2015年06月17日

「祈ることについて」



※いつも、ヒーリングワークの個人セッションなどでお話しさせていただいています、わたしなりの日々のテクニックを、ブログでも少しだけ紹介させていただこうかな、と思います。
人それぞれだと思いますので、ご自分らしい生き方のご参考になさってください。もしよろしければ。※




わたしの過去の経験をもとに、学んだ智慧をシェアさせていただきますね。



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わたしが言う「祈り」とは。

それは、「感謝」と「愛」です。



海外の国々に比べて、宗教性が薄い日本では、「祈る」ということにあまり縁がないかたも多いのだと思います。

あなたは、どんなときに祈りますか?

もしかしたら、なにか神様にお願いするときに祈るのではないでしょうか?

「合格しますように」 「あの人が無事帰ってきますように」  「病気が治りますように」  「○○が成功しますように」 「失くしたものを取り戻せますように」などなど。

困ったときの神頼み、ですね。

そして、こういったお願いの祈りをした後、もしも、その願いが成就されなかったときには、

「神様は不公平だ」  「神仏を信じてたのに裏切られた」  「わたしの声は聞いてくれない」  「神なんかいない、無駄だ」

と、思ってしまうのではないでしょうか?



わたしの行う「祈り」とは、

天に・・・・、大地に・・・・、森羅万象に・・・・、この世界に・・・・、自分自身に・・・・、

感謝と喜びを表現することです。

父なる天に、母なる地球に、限りない愛を与えてくれる感謝と、その喜びを全身全霊で伝えます。

それが、祈りとなります。

祈ることを魂の喜びとし、その喜びに天からの祝福がおり、そして、真なる意味での願いが叶えられていくと、

現実社会の三次元的なことの、すべてが、なるべきように、なっていきます。



ヨーガでは「太陽礼拝」というアーサナがあります。

これは、流れるような動作と呼吸の一連のルーティンです。

「太陽礼拝」という名前の通り、「太陽」に「礼拝」をするアーサナです。

わたしが太陽礼拝を行う時、わたしは、森羅万象と周波数を合わせて「礼拝」をするつもりで行います。

「どうぞ、わたしの肉体をお使いください」

という気持ちで太陽礼拝をします。

それは、世界中の苦しむ人々、困難な中にいる人々、人生を生き悩む人々に、

わたしの肉体を使った礼拝を通して、太陽的な光と、温もりと、愛が届きますように、という想いをこめた礼拝です。



こんなふうに視点を置けば、日常のすべての行動が、「礼拝」になります。

お掃除ひとつでも、そうなのです。

世界中が浄められますように、という想いで行えば、自宅のお掃除も世界に対する「礼拝」となります。


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たとえば、なにか困った問題が起こった時。

わたしが起こった問題について・・・・・・または誰かの問題についてお祈りをする時は・・・・・・・

いつでも必ず、「最善」をお祈りします。

「どうか、こうなってください」と、お願いするのではなく

「どうか、宇宙の目線から見て、魂のレベルから、すべてが最善でありますように」、と信じることです。



その「最善」は、頭で考えて判断することや、過去からの自分の経験や、誰かの経験をもとに考えてしまっている「こうなってほしいな」と思うことではないのです。

誰かのエゴや、わたしのエゴが願うことではなくて、

宇宙の中のひとつとして見たときに、魂のレベルからの「最善」であり、

「こうなってほしい」という、自己の願いではありません。



なぜならば、人生の問題と思われる出来事は、すべてが私たちにとって必要なことであり、魂の学びですから、その学びを学びきれば、その問題は終了します。

ですので、魂にとって、その問題は必要があってやってきているということ。

だとしたら、できるだけ苦しみ過ぎず、傷を負いすぎず、最善の方法で学びが深まり、魂が進化し、問題を終了できますように、と祈ります。

その「学び」がつつがなく、最善で終了するように、自分を、または、誰かを、そして、この神聖なる人生を、とことん信じきること。



「祈る」とは、そういうことだ思っています。

私は人間ですので、エゴがあり、情があり、ジャッジメント(裁くこと)がありますが、

すべての最善は、そのエゴや情や、私の価値観での善い、悪いの判断のレベルではない!ところにあります。



人生は、なるようにしか、なりません。

どんなにあがいても、こうなって欲しい!と喚いても、

結局は、なるようにしか、なりません。





頭で考える「善いと思うこと」というのは、たいていが、エゴと執着です。

エゴと執着からの願いは、さらに、エゴと執着を増幅させます。

一見、「こちらのほうが幸せだし、よいだろう」と思われることも、実は、魂レベルから見るとそうではないこともあります。

宇宙の中の自分であるところの、魂の学びの目線で見た、最善・最高をお祈りしましょう。

それは、あなたがこの世界に、肉体を持ち、生を持ち、魂の学びである人生を生きているということを、

感謝とともに、喜びともに、表現して生きていることであり、

なるようになるであろう、自分の人生をとことん信じていることです。




ぜひ、日々、祈りを取り入れて、あなたの最善で最高の人生を送ってください。

「祈りかたがわからない」と言われるかたがいました。

どうぞ、ご参考になさってくださいませ。

合掌




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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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