・・いやいや・・・(笑)」

と、照れてるみたいな、困ってるみたいな表情で、もごもごとつぶやき、目尻を垂れ、微笑みのまま、視線を窓のほうに逃しました。

おじさんは、とっても、ステキな笑顔でした。



なんだか、すごく、穏やか〜な気分になりました。

子供のピュアな気持ちは、おじさんの、長年、手塩にかけて育ててきた、地割れみたいな眉間のシワも、消し去ることができるんだなぁ。

「ちいちゃん」もかわいかったけど、「おじさん」も、なんだか、かわいかったです♪

「ちいちゃん」ありがとうねー♪

「おじさん」も、ありがとうねー♪

もしかして、おじさん、「斉藤さん」だったのかな? なんてね(笑)

少女


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月29日

自転車で世界を駆ける



昨日、さまざまな所用があって、あちこちに行って用事を済ませました。

夜に伺った場所で、夕飯をごちそうになり、会話を楽しんでいると・・・・玄関からどなたかが入ってきたようです。

ちょうど、そのお宅の家主の方は席をはずしていましたので、わたしが応対をするため玄関へと向かいました。すると、なんとも奇妙な風体の方がそこに立って、私を見上げてらっしゃいました。

ぼさぼさの長髪の白髪でバンダナをし、眼鏡の奥の青い目は日本人ではなくヨーロッパの方のお顔つきでした。

ウインドブレーカーのようなジャケットと、なんと、長ズボンではなく、太ももが全部出るくらいの短パンを履いて、寒そうにしていました。

この寒い夜に、なんという格好・・・・!

まず、見た目で驚いたのですが、そのかたがわたしに、一枚のカードを差し出したのです。見ると

「私たち二人はフランスから自転車で5年間、旅をしています。お金がありませんので、どうか一泊、お部屋を貸してください。寝袋はありますので、お部屋を貸していただくだけで十分です。」

という内容が日本語で書かれたカードでした。

半開きになった玄関の開きドアの向こうには、奥さんらしき女性が、同じように太ももを全部出す短パン姿で凍えそうに立っていました。

「とにかく、いまこのうちの方を呼んできますから待っててください。」

そのフランス人のご夫婦は日本語は喋れないようでしたが英語が大丈夫だったので、会話ができました。



そのご夫婦は、もう5年も自転車で世界を旅していて、これからあと8年くらいかけてさまざまな国をまわるそうです。

ということは、なんと全部で13年! この短パンで自転車に乗って旅人生活!

うわぁ〜〜、すごいな〜〜〜!!

今までに、ロシア、中国、韓国、などを経て日本にたどり着き、この先は、フィリピン、インドネシア、オーストラリア、インド、ネパール、などをまわったあとにカナダに飛ぶそうです。

自転車を連れての旅なので、すべてフェリーでの移動だそうです。

すごいな〜〜!! すごいな〜〜!! 憧れちゃいます!!

いろんな人がいるんだな〜。 人生をこんなふうに楽しむ方法もあるんだな〜。 驚愕の出会いでした。

お二人は、そのお宅に一泊お世話になることになり、夕飯を一緒にいただきながら、いろいろなお話を聞かせてくださいました。

これまでも、こうしてたくさんのかたの親切で過ごしてきたそうです。

「一回も野宿したことはないの?」とお聞きしたら、「いつもどなたかが泊めてくれます」と。

得体のしれない外国人のかたに、みんなが手を差し伸べてあげている・・・、人間の親切心、思いやりは、今もまだ捨てたもんじゃないな、と感心しました。

なんとも、おもしろい出会いでした。

翌日もまた、朝早くからでかけ、自転車で関東をめぐるそうです。

安全でよい旅を! ボンボヤージュ!ボリドゥー&イザベル!

