2016年06月22日

インド20「タイの僧侶と祈りの行進」



世界平和を祈り、瞑想しながら歩くタイのお坊さんたちを、わたしがボランティアをしているマハボディでお迎えしました。

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僧侶たちは、タイからやってきて、インドのダラムサラを5/21に出発し、ラダックのここ、マハボディに6/17に到着しました。


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この期間中、歩きながら瞑想し、世界平和のために祈りを捧げヒマラヤを目指しました。

僧侶の中には、裸足で歩いてきたかたもいらっしゃいました。


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わたしも、日本やネパールなどでピースウォークの祈りの行脚に何度も参加させていただいたことがありますが、

こうして、仏教誕生の国、そして私の魂の故郷インドでも、仏教の僧侶たちと祈り歩く機会が与えられましたことは、

まさに、お釈迦さまの祝福であり、本当に、この素晴らしい機会に偶然にも恵まれたことを、心から心から感謝いたします。


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わたしも、一日だけ行脚に参加させていただきました。


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タイの僧侶たちは70名くらい。

そこに、ラダックの僧侶と現地の人々が加わって、総勢200名ほどで、ラダックの村を祈り歩きました。


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タイの僧侶もラダックの僧侶も、現地の人々も、それぞれの国の祈りのマントラを唱えていましたので、

わたしも日本の仏教のマントラを唱えながら歩きました。


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わたしは、祈りの中にいるときが、本当にしっくりと落ち着きます。



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「祈り」・・・・は、苦しみや怒りや欲から行うものではなく、

神仏との融合の「至福」の中で行うものだと、深く感じます。


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最終的に「祈り」とは、「こうなってほしい」と願うことではなく、「すべて神にお任せする」という行為だと感じます。

宇宙目線で見た「最善」を祈ること・・・・、それは、「こうなってほしい」というエゴをすべて捨てたところに行きつくと感じます。

何が起こっても、すべてあるべくして起こる・・・・。


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わたしの「無条件の愛」は、とてもちっぽけすぎて、まだまだ足りないから、

「宇宙の無条件の愛」が、ひとびとを祝福しますように、と祈ります。



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このかたが、マハボディの創始者です。


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素晴らしい慈悲の波動で、彼の説法は本当に慈悲に溢れ、愛に溢れ、わたしは涙が出てきてしまいます。

尊敬しています。

日本人のわたしはシャイなので、話しかけることも恥ずかしくて、モジモジしてしまうのですが、

いつかこの僧侶を日本にお招きすることができたら・・・・・と夢見ています。



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ラダッキーの友人にラダック伝統衣装を借りて、かなりご機嫌です。


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クルリ、と回ってみたりして・・・!


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わたしの生きる人生の、すべての時間が「祈り」となりますように。

生活の中のすべての行動が「礼拝」となりますように。

心がけて、生きたい。

「生きていること」そのものが、「礼拝」となりますように。


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私の人生に関わるすべての出来事、人々をアイシテイマス。

そこから受け取る、誠実で、真摯で、繊細なわたしの感性を、アイシテイマス。



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世界が平和になりますように・・・・・

心から祈ります。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2016.5-7 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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