2020年07月27日

ただ流れる涙について



わたしは、よく涙を流します。

私と親しくない人や、お仕事のときだけお会いしている人からは「強い人」とか「自立した人」などと、みられがちなのですが、

でも、実はわたしは、本当によく涙を流します。

それは、「悲し泣き」とか「悔し泣き」とか、

そういう涙ではなくて、(それも時にはあるけれどね)

ただ、ただ、目から流れていく涙です。

なので、「泣く」という表現がしっくりこなくて、「涙が流れる」という表現を使います。



こういう涙が流れるときというのは、たいてい、なんでなのか言葉では説明のつかない気持ちです。

「それは、こうでああだから、きっとあなたはこういうふうに感じて、だから涙が出てくるんじゃない?」

なんて、勝手に誰かに分析されたら、ひょっとしたら、わたしは、ちょっと不愉快な気持ちになるかもしれません。

だって、体と心が自然に反応していることというのは、分析したり、頭で考えたりするような領域ではないと思うのです。

身体の反応は、完全に自然なのです。

だから、雨が降るように、ただ涙は流れるのです。

そして、時が来れば止まるのです。

風が吹くように、涙は流れるのです。

そして、そよ風の時もあれば、強風の時もあり、それは、ただただ、自然なことなのです。

理由付けなんて、まったく、意味のないことであって、むしろ、自然なことを不自然に塗り替えようとしている、無価値な行為だと思うのです。




わたし、

日本に一時帰国して、はや、4週間が過ぎます。

この4週間、なかなか、ブログなど、文字にして今のわたしを表現することができなかったのは、

脳ではないところの、五感でフルに日本とのスピリチュアルコネクションを感じて・新しく構築していたから。

そして、文字にしようとする脳を使ってしまうのが、とっても勿体ないほど、素晴らしい素晴らしい魂の学びをしているから。

この4週間。

毎日、毎日、涙が流れ続けていました。

わたしはしばしば、こういった、感情のラベル付けできない涙を「ヒーリングウォーター」と呼んでいます。

悲しいのでもなく、怒りでもなく、悔しいのでもなく、寂しいのでもなく、感謝や反省の感情というだけでもなく、

なんだかわからないけれど、胸がいっぱいになる感じ。

人々は、それを堪えようとするから、苦しくなるのだと思うのですね。

切なくて苦しい、という感覚でしょうか。

その切ない涙を、ただただ、流れるがままに受け入れてみつめていくと、深い気づきと癒しに変わっていくのだと思うのですね。

そうすると、とても、さっぱりとします。

だから、わたしはそういった涙を「ヒーリングウォーター」と呼んでいます。

魂の癒し。癒されたときの水。

深いところが癒されていくときに湧き出てくる、ウォーター。

頭では判断・理解・分析できず、もうすでに過去に起こったことの記憶にも残っていないようなこと・・・でも、体と細胞は覚えていること・・・が、じっくりと癒されていったときに、ふいに出てくる水。

わたしは、このヒーリングウォーターを大歓迎します。

どんどん、どんどん、出します。

ときに、「いまっ!?」と突っ込みたくなるときに、突然出てくるときがあります。

スーパーマーケットとか、温泉に入っていてとか、車の運転中とか、信号待ちで立っているときとか、山登りをしているときとか、とか・・・。

そして、そこがどこだとしても、出るがままに任せます。

だから私は、人前でも気にせず、涙を流します。

雨が降るように、風が吹くように、ただ自然に涙が出るのだから仕方がない。

でも、たいてい、周りの人はそんな私に気づきません。

気づいても、気にしません。

だって、とても自然だから。



踊っているときも、瞑想をしているときも、日常の生活の中でも、

わたしは、瞬間瞬間で、毎瞬ごとに自分の人生についての気づきをたくさん得ています。

息をするごとに、気づいて、学んでいるのです。

その気づきから、魂レベルで癒されて、涙が流れます。

だから、涙はウェルカムなのです。

「泣いたら負けだ」なんていう日本文化を、わたしは根本からひっくり返します。

特に男性は、泣くのは難しいのでしょうね。

子供のころは、男だろうが、女だろうが、泣くものなのにね。

どうして、泣いたらいけないのでしょうね。




涙は出るものなんだから、出して自然です。

おしっこもウンチも汗も、出るものなんだから、我慢したら体がおかしくなります。

涙だって、出ることが自然なのだから、好きなだけ出します。

だから、わたしは、ただただ、涙が流れていくことを歓迎します。

なにかで紛らして涙を止めようとしたり、無理やり変えようとしたり、消そうとしたりしません。




わたしのヒーリング個人セッションをお受けくださるかた、または、ヨーガやムーブメントメディスンなどのグループクラスをお受けくださる方のなかには、

涙が流れる体験をされることが多いです。

急に涙が出てくるので、びっくりするかたも多いようです。

それは、魂レベルでの癒しが行われて、目からヒーリングウォーターが出ているのですね。

だから、戸惑うことはありません。

ただ、その涙に委ねて、出るがままに任せましょう。

止めようとしなくていいし、「ごめんなさい」なんていう必要もないです。

謝るということは、「泣くことは悪いこと」と思い込んでいるからです。

そこから、解放されましょう。

どんどん、自然な自分に戻っていきましょう。



わたしは、毎日毎日、涙を流します。

それは、とても、命をしっかり生きている感じがします。

自然な自分を受け入れている、喜びを感じます。

そんな自分が、とても純粋で、無邪気で、かわいいし、愛おしいと感じます。

人はわたしを「強い」とか「自立している」とかイメージを持つようです。

わたしは、実際に、人々が私にイメージしているように、強いし自立しています。

でも、涙をどんどん流します。

涙を流して、無邪気で、純粋で、繊細でも、強く、自立していられると思うのです。

涙は、弱さの象徴ではなく、

自分を愛し、認め、受け止め、繊細さから命を輝かせる、その強さのための

ハートから湧き出る水なのだと思います。




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http://yukismyogaism.seesaa.net/article/475989087.html


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:21| 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする