2013年12月16日

母の乳房と愛情



前回の記事の僧侶のお上人さんのご縁で、インドの孤児院を訪問させていただきました。

あいにく、子供たちは勉強に出ていて、半分しかいなかったのですが、

休み時間に戻ってきて、恥ずかしそうに、わたしたちと交流しました。



子供たちはみな、孤児で、両親がいません。

どういう事情で孤児になったのかは聞いていません。

おそらく、日本人のわたしには想像もつかない理由であったり、悲しい出来事であったりするのでしょう。

きっと、発展途上国でカーストの名残がまだ残るインドでは、日本の孤児たちとは、事情が違うのだと思います。



子供たちの笑顔は、本当に天使ですね。

子供たちに、こちらも、心が柔らかくなる。

天使の魔法です。

でも、やっぱり、無邪気さが足りないのは、どことなく、悲しみを押し殺している「影」があるからでしょうか。

本当に、せつないです。

いつか、わたしが、お金持ちになったなら、孤児院のような施設を作りたいな。

宝くじ、当たらないかな(笑) いまだかつて、買ったことないけど、宝くじ。(笑)



孤児院に男性が、バケツを持ってやってきました。

向かいの原っぱには牛がいて、その牛のお乳をとりに来たようです。

男性は、乳牛を木に縛り付けて、動けないように、後ろ足も縛りました。

「こうしないと、暴れるんだよこの牛は」

そう男性はおっしゃっていました。

わたしは悲しくなりました。

暴れるほど、嫌なんだね、牛さん。ごめんね、わたしたち人間が、勝手にあなたの大切な体の一部を、強引に奪っていって・・・・・。



突然、子牛が跳ねて、駆け寄ってきました。

母牛が縛られて、乳を搾られるのを見て、縄を力ずくでほどいて駆けてきたのです。

子牛は、おもむろに、母牛の乳首に吸い付き、夢中になってお乳を吸いました。

周りにいた人間たちは、子牛を引っ張って引き剥がそうとしますが、子牛は力強くて、なかなか動きません。

一心不乱に、目をまん丸にして、必死にお乳に吸い付きます。

男性たちが、子牛をひきはがして、母牛の近くの木に縄でつなぎました。

男性が、母牛の乳をしぼるのを、子牛は、首をねじって、その光景を凝視していました。

その子牛を、母牛が頬ずりし、ペロペロと、まるでなだめるように愛撫していました。

「息子よ。お前のためのお乳なのだけれど、人間は強引に盗んでいくものなのだよ。でも、仕方がないのよ。息子よ。忍耐しておくれ。あなたのためのお乳なのだけれど、人間が取っていく・・・・というのが、生きていくためのシステムなのだよ。忍耐しておくれ」

まるで、そんな感じ。

子牛は、とても悲しそうに、縄につながれた首をねじって、ギリギリ届く母牛の鼻先に顔を近づけ、頬ずりします。



わたしは、とても悲しくなりました。

せめて、せめて、

子牛にお乳を飲ませてあげて、そのあとに、人間が絞ったら、だめなのか?

子供は、お母さんの乳房が必要なのに。

人間だって、お母さんの乳房に吸い付くことで、愛情を学んでいくというのに。

母牛と子牛の光景は、とても悲しくて、胸が痛かったです。



孤児院のこどもたちは、どんな気持ちで、毎日、この光景を見ているのだろう?

孤児院の子供たちは、母の乳房もなく、悲しくて頬ずりする母の存在もなく、

どのようにして、「愛情」を学んで生きているのだろう。

とてもせつなく、無力な自分を感じました。

子牛の悲しそうな顔が、目に焼きついています。

わたしたち人間は、たとえ、動物とはいえ、親子の愛を引き裂く、権利があるのだろうか?









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック