2012年09月07日

煌めき

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雨上がり。

いつもの道が、輝きに変わる。

太陽と、雨水のコラボレーション。

光と水の、奇跡のショータイム。

なんてことない、ただの道路が

煌めきの洪水となり、光の海となる。

この地球は、美しすぎる。

一瞬、一瞬が、魔法みたいだ。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月05日

うたたねの夢



ウトウトしてしまった。

椅子に座って目を閉じて、自分の心に問いかけていたときのこと。

頭の中のおしゃべりがうるさすぎて、

心の中の響きが聞こえない。



目を閉じているだけのつもりが、ウトウトしていたようだ。



私は赤ちゃんになった。

ハイハイするくらいの女の子の赤ちゃん。

ニコニコ笑って、とても幸せそう。

オムツをしていて、体は裸だ。

白く柔らかい肌。



ヒューン、と竹ぼうきが飛んできた。

赤ちゃんの私はそれに飛び乗った。

まるでハリーポッターみたいに、空中を自由自在に飛び回る。

すごい速さで、目の前を通りすぎて、あちらこちらへ飛んでいる。

その、赤ちゃんの私を、見ているわたしがいる。



赤ちゃんの私は、もう楽しくてどうしようもない様子。

ケラケラ笑って、ホウキをビュンビュン飛び回らせ、キラキラ輝いて、身体全部で幸福を表現している。

それを見ているわたしも、嬉しくなる。



赤ちゃんのわたしが乗った竹ボウキは、見ているわたしに向かってくる。

ニコニコ笑いながら、赤ちゃんの私は、見ているわたしに入ってきた。



ドクン、と胸の奥が応える。

ドクン・・・、ドクン・・・、

ゆっくりと、でも力強く、私の心臓が脈打つ。

喉から出たがっているかのようにジャンプする。

まるで、大太鼓を、一打一打、丁寧に打っているかのような、力強い振動が、私の中心から、身体のすべてを貫く。

まったく苦しくはない。

むしろそれは、解放への喜び。



根拠はないのだ。

でも、

いま、わたしが行こうとしている道は、真実だ。

根拠はないが、

私の「中心」が、そう教えてくれた気がする。

勇気を出して、踏み出してみるか。



ゆっくりと瞼を開ける。

木々がさわさわと揺れ、風が優しくわたしを撫でていった。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

木々

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太陽が空にあり

熱と光が降り注ぎ

地上にあるものに力を与える

地球から繋がる木々は

太陽を貪るようにそびえ立つ

太陽が木々を照らし

木々はそれを受け止め

その余韻としての影が壁に作る描画

それは地球が吹かせる影にゆらゆらと揺れている



セミが鳴いている

命の限り

それはせつないほど



私はここにいて

このすべてから命を感じている

私はこうして

自分もひとつだと感じる


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

True Nature



昨夜。

ぬるめのお風呂にレモンのアロマ入浴剤を入れて、久々にのんびりバスタイム。

お風呂で読書、は私の大好きな時。

常温のマテ茶を飲みながら、寛ぎのヒトリ時間。

時計を見ない、気にしない、シアワセ。



お風呂上がり。

ベランダに椅子を置いて、目の前にある丘と、その森と向かい合う。

濃いめに淹れたルイボスティーに氷をたっぷり浮かべて、それを大きめのマグカップでいただく。

それが、わたし流。

浮かべた氷をゆらゆらすると、グラスで飲むときよりも、低く柔らかい音をたてる。

トゥントゥン・・・

この落ち着いた音が好き。



風が強かった。

さっき干した洗濯物が、バッサバッサ、揺さぶられている。

ちょうどいいや。

濡れた髪を両手でバサバサ、グシャグシャにして、地球に乾かしてもらおう。

火照ったからだを、強い風がタックルしてきて、熱を奪っていく。



見上げる。

雲を見る。

高い高い、みるみる、流れていく。

東京の空は、夜でも明るい。

椅子から立ち上がって、手すりに寄りかかってみる。

1m、空に近づいた。

右手を伸ばしてみる。

また、50cm近づいた。

でも、

あの空と、わたしのこの周りの空気は、繋がっているのだ、と気がついた。

ずっとひと続きで、どこにも境目がなく、境界線がないのだ、と。

ならば、わたしはいつも、「空の中にいる」、と言ってもいいのかもしれない。

そう考えてみると、とても気分が良い。

断然、良い。



人間たち、出来事、仕事、欲、理想、夢、目標、人の思想、私の思考、

それらは、新しくやってきては、どんどん通りすぎていく。

前のものがいなくなれば、また新しいものがやってくる。

常に変化し、うつろいゆく。

うつろいゆくものは、真理なのだろうか。

いや、

不変的なものこそが、真実。

そして、それこそが普遍。



今のわたしのアイデンティティであるものは、すべて、うつろいゆくものであり、

ヨーガ講師とか、女とか、名前とか、娘とか、妻とか、嫁とか、妹とか、師匠の弟子とか、お弟子さんの師とか、ベジタリアンとか、住所とか、経歴とか、資格とか、キャリアとか、

そういう「肩書き」や「仮面」や「鎧」というアイデンティティを、

すべて捨ててみたくなる。

そこに残るのが、真。



それは、

あの高い空と、呼吸しているこの空気が、繋がっていることと同じ。

風に吹かれた私の濡れ髪が、自然に乾いていくのと同じ。

すべてを脱いで、まっさらになると

ただの「わたし」になる。

それは、True Nature。



湯上がりの体が冷えてきた。

目の前の丘と向かい合う。

森が、その木々が、私たちのために、酸素を助けてくれていることに感謝する。

地球とわたしは、支えあう。

私もNatureならば、わたしも地球を支えてあげたい。

いつも支えてくれているこの地球に、

わたしができることは、なんだろう。



Be the True Nature.

夏の夜。

風に吹かれて。

自然とともに。



鞍馬5



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月12日

ここから そこへ



ここから そこに

行くだけなのに

そんなに 悩んで どうしたの



ここから そこに

行くあいだには

ほら 山も 谷も

なんにもない



ここから そこに

行くことは

本当は 簡単なことなのだけれど

あなたの 心の 葛藤が

そこに 大きく 厚い

見えない壁を 作っている



いつでも 答えは シンプルで

それを あなたも 知っている

なのに 心は いつも

いちいち それを

複雑に 塗り替えてしまうものかもね



ここから そこに 行く道は

まったく 平坦だというのに

あなたは そこに イバラを敷いて 強風を吹かせ

自分で生んだ そのイリュージョンに

頭を抱えて 悩んでいるの

踏み出してしまえば その幻は

あっというまに 消えて行く というのに



ここから そこに

行くだけなのよ

大丈夫

恐れずに

インドの道.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月07日

風と戯れ



鼻から息を吸い込む。

湿気を含んだ空気が、眉間のあたりに流れ込む。

見上げると曇り空。

まもなく、雨が降る兆し。

降る前の、この「雨の匂い」。



「雨の匂いってあるよね? でも、ユキ以外の人に言っても、こういうかんじ、わかってもらえないんだよね」

むかし、むかし、まだわたしがライオンの子供だったころ、

そう言って、同じ感性を共有した一人の少女がいた。

少女はまるで、真っ白なウサギのような子だった。

この「雨の匂い」を感じるたびに、いつもその白ウサギ少女を思い出す。



水を含んだ風がわたしにからみつく。

顔に、長い髪に、両脚に、まるで遊び盛りのベイビーのように、絡んでくる。

私は両腕を、大きく広げて受けとめる。

湿気があり、どっしりと重たく、それでいて柔らかい風。

私の顔を洗う。

髪をなびかせる。

心の底にある記憶を、サワサワと揺らしていく。



コン、コン、カカン・・・・

小さな用水路のあたりで、なにやら音がする。

コン・・・、コン・・・・・

水が滞っているところに、コーヒーの空き缶が浮かんでいる。

その缶が、用水路の石の壁に当たっているようだ。

コン・・・・・、コンコン・・・・・・

流れる水と、なびく風と、空き缶が会話をしているよう。

そこに、わたしも混ぜてもらおうか。

よいしょ、としゃがみこむ。

さあ、聞いてあげるから、話していいよ。

「こうして水と風に揺られて、ボク船酔いなんだよ」

あらま、お気の毒に。



風が吹く。

頬をすべる。

わたしのリンゴのほっぺを、両手で包みこんで愛を伝えていく。

「大好きだよ」

やさしく髪を、撫でてイイコイイコ、してくれる。

「いつもここにいるよ」

わたしは両腕をめいっぱい広げてみる。

待ってました!・・・・と、駆け寄って抱きついてくる。

「一緒に居たいよ」

両腕に、体に、絡みついて甘えてくる。

風が、わたしをたくさん、愛してくれる。



空を見上げる。

暗い雲。

もうすぐ、雨になりそうだ。

わたしは「雨の香り」を、感じる。

ライオンの子供と、白ウサギと、

愛にあふれた地球と一緒に。


ゆうゆう1



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

森できみと



森の中を 歩く

サワサワと 木々が揺れている

昨日の雨で 足元が 少し ぬかるんでいる



誰かが 落して行った 水色のハンカチ

置いてけぼり

ポツリ と 寂しげにうなだれている



風が 少し強い

立ち止って 髪をひとつに結ぶ

あらわになった 彼女の首筋に 

風がやってきて キスをする



眠っている きみ

そろそろ 目を覚ます時だよ

随分と長く ほうっておいてしまった 

さぞ さみしかったでしょう



すねないで 出ておいで

いいからね もう 現れても 大丈夫だよ

昔のように いろいろ 見せてよ



この輝きは 太陽からなのか

それとも 空気そのものなのか

または

彼女の 眼なのか



木々の中で なにかが ザザ・・・ と動く

なにかの気配が 彼女を見ている 

頭上のどこかで 鳥たちが  

喜び 歌い 踊り 

彼女の 目覚めを 祝福している



ゆっくり 歩くよ

きみが ついてこれるように

ごめんね 今まで 

置いていってしまって

ふと 気がついて振り返ったら

きみは もう いなかった



森の広場の 木のベンチに 

ストン と 腰かける

手のひらで さすってみる

このベンチは これまで どのくらいの数の人の

重みを 感じてきたのか

このベンチで たくさんの人々が

笑い 悩み 泣き 愛を語ったのだろう



あのとき 

いなくなってしまった きみを

そこで

待っていれば よかった

時計を見ずに 待っていればよかった

でも 

待てなかったんだ



ポットの ふたを開ける

口に含んだ 温かいお茶が

スルリ と 喉を落ち

胃に沁み ふんわりと広がる



緑の木々が 大きく 揺れている

空気が 渦を巻いて 彼女を包んでいる

スクラム組んで 彼女を取り囲んでいる

やさしい視線で 彼女を守っている



きみは 隣に 座っているんだね

わかるよ そこに いるんだね

許してくれるかい わたしのこと



一緒に 行ってくれるのかい

そして これからも 

また 素敵な唄を

聞かせてくれるのかい



空間を見ると つぶつぶ している

空気に焦点を 合わせると

ウネウネ も している

深呼吸すると キラキラ はじける

森は 「おかえり」 と言った

うん ただいま



きみと また 一緒になれた 

ありがとう

森できみと.jpg











posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

写真とポエム「夫婦桜」



急な坂道を登る

体が前かがみになる

すると

自然に 足元を見ながら

坂道を登っていることになる



風が吹く

足もとの 桜の花びらが

一斉に 転がりだす

コロコロ コロコロ

坂道を 転がり落ちていく

私の足を すり抜ける




足を止める

・・・・・ はらり

顔を上げる

はらはら・・・・・ はらはら・・・・

舞い落ちる桜吹雪のヴェールが

わたしの行く手を遮る

その美しさに 

はっ と息をのむ



道端にしゃがみこみ

足元に横たわる 

桜の花びらを じっ と見つめる

散ってしまったというのに

幸せそうに見えるのは

なぜだろう




そのハートの形は

「愛」

だろうか



どんなときでも

たとえ 散り落ちても

寄り添い合う 

「幸福」

という かたち


桜の花びら.jpg







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 04:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月05日