自転車の旅人

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

ゆらり ゆらり

ちゃぷん・・・・・

この、水の音が好き。

ちゃぷん・・・・・

お風呂の中でする読書が大好き。



腕をゆらゆらゆらゆら

お湯の中で揺らすと、肌を温かさが滑って行く。

パタン・・・

栞をはさみ、ハードカバーの大きな本を閉じて、脇に置き、ザブン!と肩までお湯に潜る。

はぁ〜、自然とため息が漏れる。

読書をしていたから、肩が冷えていたようだ。 肩の部分だけ熱く感じる。

ぶくぶくぶく・・・・鼻まで潜ってみる。

水の中でも息ができたらいいのにな。 お魚みたいに。

ふと、先日見た夢を思い出す。



フランス系のリゾートホテルでヨーガ講師として働いていたころに同僚だったモーリシャスの青年が出てきた。

彼はモジモジしながら私の前に現れ、一冊の写真集をくれた。

「これ、おみやげです、どうぞ。」って。

見ると日本語で5文字漢字が書いてあった。

はっきりとは思いだせないけれど「石、瓦、色」という漢字が含まれた五文字だった気がする。

「日本っぽいものを探したんだ。気に入ってくれるといいな。」

どこにいったおみやげなのか、この日本語を彼が読めたのか。

「どうもありがとう。」

とわたしは受け取り、パラパラとめくると、数々の石の写真の作品集だった。

色とりどりの石、大きいものから小さいものまで、素晴らしい自然が生み出した芸術作品の数々だった。

「ファンタスティック!」

実際、とても見事な作品ばかりだった。 地球が生み出した素晴らしい芸術だった。




ユングについて学んでいる時期なので、夢について、最近とても気になっている。



ちゃぷん・・・・・

サウナも好きだけど、やっぱり、温かいお湯に浸かるほうがいい。

ゆらり、ゆらり・・・・・

この、温かく、やさしく、包まれている感覚がたまらない。

「毎日お風呂に入らないと、体に垢がたまっていくように、心も毎日洗わないと、だんだん、汚れがたまっていくんです。だから、毎日、少しでもいいから内観しなければだめですよ。」

内観療法の修行でお世話になった臨床心理士の先生のお言葉を思い出す。

いつまでも心に響くお言葉を残してくださって、ありがとうございます。 心で合掌をする。

これまでのさまざまな経験があって、いまのわたしがあるんだな、と、じみじみと思う。

ゆらゆらと、温かいお湯の中で体を揺らし、リラックスした心を、委ねる。

愛と感謝で、満たされる。


鞍馬7

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月10日

咲く


ある人が言った

「お花は『きれいだね』って言われるために咲いているのよね。」

はな1
















それを聞いたある人は

「そうじゃない。受粉するために咲いているんだよ。」

三千院2











本当のところはどうなんだろう。

はな2

















わたしは思う

「ただ、咲いているのが楽しいから、咲いているのだ。」

誰かに褒められるために 背伸びしてがんばっているのではなく

生活のため 生きていくために なりふりかまわず働いているのではなく



地球からの栄養をいただき

太陽を信愛し

ただ ただ

生きている 咲いていることが、この上なく楽しい

わたしには そう 見える

hana3

















その健気で 幸福な生きざまは

見た人 近づいた人に 感動と平安を与える



ただ ただ

楽しいから 咲いている 生きている

そういう人間に なりたいな

kurama8


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

山梨ほんわか

木曜〜日曜での山梨ヨーガを終え、昨夜、東京に戻ってきました。

先週の山梨DAYSは、たくさんの「ほんわか」をいただきました。

山梨での滞在中は、ありがたいことに、嵐のように忙しい日々なので、まるで、アクセル全開でディズニーランドの人混みを激走しているような、緊張感と体のこわばりを、いつも感じてしまいます。

そんな、めまぐるしいわたしに、神様が「ほんわか」をくださって、ブレーキをかけ、心を「徐行」させてくださいました。



仕事の合間、少しだけでも勉強できるかも・・・と放送大学学習センターに行きました。

とっても急いでいましたので、鼻息も荒く、息巻いて、ガチャガチャと、講義ビデオを再生しました。

時計をチラチラ見ながら、ビデオが再生されて、オープニングの音楽がなる間も、お仕事のことで頭がいっぱいでした。

画面に担当講師のかた出てくると・・・・・それはそれは、おっと〜〜りした女性の方で、二倍速で再生してちょうどいいくらいの、の〜んびりした口調で講義されています。

お顔も、まるでおかめさんみたいに柔和で、お人柄がとてもよく出てらっしゃいました。

一目見ただけで、「ああ・・・ほっとするなぁ」、ジェットコースターに乗っているかのように強張っていた心が、じんわり、ほぐれていくのがわかりました。

バリ12







ビデオの彼女の優しげな表情を見ながら、心地の良い声を聞きながらお勉強中、ず〜っと、私の口元は微笑んでいました。

このかたは、わたしを一瞬にして幸せにしてくださったな〜。

わたしも、人に幸福感を与えられる、こういう女性になりたいな。



ブブン、と原付で移動中。

ん・・・・?

