先週のこと。
わたしは、孤独の底に沈んでいる、自分を見つめていました。
それは、少し前からのわたしの個人的なプロセスと繋がっていました。
わたしは、しばしば
「私はひとりぼっちで、誰も私をサポートしてくれないのだろう。そして、みな、私から離れていくのだろう」
という、想いに支配されてしまうときがあります。
それに支配されているときは、本当に確信をもって、「そうなのだ」、と信じてしまうので、
その「孤独の底の罠」にはまってしまっているときというのは、もう、孤独で絶望的で世界でひとりぼっちで悲しくて仕方がない(という幻を見ている)のです。
それは、
わたしの今世の中での、過去の痛ましい数々の経験から、そう、信じてしまっているのもありますし、
また、先祖たちから引き継いでいるカルマでもある、ということを、踊る瞑想・座る瞑想の中での先祖たちからのメッセージで教えてもらい、知っています。
そして、
9月最初に、踊る瞑想の中で、わたしは、さらに自分の先祖と交信をして話をしました時に、先祖のサポートからのヒントで、
その「孤独の底の罠」にはまってしまう自分の、その「罠」の「システム」を自分の中に発見しました。
その罠は、なかなか巧妙で、一見、ものすごく「正当」に見えるので、それが「偽物」だと見逃してしまって、うっかり罠を信じてしまうのですが、
でも、実は、その罠を信じてその罠を使ってしまっているばかりに、わたしは、自分を「孤独の底」に陥れているのでした。
それを発見したわたしは、本当に、びっくり驚きましたし、また、「全部、自分のコミットメントじゃん!」と、気づいて、力が抜けて笑いたくなりました。
発見したからには、わたしは、「その罠にはもうひっかからないようにするぞ!」という意味の、新しいコミットメントを自分で繋げて、
それをもとに、日々の生活の中で自分を見つめながら、古い罠にひっかからないように、新しいドアにつながるように、生活の中で、周りの人々の中で、自分で自分を感じている、そんな自分を感じて、コツコツと「練習」していました。
そのように「意図」すると、「古い罠」に気づくことができます。
人と関わっているときの自分の感情・感覚・思いの方向の中で、「あっち」のほうに行こうとする自分の考え方・思考を発見することができます。
それは、「古いコミットメント・罠」からもう卒業するんだ!と「意図」するから、きちんと気づくことができるんだなぁ、と、人間の意識の影響の強さに感心します。
人間は、意識が向く方向に、きちんと、進んでいきますね。(だから、どちらに意識を向けるのか、本当に気をつけなきゃね)
そして、「わたし」という人間にとって、最善で居心地の良い状態で、人間関係を築けるように、「意図」して、古いパターンを変えていきます。
それには「古いパターン」に気づいた、その都度、その都度、その気づくたびに、根気よく、何度も何度も、「意図」して、「あっち」に行こうとする自分の考え方を、「こっち」に向かせるようにします。
これは、ヨーガのテクニックですね。
自分の「思考」を手なづける。
「思考」は無くならないですからね。 特殊な状態を除いて、普通の生活の中では。
頭で努力しても「無」にはなれないです。 結局、頭で考えているので、無駄な努力です。
「思考」は自分という人生を象徴しています。
思考(スーパーエゴ)に振り回されてしまえば「邪魔者」になってしまいますが、
でも、それを理解すること、そして、手なづけることで、人生を学ぶための「味方」につけることができます。
そして、それに惑わされる・翻弄されるのではなく、「私がボスなんだ!」という威厳を持って、
「古いパターン・自分を不幸せにしている思考」を手なづけて、今の自分にとって居心地の良いパターンを推し進めていく。
古いパターンは、かつての昔の自分にとって必要だったものであり、その時期はもう過ぎたので、必要なくなっているわけだから、いつまでも古いものにしがみついていても、今の新しい自分にとっては、それとともに生きていても幸福にはならない。
