突然、衝動と思いつきで、長野 善光寺へといってまいりました。
ここは、ずっと前から気になっていたパワースポット。
お隣の県に住んでいるというのに、意外にもまだ行ったことのなかった場所です。

素晴らしく立派なお寺で驚きました。
とにかく、「整っている」。

それは、建物もそうですし、すべての仏具が、きちんと、整っていて、
人間がそれを整えたというよりも、建物や、仏具や、仏像や、道具のひとつひとつが、
それそのものの意思で、きちんと、自分の役目を行っている・・・・・・、
という意味での、「整っている」という感覚。

写真撮影が禁止でしたが、本堂の中の、金の雲に乗った、たくさんの観音様は圧巻です。
本当に、生きています。

ご本尊の真下を通る、胎内巡り。
真っ暗闇のなか、右手の壁を触りながら歩き、そこにある鍵に触れることができると
神仏と繋がれる、という言い伝えがあります。
真っ暗闇・・・・・・、ワクワクします。
まさに、死、再生、誕生。
あの真っ暗闇の中を通るとき、
いろんな見えない存在たちが、わたしの頭の上をかすめていき、
わたしのオーラの中を、ひゅんひゅん、駆けていきました。
わたしは、必要なものだけもらい、必要のない、粗雑なものはブロックしながら、
とても楽しく、暗闇を歩きました。
一回では物足りなくて、2回、入りましたよ。
そして、3回目・・・・・は、入り口の管理のおじさんと、じっ・・・・と目が合って、恥ずかしかったので、断念しました(笑)
宝物館も、とても見ごたえがあり、楽しい時間を過ごしました。
奥には100体?の僧侶の像があり、「おう、よくお越しになったな」と、迎えてくださっていたようでした。
わたしそっくりな像もいて、ふふふ、でした。
もちろん、撮影禁止で、写真はないのですけれど。
ダライラマが寄付したという、チベット仏教のサンドマンダラも、素晴らしかった。
ご縁の深い、チベット仏教が、ここ、日本のお寺にもあることに、
ほっと、心が落ち着くわたし。

般若心経のなかの、一文字だけ、の写経。
わたしが選んだのは「浄」。
どうぞ、日本の空気が綺麗になりますように、
日本の水が綺麗になりますように、
世界の海が綺麗になりますように、
わたしたちの想念が綺麗になりますように、
宇宙のバランスが保たれますように、
わたしが、世界のために働けますよう、エゴを綺麗にできますように、
の意味をこめた、「浄」。

じっくり、のんびり、楽しみました、善光寺。
猫たちとともに、甘酒タイム。

夏も、もう終わりです。
まだまだ、夏でいて欲しいなあ。

善光寺で、新しく、再生した気持ちのわたし。
ありがとうございました。
合掌