稲刈りを終えた田んぼに、たくさんの人の影・・・・・?

キキキィーー!とブレーキをかけ、思わず原付を路肩に止めて、近寄ってまじまじと観察しました。

アンパンマン











稲によりかかっているのは、人物大のアンパンマンのキャラクターたち。

いくつかの幼稚園の幼児たちが作ったようです。

わぁ! なんて、微笑ましい。 なんて、ナイスアイデア! いいねぇ〜、こういうの! 

作ってる子供たちも、農家のかたたちも、これを見た通行人たちも、み〜んな幸せな気分になれちゃう!

頭にかぶるヘルメットの中で、ニコニコが、止まらなくなって、鼻歌歌いながら運転しちゃいました。



山梨は、本当に人間があたたかいです。

稲











なんでもない、市役所とか、銀行とか、郵便局とか、図書館とか、そういう事務的な場所の受付してくださる方でさえ、とっても親切でやさしいんです。

普通だったら、事務作業をして、手続きをして、はい、終わり・・・・というふうになりがちな場所だというのに、対応してくださる窓口のかたたちの笑顔や、表情や、きちんと目を見て対応してくださることや、なにげない気配りに、心がほっと和みます。

市役所のかたが「お気をつけてお帰りください。」と、きちんと目を見て、笑顔で言ってくださったときは、なんだか、嬉しくてありがたくて涙がでそうでした。

我が故郷の、温かさを誇りに思いました。

ヒトに対して親切であれ・・・というのは、形だけではなく、心からの想いを添えなければ伝わらないんだな、と感じました。

「忙しい」とは「心を亡くす」と書きますが、改めて、亡くしがちになっていた自分自身に気が付き、気づかせてくださった親切なかたがたに感謝の気持ちがこみあげます。



田舎道を、ビュンビュン、原付で飛ばして、あちらこちら、仕事に向かいます。

原付は、渋滞もすり抜けられるし、小回りが利くので、急いで移動するのにとっても便利です。

渋滞、信号、対向車を避けて選ぶ、田んぼ道を通ると、植物たちが生き生きとしていて、わたしにブレーキをかけさせます。

まるで、「もいでください」と言わんばかりに重たく垂れ下がる、季節の果物、柿。

うう〜〜ん! もいじゃいたい!(でも、やりません(笑)!)

柿
















風に揺れるコスモスが、さらさらと、ゆらゆらと波打っていて、優雅で、穏やか過ぎて、見事にわたしをノックアウトします。

コスモス















ああ、平和だ。 生きてるって、素晴らしいなぁ〜。 

わたしは生かされているなぁ。 自然の営みは、奇跡だ。

しばし、コスモスから離れられなくなり、この偉大な地球のヒーリングエナジーに浸ります。

素晴らしい自然のエネルギーで、心がどんどん、とろけていきます。



毎日、朝日が出る前からバタバタと慌ただしく、お仕事に出かける前から、自宅にて仕事に係る雑務やらお勉強やらしています。

お茶でも飲もうと、まだ寝ている家族を起こさないように、そぉ〜っと台所にいくと、「牛乳プリン」とラベルが貼ってある、牛乳ポットの形をした陶器が3つ置いてありました。

中身はカラです。ちゃんと、洗って、チョコン、と置いてあります。

あ・・・・そういえば、先週、母が「おいしいプリンがあるよ」と言っていたような・・・。

せっかく毎週実家に戻っているというのに、家にいてもパソコンか、机にかじりついて、「やることがいっぱいあるから」ときちんと会話をすることもほとんどないわたしを、見捨てず、諦めず、いつも見守っていてくれる、母。

時に、エネルギーの電池が切れてしまい、玄関や居間でぐったりと倒れているわたしを、起こさず、そっと毛布をかけてくれる、母。

時間が合わず、家族と一緒に食事をすることもほとんどないので、わたしは食べないだろうとわかっているというのに、いつでも、アイスとか、プリンとか、ゼリーとか、甘いスイーツを、私の分まで買ってきてくれています。

毎週、なにか買っておいてくれるのですが、毎週、食べる余裕がなく、そのまま東京に戻ってしまいます。

それでも、見捨てず、毎週、甘いスイーツを買っておいてくれます。

もしや・・・と冷蔵庫を開けると、やっぱり今週も・・・・。

おいしそうな「ぜんざい」が買ってありました。 3つ。 母、父、そして、わたしのぶん。

忙しいわたしに、少しでも休息を・・・という思いやりが伝わってきます。

いただかずに、慌ただしく東京に戻ってしまうことが多いのですが、何度でも諦めず、無償に注いでくださる母の愛に、胸が熱くなります。

親子







他人から、子供たちから、自然から、母から

たくさんの「ほんわか」をいただき、心があったかくなった、先週の山梨DAYS。

こんなちっぽけなわたしに、お返しできることはなんだろう。

わたしも、たくさんのかたに「ほんわか」を与えられるひとに、なろうと思いました。

合掌

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

匂い

東京の我が家から、駅まで向かう道のりが、とても幸せな季節です。

ふんわりと、やさしいキンモクセイの香りが、心の奥の柔らかいところををくすぐります。


キンモクセイ
















思わず、立ち止まり、

目を閉じて、包まれるような幸福感を楽しみます。

脳の奥に残るような、心の底に張り付くような、

そんな、余韻のある素敵なキンモクセイの香り。

一瞬にして、わたしを幸福にしてくれる、魔法使い。




お洗濯が好きです。

そして、どうしても、日光をあてたいです。

部屋干しは、やっぱり好きではありません。


江ノ電14










たくさんの洗濯物を窓の外に干し、カタカタカタカタ・・・・風に揺れて、奏でる協奏曲。

まるで、コソコソ話をして、うふふ、と笑っているよう。

その音を聞きながら、洗濯物の香りを嗅ぐのが好き。

注意しなければわからないほど、かすかに、風に乗って、窓の外からわたしの鼻腔へと届きます。

今日も「生きている」という実感が湧く、生活の香り。




お香が好き。 オイルもいいけれど、お香のほうがよく使います。

灯しているときの香りもいいけれど、その後、自分自身についた余韻の香りも好き。

外出先で、ふとした瞬間、部屋で焚いたお香の香りが鼻をくすぐります。

髪が揺れるたび、上着を脱ぐとき、ノートを開いたとき、エキゾチックなお香の香りが、ふわりとわたしをテレポーテーションさせます。


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ときには、部屋へ戻り、時には、インドへと心を連れていきます。

お気に入りはCHANDAN。 インドでは最もポピュラーです。




夕方。

昼が夜に溶け込む、繊細な時間。

一日の中で、一番大好きなとき。

その、儚げな匂いが好き。


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きっと、実際には匂いはないのだけれど、わたしの意識の中では、鼻の奥にせつない感覚があります。

温かくて、安らぎに満ちた匂い。

一日のお仕事を終え、家庭へと戻って行く、安堵の匂い。



隣近所から聞こえてくる、夕飯の支度の気配。

美味しそうな匂いが、母を思い出します。

安心で、安全で、愛に満ちた、家庭の匂い。




お部屋の小さな祭壇に、小さなお花を生けます。

こんなにちいさいながらも、植物が部屋にあるだけで、なんて落ち着くんだろう。

控えめなのに、存在感はずっしりと重たい。

お花をケンザンに刺すとき、少し茎を切ります。

茎からは、溢れんばかりの生命の匂いがします。

猛々しいほどの、命の匂い。


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ああ、この子にも命があって、こんなにキレイに咲いてくれて、しばらくのあいだ、わたしと一緒に暮らすことを喜んでいてくれるといいな。

