2016年03月10日

故郷ほっこり



いそいそと、

母がわたしにコーヒーを入れてくれる。

夕飯を作ってくれる。

みかんを出してくれる。

せんべいを出してくれる。

お風呂が沸いているから入っていきな、と言ってくれる。




わたしは、

イタリアンレストランでランチをごちそうしてあげる。

母に、ちょっとオシャレな服を着せる機会を作ってあげる。

愚痴を聞いてあげる。



母は、

今日はユキがいるから・・・と、テレビを消してくれる。(私はテレビが嫌い)

ユキがインドにいる間、もしも何かあったら・・・と、パスポートを作った・・・と笑った。



わたしは、

「インドに連れてってあげようか」と聞いてみる。

母は、顔を濁し、生活の変化はあまり好まない。



わたしがいると、母はとても安らいでみえる。

わたしは、母の笑顔が好きだ。



帰り道。

車を運転中、わたしは赤信号で止まっていた。

信号を待っていた自転車の制服の女子学生が、信号が青に変わり横断歩道をゆっくりと渡り始めた。

女子学生は、鼻を真っ赤にして、つるつるのホッペに涙を流しながら自転車をこいでいた。

じっ・・・と女子学生をみつめる私。

思春期のあれこれが、彼女の涙を流させたのだろう。

胸が、キュンとするなぁ。

子供のころから、感受性豊かな、わたしの姿を思い出す。

とはいえ・・・・いまもなお・・・・・

わたしは、永遠の思春期。

この年になっても、歩きながら・・・、車の運転をしながら・・・、スーパーで買い物をしながら・・・、

頻繁に、涙を流すことがある。

泣きじゃくることもある。

繊細に、たくさんのものを受け取り、

それを大事に味わっている。

無垢で、ピュアで、無邪気に、

おばあちゃんになるまで、

ハートを開いて、感受性を大切にしていきたい。


森義雄花火と少女s.jpg









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここに書かれている事を読んでいると、自然と涙が出ますね。

共に生きる時間が、無限に与えられている訳ではないと、ふと、気がついてしまうからか。それなのに、そこにある愛が、距離や時間に制限される事が一切ないと、深く知ってしまうからか。

何事も、感じ方次第なのかもしれないけれど...
一瞬の積み重ねこそが愛そのもので、平等に、みんなにあるものなのだとも、感じた気もしました。

自分の心が、何に反応したり必要としているのか、そんな事を考える素晴らしい機会になりました。
Posted by M at 2016年03月11日 00:29
Mさん
コメントありがとうございます。
生きるって、美しいですよね。
人生での時間の中で起こる出来事や、出会う人々、自身で感じること、湧き上がってくるものは、すべてが、素晴らしい芸術だと、しみじみと感じます。

Posted by ラクシュミナラヤニ ユキ at 2016年03月13日 12:21
わたしもテレビが嫌いです。うるさく感じてしまって。

ラクシュミさんとても優しいのですね。
癒されます。
もうすぐ春です。山は景色が綺麗ですね。
Posted by ネイル子 at 2016年03月17日 10:26
ネイル子さん
母は本当に、ありがたいです。
わたしのルーツですから、私自身を愛するように、母も愛していきたいです。
Posted by ラクシュミナラヤニ ユキ at 2016年03月23日 12:58
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