2012年11月11日

ピアノと少女



わたし、

ピアノを練習したいなぁ、と、突然、沸き上がってきました。

楽器の演奏は、ある意味、礼拝だと思うのです。

心を込めて祈るさまに似ている。

瞑想的でもあり、大いなる偉大な力と繋がる瞬間。

演奏してみたい、ふれあいたい楽器、サックスとか、ドラムスとか、ハルモニウムとか、

実はたくさんあるのだけれど、

今は、無性にピアノがいい。

優しい、ふんわりした音色で奏でて、空間を満たしたい。



そんなことを相棒に話していたとき、突如として、記憶がバチン!と閃光をはなっちました。

幼いわたし。 

ピアノの発表会。

ピンクのドレス。

新しい靴。

ふたつに結った長い髪。



あれはいくつだったか。

多分、小学校一年生ころ。

なんでもやりたがる好奇心旺盛の少女は、それこそ、目にはいるもの、聞いた情報、全部やってみたかった。

そして、持ち前のわがままと、言い出したら聞かない我の強さで親を屈し、そのリストの半分くらいのものはやらせてもらっていた。

そのひとつが、ピアノ。

今思えば、うちは貧しくて、子供に習い事をさせる余裕は、どこにもなかったのだと思う。

毎日、精一杯の暮らしをしていたというのに、なんにも知らない少女は、そんな苦労している両親に駄々をこねたんだなぁ。

ピアノはもちろん買えず、父がオルガンをどこかからもらってきて、それを狭い部屋の一角において練習していた。

ピアニストになる!・・・・なんて夢があったわけではなく、ただの好奇心でやっていただけなので、結局1年くらいでやめてしまった。

両親は、がっかりしただろうな。



思い出すのは、初めてのピアノの発表会。

いつも少女は、親戚のお姉さんのおさがりばかりを来ていたけれど、発表会の日のために買ってもらった白とピンクのドレスは、ふわふわしててとってもかわいかったな。

新しく買ってもらった靴は、靴流通センターみたいなところで安く買った、サンダルみたいなものだったけれど、ピンクでお花がついていて、すっごくかわいくて気に行っていたっけ。

ガチガチに緊張した記憶があるなぁ。

きちんと弾けたかどうか、まったく覚えていなくて、母に「ユキが緊張するなんて珍しいね」なんて言われたな。



母が少女の長い髪を、きちんときれいに、かわゆく結ってくれた。

嬉しそうにはしゃいでいる少女を見て、きっと母も嬉しかったのだろうな。

貧しいながらも、なんとかお金を捻出して、ピアノの習い事・・・・なんて、生活にそぐわない素敵なことを少女に与えてくれて、

新しい服も、靴も、結ってくれた髪も、本当に、本当に、嬉しかったな。

なんにも知らなかった子供すぎた少女は、そんな母の苦労や、想いや、愛に、きちんと気がつかなかったな。



そんな記憶が、一気に、ぶわぁ〜〜〜〜っ、と溢れてきて、胸がキュゥーーーー、となって涙が出てきた。

なんて、愛されていたんだろう。

それに、気付かずにいたのだな。 

ううん、気付いていたけれど、同然のこととして、見逃していたのかな。



愛は、時間差でやってくるものだなぁ、としみじみと思う。

人からいただいた愛や思いやりは、あとになってわかる。

でも、そのときはもう、遅かったりもする、ときもあるのだな。

いただいた愛に気づけずに、愛が欲しい、愛が足りない、と言っている。

愛は、気付けば、そこにあるんだよな。

気付くのが、大事だよな。



人間は、愛を原動力として生きているなぁ、とつくづく思うのです。

代々木公園9.jpg




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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