空を見上げていて、ふと、思い出した。
父に動物園に連れて行ってもらったとき。
園のアーケードをくぐりぬけて、たまらず、駆けたとき、鳩の群れがパァーーーーッ!!と飛び立ったこと。
あの時の、わくわく、幸せ感。
当然のように、愛されていたこと。
スーパーの製菓売り場で全粒粉を手に取った時に、ふと、思い出した。
海外暮らしから戻って、しばらく、母と暮らしていたころ、
毎日のようにお菓子を作っていた。
母が喜ぶ顔が、好きだったから。
***
今日は、お彼岸の最終日。
ギリギリセーフで、お墓参りに間に合った。
凛とした美しさの白いリンドウを買って、お墓参りに行く。
子供のころから、何度も、歩いたお墓までの道。
階段をよいしょ、よいしょ、と登ると、そこには
母と、父と、兄がふたり、そして、幼少期のわたしの残影が待っていた。
タイムトリップ。
わたしが御線香を持ち、兄が新聞紙に火をつける。
父は墓石にお水をかけ、母は花を生け、もうひとりの兄は、はしゃいでいる。
わたしの家族。 残影。
白いリンドウを墓石の前に生けると、青白く光った。
インドのお線香に火をつけて、手を合わせる。
目を閉じて、祖父母に意識を合わせてみる。
祖父母とともに一緒に暮らした、子供時代の生き生きとした思い出が、一気に蘇える。
「おばあちゃん、おじいちゃん」
心の中で声をかけてみる。
言語ではない言葉で、祖父母がわたしに語りかけてくる。
「愛」が溢れていた。
涙が出そうになるのを、ぐっと堪える。
そう、わたしはいつも、堪えていた。
目を開けると、墓石の後ろにある、無数の彼岸花が、赤く赤く、生きていた。
***
久々に、温泉に行ってみた。 ひとっぷろ 700円。
露天風呂に座り、はぁ〜〜〜、と温かなため息をつく。
わたしの生活は、すべて、自分の選択。
わたしは、わたしの道を歩むのみ。
とはいえ、わたしはターミネーターではないのだ。
ここのところ、立て続けに続いていた、理不尽さ。
それについての、癒しが必要と感じていた。
露天風呂の中で、空を見上げる。
暮れゆく一日と雲の間から、宇宙言語で、受け取ったものがあった。
それを、高速でライトボディが理解していったあと、
湯船のお湯に目を向けたら、
鳥の羽が少し向うのお湯の水面に、ふわふわ、浮いているのが見えた。
いま受け取った宇宙言語情報を高速でまとめながら、ぼんやりしていると、
鳥の羽が、水面をふわふわ揺れながら、まっすぐにわたしの方向に向かってくる。
あ、天使の合図だ。
羽は、何の迷いもためらいもなく、わたしのハートチャクラめがけて、寄ってくる。
それをわたしは、右手ですくい上げる。
そして、空を見上げる。
祝福。
ゆっくりとわたしは、取るに足らない、わたしの二元性での葛藤から解放され、
開かれたわたしの肉体は、揺れ始めた。
誰もいない露天風呂の浴槽の中で、ひとしきり、くるくる、ゆらゆらと、舞いを踊った。
そう、わたしは、こうして舞っていることがとても自然。
確信を持って、新しい私を得た。
感謝というか、ねぎらいというか、そんな気分で温泉を出た。
温泉の休憩所に、わたしを待っていてくれる夫がいた。
お彼岸の最終日の今日。
「家族」という形から、「わたし」を再認識した。
「愛」。
感謝。