わたしにとっての「自由」。
それは、ただやりたいように、なんでもやってしまえ!・・・ということではない。
本当の意味で「自由」になるというのは、自分自身で自分を「不自由に」しているものに、気づくことだ。
あなたは、「不自由」と感じるときに、どんな感情が湧くだろうか・・・。
あなたは、「自由になりたい」と願うときというのは、どういう状況の時だろうか・・・。
わたしの話をしよう。
わたしには、社会の中で「不自由だなぁ」と感じる時がたくさんある。
例えば、
わたしは、自分のやりたいこと、見えている道を、邪魔されるのがとても嫌だ。
あそこに行きたい!と思っているのに、ビザがとれなくて行けれない・・・とか、
これを学びたい!と思っているのに、問い合わせに送ったメールの返事が全然こない・・・とか、
好きなものを食べたい!のだけれど、勧められたものは好きじゃなくても食べなければいけない暗黙のルール・・・とか、
今すぐに!これをもっとやりたい!とピンときているのに、まあまあ、もうちょっと様子を見て・・・と言われたりとか、
とにかく、欲していることができない!そして、やりたくないことをしなければいけない!
そして、その理由はわたしの問題ではなくて、誰かが決めた何かのルールに従わなければいけなかったり、
私以外の誰かを尊重するために自分の「いまだ!」の直感を押し殺さなければいけなかったり、
世間一般の枠から外れないようにするために、自分のタイミングを無視しなければいけなかったり、
「そういうもんだから」とか「それは普通じゃないから」とかいう真実味に欠ける理由でわたしの望みを踏みとどまらなければいけなかったりとか、
とにかく、わたしの行く手を阻むものたちが現れ、そして、それに対しての「なぜ?」という問いに、納得いく答えが得られないときに、自分の中に「不自由」だなぁ、「やだなぁ}という感覚を感じる。
わたしがその「不自由さ」を感じる時は、ときに、ものすごい巨大な「怒り」となって燃え上がる。
「わたしを、かごの中に入れるな〜〜〜〜〜!!!!」
でも、どうしてそこで「怒り」が発生するのか。
「怒り」は相手からやってくるものではなくて、自分の中から生まれてくるものだ。
だから、そこに火がついてしまう、きちんとした「本当の原因」を自分はもともと持っていて、
そこが相手によって刺激されたから、結果として燃え上がっているのである。
それは、ちゃんとみつめて掘り下げてみないと、その奥底にある「本当の原因」には、たどり着くことができず、
大抵の場合は、まったく知らずに通り過ぎてしまい、「あの人感じ悪い!嫌い!」みたいに、他人への怒りと見えてしまって、
その相手のせいにして終わってしまうけれど、実際には自分の中に、怒りの「本当の原因」がある。
一つだけ例を挙げてみよう。
例えば・・・、
私がやりたいことについて、誰かから「それはやめたほうがいい」と言われたとして、
わたしが仮に「へ〜、そんなこと言う人もいるんだ〜、でも私はやっちゃうけどね、だって、やったほうがいいと思うもん!」って、ふわぁ〜っと、受け流すことができたならば、
そこには、怒りも不自由さも、生まれないのである。
それを「なにぃ!このー!反対意見!邪魔するなー!!」って態度で受け取っているわたしがいるから、怒りが生まれるのである。
ということは、
「それはやめなさい」と言われたわたしは、「それに従わなければいけない」と思っているから、「邪魔された」と感じてしまうわけで、
「従わなくても別にいい」という観念が、もしもわたしにあったならば、別に「邪魔された」とは感じないし、いくら何を言われても邪魔とは感じないわけで、
だとすると
「それに従わなければいけない」とわたしは、知らずに思ってしまっているということで、
それは、私の中の「ねばならない被害者意識」であって、
その被害者意識にのっとられるか、罠にはまらないか、は、実のところ、全部わたしの選択なのである。
そして、さらに掘り下げていくと、
私の中に「周りが賛成することを実行するほうがいい」という、「日本的観念」が、いつのまにやら刷り込まれていて、
だから、誰かが賛成していないと、「それを実行しないほうがよいのでは」と、不安になってくる(顕在意識では気づかないけれど)。
「なんで!?やっちゃだめなの!?」と、邪魔された感じがしてしまって、すると、怒りが沸き上がってくるのだけれど、
その怒りの原因というのは、実は、自分の中で反応した「しないほうがいいのかな」という「不安」に対してなのだ。
動物は「恐れ」を感じると、防衛本能で「攻撃性」が現れるときがある。
犬は、怖いと、グルルルル・・・って牙をむく、あれと同じだ。
だから、その怒りは、「それはやめなさい」と言った人に向けて、「ガオーー!なんでそんなこと言うの!邪魔しないでよ!」と発してしまいがちなのだけど、
実のところは、自分自身の中にある
「周りが賛成することを実行したほうがいい」→「ってことは、賛成してくれないと実行できない」
