2016年01月09日

インド7(ただいま、リシケシ)



たびたび訪れる、リシケシ。

滞在場所から、バスで40分くらいです。

10年前から、年々、ヨガをしに来る観光客が増えていますので、聖地の雰囲気が薄れてきていて、少々がっかりしている最近なのですが、

それでも、やはり、リシケシは大好きです。



リシケシ1.jpg



いつも行く食堂のおじさんに挨拶をしていつものメニューを作ってもらい、

いつも行くカフェでまったりして、

お気に入りのガンジス河沿いの場所で流れる川を眺めて、

のんびりした休日を楽しみました。




リシケシの波動は、魂にアプローチしてきます。

優しさがありながらも、大切なことをきちんと目覚めさせてくれる。

ガンジス河沿いの聖地はあちこち行きましたが、その土地土地で、それぞれ波動が違います。



リシケシ2.jpg



川の流れに身を委ねて、ゆらゆらと意識を広げていると、

この世界は、すべてが役割分担なのだと、改めて、受け取ることができます。

怒りっぽい人も必要。 悩み多き人も必要。 能天気な人も必要。 孤独な人も必要 。 執着する人も必要。

すべてのあらゆる人々が全部、地球を構成している、ひとつの細胞なのだ。

ひとりの人間のなかにも、怒りや喜びや悲しみや、ときに、後ろ向きになったり、ポジティブになったり、いろいろな感情と要素と個性が、無限にあります。

地球も、いろいろな人間がひとつひとつの細胞となって、地球を構成していますので、みなそれぞれが、役割分担で、そのように存在しているのですね。

いがみ合う必要、ないですね。

嫉妬も、妬みも、嫌悪も、いらないのです。

自分と違う種類の人を、否定しなくていいのです。

怒っている人は、怒らせておけばいい。

それが、その人の「地球の細胞」としての役割なのだとしたら、それは変えられない。

怒っている人も、やがて、時が来れば怒りが去るのだから、それまで、怒らせておけばいい。

怒っている人を見て、「あの人なんでああなんだろう!もう!」と、苛立つのは、自分の居心地が良くなるように相手が変わってほしいから、苛立つわけで、

相手が変わってほしい、と思わなければ、苛立ちはどこからもやってこない。

わたしは、わたしの役割でこうして、生きているし、

まわりは、それぞれの役割をまっとうしているのだね。

わたしたちは、地球なのだ。

地球を構成している、細胞なのだ。


リシケシ4.jpg





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ネパール・インド2015.11-2016.2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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