2018年05月20日

水に洗い流す



イタリア・ラッチェという小さな田舎町。

昔むかしの人が畑に水を引くために作った小さな小川沿いに、何キロも森の中を歩く。




くねくねと続く細いけもの道を、小川沿いに歩いていると、水の音がときに、激しくなったり、ときに内緒話のようになったり、

アップダウンと共に、1歩ごとに変化していって、その水音がとても耳に心地が良い。

鳥が歌う声、木々が風に揺れる音。

肌を通り過ぎる空気の感触、トカゲやリスたちの気配。

上昇していく自分の身体の体温、汗の感覚。

マウンテンシューズの底から感じるゴツゴツ岩の存在、松ぼっくりの柔らかさ。

お花の匂いがわたしの感性をくすぐり、太陽の光がわたしを元気づける。




小川に沿って歩いている、わたしに湧き上がってくる思考、思考、思考。

わたしは自分の思考の傍観者だ。

なぜだろう、こんなに素敵な環境で、気持ちよく歩いているというのに、

マインドは、あとからあとから、過去に傷ついた人間関係の経験を思い出させている。

わたしはマインドの動きに溺れない。

いつも、ただ、ただ、観察している。

とくに、同性の友人・近しかった生徒さんたちから受けた、ショックな出来事を繰り返し、繰り返し、

マインドはわたしに語りかけ続けている。




わたしは「わたし」の言い分をよーく聞く。

そうか、そんなにショックだったんだね。うんうん、そうなんだね。

それが、いまも、トラウマになって、恐怖になっているんだね。

これは、自己憐憫になっているのとは違う。

ただ、見つめる、観察する。

わたしの思考の、ありのままを、見届ける。

言い分を聞く。

過去の感情を、理解してあげる。




でも、どうして、いま、この美しい森の中を歩いているときに、繰り返し繰り返し、「傷ついた経験」が湧き上がってくるんだろう。

そうか。

癒されているんだね。

いまはもう「安全な場所にいる」ということを、傷ついているわたしの側面に、知らせて癒しているんだね。

もう、昔のことを思い出して、繰り返し、傷つかなくていい。

「いま」というこのときは、あのときの「悲しみ・ショック」の時とは、違うんだ。

「いま」は安全なんだ、繰り返し、昔の経験を思い出しては、自分で自分を傷つけなくていい。

そう、あれは過去のこと。いまじゃない。

水に洗われているんだ。

この、美しい森と、清らかな小川と、気持ちの良い自然の音の中で、わたしは「いま」を認められているんだ。





小川は、同じ方向に流れ続ける。

決して止まらず、後戻りせず、ひとつの方向へと流れ続ける。

時に激しく岩を砕き白い波を生み、ときに安らかにキラキラと輝いて、先へ、先へと、流れ続ける。

水に流そう。

水に洗われよう。

「いま」はこんなにも美しい。

悲しみも苦しみも、すべて過去のことで「いま」じゃない。

「いま」の瞬間はこんなにも祝福されている。

水に流そう。

水に洗われよう。

すべて、流れていく、流れていく、流れていくんだ。

自分の中の「水」が共鳴する。

水は形を変えるもの。

そして、岩をすり抜けることもできるし、砕くこともできる。

わたしは「水」。

わたしは変わることができる。

水のように、柔軟に、繊細に、そして強く、意志をもって、先へ先へと。




水に流す、洗われる.jpg









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 15:40| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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