ずっと前から旅人の人生の私。
旅の中で、様々な国で・土地で、大地と自然の波動と、人々との交流、そして、その土地の歴史と文化に触れること、
その中で出会う出来事、人々から、感じている「わたし」をみつめる、受け取る、理解すること。
本当に、ひとり旅はわたしを豊かにします。 素晴らしいです。
そして、その土地の各地に、わたしのエネルギーをシェアしていき、そして、わたしもその土地からのエネルギーを転写して持ち帰ります。
旅をしていて、一番、居心地が難しいのは「食べるもの」。
わたしは、ビーガン(動物性を食べない主義)なので、あまり外食をせずに、常に、キッチンがついている宿をチョイスします。
今回の(いまもまだ旅の途中)12日間のお仕事を兼ねたプチ旅も、オーストリアとスロベニアの三か所の宿に滞在したのですが、
でも、唯一、ウィーンでは、友人の家に泊まらせていただきました。
友人は多忙で、わたしは滞在中すべて一人で行動していたので、
邪魔しちゃ悪いな、汚しちゃ悪いな、という遠慮もあって、キッチンを使わせてもらわず、朝昼夕と外食をしていました。
(ヨーロッパはビーガン・ベジタリアンのレストランが結構あるので、こういう場合、助かります。)
でも、な〜〜〜〜〜んか、調子が悪い、身体の。
巨大な吹き出物ができたり、なんだがとってもむくんだり、顔の皮膚がガサガサ・・・を通り越して、ゴワゴワで、笑うだけでほっぺの皮膚がちょこっと破けてしまうほどでした。ひえー、相当だな、こりゃ。
身体がおかしい! なにかが「たまっている」感じと、「なにかが失われている」感じがとてもしました。
ウィーンが乾燥している地域・・・っていう理由だけでは、度を越えていました。
「おかしいなあ、どうしたんだろうなあ。」
「身体は、わたしになにを伝えているんだろう。」
常に、身体からのメッセージを受け取る!を意識してい生きています(ムーブメントメディスンの効果です)から、身体に苦情を言うのではなく、身体からのメッセージに理解を示そうとします。
そして、
ウィーンを離れてから、土地を変えて、キッチン付きの宿に宿泊しましたので、
毎日、毎食、自炊をして、ランチもお手製のサンドイッチを持参して外で食べ、ディナーもサラダとスープを作って宿で食べていました。
とてもとても質素ですが、一番、わたしの安心する食生活です。
すると、
身体の調子がみるみる戻っていきました。
ゴワゴワだったお肌は、あっというまに元通りのツヤツヤに。(基本的に肌質はよいタイプなので)
あり得ないくらいダルクて、重かった身体が、ヒョイヒョイ軽くなりました。
凝った・見た目が美しい料理は、舌と目を喜ばすけれど、実は、身体は嬉しくない・・・ということもありますね。
そして、身体からのメッセージを解読するのに成功した思いがします。
それは、
「わたしの身体は、わたしからの注意・意識(癒し)を求めている」
だから、
ビーガンレストランで美味しくて創造的で、自分では作れないような素敵な食事をしたとしても、
それは、わたしが自分の身体に意識を向けて作ったものではなく、いまの私に必要なものではなかったのだ、ということ。
いまのわたしの身体は、一番近くにいる「わたし」からのエネルギーが欲しかったんだな、と感じました。
誰かほかの知らない人が作った(その人のエネルギーが転写されている)料理ではなくて、いまのわたしの身体は、「わたし」からの意識・エネルギーを欲していたんだな。(いつもそうあるべき、というわけではなく「いま・ここ・わたしの身体」にとっては、それが必要だったのだ、ということ)
マッサージをする、ストレッチをする、オイルを塗る、身に着ける衣類の素材に注意を払う、身体を清潔にする、自分の身体への祝福のためキレイに装飾する(誰かに好かれるためじゃなくて)など・・・・・と同じように、
自分の身体にとって、いま何が必要か?を考えて、自分で自分の身体のために食事を作ることも、身体を癒すことのひとつなのだ。
その失われた感覚と再びつながるために、ヨーガもムーブメントメディスンも、とてもよいツールだ。
ヨーガのクラスで、重ねてわたしが伝えていること。
「わたしの身体は、”わたし”から意識を向けて欲しがっている。”無視しないで!”とメッセージをくれる。
わたしたちは日常が忙しく、外側のやるべきこと、やらなければいけないことがたくさんありすぎて、一番大切である「自分の身体」を二の次にしている。
ちょっと体調悪くても、無理して仕事しちゃう、というのはその典型だな、と私は感じる。(特に日本人は、自分の居心地よりも仕事が優先の文化背景)
自分の身体は、お医者さんが管理してくれるわけではなく、マッサージ師が癒してくれるわけではなく、一番身近にいる「わたし」が「わたしの身体」の最高責任者であって、わたしだけが、自分の身体を感じることができる、世界で唯一の存在である。
だから、感じること。
「行うこと」よりも「感じること」が大事。
「結果」を期待するよりも「プロセス」を味わうことが大事。それが「意識を向ける」ということ。」
私の中では、ヨーガは「自分と向き合って意識をどう向けていくのかの練習の時間」。
そして、ムーブメントメディスンは、「意識を向けて気づいたメッセージをどう受け取っていくかの練習の時間」です。
ヨーガも、ムーブメントメディスンも、「肉体を使って行う瞑想」にとって大事なのは、「きちんと肉体を感じてあげること」
身体は、わたしに見てもらいたがっているし、感じてもらいたがっている、意識を向けてもらいたがっている。
それが、自分の身体を愛することに繋がっている。
「愛」の反対は、「無視・無関心」。
そして、人間は誰しも「愛したいし、愛されたい」と願っている。
身体に無関心、無視をすることは、「愛」と正反対のことを自分の身体に与えているということ。
すると、自分自身から愛されない「わたし」は、その不満を、外側のなにかに向け始めて、周りの環境や人々への不満が募ってくる。
どうして愛されないのか、どうしてあの人はわたしに冷たいのか、どうしていつも嫌な目に合うのか、愛が欲しい、愛なんかいらない(これも欲しいの裏返し)・・・・・。
それは、実のところ、「わたし」が「わたし自身」に対しての不満の内なる声。
それを、「わたし自身」は自分自身へのメッセージだと受け取ろうとしないから、やり場がなくなって、「周りへの不満」という形となって表れてくるのだろう。
「なんで!?」「どうして!?」と、周りに対して不満に思っていることは、実は全部、「わたし」から「わたし自身」に対しての不満の声なんだ。
これはね、わたしの体験談ですよ、それに気づいたときはものすごい驚きましたし、深く、深く、反省と、
身体に対して、無視したり、苦情ばかり言っている、こんなわたしに、根気よくついてきてくれているこの肉体に、改めて、心から感謝と愛が溢れます。
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