という、刷り込みに無意識に従おうとしていて、そこからくる、「ねばならない被害者意識」、そして、さらにはそこから生まれる「不安」と「恐れ」への防衛本能からの攻撃性なのである。
別に、気にせずにやってしまえば、なんの怒りも現れないというのに、
その刷り込みに無意識に従おうとしてしまっている「自分の不自由さ」への「怒り」なのである。
だから、結局、
わたしを「不自由」にしているのは、まぎれもなく、私自身(の中の刷り込み・観念)であって、「怒り」は、一見、相手に向けて「このやろー!」と発している風に見えるけれど、でも本当のところは、自分に向けての怒りだったということ。
ということは、
本当の意味で「自由」というのは、自分で自分を厄介にしている、あらゆることに、コツコツと随時「気づく」ことなのだ。
それには、自分をどうみつめていくか・・・のテクニックのコツがいる。
そして、「気づく」ことを抜きにして、人間は変わることはできない。
「気づく」ことからどんどん遠ざかっていくと、精神は混乱してくるし、身体も混乱してくるので、身体と心の調子が悪くなってくる。
よくわたしが、セッションやヨガクラスなどで使うたとえ話の一つとして、「貧乏ゆすり」がある。
貧乏ゆすりをしている人は、自分が貧乏ゆすりをしていることに気づいていない。
でも、気づけば、止める(変える)ことができる。
でも、気づかなければ、何も変わらないし、自分が「貧乏ゆすり」をしていることすら知らない。
本当の意味で、成長する(変化する)ときというのは、
変わりたい!と願って、力んで、踏ん張って、どうにかして変わろうとがんばるのではなく、
冷静に、脱力して、しっかりと自分をみつめて、ひとつひとつのすべての自分の側面に「気づく」こと、それそのものが変化へと続くのだ。
そして「気づく」ためには、自分自身をちゃんとみつめる必要がある。
そんなふうに、しっかり自分自身を、黒も白も、全部まっすぐにみつめて生きていると、
どんな状況でも、どんな環境でも、「自由」というのは、学ぶことができる。
誰かからの言動でどんなに嫌な気分になっている自分をみつけても、他人への怒りに変えて発散するのではなく、
その感情はどこからやってくるのか、というのを、自分の中でみつめることで、
起こった出来事を、より建設的に受け取って、魂の向上の学びに繋げることができる。
すると、
本当に必要なものはなんなのか、いま私がなにを求めているのか、がとてもはっきり見えてくるし、
自分の中の未知なる自分をしっかりみつめてあげることで、癒されなかった影・シャドーが、どんどん癒されて、それが光に変わっていく。
人間は、こんなふうに、とても繊細に、微細に、入り組んだ感情から学ぶことができるし、また、怒りや恐れからくる単純な反応も瞬時に行うことができ、創造的なマジカルな感性を持ちながらにして、本能的なアニマルな感性も併せ持つ、動物界の中で唯一の複雑極まりない動物だ。
そのすべての複雑さを尊重して、活用して、学んで、人間として生きるわたしたちの「自由」というのは、
ただ、ハッピーでゆらゆら〜っと、キャピキャピ(死語?)、キラキラだけで、チョウチョのように生きているだけではなく(その要素もありだけど、それのみ!ではなく)、
そういった、複雑で繊細でとても巧妙な、裏も表も、白も黒も、光も闇も含めた、人間特有の感性や感情を、しっかり受け取っていくことで、
自分自身を知り、気づき、そしてそこから、自由になっていくこと、だとわたしは思う。
よく、自己啓発やスピリチュアルな本や、または、他人に影響力を与えるスピリチュアルな人が、
「こうしなければ I have to : must 」とか、「どうしたほうがいいかな? What I shoud to do?」と言うのをやめなさい、とアドバイスしているのを見たことがある人もいるだろう。
わたしも時々使う言葉なので、わたしから聞いた人もいるかもしれない。
それは、わたしがいま例え話でシェアしているような、より深く自分を掘り下げてみつめていくための、入り口に立つ作業だろう。
入り口の作業だけれど、それをコツコツ、続けていくことで、その入り口を開けることができるだろう。
そうすると、あなたは、本当の意味で自由に生きるという意味が理解できるかもしれない。
すると、現実の自分の生活が、あなたの本質の理解についてくる = 現実的にも自由な生活スタイルに変わっていく、かもしれない。
あなたの望む人生スタイルは、自分次第で創造することができるのです。
どうぞ、サポートが必要な方は、わたしのセッションをお受けくださいませ。
あなたの「気づき」を、心を込めて、お手伝いさせていただきたいです。
オンライン・対面 ヒーリングカウンセリングセッションのご案内。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html
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