2012年11月25日

ロナワラが繋ぐ2人の最期



インド ロナワラにあります、カイヴァルヤダーマヨーガホスピタル、大学、研究所。

3年くらい前に、わたしはそこに滞在して、経験を積んでいました。

わたしはすでに日本でヨーガ指導をしていて、それをすべて手放して外国へと行ったときのことでした。

そのヨーガホスピタルに滞在中に、日本でのヨガの生徒さんの死を知りました。

そのかたは、私が日本を離れたあと、ガンで闘病し、亡くなった後、その方のお姉さんが、闘病中の彼女の日記に私の名前が何度も書かれていたことと、アドレス帳にわたしのメールアドレスがあったことから、メールをくださいました。

そのメールを読んだのが、ロナワラのヨーガホスピタルのライブラリーのパソコンでした。

とてもショックでした。

そのとき、ホスピタルには私以外に、もう一人、日本人の女性がヨーガセラピストコースでヨーガを学んでいました。

ちえちゃんという名前の彼女と、そのショックな出来事のお話をして、ふたりで人生のはかなさ、せつなさ、ヨーガの智慧の重要さを話しました。

その、ちえちゃん。

昨日、連絡があり、亡くなったと。

32歳でした。

脳内出血で、突然倒れたのだそう。

人生は、何が起こるかわからない。

ヨーガとアーユルヴェーダを研究し、インドやタイで学び続けていた、ちえちゃん。

今世の学びを終え、来世に旅立ったのでしょう。

でも、突然です。 

昨日は、ぼんやりとしてしまいました。

2009年6月、インドのロナワラ、カイヴァルヤダーマヨーガホスピタルに滞在した時に(プライベートなブログに)書いた日記を、見返してみました。

生徒さんの死を知った時のわたしの気持ちと、ちえちゃんの思い出が書かれています。

ご縁があって知りあって、同じ場所で繋がった2人について、記録として残しておこうと思います。

ご冥福をお祈りいたします。合掌

以下、過去の他のブログ日記より転載します。



******

「出会いは必然」2009年6月



チエちゃんは神戸出身で、最初はアーユルヴェーダに興味を持って、勉強しているうちに、そこからヨーガの学習へと導かれたそうだ。

インドで出会った偶然。すごいなあ。

彼女は
試験の最終日にわたしの部屋に遊びに来てくれたの。
 


久々に、スピリチ
ュアルな話ができて、とても楽しかった。

お互いの共通点もたーーくさんあって、ええーー!!ってふたりで驚いた。

そして、会話の流れで、わたしの学びたい事、そして、これから取りたい資格を、彼女は持っている、ということを聞いたんだ。

うわぁ! いろいろお聞きしたいわぁ。

彼女がそれを学んだ、南インドのヨーガの施設の情報をたくさんいただいた。

そして、ああ、わたしも、そこに行くな、こりゃ。と思った。



不思議だなぁ。

繋がっちゃった。

実は、わたしはつい一昨日、南インドに路線変更する決意をしたのだ。

ほんと、突然だよ! ひらめきで。

そして、その次の晩に、チエちゃんから、私が行く南の進路にある、よい情報をもらったので、びっくりしてしまった。

何にも無かったところに、ばらばらだったピースが少しずつ寄せ集まってきて、そして、道がどんどんどんどん繋がっていくなぁ。

まあ、そりゃ、偶然でしょ・・・・といったらそれまでだけど、そういう偶然をすごく大切にしているわたしには、「なるほど」と感じるものがあったんです。



その夜は、それ以外にもチエちゃんと偶然の一致がたくさんあり、ふたりで驚き続けた。

おもしろいね〜、繋がるね〜



******



「どうにもできないこと」2009年6月



こちらにきて、1ヶ月が経ちます。

自分の人生ばかりを考えて、自分勝手に旅に出てきたのですが

今日、

こんなことしていて、いいのだろうかと

考えさせられるニュースがありました。



このホスピタルには日本語が使えるインターネットがあるので、とても便利です。

さっき、メールのチェックをしていたときのこと。

すごく懐かしい名前を、宛名に発見しました。

彼女は、わたしのクラスに毎週欠かさず来ていてくれて、そして、いくつものクラスを全部参加してくれていた、生徒さんでした。

すごく痩せていて、でもいつも明るくて、そしてすこし毒舌な、印象深い女性でした。

わたしが海外に行くことで仕事を辞めると告白したときに、あの毒舌な彼女が涙ぐんでくれました。

涙ぐみながらも、口では、

「かんべんしてよー!勝手にやめないでよー!ダメダメー」

と、相変わらずの強い口調は崩しませんでした。



海外に滞在中は、メールを数回しただけで、わたしもなかなか思い出すことがありませんでした。



そんな彼女の、お姉さんから、今日、メールが届きました。

なんだろう?

と、メールを開いてみると・・・・

彼女は悪性の腫瘍で3日前に亡くなったそうです。

お世話になった人リストに、わたしの名前があったので、お姉さんがメールをしてくださいました。

闘病中の、12月30日の彼女の日記の中に、

「ヨガのクラスは本当によかった!ユキさんがいなくなったのは本当に困る。早く帰ってきて!」

と、書いてあったそうです。

私が日本の仕事を辞めたのは3月だというのに、9ヶ月間もわたしのこと待っててくれていたなんて・・・・・・。

その後も、何度かわたしのことが書いてあったそう。



ショックで、涙が止まりませんでした。

ホスピタルの図書館で、ぐすぐす、泣いていました。

まわりに座っている人たちは、見てみない振りしてました。




ちょうど、午前中に読んでいた、ヨガの聖典「バガヴァッドギーター」に書いてあった一説に

「人が死んで、泣くものは愚かものだ。私たちは肉体だけで生きているわけではないことを、賢者は知っていなければいけない。」
(かなり、略してありますが、勘違いされるといけないので少し柔らかくしてあります。)

というのがあったことを思い出しました。

そうはいっても・・・・・まだわたしは賢者にはなれず、愚か者なので、こういう場面では、えんえん、泣いてしまいます。



考えてしまいました。

こうして、インドにいて、みんなに散々心配かけて、たくさんの人から応援してもらって、援助もしてもらって

それなのに、

もし、その人が亡くなってしまったら、わたしは跳んで帰ることもできない。

たくさんの人々に、どれほどお世話になっているか知れないのに、わたしは、何も返して差し上げることができない。

わたしを、ずーーーっと、待っていてくれる人がいるというのに、

わたしはそれを見ようとしないで、感謝もしないで

自分の人生を行くんだ・・・・・とかなんとかいって、ばかみたいに自分の正面しか見てない。



もしも

両親が亡くなったら。

兄弟が、親友が、昔の恋人が亡くなったら。

お世話になったかたがたが、突然・・・・・・・・・としたら。

どうにもできない。

ここにいたら、どうにもできないことだ。

わたしは、ここで後悔せずに

「自由」を続けていけれるのだろうか。



なんだか

ショックです。



大切にしなければいけないものは

じつは

なんなんだろう



聖典「バガヴァッドギーター」から引用すると、きっとクリシュナは

「行け。そして、汝がするべきことをするのだ。」

と、わたしに言うのかしら。



するべきこととは。

わたしがするべき人生の仕事とは。



過去の日記から転載。 インド カイヴァルヤダーマヨーガホスピタルにて。







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 内なる豊かさへのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック