2017年08月10日

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク



先月、ミュンヘンで「ディナーインザダーク」を経験したあと、同じような企画が東京でもロングランしていると聞いて、さっそく体験しに行ってきました。

8月いっぱいで一時お休みされるそうです、よかった、間にあった〜。

ミュンヘンでの体験の時も感じたのですが、

「わたし、暗闇、怖くない」んです。




全員で8名での暗闇90分冒険の旅でしたので、私のほかに7名いたのですが、

何人かは、恐がってる感じの素振りで、なんでだろう?・・・・と不思議な気分。

みんなの歩く速度が遅いので、暗闇でも早く歩けてしまうわたしは、単独行動したくて、ひとりではぐれたくて、仕方がない(笑)

自分でも、なんで怖くないんだろう??? どうして、何人かの人は怖がっているのだろう?? と、不思議でした。

完全に一人だったら、ひょっとして怖いかもしれないですが、みんなすぐそこにいるしね。

わたしは、想像力が長けているので、イマジネーションが簡単に膨らむのでしょうね。

暗闇なんだけど、視覚以外の感性で感じるあれこれから、なんだか、全部、見えているように感じました。

真っ暗なんだけど、見えるんですよ。

目で見てるんじゃないんだけど、人々が動いているのや、植物や建物の様子や、全部、見てる感じでした。

なんとも、口では説明できないけど、見えてるから、全然、怖くないの。




まったく知らないもの同士の8名で、暗闇での体験を共有したことで感じたことは・・・・

真っ暗闇だと、なんだか、知らない人同士なのに、すぐに仲良くなっちゃうっていうこと。

みんな、まるで一緒に来た友達かのように、大笑いして楽しみましたよ。

これも、興味深かったなあ〜

最後のほうなんか、みんなで、カンパーイ!して、「上を向いて歩こう」を大合唱しましたよ。

あはは、まるで、どこかのバックパッカーの宿で旅人たちと、寛いでいる時のよう。はは

でも、始まる前に見た参加者の人々は、ごく普通のかたがた(目を合わせようとしない)だったのに。

始まる前、あんなによそよそしかったのに、暗闇になったら、急に柔らかくなってね、まるで前から知っていた仲間のような雰囲気になりましたよ。

おもしろいな〜

暗闇だと、人々のハートの真ん中の温かさとしっかり繋がれる・・・というか。




そこで、人間好き、内観フェチのわたしは、体験から、よーく熟考してみる・・・・・




思うに・・・・

視覚からの情報って、私たちの理解の70?80?%を占めているって言われていますよね。

ということは、視覚という感覚が、一番私たちに影響を与えているのですよね。

なにに影響を与えているかというと、「思考」だと思うの。

だって「理解」というのは、通常の人は「脳」でするでしょ。(人によってはスピリチュアル的な理解もするけど)

ということは、「思考」へ一番、影響を与える外側からの情報は、「視覚」ということですよね。

それを、遮断することによって、思考ではないところで感じる能力が目覚めやすくなる、ということ。

そして、人間関係が、暗闇の中でこんなにスムーズで、みんな受容的でリラックスできるということは、

逆から察すると、視覚からの情報は、わたしたちを緊張させるということかな。

それはどうしてか?

「こうしなきゃ」とか、「こうしちゃだめだよ」とか、そういうジャッジメントが入りやすいのかな。

そして、ハートを開いて他者と接することへの「恐れ」も、加わってブレンドされてくるから、

なかなか、「あるがままの自分でいられない」= 「人に本来の自分を見られるのが怖い」、かな。

また、「人から見られている」という状況から、緊張してリラックスして過ごせない・・・っていうのもあるよね。

それは、なぜか?

「評価される」とか? 「ちゃんとしなきゃ」とか? 「よく見せよう」とか?

それは、全部、あるがままの自分を否定していることだね。

目で見える情報から、そこにつながりやすいのかな。



いずれにしても、暗闇だと、そういう、自分で自分を縛りつけている「観念」が、全部消えてなくなっちゃうんだよね。おもしろい。

じゃあ、どうして、明るいところだとそうなっちゃうのか?

それは、あるがままの自分、でいることへの、罪悪感かなぁ。

罪悪感って、なんだろう。

自分が自分らしくいちゃいけないんだ、という気持ち?

社会に出ると、みんなと同じじゃなきゃいけないとか、目立っちゃいけないとか、個性は嫉妬されるとか、

そういう、見えないけれど重たいプレッシャーが、あるよね、確かに日本って。

でも、それも、社会で順応するためには、仕方のない知識と技なんだろうね。

暗闇ではあんなに、ハートが開いていたみんなも、企画が終わって明るいところにでたら、

途端に「シューッ!」と閉じていったんですよね。

まるで、閉じる音が聞こえるかのように、わかりやすく、シューーーッ!って。

みんなだけじゃなくて、私自身も、ピリッ!とした緊張感が、急に現れ出たのを感じた。

急に! 自動的に! あ、あまり目立っちゃいけないな、みたいな(笑) びっくり! 

あと、迷惑かけちゃいけないな、とか、周りに嫌な気分を与えちゃいけないな、とか。

そういうのが、明るいと自動的に湧き上がってくるんだな。

暗闇だと、きっと全部許してくれる、みたいな安心感があって、どんな自分でも出せるんだよね。

興味深かったなぁ〜。 大人って複雑でおもしろいなぁ〜。




わたし自身が強く感じたことは、暗闇のほうがとても楽なこと。

他者とのつながりが、とっても楽。

自分が、自分でいられる感覚が、ずっと楽。

ずっと、暗闇のほうがいいなぁ、なんて思ってしまったほど。

まるで、瞑想状態のような感覚だ。

視覚に頼ってはいけないな。

視覚に頼る = 思考でジャッジ・判断する = 偏った理解 = 真実が歪曲される

これは、いけないな。

感受性を豊かにして、本当に大切なところと繋がって、生きていきたいな。

それが、少し社交辞令の世界から外れることだとしても、わたしは、いいと思うんだ。

本音で、本質で、わたしは生きていきたいな。

一番大事なのは「わたしの本質」。

自分の感じること、学んだことは、素直に伝えたいし、感じたい。

社交辞令よりも、社会性の決まり事よりも、そっちを優先したい。

だから、感性をフル活用して、人間の本質で、生きていくのだ。

そういう、人間関係だけ!で、人々とつながっていきたい。

暗闇で感じた「ハートの目」で、物事や人物を、感じていこう。

それは、明るいところで視覚で受け取った情報からの理解よりも、はるかに、居心地が良くて、しかも平和的だった。

そうなの、平和を、感じたのだよ。

偽りの情報(視覚からくる思考への間違った刷り込み)に気づいていよう。

すると、すっごく、世界は面白そうだなぁ。

という、学びでした。


ダイアログインザダーク.jpg



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:46| 自分の感性とのデート☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする