2017年01月22日

ドイツ10「Yoga World in Munchen」



ミュンヘンで行われていたヨガのフェスティバルに行ってみました。

日本でも毎年1回行われてますね。


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うーん、なんとも賛成できないです・・・・

うん、ヨーロッパの人々は美しいです。 そして、見た目も、スタイルも、とてもかっこいいで

でも、スタイルだけとても美しいけれど、ヨーガの本質(スピリチュアリティ)がまったく足りないです。

すっごく、残念だけど、文化が違うから仕方ないと、受け入れます。





西洋人の彼らは、ヨーガの概念である「カルマ」や「輪廻転生」を信じないかたがた。

この人生が終わったら、もう終わり、だから楽しく生きるのだ!という、考え方。

瞑想や、ヨーガなども、自分の人生が快適になるため・・・・・、仕事の能率があがるため・・・・、美しくなるため・・・・・にやっているだけの人たち。

言葉だけで「ワンネス」とか、「AUM」とか、言っているけど、ただスタイルだけのかたがほとんどです。

本当の意味で、スピリチュアルな方は本当に少ないな、という感想。




これまでも、ドイツで、

友人からの紹介などで、スピリチュアルなかたや、ヨーガティーチャーや、シャーマニックなワークをさせれているかたに、何人もお会いしましたけれど、

やはり・・・・・、ちょっと自然じゃないんだよね。

なんていうのか、根底に流れている「真理」への接し方が違うというか・・・・。

見えているところが違う・・・・・というか。

それが、悪いわけじゃないんだけど、やはり、「違う」んだな。

「違う」と感じることは否定ではなくて、ただ「違う」だけだから、仕方がないこと。

「違って」も別にいいと思うのだけれど、日本人的なパターンで「人と違うのはだめなこと」と否定してしまう気持ちが、うっかり現れそうになってしまうから、気を付けなければ。

それは、本当のわたしの「本質」ではないからね。



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でも、やはり、東洋の思想は、西洋人の根底には持ち合わせていないのだな、と改めて実感しました。

でも、西洋人は、アジア人と違って見た目がかっこいいから、目立つから得だよね。

日本でも、なぜか、アメリカ人とかヨーロッパ人のヨーガティーチャーのワークショップが大人気で、みんなトキメイて参加するけれど、

本当の意味でのスピリチュアリティを追及するヨーガであれば、やはり、アジア人のティーチャーのほうが深いと思う。

付け加えていえば、インド人もただの「テープレコーダー」の人たちが多くて、実際にきちんと「自分で」感じている人たちはとても少ないです。

ただ、生まれた時からヒンズー教の教えの中にいるから、ヒンズー教をベースとしているヨーガの知識だけはたっぷり持っています。

だから、自信満々にもっともなことを言います。

だからといって、本当の意味で「すごい人」とは限らないのです。









お話変わって・・・・・

キルタン・・・という、神さまに歌を捧げる祈りの会があります。

バジャンをみんなで、交互に歌うことです。



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これは、本当に神聖な歌う瞑想で、宇宙とつながるチューニングになります。

わたしのこれまでの経験の中には、インドのサイババアシュラムで、とても集中してバクティ(帰依)の気持ちで聖なる歌を歌っていましたら、

手首から金粉が出てきた・・・・・という不思議なことが起こったこともあります。

それほど、次元を超える神聖な時間なのです。






でも、西洋人のキルタンは・・・・・・・・・・・

まるで、ディスコみたいに、ヒューヒュー、イエーイ!・・・・と踊りまくっていました。

楽器の演奏も、ボーカルの人も、まるでライブハウスのように激しくて。

いや、踊るのが悪いわけじゃないのです。

激しく楽器を演奏するのが悪いっていうわけじゃないのです。

わたしだって、祈りとしていつも踊っています。

そこに、「祈り」や「世界平和への願い」や「信仰」があれば、スピリチュアルと言ってもよいと思うのです。

日本の神社でも巫女さんが踊りますし、ベリーダンスも、インドダンスも、もとはと言えば、全部、神に捧げる踊りです。

でも、ドイツの彼らからは、神聖な想いはまったく伝わってこなかったんです。

ただ、気持ちがよい、ただ、自分が大好き!、楽しい!ヒャッホー!・・・・で踊っているんですね。

別にいいんです、楽しく踊ることは。 よいじゃないですか。悲しんでるより。

でもね、それだったら、ディスコにいけばいい。

なにもそこに、神聖な祈りの儀式である「キルタン」という名前をつけなくてもよいじゃないか。

なんにも知らずに参加した人は、こういうものが「キルタン」なのだと、思ってしまうではないか。

なんだか、とても、腑に落ちないし、納得いかないし、賛成できないですが・・・・・

でも、仕方がないのです。 だって、彼らはアジアの宗教性は持ち合わせていないのですから。




わたしは・・・・・その場にいて・・・・・・

がっかりしたり・・・・・、嫌になったり・・・・・、イライラしたり・・・・・・

いろんな感情が現れて、そんな「レアな状態の自分」を内観するために、あえて、その場を去らずに滞在していましたが・・・・

最終的には、受けいれました。

だって、西洋の文化を変えることはできないですから。

彼らが、それのスタイルが居心地が良くて好きなのならば、そうしたらよい。

ケンカしあっているよりは、ハッピーで踊っているほうがましだし。

でもね、

わたしは、わたしの信念を変えようとはしない。

彼らとの「違い」は受け入れるけれど、彼らを変えようとはしないけれど、わたしはわたしの好ましい道を行く。

否定はしないけれど、でも、郷には従わない。

だって、ただの「文化の違い」だから。

それぞれが、それぞれの「よい」と思うスタイルで、世界平和に貢献すればいい。

わたしは、わたしの「心地の良いスタイル」で、スピリチュアリティと世界平和の祈りを貫き通します。

西洋人も同じ人間ですから、「刷り込まれて」来た文化が違ったとしても、根本的な源である「魂」はひとつ。

わたしが感じているスピリチュアリティが、どれだけ通じてくれるかわからないけれど、ヨーロッパで伝えていきたい・・・・と思いました。

わたしが友達でいるドイツ人たちは、仏教や禅に興味がある方が多いので、わりと話が通じます。

きっと、西洋人の中でも、スピリチュアルなお話に興味がある人たちがいるはず。

そこに、彼らが好きな「心理療法」や「心身健康法」なども織り交ぜていけば、きっと、通じるはず。

わたしは、わたしの「ヨーガ」を、伝えていきたいな。

すっごい大変そうだけど、信じる道を、ただ進むべし!

です!



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:49| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする