2015年04月28日

私が流産した時に学んだこと


「わたしが流産した時に学んだこと」


個人的なことをお話しします。



以前、妊娠をしたことがあります。

検査をしたわけではありませんが、霊的に発達している部分の私は、それが、すぐにわかりました。

赤ちゃんの魂が天からわたしのお腹の中に滑り落ちてきて、3日目くらいから確信していました。

わたしの心と体は大きく変化しました。

新しい人生に、胸はときめき、新しい生命に、それはそれは愛が溢れまくりました。

なんて、なんて、素敵な日々なんだろう。 妊娠って。

初めて恋をしたときのように、生活のすべてがバラ色になりました。

何を見ても、なにを感じても、すべてが自分と子供ためのものになりました。

なんて、愛に溢れていたんだろう。

自分のうちから溢れる愛と、それに応えようとする小さな命からの愛。

子供を持つって、なんて素晴らしいんだろう、と実感しました。

女だけに与えられた、至福の愛の交歓のとき。

本当に幸せでした。

女に生まれて、よかった、と心から感じたのは、生まれて初めてでした。




わたしは、自分のことよりも人のこと・・・・と、人に尽くしてしまいすぎる傾向がありますので、必要最低限な食糧以外、日ごろ、なにかを自分の為に買う事があまりありません。

妊娠期間というのは、本当に不思議で、ものすごく、自分を大事にするのですね。

この期間は、自分の為に買い物のすべてを選んでいる事に気づきました。

お腹の中の赤ちゃんを大事にすること・・・・は、自分を大事にすること、に繋がります。



例えば、ハーブティーのお店に行っても、「自分のため」にお茶をハーブティーを選ぶことは、今まで、まずなかったのですね。

いつも、誰かにさしあげるために買います。

または、セッションに来て下さった方にお茶をお出しするために選びます。

自分は、二の次なのです。わたし。

でも、妊娠していると、思考が変わるのですね。

まず、自分の赤ちゃんの為、その赤ちゃんが入っている自分の身体の為、のことを一番に考えるのですね。

そして、「あ!自分の為だけにハーブティーを選んでる、わたし!」と気づいた時の驚き!!

これまで、自分のことを愛してあげていなかったことに気がついたのでした。




これが、とても驚いたことでした。

「自分を大事にする」ということ。

わたしは本当に苦手なことでした。

自分より、人の為に、生きてしまうのですね。

すると、自分を大事にすることを忘れてしまうのです。

でも、お腹に赤ちゃんがいると、ものすごく自分を大事にするのですね。

赤ちゃんが大事だからこそ、その赤ちゃんが入っている、自分の体を大事にする。



本当に、この自分に対する接し方の大きな変化には、驚きました。

そして、今まで、自分を大事にする、ということをきちんとしていなかったのか、がわかりました。




そのとき、わたし主催の海外でのリトリートツアーを行ったときでした。

わたしは、妊娠の超!初期の状態でツアーの引率が始まりました。

なんといっても、妊娠2週間くらいでしたから。

普通の人は、気づいていないときです。

その貴重な期間に海外の聖地に行けれることがとても幸せで、「やった、お腹の中の子供も、一緒に聖地に行けれるなんて!」と、とっても喜びました。

現地に到着して、3日目くらいに、わたしは流産してしまいました。

もちろん、検査をしていなかったですから、病院にも行きませんでしたが、わたしには流産したことがわかりました。

普段から生理痛はほとんどないわたしなので、激しい痛みですぐにわかりましたし、多量な出血が続いていました。

なによりも、「いなくなっちゃった」という実感が、真実でした。

病院も検査も何もいらないのです。 できたときも、いなくなったときも、自分で、全部、わかりました。

わたしは、とても悲しかったです。

自分が主催したリトリートツアーの最中に、私自身が、悲しみのどん底に落ちてしまいました。

お役目も遂行しなければいけない、でも、人間としてのわたしは、女として一番悲しい局面で悲鳴をあげている・・・・・・つらかったです。



たくさんの後悔をして、自分を責めて責めて、責めまくって、夜、独りになって泣くだけ泣きました。

「もっと大事にできたはず。なぜ、もっとこうしていなかったのか。なぜ、もっとああしなかったのか。わたしは馬鹿だ。」

自分を責めることに足りなくなったら、今度は、当時のパートナーを責めました。

「あなたが、赤ちゃんができたって信じてくれないから、赤ちゃんは出て行ってしまったんだ!」って。勝手な妻ですね。

もう、どうしようもなくて、どうしようもなくて、夜も眠れず泣いていました。

そこに、ありがたいことに、神的な存在からの助けが入り、気がついたのです。



あの赤ちゃんは、まだ、そこにいるから大丈夫なんだ。

ずっと前からタイミングを見計らっていて、そして、いなくなったあとも、次にやってくるのを待って、そこにいるんだ。

その頃のわたしが、あまりに、疲れて、自分よりも人のためのことを考えすぎていたから、

気づかせるために、ちょこっと、やってきてくれただけなんだ。

そして、ちょこっと私の中に入ってくれて、自分を愛するって、素晴らしいんだ、っていうことを、教えてくれたんだ。

そして、これ以上長くいると、お腹が痛すぎちゃうよ、っていうギリギリまで、私の中にいてくれたんだ。

そして、痛すぎないうちに出て行ってくれたんだ。

その時は、赤ちゃんの魂がお腹に宿って、まだ2週間くらいでしたから。

赤ちゃんは、わたしに、教えに来てくれたんだ。

愛というものについて、愛するという事についてを、教えにやってきてくれたんだ。

幸せ〜〜〜〜〜!!って、無条件に感じる瞬間を、教えに来てくれたんだ。

そう、気づいたのですね。




実際、赤ちゃんがお腹にいた、2週間、本当に、幸せでした。

あの幸せ感は、これまで経験したことがなかった。

サマディの恍惚感や、ワンネスのときのすべてがお花みたいに見える感覚や、高次の中にいるときの宇宙の感覚とは、また、全然違う種類の、幸福感。

赤ちゃんは、わたしに、それを教えに来てくれたんだな、と思いました。

わたしが、頑張り過ぎていて、自分を労らないから、教えに来てくれたんだ、と思いました。




まだ、肉体が形成されない、魂だけの状態の2週間、ギリギリ、いてくれたんだ。

赤ちゃんの身体が出来ちゃってからいなくなると、わたしがもっと悲しむし、もっともっと痛いから、

そうなるまえに、悲しみが少ないうちに、身体が痛くなる前に、教えることだけ教えてくれて、そして、出て行ってくれたんだな。

赤ちゃんはそのつもりで、やってきてくれて、そして出て行ってくれたんだ。

わたしは確信を持ってそうだと感じ、それが腑に落ち、そして、ずっとそこについてくれている赤ちゃんの魂も、そうだと言っていました。



閃光がスパークするかのように、それがわかって、

今度は、感謝の意味で、泣きました。

ありがとう、ありがとう。

あなたが、すぐそこにいるのは、わかっているよ。

ずっと前から、待っていてくれているのも、わかっている。

わたしの最善の時を、待っているんだね。



私たちが生まれるのは、他人を幸せにするため。

子供が生まれて、まず最初のお仕事は、母親を幸せにすること。

わたしとご縁のあった赤ちゃんの魂は、わたしを幸せにするために、わたしに幸せを教えてくれるために、ちょこっとやってきてくれたんだ。

なんて優しい子なんだろう。

わたしは自分を責めて、悲しんでいるだけだったら、せっかく赤ちゃんが教えに来てくれたのに、無駄になっちゃうよ。

