2014年01月23日

ショート小説「変わらないこと」


※2005年11月に書いた、あるコミュニティに投稿したショート小説です。
 指定されたお題と、タイトルに沿った内容で書く、というのがルールの小説です。

わたしにとって、とても懐かしいので、ここに載せておこうと思います。
よかったら、読んでください。


お題 : 「お茶」 「猫」
タイトル : 「変わらないこと」


*********************



『変わらないこと』



「お茶でも飲もうか?」

母がそう、持ちかけるときは、「お茶、入れてくれる?」という意味なのだ。

「うん。わたし、玄米茶が飲みたい。いい?」

読みかけの本にブックマークをし、よいしょ、とソファーを立ちあがると、返事も聞かず、わたしはキッチンへと向かう。

「冷蔵庫にプリンがあるよ!」

リビングから声を張り上げる母のその言葉は、

「プリン、持ってきて!スプーンも一緒に!」という意味なのだ。

わたしの問いかけに返答なしの場合は、「了解」という意味なのだ。

毎度のことながら、わたしは、苦笑し、返事もせずに「お茶」の支度をする。

「了解」という暗黙の了解で。



一緒に暮らしていればきっと、こういう何気ないことが、苦痛になるのだろう。

思い返せば、10年も前、母と一緒に暮らしていた頃は、こんな、母のかわいらしいワガママにも、いちいち、ピリピリしていたものだ。

今は、たまにしか顔を合わさなくなったぶん、寛容になれるのだ。

まあ、わたしが、10年歳をとり、大人になった・・・・ということもあるが。



年季の入った急須と、湯のみを二つ、プリンとピーターラビットのスプーンを二つずつ。

そして、昨日、わたしが東京で、お土産にと買ってきた、自宅の近くのおいしいケーキやさんの、おいしいスイートポテトを数個。

お盆にバランス良く載せ、両手で慎重に持ち、リビングに向かう。

窓の外には、向かいの住人が、飼い犬に綱を付け替えているのが見える。

夕方のお散歩に連れられていくのだろう。

尻尾を、台風の時の、車のワイパーのように忙しく動かし、ゴムまりみたいに、ピョンピョン、跳ねて、大喜びしている。



母は、眼鏡をかけ、ソファに座り、「植物の育て方」の本を、熱心に読んでいる。

少し賑わいが薄れてきた庭の花壇に、また、「赤ちゃん」を、植えたらしい。

わたしは、ふと、東京の自室のベランダにいる、アサガオの鉢植えを思い出す。

「あの子は、わたしが帰るまで、大丈夫かな?」

お湯を入れた急須を片手に持ち、片手で蓋を押さえ、くるくるとまわしながら、

「ああ、わたしの植物好きは、この人が植え付けたんだ・・・・・・」

と、再び苦笑する。

ふんわりと、玄米茶の香りが、リビングを和らげる。



お茶を入れ、わたしも、母の斜め前にある、二人がけのソファーの左隅に座り、母の顔を、まじまじと眺める。

いつのまに、こんなに目尻がさがったのだろう。

眉根にある、縦じわは、迷惑をかけた、若い頃のわたしのせいかもしれない。

貫禄があるなぁ・・・・・・・。



「どうしたの?プリン食べないの?」

と、眼鏡を鼻に乗せ、上目使いにわたしを見る母に、今、考えていたことを、言えるわけがない。

母の姿の背景にある、リビングの扉が、数センチ開いていることに気づく。

「ドア、閉め忘れちゃった。」

わたしは、再びソファーを立ちあがり、ドアを、パタン、と閉める。

たまにしか実家に帰らないわたしは、半年前に、老衰で死んでしまった、愛猫のために、ドアを少しだけ開けておく習慣が、なかなか抜けないでいる。

なんだか、まだ、愛猫はここにいて、足元をするっ・・・・とすり抜けて行きそうな錯覚をしてしまう。

あの、ふさふさとした、長い尻尾を、優雅にゆらゆら揺らしながら。

母は、その習慣から、もう脱け出せたのだろうか?



「お茶飲んだら、買い物に付き合ってもらいたいんだけど。悪いけど、車、運転してくれる?」

母は、夕暮れの運転が、苦手なのだ。

周りが見えにくくて、怖い、のだそうだ。

こんな、かわいいワガママも、たまにのことなら許せてしまう。

または、わたしが、大人になったのか。



買い物から帰ったら、母とふたりで夕食を作り、

そのうち、父が戻ってくる。

父は、なによりも先に風呂に入り、風呂上りにいつものビアグラスで、ビールを飲むのだろう。

母は、食事の後には、いつものように、バニラアイスを、大きなスプーンにふたすくいだけ、楽しむのだろう。



明後日、わたしは、東京に戻る。

あの、くるくるとめまぐるしく、慌しい毎日へと。

きっと母は、駅までわたしを車で送ってくれ、わたしが見えなくなると、

ひとり、運転席に座り、ハンドルを握り、わたしのいない家へと帰るのだろう。

愛猫もいなくなってしまった、ドアを、少しだけ開けておく必要のなくなった、この、いつもの我が家に。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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