わたし、
ピアノを練習したいなぁ、と、突然、沸き上がってきました。
楽器の演奏は、ある意味、礼拝だと思うのです。
心を込めて祈るさまに似ている。
瞑想的でもあり、大いなる偉大な力と繋がる瞬間。
演奏してみたい、ふれあいたい楽器、サックスとか、ドラムスとか、ハルモニウムとか、
実はたくさんあるのだけれど、
今は、無性にピアノがいい。
優しい、ふんわりした音色で奏でて、空間を満たしたい。
そんなことを相棒に話していたとき、突如として、記憶がバチン!と閃光をはなっちました。
幼いわたし。
ピアノの発表会。
ピンクのドレス。
新しい靴。
ふたつに結った長い髪。
あれはいくつだったか。
多分、小学校一年生ころ。
なんでもやりたがる好奇心旺盛の少女は、それこそ、目にはいるもの、聞いた情報、全部やってみたかった。
そして、持ち前のわがままと、言い出したら聞かない我の強さで親を屈し、そのリストの半分くらいのものはやらせてもらっていた。
そのひとつが、ピアノ。
今思えば、うちは貧しくて、子供に習い事をさせる余裕は、どこにもなかったのだと思う。
毎日、精一杯の暮らしをしていたというのに、なんにも知らない少女は、そんな苦労している両親に駄々をこねたんだなぁ。
ピアノはもちろん買えず、父がオルガンをどこかからもらってきて、それを狭い部屋の一角において練習していた。
ピアニストになる!・・・・なんて夢があったわけではなく、ただの好奇心でやっていただけなので、結局1年くらいでやめてしまった。
両親は、がっかりしただろうな。
思い出すのは、初めてのピアノの発表会。
いつも少女は、親戚のお姉さんのおさがりばかりを来ていたけれど、発表会の日のために買ってもらった白とピンクのドレスは、ふわふわしててとってもかわいかったな。
新しく買ってもらった靴は、靴流通センターみたいなところで安く買った、サンダルみたいなものだったけれど、ピンクでお花がついていて、すっごくかわいくて気に行っていたっけ。
ガチガチに緊張した記憶があるなぁ。
きちんと弾けたかどうか、まったく覚えていなくて、母に「ユキが緊張するなんて珍しいね」なんて言われたな。
母が少女の長い髪を、きちんときれいに、かわゆく結ってくれた。
嬉しそうにはしゃいでいる少女を見て、きっと母も嬉しかったのだろうな。
貧しいながらも、なんとかお金を捻出して、ピアノの習い事・・・・なんて、生活にそぐわない素敵なことを少女に与えてくれて、
新しい服も、靴も、結ってくれた髪も、本当に、本当に、嬉しかったな。
なんにも知らなかった子供すぎた少女は、そんな母の苦労や、想いや、愛に、きちんと気がつかなかったな。
そんな記憶が、一気に、ぶわぁ〜〜〜〜っ、と溢れてきて、胸がキュゥーーーー、となって涙が出てきた。
なんて、愛されていたんだろう。
それに、気付かずにいたのだな。
ううん、気付いていたけれど、同然のこととして、見逃していたのかな。
愛は、時間差でやってくるものだなぁ、としみじみと思う。
人からいただいた愛や思いやりは、あとになってわかる。
でも、そのときはもう、遅かったりもする、ときもあるのだな。
いただいた愛に気づけずに、愛が欲しい、愛が足りない、と言っている。
愛は、気付けば、そこにあるんだよな。
気付くのが、大事だよな。
人間は、愛を原動力として生きているなぁ、とつくづく思うのです。