2016.5.12の三日月の日。
天空の森にて、裸になり神と光と自然と踊りました。
画家の友人が、わたしのありのままの姿を描いてくれました。
「森の中でヌードの絵を描いてほしい!」と私から彼女に依頼をしたのは3月の初旬、前回のインドから帰国してすぐのことでした。(描いてもらったあと、すぐに次のインド・・・魂の進化の旅・・・へと旅立ち、いまインドにいます)
そして、神が用意してくれたこの輝かしい日は、図ったように、わたしの人生にとって最高で最善のタイミングであり、大きなターニングポイントでした。

あの日・・・。雲ひとつない、真っ青な快晴の日。
小川の優し気なせせらぎと、
鳥たちの無邪気な鳴き声と、
前日までの雨上がりの土のにおい、
木漏れ日の緩やかな輝き、
虫がわたしを面白そうに観察し、
にょきにょきと、コロコロと無数の森の精霊たちが現れて、
完全なる、瞬間と、瞬間の、間の隙間に、するり、するりと滑りこむようにして、
わたしは、すべてを脱ぎ去ったただのあるがままの姿で、肌で・・・魂で・・・宇宙と地球を感じながら、森羅万象と共に喜びに震えました。
それは、わたしの新しい人生の幕開けに、完璧なタイミングでした。
明日の満月をここ、インドのラダックで迎えるため、アップします。
今のわたしの一瞬の真実である記憶として保管しておきたいのと、
このエネルギーをシェアをすることでご縁のある方の魂にも響くと感じまして、恥ずかしい気持ちもありますが、思い切ってアップします。
ひっそりと、魂レベルでお役に立てましたら光栄です。
インドより愛をこめて。
合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ
***************
◎画家の友人のコメント◎
☆5月12日
三日月
天空の森にて
木の葉がささやき
木漏れ日の中
宇宙銀河の川に触れ
美しく花開く蓮の花は光の闇を統合し 万物の生命に光を与える
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◎わたしのコメント◎
あの日の森・・・・・。
流れが、緩やかにシフトチェンジする助けとなりました。
わたしは、「わたし」であるところの神をしっかりと見て、感じ、そして、それを確かに信じることで、
静かに感動の波がわたしの肌を細胞レベルからピカピカと輝かせ、わたしは、自分の肌・・・身体のヒカリにみとれました。そしていまもなお、わたしを継続的に小さく震わせ続けています。
あの日、わたしがそれを確信したことで、地球に属するあらゆる存在たちが、わたしに祝福をしに現れ、歓びのメロディーを与え、近くから、遥か遠くから、いまもまだセレブレイションは空間を超えて続いています。
***
光が大きければ大きいほど、闇も深くどこまでもダークで・・・、それはすべてのバランスからの真実であり・・・・・、
その光と闇も、丸ごと全部、抱きしめることが喜びであるという生きかたを、わたしは選択しました。
宇宙は、その覚悟を決めた私を、大きく開けて迎え入れ、どこまでもどこまでも、深い闇へと招待しました。
それは、まばゆい光とのパラレルワールドになっていて、光は影であり、闇はヒカリであるということを、わたしのライトボディーのすべてで認識し、そして、その強大なうねりの中で、わたしは「恐れ」をすべて卒業し、ただただ、わたしの肉と、わたしのヒカリは、地球と踊り戯れました。
スペシャルなわたしのあの時間は、わたしに、肉体を持つ人間としての広大な可能性を見せてくれました。
***
翌週、絵が完成し、それを手にして感じた瞬間。
あの時、わたしは、わたしの死ぬ時期がわかりました。
それはそう遠くなく、わたしは、そのとき死ぬのだということがわかりました。
それは、わたしが肉体を離れることなのかもしれないし、または、「人間」という存在をやめるときなのかもしれない。
どちらでもよいと思いました。
肉体を離れて、この人生が終わる意味での死だとしても、生きながらにして「人間」を超越する意味だとしても、どちらでもわたしは怖くありません。
死を知ったことで、わたしは「だから生きるのだ」と、覚悟が決まりました。
わたしは、わたしにだけ許されたこと、「わたし」をまっとうすることに、覚悟が決まりました。
なにも怖くなくなると、自分を心底、信じることができます。
自分をとことん信じていると、他者の「闇」であるダークネスが、とても愛しく見えてきます。
これまで、他者に反映・投影として見ていたであろう、嫌悪していたダークネスであっても、それも、すべて、愛しくて仕方がない。
抱きしめたい。
優越も、敵も、味方も、なにもかもは幻であるだけでした。
***
わたしは、わたしを溺愛する。
愛し尽くして、愛を踊り続ける。
そうすることで、どれだけたくさんのかたの、助けになるか・・・・。 それを知っている。
わたしは、すっかり、「わたし」を生きる覚悟ができました。
ただ、ただ、生きる歓びに、生きていく。 そうすることが、わたしの世界への愛の表現。
だから、わたしは、生きるのだ。
生きるということは、死と向き合うこと。
光と闇がパラレルワールドに存在するように・・・・・見える世界と見えない世界が二重に存在しているように・・・・・有限と無限が共存しているように・・・・・・・生きるということは死に向かうということと等しい。
今日は、昨日よりも、確実に、一日、死(モクシャ・解脱)に近づいている・・・・。
この陰と陽・・・・世界は、なんて美しいんだろう。
わたしが人間を終えるときまで、わたしは「わたし」を、愛のままに生きる。
歓びが、わたしを震わせています。

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