春だ春だよ ら・ら・ら



ら・ら・ら・ら・ら

梅が咲いたよ 桜も咲くよ



ら・ら・ら・ら・ら

コートを脱いだの マフラーも

ニットの帽子も さようなら



ら・ら・ら・ら・ら

電車のおじさん 額にうっすら汗かいてた

上着を脱いで 膝にまるめる



ら・ら・ら・ら・ら

わたしの黒髪 おさげにしても へそまであるの

伸びる 伸びる くるぶしまで 届け



ら・ら・ら・ら・ら

ポカポカ電車で まどろみ ゆるゆる

となりのお姉さん 肩 貸してね



ら・ら・ら・ら・ら

春風 ビュウビュウ 洗濯物が飛ばされた

拾いに行くのが 面倒くさいな



ら・ら・ら・ら・ら

恋人達が スキップする

わたしも つられて たったか たったか



ら・ら・ら・ら・ら

季節の変わり目 

それでも お肌は調子がいい





ら・ら・ら・ら・ら

スカートの裾が バサバサ もがく



ら・ら・ら・ら・ら

こっくり こっくり 

いつもの駅を 降り過ごす



ら・ら・ら・ら・ら

お水で顔を洗っちゃおう

お水で食器も洗えちゃう

赤いタップはひねらずに



ら・ら・ら・ら・ら

窓を開け 朝のフレッシュエアーを 楽しんじゃう



ら・ら・ら・ら・ら

ピンクの服が 欲しいよなぁ



ら・ら・ら・ら・ら

もそもそ むしゃむしゃ

ライ麦パンを 買い食い 歩いて 食べる



ら・ら・ら・ら・ら

ゆたんぽ 押し入れに しまっちゃおう




ら・ら・ら・ら・ら

風が 頬を駆け抜ける

春の香りだ 心 ウキウキ




ら・ら・ら・ら・ら

明日はもっと

ら・ら・ら・ら・ら

来週はもっと

ら・ら・ら・ら・ら








posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

分岐点


現れた 分かれ道。

その道を 選ぶべきか。

今までの道を 進み

その先に 現れるかもしれない

別の分かれ道を 待つべきか。



新しく現れた道は これまでの自分を

大きく変えなければ 歩きえない道だ。

むしろ 信念と違う 方向へと 繋がっている。

だが 今 歩んでいる道の先には 

またほかの違う 分かれ道が現れる という保証はない。 



目を閉じ

静かに 瞑想をして

心の声に 従うことにしよう。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月24日

ある夕暮れの直感的な鳥たち


インスピレーション。



陽が傾きかけている。

歩く私の影も、長くなっている。

手足が長く、向こうの壁まで伸びて、道路に張り付いている。



なぜ、鳥たちは、なんの合図もなく、飛び立てるのだろう。

誰かが掛け声をかけたわけではないというのに、みな、一斉に飛び立つのだ。

遅れるものは、一羽もいない。

私たち人間には聞こえない、見えないもの、

その合図を感じるのだろう。



平和な夕暮れの穏やかな時間。

鳥たちの一斉に飛び立つ羽音が、わたしを一瞬驚かす。

背後の鳥たちの姿は見えずとも、道路に映ったたくさんの影が、その存在を知らせている。

すると、

バタバタと飛び立つ無数の鳥たちの影が、道路に長く伸びる私の影を横切った。

ちょうど胸のあたり、次々と、たくさんの鳥たちたちが、わたしの中を羽ばたき、かき乱し、通り過ぎて行った。

影の中の出来事だと言うのに、まるで、胸を貫かれたかのような衝動が全身に走る。



インスピレーション。

鳥はいつでも、私にとって「キー」となる。

きっと、なにかが、

わたしの真髄を貫きに、やってくるはずだ。

それは、まさしく、私を導く「光」となるものであろう。


遊湯4.jpg


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2012年02月06日

月光



車を駐車場に止め、ギギィ、とサイドブレーキをかける。

小さく息を吐き、肩の力がすっと抜けるのがわかる。

今日も、一日が終わった。

こんなふうに、忙しくお仕事させていただいていることが、本当にありがたい。

今日一日も、学び多き、大切な日だった。

右手でエンジンキーをひねり、両膝をそろえ、両手を膝の上に置く。

いざ、ドアを開ける前に少し身構える。

夜 22:15。

山梨の朝晩は、本当に寒い。

水道管が凍って、夕方まで水が出なかった・・・という話を聞いた。

愛車のキントウン号は、わたしの次の行動を、息をひそめて、じっと観察している。

よし!

助手席に置いてあるハンドバッグを手に取り、気合を入れる。

暖かな車中から、足を踏み出す、覚悟を決める。

ドアを右手で押し開け、するりと冷気の中に滑り出た。

寒い・・・・・。

車に乗るときは薄着なので、余計に寒さが堪える。

急いで、後部座席のドアをガチャリ、と開け、大量の荷物を、両肩にかけれるだけかけて、バタン、とドアを閉める。

個人教室用と、スポーツクラブ用と、養成講座用のバッグが、ぐいぐいと肩に重たく食い込む。

愛車のキントウン号は、おばあちゃんなので、ボタンでピッ!と鍵をロックすることができない。

重たい荷物が落ちないように体を傾けて、運転席のドアの鍵穴に、キーをさしのばす。



あれ?

とっても、明るい。

いつもなら、半分手さぐりで、ほぼ「勘」を頼りに鍵穴に差し込むのだが、今日は、とっても鍵穴が良く見える。

キントウン号の車体も、仄明るく、とても美しく見える。

はっ!

と気がついて、顔を上げる。

少しだけ、頬がこけたお月さまと、ピッタリ、目が合った。

彼女は、「ふふ、みつかっちゃったわね」と明るく微笑んでいるようだった。

ああ、もうすぐ、満月だ。

しばらくのあいだ、彼女と見つめあい、夜空の美しさに魅了される。

きれいだなぁ。 家々も、車も、わたしも、全部、青白く染められている。

彼女の輝きに、わたしも包まれている。

わたしが、毎日、毎日、忙しく活動しているうちにも、確実に時は流れ、こうやって月は知らずに満ちていくんだ。

わたしがどんなにあがいても、止めることのできないこの時間の「大河」の中で、私は流され、生かされているんだなぁ。

こうして、お仕事させていただいて、いろんな方と触れ合うことができて。

ありがたいなぁ。

なにげない家族の愛情にも、ふと、気がついて、胸が熱くなったりして。

ありがたいなぁ。

見上げれば、月のエネルギーに包まれている自分に、はっ!と気がついて。

本当にありがたいなぁ。

幸せは、みつけるものじゃなくて、「気づくこと」だと思う。

「気づいたこと」に、気づくことで、心がもっと、ふんわりと幸せになる。

しっとりと輝く、月の光を浴び。

合掌

TS05595.jpg


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月27日

写真とポエム 「年輪」

夫婦s.jpg


歩いてきた イバラの道は

ひとりでは 掻き分けられなかっただろう

傷つけ 傷つき

ため息も 涙も流れた



人生には 善いことと 悪いことが

ちょうど 半分ずつ あるのかもしれない

それをまた 

うまく 半分ずつ わけあってきた



同じ 方角を みつめ

速度を 合わせて



笑顔と 痛み

温かさと 無知

人生は 積み上がる





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

水滴



・・・・・・・・・ポチョン・・・

早朝4:30。

シンシンと冷える真冬の早朝。

私は洗面所で、温かなお湯で顔を洗ったあと、タオルで水を拭っていた。



・・・・・・・・・・・・ポチョン・・・

水滴の音は、バスルームから聞こえる。



昨夜も、夜遅くまで勉強をしていた。

お風呂につかり、体を温めた後、もうクタクタに疲れ果て、一刻も早く寝てしまいたかったので

浴槽のお掃除をさぼり、お湯をそのままにして蓋を閉めた。

それが水滴となって、浴槽のふたの裏側にたまっているのだろう。



・・・・・・・・・ピチョン・・・

早朝の静寂が好きだ。

夜明け前の、期待のこもった静けさが、大好きだ。

じっ・・・・と朝日を待ちわびて息をひそめている・・・・・、そんな特別な時間帯に、

この繊細な水滴の音は、なんてぴったりと、しっくりとくるのだろう。



・・・・・・・・・・・・ピチョン・・・・

この、余韻を含んだ高音が、たまらなく私の感性をくすぐる。

バスルームのタイルに反響して、水滴の音はまるで生きているかのように、クリアに聞こえてくる。

わたしは、

耳を澄まさなければ聞こえない、小さな生活の音に、集中するのが好きだ。

キッチンの冷蔵庫がムーーーン、とうなる音だとか
隣の部屋の時計のコチコチ・・・だとか、
ベランダの洗濯ばさみがカタカタ、揺れている音だとか、
空気の流れが変わった時の、ダイレクトに頭の中に浮かぶ、耳には聞こえない「音のようなもの」だとか。

いつも当然のようにそこにある音に、改めて、耳を澄ますのが好きだ。



・・・・・・・・・ピチャン・・・・・・

冷めてしまったお湯を、まだたっぷりと抱え込んで、汗をかいている浴槽を想像した。

お湯の熱気がこもって、さぞ、居心地が悪い夜を過ごしたことだろう。

わたしにその心境を、語っているのかもしれない。



・・・・・・・・・・ピチョン・・・・・

まだ、世界が寝静まっている時間。

私は、水滴に耳を澄ましている。


霧の本栖湖
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月11日

冷気とゆげ



さっきから、どのくらい、同じページを開いているのだろう。

目は活字を追っているのだが、頭にはさっぱり入ってこない。

ページが終わる頃、ふと、なにも理解していないことに気づき、また、しぶしぶと最初の行に戻るのだ。

映像として、活字は目の前を飛ぶように流れるのだが、脳に信号として送られていない。

まるで、映画のエンドロールをぼんやりみながら、映画の結末の余韻に浸っているかのようだ。



「はぁ・・・・・・・・。」

ため息と共に、ゆうに6cmはあるかと思われる分厚いハードカバーを、パタン・・・・・と閉じる。

分厚い本を閉じるときの、この、独特な感触が好きだ。

パタン・・・・・。

もう一度、繰り返してみる。

いつもは、吸い込まれるように引き込まれるこの、ヨーガの聖典も、今日のわたしの頭には、少しばかり難解過ぎるようだ。



右手を、膝の上のハードカバーに載せたまま、左手の親指と薬指で、こめかみを軽く押さえる。

心地良い圧迫が、重たい頭を、少しだけクリアにする。

ちょっとだけ、疲れているのかもしれない。

でも、まだ、がんばれる。

バスの座席から、窓の外に視線を移し、ライトが輝く19:30の藍色の空気のなか、控えめに呼吸をしている街並みを、薄目を開けてぼんやりと眺める。

新しい年を迎えたばかりの、寒い寒い冬の冷気を感じたくて、鼻から一息、ふんわりと吸い込んでみた。

透明で、繊細で、どこか、儚い感じのする、凛とした冬の空気は、バスの中からは微かにしか感じられないらしい。

左手の人差し指の背で鼻を軽くこすると、微かに野菜独特の刺激的な匂いが、鼻孔の奥を刺激した。



昼間の仕事が終わり、自宅に一時帰宅をし、夜食を作りおいてから、また、夜のクラスの仕事に向かっているのだ。

指先を覆い、鼻孔を微かにくすぐるのは、さきほど刻んだたくさんの野菜たちのブレンドされた匂いだろう。



わたしは、気候が寒くなってくると、スープを作る。

大抵は、たんぱく質とビタミンを補給できる、ミソスープが多い。

今日も、いろいろな種類の野菜をどっさりと入れ、5人分くらいはあるだろう大量のミソスープを作って家を出た。

帰宅時間が遅いため、夜食は、その野菜どっさりミソスープだけにすることが多い。

暑い時期はほとんど、スープは作らないのだが、季節が寒い方向へと移行していくと、大量の野菜を買い込んで、せっせと、スープを作り、自宅で食事をするときには、それを、たらふく食べるのだ。

作っている最中も暖かいし、食すときもまた、暖かい。

いろいろな種類の野菜を刻むのも、とても、楽しい。



バスの中から見る、街路の景色は、寒そうな帰宅途中の人で彩られる。

足早に歩く人々。

買い物袋を下げる人々。

ペットの散歩をする人々。

自転車に乗る人々。

みな、バスの中にいるわたしに近づいたり、後ろに流れて行ったり、目が合ったり、合わなかったり。

いつ、マフラーとコートを着る季節になったのだろう?

いつから、夏は終わっていたのだろう?  秋はいつの間に通り過ぎて行ったのだろう? 

