昨日、
山梨の塩山へ行ってきました。
父方の叔母が亡くなりましたので、火葬する前に会いに行ってきました。
79歳で、アルツハイマーや、緑内障や、他にもいろいろ患い、入退院をし、ずっと寝たきりだったようです。
最後は、脳梗塞で突然の死だったそうです。
私は、家庭の事情で子供の頃に父と離れ、縁を切られてしまいましたので、父方の叔母が、生きている頃に最後に会ったのは25年くらい前でしたか。
眠るような安らかな表情の叔母は、私の記憶の中の25年前の顔とは、まったく別人で、小さく痩せて、当時の元気で豪快な面影はまったくありませんでした。
従兄弟にも25年以上ぶりに会いました。
とても、優しく、思いやりのある、立派な男性になられていました。
彼は7年前に結婚したそうですが、そのことも私は知らされていず、どこに住んでいるのかさえも知りませんでした。
こうして、また、再会できたことを、心から嬉しく思います。
封印していた幼少のころの思い出が、少しずつ蘇えってきます。
叔母については、子供だったときの記憶しかないので、あまりよく知らない、と言えます。
従兄弟と、本当に久しぶりに話し、叔母のことを教えていただきました。
叔母には、従兄弟の彼が生まれる前に、もう一人、女の子の子供がいたそう。
私も小さい頃、写真を見せてもらったのを、おぼろ気に覚えています。
その少女は小さな頃に病気になり、入院したそうです。
病名は忘れてしまいました。
そのとき、お医者さんから処置された麻酔のショック死が、少女の死因だそうです。
病気が原因ではなく、医療ミス(?)が原因で亡くなったそうです。
叔母が、抱き締める、その、腕の中で、少女はヒクヒクと痙攣しながら息を引き取ったそう。
最愛の我が子を、自分の腕の中でなくしたのです。
その話を昨日初めて、従兄弟から聞きました。
せつなくて、苦しくて、涙が出ました。
叔母について、よく、知らなかったのですが、そんな辛い経験を乗り越えたかただったのか、と改めて叔母を想い、胸が苦しくなりました。
叔母はその経験からクリスチャンとなり、生涯を崇高な信仰心で過ごされたということです。
叔母の人生を想い、言葉にならない感情で、胸がいっぱいです。
小さい頃にお世話になった叔母に、なんにもご恩返しができずに、これまで来てしまいました。
せめて、ここに記しておくことで、叔母の存在を残しておこうと思います。
クリスチャンの叔母に、合掌をするのは失礼なのでしょうか。
心の中で深く礼だけして、叔母の愛と悲しみと信仰の人生に、心から敬意を表します。