2012年07月03日

叔母



昨日、

山梨の塩山へ行ってきました。



父方の叔母が亡くなりましたので、火葬する前に会いに行ってきました。

79歳で、アルツハイマーや、緑内障や、他にもいろいろ患い、入退院をし、ずっと寝たきりだったようです。

最後は、脳梗塞で突然の死だったそうです。

私は、家庭の事情で子供の頃に父と離れ、縁を切られてしまいましたので、父方の叔母が、生きている頃に最後に会ったのは25年くらい前でしたか。

眠るような安らかな表情の叔母は、私の記憶の中の25年前の顔とは、まったく別人で、小さく痩せて、当時の元気で豪快な面影はまったくありませんでした。



従兄弟にも25年以上ぶりに会いました。

とても、優しく、思いやりのある、立派な男性になられていました。

彼は7年前に結婚したそうですが、そのことも私は知らされていず、どこに住んでいるのかさえも知りませんでした。

こうして、また、再会できたことを、心から嬉しく思います。

封印していた幼少のころの思い出が、少しずつ蘇えってきます。



叔母については、子供だったときの記憶しかないので、あまりよく知らない、と言えます。

従兄弟と、本当に久しぶりに話し、叔母のことを教えていただきました。

叔母には、従兄弟の彼が生まれる前に、もう一人、女の子の子供がいたそう。

私も小さい頃、写真を見せてもらったのを、おぼろ気に覚えています。

その少女は小さな頃に病気になり、入院したそうです。

病名は忘れてしまいました。

そのとき、お医者さんから処置された麻酔のショック死が、少女の死因だそうです。

病気が原因ではなく、医療ミス(?)が原因で亡くなったそうです。

叔母が、抱き締める、その、腕の中で、少女はヒクヒクと痙攣しながら息を引き取ったそう。

最愛の我が子を、自分の腕の中でなくしたのです。

その話を昨日初めて、従兄弟から聞きました。

せつなくて、苦しくて、涙が出ました。

叔母について、よく、知らなかったのですが、そんな辛い経験を乗り越えたかただったのか、と改めて叔母を想い、胸が苦しくなりました。

叔母はその経験からクリスチャンとなり、生涯を崇高な信仰心で過ごされたということです。

叔母の人生を想い、言葉にならない感情で、胸がいっぱいです。

小さい頃にお世話になった叔母に、なんにもご恩返しができずに、これまで来てしまいました。

せめて、ここに記しておくことで、叔母の存在を残しておこうと思います。

クリスチャンの叔母に、合掌をするのは失礼なのでしょうか。

心の中で深く礼だけして、叔母の愛と悲しみと信仰の人生に、心から敬意を表します。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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