たびたび訪れる、リシケシ。
滞在場所から、バスで40分くらいです。
10年前から、年々、ヨガをしに来る観光客が増えていますので、聖地の雰囲気が薄れてきていて、少々がっかりしている最近なのですが、
それでも、やはり、リシケシは大好きです。

いつも行く食堂のおじさんに挨拶をしていつものメニューを作ってもらい、
いつも行くカフェでまったりして、
お気に入りのガンジス河沿いの場所で流れる川を眺めて、
のんびりした休日を楽しみました。
リシケシの波動は、魂にアプローチしてきます。
優しさがありながらも、大切なことをきちんと目覚めさせてくれる。
ガンジス河沿いの聖地はあちこち行きましたが、その土地土地で、それぞれ波動が違います。

川の流れに身を委ねて、ゆらゆらと意識を広げていると、
この世界は、すべてが役割分担なのだと、改めて、受け取ることができます。
怒りっぽい人も必要。 悩み多き人も必要。 能天気な人も必要。 孤独な人も必要 。 執着する人も必要。
すべてのあらゆる人々が全部、地球を構成している、ひとつの細胞なのだ。
ひとりの人間のなかにも、怒りや喜びや悲しみや、ときに、後ろ向きになったり、ポジティブになったり、いろいろな感情と要素と個性が、無限にあります。
地球も、いろいろな人間がひとつひとつの細胞となって、地球を構成していますので、みなそれぞれが、役割分担で、そのように存在しているのですね。
いがみ合う必要、ないですね。
嫉妬も、妬みも、嫌悪も、いらないのです。
自分と違う種類の人を、否定しなくていいのです。
怒っている人は、怒らせておけばいい。
それが、その人の「地球の細胞」としての役割なのだとしたら、それは変えられない。
怒っている人も、やがて、時が来れば怒りが去るのだから、それまで、怒らせておけばいい。
怒っている人を見て、「あの人なんでああなんだろう!もう!」と、苛立つのは、自分の居心地が良くなるように相手が変わってほしいから、苛立つわけで、
相手が変わってほしい、と思わなければ、苛立ちはどこからもやってこない。
わたしは、わたしの役割でこうして、生きているし、
まわりは、それぞれの役割をまっとうしているのだね。
わたしたちは、地球なのだ。
地球を構成している、細胞なのだ。

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