気がつけば、もう、年を越している。

「時間」というやつは、どうしてそんなに働き者なのだろう。

そんなに急いで、行ってしまわなくても、いいのに。

そんなに急いで、わたしを置き去りにして。



頭を、ゴツン、と窓ガラスに一回だけぶつけ、そのまま、もたれかかり、じっと、生活する人々をぼんやりと眺める。



去年の今頃のことを思い出す。

一昨年の今頃のことを思い出す。

その前の、そして、その前の、今頃のことを思い出す。

さかのぼれば、さかのぼるにつれて、おぼろげに薄れていく記憶だが、10年くらい前までは、確実に思い起こすことができる。

それほど、非凡な人生なのだ。 わたしの道連れは。



記憶の中には、当時の私がいる。

胸が苦しくなる。

呼吸ができなくなる。

わたしの人生は、いつも、いつも、四六時中、悲しかったり、苦しかったり、切なかったりしているわけではないというのに。

むしろ、楽しいこと、きらめくことのほうが多いくらいなのに、なぜか、寒い時期の思い出は、つらく、厳しいものが多いことに気がつく。

冬と、相性が悪いのか、はたまた、相性が良いがゆえに、記憶に残る出来事が多いのか。



あんなにつらくて、苦しくて、打ちのめされて、人生から冷たくされ、

傷口から、ドクドクと血を滴らせ、寒空に立ちすくんでいたのに、

今はこうして、ぼんやりと、まるでドラマでも見るように、

冷静に思い返すことができる。

ほんとに、

「時間」は、働き者だ。 偉いよ。 よく、やってるよ。



「経験」は、わたしを傷つけることもあるが、傷をつけるぶん、強くしてくれる。

そして、わたしを豊かにしてくれる。

あの頃のわたしは、あの頃のわたし。

昨日のわたしは、昨日のわたしなのだ。

今のわたしを、わたしは、愛している。

それは、あの頃があって、昨日があってこそ、

今のわたしだという、単純でいて、難解な公式なのだ。



指先が少し冷たくて、右手を拳にして、爪のあたりにくちづけをするように、はぁーーーっ、と息を吹きかける。

ニットの帽子を被る頭に寄りそう窓ガラスが、少しだけ、曇ったのを視線の端で感じた。

指先の野菜の匂いが、また、わたしの鼻孔を刺激する。



「いま」の私に立ち戻ってみる。

たくさんのかたに支えられて、守られて、生きていることがありがたくなる。

今までいろいろあって、なにかを探してあちこち旅をしてきた。

無知が故の間違いや罪をたくさん起こしてきたけれど、こうして、幸せをかみしめることができ、それをかみしめることでまた、幸せを増幅している。

わたしは、こうして生きている。 

それだけで、感謝があふれてくる。



仕事を終えたら、まっすぐ、おうちに帰ろう。 

わたしのおうちに。

そして、あったかい、野菜たっぷりのミソスープを食べよう。

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2012年01月08日

写真とポエム「いま」


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  過去 

      現在 

         そして、 

              未来








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2012年01月07日

トンボHB



えんぴつで、真剣に、丁寧に、文字を書いてみた。



二日目の放送大学の面接授業の時間。

眠くて、眠くて。

つまんなくて、退屈で。

先生はずっと、私の期待とは、別の方向のことを、喋っているし。

逃げ出したい衝動と、大人としてのモラルと、大バトル、大葛藤していた。

なーんて、もったいない。

せっかくここにいるのに、時計ばかりを気にして、終わることばかりを考えて時間を過ごすなんて、人生を無駄にしてる! 

単位取得だけのためにここに座っているなんて、もったいなーい。

この、興味の浅い講義も、いつかなにかの役に立つかもしれないじゃないか。

でも、眠いんだよ。 もう帰りたいよ。 つまんないんだもん。



そうだ!

きれいな文字を書く、練習の時間にしよう。

大人になってから、文字の書き方の練習なんてしたことないぞ。

いつも、サラサラ〜、と走り書きで、時には、殴り書きで、自分でも読めないときもあるじゃないか。

そうだ、そうだ、そうしよう。

真剣に、心を込めて、綺麗に文字を書いてみようじゃないか。

そういえば、パソコンばかり使っていて、きちんとした文字を、最近、書いていないなあ。



ぎゅっと、えんぴつを握る。

机の上の資料に顔を近づけかがみ込む。

芯の先端は、少しだけ丸みがあるほうが良い。

シャキシャキに、尖っていると、力加減が難しい。



ふむ。

真剣に挑むと、「な」と、丁寧に書くのって、難しいなあ。

知らないうちに、急いじゃって、流れたような形になっちゃうや。

えんぴつがチビッ子だから、ちょっと書きにくい。

学習するときは、シャーペンではなく、いつも、えんぴつを使っているから、こんなに短くなっちゃった。



おっと。

「寧」っていう字は、バランスが難しい。 

細長くなっちゃった。

バランスといえば、漢字とひらがな・・・、漢字のほうを少し大きめに書くと、見た目が綺麗なんだったっけ?



あ。

ほらまた、先生の話が脱線したぞ。

血液型占いはインチキだ!…って話を、もう20分もしているよ。

全然、講義の内容とは関係ないのになあ。



わー!

「遠」っていう字、好き。  

この、はらい、が気持ちいい。

一回消して、もう一回、書いてみちゃおう。

ゴシゴシゴシ。



ほほう。

私の字、結構、うまいじゃなーい。 はは。



あー。

芯の先端が、丸くなりすぎても書きにくいなあ。

文字がぼやけちゃって、気に入らない。

ジャコジャコジャコ……。

小さな鉛筆削りで、チビッ子をもっとチビ太にする。

力を入れすぎたり、斜めに押すと、芯が折れちゃうから気を付けなきゃ。

あらら、折れちゃった。



よし。

じゃあ、ホワイトボードの情報を書き移すぞ! 大好きな人へ、ラブレターを書くつもりで、一番綺麗に書いてみよう。

最後にラブレターを書いたのは、いつだったか?

真剣に告白したラブレターは、中2の夏の、バスケ部の先輩だったか。

懐かしいなあ。



えんぴつは、やっぱいいね。

何度も言うけど、シャーペンよりも、好きだわ。

「書いてます感」が、いいよ。

シャーペンだと「滑らせてます」って感じだもんね。

だんだん、集中力が持続してきたぞ。

文字が滑らなくなってきた。 丁寧に書けてる、書けてる。

あと、万年筆も、好きだなあ。

ボールペンより、断然、「書いてる感」が、いいよなあ。



ありゃ。

「態」を「熊」って書いちゃった。

集中、集中。

文字を書くって、楽しいなあ。

講義も、いつのまにか、楽しくなってきた。







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2011年10月19日

時空のひずみ



少し前の、秋晴れの心地のよい日のこと。

空が、薄水色で、浅いようで深くて。

頭上で、自衛隊のヘリコプターが、パタパタパタ・・・・と、爽やかな秋空を旋回していた。



交差点の手前。 通り過ぎようとしていた神社で、「骨董市」が開催されていた。



たくさんとは言えないまでも、いろいろなブースがあり、それぞれ、陶器やら、キャラクターものやら、日用雑貨やら、アクセサリーやらの「骨董品」と呼ばれるものが、特設のテーブルの上や、ゴザの上やに並べられていた。

ふらり、と立ち寄る。

日本の古き骨董品たちが、誰かの手に取られるのを、期待の目でわくわくと胸を躍らせ、通りすぎる人たちを見つめ、 じっ・・・・・・・と、待っているようだった。

「わたしを、みつけて!わたしに、触って!」



いかにも、カタギではなさそうなひとたちが、それらを売っているのだが、 それにしても、値段が高いのだ。

気に入った品物があったのだが、衝動買いをするには、とっても、もったいない金額だった。

それは、おそらく、大阪に住んでいた男性のかたが集めた、マッチのラベルの収集冊子だった。

昔ながらでしかありえない、今となっては新鮮なデザインのマッチの大量のラベルが、丁寧に、ひとつひとつ、ディスプレイされて貼られていた。

バー、うなぎや、定食や、床や、民宿、カフェ、・・・・・・・などなど。

収集していたかたの、真面目で神経質な性質だとか、

よほど、それらの収集にはまっていたことだとか、

どこかで外食するときや、旅行などのときの、楽しみであっただろうことだとか、

大事に、大事に、保管してあったのだろうと、推測できるほどキレイな保存状態とか、

きっと、持ち主の方は、もう、亡くなられてしまっているのだろうということとか、

いろんな想像が、わたしの頭の中を、駆け足でぐるぐると駆け巡った。



べっ甲の櫛だとか、銀製のお弁当箱だとか、使用できるのかわからない古い古いカメラだとか、

それらに触れるたびに、持ち主の想いや、生活などを想像してしまう。

というか、乗り移ってくる・・・・・という言いかたの方が、当てはまっているのかもしれない。

それは、わたしの想像でしかないのだが、でも、それらの持ち主たちは、わたしが、それらに触れるたびに、わたしの想像の中で、妄想の中で、息を吹き返し動き出すのだ。

イキイキと、生活を始めるのだ。



時代という時間のうねる渦の中の、突然現れた「ひずみ」に、ふと、足をとられてしまったように感じ、

ここが、本当に自分の居場所なのか、

はたまた、ここが自分の居るべき場所ではなく、いつのまにか間違って迷い込んでしまったのか、

軽い、戸惑いを覚える。

助けを求めるかのように、

顎を上げ、目を細め、頭上の木々を見上げた。

まだ、緑色が半分ほど残り、うっそうと茂る、賑やかな枝たちの隙間に、

ただ、一枚、

空中に浮かぶものが見えた。

それは、くるくるくる・・・・・、とまわってる、黄金色の枯葉だった。

おそらく、くもの巣にひっかかっていたのだろう。

その枯葉は、空中で身悶えするように、くるくるくるくる・・・・・・一心不乱に踊っていた。

まるで、

絡まる、くもの糸を振りほどくべく、がんばっているかのようだった。

おとなたちからの束縛から逃れたい一心の、幼児のようだった。

人生の苦悶から脱出したがっている、現代の大人たちのようだった。

ジタバタジタバタ、と、もがいていた。



しばらく、

その枯葉の悪あがきに見惚れ、口をポカン・・・・とあけながら、神社の一角で、天を仰いで、立ちつくした。



骨董品を見て、こころが研ぎ澄まされたせいなのか、

その、一枚の踊る枯葉を見て、

すべての事柄に、「無意味」というものは、ないのだ・・・・と感じた。

すべて、繋がっているのだ・・・・と感じた。

あんなふうに、人知れず踊る枯葉にも、

あたかも、生命が宿っているかのように見えるし、

そして、それを、「無意味ではないこと」と感じられる感性もまた、こうして存在するのだ。

そのすべてが、奇跡だ。



なんだか、今、生きて、ここに立っている自分自身が、

とても、尊く感じた。

一緒にいる人々、わたしの人生に接する人々すべてが、

とても、尊く感じた。



人生は、ステキだなぁ。

すべてのひとに、「ありがとう」と、言いたいなぁ。

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2011年10月11日

写真とポエム「殻」


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抜け殻になってみて、


初めて気がついたことがある。


オレが今まで「俺」だと思ってたものは


実は、「俺」なんかじゃなかったんだ。


抜け殻になってみてみたら、


「俺」だと思っていたこの「俺」は、


この、ただの「抜け殻」にすぎなかったんだ。


知らなかったんだよ。 気がつかなかったんだよ。


本当の、真実のオレってやつは、


今まで「俺」だと思っていた、このオレの背中から


あっさり、さっぱり、出て行っちまった。


抜け殻になってみて、やっと、やっとわかったよ。


気がつかなきゃいけない、大切なことは、


「内側にいるオレ」なんだ、ってことに。


抜け殻になっちまったから、もう、遅いけど。



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2011年10月10日

写真とポエム 「少女時代」


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あの頃の私たちは

世界のすべてが 自分のものだった



全能的で 無知な夢を

恥ずかしいほど真剣に 胸に抱き

日が暮れるまで 無差別に 話し合っていた



 「手を 離さないでね」
 
押し寄せる波さえも 自分の一部だと 感じていた



 「波が 来るよ」

繋いだ手は 永遠に 握り合えると 思っていた



”わたし”というものと ”世界”が 別々のものだと

いつ頃 気がついたのだろう

ずっと 気がつかずにいたら 

きっと もっと・・・・・




 「手を 離さないでね」

なんのためらいもなく そう言えた


 「波が 来たよ」

強張りを脱ぎ捨て 背を向けず


 






 

 
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2011年09月02日

鈴虫


ガラガラガラ・・・・と マンションの窓を開ける

小さな黒い空の 狭いスペースの中で

モコモコした雲の合間に 星がかすかに瞬くのが見える 

見上げると 夜の東京の空

ベランダはないので まどのへりに立ち上がり

グラスを片手に 物干し竿に手をかけて寄りかかる

よいしょ

カラカラン・・・・と 氷の音が心地よい

今日は軽い頭痛がするので

スパークリングウォーターの気分

レモン味がスッキリとさせてくれる

空を見上げて 一息



夜風が洗い髪をなびかせる

空は曇って どんよりとのしかかる

このマンションに引っ越してきて一年半。

毎日 毎日

ここに引っ越してきてよかった・・・と実感する

引き寄せられるようにこの部屋を見つけ

内見もせずに決めてしまった

小さいけれど 運命の部屋だった

ここに住んだことで 与えられた宝物がたくさんある

住宅街の中の このマンションの一階の部屋から見える空はとても狭く 

故郷の星よりも数段暗いけれど

ここで暮らしたことに心から感謝している

あと3日後にはここを出て 新しいマンションへと引っ越す予定だ

いままで どうもありがとう

夜風が肌をかすめていく

心地よさに 身体の力が するするする と抜けていく




鈴虫が 鳴いている

つい数日前までは 夜中でも セミが鳴いていたのに

街灯の眩しいほどの明かりに

昼間だと勘違いした セミたちが数匹集まり 

時には夜でさえ 大合唱していたというのに




暑すぎた梅雨が明け

やっと 夏が来たと思ったら

あっという間に 通りすぎてしまった

もう

鈴虫の おでましですか




時が経つのは 早すぎて

どうしていいか わからなくなってしまう

やり場のない 焦りがつのる

自分の存在や 位置を 確認したくなる



大切なものを 見失っているような気に なってしまう

わたしはきちんと成すべきことを 成しているのか

うん きっと大丈夫 なはず



時が経つのは 早すぎて

嬉しかったことや 楽しかったこと

幸せな感覚なども 

いつの間にやら 遠ざかってしまう



悲しいことや 苦しいことがあったときは 

とても 

都合がいいのだけれど




鈴虫が 鳴いている

一体 誰に なにを 伝えたいのだろう

わたしに 話してごらんよ

聞いてあげるから

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2011年08月14日

砂漠とラルーとわたし


この暑さで、ふと、3年前に砂漠を旅していた時のことを思い出した。






目の前に広がる、砂の山。

黄金色の、砂を読む。

風を、頬に感じる。
 
とても、熱い。



私のパートナーは「ラルー」

よろしくね。

頬をなでる。

まつげが長い。

なんだか誰かに似てる。

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ラルーの呼吸に、わたしのすべてが共鳴する。

砂が口に入る。目に入る。

でも、気にしない。

ゆっさ、ゆっさ、わたしの身体が、ラルーと一緒に揺れる。

なにも考えない。



ラルーの動きを敏感に感じていると、すごく愛しく感じる。

彼の微妙な変化、気持ちの動揺を、わたしの身体全体で受けとめる。

ありがとう、ラルー。

腕を伸ばして、何度も首筋を撫でる。

ありがとう、ラルー。

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顔を上げ、地平線を眺める。

眩しくて、目を細める。

耳元で、風と砂が、わたしに囁きかける。

どこから来たのか、ガリガリに痩せた犬がコソコソついてきている。

あとで、わたしの夕飯、半分あげるから、ちゃんとついておいで。

鹿もいる、ヤギもいる。

草も水も、探すのが大変なこの砂漠でも、生命はたくましい。

地平線が、空と大地の境界線を教えてくれる。

頭も心も、真っ白になる。

小さなことが、もう、どうでも良くなる。

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地球はこんなに大きくて、地平線はまだまだ続く。

わたしはこんなにちっぽけで、これっぽっちのただの、わたしだ。

ここでは、なんにもない。ただの、わたしだ。

肩書きとか、資格とか、収入とか、見た目とか、

どうでもいい外側の鎧を全部、剥がされた気分。

マルハダカ。

すごく、心地よい。



自分自身の感性と寄り添って、自分自身とのアーティストデート。

わたしだと思っていた「わたし」を脱ぎ捨てる。

ただの、「わたし」になる。

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2011年08月03日

わたしの少年




目を閉じて、意識を集中させる。

お喋り好きな騒がしい頭の中が、少しずつ静かになっていく。

ゆるやかな「わたし」の流れに身を委ねていた、早朝の瞑想の時。

世界のすべてと融合していくわたしの心に、突然、はっきりとあるヴィジョンが現れた。



坊主頭の少年は、紺色の着物を着ていた。

少年は恐らく草履をはかず裸足で、目の前、遠くのほうから、私に向かって駆けてくる。

それはもう、ものすごい真剣さで、私だけを見て駆けてくる。

笑っているわけでも、泣いているわけでも、怒っているわけでもなく、ただ、一直線にわたしに向かって手足を猛烈に動かすことだけに集中している。

わたしはその少年を、両腕を広げて胸に抱きとめたほうがいいのか、または、邪魔しないように身体をよけて、彼の行き先を明けてあげたらいいのか、どうしていいやらわからず、ただ、ぼんやりと見ている。

近づいてくる少年は、私に向かって駆けてくるというのに、わたしの顔を見ていない。私の身体を通り越して向こうを見ているような感じだ。

または、

わたしの中の、肉体ではない「なにか」を見ていたのかもしれない。

駆けてきた少年は、わたしの胸のあたり、お腹のあたりに、スッ・・・・・・と、吸収されていった。

わたしはなんの違和感もなく、当然のようにそれを受け止め、心の底から安心感が湧き出てきた。

彼は、かつてのわたしの姿だったのか・・・・・、ずっと昔の、わたしの息子だったのか・・・・・、

または、現在の私の中に住む、違う形をしたわたしなのか・・・・・。

ほんの一瞬のビジョンだったが、はっきりと鮮明に残っている。

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2011年07月20日

写真とポエム 「つぎはぎ」


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「つぎはぎ」


えへん。

頑張って働いてきた

勲章なのだ。

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2011年07月10日

写真とポエム「待ち合わせ」



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そうだよね。

「待つこと」で育まれていくんだね。



途切れた「道」の前で

自分の「運命」との待ち合わせ




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2011年07月07日

写真とポエム 「太陽」


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ねえ ちょっと 押さないで

   あら ごめんなさい

あなたの首が 重たいわよ

   だって 嬉しくって 飛び出しちゃうのよ



目も 口も  がばー と大きく開けて

耳も 鼻の穴も  ぷっくり ふくらませて

腕も 首も  めいっぱい 伸ばして

すべての手のひらを  できる限り いーっぱいに 広げて

あの 

光へ 近付きたいの







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2011年06月23日

写真とポエム「未来」


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ねえねえ、けんちゃん
大人になったら、あの雲に乗れるのかな

人間は、雲には乗れないんだよー

そうなのかー
じゃあ、あの鳥みたいに、空を飛べるようになるのかな

飛行機に乗らないと、空は飛べないよ

そうかー

でも僕は、大人になったらね、宇宙になるんだ!
あの雲よりもずっと高くて広くてね、鳥よりもずっと自由なんだよ

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2011年06月22日

写真とポエム「こぼれ落ちる」


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涙が 流れた

一粒 また 一粒

また 再び 泣くことができた 

自分に 驚いた



吐息が 漏れた

長く ディープに 余韻 苦しく

生きている 

痛みを 感じた



いつか

顔を上げ 空を見上げるために

今は

うつむこう

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2011年06月18日

瞑想 鮮やかな青紫と暖色の淡いオレンジ



昨日。

瞑想をしていた時のこと。

わたしは、とてもリラックスしていて、本当に心が安らいでいました。



わたしは、植物に左右を囲まれた小道のようなところを歩いていました。

右手側にはわたしの身長よりも背の高い植物が、道沿いにぎっしりと続き、まるでわたしに寄り添うようにこちらに乗り出してきていました。

その植物の緑の葉のあいだからは、青色と紫色の中間…のような、濃く、深い色をした花がたくさん咲いていました。

優美な花たちは、少しでもわたしに近づこうとしているように、我先にこちらに伸びてきて、わさわさと揺れています。

窮屈そうに見えるほどたくさん咲き誇る、その美しく、高貴な花たちをすり抜けて歩くと、時折、かすかにわたしの肌を花弁が触れていきます。

爽やかな香りが心を軽くし、青紫色に深く深く染められている小道を、わたしは満ち足りた想いで、ゆっくりと歩いています。

まるでテレビを見ているかのように、景色が、徐々に後ろへと流れていきます。

女性がいました。

とてもやさしく、穏やかで、温かな顔で立っていました。

顔色がとてもよく、透き通るような透明感があり、肌がキラキラと輝くように艶やかでした。

知っている人のような、みたことのない人のような…、それが、どうしてもわかりません。

でも、それはどちらでもいいことのように思えたので、考えないことにします。 知り合いでも、そうでなかったとしても、ここにいる彼女は「彼女」なのです。

彼女の笑顔は、周りの空気を暖かくします。 周辺の色を暖かいオレンジ色のような暖色系に変えていきます。

彼女はニコニコしながら、わたしになにかをくれました。

それがなんなのか、なにをいただいたのか、よくわかりませんでしたが、嬉しかったので、何も考えずにただ、素直に受け取ります。

再び、美しい花の小道を、ゆっくりと歩いていきます。

目の前を流れていく景色から想像すると、わたしはとてもゆっくりと歩いているようでした。 おそらく、2秒に一歩、足を出すくらいのゆったりとした速度で。

「どうしてこんなに鮮明にこの景色が見えるのだろう。いつか、以前に、この景色を見たことがあって、わたしの脳はそれを思いだしているのだろうか?」

そんな疑問が頭をふっと、よぎった瞬間、ビジョンは薄らぎ消えてなくなりそうになりました。

「そうか、そんな分析も必要ないんだな、ただ、「いま」に身を委ねればいいんだ。」

そう感じ、ただただ、その感覚に身を任せると、また、ビジョンがはっきりとしてきました。

とにかく気持ちがよく、とても軽く、柔らかで、すべてが満たされていて、まるで、そのビジョンに溶けてしまったかのような感覚でした。



あらかじめセットしておいたアラームが瞑想の終わりの時間を告げ、意識が戻ってくると、肉体の感覚が少しずつ蘇ってきました。

わたしには手があり、足があり、胴体の重みを感じました。

呼吸している自身の体の動きがかすかに感じられます。

自然に感謝の気持ちがこみあげ、合掌をして頭をさげました。

心がとても満たされ、幸福感がこみあげてくるのを感じました。

自分がこうして生きていることに、感謝が溢れます。

ありがとう。

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2011年05月16日

ゆるめる 立ち止まる



見上げた。

首が痛くなるほど。

長いこと。



雲が流れていた。

徐々に形を変えていた。

一秒ごとに 表情を変えていた。

じっと

時間をかけてみつめていないと

変化しているのが わからないくらい

ゆっくりと。




白い雲は

いつもわたしたちの頭の上で

誰も見ていなくても気にせず

ひっそりと呼吸をし

様々な表情で流れて

地上のわたしたちを 包み込んでいる。



一瞬も同じところには留まっていないというのに

心のリズムが忙しいと

こんなに魅力的な 雲の微妙なダンスに気がつかない

なんて もったいない。




こんなに官能的なプレゼントを 受け取らず

見上げることもせず

彼らの言葉にも耳を傾けず

手元、足元しか見ていないなんて

もったいないことをしたもんだ。



前へ

その先へ

ひたすら 先ばかりを探し続けて

すぐ頭の上で白い雲が動いて行くのすら

気がつかずにいた。




立ち止まって

ここらで 座りこんで 見上げてみようか。



ため息ついて




肩の力 ストン と抜いて



ゴロン と寝ころんで




空を見上げて



それも、いいかもしれない。




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2011年04月20日



「プシュゥーーー!!」

電車がホームに緩やかに到着し、ドアが左右に開いた。

数人の人が出て行き、数人が乗車したようだ。

膝の上に乗せた大きなバッグの、その上に広げた教科書で勉強をしながら、視界に入る人の流れを感じる。

神奈川県と東京都の境くらいのこの場所では、新宿のような殺人的な人混みがないので安心する。

わたしはいつも、電車の一番前の車両か、一番後ろの車両を選んで乗ることにしている。

人混みが、大嫌いなのだ。 端っこならば、少しだけ平和に乗車できる。



発車の音楽がなり、ドアが閉まる瞬間に、「バタバタバタ・・・・・!」と空気をかき混ぜるような騒がしい音がして、はっと顔を上げた。

ハトだった。

バタバタと、羽をはばたかせ、車内を一周ぐるりとまわる。 乗客たちにごあいさつ。

乗客はみな、顔を上げ、この珍客を目で追っていた。 

わたしとハトさんが乗車したのは進行方向一番前の車両。 運転席が見えるガラスについている銀色の手すりポールのところに、ハトさんはチョコン、と着座した。

ガラスに邪魔されて、体が斜めになりながら、グラグラしながら、なんとかしがみついているようだった。

ツルツルの銀色ポールは、ハトさんの小さな手には滑りやすく、わたしは「落ちないかしら」、とハラハラしながら見守っていた。

車両の中にいるみんなが、ハトさんをじっ・・・・と見守っていた。

ハトさんは、キョトン、とした顔をして、おとなしく前進する電車の風景を楽しんでいたようだった。



どこに行きたいのかな。 

どこの駅で降りるつもりなのかしら。 

きっと、いつも上空から電車を眺めていて、一度、この四角く長い乗り物に乗車してみたかったんだろうな。 

ハトさん、いらっしゃいませ。 

乗り心地はいかがですか?

自由に大空をはばたくあなたには、この小さな箱の中にじっとしているのは、とっても窮屈でしょう?



次の駅のホームに近づき、電車がゆるやかに減速していった。

ドア付近に立っていた男性が、ドアが開くと、ハトさんを手でドアの外に促した。

バタバタバタバタッ・・・・・・・!!

羽ばたきの音の余韻を残して、ハトさんは勢いよく外に飛び立っていった。

ホームの向こう、電線の隙間、空の奥へ奥へ・・・・・あっというまに姿が見えなくなってしまった。

自分の本来の生活へと戻っていったのだろう。 

ああ、わたしをおいて、行ってしまった。 

もう少し一緒にいたかった。

「鳥」はいつもわたしの直観をくすぐる。 わたしの人生で、いつでも「カギ」となる存在だ。

わたしの日常に、ヒョイ、と現れた気まぐれなハトさん。 

わたしに、なにを伝えてくれたのかしら。

海鳥


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2011年03月21日

川の流れ


瞑想をしながら歩く。

呼吸をしていることに、気づき、足を出し、大地を踏んでいることに、気がつく瞑想。

「いま」していることに意識を集中する、瞑想ウォーキング。

「カーーーン」

時折、鐘を鳴らし、そこに立ち止まる。

川の流れを、ただただ、じっとみつめる。

風が頬を撫でていく。さわさわと、草が揺れ、内緒話をしているようだ。

太陽が、衣類から出ている部分の皮膚を温めていく。セーターの中が、軽く汗ばんでいたことに気がつく。

歩いていたら気がつかなかった、さまざまな鳥の鳴き声がする。

遠くで車の通る音がする。

「立ち止まる」とは、なんとおもしろいのだろう。

動いているときと、世界がまったく違って見える。

今まで気づかなったけれど、「こんなに素晴らしい世界だったのか」と、改めて、いまこうして生きている世界に惚れなおすことができる。



川の流れを、じっとみつめる。

川は、時間の流れに似ている。 人生の流れ。

同じラインの川でも、ゆるやかに、なめらかに流れている場所もあれば

突然、ブクブクブク・・・と泡がたち、バシャバシャと波が暴れているところもある。

その「不安定なとき」が過ぎると、また「ゆるやかなとき」に戻っていく。



岩がゴツゴツと突然現れ、ある岩にはバシャン!と水が打ち付けては、水の華を咲かせていくが、

またある岩には、スルリ、と上手にかわしながら通り過ぎていく。

こうやって、時は流れ、さまざまな困難をやり過ごしていき、そして、大海へと向かって進んでいくのだ。



「チャップン」

なにかがとび跳ねたので目を向けると、誰かが放水したであろう、丸々と太った大きな鯉が2匹泳いでいた。

人生の流れの中にも、こんなふうに、流れに刺激を与える人物がいるものだ。

いくら暴れて飛び跳ねたとしても、所詮、ひとつの流れの中での出来事で、すべて繋がり、流れていく。



川の流れに、人生を教えていただいた。

この困難な時期も、いつか必ずゆるやかになっていく、と元気づけていただいた。

よし、がんばろう!わたしにもできることがある!と、気づく、素晴らしい時間だった。

ありがとうございます。

笛吹3月4
















********

東北関東大震災義援金チャリティーイベント。

急な募集、そしてお彼岸の忙しい時期でしたが、参加してくださってありがとうございました。

少ない人数で少し寂しかったですが、貴重な時間を割いて参加してくださった、友子さん、東海林さん、順子さん、晴子さん。

イベントには参加できないけれど、わざわざ義援金だけ届けてくださった保田さん、志村さん。

きちんと洗濯・クリーニングして、衣類を届けてくださった保田さん、佐野さん。

別の日ですが、トイレットペーパーや、生理用品、おむつなど物資を集めて届けてくださった、長谷部さん、みちほさん、宮川さん、英子さんとその友人の方たち、桑木さんとその友人の方たち。 東京から物資を山梨に配送してくださるという植野さん。

皆様の想いは責任もって義援金・応援物資としてお届けします。本当にどうもありがとうございました。

それから、わたしは被災地には行かず、こちらで物資の調達や調整、第二陣の準備などをさせていただきます。 心は一緒に向かって、応援をしています。


笛吹3月2


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

流れる雲のように



空がきれいですね。

高くて、淡くて、やさしい青です。

子供のころから、空を見て、雲をながめるのが好きでした。

ぼんやりと、少しずつ動く雲を見ていると、心が真っ白になっていきます。

よく、裏の畑に散歩に行って、愛犬のロッキーと一緒に土の上にゴロン、と寝転んで、ただただ、空をながめていました。

子供時代だけに限られた、感受性の豊かな時間でした。



雲が流れて行くように、人生も流れて行きます。

注意してみなければ気がつかないように、人生も刻一刻と変化しています。

毎日、朝日の顔が違うように、わたしの毎日も、変化に富んでいます。

様々な人々や出来事が、わたしに近づき、深くなり、そして、時期が来ると離れて行きます。

人生は雲のようなものなので、追いかけてはいけない、それは仕方のないことなのですが、去ってしまう一陣の雲を、少しさみしく想ったりしてしまいます。

これからも、様々なことが起こり、いろいろな人々と出会い、そして、離れては、また新しい出来事がやってくるのでしょう。

流れる雲のように。


おまんじゅう雲
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

大河

また、不思議な夢を見ました。
わたしの夢はリアルすぎて、とてもおもしろいです。





わたしは、団体のグループのリーダ役だった。
何かの経緯で、どこかに向かうところだった。この前から夢は続いていたのだが、この地点以前の記憶は、ない。

リーダーの私は皆を率いてバス停に向かった。 バスの発車時刻が近づいていたので、皆を急かして急いだが、バス停に到着すると、18分のバスは、もう出発してしまったあとだった。
時計を見ると、ジャスト18分だった。 

行ってしまったバスはコミュニティバスで、ダイレクトに目的地に到着する便利なものだったが、仕方がないので、遠回りしてあちこち止まる、公共のバスを使うことにした。

公共のバスに乗ると、あちこちのバス停に止まった。 八百屋さんのまえや、骨董品屋さんの前、魚市場みたいなところもあった。 中国の市場みたいな感じで楽しくて、わくわくした。

バスの中に座っていたはずの私は、いつのまにか、トラックの屋根に座っていた。 運転席の屋根だ。 左には二人、女性が座っている。 後ろの荷台には、わたしたちのグループの人たちが乗っている。

突然、隣の女性がうずくまり、「YAM YAM YAM・・・」と胸に手を当てながらマントラを唱え始める。 このマントラは胸のチャクラのサウンドだ。 
「どうしたの?」とわたしが聞いても彼女は答えない。 「それは、マントラなのよ。」とわたし。 うずくまり、「YAM YAM YAM・・・」唱え続ける彼女。

トラックが急ブレーキをかけた。

私たちは、運転席の上の屋根の上に設置された椅子の上に座っていた。 まるで映画館のような椅子だったので、急ブレーキがかかると、前に落ちそうになる。 必死で足と手で踏みこらえた。 「あー、危なかった。落ちそうだった。」

前を見ると、この先は大きな大河だった。 広くて大きく、色はくすんだ水色だったが、ゆるやかに流れる綺麗な河だ。まるで、綺麗めで大きめなインドのガンジス川のようだった。 たくさんの車たちは水の中を進み、屋根まですっぽりと隠れるほど、ずぶずぶと沈みながら走っている。

屋根と荷台にたくさんの人間を乗せたこのトラックは、乗客の安全を考えて、ここで止まって様子を見ることにした。

ドライバーが近くのお店からジャッキを借りてくるという。 タイヤを大きいのにして、車高を高くしたら渡れる・・・と言う。 よほど大きなタイヤにするつもりだろう。

停車地点の近くに、なぜかわたしの家があった。 わたしは一時そこに帰り、たまっていた仕事を片付けてる。 突然、携帯電話が震え、昔の生徒さんからメールが来た。 「○○について教えてください」と。 その内容は覚えていない。 わたしはその○○のことは詳しく知らなかったから、「調べよう」と思った。 「仲間と一緒に今度、先生も○○しましょう」と、なにかに誘われた。 とてもスピリチュアルなことだった記憶がある。

誰かが、わたしを呼びに来た。 「もう行くよ」と。
トラックに戻ると、みな、荷台からは降りて、大河の川岸に立って、なぜか腕まくりをしている。

「腕を温めるんだ!」と言っている。 「これから川を渡るから、ユキさんも腕を温めて。」と。 なぜだろう?

わたしも腕まくりをして、温水で腕を温めて、「さあ、いざこの大河をわたるぞ!!」と気持ちが盛り上がり、息まいた。

・・・・・・・ところで眼が覚めた。

暗示的な夢だった。

ガンジス河

 
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

みかん

≪サイドバーが見えないときは、一番下に張り付いています。なぜか、たまにこういったトラブルが出るのですが、直し方がわかりません(笑)≫


まず、ひっくり返します。

ヘタの反対側の、「お尻のくぼみ」から、右の親指をグッと入れます。

あまり強くせず、やんわりと押してあげると、「ぷふっ」と、小さくゲップをしたみたいに、皮に穴が開きます。

その裂け目から、丁寧に皮を剥いでいきます。

独特な柑橘の香りがふんわりと、わたしを幸せにします。

こまごまと、小さくむしっていくのは、どうも好きではありません。

もし「それはなぜか?」と聞かれたら、恐らく、「だって、散らかるじゃないですか」と答えるのだと思います。 合理的です。 ずぼらなんです。

ですので、いつも、「ヒトデ」みたいな形に、上手に広げながら剥いでいきます。

皮と実の間に親指を少しずつ入れながら、ビ・・ビ・・ビ・・という音とともに、丁寧に指を使っていきます。

大人になってからは、失敗率0%です。

サイズにもよりますが、たいてい、星型の五芳星に広がることが多いです。

つるん、と実が現れたら、まずは、片手で持ってしげしげと眺めます。

ほほう、君はこんなボディをしてたのか。

お肌のハリ、白い筋の量、微妙な色の変化、じっくりと観察します。

薄皮についている「白い筋」は、指先でチョコチョコと全部取り去ります。ひとつ残らず、きれいさっぱりと。

その、「白い筋」を一本一本、取り去っているときが好きです。

すぅーーっ、と綺麗に抜けるときもあれば、指先または爪を使って、グリグリ少し擦らなければならないときもあります。

表面の「白い筋」に加えて、実を一個一個、分解したときについてくる、あの隣の実との分離の「白い筋」・・・まるでへその緒みたいにくっついてくるあれ・・・も、きれいに取ります。

