週末の3日間に、ドイツのアシャッフェンブルグという町を訪れました。
ミュンヘンから電車で3時間ほどの土地。
知り合いのドイツ人から、プライベートヨーガの依頼がありまして、小旅行を兼ねて訪れました。
日本人とドイツ人の混合のグループヨーガのクラスは行っていますが、こんなふうに、ドイツ人にプライベートヨーガを提供するのは初めてのことでした。
生徒さんは、不眠症の心理カウンセラーの奥様と、突然、耳が聞こえなくなってしまった歯医者さんの旦那様への、ヒーリングヨーガ。
お二人とも安定した生活をされて、それぞれがご自分で会社を運営されているリーダー的存在。
プレッシャーも、ストレスも、とても大きいそう。
わたしの提供するヨーガは、ヨーロッパの「エクササイズ的なヨーガ」とまったく違い、とても瞑想的であり、魂レベルでのヒーリング効果が高いので、
初めてお受けくださったお二人は、大変驚かれて、そして、その効果にとてもとても感動してくださいました。
そして、奥様のほうは、ずっと不眠症だったのですが、その日の夜からぐっすりと眠れるようになったそうです。
これまで体験したヨーガと全く違うスタイルだったから驚いたけれど、ヨーガをエクササイズではなく、こんなふうにスピリチュアルな観点で提供するのは素晴らしい目覚めだ、とホメてくださいました。
ドイツ人はあまりお世辞を言わないですし、本物志向ですし、嫌なもの・NO!は激しくNO!なので(NO!とあまり言わない日本文化の私は、このドイツ文化はとても強くて、繊細な私は最初、かなり傷つきましたよ(笑) でも、私は強くなった。)、彼女がとても褒めてくださったのは、本当に本心からなのだと思います。
私の活動について、ドイツでも、必要な人たちに提供していってもらいたい、特にリーダーや上に立って指導する人たちに提供していってもらいたい、応援している、サポートしたい、とおっしゃってくださいました。
本当に、本当に、ありがたいご縁です。
まだ、おっかなびっくりな感じで歩み始めたばかりの、わたしのドイツでの活動。
わたしは自分の持つ独特な才能である「宝物」を、全面的に信じているのは間違いないのだけれど、
わたしも人間なので、未知の世界に飛び込むのは、やはり少なからず恐れもあり、緊張するし、時には逃げ出したくなるときもあります。
でも、わたしが選んでここ(ヨーロッパ)に来たのだから、この人生の流れは、わたしの成長につながるのだろう・・・と、信じます。
おっかなびっくりな、子供のようなわたしの「恐れ」を、見たことないもの・ことを経験する「好奇心」に変えていくよう、意図していこう。

ドイツ人のご夫婦は、定期的なスカイプヨーガと、時々また招待してくださっての対面ヨーガのご希望をくださいました。
ご夫婦のわたしへの賞賛は、未知なる世界に一歩一歩、歩いていくわたしの、足元を固めてくれる「自信」を与えてくれました。
本当に、ありがたかったですし、ホッとしている自分を感じたことで、「ああ、不安だったんだな」ということに改めて気づき、
不安な中でも、しっかりと「中心軸」を保とうと、本当に努力している、健気な「ユキ」の姿を第三者の目線から見たような気持ちになり、
なんて頑張っているんだ、一生懸命、誠実に生きている「ユキ」を愛いっぱいで抱きしめたい気持ちでした。

ヒーリングヨーガのあとに、森に散歩に行きました。
ドイツ人は、全体的にみんな、本当に自然の中を歩くのが好きです。
この日も、5時間くらいはのんびりと、お話をしながら歩きました。
ヨーガを受けてくださった奥様のほうは、わたしのことを気に入ってくださったようで、わたしに興味津々でした。
森の中の木々に白と赤のマークがいたるところに記してあって、これは、「この道で間違いないですよ」という森のサインだそう。
日本だと、そういうサインには、布が木の枝に結ばれてたりしますよね。

私にとってはこれは、日本の旗です。
なので、わたしは、とても馴染みがありますし、この旗から「母国の愛」を感じますので、ドイツの森で「日本の存在」に出会って、わたしは一人で勝手に盛り上がっていました。
心理カウンセラーであり、セミナーリーダーである、ご夫婦の奥様のほうが、その私の反応を見て、来週のセミナーのプレゼンテーションに、わたしの話を使う、と提案しました。
それは、
「ひとつのもの」も、その人の経験や人生のバックグラウンドによって、まったく違う価値になる・・・・ということ。
わたしにとっては、この白と赤のサインは、とても気持ちが安心して、まるで自宅に帰ったかのようなリラックスする感覚を感じさせてくれますが、
馴染みのないドイツ人にとっては、ただの白と赤のサインであり、なんの感情もないのですね。
目に映るもの、経験している、すべては、「自分目線」で判断・分析して、受け取って・感じている、ということ。
ということは、「自分にとっての常識(真実)は、他者にとっての常識(真実)ではない」ということ。
そいういった目線で、人生のすべての出来事をみつめてみると、
誰が悪いでもないし、自分のせいでもない、誰が良いでもないし、自分が優れているわけでもない、
みんな、ただ「違う」というだけであって、「違っていい」んだ。
その「違い」を、理解しあうこと、その人の気持ちになってその「違い」感じてみることは、
自分にとっての「常識」の枠を広げて柔軟になっていくことだし、自分自身がさらに豊かになっていくこと。
そこからは、相手へのジャッジも、自分へのジャッジも生まれないから、「違い」ながらにして「調和」が生まれる。

どうしても、「周りと同じじゃない=よくないこと」と感じてしまう、日本の文化が、私の中に染みついているのを、ヨーロッパにいると感じます。
アジアの他の国いるときは、ほとんど感じないのですが、ヨーロッパにいるととても大きく感じます。
それが、日本にいる時はまったく気づかないけれど、ヨーロッパに住んでいるととてもよくわかりますし、それが、どれだけ自分自身を邪魔しているかもよくわかる。
そして、「わたしと違う意見の人がいる=否定された!=傷つく=私ダメなの?」と感じてしまうのも、とても自然に起こっているのをみつめています。
これは、日本文化で浸み込んでしまっている、まったくのウソの情報です。
「違い」を認めて、「理解する」ことで、「豊かさ」に繋がっていく・・・・ということを、
日本人のわたしとして、日本のかたがたに、シェアして伝えていきたい。
そんな体験をしています。

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