最近のわたしは、できるだけ下着をつけないようして生活をしてる。
下着をつけない生活・・・・・・まず、強く伝えることができるのが
「めちゃくちゃ、快適!!!!!」なんですよ、これ。
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最近ね、
当たり前のように、普通に生活でやっている、いわゆる「習慣」を見直しているところです。
自動的に、「そういうもの」として、自然と自分の生活の一部になっている「習慣」を、本当にそれが必要なのか?・・・・それがないと生きて行けないのか?・・・それがない生活って、どんななんだろう?・・・・とみなおしています。
すると、疑問点や、不思議感や、腑に落ちない感が、いっぱいなの!
なにも考えずにいままでやっていたけれど、「生きている自分」というところに、きちんと目を向けた時に、いまのわたしにとって、必要ないもの、納得いかないものは、しなくてもいいな、と思っています。
それは、親や、先生や、社会から教えられたから、これまで、何も考えずに、ただ従ってきたものだったけれど、いまの自分にとって、本当にそれが「心地よいのか?」と、改めて自分に問いたところで、出てきた答えで、生きていきたいのです。
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そして、下着について、疑問を抱き始めました。
そもそも、なぜ、下着をつけなければいけないのか?
ちょっと、考えてみました。
なんで? なんでだろう?
まず、ブラジャー → 乳が垂れるから?(笑)
でも、ブラジャーしても、どうせ垂れるよね? ははは
年取れば、仕方ないことだよね。
それは、老いることが、美しくない・・・・と勝手に決め込んでいる、思いこみだよね。
そして、ショーツ。
生理の時は、着用するのは仕方がないね。
でも、昔の着物時代の日本人は、生理の時もショーツは履いてなかったんだよね。
現代人は、経血のコントロールが難しいから、ショーツ使用するのは仕方がないね。
でも、生理以外の日は、なんで履いているの?
バイキンが入るから? ははは、本当かな、そんなこと、この清潔な現代社会に。
インドの田舎じゃあるまいし。
日本では、コンビニのトイレにも除菌とウォシュレットがついてるっていうのに。
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下着について、疑問に思ったきっかけは、ヨーロッパ人のある男性から
「女性のブラジャーは、まるで牢獄みたいだ。 居心地悪くないの? 僕は賛成しないんだよね。」
と、言われたたことでした。
ビックリしました。
その発言にもビックリだけど、わたしの男性というものの概念とも違って、ビックリ。
全然、下心も、いやらしい気持ちも、なんにもなくて、さりげない日常でボソッとつぶやいた言葉でしたから、その人の本音なんでしょう。
本当に、ビックリ。
わたし、いままで、男性はみんな、バストの大きい人が好きなんだと思っていた。
だから、ブラジャーの魔法でキレイに見えるバストのことが、みんな、好きなんだと思ってた。
ずっと、そう思ってたし、ずっと、そういう男性ばかりがまわりにいた。
そして、考えたのですね。
なんで、ブラジャーするんだろう?
わたし別に、将来、乳が垂れるから・・・・とか、そういうのまったく気にしてないです(笑)
じゃあ、なんでだろう?
休みの日とか、リラックスムードのときは、ブラ、つけないで過ごすこともありますよね。
すると、とっても脱力できて快適なのに、どうして、わざわざ、快適じゃないことをしているんだろう?
なんでだろう?
うん、わたしにとっては・・・
胸の形がきれいに見えるから・・・・っていうのが、一番、大きい理由だと気づきました。
バストが豊かに見えたほうが、なんだか気分がいいから・・・・って理由が大きかったな。
とくにいまヨーロッパにいると、バスト大きい人が多いから、なんだか日本人サイズの自分が恥ずかしいような・・・。
なんで、バストが大きく見えたほうがいいのか・・・・?
それは、男性目線で見た時に、そのほうが「キレイ」って思われそう・・・・だからですね。
だって女性的には、小さくても、大きくても、どっちでも関係なく生きて行けれるもんね。
社会的にも、バストの大きい女性のことが好きな男性が多いし、それだけで、男性は盛り上がっちゃうかたが多いから、女性もそれに合わせて、「愛されたい!」という意識から、よりバストを美しく見せようとするのかもしれない。
そういえば、確かに、これまでの関わった男性は、バストが大きいほうが盛り上がっている男性がほとんどでした。
特に、日本人男性は露骨にその傾向があると感じます。
だから、女性はボリュームアップのブラとか、つけちゃうんですよね。
「愛されたい」という意識が、根底にあるんですよね。
バストが大きいほうが愛されるだろう、って勘違いしちゃう。
でも、ボリュームアップの偽物パッドが入ったブラジャーを外したら、いつものサイズに戻っちゃうから、そうなると、愛されないのか?
そんなの、おかしいよなぁ。
バストが大きかろうと、小さかろうと、わたしは、わたし。
本当の意味で愛されたい女性は、どんな姿かたちの自分でも、愛してくれる男性を、選ぶべし!
ということで、最近、わたしは、窮屈なブラジャーをできるだけ外して、ゆるゆるなブラ・・・または、ノーブラで暮らしています。
乳首が服の上から見えてしまう服装の時は仕方がないので着用しますが(でもヨーロッパだと乳首見えてもみんな気にしてないんだけどね)、それでも、ホックやワイヤーで締め付けない、布製のブラをできるだけ使います。
それは、パッドの入っていない、三角ビキニみたいな感じなので、バストの形なんて、ぺったんこになっちゃうけど、
締め付けたり、厚いパッドが入っていたり、きついワイヤーが入っているブラに比べたら、断然、ダンゼン、だんぜーーーーん! めちゃくちゃ快適です!!!!!!
そして、
いま思うのは、「キレイに見せたい。男性に愛されたい」みたいな、媚びるかのような、間違った「美意識」からも解放されて、
すっごい、すっごい、快適です!!!!!
ブラに関して、わたしにとっては、かなり、この「バストの形をキレイに見せたい」という気持ちから着用していた、ということに気づきました。
そして、それは、「キレイと思われたい」というところにつながり、
そこには「愛されたい」という意識が潜んでいることに気づいた、という結論に達しました。
でも、そんなふうに愛されても、それは、本当の意味で愛されてるわけじゃないよね。
だったら、必要ないね。
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そして、ショーツ。
こちらに関しては、本当に、疑問でした。
とくに、モモの付け根のそけい部のあたりがショーツで締め付けられて居心地悪いし、おへその下のあたりにゴムの線がつくし、よいことがあまりないです。
化学繊維のショーツはデリケート肌な私はかぶれてしまうので、できるだけコットン100%のショーツを選びますし、最近は、ふんどしっぽい形のゆるパンを使用し始めました。でも、それだと、かわいいデザインが少ないのよね。
でも、なんで、そこまでして、ショーツ履かなきゃいけないの?
生理の時のことは、置いといたとして・・・・・
このショーツについては、意味がわかりません。 なんでだろう????
着物時代の人たちは、履いてなかったんでしょ?
じゃあ、いつから履くようになったんだろう? そして、なんのために???
誰が、決めたんだろう??
意味がわからないので、まず、やってみよう!・・・と、一度、ショーツを履くのをやめてみました。
そしたら、これが、快適で、快適で!!!
ロングスカートの時なんかは、ショーツ無しでも、全然OKですよね。 誰も気づかない。
ふわっとしたパンツの時なんかも、ショーツ無しでも大丈夫。
そして、寝る時なんかは、ショーツなんか履かないでも、まったく問題ないですよね。
めっちゃくちゃ、快適ですよ!!!
わたしは、森で裸になって踊ったりすることがあります。
誰もいなければ、川で、裸で沐浴したりすることも好きです。
そういう時に思うのですが、洋服は「社会」ですよね。
わたしたちは、社会を着こんでる。
着る服によって、その人の印象が変わるし、立場も変わってくるかもしれない。
セクシーな服を着れば女らしく見えるし、工事現場みたいな服を着れば、まるで女性らしさは見えなくなるし、カチッとしたスーツを着ればお堅く見えて、ゆるっとしたヒッピー服を着れば反社会的だと見えるかもしれない、聖者っぽい宗教的な服装をすればそう見えるし、ボロボロの真っ黒な服を着てればホームレスに見えるのかもしれない。
その人間自体は、なんにも変わらないのに、洋服が変わるだけで「社会性」が変わるんですね。
大自然の森の中で、その「社会」である洋服を脱ぎ捨てて、すべての部分の肌を太陽にさらして、風を感じる時の解放感ったら、すごいですよ!!!!
そして、その「社会」であるところの「洋服」の、最後の砦が「下着」です。
昔、初めて、森で裸になろう!と決心した時。
洋服は脱げても、下着はなかなか、脱げませんでした。
一番最初は、結局、下着は脱げずに諦めた記憶があります。(いまは軽々、脱いじゃいます!)
それだけ、頑なに、へばりついている「こうあるべき!」という概念=「社会」が、わたしに憑りついているんだな、と感じました。
丸裸で、生きたいな〜〜。
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