さっきから、どのくらい、同じページを開いているのだろう。
目は活字を追っているのだが、頭にはさっぱり入ってこない。
ページが終わる頃、ふと、なにも理解していないことに気づき、また、しぶしぶと最初の行に戻るのだ。
映像として、活字は目の前を飛ぶように流れるのだが、脳に信号として送られていない。
まるで、映画のエンドロールをぼんやりみながら、映画の結末の余韻に浸っているかのようだ。
「はぁ・・・・・・・・。」
ため息と共に、ゆうに6cmはあるかと思われる分厚いハードカバーを、パタン・・・・・と閉じる。
分厚い本を閉じるときの、この、独特な感触が好きだ。
パタン・・・・・。
もう一度、繰り返してみる。
いつもは、吸い込まれるように引き込まれるこの、ヨーガの聖典も、今日のわたしの頭には、少しばかり難解過ぎるようだ。
右手を、膝の上のハードカバーに載せたまま、左手の親指と薬指で、こめかみを軽く押さえる。
心地良い圧迫が、重たい頭を、少しだけクリアにする。
ちょっとだけ、疲れているのかもしれない。
でも、まだ、がんばれる。
バスの座席から、窓の外に視線を移し、ライトが輝く19:30の藍色の空気のなか、控えめに呼吸をしている街並みを、薄目を開けてぼんやりと眺める。
新しい年を迎えたばかりの、寒い寒い冬の冷気を感じたくて、鼻から一息、ふんわりと吸い込んでみた。
透明で、繊細で、どこか、儚い感じのする、凛とした冬の空気は、バスの中からは微かにしか感じられないらしい。
左手の人差し指の背で鼻を軽くこすると、微かに野菜独特の刺激的な匂いが、鼻孔の奥を刺激した。
昼間の仕事が終わり、自宅に一時帰宅をし、夜食を作りおいてから、また、夜のクラスの仕事に向かっているのだ。
指先を覆い、鼻孔を微かにくすぐるのは、さきほど刻んだたくさんの野菜たちのブレンドされた匂いだろう。
わたしは、気候が寒くなってくると、スープを作る。
大抵は、たんぱく質とビタミンを補給できる、ミソスープが多い。
今日も、いろいろな種類の野菜をどっさりと入れ、5人分くらいはあるだろう大量のミソスープを作って家を出た。
帰宅時間が遅いため、夜食は、その野菜どっさりミソスープだけにすることが多い。
暑い時期はほとんど、スープは作らないのだが、季節が寒い方向へと移行していくと、大量の野菜を買い込んで、せっせと、スープを作り、自宅で食事をするときには、それを、たらふく食べるのだ。
作っている最中も暖かいし、食すときもまた、暖かい。
いろいろな種類の野菜を刻むのも、とても、楽しい。
バスの中から見る、街路の景色は、寒そうな帰宅途中の人で彩られる。
足早に歩く人々。
買い物袋を下げる人々。
ペットの散歩をする人々。
自転車に乗る人々。
みな、バスの中にいるわたしに近づいたり、後ろに流れて行ったり、目が合ったり、合わなかったり。
いつ、マフラーとコートを着る季節になったのだろう?
いつから、夏は終わっていたのだろう? 秋はいつの間に通り過ぎて行ったのだろう?
気がつけば、もう、年を越している。
「時間」というやつは、どうしてそんなに働き者なのだろう。
そんなに急いで、行ってしまわなくても、いいのに。
そんなに急いで、わたしを置き去りにして。
頭を、ゴツン、と窓ガラスに一回だけぶつけ、そのまま、もたれかかり、じっと、生活する人々をぼんやりと眺める。
去年の今頃のことを思い出す。
一昨年の今頃のことを思い出す。
その前の、そして、その前の、今頃のことを思い出す。
さかのぼれば、さかのぼるにつれて、おぼろげに薄れていく記憶だが、10年くらい前までは、確実に思い起こすことができる。
それほど、非凡な人生なのだ。 わたしの道連れは。
記憶の中には、当時の私がいる。
胸が苦しくなる。
呼吸ができなくなる。
わたしの人生は、いつも、いつも、四六時中、悲しかったり、苦しかったり、切なかったりしているわけではないというのに。
むしろ、楽しいこと、きらめくことのほうが多いくらいなのに、なぜか、寒い時期の思い出は、つらく、厳しいものが多いことに気がつく。
冬と、相性が悪いのか、はたまた、相性が良いがゆえに、記憶に残る出来事が多いのか。
あんなにつらくて、苦しくて、打ちのめされて、人生から冷たくされ、
傷口から、ドクドクと血を滴らせ、寒空に立ちすくんでいたのに、
今はこうして、ぼんやりと、まるでドラマでも見るように、
冷静に思い返すことができる。
ほんとに、
「時間」は、働き者だ。 偉いよ。 よく、やってるよ。
「経験」は、わたしを傷つけることもあるが、傷をつけるぶん、強くしてくれる。
そして、わたしを豊かにしてくれる。
あの頃のわたしは、あの頃のわたし。
昨日のわたしは、昨日のわたしなのだ。
今のわたしを、わたしは、愛している。
それは、あの頃があって、昨日があってこそ、
今のわたしだという、単純でいて、難解な公式なのだ。
指先が少し冷たくて、右手を拳にして、爪のあたりにくちづけをするように、はぁーーーっ、と息を吹きかける。
ニットの帽子を被る頭に寄りそう窓ガラスが、少しだけ、曇ったのを視線の端で感じた。
指先の野菜の匂いが、また、わたしの鼻孔を刺激する。
「いま」の私に立ち戻ってみる。
たくさんのかたに支えられて、守られて、生きていることがありがたくなる。
今までいろいろあって、なにかを探してあちこち旅をしてきた。
無知が故の間違いや罪をたくさん起こしてきたけれど、こうして、幸せをかみしめることができ、それをかみしめることでまた、幸せを増幅している。
わたしは、こうして生きている。
それだけで、感謝があふれてくる。
仕事を終えたら、まっすぐ、おうちに帰ろう。
わたしのおうちに。
そして、あったかい、野菜たっぷりのミソスープを食べよう。