ありがとう、と心の中で言いながら、丁寧にお花を生けます。




早朝が大好きです。

夕方もそうですが、夜と朝の間も、じつは一番好きな時間帯。

「一番」がふたつあっても、いいじゃないか、と勝手にいいわけをします。

朝日が上がる瞬間の、期待に満ちた、希望を含んだ、あの独特な匂いが好き。

太陽は毎日あがって、そして、毎日、温もりをわたしたちに与えてくれる。

たとえ誰もみていなくても、たとえ誰も感謝しなくても、見返りを期待しないで、いつでも、愛を注いでくれます。

朝日を浴びると、自然に心の奥底が震わされ、感動で涙が出てきます。

自然と、感謝の気持ちが溢れてきます。


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朝日が、大好きです。

いつでもどんなときでも、たとえ、つらいことがあったり、悲しいこと、ショックなことがあって落ち込んでいても、

朝日は元気をくれて、心が幸福に満たされます。



そういえば、

最近、朝からパソコンでお仕事することが多く、朝日を浴びてなかったな。

明日からまた、早朝ジョギング、再開しようかな。

輝きにあふれた、一日のスタートに。

二度と戻らない、「今日」というかけがえのない時間を感謝しながら。


曽根丘陵リハ15



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

静寂の2:04


昨夜は、知らぬ間に寝てしまったようです。

ふと、目が覚めると深夜2時。

どうやら、一日を終える前に、なにもかも放り出して、眠りの世界へと沈みこんでしまったようです。

オーディオからは、ボリュームを絞ったジャズナンバーが流れたまま

キャンドルも、淡く、ゆらゆらとわたしの寝ている姿を、ずっと見ていたのでしょう

お香の香りの余韻が、まだかすかに、空間に華やかさを残しています。

昨夜、

ベッドに腰掛けて、少しだけ、と、ドサリ・・・と横になった瞬間、もう、記憶がありません。

毎日、めいっぱい、力の限り生きているので、こんなふうに「電池が切れてしまう」ことが、よくあります。



オートマティックに、ふと、まぶたが開き、しばらく、時間の感覚を取り戻します。

ああ、わたしは寝てしまったんだ、と、数秒して気が付きます。

よいしょ、と起き上って、つけっぱなしになっていたパソコンを消そうと、手をのばします。

2:04。

満月の日です。

ちょうど、満月になるその時間に、まったく同じタイミングで目が覚めました。

2:04。

お月さまがわたしを起こしてくれたのかしら。




満月の日は、わたしたちのエネルギーが増幅する・・・と言われています。

昨日のわたしは、理由のない幸福感でいっぱいでした。

歩いているだけで、食事をしているだけで、人とすれ違うだけで、なぜか、とっても幸せです。

一人で、ニヤニヤしてしまいます。

生きていることが幸福で、こうして、お仕事していることが、本当にありがたくて、心が満たされていました。

ときに、「せつなさ」が増幅する時もあるのですが、今月の満月は、ポジティブなエネルギーが増幅したんですね。

きっと、いまのわたしの心が前向きなんですね。




こうして、幸福感に浸れるのも、すべて、導いてくださるスピリチュアルティーチャーや、師匠や、支えてくださる親しい人、たくさんの生徒さん達、関係してくださるすべてのかたがたのおかげです。

