2017年07月05日

その3 人生の中での優先順位は?



わたしが、むかし肋骨がヒビ折れたときのお話。

あれは、まだ、東京都練馬区に住んでいたころだったから、2003年くらいだったかな。

自分の体よりも、エゴを優先にしてしいたことに気づいたときのお話をシェアします。





当時は・・・・・

東京で大人気のヨーガインストラクターで、フィットネスクラブでガンガン、レッスンやっていました。

当時は、ダンスチックなエアロビクスのインストラクターもしていて、そちらも結構ファンの方がいてくださって、

そして、日本で人気が出始めてすぐのころの、ピラティスの国際認定トレーナーもしていて、プライベートトレーニングなんかも提供していました。

週に30本以上のレッスンやセッションをやって、めちゃくちゃ、忙しい生活をしていたころのことです。

毎日、くたくたに疲れて、1DKの狭いアパートの独り暮らしの部屋に、倒れこむようにして帰る日々でした。

とにかく、運動しすぎ、身体を使いすぎていたので、身体は疲労しまくっていて、ストレッチしても、マッサージしても、回復する前に、また疲労する・・・・という状態でした。

インストラクターは、運動をしながら大きな声で、ずっと喋りまくるので、声はガラガラで、時々、声がまったく出なくなってしまうことも、しょっちゅうでした。




ある日。

朝、起きると、脇腹の激痛で動けなくなりました。

痛くて、痛くて、ピクリとも動けませんでした。

どうしたものか・・・・・、今日もみっちり6レッスンも仕事が入っているのに・・・・。

傷みに悶えながら、なんとかしてベッドから出て、着替えを済ませ、さて、どうしたらいいんだろう・・・と悩みました。

これでは、ヨーガのポーズや、ダンスのインストラクションはもとより、大きな声で話をすることも、できない。

深呼吸するのも痛いし、お腹に力を入れることもできないから、トイレも恐怖でした。

そのときはちょうど、風邪を引いていて、ゲホゲホ、ずっと言っていたので、疲れた肉体が、その咳に耐えられなくて、過度に伸縮を繰り返した肋骨が、寝ている間にヒビ折れてしまった模様。

それに加えて、運動しながらマイクでしゃべり続けていて、たくさん、腹筋と横隔膜を使いすぎて、肋骨周辺の筋肉が疲労しすぎたために、耐えられずに肋骨にヒビが入った模様。





あの時は、本当に痛かった・・・・・

でも、わたしは、仕事を休めなかった。

休む気なら、代わりの人を探して休むことができたのだけれど、休んではいけない、と自分で自分を律していた。

どんなに苦しくても、つらくても、絶対に休んではいけない!・・・・と思いこんでいた。

当時、仲良くしていた鍼灸治療院の友人に連絡をして、とにかく応急でどうしたらいいかを聞き、

ドラッグストアで骨盤ベルトを買ってきて、それを肋骨にまいて、なんと、激痛の中、ダンスエアロを含む6本のレッスンを、その日はやってしまった。

仕事を休まずに、頑張った自分が、なんだかとても偉い!と思ってしまって、その後も、ずっと、激痛を我慢しながら、休まずレッスンをリードしていた。

もちろん、肋骨は悪化していって、痛くて、痛くて、本当に痛かった。

でも、なんだか、痛いのを我慢してまで頑張っている自分が、とっても偉い、と錯覚してきてしまって、そんな自分に馬鹿みたいに浸っていたんだと思う。

わたし、頑張ってるんだよ! こんなに痛いのに、がんばってるんだよ!・・・・とアピールしていたような・・・。

これは一種の、麻薬だね。 

どんどん、その「わたしこんなに頑張ってるの!」が、気持ちよくなってきてしまう。

すっごく痛ければ、痛いほど、それを我慢して、頑張れば、頑張るほど・・・・なんだか、認められるような気がしていた。

でも、違った。

結局、レッスン参加者からご意見箱にコメントをいただき、

「怪我をしても休まずレッスンしてくれるのは嬉しいけれど、ユキさんはすごく痛そうで、見ているこっちもすごくツライ。お願いだからユキさんを休ませてあげてください。身体にいいことするはずのインストラクターが、身体に苦しいことしているのは、見ていてとてもツライです。」

という内容だった。

わたしは、本当にビックリした。

自分が、間違った観念を持っていたことに、やっと気がついた。

そうか、頑張って、頑張って、苦しみの中でも頑張り通すことが、美しいのだと、勘違いしてたんだ。

そういう姿を、人々は認めてくれるのだと、勘違いしていた。

だから、尋常ではない数のレッスンを毎日、毎週こなして、「こんなに頑張っているのよ、あたし!」・・・・という、まやかしの自己満足に、ただ浸ってただけだったんだ!

頑張って、頑張って、苦しんでるわたしをみても、誰も美しいと思わないんだ。 

ああ、間違っていた。

エゴだった。

(楽しんで、頑張っている姿が、きっと美しいんだな、といまは思う)




途端に、身体がかわいそうになった。

当時は、プロポーションが良くて、写真家の方から「ヌードモデルになってくれませんか?」と言われたことも何度かあった。

いまは、歳とともに(心とともに)だいぶゆるでしまったけれど、当時は、引き締まった自慢の身体だった。

当時、わたしの商売道具のひとつとして意識していた、その身体。

本当に、酷使して、かわいそうなことをしていた。

わたしは、人から認められたいと思うばかりに、自分自身を追いこんで、痛めつけ、咳をしただけで肋骨がヒビ折れてしまうほど弱らせていた。

それに、まったく気づかずに、ただただ、「わたし、こんなに頑張っている!」という、自己満足の麻薬に憑りつかれていた。

「認められたい」という意識の中での、エゴ満足だった。

でも、それは、ただのわたしの思い違いで、そんなに頑張って、苦しんでも、誰からも認められないのに・・・・。




それから必死で、代わりにレッスンをしてくれるインストラクターを探しまくって、次の日から1週間、お仕事をお休みをした。

絶対に休めない!・・・・と思いこんでいたけれど、あっさりと代わりが見つかり、簡単にお休みすることができた。

それにも、驚いた。

やろうと思えば、こんなに簡単に仕事を休むことができるんだ。

休めない、休んではいけない、と思っていたのは、ただの幻だった。

それが幻だったとしたら、わたしは、なにに、そんなに、しがみついていたんだろう。

一番大事にしなければいけないのは、レッスンへの執着や、人から認められたい欲や、エゴ満足の馬鹿みたいな意地ではなくて、

一番大事にするべきなのは、なによりも、自分自身が本当の意味で「幸福」に感じること、なのではないか。

身体と、心と、魂の「幸福」。




この出来事は、わたしがヨーガ指導を始めてまだまもないころのこと。

当時は、ポーズだけのフィットネス形式のヨーガクラスを、たくさんの東京の有名スポーツクラブで提供しているころの経験でした。

この少しあとに、本格的な精神世界のヨーガを学び始めました。

わたしのヨーガは、身体から方向から始まったのですが、精神世界やヨーガ哲学を学ぶにつれて、すべての統合が必要なのだということ行きつきました。

身体次元の観点だけではなく、スピリチュアリティの観点だけでもなく、また、エネルギーの観点だけでもない。

すべての統合。

これはまた、別の機会に書こうと思います。



≪7月のセッションご予約スケジュール≫
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/445301608.html



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:55| 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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