先月、ミュンヘンで「ディナーインザダーク」を経験したあと、同じような企画が東京でもロングランしていると聞いて、さっそく体験しに行ってきました。
8月いっぱいで一時お休みされるそうです、よかった、間にあった〜。
ミュンヘンでの体験の時も感じたのですが、
「わたし、暗闇、怖くない」んです。
全員で8名での暗闇90分冒険の旅でしたので、私のほかに7名いたのですが、
何人かは、恐がってる感じの素振りで、なんでだろう?・・・・と不思議な気分。
みんなの歩く速度が遅いので、暗闇でも早く歩けてしまうわたしは、単独行動したくて、ひとりではぐれたくて、仕方がない(笑)
自分でも、なんで怖くないんだろう??? どうして、何人かの人は怖がっているのだろう?? と、不思議でした。
完全に一人だったら、ひょっとして怖いかもしれないですが、みんなすぐそこにいるしね。
わたしは、想像力が長けているので、イマジネーションが簡単に膨らむのでしょうね。
暗闇なんだけど、視覚以外の感性で感じるあれこれから、なんだか、全部、見えているように感じました。
真っ暗なんだけど、見えるんですよ。
目で見てるんじゃないんだけど、人々が動いているのや、植物や建物の様子や、全部、見てる感じでした。
なんとも、口では説明できないけど、見えてるから、全然、怖くないの。
まったく知らないもの同士の8名で、暗闇での体験を共有したことで感じたことは・・・・
真っ暗闇だと、なんだか、知らない人同士なのに、すぐに仲良くなっちゃうっていうこと。
みんな、まるで一緒に来た友達かのように、大笑いして楽しみましたよ。
これも、興味深かったなあ〜
最後のほうなんか、みんなで、カンパーイ!して、「上を向いて歩こう」を大合唱しましたよ。
あはは、まるで、どこかのバックパッカーの宿で旅人たちと、寛いでいる時のよう。はは
でも、始まる前に見た参加者の人々は、ごく普通のかたがた(目を合わせようとしない)だったのに。
始まる前、あんなによそよそしかったのに、暗闇になったら、急に柔らかくなってね、まるで前から知っていた仲間のような雰囲気になりましたよ。
おもしろいな〜
暗闇だと、人々のハートの真ん中の温かさとしっかり繋がれる・・・というか。
そこで、人間好き、内観フェチのわたしは、体験から、よーく熟考してみる・・・・・
思うに・・・・
視覚からの情報って、私たちの理解の70?80?%を占めているって言われていますよね。
ということは、視覚という感覚が、一番私たちに影響を与えているのですよね。
なにに影響を与えているかというと、「思考」だと思うの。
だって「理解」というのは、通常の人は「脳」でするでしょ。(人によってはスピリチュアル的な理解もするけど)
ということは、「思考」へ一番、影響を与える外側からの情報は、「視覚」ということですよね。
それを、遮断することによって、思考ではないところで感じる能力が目覚めやすくなる、ということ。
そして、人間関係が、暗闇の中でこんなにスムーズで、みんな受容的でリラックスできるということは、
逆から察すると、視覚からの情報は、わたしたちを緊張させるということかな。
それはどうしてか?
「こうしなきゃ」とか、「こうしちゃだめだよ」とか、そういうジャッジメントが入りやすいのかな。
そして、ハートを開いて他者と接することへの「恐れ」も、加わってブレンドされてくるから、
なかなか、「あるがままの自分でいられない」= 「人に本来の自分を見られるのが怖い」、かな。
また、「人から見られている」という状況から、緊張してリラックスして過ごせない・・・っていうのもあるよね。
それは、なぜか?
「評価される」とか? 「ちゃんとしなきゃ」とか? 「よく見せよう」とか?
それは、全部、あるがままの自分を否定していることだね。
目で見える情報から、そこにつながりやすいのかな。
いずれにしても、暗闇だと、そういう、自分で自分を縛りつけている「観念」が、全部消えてなくなっちゃうんだよね。おもしろい。
じゃあ、どうして、明るいところだとそうなっちゃうのか?
それは、あるがままの自分、でいることへの、罪悪感かなぁ。
罪悪感って、なんだろう。
自分が自分らしくいちゃいけないんだ、という気持ち?
社会に出ると、みんなと同じじゃなきゃいけないとか、目立っちゃいけないとか、個性は嫉妬されるとか、
そういう、見えないけれど重たいプレッシャーが、あるよね、確かに日本って。
でも、それも、社会で順応するためには、仕方のない知識と技なんだろうね。
暗闇ではあんなに、ハートが開いていたみんなも、企画が終わって明るいところにでたら、
途端に「シューッ!」と閉じていったんですよね。
まるで、閉じる音が聞こえるかのように、わかりやすく、シューーーッ!って。
みんなだけじゃなくて、私自身も、ピリッ!とした緊張感が、急に現れ出たのを感じた。
急に! 自動的に! あ、あまり目立っちゃいけないな、みたいな(笑) びっくり!
あと、迷惑かけちゃいけないな、とか、周りに嫌な気分を与えちゃいけないな、とか。
そういうのが、明るいと自動的に湧き上がってくるんだな。
暗闇だと、きっと全部許してくれる、みたいな安心感があって、どんな自分でも出せるんだよね。
興味深かったなぁ〜。 大人って複雑でおもしろいなぁ〜。
わたし自身が強く感じたことは、暗闇のほうがとても楽なこと。
他者とのつながりが、とっても楽。
自分が、自分でいられる感覚が、ずっと楽。
ずっと、暗闇のほうがいいなぁ、なんて思ってしまったほど。
まるで、瞑想状態のような感覚だ。
視覚に頼ってはいけないな。
視覚に頼る = 思考でジャッジ・判断する = 偏った理解 = 真実が歪曲される
これは、いけないな。
感受性を豊かにして、本当に大切なところと繋がって、生きていきたいな。
それが、少し社交辞令の世界から外れることだとしても、わたしは、いいと思うんだ。
本音で、本質で、わたしは生きていきたいな。
一番大事なのは「わたしの本質」。
自分の感じること、学んだことは、素直に伝えたいし、感じたい。
社交辞令よりも、社会性の決まり事よりも、そっちを優先したい。
だから、感性をフル活用して、人間の本質で、生きていくのだ。
そういう、人間関係だけ!で、人々とつながっていきたい。
暗闇で感じた「ハートの目」で、物事や人物を、感じていこう。
それは、明るいところで視覚で受け取った情報からの理解よりも、はるかに、居心地が良くて、しかも平和的だった。
そうなの、平和を、感じたのだよ。
偽りの情報(視覚からくる思考への間違った刷り込み)に気づいていよう。
すると、すっごく、世界は面白そうだなぁ。
という、学びでした。