取り去った「白い筋」はさっきの五芳星のヒトデの上に収納していきます。散らからないように。 合理的です。 ずぼらなんです。

この、なんでもないことに手間をかけて、ていねいに扱うことが、たまらなく嬉しい時間です。

全部、ムダ毛がなくなったかのような、つるんつるんのお肌のそれを、今度は一個だけ右手の指でつまんで、縦にします。

縦にした、片辺の肉の薄いほうを人差し指と親指でつまんで、もう片辺の肉厚のほうから、口に入れます。

歯なのか、舌なのか、唇なのか、どの部分を使っているのかわからないけれど、その一個の実をグシャッ、と口でつぶします。

果汁が、口いっぱいにジュワッと広がって、鼻からヒューンと広がるさわやかな香りの刺激が、もうたまりません。

歯なのか、唇なのか、吸気なのか、どうやっているのかわからないけれど、薄皮を破り、中の果汁をジュルッ、と吸い上げます。

鼻の奥から眉間まで一気に突き抜ける柑橘のアロマセラピー・・・気持ちがよすぎます。

ズルッ、と脱皮した薄皮を口から出し、五芳星のヒトデの上にある、「白い筋」の山の上に積み上げます。 タワーにしていくと、散らからないです。合理的ですね。 ずぼらですけど。

指先が濡れているので、うっかり「白い筋」に触ってしまうと、張り付いてしまって、なかなか取れないときもあります。

この「手間がかかる」ことが、とても落ち着きます。

また次の小さな実を取り、「へその緒」みたいな白い筋を取り去り、縦にして口へと運びます。

あっ!と失敗して、指から外れ、口の中にツルリ、と入ってしまう時は、諦めて薄皮もムシャムシャ食べてしまいます。

指についた、柑橘の匂いも、たまりません。

んん〜ん、幸せだなあ。

慌ただしい日々の、ほんの数分の、ゆったりとした時間です。

「無意味」に見えることを「丁寧に」行うことって、気持ちが落ち着くなぁ、と思います。

全部食べてしまったら、五芳星の中央に積み上がった残骸のオブジェを、まわりの羽のようになっている部分で包んで畳んで、ボールみたいに丸くして、ゴミ箱に捨てます。

ごちそうさまでした。 ちいさなリフレッシュでした。 よし、あと、ひとがんばり。

つぶカフェ4

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

希望


鼻の頭と、耳が冷たい。

やっぱり、帽子をかぶっておくべきだった。

引いていたキャリーバッグを脇に置き、バッグから玄関のドアのカギを出す。

カチャカチャ・・・

東京のマンションのドアはちょっと変わった鍵なので、なかなか、うまく開かない。

寒さでかじかむ手。

息をはぁ〜、と吹きかけて、またカギを握る。



ドアを開けると、ふわり・・・インドの香りがお出迎えする。

部屋は、3日前に家を出たときのまま、時間が止まっていた。

慌てて脱いだスリッパ、部屋に干された洗濯物、急いで飲み干した湯呑茶碗、染みついたインドのお香の香り。

「ただいまー」

と、待っていてくれたお部屋に声をかける。

ずっと、お留守番してくれていたのね。 寂しかったでしょう。



なにはともあれ、まずは、バスルームへと向かい、お湯の蛇口をひねる。

早く、暖かいお風呂に浸かって読書がしたい。

バスタブにたちこめる湯気を、ぼんやりと見つめる。

ああ、今日もよくがんばったな、あたし。



季節は「暑い夏」が一番好きだけれど、この、寒い冬に感じる「暖かさ」も好きだ。

寒いからこそ、小さな灯の暖に救われる。

今は、厳しいけれど、「必ず春がくる」ということを知っているから、冬の寒さを楽しむ余裕もあるのだろう。

人生とは、わかりやすい。

この先、どうなるかわからないと不安で不安でおかしくなってしまうのだが、必ず終わりが来る、新しいなにかがやってくる、と知って入れば、安心して今の状況に挑めるのだ。

だとしたら、わたしはいつでも「この先はなにがあっても大丈夫」と考えていることにしよう。

たとえその自信に根拠がなくても、いいじゃないか、と思う。



ミネラルウォーターと、先日買った、興味深い中国の老子の本を持ってバスルームに向かう。

わたしは冷たい水は好きではないので、夏でも常温のペットボトルだが、キッチンの床に置いてあるミネラルウォーターは、冬の時期は自然と冷水になってしまう。

ドアの向こうには湯気が立ちこもるバスルーム。

寒さで、服を脱ぐのが一瞬ためらわれるが、裸になって脱ぎ捨てなければ、次のステージには行けれないのだ。

なにもかも廊下に置き去りにして、足を置いたバスルームのタイルの冷たさに後頭部までゾクッとする。

おそるおそる、少し熱めのお湯の浴槽へ右足先を入れ、確かめながらゆっくりと沈んでいった。

バリ20



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

天空より

ふと

空を見上げる

昨日は そんなことが何回もあった

誰かに呼びとめられて 振り返る

そういうときと同じタイミングで 何回も空を見上げた

まるで 空が わたしに声をかけてくれたかのように



東京でのマンション近く 駅前の信号が青になった

寒いのと 荷物が重いのとで 少し前かがみになって歩く

信号を渡りきったところで ふと 目をあげる

「ハクモクレン」の木が目の前に立ちはだかり

枝のひとつに 大きめな枯葉がブラブラと揺れていた

他の枯葉は揺れていないのに 他の子よりもひとまわり大きい その子だけが ブラブラと横揺れしていた

まるで わたしにブラブラと手を振っている 手のひらのようだった

私の中で バチン となにかがクラッシュして 

そんな なんてことない映像が 目の奥に焼きつく

なにか とても深い 意味のあることのように思えてくる

しばし ハクモクレンの木の下で 

ふわふわで 産毛の生えたつぼみを 鑑賞して 

いま起こった 「クラッシュ」の余韻に浸る 



仕事の合間に

友人とランチを一緒に と 下北沢に行った

古いものと 新しいものが 雑多に入り乱れる街

雑貨や 八百屋 マサイ族の店 おもちゃ屋 古着屋 おもしろいお店がたくさん立ち並び なかなか歩みが進まない

友人とおしゃべりしながら カフェへと向かう道

なぜか ふと 立ち止り 振り返った

なんとなく 振り返りたくなったのだ

左右にお店が並ぶ 下北沢の商店街の その合間から

淡い 薄いブルーの 高い高い 深い空が見えた

「今日は空がきれいだな。とっても繊細な色をしている」

そう 目を細めた瞬間 

一羽の鳥が さぁーーっ と商店街の合間を 抜けていった

まっすぐに 迷いなく 力強いラインを描いて

わたしの 心の中まで 通り過ぎたかのような

確かな軌道で 飛び去って行った



深夜22時

最後の仕事が終わり 帰路につく

毎朝4:30 か 5:00には起床するので

夜の仕事は 本当にきつく 万年 寝不足なのだ

参加してくださるみなさまのために がんばっている

帰りがけにスーパーに寄って 翌朝のための豆乳を買った

最近 朝食には フルーツとナッツのグラノラ をいただく

かみごたえがあるし 朝のお腹にも もたれないから好きだ

スーパーを出て 足元のブーツを直すため かがみこむと ふいに

アスファルトを パタパタ と打つ 音がした

なんだろう? 雨か?

よくみると 道路には2mmほどの 氷砂糖のような粒が いくつも転がっている

顔を上げ 空を見上げると まるで 星が シャワーのように降っているかのようだった

空の高いところから 誰かが 

節分の豆まきみたいに 氷の粒を撒き散らしているかのようだ

私の体を きらめきのシャワーで包み込む

なんて素敵なサプライズ

毎日は 贈り物だ

一瞬 一瞬は 宝物だ

合掌

朝焼け3






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2010年11月27日

初冬 色

桜並木の交差点

赤茶色の絨毯が 敷きつめられている

車の往来のたびに 舞い上がり 目の前を色で埋める 色づいた落ち葉

まるで のしかかってくる様々な出来事を

するり・・・・とうまくかわしながら 風と戯れているようだ

着地しては 舞い上がり  

風に漂っては 地に戻り

そしてまた トラブルがやってきて 揺さぶられる

ゆらゆらと ふわふわと 上手に受け止めて かわしていく 枯れ葉は人生の達人だ

木枯らしが仕事をし始めるこの季節は

なぜだか 感受性が膨らんで

枯れ葉でさえ ドラマティックなダンスに見える



夜の 黒

寒い季節は なぜ 夜が黒いんだろう

深く そして 濃い 暗闇の冬

光の 白

この季節になると 木々はライトアップされ 白くきらめく

この 黒と白の 相対が うまく調和して 美しい冬の夜を演出している

葉が落ち 裸になり やせっぽちで風に吹かれ 寒そうに見えていた木々たちが 

まるで ウエディングドレスを着た花嫁のように 「別人の自分」を楽しんでいる

よかったね 綺麗なの着せてもらって

心なしか しとやかにみえる 寒い夜の 光の木々たち



昨夜の月は 黄色かった

まるで たまごの黄身のようだった

真っ黒な空の 高いところで

コンコン、パカッ と 生たまごを割ったようだった

ドロリと出てきた黄身は 落下しまいと 必死に空にしがみついているかのようだった

黄色い彼女の 熟れた体は 今にも滴り落ちそうで

両手を差し伸べて すくい上げてあげたくなる

でもそれは きっと余計なおせっかいだと思うから

その手を 胸の真ん中にそっとあてる

トロン・・・と わたしの心が 柔らかく とろけていった


candles1

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

内を観る



それは絶え間のないものだった。

目を閉じたときにだけ現れる、心の中の緩やかな流れ。

浮かんでは消えるのは、顔、顔、顔。

漂っては吹き飛ばされていくのは、記憶の中の言葉と映像。

わたしの「弱み」と対面する。

カーテンの外は、まだ、暗闇が支配する夜明け前の早朝。

間違えて早起きしてしまった鳥が、ひとりで寂しそうに歌っている。

他の仲間が起きるまで、じっと待つしかないのだろう。



時に、

ひとりぼっち・・・孤独感が洪水のように押し寄せて、わたしを混乱させるときがある。

それは間違いなく幻の災害であり、瞬きをパチパチと数回し、目をゴシゴシ擦って、よくよく見てみれば、たくさんの港やボートがまわりにあり、いつでも手を差し伸べてくれている。

