世界平和を祈り、瞑想しながら歩くタイのお坊さんたちを、わたしがボランティアをしているマハボディでお迎えしました。



僧侶たちは、タイからやってきて、インドのダラムサラを5/21に出発し、ラダックのここ、マハボディに6/17に到着しました。


この期間中、歩きながら瞑想し、世界平和のために祈りを捧げヒマラヤを目指しました。
僧侶の中には、裸足で歩いてきたかたもいらっしゃいました。

わたしも、日本やネパールなどでピースウォークの祈りの行脚に何度も参加させていただいたことがありますが、
こうして、仏教誕生の国、そして私の魂の故郷インドでも、仏教の僧侶たちと祈り歩く機会が与えられましたことは、
まさに、お釈迦さまの祝福であり、本当に、この素晴らしい機会に偶然にも恵まれたことを、心から心から感謝いたします。


わたしも、一日だけ行脚に参加させていただきました。


タイの僧侶たちは70名くらい。
そこに、ラダックの僧侶と現地の人々が加わって、総勢200名ほどで、ラダックの村を祈り歩きました。


タイの僧侶もラダックの僧侶も、現地の人々も、それぞれの国の祈りのマントラを唱えていましたので、
わたしも日本の仏教のマントラを唱えながら歩きました。


わたしは、祈りの中にいるときが、本当にしっくりと落ち着きます。


「祈り」・・・・は、苦しみや怒りや欲から行うものではなく、
神仏との融合の「至福」の中で行うものだと、深く感じます。

最終的に「祈り」とは、「こうなってほしい」と願うことではなく、「すべて神にお任せする」という行為だと感じます。
宇宙目線で見た「最善」を祈ること・・・・、それは、「こうなってほしい」というエゴをすべて捨てたところに行きつくと感じます。
何が起こっても、すべてあるべくして起こる・・・・。


わたしの「無条件の愛」は、とてもちっぽけすぎて、まだまだ足りないから、
「宇宙の無条件の愛」が、ひとびとを祝福しますように、と祈ります。


このかたが、マハボディの創始者です。

素晴らしい慈悲の波動で、彼の説法は本当に慈悲に溢れ、愛に溢れ、わたしは涙が出てきてしまいます。
尊敬しています。
日本人のわたしはシャイなので、話しかけることも恥ずかしくて、モジモジしてしまうのですが、
いつかこの僧侶を日本にお招きすることができたら・・・・・と夢見ています。

ラダッキーの友人にラダック伝統衣装を借りて、かなりご機嫌です。

クルリ、と回ってみたりして・・・!

わたしの生きる人生の、すべての時間が「祈り」となりますように。
生活の中のすべての行動が「礼拝」となりますように。
心がけて、生きたい。
「生きていること」そのものが、「礼拝」となりますように。

私の人生に関わるすべての出来事、人々をアイシテイマス。
そこから受け取る、誠実で、真摯で、繊細なわたしの感性を、アイシテイマス。

世界が平和になりますように・・・・・
心から祈ります。

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