先週のこと。
昼間、小学校の前を通りかかりました。
おひさまがとっても気持ち良くって、キラキラ光る太陽の恵みの中を、幸福感に包まれていました。
小学校の裏手の、給食室のすぐ横の、フェンス沿いを、てくてくと歩いていました。
このフェンスの向こうには、小学生なりの社会があるんだなぁ。
小学生の頃って、学校と家庭が、世界のすべてだったなぁ。
そんなことを考えながら、立ち止り、右手の指をフェンスに掛け、中をみつめ、しばらく、子供の頃の自分にタイムトリップしていました。
フェンスの向こうでは、給食室の裏口から、「給食のおばさんとおじさん」が、働く姿が見えました。
顔の3分の1は隠れてしまう大きな白いマスクに、白い帽子に、白いズボンに、白い厚手のビニールの足首まであるエプロンをしたひとが、
ガタガタと、給食の食器などが入っていたのであろう、スチールの四角い箱を、
持ち上げては積み上げ、そして、それを片付けては、また、次の箱に取りかかっていました。
10年くらい前、オーストラリアのバナナファームで働いていた頃を思い出しました。
あの頃も、あの給食のおばさんと同じような、白くて長いビニールのエプロンをつけて、腕が腱鞘炎になって、痛くて痛くて、鉛筆も持てなくなるほど、水の中を流れてくる、何百個、何千個ものバナナを、朝から晩まで、選り分けたり、もいだり、ナイフで切ったりしていました。
作業は恐ろしく単調で、しかも、信じられないくらいキツかったけど、今思えば、日本にいたら、間違いなく経験できなかったであろう、素晴らしい経験でした。
当時は、嫌で嫌で、泣きそうになりながら仕事してましたけどね。
経験は「宝」だ。
たちすくんで、フェンス越しに、じーーーーーーっと、観察していると、
はた・・・・・と、ひとりのおばさん?もしかしたら、おじさん?と目が合ってしまいました。(大きなマスクしてたから、性別がわかりません。)
わたしは、ばつが悪くなり、慌てて目をそらしました。 あは、怪しい人ですね。
目をそらした先には、10本ほどのビニール手袋が、洗濯バサミに吊るされていました。
すべて、指の部分を上にして吊るしてあって、
すべてのビニール手袋は、中指部分に、洗濯バサミを挟まれていました。
そして、すべてのビニール手袋は、人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指と親指が折り曲げられ、
「ブイサイン」の形になっていました。
ぶらさがってる全部の手が、「ブイサイン」でした。
たくさんの人の手が、「いえーい♪」って、言ってるようでした。
なんだか、嬉しくなっちゃいました(笑)
嬉しくなっちゃったので、ニコニコと微笑みました。
いいねぇ、こんな遊び心。 これは、偶然ではありえないな。
誰か、ユーモアのあるひとの仕業に違いない。
ふと、少し離れたところに目を移すと、少年がひとり、ポツン・・・・・と、コンクリートの段差に座っているのが見えました。
少年は、膝を立て、その膝に顎を乗せ、体を二つ折りにするようにして、両手で足元を探っていました。
良く見ると、
足もとに転がっている石ころを、右足のあたりから左足のあたりに、手が届く範囲にあるだけ全部、ポイッ!と、小さく投げていました。
右側の石ころが無くなると、今度は、左側にたまった石ころを、同じように、ポイッ!と右足の方に投げました。
まるで、与えられた仕事を黙々とこなす、作業員のようでした。
ベルトコンベアーで流れてくる、お弁当の容器に、リズム良く、黙々と、梅干とたくあんを置いて行くようなかんじでした。
水流で近づいてくる、津波のようなバナナの房を、品質の良いもの、悪いもの・・・・と、黙々と、選り分けていくようなかんじでした。
ははぁ。
あの、ビニール手袋の「ブイサイン」は、この少年の仕業かなぁ?
今は、授業がない時間なのかな?
それとも、サボリかな?
少年は、同じ動作をしばらく続け、いきなり、がばっ!!と立ちあがって、
今まで熱心に相手をしていた足もとの石ころを、まるで、無かったことにするかのように、えいっ!と、右足でざざっ!と蹴り散らし、
たたたっ!!・・・・・・と、どこかに駆けて行ってしまいました。
子供は、おもしろいなぁ。
いろんなことを、自由に感じて、いろんなことを、自由に考えているんだろうな。
「経験」が少ない分、わたしたち、大人には感じられないことを、たくさん感じて、
その心の処理の仕方がよくわからなくって、戸惑うことが山ほどあって、
スポンジが水を含むように、小さな事から、必要無いことまで、様々なことをどんどんどんどん吸収して、
そうやって、心を育てていくんだろうな。
わたしも、そんな頃に戻りたいな。
少年のような純粋な気持ちに、戻れるかな。
今からじゃ、遅いかしら?
