2015年04月14日

ミャンマー15「葛藤へのギフト」


ああ、なんてミャンマー、素晴らしいのだろう。

ミャンマーで活動させていただけるなんて、こんなに素晴らしいご縁に恵まれて、わたしはなんて幸せ者なのだろう。

わたしは、確実に、神仏に守られ、導かれていると、感じる出来事の連続です。

今回のこのミャンマーは、本当に、本当に、守られている感がすごいのです。

宇宙のリズムで生きていると、心で呼びかけるとすぐに、その返答的な出来事が起こります。

ありがたくて、ありがたくて、どう、感謝を現したらいいのやら・・・・・・。



昨日のこと。

ひとつの問題に対して、わたしの魂は確かな決意をもって、わたしをある方向へと導きました。

でも、人間であるわたしは、人間的なエゴと情が絡まりあい、魂の声がわかってはいるものの、決断の勇気ができずにいました。

わたしも人間ですから、葛藤して当たり前です。

葛藤するほど、大切なもの、大事にしたいものがあるということ。

それは、人間としてはとても社会性のあることであり、認められることでありますから、

葛藤自体が悪いことではないと、わたしは思います。

その葛藤からも学ぶことがたくさんあるわけなので、

葛藤の渦中でおぼれずに、上空からその渦を眺めていればよいのです。

葛藤して悩むほど、誠実な自分を、愛をもって見つめてあげる。

そして、最善の努力をして、あとの結果は、すべて宇宙・神にお預けする。

(人間は結果をあれこれ考えて前に進めないことが多いですね)




わたしは、ポーン、とその問題を宇宙に投げました。

そして、投げたうえで問題と客観的に向き合い、感じていました。

「どうか、わたしに教えてください」

と心の中で宇宙・神仏にお願いをして、吹いてくる風に身をゆだね、

考えることをギブアップして、

思考を止めた時にだけ聞こえることができる、

鳥の声や、遠くの人々の話声や、風が耳を掠める音や、木々が揺れる音に、意識をゆだねました。

森羅万象、すべては宇宙の流れに委ねられている。



そのとき、一陣の風が吹き、わたしの横に立っている大きな木の枝が騒がしく揺れたかと思うと、

わたしの手のひらに、小さな黄色い花が飛び込んできました。

私はその時、立っていて、右ひじを軽自動車の荷台にかけて寄りかかっていました。

左腕は自然に垂れ下がり、左手は、自然に半分閉じていて、その手のひらは、自然に、自分の左モモのあたりへと向いていました。

手のひらを開いていたわけではないのです。

自然に閉じられて、しかも、こちら側を向いている手のひらの中に、黄色い花は飛び込んできたのです。

自然に丸まっている人差し指と、親指のわずか2センチ足らずの狭い隙間から、黄色い小さな花が、文字通り「飛び込んで」きたのです。



わたしは、手のひらに何かを感じ、なんだろう?と広げてみてみました。

そして、その神からの小さなギフトを見ると、ニンマリと微笑みました。



「やりたいように、したらいいのだよ。どのような選択も、すべて正解なのだから。お前の人生はお前でしか描けない。」

と、メッセージをいただいた気がしました。

「いつでも、お前とともにいる」とも。



わたしは、黄色い花が乗ったその手をそっと握り、胸に当て、

晴れやかな気分で、空を見上げました。

とても満たされた気分でした。

いつも、ありがとうございます。


ミャンマー81.jpg

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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