ミャンマーの昔の呼び名は、ビルマ。
私たち日本人は、「ビルマの竪琴」という映画で馴染みがある名前です。
こちらの発音では「ブヮルマァ」という感じです。
この国の人々は、とても宗教性が高く、神仏を真剣に崇めています。
それは、パゴダに行った時の、真剣に祈る人々の姿からもよくわかりますし、
日々の生活の中で、本当に親切にしてくださる、この国のかたがたの、宗教がつくるその素晴らしい人間性からも見て取れます。
この国の宗教心の高い人々は、明日のことは考えないのだそうです。
明日、もし食べるものがなくなったら・・・・ということは考えないのだそう。
すべてを神仏に捧げているので、自分という個のものは、今日という日をただ生きるのみ。
道を歩いていて、パゴダ(お寺)があったらもちろんそこにお参りをするし、
お参りでは、自分のつけているすべての装飾品を、神仏にお供えしてしまうのだそう。
我欲も、明日への不安も、なにもなく、すべて、神仏に寄付するのだそう。
明日、何が起こるかはわからない。
でも、今日はこうして生きている。
今日は、こうして、幸せに生き、そして、今日生きるだけのすべてが与えられている。
そのことのみに目を向けて、その感謝を捧げるのだそう。
伝統的なミャンマーの朝の習慣は、朝4時に起きて、4:30に食事を作り始める。
そして、朝日が昇るころには、作った食事をまずは家の外に持っていき、
次から次へと行列でやってくる僧侶の托鉢の中に、順番に入れていくのだそう。
そこで、明日の分の食糧がなくなることなど、気にしないのだそう。
僧侶に、あげたあとに、残っているものでやっと、自分の朝食をとるのだそう。
生かされていることに、感謝するこの行為から一日が始まる。
その僧侶はといえば、
裸足で布一枚の衣類をまとい、瞑想をしながら歩いている。
托鉢を抱えて、約3m先までしか見ない決まりなのだそう。
「いま」というときに生きる、瞑想をしながら歩いている修行なのですね。
顔を上げてキョロキョロしたりせず、自分の足元だけを見て歩いています。
だから、目の前に民衆が食事を施そうと立っていることも見えないですし、
それに対する、すべての期待を捨ていているのでしょう。
足元しか見ていない僧侶は、だれが、托鉢の中に食糧を入れてくれているのかさえも見ず、
なにを、入れているのかも見ず、
入れられたものは、すべてありがたくいただくのです。
民衆も「いま」そして「今日」を生き、未来への不安はすべて神仏に預けているし、
僧侶も、「いま」のこの「一歩一歩」に生きています。
未来への心配も、過去への後悔や怒りもなく、
ただただ、「いま」という時を、神仏に捧げて、生かされているのです。
なんて美しい宗教性なのでしょう。
感動とともに、感謝の気持ちです。
同じ地球の上で、こんなふうに、祈りの生活をしてくださるかたがたがいてくれている。
だからこそ、こうして、地球は保たれているのだ。
日本のように豊かではないし、日本のハイテクな生活から考えると不便なことばかりだけれど、
それ以上に、彼らは人間として豊かなのだと感じます。
わたしがインドをはじめアジアの国々を愛しているのは、この宗教性が育む人間としての豊かさが心地が良いからです。
わたしが、インドやアジアの国々で、一番何がしたいかと言うと「祈り」です。
一般の人々が旅行の目的とする、観光や買い物なんか、まったく、なんの興味もありません。
素晴らしい波動の地で、「祈る」、ということが至福なのです。
いまの日本では宗教性が薄く、「宗教」というと、なぜか怪しい新興宗教を思い浮かべ、疑いの目で見るかた多いような気がします。
わたしは所属するのが嫌いなので、無宗教です。
しかしながら、「宗教性」を愛していますので、すべての宗教を尊んでいます。
日本では、眉をひそめ、宗教を毛嫌いする人が多いですが、
それは、間違ったやりかたで、間違った布教をして、間違って宗教をとらえてしまっているエゴと無知と闇に侵された集団が、それを宗教と名乗って世間を騒がしているからでしょう。
仏教であるお寺も、神道である神社も、キリスト教である教会も、みんな、宗教です。
日々の祈りを行わない人も、みんな、お彼岸には先祖のお墓参りをしますし、お盆休みもありますし、神社に行けば手を合わせていますし、クリスマスにはお祝いをしています。
そこには拒絶感が現れないということは、わたしたち日本人の根底にある「宗教性」はまだ存在するからなのだと思います。
わたしは、それを信じています。
繰り返しますが、わたしは無宗教です。
しかし、宗教性を愛し、それに生きています。
世の中には様々な宗教があり、みな違う神を持っていますが、結局のところ、すべてはひとつに繋がります。
生き様として、自分の人生をもって伝えたいです。
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今を精一杯生きる、大きな課題です。
お帰りになりましたら、お話をする会を開いて欲しいです。
905みちほ
コメントありがとうございます。
わたしの経験しましたことを喜んでシェアさせていただきたいです。
昨年の10月より、活動の形態を、依頼式とさせていただいておりますので、ご依頼いただきましたところに出向かせていただいております。
もし、よろしければ、お話をする会を企画していただきまして、そこに、招いていただけますとありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。