ミャンマー滞在3週間が経ちます。
なるほど、ミャンマーの教育体制がわかってきました。
わたしの友人(この夏合宿の校長先生)は、とても、「位」を重視する人だということが、今回、話を聞いていてよくわかりました。
どれだけ、世間で有名か、どれだけ学歴があるか、資格を持っているか、教授とか医者とかの知り合いがどれだけいるか、社会的に認められているか、
それが、人間の価値だと思っているみたい。
彼は、青年実業家ですから、それは仕方がないのかもしれません。
もしかすると、ミャンマーという国の社会そのものが、そうなのかもしれないですね。
彼の話では、ミャンマーでは、とても限られた数少ないひとびとだけが、よい仕事につけるのだそう。
よい仕事・・・というのは、おそらくオフィスワークのことでしょうね。
だから、学歴や資格がたくさんあったとしても、ワーカーを受け入れる容量が狭いため、その「よい仕事」に就けない人がほとんどなのだそう。
それでは、なぜ、人々が学歴や資格にこだわっているのかというと、それは、「結婚」のためなのだそう。
ミャンマーでは95%が親が決めた人と結婚する「お見合い結婚」だそうで。
「お見合い」とは名ばかりで、会ったこともない人と、結婚することが決まってから初めて会う、みたいな感じだから「アレンジ結婚」と呼びますね。
結婚相手を自分で選ぶこともできなければ、嫌な相手だったとしても「NO!」とは言えないのですね。
なんだか、かわいそうな気もするけれど、それはきっと、神仏を心底信じて、委ねているからできることなのかもしれません。
親が、自分の子供に結婚相手を選ぶときに決め手となるのが、
「学歴」「資格」「地位」「財産」なのだそう。
だから、人間の価値は、それで図られ、そして、両親は、そのお相手が自分の子供にふさわしいかどうかを、その「ラベル」で決めるのだそう。

なんだか、その話を聞いたら、驚きとともに、嫌悪感で吐き気がしました。
学歴もないし、社会的にも安定していないし、子供のころから貧しく、家庭環境もよくなかった私は、
ミャンマーでは、完全にアウトでしょうね。
でも、「日本人」というラベルだけで、ものすごいリスペクトしてくださっていますが。
それがミャンマーという国。 この国の思想なのでしょう。
わたしには納得はいかないけれど、それが常識として育っている彼と、その件について論議しても仕方がないから、わたしの大事な「経験」として、しまっておきました。
わたしがラベル重視の人間の価値観に理解できないように、きっと、彼は、「人間は中身である」という私の反対意見は納得がいかないでしょう。
世界は、本当に広い。
いろんな意味で、広いです。
すべてをありのまま、見て、そして、ありのまま、受け入れること、です。
世界にでると、いろんな発見があります。

とはいえ、
ミャンマーには、日本には絶対にない、素晴らしさがあるのも事実。
なにが良くて、なにが悪い、というものではないのですね。
日本についての素晴らしさも、ミャンマーについての素晴らしさも、語りつくせないほどあります。
別の機会に書こうと思います。
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