わたしの「安定感」は、周りで支えてくださる、すべてのかたのおかげです。

よい人間に囲まれ、素晴らしい日々を送ることができ、本当に感謝しています。

毎日でも言いたい、何度言っても足りないくらい、わたしに関わるみなさまに「ありがとう」と言いたいです。

浄化をしてくれる満月のおつきさまに、すべてのかたの、心と体の「平和と調和」を、深くお祈りしてます。


Shanti

合掌


蓮6
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

田舎の喜び

「これからすぐに、雨が降りますよ」

というときに、大地がくれる「匂い」が好き。

土の湿り気と、草木のざわめきと、空からの予告のあの「匂い」。

大地が身近に感じられる、田舎ならでは。

生きた地球の呼吸を感じる。





田植えが済んで、すっかり馴染んだ田んぼに、風がそよぐ。

田の水が、さざめき、うごめいている「波紋」が好き。

波紋は、いくつも並ぶ苗にぶつかり、また新しい波紋を呼び、秩序的にも、無秩序的にも見え、広がっていく。

水面に映る雲や、山々、太陽のきらめきまでもがコラボレイトして、幻想的な模様を創造している。

奇跡のようなこの景色に、自然と、顔に笑みが浮かぶ。





虫取り網を抱え、虫カゴを手に、長靴を履く子供たち。

オトコ3兄弟。

夢中になって、虫を追いかけている。

こんな、他愛もない日常が、この子たちの未来を形作る要素になっているんだな。

泥んこになって駆け巡って、転んで、すりむいて、いっぱい泣いて、たくさん笑って、全身全霊で喧嘩して。

いいオトコになっていくんだね。


明治神宮6




















杖を持ったおばあちゃんがコンビニのレジで支払いをしていた。

手にしていた杖を、わきの棚に立てかけたのだが、カラン・・・・知らずに杖が転んでしまった。

あ・・・・・

離れた所から見ていたわたし。手が届かず。

おじいちゃんが、おばあちゃんの横を通り過ぎる。

よっこいしょ、「はい、どうぞ」と屈んでその杖を拾ってあげたそのおじいちゃんもまた、

もう片方の手には杖をついていた。

不自由な足で、床に落ちた杖を拾うのは難儀だろう・・・と親切に手を貸してあげたそのおじいちゃんもまた、足が不自由で難義だろうに。

助け合う人々は美しい。

胸が温まる。 温まりすぎて、苦しいほど。

「愛」は、大それたことをしなくても、日常の小さな、どんな形でだって表現できるんだ。






二両編成の身延線に乗る。

必ず!と言っていいほど、誰かがお弁当を食べている。

電車=お弁当、という公式があるかのよう。

ひとりで乗っているかたは少し恥ずかしそうに、ふたり連れのかたたちは楽しそうに、電車=お弁当、を満喫している。

きっと、満員電車の経験はないんだろうな。

この、のどかなかたたちに、東京の殺人的なラッシュの電車なんて、見せたくないな。

ずっと、このまま、変わらずにいてほしいな。

わたしも、今度、お弁当、買ってこよう。





厚い本を閉じたときの「パタン・・・」という音が好き。

薄い本では聞こえない、重たい本だけが持つ、特有の重厚感のある音。

意味もなく、何度も開いては、閉じてみる。

「パタン・・・」 「パタン・・・」

余韻の残る、心に響く感触。

縁側に寝転んで、障子をあけ、窓から庭に咲く、色とりどりのガーベラを眺める。

そういえば、昨日、母が植えていたな。

麦わら帽子をかぶって、首にタオルを巻いて。

大好きなコブクロのCDを聞きながら。

開け放たされた窓からは、湿り気のある風がそよぎ、もうすぐ来る小雨を予期させる。

風鈴が「チリンチリン・・・」と、穏やかに揺れている。

隣の家の窓を開ける音が聞こえる。

向かいのお宅の、わんちゃんと目が合う。

ゆるやかに流れる、不安も恐れも何もない、平和な時間。

満たされすぎて、このまま、空気になってもかまわない、と感じる。





なんでもない日常が、幸福すぎて、生きていることに感謝があふれます。

きちんと目を向けてみると、人生には、生活には「愛」が溢れかえっていて、こんなにもたくさん与えられていたのか・・・と、感激します。

合掌


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

えんぴつ

お仕事の合間に、お勉強をしています。

いくつも、お勉強しています。



なんとなく

シャーペンより、えんぴつを使ってみよう

と、HBのトンボえんぴつをたくさん買いました。

ケース付きのちいさな鉛筆削りも一緒に。

キャップも。



書く → 芯が丸くなる → 削る → 鉛筆がちいさくなる

という、シンプルなサイクルが、なぜだか、心を和ませます。

そういえば、昔、やっぱり、えんぴつを好んで使っていた時期がありました。

あのときは、鉛筆を削るのが好きで、カッターでシャッシャッ、とよく削っていました。

わたしは、そういう、手間のかかることが好きなのかもしれません。

オレンジやリンゴをランチとして携帯することがよくあります。

果物ナイフで皮をむくのが好きなんです。

むくときの、あの、のんびりした気持ちになるのが好きです。

