なんて素晴らしい日々なんだろう。
ここ数週間、毎日のように、オンラインでのクラスやセッションを行って、
毎日のように、ヨーロッパのMMの仲間とオンラインでシェアリングをしている。
オファー・ご奉仕する機会が与えられるというのは、「与えること=受け取ること」のサイクルを学ばせていただける、なんとワンダフルなのだろう。
すべての方面において、すべての次元において、「コネクション・繋がり」が感じられるというのは、なんと有難いのだろう。
この人生を、すべての繋がりとともに生きる・・・ということは、なんという宝物だろう!
昨日の、日本語での日本人に向けての祈りのクラス「Dance for Earth」のあと、
少し、外に出て小さな墓地を歩きました。
(厳しい外出制限がされているので、なかなか、気軽に外出できない状況ですが、時には必要。)
余談ですが、
ドイツでは、墓地は憩いの場で、美しく木や花が植えられていたり、ハーブが栽培されていたりします。
日本人のわたしの感覚だと、墓地はお墓参り以外は近づかない、ちょっと怖い感じの場所・・・なのですが、
ドイツ人は簡単に「ユキ、墓地にお散歩に行っておいでよ、きれいだよ」と言ったりして、最初は驚きました。
ドイツの墓地は、公園の感覚でお散歩したり、のんびりベンチで本を読んだり、ジョギングしたりしている人がたくさんいます。
お墓は幽霊が出る・・・という妄想は、日本独特なのかもしれませんね。
昨日の、日本人に向けての祈りのダンスクラスは、わたしにとっても、とても感動的でした。
やはり、わたしは、日本人なので、日本人のスピリットと繋がりやすく、
そして、日本人が持つ、独特の「自然界のスピリットとつながる」というスピリチュアリティを、しっかりと感じました。
ヨーロッパの人たちからは感じられない、確かな日本人魂があります。
祈りのダンスのつながりを通して、
昔から自然を崇拝して、スピリットと繋がり生きてきた日本人の美しさを改めて感じました。
身体は動くためにデザインされています。
私たちの命はムーブメントと共に常にあります。
それは、とても自然であり、自分の中の「Nature自然」と繋がることは、この地球(の一部としてのわたし)と繋がっていることなのだ、と感じます。
そして、
ハートがいっぱいで、満たされたまま、墓地(という名の憩いの公園)の中を歩いていると、
桜の木を発見しました。
通り過ぎようとしたら、花びらがひらりと私の前に舞い降りて、
わたしは、この木から呼ばれていることがわかりました。
木に近づき、3割くらいは散ってしまっているけれど、可憐に咲く桜にゆっくりと近づくと、
母国である日本との魂の繋がりが、ぶわっと大きく膨らんで、
満たされたハートが、さらに愛で満たされていき、私の目から涙が溢れました。
そして、
いま関わってくださっているご縁のある人々、友人、生徒さんたち、世界各国にいる同僚たち、ともに魂の学びをシェアする仲間たち、家族や、母・・・、
今、ご縁のある方々や、過去にご縁のあった方々、すべてすべて、すべてに、深い深い、感謝と愛があふれて、あふれて、あふれて・・・
生きるということは、人々と関わり、支えあい、感謝しあい、認め合い、許しあっていくこと・・・、
本当に、ありがたくて、しばらくの間、瞑想をして、すべてのかたがたへ、私の感謝を伝えました。
そして、
違和感を感じている人々、誤解されたまま・誤解したまま近づくことができない人々、または離れていったこれまでの人々、とても気になるけれど連絡を取り合うことがなくなった人たち、幸せになってほしい・・・と心から願うけれども、もう会うことは難しいのかもしれない人たち・・・
わたしの心に、引っかかっているすべての人々へ、
許しと癒しを瞑想しました。
ムーブメントは、本当にメディスン(癒し)だと、心から思います。
そして、
何度か、深い呼吸を繰り返し、
長く、深く、息を吐きだしたあと、
残ったのは、「愛」のみでした。
読んでくださるあなたにも、
どうもありがとう。
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