2017年07月03日

人生の中での優先順位は?



どうしても腑に落ちないことがある。

この世界に生きていて・・・・、世間の人々を見ていて・・・・

なぜ、そんなに仕事の犠牲にならなければ、生きていけれないのだろう。

どうして、仕事が忙しいために、なにもかも、我慢しなければいけないのだろう。

なんのために、生まれたのだろう。

世界中のどこの国にいっても、結局、みんな「仕事が忙しい」の悪魔に憑りつかれている。

日本は、その悪魔が、世界中のどの国よりも、根深いと感じる。


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数か月前に、日本で、ラジオから聞こえてきたこと。

ラジオのパーソナリティーは、

「仕事が忙しくて、なかなか、帰れなくて、休めなくて、恋人ができても長く続かない人が増えている」という内容のことを言っていた。

そして、「まあ、仕方がないよねぇ〜」と、それに対して、そのパーソナリティーは言っていた。

「どうしようもないんだよね、でも、なんとかならないものかね〜」みたいな話し方だった。

わたし、納得できない。

なんのために生きている?

大切な人と愛を育む時間もないほど働いて、仕事を最優先に生きて、それはいったい、なんのための人生なんだ?

わたしたちは、愛を学ぶために、この地球に生まれてきたのだというのに。

そして、「仕方がないよねぇ〜」で、他人事のように済ませてしまう、そんな世間にもわたしには同意できない。

なにやってるんだ、人間たちは。

会社のネジの一本になるために、この生命を授かったわけではない。


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わたしは、別に、仕事をやめろとか、仕事するなとか、そういうことを言っているわけではなくて。

仕事をするのは、当然だ。 

そういう現代社会だから、もちろん、仕事をしなければならない。

でも、仕事を、人生の「最優先」にするのは、違うのではないか、ということ。

「愛する」ってなんですか。

仕事してくたくたに疲れた自分を、癒してくれてる誰かを探してるんですか。

癒されるから、その人を愛するんですか。

それじゃあ、仕事してなければ、疲れてなければ、その人を愛することができないじゃないか。

そんなのは、愛じゃないと思う。

そんな関係は、すぐに壊れる。


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仕事を愛している?

でも、仕事は、あなたを愛してはいないだろう。

どうして、仕事を愛していると感じるのか?

仕事から愛されることは、絶対にないというのに。

そこに、どんな、損得利益があるのか? エネルギー交歓があるのか?

きっと、仕事を愛しているのではなくて、「仕事をしている自分を愛している」のだろう。

それは、なぜ?

他人から、認められたいから?

世間から認められる自分じゃなければ、愛せないから。

そして、世間から認められなければ、誰からも愛されないと思っているから。

あなたは、ありのままでは、愛される価値がないのか?

ずっと、誰かから認められるために、頑張り続けるのか?

ありのままの自分を否定し続けるのか?


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仕事して、くたくたに疲れてい帰ってくると、子供がわがまま言って、さらに疲れさせる・・・・、だからうちの子は手のかかる悪い子だ・・・・って。

それは、子供のせいにしているだけではないか。

子供の「自然な生き方」に愛を感じられないほど、仕事を優先してしまって、盲目になってしまって、毒に麻痺している、自分のせいなのだとは、思わないのか。

もしも、仕事で疲れていなくて、心に余裕のある状態だったら、きっと、子供の天真爛漫なあれこれも「かわいい個性」と思えるのではないか。

子供は、ただ、いろんなことに興味があり、いろんなことにワクワクしている。

あなたが、毒されて忘れてしまった、すべてを持っているその子供の無邪気さを、仕事最優先の生活を維持するため・・・・、または、お金を稼がなければ生きて行けない、という、ローンを支払うためにお金を稼ぐこと最優先の考え方で、あなたは悪気なく、子供の無邪気さやワクワクを、簡単に握りつぶしてしまうのだろう。

それが、社会で生きていく術だと、教えるのかもしれない。

でも、わたしたち、人間は、お金を稼ぐために生まれてきたわけではない。

仕事を優先に考えてしまうことで、もっとほかの、もっと大事なものを、後回しにしようとしていないか。

「仕事を頑張っている生活」というものを持続したいがゆえに、それをある意味「妨害」するものを、すべて「邪魔者」と見ているのではないか。

子供も、「面倒をかけるもの」と、見えてしまうのかもしれない。

でも、違う見方をしたならば、子供や家族との絆を深めるための時間とエネルギーを邪魔しているのは、反対に「仕事」なのだ、という見解も存在することを忘れてはいけない。




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生まれて来たことに、もっと深みを持たせ、人間本来の「愛」につながっていくことを、後回しにしていないか。

「いつか時間ができたらしよう。 ゆっくり時間がとれるときにしよう」

と思っている、興味のあるあれこれを、きっと誰しも、もっているはず。

でも、確実に言えるのは、

「いつか時間が出来たら・・・」の、その「いつか」は、きっと永遠にやってこない。

おそらく、おばあちゃんやおじいちゃんになったときに、やっと時間がとれたとして、そのころには、そのやりたかったことをするエネルギーは残されていなくて、きっと、ただ朝から晩までテレビを見るだけの生活で、朽ち果てていくのだろう。

「ゆっくり時間がとれるときにしよう・・・・」と言っている、その「ゆっくり時間」は、永遠にとれないだろう。

それは、向こうからやってくるものではなくて、自分で意図して作らなければ、存在しないものだから。


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人生における、優先順位は、あなたにとって、いま、どうなっているのか。

「幸福」になりたいと、みんな願っているのではないか。

それなのに、「幸福」だと感じること、または、感じるであろうことを、後回しにしていないか。

仕事ってなんだ?

お金を得る手段か。

ローンを支払うための手段か。

または、ただ、人から・・・・世間から・・・・認められたいからか。

認められると、嬉しいから、頑張るのか。

じゃあ、認められなかったら、幸福ではないのか。

そしたら、一生、頑張り続けて、人から認められることを期待して、本来の自分ではない姿で生きるのか。

それは、本当の意味で、幸福なのか。

人から認められないと、どうして、だめなのか。

人生の中での優先順位が、間違っているんじゃないか。

仕事って、なんだ?

家族のつながりよりも、仕事が大事なのか?

愛よりも、仕事が大事なのか?

自分をきちんと生きることよりも、仕事が大事なのか?

仕事は、外側の出来事に過ぎない。

仕事は、あなたそのものではない。

あなたは、自分の人生に向き合うことから目を背け、仕事が自分だと思い違いしているのではないか。

仕事は、あなたではない。

仕事は、あなたを愛してくれることは、絶対にない。

愛されたいと願っているのに、あなたは、なぜ、愛を注ぐべき対象を、すり替えるのか。

仕事をしてはいけない、と言っているわけではない。

仕事をすることは、生きていくうえで不可欠。 大事なこと。

でも、生きていくうえで、最優先にするべきことは、あなたの「幸福」と「愛」なのではないか。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:42| 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする