2017年03月14日

わたしにとっての「ヒーリング」



とあるかたが、ネット上でつぶやいていらっしゃったことに・・・・・・


「ヒーリングに関して、あまり賛成できないところ。 
苦しんでいるかたがたの魂は、その問題を自ら選んでいる。
それは、魂の学びのためであって、それを学ぶことが必要だからこそ、困難はやってきているはず。
だから、その現状をたとえ治めたとしても、それは、本当にその人のためなのかどうか疑問だ。
自分自身を救えるのは自分でしかないし、本当の意味で、一生自分を愛することができるのは、自分でしかない。」


と、こんな感じの内容でした。(文体は変えてありますが)

それに、わたしが反応して、わたしはこんなふうにコメントしましたので、ここでもシェアさせていただきますね。

ヒーリングに関しての、わたしの思う、いまのスタイルです。



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確かにそうですね。 

人を助けたい!と願う人がいるということは、助けられるべき苦しむ人を創造する、仕組みですよね〜。わかります。    

ちょっと、シェアリングさせてくださいね。  

私にとってのヒーリングは、私がその人を癒して解決させるのではなくて、その人が自分の力でそれを学びきる(=癒される)ための、サポートのためと考えています。 

魂の学びは自分でしか学べないものです。

でも、一人ではにっちもさっちもいかない状況も確かにあります。 

深い意味での「癒される」とは、誰かにしてもらうのではなくて、自分で自分の学びを学びきるところにあると感じています。 

そして、それは、自分でしかできませんので、巷にある「ブロック解除!」などは、暫定的になんとか解除されたとしても、また結局引き寄せて、同じことの繰り返しなので賛成しかねます。 

学んでいないのに無くなってしまえば、また同じような学びが来るのですね。 

だから、ご自身で学んでいかれることが必要なのですが、それがどうやったらいいのかわからなくて、ぐるぐると同じところを何年も長い間スパイラルして苦しんでいるかたがたには、「どうやったら学びきることができるのか」のサポートが時には必要となります。 

そういった意味での「ヒーリング」は、執着もエゴも少なく、とてもポジティブです。 

ヒーリングに関してはいろいろな考え方があるのでしょうね。 

この記事を読ませていただいて、私の思うヒーリングというスタイルを確認する、よい機会となる記事でした。

ありがとうございました〜。


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と、こんな感じのコメントをしましたが、批判でもなんでもなく、そのかたが想いをシェアしてくださったことで、わたしも自分の想いをシェアできたのですね。

シェアリングって、素晴らしいです。




このコメントに書いた想いは、わたしのヨーガの指導スタイルとも同じです。

誰かに癒してもらうのではなくて、自分で癒されていくのです。

ヨーガでは、肉体からの感覚・情報で、自分を理解していくことで、自然とそれを学んでいくのです。

わたしは、それを、うまく学んで行けれるように、ナビゲイトしています。

わたしのエゴではなく、ごり押しでもなく、ルールでもなく、支配でも、依存でもないかたちで、ナビゲイトすることに努めています。

ヨーガの哲学や、概念や、正確といわれるポーズの形を目指したり、ポーズの名前を覚えたり、うまくできたとか、へたくそだとか、そういう、がんじがらめの不自由さは、まったく利用しません。

自分自身のポーズさえも、見せない時があります。

なぜなら、参加者がそれを目指してしまう気持ちが現れたり、そこまでできない劣等感を生まれさせてしまったり、はたまた、私自身の中に支配欲や優越感が芽生えてしまうことを避けるためです。

先日、ちらっとみた記事のことですが・・・

わたしとしては、ヨーガの競技会?みたいな会で、すごい成績を修めた・・・・というヨーガティーチャーは、あまり賛成しません。(個人的主観と思っていただいて結構です)

だって、その競技会?のような競い合って出来不出来を評価しあう会・・・・という存在自体が「ヨーガ」から遥か彼方の遠い思想ですし、

また、それに、「参加しよう!」と応募するヨギーも、競争心や、認められたい欲、優劣思考、でのことでしょうから、それも、ヨーガからは程遠い思想ですよね。

世間では、そういった、ポーズがきれいにできて、それを評価されているかたがたを「すごいヨギーだ!」という目で見るのだと思いますが、わたしとしては「すごいエゴ丸出しだ!」と思ってしまうのです。



とはいえ、

私自身がまったくエゴのない人間だ・・・・というわけではなく、それが「エゴだよね〜」と気づくということは、私の中にも同じような性質を持っているからなわけで、

それに気づかせていただけるので、すべての出来事はありがたいことです。

この件でいえば、私自身がアーサナよりも瞑想のほうが好きなこともあるので、ポーズができてナンボ!みたな、身体くにゃくにゃを見せびらかすヨーガは好きじゃない・・・というところからくる、葛藤がいろいろあるからですね、きっと。

外側で起こっている出来事に、なにかしら反応している自分は、すべて、自分の内側を反映しているのだということですね。

人間関係の中で生きていると、毎日、毎瞬、毎瞬が、自分の内側への気づきの連続ですね。

日々、進化しているので、また、来年はもっと新しいスタイルのビジョンが見えているのかもしれませんが、いまのわたしの想うところを書きました。















posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:12| わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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