インド ロナワラにあります、カイヴァルヤダーマヨーガホスピタル、大学、研究所。
3年くらい前に、わたしはそこに滞在して、経験を積んでいました。
わたしはすでに日本でヨーガ指導をしていて、それをすべて手放して外国へと行ったときのことでした。
そのヨーガホスピタルに滞在中に、日本でのヨガの生徒さんの死を知りました。
そのかたは、私が日本を離れたあと、ガンで闘病し、亡くなった後、その方のお姉さんが、闘病中の彼女の日記に私の名前が何度も書かれていたことと、アドレス帳にわたしのメールアドレスがあったことから、メールをくださいました。
そのメールを読んだのが、ロナワラのヨーガホスピタルのライブラリーのパソコンでした。
とてもショックでした。
そのとき、ホスピタルには私以外に、もう一人、日本人の女性がヨーガセラピストコースでヨーガを学んでいました。
ちえちゃんという名前の彼女と、そのショックな出来事のお話をして、ふたりで人生のはかなさ、せつなさ、ヨーガの智慧の重要さを話しました。
その、ちえちゃん。
昨日、連絡があり、亡くなったと。
32歳でした。
脳内出血で、突然倒れたのだそう。
人生は、何が起こるかわからない。
ヨーガとアーユルヴェーダを研究し、インドやタイで学び続けていた、ちえちゃん。
今世の学びを終え、来世に旅立ったのでしょう。
でも、突然です。
昨日は、ぼんやりとしてしまいました。
2009年6月、インドのロナワラ、カイヴァルヤダーマヨーガホスピタルに滞在した時に(プライベートなブログに)書いた日記を、見返してみました。
生徒さんの死を知った時のわたしの気持ちと、ちえちゃんの思い出が書かれています。
ご縁があって知りあって、同じ場所で繋がった2人について、記録として残しておこうと思います。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
以下、過去の他のブログ日記より転載します。
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「出会いは必然」2009年6月
チエちゃんは神戸出身で、最初はアーユルヴェーダに興味を持って、勉強しているうちに、そこからヨーガの学習へと導かれたそうだ。
インドで出会った偶然。すごいなあ。
彼女は
試験の最終日にわたしの部屋に遊びに来てくれたの。
久々に、スピリチ
ュアルな話ができて、とても楽しかった。
お互いの共通点もたーーくさんあって、ええーー!!ってふたりで驚いた。
そして、会話の流れで、わたしの学びたい事、そして、これから取りたい資格を、彼女は持っている、ということを聞いたんだ。
うわぁ! いろいろお聞きしたいわぁ。
彼女がそれを学んだ、南インドのヨーガの施設の情報をたくさんいただいた。
そして、ああ、わたしも、そこに行くな、こりゃ。と思った。
不思議だなぁ。
繋がっちゃった。
実は、わたしはつい一昨日、南インドに路線変更する決意をしたのだ。
ほんと、突然だよ! ひらめきで。
そして、その次の晩に、チエちゃんから、私が行く南の進路にある、よい情報をもらったので、びっくりしてしまった。
何にも無かったところに、ばらばらだったピースが少しずつ寄せ集まってきて、そして、道がどんどんどんどん繋がっていくなぁ。
まあ、そりゃ、偶然でしょ・・・・といったらそれまでだけど、そういう偶然をすごく大切にしているわたしには、「なるほど」と感じるものがあったんです。
その夜は、それ以外にもチエちゃんと偶然の一致がたくさんあり、ふたりで驚き続けた。
おもしろいね〜、繋がるね〜
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「どうにもできないこと」2009年6月
こちらにきて、1ヶ月が経ちます。
自分の人生ばかりを考えて、自分勝手に旅に出てきたのですが
今日、
こんなことしていて、いいのだろうかと
考えさせられるニュースがありました。
このホスピタルには日本語が使えるインターネットがあるので、とても便利です。
さっき、メールのチェックをしていたときのこと。
すごく懐かしい名前を、宛名に発見しました。
彼女は、わたしのクラスに毎週欠かさず来ていてくれて、そして、いくつものクラスを全部参加してくれていた、生徒さんでした。
すごく痩せていて、でもいつも明るくて、そしてすこし毒舌な、印象深い女性でした。
わたしが海外に行くことで仕事を辞めると告白したときに、あの毒舌な彼女が涙ぐんでくれました。
涙ぐみながらも、口では、
「かんべんしてよー!勝手にやめないでよー!ダメダメー」
と、相変わらずの強い口調は崩しませんでした。
海外に滞在中は、メールを数回しただけで、わたしもなかなか思い出すことがありませんでした。
そんな彼女の、お姉さんから、今日、メールが届きました。
なんだろう?
と、メールを開いてみると・・・・
彼女は悪性の腫瘍で3日前に亡くなったそうです。
お世話になった人リストに、わたしの名前があったので、お姉さんがメールをしてくださいました。
闘病中の、12月30日の彼女の日記の中に、
「ヨガのクラスは本当によかった!ユキさんがいなくなったのは本当に困る。早く帰ってきて!」
と、書いてあったそうです。
私が日本の仕事を辞めたのは3月だというのに、9ヶ月間もわたしのこと待っててくれていたなんて・・・・・・。
その後も、何度かわたしのことが書いてあったそう。
ショックで、涙が止まりませんでした。
ホスピタルの図書館で、ぐすぐす、泣いていました。
まわりに座っている人たちは、見てみない振りしてました。
ちょうど、午前中に読んでいた、ヨガの聖典「バガヴァッドギーター」に書いてあった一説に
「人が死んで、泣くものは愚かものだ。私たちは肉体だけで生きているわけではないことを、賢者は知っていなければいけない。」
(かなり、略してありますが、勘違いされるといけないので少し柔らかくしてあります。)
というのがあったことを思い出しました。
そうはいっても・・・・・まだわたしは賢者にはなれず、愚か者なので、こういう場面では、えんえん、泣いてしまいます。
考えてしまいました。
こうして、インドにいて、みんなに散々心配かけて、たくさんの人から応援してもらって、援助もしてもらって
それなのに、
もし、その人が亡くなってしまったら、わたしは跳んで帰ることもできない。
たくさんの人々に、どれほどお世話になっているか知れないのに、わたしは、何も返して差し上げることができない。
わたしを、ずーーーっと、待っていてくれる人がいるというのに、
わたしはそれを見ようとしないで、感謝もしないで
自分の人生を行くんだ・・・・・とかなんとかいって、ばかみたいに自分の正面しか見てない。
もしも
両親が亡くなったら。
兄弟が、親友が、昔の恋人が亡くなったら。
お世話になったかたがたが、突然・・・・・・・・・としたら。
どうにもできない。
ここにいたら、どうにもできないことだ。
わたしは、ここで後悔せずに
「自由」を続けていけれるのだろうか。
なんだか
ショックです。
大切にしなければいけないものは
じつは
なんなんだろう
聖典「バガヴァッドギーター」から引用すると、きっとクリシュナは
「行け。そして、汝がするべきことをするのだ。」
と、わたしに言うのかしら。
するべきこととは。
わたしがするべき人生の仕事とは。
過去の日記から転載。 インド カイヴァルヤダーマヨーガホスピタルにて。
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