旅はいつも、素敵な人々との出会いも、ワクワクします。
今回も、素晴らしい出会いの連続です。
インドに来るたびに、起こる出来事、気づき、導かれる方向、出会う人々の神聖さが、回を増すごとにグレードアップしています。
聖地で出会ったアメリカ人の男性は、23年間、ただ、瞑想のみをして、世界の導かれるところに旅をしているそう。
いま61歳で、若いころ、大きな会社の社長さんをしていたそうで(「プレジデント」と、彼は言っていましたが)、
超多忙で、心身ともに大変だったので、一年間、仕事をお休みする、ということで一時辞めるつもりだったのですが、それ以降、二度と戻らなかったそう。
そして、それ以来、なんの仕事もしていないのだそう。
そう聞くと、常識人、現代人は、「プー太郎」とか、「ヒッピー」とか、ジャッジしてしまうのかもしれませんね。
でも、そうではなく、彼は、遊んで暮らしているわけではなくて、それからずっと、神の啓示に従って生きてるそう。
ですから、「聖者」ですね。
20年くらい前に、瞑想中に、チャクラが開き、宇宙へのゲートが大きく開いて、上へと上がり、
彼の言葉をそのまま通訳すると
「仏陀が入ってきて、僕の両腕をつかんで、ガクガク体を揺さぶったんだ。起きろー、スティーブン、目覚めろー!ってね。」
ユーモアあふれる彼は、彼なりに楽しく脚色して、ウインクしながらチャーミングに微笑んでいました。
仕事しないで、どうやってこの地球上で生きていけるのですか?と聞いたら、
「若いころに一生懸命働いた貯金で、とてもとても質素に暮らしているだけだよ」
と言う彼。
「家族もいない。妻も子供もいない。家も住所も無い。仕事もしていない。持っているものは何も無い。だから失うものも何も無い。思う存分、霊性の道を歩めるんだ。そして、それ以外のもの・・・お金も含めて・・・はなんにもいらないんだ。」
恐れがまったく、なにもない彼。
それは、なんにも、執着がないから。
「僕はサドゥ(行者)だよ。でも、普通の行者は、人間や自然から施しを受けるけれど、僕はATMから施しを受けるから、ATMサドゥと呼んでくれ。わはは」
とても、明るくて、冗談ばかり言って、そして、とてもとても、やさしく愛に溢れたおじさまでした。
本当に、本当に、いい人。
すごい人に出会っちゃったな。
本当に「すごい人」って、すごそうに見えないのです。
でも、実はすごい。
彼は仕事をしていなくてお家が無いけれど「ホームレス」なんて下衆な言葉で片付けるのではなくて、
わかる人にはわかる「神聖な人生」を生きているのです。
ただ、自由を求めて、やりたい放題しているヒッピーなどではなくて、本当に、神聖と繋がっていると、なにもいらなくなるのですね。
無執着・離欲を、努力なく楽しんでやっている。
ひとは「恐れ」から、目が曇っていく。
もともと、なにも持っていない、なににも執着していなければ、失う「恐れ」がないわけですね。
すごいなぁ。
こういうおかたと、出会う段階に来たんだなぁ、わたし。
今回の旅では、ほんとーーーに、いい人ばかりに出会います。
ブログには書いていないけれど、本当にたくさんの人々と出会っています。
行く先々、各所で、素敵な人々と知り合い、この先の人生に繋がっていくとてもよい出会いの連続です。
わたしのつながりが、インドに、世界に、どんどん、広がっていきます。
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