そのむいているときの果物の匂いも、なんとも言えず大好きで、気持ちが落ち着きます。

バナナじゃだめなんです。

ささっ、とむけちゃうから。



えんぴつも、自分の手で、カッターで削るときの、あの、のんびりした気持ちが好きです。

たとえ忙しい時間の合間だとしても、その時間だけ、なんだかゆったりとして感じます。

左右を揃えるために、えんぴつを左右からくまなくチェックしたり、

芯の先端をとがらせるように、力加減を工夫したり。



「プロセスを楽しむ。」

どうでもいいと見えてしまう時間の使い方が、

じつは、「心のゆとり」には、とても大切だったりします。

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月07日

花の使命

「シクラメンがきれいだね。」

ダイニングルームに置いてある、ピンク色にほの輝いている彼女を私はみつめました。

「ありがとう。」

はにかむ彼女。

「でも、もう萎れちゃったのもあるんだよ。ほらここ。こういうのは根元から取らないとね。」

と、母。



うん。

確かに、彼女の一部は少し萎れていて、元気がないように見えます。

でも

まだ生きているし、十分美しい。

「見て。私を見て。」

と、ピンク色をキラキラ輝かせて

部屋の片隅から主張している。



母は、プチ、プチ、と茎の根元から、元気のない彼女の一部をもいでいく。

「ちょっとまって、それ捨てないでね」

わたしは、母がもいだその元気のない彼女の一部を、奪い取りました。



ほら。



シクラメン




















こんなふうにお水に浮かべたら、まだまだ、イキイキして見えるじゃない?

わー、かわいい〜〜〜〜☆

キレーーイ!!



お花の使命は、私たちにその美しさを持って、癒しを与えてくれることだと思います。

「きれいねー、かわいいねー」

と言われたくて、一生懸命、咲いています。

だから、褒めてあげると、どんどん美しくなりますよねー。

萎れてしまった彼女には、まだ余力があって

「あたし、まだ生きているのよ!」

と、わたしに訴えているような気がしました。



萎びてしまった花弁を、こんなふうに目いっぱい広げて、

ほらね。

お水の上では、まだ十分

キラキラ輝いて、私たちを癒してくれます。

彼女はその使命を果たすのが嬉しくて仕方ないようです。




彼女たち、ニッコリと幸せそうな顔に見えます。

母も、やさしい顔でニッコリしてくれました。

人を笑顔にさせる幸せのスパイスは

注意深く見てみれば、生活の中のどこにでもありますね。








posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

家族

「家族」っていいですよね。

いま、わたしの家族は、両親です。

ずっと、東京、そして海外でお仕事をしていた私は

13年ぶりに、両親と同居しています。



「ひとりの時間」にどっぷり浸かって、それを存分に楽しんで13年も暮らしていた私。

個人事業で仕事をマネージして、精力的に夢を実現していった私。

そんな、独立してる私ですので、突然、両親と一緒に暮らすとなると、やっぱり不自由な気がする時もあります。

親というものは、子供がいくつになっても、余計な世話を焼きたがるものですから。



ひとりだけの静かな時間がほしいな〜

仕事もひとりのほうがしやすいしな〜

と思うのですが、私が同居してることで、母がすごく嬉しそうなので、もう少し、一緒に暮らすことにします。



その両親が、今日の早朝、2泊3日の東北旅行へと出発しました。

彼女たちは、もう2週間も前から旅行バッグを出し、荷物の支度をはじめて、毎日毎日

「何を着ていこう」

「靴は何にしよう」

「新しい服を買おうか」

「寒いかなぁ」

と、同じことばかりをわたしに聞いてきました。

とても楽しみだったんですね。



わたしは、これまで、あちこち外国を旅しているので、突然、ポンッ、と海外へ行ったります。

まるで、すぐそこのスーパー行ってくるよー、って感じで出ちゃいます。

前日に、飛行機のチケット取って、じゃあ、行ってくるわー、って行っちゃいます。

だから、荷造りは慣れたものです。

絶対必要なものと、現地で買えるものがわかっているので

荷造りは30分かからないかな?



だから、母たちの準備している姿を見て、とても新鮮でした。

旅行は、出発する前から、こういうドキドキが楽しいんですね。

忘れてたなぁ。



早朝6時に、ツアーのお迎えのバスとの待ち合わせの場所まで、車で両親を送って行きました。

「いってらっしゃ〜〜〜い」

と、手を振ってバスが遠ざかるのを見守り、

さて帰ろうか、と車のほうに振り返ると

なぜだか、せつなくなりました。

なぜだろう、涙が浮かびました。



ふたりが行ってしまってさみしい・・・・

わけじゃなくて、

こうして、「いってしゃい」ってお見送りする家族がいることが

とてもありがたく感じて、胸がジン・・・として、涙が出ました。



両親の無事を祈りつつ、朝日を見ながら、空っぽの我が家へと車を走らせました。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする