いそいそと、
母がわたしにコーヒーを入れてくれる。
夕飯を作ってくれる。
みかんを出してくれる。
せんべいを出してくれる。
お風呂が沸いているから入っていきな、と言ってくれる。
わたしは、
イタリアンレストランでランチをごちそうしてあげる。
母に、ちょっとオシャレな服を着せる機会を作ってあげる。
愚痴を聞いてあげる。
母は、
今日はユキがいるから・・・と、テレビを消してくれる。(私はテレビが嫌い)
ユキがインドにいる間、もしも何かあったら・・・と、パスポートを作った・・・と笑った。
わたしは、
「インドに連れてってあげようか」と聞いてみる。
母は、顔を濁し、生活の変化はあまり好まない。
わたしがいると、母はとても安らいでみえる。
わたしは、母の笑顔が好きだ。
帰り道。
車を運転中、わたしは赤信号で止まっていた。
信号を待っていた自転車の制服の女子学生が、信号が青に変わり横断歩道をゆっくりと渡り始めた。
女子学生は、鼻を真っ赤にして、つるつるのホッペに涙を流しながら自転車をこいでいた。
じっ・・・と女子学生をみつめる私。
思春期のあれこれが、彼女の涙を流させたのだろう。
胸が、キュンとするなぁ。
子供のころから、感受性豊かな、わたしの姿を思い出す。
とはいえ・・・・いまもなお・・・・・
わたしは、永遠の思春期。
この年になっても、歩きながら・・・、車の運転をしながら・・・、スーパーで買い物をしながら・・・、
頻繁に、涙を流すことがある。
泣きじゃくることもある。
繊細に、たくさんのものを受け取り、
それを大事に味わっている。
無垢で、ピュアで、無邪気に、
おばあちゃんになるまで、
ハートを開いて、感受性を大切にしていきたい。
共に生きる時間が、無限に与えられている訳ではないと、ふと、気がついてしまうからか。それなのに、そこにある愛が、距離や時間に制限される事が一切ないと、深く知ってしまうからか。
何事も、感じ方次第なのかもしれないけれど...
一瞬の積み重ねこそが愛そのもので、平等に、みんなにあるものなのだとも、感じた気もしました。
自分の心が、何に反応したり必要としているのか、そんな事を考える素晴らしい機会になりました。
コメントありがとうございます。
生きるって、美しいですよね。
人生での時間の中で起こる出来事や、出会う人々、自身で感じること、湧き上がってくるものは、すべてが、素晴らしい芸術だと、しみじみと感じます。
ラクシュミさんとても優しいのですね。
癒されます。
もうすぐ春です。山は景色が綺麗ですね。
母は本当に、ありがたいです。
わたしのルーツですから、私自身を愛するように、母も愛していきたいです。