前回の記事の僧侶のお上人さんのご縁で、インドの孤児院を訪問させていただきました。
あいにく、子供たちは勉強に出ていて、半分しかいなかったのですが、
休み時間に戻ってきて、恥ずかしそうに、わたしたちと交流しました。
子供たちはみな、孤児で、両親がいません。
どういう事情で孤児になったのかは聞いていません。
おそらく、日本人のわたしには想像もつかない理由であったり、悲しい出来事であったりするのでしょう。
きっと、発展途上国でカーストの名残がまだ残るインドでは、日本の孤児たちとは、事情が違うのだと思います。
子供たちの笑顔は、本当に天使ですね。
子供たちに、こちらも、心が柔らかくなる。
天使の魔法です。
でも、やっぱり、無邪気さが足りないのは、どことなく、悲しみを押し殺している「影」があるからでしょうか。
本当に、せつないです。
いつか、わたしが、お金持ちになったなら、孤児院のような施設を作りたいな。
宝くじ、当たらないかな(笑) いまだかつて、買ったことないけど、宝くじ。(笑)
孤児院に男性が、バケツを持ってやってきました。
向かいの原っぱには牛がいて、その牛のお乳をとりに来たようです。
男性は、乳牛を木に縛り付けて、動けないように、後ろ足も縛りました。
「こうしないと、暴れるんだよこの牛は」
そう男性はおっしゃっていました。
わたしは悲しくなりました。
暴れるほど、嫌なんだね、牛さん。ごめんね、わたしたち人間が、勝手にあなたの大切な体の一部を、強引に奪っていって・・・・・。
突然、子牛が跳ねて、駆け寄ってきました。
母牛が縛られて、乳を搾られるのを見て、縄を力ずくでほどいて駆けてきたのです。
子牛は、おもむろに、母牛の乳首に吸い付き、夢中になってお乳を吸いました。
周りにいた人間たちは、子牛を引っ張って引き剥がそうとしますが、子牛は力強くて、なかなか動きません。
一心不乱に、目をまん丸にして、必死にお乳に吸い付きます。
男性たちが、子牛をひきはがして、母牛の近くの木に縄でつなぎました。
男性が、母牛の乳をしぼるのを、子牛は、首をねじって、その光景を凝視していました。
その子牛を、母牛が頬ずりし、ペロペロと、まるでなだめるように愛撫していました。
「息子よ。お前のためのお乳なのだけれど、人間は強引に盗んでいくものなのだよ。でも、仕方がないのよ。息子よ。忍耐しておくれ。あなたのためのお乳なのだけれど、人間が取っていく・・・・というのが、生きていくためのシステムなのだよ。忍耐しておくれ」
まるで、そんな感じ。
子牛は、とても悲しそうに、縄につながれた首をねじって、ギリギリ届く母牛の鼻先に顔を近づけ、頬ずりします。
わたしは、とても悲しくなりました。
せめて、せめて、
子牛にお乳を飲ませてあげて、そのあとに、人間が絞ったら、だめなのか?
子供は、お母さんの乳房が必要なのに。
人間だって、お母さんの乳房に吸い付くことで、愛情を学んでいくというのに。
母牛と子牛の光景は、とても悲しくて、胸が痛かったです。
孤児院のこどもたちは、どんな気持ちで、毎日、この光景を見ているのだろう?
孤児院の子供たちは、母の乳房もなく、悲しくて頬ずりする母の存在もなく、
どのようにして、「愛情」を学んで生きているのだろう。
とてもせつなく、無力な自分を感じました。
子牛の悲しそうな顔が、目に焼きついています。
わたしたち人間は、たとえ、動物とはいえ、親子の愛を引き裂く、権利があるのだろうか?
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