彼女は、とても大切にしている人を、両親に会わせようとした。
1か月以上も前から、その人を連れて両親を訪ねる日取りを決めていた。
両親は「仕事の様子で、時間が取れるかどうかわからない」と言っていた。
彼女はとても納得いかなかった。
どうして、1か月以上も前から告げているのに、それに合わせて、仕事を調整しようとしないのだろう。
大切な人を両親に会わせたい・・・・・と願うことって、人生で、そうそう、何度もないことなのに。
1か月後、その日が来た。
彼女は両親の住む家へと、大切な人と一緒に向かった。
父親は不在だった。
母親は「仕事が忙しくて来れないよ」と言った。
彼女は、とても悲しかったが、諦めた。
結局、家族よりも仕事のほうが大事なのだ。
彼女が連れて行った大切な人は、20時間もかけて、はるばる、ここまで来てくれた人だった。
仕事を休んで、お金をかけて、時間を費やして、体力を消耗して、はるばるやってきた。
彼女の父親は、自宅から車で20分のオフィスで働いていた。
娘の大切な人のために、たった30分でも顔を出すことさえも、考えられないほど、仕事が大事だった。
彼女は、最初から諦めていたが、それでも、やはり傷ついた。
実のところ、父親は、彼女の本当の父ではなかった。
30年近く戸籍の上では親子関係ではあるが、実際には、彼女は父親ときちんと話をしたことがほとんどなかった。
父親は、いつでも、どんなときでも、仕事が忙しかった。
彼女は、新しく父親になった人と、どうやって、新しい家族関係を築いていくのかを、誰からも習うことができなかった。
母親も、父親も、仕事が忙しかった。
だから、新しい父親とどうやって、話をしていいのか、よくわからないまま大人になった。
彼女は、小さな愚痴をこぼした。
「滅多にわたしからこんな風に、父親に歩み寄ろうとすることなんてないのに、この稀なタイミングでさえも、父は仕事を優先にするんだね。」
母は即座に言った。
「仕方がないでしょう、仕事なんだから。 わかってあげてよ。」
彼女は納得がいかなかった。
どうして、仕事だから仕方がないのか。
家族のつながりよりも、仕事のほうが大事なのか。
なぜ、母親は「わかってあげてよ」というのか。
母親は、彼女の気持ちを、わかろうとしているのか。
コントロールしようとするだけで、彼女がどれだけ傷つき、自分自身の存在価値を落としていることを教えこまれているということが、わかっているのか。
彼女は、突然、思いだした。
「仕事なんだから、仕方がないでしょう。諦めなさい。 わかってあげて。」
この言葉を、何百回、何千回と、子供のころから聞き続けているのだろう。
そして、その都度、何百回、何千回と、傷つき、悲しんだことか。
その言葉は、「自分の存在価値は仕事よりも劣るのだ」と教え込まれていることと、等しかった。
**********
好奇心を満たしたい! 世界のいろんなことに興味津々! ワクワクして仕方がないなにかをしたい!
そんな、子供だからこそ忘れずにまだ持ち続けている宝モノの輝きを、大人はいともアッサリ切り捨てようとする。
大人のルールに従わせようとする。
でも、子供は理解できない。
なんで、仕事だから無理なのか? 仕方がないのか? どうして、我慢しなければいけないのか?
人間の原動力はこの「ワクワク」が源泉となっているというのに、その源のパワーを、大人たちは理不尽な「仕事」という言葉で呪いをかける。
子供は、最初はなぜだめなのか、意味がわからない。
だから、反発する。
なぜ仕事が優先なのか、その意味がわからないから、なぜなのか知ろうとする。
大人たちは、ダメなものはダメと、理不尽なことを言う。
実際、大人たちも、なぜなのか、気づいていないから。
子供は永遠に、「なぜ、人間らしく生きることよりも、仕事が優先なのか」、意味がわからない。
大人は、すでに毒に侵されているから、自分がおかしいとは思わずに、子供がただワガママを言っていると勘違いする。
そして、子供から学ぶ・・・・という姿勢を忘れ、ただ、子供をコントロールして支配しようとし、無邪気に輝いている子供を、社会に沿わせたルールに従って変えようとする。
子供たちは、もともと、まず最初に、親を癒すのが目的として生まれてきた、「愛そのもの」の存在。
だから、最初は腑に落ちなくても、徐々に、親の言うことを信用しようとする。
親のことを、全面的に好きで、子供は「愛」そのものだから。
そして、親を信頼し、従い、どんどん、「ワクワク」の輝きの中で生きることを、あきらめていく。
そして、どんどん、「仕事」に縛られることが人生なのだと学び、本来の自分らしく生きることを、ただ単に見ないようにしていく。
そして、仕事が忙しくて、やりたいことはできない、それが人生だ、と自分自身で人生の道を歪めていく。
本来の「愛」そのものの存在から遠ざかり、それでも「仕方がない」と、諦めていく。
そのうち、子供は、親を疑い始める。
本来の輝きを持っていた自然のままの自分を、不自然な社会に従わせるために、変えてしまった親に疑問を抱くようになる。
しかし、親を愛する気持ちは永遠に消えないので、その葛藤に苦しむようになる。
どんどん、生きにくくなり、自分の存在価値を疑うようになる。
*********
仕事のためには、自分の大切なもの、やりたいこと、すべてを犠牲にしなければいけない。
それは、仕方がないことなのだ・・・・。
そう、彼女は、ある意味「呪い」のように、仕事優先の観念を刷り込まれているのだ、ということに気づいた。
彼女は、両親に向かって、笑顔を見せることがほとんど、なかった。
愛を感じることが、難しかった。
家庭から、愛を学ぶことが、できなかった。
「仕事だから、仕方がない」
というのは、いったいどういう意味だろう。
なぜ、仕事だから、仕方がないのか。
仕方がないって、百科事典的には、どういう意味だったか。
諦める、って意味か。 妥協か。 認めることか。
仕事って、なんだ。
自分の健康よりも、大事なのか。
家族のつながりよりも、大事なのか。
仕事のために、笑顔を凍り付かせても、それでも仕事のほうが優位なのか。
そして、彼女は、両親のもとを訪れることがほとんど無くなった。
母親に誘われても、断る文句はいつも
「仕事が忙しいから無理」
もはや、どうやって家族の中で、愛をみつけていったらいのか、わからなかった。
だから、仕方がなかった。
「仕事なんだから、仕方がないでしょう」
と、さんざん、教え込まれたとおりに、
「仕事が忙しくて、家族とは関わらない。それは仕方がない」
という観念しか、持てなかった。
なぜなら、そう、教えられたから。
仕事って、なんだ?
健やかに、心地よく生きていくためには、収入は必要。
仕事は、不可欠。
それは、当然だ。
仕事しなければ、税金も、携帯電話も、家賃も、支払えないから、この現実社会で、快適に暮らすことができない。
だから、当然、仕事をしなければ生きていけない。
でも、仕事って、なんだ?
愛よりも、大事なのか?
呪いにかかっていないか?
仕事という「悪魔」に乗っ取られていないか?
愛って、なんだ?
後回しにしても、いいのか?
後回しにしたのなら、いつ、それは再びやってくるのか?
いま、一瞬、一瞬は、もう二度と戻ってこない。
時間は、止まらない。
あとにも、戻らない。
後回しにした「愛」は、もう、二度と取り返しがつかない。
仕事って、なんだ?
愛よりも、大事なのか?
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