わたしは、足のつく浅瀬で溺れてしまわないように、わたしをそちらの方角へと誘惑する根拠のない幻影を、客観的に観察する。



心の壁を、誰かがノックしている。

そちらへ早足で急ごうとする心拍数を、なだめて、まあまあ、もう少しゆっくり歩こうよ、と引き留める。

おそらく、コツコツ・・・と音がするほうに向かい、壁に手を置くと、一瞬のうちに壁も音も、すべて消えてしまうのだろう。

まるで、最初から存在しなかったかのように。

聞こえてしまった、見えてしまったわたしをあざ笑うかのように。

そうなのだ。 きっと、それも幻影なのだから。



空が白んできた。

夜は、必ず明けるのだ。

奇跡ともいうべき、流れるように絶え間なく続く、この世界。

その中にわたしが存在し、湧き立つ一角の波の一部となっている。

まさに、奇跡だ。


朝焼け1

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月29日

浄化

今朝、夢を見ました。



わたしは、部屋の中で、若い女性と一緒にいました。

わたしたち二人は床に座ってくつろいでいました。

部屋にはとても大きな窓がありました。

その窓は開け放たれていて、窓の外には木々の枝が見えましたので、おそらくそこは二階か三階なのでしょう。

枝は、緑が茂り、風に揺れ、サワサワサワサワ・・・・葉が内緒話をしているように、心地よく耳をかすめます。



開け放たれた窓から、ドロリ、としたなにかが流れ込んできました。

その、ドロリとしたものには、色はなく、透明なのですが、そこだけ空気が濃密になったような違和感があります。

まるで、「みずあめ」を練った時のようなかんじ。

「時空のひずみ」のような重たい「なにか」がゆっくりと、私たち二人がいる部屋に入り込んできました。

わたしとその若い女性は、手のひらからエネルギーを照射し、その「ドロリ」を窓の外へ押し出そうとします。

「ドロリ」は強く、重く、なかなか動いてくれません。



窓から、鳥がバタバタと羽をばたつかせながら入ってきました。

部屋の空気が、その羽ばたきとともに、小さくさざ波だちました。

鳥は、濃い紫色とブルーの中間の色をしていました。

鳥は、天井にほど近い、部屋の中のなにか家具のようなものの上にとまり、そこから、じっとわたしたちの行為を見守ります。

「ドロリ」とした水あめのようなひずみに、わたしと若い女性は、祈りを込めたヒーリングエネルギーを照射し続け、窓の外へと促します。

とうとう、それは、大きな窓から退却し、名残惜しそうに、徐々に消えてなくなりました。

頭上にいる紫色とブルーの中間をした色の鳥は、まだそこにじっと佇んでいました。


わたしの夢はいつも鮮明です。

フルカラーで、匂いや、ざらざら、ふわふわ、などの感触もあり、冷たい、温かい、痛いなどの感覚もあります。



おもむろに目が覚め、しばらく部屋を見回します。

あの「ドロリ」を、目で探している自分に気づき、小さく苦笑いをします。

夢の中のあの大きな窓よりも、かなり小さめの現実の窓に手をかけます。

ガラリ・・・と開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でていきます。

鼻から大きく息を吸い込み、清浄な冷気を身体のすみずみまで送り込みます。

昨日の大雨で、すべてきれいに浄化された「今日」が、わたしを迎え入れます。



カチコチカチコチ・・・・・時計の刻む、一秒一秒がとても愛しくて、心が神妙になって行きます。

わたしは、秒針のある時計が好きで、部屋に置くのはいつもアナログ時計です。

この、時を刻む音が、たまらなく好きです。

わたしが生きている、この瞬間を刻む音。



地球が恋しくて、窓の外へ上半身を乗り出し、背伸びをして空に近づいてみます。

すっきりとした秋晴れの朝。

心がどんどん軽くなります。

せつなくて悲しくて、号泣して、嗚咽して、全力で涙を流したあとにやってくる、あの、スッキリとした気分。

そんな感じを受ける、今朝の空気。

なにか、ひとつ、すっぱりと断ち切ったかのような、潔い、前向きな、澄んだ感覚。



今日は、晴れそうです。

きっと今日も、良い一日になります。


govindas8

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

旅立ちの朝

ロンリープラネットという会社が出すインドのガイドブックは、7センチくらい厚みがある。

これは、超!有名なガイドブックで、世界中のバックパッカーのバイブルである。

日本での指南書「地球の歩き方」よりも、さらにさらに、たくさんの土地の情報が載っている。

しかも、日本語のものよりも、英語版のほうが、より詳しい情報が得られる。

10年前に初めて一人旅をして、放浪の素晴らしさを知ってしまったわたしは、以来、バックパッカーでひとりでふらりと旅に出ることが多い。

去年は、この分厚いロンリープラネットを抱え、ときには枕にして、4ヶ月間、ひとりでインドをあちこち旅してまわった。

また、この相棒との御対面だ。

パラパラ・・・とページをめくってみる。

インドの、あの、なんとも言えない感覚が、ふわり、ピリリ、と蘇ってくる。

去年のわたしが書き込んだたくさんの走り書きが、当時の旅の様子を思い出させる。

その土地土地で出会った人々、起こった出来事が、昨日の夢よりも鮮明に思い出される。

今思い返せば、去年のインドの旅は、一日、一日、わたしを変えていった。

日本に帰るときのわたしは、まるで生まれ変わったような別人みたいな気分だった。



今回で5回目となるインド訪問。

数日前から、さまざまなシンクロニシティが私の周りで起こり、不思議な感覚が続いている。

確実にインドに歓迎され、引き寄せられているのを感じる。

改めて、今の自分の人生に感謝の気持ちが溢れてくる。



ここ最近。

嵐の中を、わざとゆっくりと歩いている・・・と表には見せかけながら、ガツガツ競歩をしているような日々だった。

くだらないことを考える隙間がないくらい、毎日を精一杯、全力投球で、燃え尽きながら生きていた。

わたしに課せられたありがたい「お仕事」を誠実に、心をこめて行っていた。

昨夜、荷造りが終わったころには、もう、起きなければいけない時間にほど近かった。

結局、眠る時間はほとんどなかった。

目覚まし時計がなったときは、まだ5分くらいしか眠っていないような感じがした。

しかし、頭はすっきりとしている。



母と父が、駅まで車で送ってくれるという。

ありがたい。

荷物が多いときは、本当に大変だから。

師匠とそのご家族のおみやげだけで、特大のスーツケースが半分、埋まってしまった。

久しぶりにお会いできることが楽しみで、胸が躍る。

両親は、わたしの放浪癖には慣れっこになっているが、やっぱり、いつも少し心配そうだ。

「実は、あさってからインドに行くんだ。いつ帰ってくるかわからない。」

みたいに、いつものわたしの旅の出発は、突然の報告で、両親を驚かせている。

今回は事前に伝えてあったぶんだけ、気持ちが少しは楽なのだろう。

とはいえ、少し不安そうである。

当人の私は、不安や恐れは微塵もないのだが。



さて、そろそろ、行こうか。

インドに到着するのは、向こうの時間で真夜中。

日本時間で午前3:30。

向こうについて2,3日したらブログをアップしよう。



日本の皆様、快く送り出してくださってありがとうございます。

いってまいります。

どうぞ、ヨーガの智慧を生かしていただいて、「日常生活でのヨーガ」を実践して、御自身を意識化してくださいますように。


shanti


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2010年09月09日

New Moon Holy Night


嵐の後の、静けさ。

カーテンがゆらりと揺れる。

開け放した窓から、清涼な風が肌を冷やしていく。

いつもよりも虫の声が、やけに響いて聞こえる。



厳しく、長い、残暑の中。

まるで、出番を間違えたみたいに突然やってきた台風は、

わたしたちを戸惑わせ、混乱させ、足元をグラグラと揺さぶり、

そして、訪れたときと同じように、あっという間に去って行った。

せっかちな台風が残していったものは、秋のひんやりした空気と、なぜだか少しの喪失感。

ひとつ、深いため息をつき、肩の力を抜いて、落ち着きを取り戻す。



突然の雨に、真っ先に思い出したのは「てるてる坊主」

先日、近所のマンションの軒下に、かわいい坊主頭が7つもかけられていた。

首にはいろとりどりのリボンでオシャレをしていた。

子供たちが祈りを込めた、7つのてるてる坊主たち。

どれだけ晴れを期待して、どんな楽しいことを計画していたのか。



新月の夜。

これから、月が生まれてくる、

未来への可能性を期待する日。

今夜は、雨上がりの空に、お月さまはいない。

真っ暗で、深く、そして濃い。

そこにはなにも見えないけれど、目には見えない、なにかがきっとあるのだろう。



ろうそくに灯をともし、お香をつけ、アンドレギャニオンのCDをかける。

赤くゆらゆらとした淡い小さな炎の揺れと、せつないピアノの旋律が織りなすハーモニーが

わたしの瞼を覆い、身体を包み、新月の決意の祈りをゆっくりと上昇させる。



激しい雨は、すべてを洗い、これまでのことをすべて受け入れたのだろう。

またここから、始めることの喜びをかみしめる、今夜。

新しい「わたし」がスタートする日。



空を見上げる。

黒く、深い、漆黒の天空。

この世に有限があるならば、確実に無限も存在するはず。

ひんやりとした空気が、肌をキリリと引き締める。

ひとつ息を深く吐く。 そして、大きく吸いこみ、止めてみる。 そして、また強くすべてを吐きだす。

私の中に、小さななにかが芽生える兆し。

これからの自分の人生にわくわくする。

静かにながれていく、新月の夜。


733
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2010年09月02日

穏やかな嵐の中

一日ごとに、季節は少しずつ移り変わる

雲が流れるように、目を向けなければ気がつかないほど、ゆるやかに・・・

「夏の終わり」は、主張が強く、なかなか隠居してくれない

本当にゆっくりと変化する日々の流れに

少しずつ顔を変えていく、毎日の時間の変化に

終わりゆく季節、変わりゆく空気を満喫している

次の、新しい季節は、ゆっくりと、今現在に溶け込み始めている

わたしたちに心の準備を促すかのように


帯














日本は四季があるから美しい

四季折々の「色」と「匂い」が大好きだ

早朝、窓を開け、鼻腔から胸一杯に吸い込む、爽やかな空気

夏と秋が融合した、激しさとせつなさの匂い


葉山8月1



















一昨日から、修業の一環として行っていることがある

85日間、毎日、続ける

すべて終了するころには、今度は、「冬」がやってきているのだろう

「時間」という絶え間ない流れは、「奇跡」と呼ぶにふさわしい




先日、山中湖の陶芸工房で買った小さな陶器に花を生ける

手作り感があり、素朴なこの桃色の陶器には、作り手の想いが詰まっていて、一目見たときから目が離せなかった

部屋に「生きもの」がいるのは、心が安らぐ

週の半分しかいない、この東京のマンション

わたしのいない時間も、彼女が部屋を守ってくれるだろう


flower












日々は、過ぎ去り、一分前はもう、「想い出」へと変わる

たとえ、嵐の中、

荒波の中をイカダで乗り越えているとしても

穏やかに微笑みながら、舵をとっていたい



「昨日」があったからこそ、「今日」このような日となり

「今日」はこのような日だからこそ、「明日」に影響を与えている

本日も、晴天なり

この、一歩一歩を、大切に踏みしめる

顔をあげて、空を見上げ、前を向いて歩く


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2010年05月20日

青い水槽の中で

夢を見た。

四ツ谷を出て、新宿で乗り換え、小田急線で新百合ヶ丘に向かう途中。

電車の心地よい揺れの中で、うつらうつら、してしまった。

あれは、夢・・・だったのか?



毎朝、起床とともに朝の瞑想をする。

最近はかなり多忙なので、それほどじっくりと長い瞑想はできないが。

目覚まし時計が時を知らせると、眠気を振り払うかのように、勢いよく、ザザッ!・・・とカーテンを開ける。

ガラガラガラ・・・と窓も開け、昨日の疲れがまだ残っている、どんよりとした部屋の空気をリフレッシュする。

ろうそくに灯をともし、お香を焚いて、背筋を伸ばして座る。

「一日の一番最初に火を灯すのは、アヴィディヤー(無知)に光を灯し、マーヤー(幻)を払うため」と、インドのスワミから教わった。



数日前から

わたしの奥のほうで、なにかが悪さをしていた。

それが、わたしの心を少しだけ、落ち着かなくさせていた。

その正体がなんなのか、追跡調査をするために、

わたしは背筋を伸ばし、目を閉じた。

開け放たれた窓の外から、鳥のさえずりが耳に心地よく通り過ぎる。

目を閉じていても、朝の爽やかな空気を感じる。

カーテンがきっと、やさしく揺れているだろう。



今日の午後、

電車の中では、眠るつもりではなかった。

ただ

目を閉じたくて仕方がなかった。

心を静かに、集中をしたくて、仕方がなかった。



たまにわたしは、わざと、雑踏の中で瞑想をする時がある。

様々な入り組んだ騒音の中で、繊細なひとつの音に集中をするのだ。

それは、何層にも聞こえてくる、折り重なる音楽のうちの、かすれかすれ、耳に届いてくるジャズナンバーでもいいし、

目の前を通り過ぎる、無数の靴音をただひたすら追ってもいいし、

混みあった喫茶店で、あちらこちらから発生する絡み合った声の渦の、向こうの道路を走る車の音でもいい。

荒れ狂う大海の波の中、わたしだけが静止している・・・

あの、感覚が好きだ。



あれは、ほんとうに夢だったのか。

それとも、わたしの心が見せた、幻覚なのか。

はっきりとした意識の中、電車のアナウンスをBGMに、わたしは幻と覚醒の間を、ゆらゆらと漂う。



青かった。

一面、青いシーンだった。

背の高い、スラリとした女性が立っていた。

髪を頭頂で束ねて、くるくるとまるめて、それがさらに長身な印象を与えた。

彼女はペコリとおじぎをして、手招きをする。

わたしは、無言で付いていく。

あたり一面、真っ青だ。

その青は、均等に青いのではなく、まだらな青なのだ。

マーブル模様・・・のような、タイダイ染め・・・のような

不規則で、予測不可能な、不可思議な青。



彼女がわたしを先導する。

わたしは言葉なくそれに従う。

お花が香る、大きな庭を抜けた。

美しい緑豊かな、青いガーデン。 



コツコツとハイヒールの音が聞こえる、ビル群を抜けた。

壁がすべて、青いマーブル模様だ。

その青い模様は、雲が形を変えてゆるやかに流れるように、

または、霧がなまめかしく移動するように

まるで、深い海底の陽光のように見えた。



ある建物の前で、頭頂で髪を結ぶ彼女が振り返った。

こちらに来い、と。

おそらく3階か4階建ての小さなビル。

長身の彼女の後頭部を見ながらについていった。

彼女の細いうなじに目が止まる。

そのビルの裏手にまわった。

まるで、二世帯住宅の二階の玄関につながるかのような、生活感のある階段が現れた。

冷たいコンクリートではなく、暖かみのあるレンガ作りの階段だ。

一段ごと、左側の隅には植物の鉢植えが置いてある。

鉢植えは色とりどりの花が咲いている。

それがすべて、青い空気に包まれている。

まるで、水槽の中に青い絵の具を混ぜ、かき回さずにゆらゆらとまだらに揺れている、その中にいるようだ。

揺れているのは、青い色彩。

そして、そこに溶け込む、わたし。



その階段を、一段一段、慎重に昇って行く。

片足を載せてから、一歩を踏み上げるまでに、まるで、スローモーションのように、

すべてが速度を失くして見える。

まるで、初めて歩行をやってのける幼児のように

一段、また一段、ゆっくりと足を動かす。

頭の中を、様々なシーンが、ものすごい速さでかすめていく。

その場面は、過去のことなのか?それとも、未来なのか?

わたしにはわからないし、どちらでもないのかもしれない。



階段の最終地点。

青い、扉があった。

いや、実際には青い扉ではないのだが、この水槽の中では、なにもかもが青く色づけられていた。

スリムな彼女、は、もういなかった。

しかし、気配はまだあった。



この扉は、なんなんだろうか。

自分で開けるのか、勝手に開くのか、誰かが開けてくれるのを待つのか、ノックをするのか

それとも、

これから、誰かがやってくるのか、もしかしたら、スリムな彼女が戻ってくるのか。

そもそも、ドアにはドアノブが、なかった。



もうちょっと待ってみようか。

なにを?

たぶん、なにかを。



そこで、目が開いた。

まるで、自動的に、オートマティックに開いたような感覚。

水槽の中から、チャポン、と外に飛び出したような、気分。

ぷはーっ、と息継ぎしたくなる、かんじ。



電車は、あと3駅で到着するはずの駅、というところだった。

レッスンまでまだ時間があるし、

このまま、終点まで乗って、夢の続きを見てから、

また、次の電車で戻ってくるか?

いや、

きっと、もうあの水槽は現れないのかもしれない。

こうしてもう、外の空気を吸ってしまった。



謎は、謎のまま。

それも、いいかもしれない。

わたしは

傘をさして、現実社会へと戻る。

雨が、しとしと、降っていた。



バリ17









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

淡い 夜

4日間の集中修行合宿が終了しました。

昼下がりに東京の我が家に帰宅し、お洗濯、お掃除、お買いもの、お料理の作り置き、を済ませ、

ピカピカのフレッシュクリーンなお部屋で、夕方からのんびりとしました。



こんなにのんびりとしたのは久しぶりです。

最近、ずーーっと、お仕事を急ピッチで飛ばしていたので、心も急いていたのかもしれません。



今夜は電気を消したい気分。

キャンドルをたくさん灯し、お部屋の空気が、淡く、ゆらゆら揺れています。

キャンドルライトって、なんて落ち着くんだろう。

こころがどんどん、どんどん

静かになって行く。



さっき、また、

お部屋で少し長く瞑想してみました。

心に、聞きたいことがありました。

そしたら

「焦らない、焦らない」

と、教えてくれました。

ふふ。一休さんですね。



この修業会では、一日約4時間くらい瞑想しました。

1時間ずつを4回くらい。

まだまだ、足りない気がします。

もっと、目を閉じて座っていたい。

どんどん、心地よくなるから。



実家の押し入れにしまってあった、お気に入りの白いオーディオは、この東京の新居にてやっと出番が復活しました。

この子を買ったのは4年前。

「音」にこだわるわたしは、しっとりとなめらかに響くこのスピーカーのサウンドが大好きです。

キャンドルの炎がちらちらと赤く色づくこの部屋。

オーディオの虹色のライティングが数秒ごとに変わって行きます。

きれいだな・・・

時折PCから顔をあげ、ぼんやり眺めます。

きっと、わたしの顔も、七色の光が数秒ごとに変わっているのかな。



今回の修業会は、わたしにとって素晴らしいものでした。

たくさんのかたたちとの貴重な出会い。

知識豊富な日本の師匠からの、ありがたいご指導。

瞑想やアサナの中での、さまざまな気づきと、再確認。

自分の立ち位置の発見と、これから向かう方向の再確認。

完璧と言っていいほど、充実した修業会でした。

参加させていただいて、ほんとうに良かった。



お気に入りのオーディオからはノラジョーンズとホーリーコールがやさしく、ふんわりとお部屋全体を包みます。

お気に入りのインドのお香をつけ、ガラガラ・・・と、窓を開けました。

今夜は暖かくて心地よいな。

一階だけど、キャンドルライトだし、外からは見えないはず。

お香の煙が、一筋、まっすぐに上へと伸びています。

風はほとんどなく、カーテンがときおり、思い出したように、ピクリ・・・と動くだけ。

ふふ。

まるで、夢を見ている、眠る人のよう。



ヨーガが大好きです。

指導するのも大好きですが、学ぶことが、なによりも楽しいです。

ヨーガの学びは一生かかっても、まだ足りないでしょう。

そして、ヨーガに携わる人々が、大好きです。

皆さんと一緒にいるだけで、本当に幸せです。

日本でも、インドのアシュラムでも、いつも思うのですが

”ここがわたしの生きる場所だ”

と、心の底から感じます。

年齢とか、経験とか、国籍とか、男女とか、そういう無意味なボーダーを抜きにして

ヨーガに携わる人間たちに、心底、惚れています。

ヨーガに、全身全霊で、惚れています。



「歓喜」について、瞑想しました。

一瞬の迷いもなく「いま」と思いました。



「イキイキしていた時期、わくわくしていた頃」ついて。

一筋のかげりなく「いま」と言えます。



「すべてを捧げることについて」瞑想。

目を閉じた瞬間から、涙が流れ落ちました。

幸せすぎて、感謝しつくせません。



わたしは

なぜか

ひとから羨まれることが多々ありますが

実際のわたしは、

まわりのかたたちの想像とはかなり違い、ひとりで質素な生活をしているのですが

物質的には不自由をしている生活でも

まっすぐ、正直に言えます。

「心から幸せです」

一生、「今が一番しあわせ」と言い続けます。



お会いしたすべての同志のかたがたに感謝いたします。

素晴らしい修業会の余韻に浸り、まだ少しぼんやりとしています。

思いつくまま、指の進むまま

今宵

いまの気持ちと、この素敵な余韻を綴りました。

合掌。


bali3

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

霧のカーテン


心地よい目覚め。

毛布を剥ぐのに、少しだけ葛藤する、真冬の朝。

今日は、いつもより少し、遅く起きてしまった。

温かな寝床に後ろ髪をひかれつつ立ち上がり、

昨日とも、一昨日とも同じように、朝一番の仕事、ガラリと窓を開ける。

すぅー、っと外の空気を胸一杯に吸う。

ひんやりとした朝の爽やかな空気が、わたしに「おはよう」と挨拶してくる。

頬をかすめるその冷気の揺れに、また新しい今日の始まりを感じる。



今朝の景色は、白、白、白。

濃い霧が立ち込めて、向かいのお宅さえもぼんやりしている。

いつもの見慣れた風景が、なんだか見知らぬ外国のように感じられた。



無性に外に出たくなり、ガブリとコップ一杯水を飲んだあと、ウィンドブレーカーを着て、顔も洗わずに飛び出した。

この濃霧の中に溶けてしまいたい。

素晴らしい大自然の芸術作品の一部となりたい。

両腕を広げ、天を仰いで、ぐるぐると螺旋を描いて身体全部で感謝を表現したい衝動。



10m先も見えないほどの真っ白な世界。

なんともいえない、幻想的なシーンの中を切ってジョギングする。

目を凝らすと、霧のスモークが、ゆっくりと移動しているのがわかる。

凍る畑の土の上を

木々の小枝の合間を

民家の石塀の向こう側にも

ゆっくりと流れる白い霧が、気品のある猫のように、するすると這っていく。



走るわたしの足にも、腕にも、首すじにも、魅惑的な白ネコは艶めかしく絡みつき

そして、なんの執着も見せずに、いさぎよく離れていく。



ザッザッザッ・・・・

自分自身の足音と、呼吸の音

それを道しるべに、終わりのない白いトンネルを走る。

先が見えず、知り慣れた道だというのに少し不安になる。

それでもわたしは走る。

空気を裂いて、芸術的なそのカーテンを、ふわりと舞いあがらせる。

霧は、頬を湿らせ、唇にキスをする。

わたしは自然の一部となる。

自然はわたしを包みこむ。

偉大なる包容力で。



太陽は、この曇りガラスのような空気の向こう側から

それでも必死で愛を与えようとしてくれる。

徐々に、努力が報われ、太陽の力が優勢になってくる。

この地上のなにもかもを、その愛でキラキラと輝かせる。

あまりのまばゆさに目を細める。



奇跡のような芸術作品の毎日

一日たりとて同じ日はない、地球の営み

この素晴らしい地球に

生きているという感動を、改めて知る。



すべてはわたしに与えてくれ

わたしもすべてを受け入れる。

ああ、なんて幸福なんだろう。



霧の本栖湖
posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

曽根丘陵リハーサル

23日に行う「朝日のイベント」のリハーサルをしてきました。

本番と同じように、5:45に現地に到着し、

軽くウォーミングアップをしてから

6:00に歩きだしました。


********


ザクザクと、枯れ葉を踏みしめ、まだ暗い道を歩いていきます。




4989

























きっと、明るくなると信じて、

足元に気をつけながら、一歩一歩を確実に運んでいきます。



曽根丘陵リハ5




























ずっと先の見えないゴールではなく、いま、ここにある目の前の道を、誠実に歩んでいけば

それは、間違いなくゴールに通じるのだと信じながら歩いていきます。



曽根丘陵リハ3




















真っ暗だったあたりが、徐々に明るくなり、

足元もだんだんと見やすくなってきます。





曽根2


















自分自身の暗かった部分が、少しずつ明確になってきて、見えなかった部分にも気がつきます。

信じていた「光」の存在を、はっきりと感じます。

この先へ伸びる道筋も、くっきりと見えてきます。





曽根丘陵リハ6
















山の谷間から昇る太陽は、

まっすぐに、なんの迷いもなく、

愛にあふれた温もりの光をわたしたちに降り注ぎます。



曽根丘陵リハ12























キラキラと輝く、癒しのエネルギーを

希望という芽を育てる力を培うために

惜しみなく与えられるそのパワーは

人を幸福な笑顔で満たします。




生まれたての力強い光が、空に差し込み、

それを、広い空に散らばる雲たちが反射して

この大空、全体を奇跡のような造形美で彩ります。



曽根丘陵リハ15

























なんという美しさ。

この目を疑うほどの、天空の偉大さ、そして、包容力。

朝日が出た瞬間の、大きな安心感と、溢れんばかりの強い感謝の気持ちが心を打ちます。

ずっと待ちわびていた待ち人来たり。

信じていてよかった。

わたしの歩んできた道は、真実だった。

暗闇には、必ず、光が差し込むからこそ、暗闇で在りえるという感激の事実を発見します。

そして、それは、わたしたちにわけ隔てなく与えられます。



曽根丘陵リハ9





































地球はいつもわたしにすべてを与えてくれます。

大地から取れる食物も

その食物から作られるこの身体、血液も

体にまとう衣服も

生きていくための空気も、太陽の光も

すべてこの地球がわたしにくださったものです。



曽根丘陵リハ8




















わたしはなんのお返しもできないから

いつもいつも

感謝をすることで、ご恩返しをしよう。



本当に、どうもありがとうございます。

地球が大好きです。


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

「始まり」と「終わり」の法則 Rule of start and finish in our life


なにかの 終わり は

なにかの 始まり




何かに出会い

そして、離れていく

そして、また出会う



いま わたしに必要なものが

絶妙なタイミングで ちゃんと やってくる はず



先日、

ひとつ、わたしのなかで 終わったもの。

その代わりに

いまから なにがやってくるんだろう。




終わったものには 執着せず

これからの 自分に ワクワクする。





Something has finished means something will start.

We meet something we need

and we leave them

and then meet others.



I am sure something I really need always comes over to me in perfect timing.


Few days ago,
I got over something within my self, I wonder that what going to come to me instead of that.



Let go my past,
Excited for my brilliant future.


Love my life.




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする