ちょっとプライベートなわたしについてのことを。
母への想い。
このブーツは、母が20代のころに買ったもの。
だから、50年以上前に買ったブーツ。
当時、若くて美しかった母は、本革のブーツを買うのが夢だったようで、お金をコツコツためてやっと手に入れたのだそう。
年を取って、もう履かなくなっても、長い間、きちんと箱に入れて大事にしまってありました。
わたしがお年頃になったときに、母はそのブーツを私にくれました。
「とても気に入っているし、思い出がたくさんあるから後ろ髪ひかれるのだけれど、でも、もうこの年で履くこともないだろうし、箱の中にしまっておくのももったいないから、ユキ、使ってくれる?若いあなたが使ったほうが、とても似合うと思うから」
わたしは、母の想いを引き継ぎました。
それから、25年という長いあいだ。
母の想いを知っているわたしも、これまでもったいなくてあまり頻繁に履くことができず、たまにしか使っていなかったのだけれど、
随所随所で、わたしが若かりし頃、このブーツを履いていた思い出がよみがえります。
その時々の自分がふっと思い出されて、人生を思い返して微笑みました・・・デートして幸せだったとか、絶望のふちで真冬のイギリスをさ迷い歩いていたとか・・・・今は、すべて、微笑ましい経験・・・。
そして、昨日、外出するときに久々に履いてみると、古くてもろくなっていたのでしょうね、皮とジッパーの部分が破れていました。
なんだか、母を思って、とてもかわいそうになりました。
昨日は、破れたまま履いて外出すると決め、今回がこの靴の最後のお仕事・・・と決めて、母の若かったころ・・・このブーツを履いていたころの母を思いながら過ごしました。
もう少し、飾っておいて、気持ちが落ち着いたら感謝とともに処分しよう、と決めています。
気が変わったら、仕立て屋さんに直してもらうかもしれないな。
そして、いま、
母との波乱万丈の人生を思い出しています。
母が彼女の夫と別れて新しい人生を歩む決断をしたとき、母は41歳でした。
その後、私が父から去り、その選択から勘当され父を失って、母との新しい人生を歩む決断をしたとき、私は13歳でした。
それからずっと、母と共に、想像を絶する苦難と貧困を乗り越えてきました。
秀才だった私だったけれど、大学生になるなんて遙か遠くの夢で、年齢をごまかして15歳から働いて家計を助けていました。
(今思えば、学校というロボット製造システムで、私の独特な感性を潰されずにすんで良かったと思う。)
いま、人生の最終地点へと差し掛かっているのであろう、母へ。
あの壮絶な人生を・・・そして、この猛烈で特殊な娘とともに・・・よく頑張ったと、心から賞賛を送りたいです。
4月下旬から5月中旬まで一時帰国します。
期間中、山梨・東京・静岡・関西で活動予定です。
日本、愛してます。
ハートが開いて愛がダダ漏れで仕方ないの。
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