2013年05月31日

ヘッドスタンドで己を知る



ヘッドスタンドをしていて、いつも思う。

バランスのポーズ、とくにヘッドスタンドは、100%メンタルが出るということ。



わたしも、もちろん、一番最初は全然できなかったので、ヘッドスタンドが大嫌いで、いつも逃げていたり、自分を責めていたり、悔しかったり、すねたり、イライラしたりしていました。

ずっと練習しなかった長い時期を経て、あるとき、久々にやってみたら、なんにも期待せず、考えず、ただやってみただけで、ひょい、と両足が空中に上がりました。

わあ! とびっくりした動揺で、足をおろしてしまいましたが、その後は、メキメキと上手になって楽しくなっていきます。

そうなのだ、期待したり、比べたり、責めたり、恥ずかしかったり、そういうの無くして、ただシンプルになるといらない力が抜けて、急にできちゃうんだな。

そう、学びました。



ヘッドスタンドの練習を深めていくと、長くキープできるようになってきます。

バリエーションをせずに、ただ、まっすぐにキープする・・・・それが、また、100%メンタルなのです。

自分のぐらつき、揺れが、よくわかります。

そして、体のぐらつきは、心の動きから始まることも、よーくよーく、わかります。

長いときは、バリエーションをせずに、ただまっすぐのベーシックスタイルで、10分以上・・・・13分以上・・・・キープしますから、そのあいだの心の葛藤が体に出てよーくわかるのです。

だから、動かずにキープする時間が必要なのですね。

ネガティブな思いや、否定的な感情は、確実に、絶対に、体がぐらぐらしてきます。

頭の中で、今日の仕事のことを考えていたり、生徒さんになんて言ったら伝わるかなぁとか、ああ、いつも、ああなっている生徒さんには今度、こういうふうにアドヴァイスしようとか、

そんなふうに、ある意味、「なにかを自分の意の方向にしよう」とすると、ぐらつきます。

そう、それも、エゴなのかなあ、なんて思います。

心の中の動きが、すべて、体に現れる・・・・・・というのが、顕著にわかるアーサナ。

だから、あるがままで、なすがままで、抗わずに、いればいいのだなと思います。

来るものを拒まず、去るものを追わず、人の人生はその人の選択で進んでいくもの。

アーサナの最中は、わたしは瞑想状態にいようと努めます。

制しないし、はむかわない。



もう、ほとんどないけれど、

ヘッドスタンドから、落ちてしまう時。

100%の確率で、「ダメダ、落ちる」と考えてから、落ちています。

ぐらついても、心を強くして「だいじょうぶ!」と思っていると、どんなに大きく揺れていても持ち直します。

未来は、自分が作り上げていくものです。

「ダメダ」と思えば、ダメなのだ、ということが、よーくわかります。」

いわば、「ダメになること」を期待してしまうのでしょうね。だから落ちてしまう。

そして、あー、やっぱり落ちちゃった、って思うわけです。

インフルエンザにかかりそー、って思ってると、かかっちゃうのと同じですね。

未来は、今の自分の1秒1秒の積み重ねですから、「いま」のこの瞬間がネガティブだと、未来もおのずと、そちらに行くのですね。

ひとは、起こる出来事、全て自分で引き寄せていますから。

アーサナの時間は、いつも生活している「自分」が精神的にすべて出ます。

アーサナしていると、肉体というツールを使って、自分の奥深いところが感じ取れます。

本当に、よーく、よーく、わかります。

私の場合、アーサナは、肉体の鍛練・・・・という意味ではなく、自己観察です。

だから、「できる」「できない」、「上手」「下手」ではないのですね。

そして、筋肉を引き締めて汗をかいて浄化する・・・・・のではなく、

自己を見つめて、エゴに気付き、そして、内面から浄化していく時間です。

ヨーガを深めれば深めるほど、アーサナに慣れてくれば慣れてくるほど、その、「気付き」がどんどん増えてきて、全然、飽きないです。

同じポーズを一生練習していたとしても、まったく、飽きない。

すごいなあ、ヨーガ。

すぐに飽きて、コロコロ変えてしまうことは真実ではなく、おんなじものだけれど、ず-っと楽しめて、毎回学びがある・・・・・これこそ、真実だよな。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ヨガ・スピリチュアル関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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