だから、「いまの自分」に必要なシステムに塗り替えていく必要があります。
そこには、少し勇気も必要です。
今まで、したことないパターンでやってみる・・・というのは、生活の中での出来事でも、また、心の中のシステムでも、同じように少し勇気が必要なんですね。
だから、「マインド・思考」は抵抗するときがあります。
その抵抗は、身体にまで影響を及ぼすときがあります。
その抵抗を信じてしまうと、振り回されて、やはりまた、同じことをぐるぐると繰り返してしまうのでしょう。
話が反れましたので戻ります。
私は、スピリチュアルなギフトを持っていますが、そうはいってもやはり、人間として生きていますので、日々、自分と向き合い、人生という学びを深めています。
そんなふうに、日々、自分の古いコミットメントから卒業しようと、日々の生活の人々との関係性の中で「練習」をしていたある日。
本当に、痛い、痛い、出来事が起こりました。
「ああ、やっぱり、私は孤独なんだ。」
と思い知らされる(ような錯覚を起こす)出来事。
そして、勇気を出して、「でも、私は助けが必要なの」、と言葉にして言ってみたものの、それもやはり、
「ああ、やっぱり、誰も私をサポートしてくれないんだ」
と思い知らされる(ような錯覚を起こす)結果になり、
「ああ、やっぱり、私が愛を感じる人間たちは私から離れていってしまうんだ」
と思い知らされる(ような錯覚を起こす)、「孤独の底」に、ずぶずぶと落ちていく私を見ました。
でも、わたしは、常に自分を観察する・・・という、日々の中での瞑想を実践していますので、その「孤独の底」に落ちて呻きながらも、
「ああ、これは、テストだな」ということは、わかっていました。
ですので、その出来事の人物を責めることはしませんでした。「つらい」とは伝えましたが。
その人物はわたしのために、その「テスト」を与えてくれたのだと感じましたので、自分が傷ついているのを、その人物のせいにはしません。
そのテストというのは、わたしは、ここ最近のプロセスの中で(古いコミットメントに気づいて卒業するために)「練習」していたことを、まさに、実践して乗り越えるための、決定的なテスト。
練習してきたから、ここで、乗り越えるためのテストがやってきたのですね。
そう気づいていながらも、わたしは「古いネガティブパターンのコミットメント」にいる自分を叱咤して無理やり立ち上がらせるのではなく、(これをするから、卒業できないでずっと苦しむのです)まず、傷ついている「わたし」を、抱きしめ、抱擁し、愛し、よき理解者になるところから始めました。
そして、痛みを抱えている「わたし」を理解してあげたあとで、その「古いコミットメント」から離れるために、何が最善なのか、ということを「傷ついているわたし」と一緒になって考え、それに対して必要なものを与えてあげる。
(これをするには、ヨーガのテクニックでもある「自分の観察者になる」というのが、とても役に立ちます。いや、そのテクニック無しでは無理ですね。)
その時の、わたしは、絶対的に
「私は孤独で、誰もサポートしてくれないし、みな私から離れていってしまう」
という、「偽の真実」から、「わたし」を目覚めさせることが必要でした。
わたしは、お互いの人生のプロセスをずっと見守り合い続け、サポートしあい続けている、魂でつながる人々(ヨーロッパの仲間)にメッセージを送りました。
いま向き合っている自分の古いコミットメントと離れたいこと、その出来事が起こってテストされていること、このテストをどうしてもパスしたいこと、明日、自分自身の古いコミットメントを昇華するためのセレモニーを個人的にするから魂で参加してサポートしてほしいこと・・・・
そんなことを、心を込めて誠実に伝えました。
彼女たちはそれぞれ、ヨーロッパの中の違う国に住む仲間でしたが、わたしの「意図」に深く共鳴をしてくれて、一緒にそれぞれの自宅でセレモニーをすることになりました。