幸せを願って来てくれたのに、わたしが学びを受け取らずに、ネガティブに浸っていたら、赤ちゃんは嬉しくないだろうな。

教えてくれてありがとう。

ごめんね、わたしはどんどん、年ばかり取って、もう、こんな年になってしまって、子宮も老化しているよ。

いつか、今世で、本当に、赤ちゃんが生めるチャンスがあるといいな。

教えてくれて、ありがとう。

わたしは、愛されているし、だからこそ、私は、愛することができる。

自分を大切にすることは、世界が柔らかい羽毛布団のようになり、すべてが暖色の温かな調べになるということ。

その中に身をゆだねていると、努力しなくても、自然と、人にやさしく、人を愛することができるという事。

肉体を労るという事は、わたしのこれまでのすべての経験、過去世での経験もすべて、まるごと受け入れるのだという事。

そして、「孤独感」は真実ではないのだということ。



わたしは、その時、海外のある聖地にいました。

その聖地では、必要なことしか起こりません。

ということは、これはわたしにとって必要だった出来事ということ。

悲しみも、痛みも、必要で、そこから真実に気づくためのこと。

だとしたら。

だとしたら、わたしは、赤ちゃんが現れてくれて、そして、姿を消した、この経験を、無駄にはしたくない。

絶対に、絶対に、無駄にはしたくない。

ただ、泣いて、ただ、悲しんで、ただ、後悔して、自分をあーだこーだ、責めて、他人や環境もあーだーこーだ責めて、ずっと引きずって、引きずっている間、ずっと前に進めなくて、

そういう、無駄な経験には、絶対に、絶対に、したくない!!

絶対に、しない!!! 絶対に!!

私に幸せ感を教えてくれるためにちょこっとやってきてくれた赤ちゃんのためにも!!

そう、決意した明け方。

すべてのピースがカチッとはまり、わたしは復活とともに大きく成長しました。




人生は、素晴らしいです。

すべては必然であり、すべては学びである。

この出来事は、昔の出来事ですが、いま、シェアしたくなったので、書きました。

きっと、この記事が必要な方がいらっしゃるのでしょうね。

すべては必然ですから。

世界は繋がっていますから。

毎日、毎日、こういった気づきと、解放と、進化の連続です。

関わるすべて、起こる出来事すべてに、ありがとう。

自分のことを赤裸々に語ることに慣れていないので、この記事をアップするのに勇気がいる、というのが本音です。

一気に書いたので、乱筆乱文ですが、このまま直さずアップしますね。

読んでくださりありがとう。

合掌


シャスタ52

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:34| Comment(6) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お辛い心境、とても感じてとれます。
心よりお見舞い申し上げます。

お子さまは、一生見ていてくれてるし、繋がっていると思いますよ。
別れたわけではないです。


わたしも同じころ、個人的に辛いことがあって、自殺を図っています。。

無事に解決して、今は幸せだし、周りの皆様に感謝しています。。



みんなどこかで繋がっていると感じました。

続けて投稿失礼いたしました。

5月の青空のように、お互い爽やかにすごしましょう。







Posted by ネイル子 at 2015年04月29日 09:27
よく、お話ししてくださいました。

お話しいただいたことで、赤ちゃんの存在(生命)があった事が、赤ちゃんの誕生が、一緒に共有できて良かったと思います。

だって、少しでもこの地上に一緒にいられた仲間なんですから。
Posted by 伊藤直美 at 2015年04月29日 14:41
ご無沙汰してます。
私も2度の流産を経験しています。
今でも産まれていたらこのくらいの歳だなあと思うお子さんを見るとキュンとします。
そして不妊治療もしたので、命は当たり前に産まれるものでないこと、身にしみています。
有り難く授かった子供二人の成長は、どこか心を閉じて生き急いでいた自分の子供時代を、もう一度感じ直し生き直す機会になっています。
大いなる力は本当に優しいのだなぁと思います。

まだまだ学びきれていない、向き合いきれていないことがあるのか、今は二匹の犬の世話をしつつ、学びの日々です。

先生、よい機会をありがとうございます。
Posted by 久島 久美子 at 2015年04月30日 12:36
ネイル子さん
コメントありがとうございます。
ネイル子さんもおつらい時期をおすごしでいらっしゃったのですね。
お気持ちはいまはいかがですか?
愛を送らせてください。
Posted by ラクシュミナラヤニ ユキ at 2015年05月02日 21:30
伊藤直美さん
コメントありがとうございます。
ほんとう、そうですね。
こうして表出することで、赤ちゃんが存在しますね。
気付きをありがとうございます。
Posted by ラクシュミナラヤニ ユキ at 2015年05月02日 21:31
久美子さん
人生は本当に旅路ですね。
久美子さんのお気持ちを感じて、わたしも胸がキュンとします。
子供は、どんな意味でも、教師であり、天使ですね。
素敵なシェアをありがとうございました。

Posted by ラクシュミナラヤニ ユキ at 2015年05月02日 21:35
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