2015年04月17日

ミャンマー19「ミャンマーの新年」



あけましておめでとうございます。

今日はミャンマーの暦の新年です。

つい4日前も、みんな「Happy New Year!」と言っていたから、その日が新年だと思っていたのでびっくり。

4/13は、ネパールの暦の新年なのだそうで、ミャンマーはネパールから来ている人がたくさんいるのだそう。

そして、それと、ミャンマーの新年がほぼ重なっているので、そのお祝いとして、ウォーターフェスティバルなどで、お祝いするのだそう。

(それにしても、そのウォーターフェスティバルはものすごいクレイジーでしたが・・・数日前にアップしました)

実は、今日 4/17が、ミャンマーの新年なのだそうです。(あと、タイもそうかも?)



今日は、朝4時ころから、ミャンマー語でなにやらお経?のようなものを唱えている放送が、爆音で流れていました。

夜19時ころまで、ずっと、それが続いていました。

わたしがボランティアをしている学校には、ネパール系の生徒たちが多いので、4日前のネパールの新年の時ほどは、はしゃいでいる感じがなかったです。





日中は、ものすごい暑さなので、外に長時間出ることが難しいので、

夕方の少し気温が下がったころに、お散歩をします。

いつもの路地を歩くと、お坊さんたちと女性たちが、なにやら集まっています。



ミャンマー123.jpg



真剣にお祈りしていましたので、きっと、新年の祈りの会なのでしょうね。

男性は、その集いから外れたところで見ていましたので、女性だけのものなのでしょう。

興味深いです。

お祈りをしている場は、大好き。

思わず、立ち止まってしばらく感じさせていただきました。


ミャンマー124.jpg



そう、新年です。

新しい年を迎える、今日です。




今日もまた、大きな気づきがありました。

わたしが、子供のころから持ち続けていた「重り」を、ひとつ、手放しました。

封印が解かれ、また、解放されました。

今日の私は、道を歩いているだけで、涙が出てきました。

こうして、わたしが生きていて、地球の上を歩いている、ただ、そのことに喜びが溢れてきました。

生きているだけで、幸せ。

逞しく根を張り、枝を広げる、樹木のように、ただ、生きているということに、喜びながらここにいる。

こうして、ミャンマーの地に暮らすように滞在し、

そして、この地に受け継がれている新年のこの日に、

新たな一歩を踏み出したことに、心から感激しています。


ミャンマー121.jpg



人間に生まれてきた以上、数えきれない封印があり、ブロックがあり、

人生とは、それを、ひとつひとつ、開いて解放してゆく長い旅路なのだと思います。

その人生という旅路の途中にいる、人間である「わたし」は、まだまだ、解放の可能性を秘めていて、さらに開かれていくのだと感じています。

それには終わりはなく、もし終わってしまったのならば、それこそ、「わたし」という人間が終了するときなのでしょう。

だから、生きている限りは、まだまだ、学び続け、成長し続ける要素が、あり続けるということ。

気づき・・、癒され・・、学び・・、手放し・・、解放され・・、そして、成長・・、進化・・、開花・・していく、わたし。

それはこうしてわたしが生きている、この世界での、ご縁のあるすべてのかたがたのおかげなのです。

感謝。 合掌


ミャンマー122.jpg










posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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