そして、それは、彼女たちにとってもとてもベストタイミングだったようで、その私のシェアリングと、みんなで意識を合わせて行ったセレモニーで、それぞれの心的なプロセスが深まったのでした。
わたしは、「孤独ではない」「真剣に求めればサポートは与えられる」そして、「私が誠実に人生の学びをシェアすると、ご縁のある人々の学びも深まる」という、確たる証拠を与えられ、感動で号泣をしました。
そして、その後も、
「古いネガティブパターンのコミットメント」から「わたし」を救出するぞ!と、強く「意図」して過ごしていました。
そう、
「わたし」を救出できるのは「わたし」しかいない。
でも、それには、サポートが必要ではある。
でも、サポートしてくれる誰かが救出してくれるのではなく、「わたし」は「わたし」しか救出できない。
でも、「ひとり」では、それはできない。
サポートがあるからこそ、わたしはそれをすることができる。
わたしが「意図」して生きていると、出会う人が突然、わたしのハートを震わすようなことを言ってくださったりします。
ヨーガの生徒さんがくださった、何気ない一言が、本当に、わたしの「救出」のサポートになったり、
いただいたメッセージの中から、いつもは気づかないのであろう「ひっそりと隠れた愛」を発見して感動したり、
また、アドバイスもなく、良いも悪いもなく、質問もなく、ただただ、うんうん、と話を聞いてくれることが、自分を見つめることを深めて、ジーンとしたり。
苦しい記憶とともに、こんなふうな癒しの記憶が、繰り返し、行ったり来たり、コツコツと繰り返されて、人間の経験を持つ「わたし」の「古いネガティブパターン」は新しい「希望的なコミットメント」へと、塗り替えられていきます。
この前の記事に書いた、先日訪れたラッテンベルグという町で。
そこは、パワーストーンのお店がたくさんありました。
アルプス山脈の近くなので、よく採れるのでしょうね。
わたしは「ストーンパーソン」であり、石と会話ができます。
そして、石と交流することで、わたしもとても癒されます。
あるお店で、かわいい石を発見してそれを買おうとレジに持っていきました。
観光客がいる場所なので、英語が通じてよかった。
ドイツやオーストリアはドイツ語圏なので、ドイツ語が喋れない私は、買い物をするときはいつも、ドキドキします。
レジカウンターでお金を払うときに、ふと、カウンターにあるマグカップに気づきました。
マグカップのふちに、四葉のクローバーがちょこん、とかわいく乗っていました。
「わあ、かわいいですね!これ!」と、わたし。
感じの良い、昔ヒッピーだったっぽい中年のお姉さんは
「そうなの、さっきあそこで見つけたの。かわいいでしょう」
と言って、しんなりしていた四葉のクローバーを指でクルリン、と開いてくれました。
「写真撮らせて!」とわたしがカメラを向けると
「これは、あなたの幸運のためにここにあるのよ!」とお姉さんは言ってくれました。
・・・・・何気ない一言なのだけれど、お姉さんが自分で探して、自分でみつけて、自分のお店に置いてあった四葉のクローバーを、
わたしの幸運のために・・・・・と言ってくれて、
お姉さんが見つけた「幸運」を、ひょっこりやってきたただの観光客の私にシェアしてくれたことに、深く感激しました。
「ありがとう。あなたの幸運のため、そして、わたしの幸運のため、ですね。」
と、わたしは、ありがたい気持ちがいっぱいで言い直し、お姉さんとふたりで微笑みあいました。
なんてことない、小さな出来事でしたが、「古いネガティブパターンのコミットメント」から自分を救出する!という「意図」を持った私が引き寄せた、
素晴らしいプロセスだったな、と感激で胸がいっぱい、涙が出ました。
感動したので、ここでシェアしたくて、書きました。
そんなふうにして、「意図的」に生きることで、より自分を深く理解していき、
自分への理解が深ることで、よりこの世界にグラウンディングして、
地に足をつけて、生きていくことへの助けになるのだと思います。
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