母は、変化や生と死、連続性と非永続性についての自分の哲学を説明する比喩として種や木を用いた。
「種が木になることができるように、すべての人間も本来持っている力を発揮することができるのよ。
種が木になるためには、種は地面の下の、暗くてほとんど忘れられてしまうような土の中に、植えられなければならないでしょう。
大地と結びつくことで、種は、分離した状態、個性、個別性、自我といったものを捨てるのだわ。
実際に、種が大地と一体化することで、その隠されたエネルギーがぱっと解き放たれて、奇跡のように緑の芽が出てくるのよ。」
「坊や、これは奇跡だと思わない?
私が30年前に植えたあの小さな種は、数え切れないほどたくさんのプラムを産み出して、そのプラムのどれもが新しい種を宿しているわ。
すべてたった一つの種が元になっているのよ。
こういうことが永遠の意味だと私は理解しているし、生まれ変わりの意味でさえあると思うの。」
「同じように、私たち人間も自尊心や孤立を捨て、一人一人の個性について悩まないようにしなければいけないわ。
もし私たちが生命の過程の中に身を任せ、宇宙の進行を信じて、他人と自分を同一視したら、
私たちは千の枝と百万のプラムをつける木になることができるのよ。
*「でも僕は一人の人間で、お母さんとも、お兄ちゃんやお姉ちゃんとも、友達とも違う人間だよ。
どうやって違わないでいられるの?」
「そうね、坊やは正しいわ。
自分自身という意識を持つことも必要なことよ。
一人一人と全体は補いあうもので、対立するものではないのよ。
ちょうど、種が殻を必要としているみたいにね。
殻がなければ種は種としての自分の形を持つこともできないわ。
同じように私たち人間も分離の感覚をもたらす個性を持っているわ。
でも、やがて種が木に育つ時が来る。
それが変身の時なのよ。
種が変身して木となるときには、もうは殻は必要なくなって種がほかの要素と結びつくために分解しなければならないのよ。」
幼少期のサティシュ・クマールと、母の会話