2021年08月14日

アッシジの三日月と「聞く力」


《アッシジの三日月と「聞く力」》

私と夫は支え合って生きている。

お互い、カウンセラーでありセラピストである私たちは

お互いを尊重しながら支え合っている。



三日月が美しい夜。

私は夕飯にタイカレーを作り、私たちは宿の広々とした芝生の庭でいただいた。

ここは丘の上の豪華なお屋敷で、かつて修道院だった建物を、今は大富豪が買い取って、別荘として利用しているそう。

建物の中には小さな教会もあり、もしもの時に逃げられる、秘密の洞窟もある。

私たちはそのお屋敷の離れの小さな一角を民泊として借りて滞在している。

オリーブ農場のここは高台になっていて、アッシジの夜景が美しく見える。

コウモリなのか、またはなにか別の動物なのか、聞いたことのない楽しい鳴き声があちこちから聞こえ、

それを私は真似して叫んで遊んでいると、周りの森からいろんな動物たちが反応した。

私たちはケラケラと笑い、涼しくなった夜風が肌をひんやりと通り過ぎていった。

空には三日月とシリウスが輝き、グラスの氷がカランカランと涼しげに心地良く聞こえた。



アッシジに来てからずっと、ダウンロードしている宇宙エネルギーがあって、

それは、とても大きく、私にとって重要なもので、そして、思ってもみないところに向き合わせるプロセスだった。

えー!そこー!?と思わず突っ込んで苦笑いしてしまった。

さすが、宇宙だ。



朝、丘の上からオリーブの木々の間に、雌の鹿が現れた。

その日、

私から、突然、とにかく溢れ出てきた、子供の頃から抱える大きな怒りと巨大な悲しみを、夫はただただ聞いてくれた。

生まれ持ってのライトワーカーである、子供の頃の私の痛み。

アッシジの街角で、ソファーの上で、そして、月と星を見上げながら、

私は話し始めたら、止まらなくなってしまった。



私は基本的に、話すよりも聞くほうが楽だ。

でも、自分の深いプロセスを伝えるときは、私はきちんと「聞く力」を持つ人を選ぶ。

「聞く力」がない人にうっかり話してしまうと、

アドバイスしようとしたり、

改善策を提案したり、

頼んでもいないのにチャネリングされたり(だから私は生きている人間へのチャネリングはセッション以外では、しない)、

でも、とか、そんなことない・・・と知りもせずに簡単に否定したり、

茶化したり、

その人の物差しで測ってジャッジしたり、

私なんかさ、と自分の話にすり替えたり、

安全だと思えない雑踏の中で無理やりこじ開けようとされたり、

そんな、迂闊な「聞く姿勢」は、繊細な私をとてもとても傷つける。

(とはいえ、そんなエゴも人間の一部であるし、私も持っているから、すっかり許しているのだけれど。トリガーになるとまた話は別)

だから私は、安全な気持ちで深い話をしたいときは「聞く力」がある人を選ぶ。

これも自分と相手を守る、私なりのテクニックだ。

私が傷ついてしまうと、相手を傷つけてしまうことになるから。

自分のことも、誰かのことも、傷つけたくはないから。

私は、自分の繊細さを受け入れ、共に歩んでいる。



夫が、素晴らしい「聞く人」でいてくれて良かった。

彼にはもともと、「聞く力」があったのだけれど、それは日本人向けの「聞き方」ではなかったから、

私はしばしば「安心ではない」と感じることがあり、

私がどのように聞いてもらえたら、安心で安全に話ができるか、をリクエストして、繊細な日本人向けの「聞く力」を彼に教えたのだ。

私たち二人は、よい関係を続けていくために、お互いに何が必要なのか、をシェアしあって、それを理解して与えあっている。

お互いのよい関係のためのニーズは伝えなければ伝わらない。

本音を伝えあっても軸がぶれない、私たち二人の中心の強さに感謝している。

文化と言語の壁は、「違いをより理解しようとする前向きな意欲」無しでは、うまくいかないことを私たちは学んでいる。

いや、言語や文化の違いを抜きにしたとしても、私たちは皆、ひとりひとり、違って、皆、それぞれの人としての文化を持っている。

私たちひとりひとり、すべての私たちが、

きちんと話を聞いてもらいたいと願っているし、

理解してもらいたいと願っていると

私は感じる。



それは、子供が親に「聞いて!聞いて!」「見てて!見ててね!」と言う純粋性と同じで、

かつては無邪気な子供だった私たちも、大人になってもその無邪気な純粋性は持っているのだ。

「関心を向けてもらう」、ということは人間にとって根本的に必要なのだと思う。



それなのに、私たちは、

胸の内を開いて話すことがそう簡単ではないのは、



アドバイスされたり、

改善策を提案されたり、

頼んでもいないのにチャネリングされたり、

そんなことない・・・と知りもせずに簡単に否定されたり、

無理やりこじ開けようとされたり、

などなど



そうされることがトリガーとなって、傷ついた経験があって、

傷つきたくないから、話さなくなるのだろう。

自分を守る、というのも、動物として当然の本能だから。

私の経験は、人間を理解する研究に大きく役立っている



私たち人間は関係しあって生きているし、

関係しあわなければ成長していけれないし、

それが、支え合っているということだ思うし、

人間のベーシックな願いとして

やはり、関心を向けてもらいたい、と願っていると思う。

理解してもらいたい、と願っていると思う。

だから、無関心をされたり、誤解されたりすると、悲しみや怒りを感じる。



私は世界中の人たちが「聞く力」を持って理解し合おうと努力したら

戦争や暴力的なエネルギーは起こらないのではないか、と感じている。

そのために、私は自分自身から始めている。

「聞く力」を養っていくこと、そして、安心した気持ちで「シェアすること」がもたらす、豊かさを受け取ること。

それを、自分自身で実験・研究している。



三日月の夜に、

私から溢れ出てきたものは、キチンと「聞く姿勢」で見守ってくれる人がいることで、

必要なだけ腑に落ちて、消化して、理解につながり、

新たな解決策とそれに伴う決断が、自分の中から自然と生み出された。

とてもとても晴れやかに、霧は風へと変わっていった。

周りを取り囲んでいる木々と、上空から見つめてくれている三日月に、

聞いてくれてありがとう、と感謝を伝えた。

いつの間にか、このお屋敷の飼い猫が静かに、すぐそこに座っていて、

この丘の上から、下界の流れる時間を見つめていた。

美しい祝福が流れこんでいる。

忘れられない夜になるだろう。



近いうちに、「聞く力」を養うワークショップを開きたいと思っています。
興味がある人、いますか?


もしあなたがいま「聞いてもらうこと」を必要としているならば、私のセッションがお役に立つかもしれません。
スピリチュアルヒーリングカウンセリングセッション・オンライン

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:47| 癒し〜ヒーリング〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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