どうしても腑に落ちないことがある。
この世界に生きていて・・・・、世間の人々を見ていて・・・・
なぜ、そんなに仕事の犠牲にならなければ、生きていけれないのだろう。
どうして、仕事が忙しいために、なにもかも、我慢しなければいけないのだろう。
なんのために、生まれたのだろう。
世界中のどこの国にいっても、結局、みんな「仕事が忙しい」の悪魔に憑りつかれている。
日本は、その悪魔が、世界中のどの国よりも、根深いと感じる。
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数か月前に、日本で、ラジオから聞こえてきたこと。
ラジオのパーソナリティーは、
「仕事が忙しくて、なかなか、帰れなくて、休めなくて、恋人ができても長く続かない人が増えている」という内容のことを言っていた。
そして、「まあ、仕方がないよねぇ〜」と、それに対して、そのパーソナリティーは言っていた。
「どうしようもないんだよね、でも、なんとかならないものかね〜」みたいな話し方だった。
わたし、納得できない。
なんのために生きている?
大切な人と愛を育む時間もないほど働いて、仕事を最優先に生きて、それはいったい、なんのための人生なんだ?
わたしたちは、愛を学ぶために、この地球に生まれてきたのだというのに。
そして、「仕方がないよねぇ〜」で、他人事のように済ませてしまう、そんな世間にもわたしには同意できない。
なにやってるんだ、人間たちは。
会社のネジの一本になるために、この生命を授かったわけではない。
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わたしは、別に、仕事をやめろとか、仕事するなとか、そういうことを言っているわけではなくて。
仕事をするのは、当然だ。
そういう現代社会だから、もちろん、仕事をしなければならない。
でも、仕事を、人生の「最優先」にするのは、違うのではないか、ということ。
「愛する」ってなんですか。
仕事してくたくたに疲れた自分を、癒してくれてる誰かを探してるんですか。
癒されるから、その人を愛するんですか。
それじゃあ、仕事してなければ、疲れてなければ、その人を愛することができないじゃないか。
そんなのは、愛じゃないと思う。
そんな関係は、すぐに壊れる。
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仕事を愛している?
でも、仕事は、あなたを愛してはいないだろう。
どうして、仕事を愛していると感じるのか?
仕事から愛されることは、絶対にないというのに。
そこに、どんな、損得利益があるのか? エネルギー交歓があるのか?
きっと、仕事を愛しているのではなくて、「仕事をしている自分を愛している」のだろう。
それは、なぜ?
他人から、認められたいから?
世間から認められる自分じゃなければ、愛せないから。
そして、世間から認められなければ、誰からも愛されないと思っているから。
あなたは、ありのままでは、愛される価値がないのか?
ずっと、誰かから認められるために、頑張り続けるのか?
ありのままの自分を否定し続けるのか?
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仕事して、くたくたに疲れてい帰ってくると、子供がわがまま言って、さらに疲れさせる・・・・、だからうちの子は手のかかる悪い子だ・・・・って。
それは、子供のせいにしているだけではないか。
子供の「自然な生き方」に愛を感じられないほど、仕事を優先してしまって、盲目になってしまって、毒に麻痺している、自分のせいなのだとは、思わないのか。
もしも、仕事で疲れていなくて、心に余裕のある状態だったら、きっと、子供の天真爛漫なあれこれも「かわいい個性」と思えるのではないか。
子供は、ただ、いろんなことに興味があり、いろんなことにワクワクしている。
あなたが、毒されて忘れてしまった、すべてを持っているその子供の無邪気さを、仕事最優先の生活を維持するため・・・・、または、お金を稼がなければ生きて行けない、という、ローンを支払うためにお金を稼ぐこと最優先の考え方で、あなたは悪気なく、子供の無邪気さやワクワクを、簡単に握りつぶしてしまうのだろう。
それが、社会で生きていく術だと、教えるのかもしれない。
でも、わたしたち、人間は、お金を稼ぐために生まれてきたわけではない。
仕事を優先に考えてしまうことで、もっとほかの、もっと大事なものを、後回しにしようとしていないか。
「仕事を頑張っている生活」というものを持続したいがゆえに、それをある意味「妨害」するものを、すべて「邪魔者」と見ているのではないか。
子供も、「面倒をかけるもの」と、見えてしまうのかもしれない。
でも、違う見方をしたならば、子供や家族との絆を深めるための時間とエネルギーを邪魔しているのは、反対に「仕事」なのだ、という見解も存在することを忘れてはいけない。
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生まれて来たことに、もっと深みを持たせ、人間本来の「愛」につながっていくことを、後回しにしていないか。
「いつか時間ができたらしよう。 ゆっくり時間がとれるときにしよう」
と思っている、興味のあるあれこれを、きっと誰しも、もっているはず。
でも、確実に言えるのは、
「いつか時間が出来たら・・・」の、その「いつか」は、きっと永遠にやってこない。
おそらく、おばあちゃんやおじいちゃんになったときに、やっと時間がとれたとして、そのころには、そのやりたかったことをするエネルギーは残されていなくて、きっと、ただ朝から晩までテレビを見るだけの生活で、朽ち果てていくのだろう。
「ゆっくり時間がとれるときにしよう・・・・」と言っている、その「ゆっくり時間」は、永遠にとれないだろう。
それは、向こうからやってくるものではなくて、自分で意図して作らなければ、存在しないものだから。
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人生における、優先順位は、あなたにとって、いま、どうなっているのか。
「幸福」になりたいと、みんな願っているのではないか。
それなのに、「幸福」だと感じること、または、感じるであろうことを、後回しにしていないか。
仕事ってなんだ?
お金を得る手段か。
ローンを支払うための手段か。
または、ただ、人から・・・・世間から・・・・認められたいからか。
認められると、嬉しいから、頑張るのか。
じゃあ、認められなかったら、幸福ではないのか。
そしたら、一生、頑張り続けて、人から認められることを期待して、本来の自分ではない姿で生きるのか。
それは、本当の意味で、幸福なのか。
人から認められないと、どうして、だめなのか。
人生の中での優先順位が、間違っているんじゃないか。
仕事って、なんだ?
家族のつながりよりも、仕事が大事なのか?
愛よりも、仕事が大事なのか?
自分をきちんと生きることよりも、仕事が大事なのか?
仕事は、外側の出来事に過ぎない。
仕事は、あなたそのものではない。
あなたは、自分の人生に向き合うことから目を背け、仕事が自分だと思い違いしているのではないか。
仕事は、あなたではない。
仕事は、あなたを愛してくれることは、絶対にない。
愛されたいと願っているのに、あなたは、なぜ、愛を注ぐべき対象を、すり替えるのか。
仕事をしてはいけない、と言っているわけではない。
仕事をすることは、生きていくうえで不可欠。 大事なこと。
でも、生きていくうえで、最優先にするべきことは、あなたの「幸福」と「愛」なのではないか。
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