昨日、「隣る人」を観に行きました。
児童養護施設のドキュメンタリー映画です。

ナレーションなどという演出は一切なく、そこでの実際の生活をありのまま撮影された映画。
本当に、本当に、本当に、本当に、
とっても、とっても、よかったです。
ほんとに、ほんとに、子供には母親が必要なのです。
子供には、なんの罪もないのです。
大人の勝手で、子供は、ただただ、混乱してしまう。
大人の勝手で混乱させられた子供に対して、「この子は私の手に負えない」と言って、施設に預けてしまう母親。
母親からの抱擁が必要だというのに、それが得られずに、さらに混乱していく子供。
でも、親も人間なので、完全ではないから、親になりきれず、心を病んで混乱していく。
人間って、せつないなぁ。
でも、そのせつなさを共有して、悩んだり、傷ついたり、傷つけられたり、追いかけたり、逃げたりして、
怒ったり、泣いたり、抱きしめたり、笑ったり、嫌いになったり、大好きになったりしながら、
一緒にご飯食べて、寝て、生活していきながら、親と子、ともに成長していく思うのです。
昨日は、上映の後に、監督の刀川さんと、舞台になった養護施設の館長さんが、舞台あいさつに来てくださっていました。
とっても素敵なお二人で、心の温かさが、にじみ出ているおかたでした。
監督がおっしゃっていた言葉。
「撮影した8年間で感じたこと。なんでもない、あたりまえの生活の中に、大切なことがすべて詰まっている、ということに気付きました。」
まったく、その通りだな、と思いました。
館長さんがこの映画のメインキャラクターとなった人々について説明するときに、グッ、と言葉を詰まらせて、涙をこらえていらっしゃいました。
本当に、利益とか、売り上げとか、そういったところを超えた、人間の奥深くにある柔らかいところからあふれ出るもので、お仕事されているのだな、と強く感じました。
わたしも、胸がいっぱいになりました。
その館長さんが、映画の中で、10歳の誕生日を迎えた少女に言います。
「むっちゃん、つらいことや、苦しいことは、なんであるのか、わかる? なんで、悲しいことがあるんだろう? それはね、これから大人になって、他の人のつらいことや、悲しいことや、苦しいことが、わかる人間になるためなんだよ。 今はつらいけれど、がんばるんだよ」
10歳の少女は、泣きそうになるのを必死でこらえて、無理やり笑顔を作っていました。
何度も言いますが、本当に、良い映画だった。 まだ、かみしています。
今これを書いていて、また、涙が出てきました。
チャンスがあれば、もう一回観たいです。
川崎市アートセンターでは8/17までの上映だそうですから、東京近郊の方は新百合ヶ丘のこのシアターにぜひ行ってみてください。
そのご、中野のほうでも上映されるそうですので、調べて、ぜひ行ってみてください。
山梨の皆さんにも、ぜひ見てもらいたいな、と思って、帰りがけに、自主上映会ができないかお聞きしましたら、
どこでも行きます、とお答えしてくださいました。
山梨にお呼びしようかしら?とちらり、と考えてみたりしてます。
私に、そんな大それたことができるかしら?
みなさんのご要望があるのかしら?
以下に、フライヤーに載っていた、著名人のお勧め文を載せますね。
「どんなムッチャンも好き。」保育士のマリコさんの言葉です。そう思ってくれる人が隣にいること。子供には、それだけでいい。けれど、「それだけ」が非常に困難になっているのは、今の日本、児童養護施設に限ったことではないように思います。
愛情とは、何か特別なことをしてやったり、まして期待したりすることではない。
なんでもない時間を共有し、ひたすら存在を受け止めること。子供とは、こんなにも愛情を必要としている生き物なんだと、せつなく、たじろぐほどでした。」 俵万智(歌人)
「ささやかだけれど情感豊かなこの映画は、
日常に暮らしの底で光を放つ『生命の真実』を、うるわしく切なく映し出している。
人が心の底から希求している本物の願い、祈り、夢。そして人を新に悲しませるものの姿。さらに、人がどんなつらさにも耐えて、なお生きゆくことがなぜ可能なのか。胸迫るその答えもここにある。愛おしい子供たち。愛おしい人々。
観ながら涙し、観終えて込み上げ、二度観てこれを書いている今も心が揺さぶられている。」 天童荒太(小説家)