「その時」が来ました。
この「時」のために、この幕は開き、そして、次の幕を開くために、この幕を閉じる時が来ました。
始まりは、あちこちに飛び散る、火の子のように、まったく予測不可能で、無秩序な、かけらの星々でした。
散乱していた星々のひとつひとつは、なんの交わりもなく、なんの関わりも推測できず、
それでも、バラバラであることに意味があるかのように、ただ、痛いほどに無関係の中での、関係性を保っていました。
わたしは、待ちました。
意味不明で、理解不能の出来事の数々を、辛抱強く、丁寧に、諦めずに育みました。
いつでも投げ捨てることができたけれど、いつか必ず、バラバラな星々のすべてがつながる日が来るのだろう、と、
根拠のない中にも、確信がありました。
切れ切れのビジョンをたくさん受け取り、それを、光の糸と、光のこの手で、丁寧に紡ぎ合わせました。
モザイクみたいな、ぐちゃぐちゃの中から、ポン!と、現れるキーワードの数々を、大事に、大事に、照らし合わせました。
そして、満月の夜。
紡ぎ合わせたすべては、完璧に繋がりました。
ひとつひとつの星々の、小さな小さな丸たちが、ピタリと、それぞれの位置に収まった瞬間、
静寂の中に金粉を舞わせて振動する、光の粒子の波が、音もなく静かに、リンリンと美しく鳴り始めました。
それは、音として聞こえない音であり、色として見えない色であり、そこに在ることで、無であること・・・。
わたしは、ゆっくりと、歩き続けました。
祈る人々でごったがえす、聖地の巡礼者の合間を縫って、わたしの目の前に、紫色に煙るガイドが先導します。
わたしは、ゆっくりと、ガイドに導かれ、歩みを進めました。
目の前を歩く、背中の丸い小さな老婆が突然、大地に倒れこみました。
老婆は、神への想いの嬉しさに、感極まり、涙を流して倒れていました。
わたしは、老婆を抱きかかえ、歩き続ける巡礼者から避けた安全な場所へと運びだしました。
老婆はわたしの目を見ました。
私も老婆の目を見ました。
老婆の目が淡い緑色に変化し、涙があふれ流れました。
理解したわたしは、ほかの人に老婆を預け、そこから去り、巡礼者の波の一部へと戻りました。
天よ、どうもありがとう。
すべては、最善の時に、最善の方法で、やってきます。
これまでのあらゆる出来事が、すべて納得でき、歓びも悲しみも、満足も苦しみも、みな、必要なことだったと知りました。
ネパールでの痛烈な経験、至福のとき、深い深い内省や、愛にあふれた人間たち、堅固だと信じていたものが壊れたことなど、
善しも悪しも、みな、まとめて、光に繋がれていきました。
天よ、わたしを信じてくれて、ありがとう。
「その時」を与えてくれて、ありがとう。
わたしは、明日から、インドに入ります。
合掌

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ブログを読ませて頂き
涙がとまりません。
ユキ先生 ありがとうございます。
先生とのご縁に 心より
感謝しています。
お帰りを お待ちしております。
愛と感謝を込めて…。
新年を迎える少し前の、真新しいyukiさんの門出を、心から応援しています。
孤独、忍耐、信念、寛容、質素、断絶...。本当に知りたかった事を発見したり、乗り越えるには、これまで、大変な勇気が必要だった事と思います。
自分を極めて、何度も何度も、深く生きる。自他にある掛け替えのなさや愛、経験から生まれたこれまでの知恵が、
どこにいてもyukiさんを支え、永遠に幸せにしてくれる事を、
私もまた、素朴に信じています。
みんなが、幸せでありますように。
コメントありがとうございます。
長らく留守にしておりまして申し訳ありません。
必ず戻ります。
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます。
本当に、すべては「いま」というときのみが真実なのだと、身に染みて感じています。
人生は素晴らしいドラマだな、と一瞬ごとに感動します。
応援してくださいましてありがとうございます。