2016年05月21日

裸のワタシ



2016.5.12の三日月の日。

天空の森にて、裸になり神と光と自然と踊りました。

画家の友人が、わたしのありのままの姿を描いてくれました。

「森の中でヌードの絵を描いてほしい!」と私から彼女に依頼をしたのは3月の初旬、前回のインドから帰国してすぐのことでした。(描いてもらったあと、すぐに次のインド・・・魂の進化の旅・・・へと旅立ち、いまインドにいます)

そして、神が用意してくれたこの輝かしい日は、図ったように、わたしの人生にとって最高で最善のタイミングであり、大きなターニングポイントでした。



森の画家.jpg




あの日・・・。雲ひとつない、真っ青な快晴の日。

小川の優し気なせせらぎと、

鳥たちの無邪気な鳴き声と、

前日までの雨上がりの土のにおい、

木漏れ日の緩やかな輝き、

虫がわたしを面白そうに観察し、

にょきにょきと、コロコロと無数の森の精霊たちが現れて、

完全なる、瞬間と、瞬間の、間の隙間に、するり、するりと滑りこむようにして、

わたしは、すべてを脱ぎ去ったただのあるがままの姿で、肌で・・・魂で・・・宇宙と地球を感じながら、森羅万象と共に喜びに震えました。

それは、わたしの新しい人生の幕開けに、完璧なタイミングでした。




明日の満月をここ、インドのラダックで迎えるため、アップします。

今のわたしの一瞬の真実である記憶として保管しておきたいのと、

このエネルギーをシェアをすることでご縁のある方の魂にも響くと感じまして、恥ずかしい気持ちもありますが、思い切ってアップします。

ひっそりと、魂レベルでお役に立てましたら光栄です。




インドより愛をこめて。
合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ




***************




◎画家の友人のコメント◎




☆5月12日

三日月




天空の森にて




木の葉がささやき 

木漏れ日の中

宇宙銀河の川に触れ 

美しく花開く蓮の花は光の闇を統合し 万物の生命に光を与える




**************




◎わたしのコメント◎

あの日の森・・・・・。

流れが、緩やかにシフトチェンジする助けとなりました。

わたしは、「わたし」であるところの神をしっかりと見て、感じ、そして、それを確かに信じることで、

静かに感動の波がわたしの肌を細胞レベルからピカピカと輝かせ、わたしは、自分の肌・・・身体のヒカリにみとれました。そしていまもなお、わたしを継続的に小さく震わせ続けています。

あの日、わたしがそれを確信したことで、地球に属するあらゆる存在たちが、わたしに祝福をしに現れ、歓びのメロディーを与え、近くから、遥か遠くから、いまもまだセレブレイションは空間を超えて続いています。


***


光が大きければ大きいほど、闇も深くどこまでもダークで・・・、それはすべてのバランスからの真実であり・・・・・、

その光と闇も、丸ごと全部、抱きしめることが喜びであるという生きかたを、わたしは選択しました。

宇宙は、その覚悟を決めた私を、大きく開けて迎え入れ、どこまでもどこまでも、深い闇へと招待しました。

それは、まばゆい光とのパラレルワールドになっていて、光は影であり、闇はヒカリであるということを、わたしのライトボディーのすべてで認識し、そして、その強大なうねりの中で、わたしは「恐れ」をすべて卒業し、ただただ、わたしの肉と、わたしのヒカリは、地球と踊り戯れました。

スペシャルなわたしのあの時間は、わたしに、肉体を持つ人間としての広大な可能性を見せてくれました。


***


翌週、絵が完成し、それを手にして感じた瞬間。

あの時、わたしは、わたしの死ぬ時期がわかりました。

それはそう遠くなく、わたしは、そのとき死ぬのだということがわかりました。

それは、わたしが肉体を離れることなのかもしれないし、または、「人間」という存在をやめるときなのかもしれない。

どちらでもよいと思いました。

肉体を離れて、この人生が終わる意味での死だとしても、生きながらにして「人間」を超越する意味だとしても、どちらでもわたしは怖くありません。

死を知ったことで、わたしは「だから生きるのだ」と、覚悟が決まりました。

わたしは、わたしにだけ許されたこと、「わたし」をまっとうすることに、覚悟が決まりました。

なにも怖くなくなると、自分を心底、信じることができます。

自分をとことん信じていると、他者の「闇」であるダークネスが、とても愛しく見えてきます。

これまで、他者に反映・投影として見ていたであろう、嫌悪していたダークネスであっても、それも、すべて、愛しくて仕方がない。

抱きしめたい。

優越も、敵も、味方も、なにもかもは幻であるだけでした。


***


わたしは、わたしを溺愛する。

愛し尽くして、愛を踊り続ける。

そうすることで、どれだけたくさんのかたの、助けになるか・・・・。 それを知っている。

わたしは、すっかり、「わたし」を生きる覚悟ができました。

ただ、ただ、生きる歓びに、生きていく。 そうすることが、わたしの世界への愛の表現。

だから、わたしは、生きるのだ。

生きるということは、死と向き合うこと。

光と闇がパラレルワールドに存在するように・・・・・見える世界と見えない世界が二重に存在しているように・・・・・有限と無限が共存しているように・・・・・・・生きるということは死に向かうということと等しい。

今日は、昨日よりも、確実に、一日、死(モクシャ・解脱)に近づいている・・・・。

この陰と陽・・・・世界は、なんて美しいんだろう。

わたしが人間を終えるときまで、わたしは「わたし」を、愛のままに生きる。

歓びが、わたしを震わせています。



裸の私.jpg







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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